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【屍盗人】

 その老人と出会ったのは、私がそろそろ宿に引き返そうかと考えていた時だった。
 一日中ミズハミシマの自然や風土を見て回り、すっかり疲れていた私はぼんやりと海に沈んでいく夕日を眺めていた。
 水平線に沈む太陽が空を朱色に染め上げて、海はキラキラと輝いた。時折、輝く波を掻き分けて長い髪の人魚達が泳いでいく。
 恐らく一日の仕事を終えた人魚達が家に向かって泳いでいるのだろう。
 海岸線のずっと向こうには岩場があって、どうやらそこに腰掛けて談笑しているらしい人魚もいた。

「そこに近づくなぁぁぁぁぁぁぁ!」
 突然怒声が響き渡った。人魚達にも聞こえたらしく、慌てて岩場から飛び降りて次々と海中に姿を消していく。
 私がびっくりとして振り返ると着物によく似た服を着た人型の爬虫類――竜人の老人がそこにいた。
「おや“向こう”から来た人かい? こいつぁ失礼した」
 老人はいかにも好々爺というような笑みを私に向けた。とても大声を出すような人物には見えない。
 それ以前に私よりも頭一つ小さく体格もほっそりとしているのに、どこからアレだけの大声を出す肺活量を生み出せるのかがまず不思議だった。
「アンタもあの岩場の辺りにゃ近づくなよ。あそこは危ねぇんだ」
 そう言って竜人の老人は先ほどまで人魚がいた岩場の方を顎でしゃくった。
 興味を引かれ、尋ねてみた。
「あそこに何があるのです?」
ゲートだよ」
「ゲート?」
「ああ、人一人がやっと通れる大きさのな。たまに迷い込んだりする奴が出るんだ。それに役人も龍神様もあそこに近づく奴にはいい顔をしない」
「何か曰くがあるみたいですね」
「ああ、昔、昔の話だ。まだ大ゲートが開く前……」
 老人はゆっくりと話し始めた。

 きっかけはゲートの向こうから迷い込んだ一人の奴隷であった。彼は着の身着のまま突如として異世界に迷い込み、何がなにやら分からぬうちに
たまたまその場にいたラムール奴隷商に捕まり、スラヴィアのネイピアという貴族の目に留まる事になった。
 元はラムールに住むダークエルフだったこの吸血鬼は、ほぼ生前と変わらぬ姿をしているが、両腕の肘から先だけが白骨と化している。
 どのような死を迎え今の姿になったのかネイピア本人と、死の神モルテ以外知る由もないが、今ではその特異な姿から白腕公という異名で呼ばれていた。
「本日は珍しい品をお持ちいたしました白腕公。アルビノのオーガより貴重で、薔薇の樹人よりも美しく……」
「友よ、友よ。こう見えても我輩は忙しいのだよ。能書きはいいからさっさと見せておくれ。夜が明けてしまう」
 奴隷商は舌と体全体を使ってこれから見せるものは素晴らしい商品だ、という事をアピールしようとしたが、ネイピアの返答は冷めたものだった。
「ご覧下さい、これが何かわかりますか」
 奴隷商が引き連れた奴隷が深く被っていたローブを取ってやると、中から10歳程の少年が現われた。
エルフ……いや、これは向こう側の人間か!」
「左様」
「友よ、この哀れな少年をどこで拾った?」
「こやつがミズハミシマの沖で溺れていた所に私が居合わせましてな。その場にいたミズハミシマの海兵から買い取った次第」
「ミズハミシマか。あの国の姫も世界の向こうより波に乗って現われたと聞いていたが……」
 ネイピアはうわ言のようにそう言った。頭の中ではいくつかのキーワードが組み合わさっていく。
 異世界より来たりて神々をも魅了した美しき姫二人、ミズハミシマのオトヒメ、スラヴィアのサミュラ。
 そしてミズハミシマに流れ着いた少年。こちらと向こうを繋ぐ門。
 輪廻転生を繰り返し、常しえに龍神の傍らで生きるオトヒメ。
 死神に見入られ、永遠に不死となった体を持つサミュラ……。

 しばらくして考えが纏まるとネイピアは重々しく口を開いた。「確かにこれは逸品だな、友よ」
「私も取り扱うのは初めてです。白腕公ならばその価値がお分かりになるかと思いこうしてお目通りを……」
「世辞はいい。言い値で買おう」
「は?」
「言い値だ。好きな値をつけよ」
「こ、これは恐縮です」
 白腕公ネイピアはゆっくりと立ち上がり、奴隷の少年に近づいた。
 ネイピアが一歩近づくごとに少年の心臓は高鳴り、体は小刻みに震え、顔からは血の気が引いていった。
 吸血鬼が目の前に立った時、少年は恐怖ですっかり青ざめて、今にも泣き出しそうだった。雪のように白い白腕がそっと少年の頬に触れた。
「我輩が怖いか」
 ネイピアは語りかけながら微笑んだ。少年はどうしたら良いかわからないといった表情をしながらも、何とか首を横に振った。
 しかしあふれ出る涙を止める事はできなかった。ネイピアの乾いた指の骨の上を、少年の流した涙が伝っていく。
「安心しろ。これでも我輩は子供好きなんだ。君を傷つけたりはしない。それどころか白腕公の名にかけて君を故郷へ帰してあげようじゃないか」 

