死神
モルテの加護により、生を持つ者と失った者とが共存する国、
スラヴィア。 だが、この国はかつて、全ての国、全ての人から疎まれ忌むべき物として見られていた時代があった。
ここスラフ島に『全ての民が幸福の中で暮らせる永遠の国』を建設する。 諸国家の君主たちよ、武器を棄てて我が計画に参画せよ
今となっては史書にも記載されているこの「スラヴィア建国宣言」も、発せられた当時は赫怒の対象でしかなく、それ故に世界各地から義勇軍が集結。 後に「スラフ島戦役」と称される大戦役が幕を切って落とすこととなった。
そんな時代から幾年、時にはスラヴィアの死徒と生ある者が手を取り合う事も良く見られるようになった。 当時からすれば考えられない話だが、それは「スラフ島戦役は総合的には現スラヴィア死徒軍の大勝により集結した」という事実から来るものがあるのかもしれない。
ここはスラヴィアのとある街道。 深夜の夜道を渡り歩くのは、黒き肌を尚暗き鎧に身を包んだ長身痩躯の美女と、場に似合わぬ可憐な装束の姫君、そして左目を包帯でぐるぐる巻きにした猫人の3人組である。
「ふにふに、もふもふ~♪」
「・・・親父さんに頼んで、猫人が犬人の耳を移植してもらえ。 いい加減ヒトの耳で遊ぶのはやめれ」
「え~!? ぶ~ぶ~、いいじゃないですかぁ! じゃあ聞きますけど、ニャゴさんは自分の耳もふもふして気持ちいいですか?」
「別に」
「ですよね! もふもふするならやっぱり他のヒトのじゃないと気持ちよくないんですよ! ね?」
「何が『ね?』なんだか・・・だーかーら、やめいっつってんだろーがぁ!」
「もふもふ、もふもふ~♪」
この数日後に饗宴初舞台を迎える髑髏王の秘蔵っ子ヴィルヘルミナと、成り行きでそれに付き合うことになるニャゴ=キング。 二人の問答を嘆息気味に眺めるのは、かのヴォーダンと「饗宴」史上屈指の名宴を繰り広げた実力派ゲルダと黒鎧卿の名コンビ。 問答のあまりに和み系な内容にゲルダも思わず表情が綻ぶが、土地の「気配」を察し、はしゃぎ回るヴィルヘルミナの足元に向けて眼光鋭く得物のナイフを投げつける。
「うわぁ!? わわわ、ど、どうしたんですかぁ・・・びっくりしましたぁ!」
「いきなり投擲とは、穏かじゃないな。 何かあったんスか?」
「ああ済まない。 確かこのあたりだったと思ってね。 ヴィルヘルミナ、念の為、街道から出ないように。 それとニャゴ君、すまないがそのナイフを取ってくれないだろうか」
「んあ? 自分で取ればいいだろうに・・・ほいよ」
ニャゴは地面に突き立てられたナイフを抜き取るが、そのとき土地の「気配」に違和感を覚える。 その「気配」は何だったかと思い起こしつつ、ニャゴはナイフをゲルダに差し出す。
「ああすまない。 ここがそうだとしたら・・・」
ゲルダは街道から少し離れたところに立ち、そっとゆっくり手を突き出すと、やがて指の先からじんわり仄かに痛みが広がる。
「間違いない。 このあたりは『地上の太陽《アフド・クラジニー》』の端だ。 ご覧の通り、この辺りは深夜だと言うのに、我らが踏み込めば少なからず被害を被るのだよ」
ゲルダはひりつく指先をヴィルヘルミナとニャゴに見せて、警戒を促す。
「へぇ~、不思議なこともあるんですねぇ! ではわたしも」
「試すな馬鹿」
「あうん? む~、いいじゃないですかニャゴさん」
「やめろってんだろ。 信じられんことだが、お天道様の下に出たときと同じことになるぞ」
「う、むむぅ・・・!」
やめろと言われると尚のこと行きたくなる、というのが好奇心旺盛なお年頃の性というもの。 ニャゴは手をつかみ取り何度も静止の言葉をかけるが、その膂力は細身ながら一騎当千というヴィルヘルミナと引っ張り合いをするには、分が悪いにも程がある。
「ヴィルヘルミナ、あまり御客人を困らせてはいけない。 それに、その身に何かあれば御父上がどれ程心配されるか」
「うむむぅ・・・はぁい」
渋々と承諾して街道に戻るヴィルヘルミナと、それを監視するゲルダ。 ニャゴはその二人から少し距離をあけて、虚空に向かい小声で疑問を投げかける。
「『地上の太陽』ねぇ・・・どう感じてもラーの神気だが、どういうことだ?」
「恐れながらカー・ディエル。 スラフ島戦役の折、ここより幾らか海寄りの地にて、ひとりの王がその身を陽光と化し天に還られたので御座います」
虚空からの返答は、ニャゴ・・・もとい、未来王《カー・マス・デバン》ディエルに付き従う神霊コロナのもの。
「この辺りは大分離れておりますし、あの戦役から幾年、その際の神気も薄らいでおりましょう。 ですが、死徒どもに痛手を負わせるにはまだ十分な力を有しておりますれば」
そう続けるコロナの声は穏かだが、目付き顔付きは滅多に見せない険しいものであった。
「・・・何か、あったのか」
「今の私は、何があったかは存じておりませぬ。 ですが」
「やっぱ言わんでいい。 行くぞ」
「畏まりまして御座います」
コロナの表情を見れば、そこで何があったのかは覚えていなくても魂に刻まれた凄惨な思いがあること位は、ディエルでも想像は付く。 それ以上は言わせる必要は無い。 先行するヴィルヘルミナとゲルダを見失わないよう、ディエル・・・もといニャゴは歩を早めつつ、かつての王が最期を遂げたと思しき方角を眺めていた。
放蕩王。 没後「金獅子王」と称されるカー・レブオーロの、在任当時の銘である。
彼は生まれて間も無く世欲に駆られた両親により左目にナイフを突き立てられ、その刃が通らないことで正真正銘の王であることが発覚した。 そのため、物心付くどころか両親より名を貰う前に王城へ引き取られ(その際ナイフ傷が発覚したため両親は刑法に則り死罪)、王としてのみ生きることを余儀なくされた。
世俗を知らず、王となるための事しか学ぶ機会を得られなかったレブオーロは、やがて少年と大人の狭間の年頃に王として民の前に現れる。 王城の内より世界を知るにつれ、己の了見の狭さ、ヒトとしての詰らなさに苦しみを感じるようになっていった。
夜半過ぎの王城、王の私室の屋根の上。 レブオーロは毎夜そこで星空を眺めるのが日課であった。
「なぁコロスケ」
「・・・コロナに御座いますれば。 何度正せばご理解頂けましょうか」
「まぁいいじゃねぇか。 生まれてこの方の仲だろ?」
「それとこれとは話が別に御座います。 して、カー・レブオーロ、何か御用でしょうか」
「お、そうだそうだ。 こんなことコロスケに聞いたところでどうしようもねぇって話かも知れんのだが」
ムッと睨むコロナの視線をあえて無視して、レブオーロは話を続ける。
「なんでオレがカー・
ラ・ムールなんだろうな?」
特別知恵が回るわけでも、腕っ節がべらぼうに立つ訳でもない。 いわゆる「試練」の類など受けることも無く、何ら苦も無く王となった彼には、自分がその立場にあるという実感を得ることが出来なかった。
自分がもし王城から離れたらどうなろうかと思い、試しに数日間ほど王城を抜け出してみたりもしたが、先王より引き続きで国を治めてきた臣下の面々は実に優秀であり、国政に揺らぎなど起きようはずも無い。
民も臣下も呆れさせてしまおうかと思い、戦も無いのに無意味に金色の甲冑を発注してみたりもしたが、そもそも着る事自体がないのだからと内々に処理され立ち消えにされた。
結局のところ、ラ・ムールは「王が不在でも政権を維持できる」という特異な王制であるが故に、政治について王より遥かに精通する臣下が全ての政務を処理できてしまう。 生まれながらに王であるが、居なくても問題ない王。 そう自らを悟ってしまったレブオーロは、政務の全てを臣下に任せ、朝方早々に王城の外に飛び出し夕暮れに戻る、という放蕩生活を送るようになってしまった。