 その日からネイピアは慌しく旅の準備を始め、一週間後には奴隷の少年と数人の従者を連れてミズハミシマへと旅立った。
 海を越えてミズハミシマに辿り着くと、ネイピアは本当に少年の為に帰り道を探し始めた。勿論その間少年に危害を加えたりもしなかった。
 少年のおぼろげな記憶を頼りにネイピアは世界と世界を繋ぐ門を探し、やがてそれを見つけ出し、言葉通り少年を元の世界へと送り返した。
 これで準備は整った。ネイピアの顔に笑みが浮かんだ。

 龍神シマハミスサノタツミノミコトの妻であるオトヒメは神の庇護により不思議な一生を送る。或いは送り続けている。
 彼女は龍と交わり、十月十日の後、出産に全ての力を使い果たし死ぬ。しかしその際生まれてくるのは前世の記憶を引き継いだオトヒメ自身なのである。
 こうして彼女は何世代にも渡って龍神の寵愛を受け続けていた。
 その日、ミズハミシマの島々は厳かな雰囲気に包まれていた。女王であるオトヒメが死に、そして生まれたのだ。
 新たな始まりは喜ばしき事だが、同時に死は死である。
 何よりも先にまずは厳粛に国葬が執り行われた。もっともすぐに誕生祝もある為、式自体は手早く済まされるのだが。
 葬儀が終わりに差し掛かり、ミズハミシマの臣民が誕生祝で飲む酒の事を考え始めた頃、事件は起こった。
 弔問客が棺に納められているオトヒメに花を手向けようとした時、ドンっと何かがぶつかった。
「痛っ」と反射的に振り向くとそこには誰もいない。不思議に思いながらも視線を棺に戻すと、その弔問客を含めて、その場にいた全員が――勇壮な竜人の兵も
博識な亀の大臣も、スキュラの侍女達も――凍りついた。
 棺が空中に浮かび上がり、突如として猛スピードで移動を始めたのである。
 いち早く混乱から立ち直った誰かが叫んだ。
「盗人だ!」


 棺は竜の宮殿の屋上、つまり海面に突き出した、地上に住む者たちの為の出入り口へ向かって何かに導かれるように飛んでいく。
 やがて棺が外に出ると、棺を抱える白骨の腕が白日の下へ晒された。さんさんと降り注ぐ日差しが不埒な闇の魔法を打ち破ったのだ。
 姿を現したネイピアは体全体に、とりわけ肉のない両腕に、ピリピリと熱を感じた。姿を隠してくれていた闇の精霊達は陽光を浴びるとたまらずどこかへ逃げ出してしまった。
 早く身を隠さねば自分も危うい。
 本当は日が落ちてからこっそりと忍び込みたかったが、まごまごしていればオトヒメの体が火葬されてしまう。それでは彼女の美貌が手に入らない。
 ネイピアにとっても一か八かの危険な強行であった。しかしそれだけの価値があった。
「白昼堂々、大勢の前で姫を奪い取るというのも我ながら小気味よいわ!」
 ネイピアはオトヒメの死体が入った棺を担ぎ、歓喜していた。 我、神姫を得たり! 名高いオトヒメが我が手に!
 もっともすぐに追っ手がやってくるだろう。だが必ずや逃げ切ってみせる。
 予め用意してあった小船に乗り込むと、ネイピアはアンデッドたちに叫んだ。
「急げよ、全速力で漕げ!」


「た、隊長、一体オトヒメさまは……」
 長身の竜人カガチは狼狽していた部下を無言で殴りつけた。
「うろたえるな馬鹿。お前は陸にいる連中に伝えて兵を出せるだけ出して海岸を見張らせろ。絶対に上陸させるな。さぁ急げ、走れ!」
「は、はっ」
「ここの警備の半分は俺と一緒に棺を追う。さっさと船を準備しろ」
 クソが、どこの誰か知らんが面倒な事を起しやがって。大体逃げ切れると思っているのかよ。
 カガチは12艘の船を率いて盗賊を追った。
「妙だ」
 半刻後、もう盗人の船は目と鼻の先であるにも関わらず、カガチは胸騒ぎを覚えていた。
「あのヤロウはどこに向かっている? 陸路を取るなら最寄の陸は西だ。無謀にも外洋に出る気なら東か北が手っ取り早い。何故南に向かってる?」
 理に適ってない。南にあるのは小さな島々だけだ。しかも行く手を阻むように岩礁が周囲を取り巻いている。
 ただのヤケクソか? それとも……。
 カガチに理由の分からない悪寒が走った。