「恐れながら、生まれながらに王であるが故にで御座いますれば」
コロナも、いつものようにいつもの疑問に返答する。 レブオーロにとって、親の顔より先に見たコロナが、自分の全てを知ってくれている良き友にして相談相手であった。 年を経るにつれて淡々と代わっていく世話係や教育係と違い、コロナだけは生まれてより常にレブオーロの傍に居た。 それだけに、レブオーロも「コロスケ」などと呼んで茶化しはするものの、コロナには絶対の信頼を置いていた。
「前の王もその前の王も、伝記の王達もみんなみんな、そうだったのか?」
「左様に御座いますれば。 王として生まれ、王の証をその身に宿しておられますのに、何故己が王だと信じられないので御座いましょう?」
「・・・さぁ、何でだろうなぁ」
「既に王は王に御座いますれば。 遊び呆ける暇あらば、王としての責務を」
「あ~もう、うっさい! もう寝る!」
そう言って窓から私室に戻ってきた丁度その時、私室の戸が激しく叩かれる。 別に眠くは無かったが、レブオーロは気だるさを装い扉を開ける。 すると、息せき切った臣下の一人が口調荒く事の仔細を伝える。 曰く、大いなる理を司る10神の1柱モルテの代行者であるサミュラが、スラフ島にて己が国を興す。 後の世に言う「スラヴィア建国宣言」である。
「本人がやりたいっつってんだから、やりたいようにやらせてやればいいんじゃねぇの?」
即答に近い形で出てきた放蕩王レブオーロの見解は、この一言に全てが集約されていると言っても過言ではない。 それだけ聞いた臣下は即座に踵を返し、深夜にも拘らず急遽開かれた議場へと戻る。
「余りにも無責任に過ぎますれば。 恐らく何れの国も、死徒が跋扈する国など認めますまい。 如何される御積もりで?」
「そうだなぁ・・・とりあえず、そのサミュラってのにでも会ってくるか」
「正気に御座いますか!?」
「いやだって、好き好んで『王になりたいんだけどいいよね?』なんて言うヤツだぜ? 俄然興味湧いてきたね」
生まれながらにして王となり、己は王かと疑問を投げかけ続ける王が、自ら進んで国を興し王に成らんとする者に会いに行く。 レブオーロは、世界を相手に大喧嘩を仕掛けてでも王に成ろうとするサミュラに会うことで、王とは何かを知ることが出来るかもしれない、と考えていた。
「私にはカー・レブオーロの御見解が理解出来ませぬ・・・」
嬉々として出立の準備をするレブオーロを、怪訝な面持ちでただ眺めるコロナであった。
時は少し遡り、ディエルと鬼人が小
ゲート経由でスラヴィアに落とされた頃。
「む、これは・・・」
「キエム、どうしました?」
特殊な製法で作った大甲虫
アンデッドを野に放ち死徒を掻き集める、という蛮行をしでかしたネーヴィケリス男爵への粛清を希望する者による、「饗宴」の前哨戦の最中。 戦地の状況を風精からの伝令により察知した審議候《ジャッジメント》キエム・デュエトが、傍らの屍姫サミュラに戦場の異変を伝える。
「小ゲートから生者が二人落ちてきた、と?」
「イエス、マム。 片方は猫人、もう片方は鬼人のようです」
「そうですか。 撤退するなら良し、さもなくば」
「御意のままに」
程なくして風精からの伝令を受けたキエムが、まず鬼人が饗宴の軍勢と交戦、続けて猫人も交戦を始めたことを確認する。
「双方ともに、交戦を確認。 抹殺に向かわせますか?」
「ええ、よろしくお願いしますね」
キエムは審議候としての任の一環として、饗宴疎外者の抹殺へ動き出そうとする。 二名の競技者の一方が大軍勢を率いていることもあり、配下の裁定者は戦地の境を監視する任を外すことが出来ないが、闇に住まう者が尊ぶべき饗宴を阻害する者あらば、その抹殺は至上命題。 境界維持より優先される事項であるため、キエムが風精に伝令を頼もうとした、まさにその時
「良かったねぇキエム? アンタの口があとちょっと速かったら、アンタを粉々にしなきゃいけなくなる所だったよ。 今落ちてきたヤツらは放置していいからね」
「モルテ様!? 何故そのようなことを?」
音も無く、まるで影と闇がそのまま形を成したかのように現れたモルテが放つ圧倒的な神気に、サミュラとキエムは身動きが取れなくなる。
「いやぁ、さっきコイツに連絡があってね」
「それは・・・異界で使われているという、連絡用の道具ですね?」
サミュラの問いかけに対しモルテが手に乗せて見せたのは、異界では「あいほん」などと呼ばれているらしい、珍妙な方法で遠方の者と話が出来るという道具だ。 どうやらモルテはその道具を介して他の神と交信しているそうだが、真偽の程は分からない。
「さてキエム、ちょいと席を外してもらおうかねぇ?」
「御意のままに」
キエムは風のように、二人の前から姿を消す。 漆黒の神気にて風精を寄り付けなくしたところで、モルテがサミュラの疑問顔に応じる。
「そうさねぇ、端的に言えば・・・もう一回『落日』するのは厄介だろう?」
「そういう事ですか。 ということは、ご連絡というのは」
「察しの通りさ。 毎度の如く『試練だ』しか言わなかったけどねぇ! 受けるのは私じゃないっての! はっはっは!」
スラヴィアでは「太陽落とし」「落日」という忌み名で呼ばれる現象。 その元凶と相対したことのあるサミュラは、若き獅子の事を思い返していた。
「ああ、こりゃ負けるな俺ら」
後にスラフ島戦役と呼ばれる戦役は、完全にスラフ島全域を掌握したサミュラ以下死徒軍に対し、多国多人種の混成による連合軍が揚陸戦を仕掛けつつ、島の中央に座すサミュラを討つべく進軍する、という状況であった。
名をレオ、身分を旅の傭兵と偽ったレブオーロが、
ドニー・ドニーが擁する大型船舶に設えられた作戦本部で現在の状況を聞き、司令官の話を聞き、出した結論が先の言葉である。 雌雄が確定するまでまだ幾ばくの時間を要するのだが、現時点で連合軍の敗北を確信していたのは、最前線で絶望的状況をその身に痛感した者を除けば、レブオーロと帰り支度を始めた臆病者くらいなものであった。
レブオーロは立場上、なぜサミュラがあえて全世界に対し挑発的な言動を以って戦を「仕掛けてきてもらえる」ような建国宣言を発したのか、そしてなぜ土地の広さに適度な限りのあるスラフ島を選んだのか、理解していた。
「端的に言えば、上陸した奴らを片っ端から『国民』にするために、挑発して動員させたわけだよなぁ」
「日頃からそのような洞察力を見せて国を導いておれば、『放蕩王』などと揶揄されずに済みましたでしょうに」
「うるさいぞコロスケ。 ま、それでも勝つってのはやっぱ、自信の表れってやつなんだろうな。 その上での」
レブオーロは周囲の屍の山に対して身構えつつ
「この状況なんだろうけど、な!」
宵の明星が顔を出した今、右手の太陽牙《ゾン・ブレザ》は使い物にならない。 左手の獅子牙《ジンガ・ブレザ》で、つい先程まで味方側だった者達の動き出した亡骸を粉砕しつつ、レブオーロは島の中央を目指す。
連合軍の一員として集団行動を取るよう指示はされたが、目的は果たせないし身の上も気付かれると判断したレブオーロは単独行動を取っていた。 死徒軍の大半は島の四方に散った本拠からの揚陸部隊への対処が中心となったため、スタンドプレーにて中央を目指す者はターゲットと成りにくいだろうという公算もあっての行動である。