「逃げ切ったな」
 ネイピアは勝利を確信した。
 オトヒメを抱えてこの岩場まで辿り着いた。あの奴隷に教えてもらった、異世界への門がある岩場に!
 いかにミズハミシマの兵が優秀でも、この世界から消えてしまえば何が起こったのか理解できまい。
 いかにシマハミスサノタツミノミコトでもこの小さな門をくぐって追っては来れまい。
 私はゆっくりと向こうで帰り道を探せばいい。ゆっくりとこの姫に第二の生を与える儀式を行えばいい。
 ネイピアは棺の中に眠る姫を光悦とした表情で眺めた。
 嗚呼、美しい。
「いい。いいぞ。凄くいい!」
 我慢できない。
 ネイピアは白い腕をそっと姫の腰へ回し上体を起すと、そっと顔を近づけた。
「……みつけた」
 唇が重なる直前、屍の目と口が開いた。


 轟音。
 火山の噴火、地鳴り、雷、或はそれらをあわせて様な巨大な爆音がミズハミシマの中心に響き渡った。
 その時の爆音は遠くエリスタリアまで届いたという。
 それはまさに神鳴りだった。怒り狂う龍の咆哮だった。次いで現われた巨大な竜巻が、海水を巻き上げながら猛烈な勢いで南へ向かった。
 まず、追っ手の12艘の船が半ば巻き込まれた。
「おおおおお、つ、掴まれ、振り落とされるなっ」
 突然現われた竜巻に翻弄されてながらカガチとその配下は、荒れ狂う風のなかで獣の嘶きを聞いた様な気がした。
 混乱しながらも、彼らは薄々それがなんなのか理解した。


 ネイピアは最後の最後まで抵抗を続けていた。
 あと少し、あと少しで逃げ切れる。その一念で岩場へと向かっていたが、ついに竜巻に追いつかれた。
 嵐はあっというまに小船は引き裂き、アンデットは雷に焼き焦がされ、白腕公の体は木の葉のように空へと投げ出された。
 しかし風に舞いながらも、白腕の右方はしっかりとオトヒメの肩を掴んでいた。
「ひ、姫は渡さんぞ」
 ギュっとオトヒメの柔肌に、ネイピアの骨と化した掌が食い込んでいく。
 そうしながら左腕もオトヒメを掴もうと腕を伸ばした時、一筋の雷がネイピアを撃った。
「がっ……」
 ショックで腕を放してしまったネイピアは荒ぶる風に弄ばれながら、たっぷりと二度目の死の恐怖を味わった。
「モ、モルテ様、助け」
 落下の寸前ネイピアは死神に懇願した。しかしモルテは現われなかった。
 ただ荒れ狂う風に紛れて、龍神の咆哮と死神の笑い声を聞いた気がした。


「こうして、姫は龍神様の手で取り返され、ネイピアの死体はカガチ隊長が見つけた。落ちた時岩に心臓を貫かれて絶命していたそうじゃ」
「なるほど、そんな事が」
 老人が話し終えた時、陽はすっかりと沈んでいた。
「ゲートはその後龍神様が閉じられたが、元々時空が不安定な場所らしく今でも時折開いてしまうことがある。だからわしは今でも見張ってるんだ」
 私は好奇心を抑えきれず、恐る恐る聞いてみた。
「……もしかしてあなたはカガチ隊長?」
「いいや、違う。わしは、わしは、最初にここで子供を見つけて奴隷商に売った男だ。わしが全て悪いんだ」
 暗がりで老人の表情は見えなかったが、その声は震えていていまにも泣き出しそうだった。
 私は慌てて老人を慰めた。
「ま、まあまあオトヒメ様の遺体は戻ったのでしょう? 吸血鬼も倒れて一応は決着したと言っていいのでは?」
「その年ミズハミシマに生まれた子供は皆、肩に強く掴まれたような痣があった……龍神様はきっとお怒りなのだ」
 老人は私に帰るように促すと、自分もしょげ返りながらフラフラ歩き出した。
「だからわしはここを見張ってるんだ。今度は迷い込んだ人間を助けるために」

 私が宿に戻ると竜人の女将が笑顔で出で迎えてくれた。
 昨日までは気が付かなかったが、彼女の肩に強く掴まれたような痣があるのに気が付いた。

  • 嫁を奪われた龍神の怒りオソロシヤ。嫁バカの怒りの直撃を食らったネイピアさんが生き延びて遥か地球でバイトしてるだなんてこの時は思いもしなかった… -- (名無しさん) 2012-03-26 23:35:38
  • 序盤の対応とその後の行動を見て、屍人化してしまった者は、生き甲斐>善悪の概念という思考バランスになっている様な気がする。 それほど長くない中に色々なキャラが登場するので、一話限りで終わらせるには勿体無いその姿を想像するのも楽しい -- (名無しさん) 2012-03-27 23:46:47
  • 貴族うんぬんの話はいまいち。オチの痣のアイディアは結構好き。もう少し練り込んで欲しかった -- (名無しさん) 2012-03-28 03:27:37
  • 欲しいものは誰のものでも欲しくなる気持は分からなくもないですが相手が少々(かなり?)悪かったようでとんでもない目に遭っていますが本人としては満足だったんでしょうか。その後の影響が広く出ているのも神の怒りの強さの表れでしょうか -- (ROM) 2013-02-20 15:41:05
  • オチが怪異譚っぽくて好き -- (名無しさん) 2013-03-09 20:39:47
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最終更新:2013年03月28日 19:44