死徒として再び動き出したものを討ち取るなど、普通の者では、特に相手が先ほどまで背中を預けていた者とあっては、とてもではないが「再び殺す」ことなど出来るはずもない。 だがレブオーロは、連合軍の参加者に特段の面識も無く、左目の力で死徒を永遠の死の呪縛から解放することが出来たため、死徒を討つ事に何の躊躇いもない。
「陰湿極まりないやり口だが、まぁ特性を十全に生かすことを考えた上で、それを為すだけの力量があれば、最良とも言えるやり方ではあるな」
実際、当初の死徒軍の勢力は「最古の貴族」と呼ばれるサミュラ直轄の手勢とスラフ島土着民だけであったが、連合軍の遺骸を取り込むことで勢力を拡大。 討つ事を躊躇う相手を迷い無く打ち倒し更に軍勢は拡大するという循環により、前線に出ている「最古の貴族」の質と合わせても既に連合軍と同等以上の戦力規模を誇っている。 戦力を即時補充、補強可能という夢のような環境を作り出している死徒軍が圧倒的優位に立つのに、そう時間はかからなかった。 その上、連合軍に参入する手練の名士すらも討ち取られ死徒となり、士気までも同時に削り取られていく。
陸地ではなく島という環境も、連合軍を容易く逃げられないようにする檻としての役割を果たし、さらに少なからず連合軍に参入していた
ミズハミシマ出身の水生の民を死徒軍に取り込む事で、逃げ道の無い状況が着々と築き上げられていた。
また、唯でさえ極限状態に追い込まれる戦が昼夜逆転で行われ、日のあるうちに進軍し日没後は日の出まで戦い詰めるという状況が、連合軍の心身双方を確実に蝕んでいくことになった。 後方から戦場を遠めに見るだけの者では理解し辛いこともあり、現場との軋轢を生みだしていた。
ドライな言い方をしてしまえば、レブオーロにとって戦況はこの際どうでも良かった。 攻める気があるのであればそれで良し、敗走するのなら手を尽くす、という心積もりはあったが、どんなに手を尽くそうとも勝利に漕ぎつくことはまず出来なかろうと察していたからである。 連合軍側は将一人討ち取れば勝利できるが、その将の前に立ちはだかる壁は、攻めれば攻めるほど厚く高く、そして凶悪な罠を備えるようになる。連合軍側は、その壁を根本から打ち崩す術を持っていないのだから、「攻める」という初手を選んだ時点で詰んでいるにも等しい。 その状況に今更関心を持ったところで意味が無い。
それに、彼がわざわざこのような戦地に一人出向いた理由は
「お初にお目にかかる、死徒の女王」
「御機嫌よう、猫人の王」
後にスラヴィア元首となる者との、史上初となる国家元首対談のためであった。
そこで交わされた会話の内容を知る者は、今やサミュラただ一人である。 しかし、彼女がその内容を語ることは無いだろう。 唯一つ確かなのは、二人の王が各々が描く治世の姿を再確認し合った、ということである。
「ま、アンタの願いと心意気は良く分かった。 いずれはアンタらの国のヤツとウチの商魂逞しいヤツらが、売った買ったの話をすることもあるだろうよ。 そん時はよろしく頼むわ」
「そうね・・・そういう未来があっても、良いかも知れないわね。 ところで一つ聞きたいのだけれど、なぜその眼その力で私を討たなかった?」
「馬鹿言え。 俺は一騎討ちしに来たんじゃなくて、アンタと話がしたかっただけだ。 最初にそう言っただろ」
「・・・面白い男ね、貴方」
「そうか?」
「最後に一つ。 我々は無益な殺生は臨まぬ。 刃を向けるならば討つが、逃げる者まで討つ気はない。 生を大事にするのなら引け、と貴方からも伝えてもらえぬか」
「出来たらするけどな」
今この生に全てを賭けて戦場に立つ者にとって、戦というものはただ生きた死んだで片付く程度の話ではないのだが、倫理観から根底から違うサミュラに説いたところで通じないだろうし、諭すだけの論弁の術も裏付けるだけの経験もない身の上で話したところで説得力も無い。 レブオーロはあえて確約することは無く、サミュラの下を去った。
「彼の者、あのまま帰らせてよかったのですか?」
「いいのよキエム。 ラー様の代行者である彼と、モルテ様の代行者である私。 掌る理が真逆の神の使徒である私達が出会うのは必然。 それだけの事なのだから。 それで、状況は?」
「はい、まず東部ですが・・・」
サミュラもまた、それ以上のことを語るつもりはなく、淡々と戦況を報告するキエムの声に耳を傾けていた。
サミュラと別れ数日。 スラフ島に来た時とは別の、ミズハミシマ発の船舶が係留してある本営の程近くまで、レブオーロは歩を進めていた。
「・・・宜しかったのですか?」
「なんだよコロスケ、何が不満よ」
「私には、彼の者が信用できませぬ」
「あのなぁ、上役のやってることが真逆だからって嫌うのは良くないぞ。 少なくとも俺は、サミュラは信用できると判断した」
「カー・レブオーロがそう仰るのなら、私はそれ以上は言いますまい。 彼の者は信じ切れませぬが、貴方のお気持ちは信じております故」
打ち倒し英雄として凱旋するならともかく会談のみで済ませてしまうなど、とコロナはさらにぼやき続けるが、レブオーロは何処吹く風。 と、その時、空を斬る音が急接近してくる!
「ぐぅ!? ちぃ、空か!」
右肩に裂傷を負うが、その程度で済んだことにある意味感謝しつつ、レブオーロは空に浮ぶ影を睨みつける。
「これはこれは。 地を這うしか能の無い者が空を睨むその眼その姿、実に滑稽」
「全くだな。 ルゥ、ここは任せる。 私は手勢を率いてあの大船を潰そう」
「応」
「てっめ、行かせるかよ!」
鳥人の死徒とそれに追従する、数にすれば五千は下らない、空を覆う軍勢。 その進行を制そうとするレブオーロの行く手を、いかな手法かは知らぬが空を舞う狸人の死徒が阻む。
「我が名はルゥ。 彼の者はガルヴァンディア。 貴殿らの命、貰い受けに来た」
狸人の男はそう名乗り、手にした斧槍の照準をレブオーロに定めた。
「しかし、なぜガルヴァンディアとルゥは、我が命を無視して敗走者狩りなど・・・」
敗走する者を追わず刃を向ける者のみ相対せよ、との命を忠実に守っていたはずの軍勢の中で、ガルヴァンディアとルゥが擁していた軍勢だけが、戦役末期に突如敗走者狩りを始めたことが、サミュラにとっては今だ疑問であった。
「ああ、そんな事かい。 彼らは我欲が強すぎたからね、消えてもらおうと思ったのさ」
「・・・モルテ様、貴方が唆したのですね。 なぜそのようなことを」
「言ったろう? 我欲が強すぎたのさ。 もっと言えば、力に泥酔していたから、いずれ邪魔になるかと思ってね。 丁度いい相手も居たし、懲らしめてやろうと思ったんだけど、そしたらビックリ、跡形も無く消えちゃってさぁ、はっはっは」
「貴方様は何故いつも、そうなのですか・・・?」
サミュラはただ、今も昔も変わらぬモルテの傍若無人ぶりに嘆息するしかなかった。
「オマエら、サミュラの言いつけは無視かよ!」
「は! 余所者の貴様が何を言うか! それにあのような小娘に従う義理など、我には無いわ!」
舞うように空を飛ぶルゥが繰り出す、真空の刃を伴う斧槍がレブオーロを狙う。 レブオーロは獅子牙でそれを打ち払い、かわし、辛うじて生き延び続ける。 だが、最初に受けた右肩の裂傷が、確実にレブオーロの体力を胆力を奪っていく。
「ち、延の仙人は摩訶不思議な術を使うと聞いてはいたが、死徒になっても健在とは・・・コイツは厄介だな!」
「ほうほう! ただの地を這う猫かと思ったが、やりおるのう! じゃがいいのか? 向こうじゃガルヴァンディアの手勢ががんばっておるぞ?」
ガルヴァンディアと呼ばれた鷲人が率いる鳥人と仙人で構成された軍勢が、拠点を兼ねた大船とその衛兵に向けて襲い掛かる。 大船は既に負傷者の収容施設と化しており、軍力は僅かにしか残っていない。 虐殺にも近い状況が繰り広げられるのに、そう時間はかからなかった。
レブオーロはルゥの追撃を振り切り、何とか拠点に辿り着き、ルゥ・ガルヴァンディアの手勢を打ち払い始める。 拠点は元々ミズハミシマの魚人らが提供した船のひとつを司令部としていたようで、訪れた負傷者を漏れなく受け付けていたため様々な人種がいるが、健在の衛兵はいずれも魚人や竜人であった。
「なぁそこのアンタ!」
「な、なんだ?」
レブオーロは手近に居た竜人の衛兵に唐突に話しかける。
「頼みがある。 アンタ、絶対に生き延びて、コレを出来れば、ラ・ムールの王城にいるノムっていうエラいやつに渡してくれ」
そう言ってレブオーロは、首にかけていた爪飾りを名も知らぬ衛兵に渡す。
「だ、だが」
「大丈夫だ。 コイツらが例外なだけで、戦う意志を見せなければ他の死徒軍は襲ってこない。 コイツらはまとめて俺が引き受けるから、アンタは生き延びることを考えてくれ」
「む、無茶だ! いくらなんでもこんな数を一人でなんて!」
「全くだ。 甘く見られたものだな、ルゥ。 手を抜きすぎではないか?」
「久しぶりの戦じゃて、楽しんでも罰は当たるまい」
見る側からすれば吐き気を催す笑みを浮かべるルゥとガルヴァンディアを見て、レブオーロは確信する。 コイツらはサミュラの意向を無視して、ただ単に狩りがしたいだけだ、と。
「おいオマエら、サミュラは敗走者は討つなって言ったの、覚えてないのか?」
レブオーロは問うが、
「さぁ、知らんなぁ?」
ルゥは明後日の方向を見て知らぬ風を装い
「ただの方便だっての! 動かないやつなら楽に手駒に出来るから、逃す理由はないだろ!」
ガルヴァンディアは殺意剥き出しの返答で応える。
「・・・テメェら」
怒りに震えるレブオーロの左目から、光が漏れる。 サミュラの意志を、想いを、願いのために生み出された死徒を否定する気は無い。 だが、輩でありながら長の意志を踏みにじるルゥとガルヴァンディアは、存在を許すわけにはいかない。
「ほう、これは面白い眼をしているな、貴さ・・・ゴファ!?」
「ルゥ! 貴様何を・・・ガアァ!?」
一瞬で長く鋭く伸びた獅子牙がルゥを、左目から漏れ出す陽光で形成した太陽牙がガルヴァンディアを貫く。
「悪ぃが俺ってば、貴様らが心の底から大っ嫌いなものと、実にふか~いご縁が、ありましてね?」
「貴様、何をする気だァ!?」
「あそこの部下共々纏めて消えろ。 テメェらの存在は、サミュラの理想の邪魔だ」
レブオーロは両手を組み、獅子牙と太陽牙で巨大な弓を形作る。 その際の挙動で、ルゥとガルヴァンディアは諸共四肢をバラバラに引き裂かれる。
尚も光を増し、深夜だというのに真昼より明るくなる周囲。 両の拳を突き出し向けた先は、主の不在をいぶかしむことも無く拠点を襲い続ける死徒の群れ。 レブオーロの意図を察したコロナが、彼を思い留まらせるために声を張り上げる。
「虎目石の瞳《タイガーズアイ》の力を全開にする御積りですか! そのようなことをすれば、御身が持ちますまい! 彼らにそこまでする義理など!」
「馬鹿言え。 あそこで浮いてるヤツらを見てみろ。 あの数を見過ごしたらどうなると思うよ」
「ですが、そのようなことをせずとも! それに約束を違えたのはあの女のほうではありませぬか!」
「いいんだよ。 俺はサミュラを信じるって決めた。 いずれこの地に出来る国と、形はどうあれ他の国とが手を取れる日が来ると確信した。 少なくとも俺とサミュラが信じた未来に、アイツらを残すわけにはいかない」
「そのような柄にもない事を今になって仰られても!」
「へへっ、最期の最期で、何となく王様っぽいだろ?」
左の瞳より溢れた光は、周囲を眩しく、あたかも日の出が訪れたかのように照らし出す。
「なぁコロナ、今日まで、ありがとな。 この眼と指輪と魂、忘れずに持って帰れよ?」
夜明けにはまだ早すぎる時刻。 スラフ島の一角に、太陽が現出。 光芒は矢というよりはむしろ光の砲となり、放たれた光砲は天へ翔け、そして消えた。
後の世に『地上の太陽』と言われる、戦役集結の要因のひとつとなった特異現象の発生である。 太陽に見紛うばかりの光砲の照射を受けた地は、深夜であろうと死徒の立ち入りを許さぬ程の濃厚なラーの神気に満たされることとなる。
「たとえ記憶で覚えていられなくとも、我が魂が滅せぬ限り、この屈辱、憤りを覚えておりますれば。 いずれ必ず、新たな王と共に無念を晴らしてご覧に入れましょう・・・!」
コロナは誰に言うでもなく、王者の証を手に、天へ還る。
「・・・そして、そのとき爪飾りを受け取った我が国の者が、『命を賭し我らを救い給うた金色の獅子のため、恩義を尽くしたい』として、ラ・ムールまでの渡航の許可を求め当時の私の元を訪れたので御座います」
「そんなことが、あったんスねぇ・・・」
ミズハミシマ王都ヨニカ・ゲア・カシ、「御殿」にて。 ミズハ元首オトヒメは、ディエルに金獅子王について語り聞いたことを聞かせていた。
ディエルとしてはスラヴィア現地人に話を聞く機会はあったのだが、ゲルダもヴィルヘルミナも戦役以後の生まれ、髑髏王や黒鎧卿は主戦地が異なるため現象の発生は知っていても状況は知らず、特に詳しい話は聞けていなかった。 そしてコロナは代替わりごとに記憶を消されるため覚えていない。
「金獅子王がなぜ戦役に向かったのか、命を賭すだけの価値をどこに見出したのか、それは申し訳ありませんが私には分かりません。 私が存じているのは、彼が生命と引き換えに『地上の太陽』を引き起こし、それによりミズハの民や傷ついた兵が少なからず命を救われた、それだけで御座います」
「いえ、こちらこそ、貴重な話を聞かせて頂いて、ありがとうございます」
「では、次は何をお話しましょうか?」
次代の王と話をするのが楽しくて堪らないという様子のオトヒメと、緊張し通しのディエルの夜は、あと少しだけ続く。
翌朝、士族長フタバもといフーさんに連れられミズハの地を後にするディエルは、小声でコロナに話しかける。
「なぁコロナ」
「何で御座いましょう」
「やっぱ、お前がスラヴィア嫌いなのは、金獅子王の件があったからか?」
「存じておりませぬが、忌むべき物は忌むべきで御座いますれば。 さすればカー・ディエル、玉座に着かれました暁には、まずはスラヴィアを」
「やらないからな」
「何故にで御座いますか!?」
必死に打倒スラヴィアを説得するコロナの弁をよそに、ディエルは空高く浮ぶ太陽を見ながら、太陽となった王に思いを馳せた。
数歩先に小ゲートが待っている事など、今のディエルには知る由も無い。
- どのような人と一緒になってもうまが合いますね未来王。国も種族も越えて満遍なく輪を作れるのは王の資質の現れでしょうか。しかしこの常に小ゲートが待機しているかのような人生は大変ですね -- (名無しさん) 2013-04-13 19:15:17
- 国の成り立ちを考えると全異世界国を相手取って戦争を続けていてもおかしくないスラヴィアがほどよい緊張と交流があるのはいいですなぁ。過去の戦いも今の礎 -- (名無しさん) 2014-01-21 20:34:53
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最終更新:2013年03月30日 13:04