第115話 新司令長官就任
1484年(1944年)2月1日 午前8時 カリフォルニア州サンディエゴ
その日、元南太平洋部隊司令官であるチェスター・ニミッツ中将は、所要のためサンディエゴの太平洋艦隊司令部を訪れた。
彼は司令部に到着するなり、応接室で待たされた。
そして10分ほど経った午前8時10分。応接室に、太平洋艦隊司令長官である、ハズバント・キンメル大将が現れた。
「おはよう、ミスターニミッツ。」
キンメルは、顔に笑みを浮かべながらニミッツに挨拶した。
「おはようございます。長官。」
「元気そうだな。南太平洋部隊の仕事は順調に進んでいるようだね。」
キンメルは、適当にニミッツと言葉を交わしながら、ニミッツと反対側のソファーに座った。
「しかし長官。大分痩せられましたな。」
ニミッツは、どこか心配するような口調でキンメルに言う。キンメルはこの言葉に苦笑しながら頷く。
「ああ。面目ない限りさ。」
彼はそう言って、深い溜息をつく。
「1年前から体調を崩してしまってな。医者からは精神的ストレスのせいだと言われている。そのせいで、ちょいとばかり
不整脈も併発してしまってな。これ以上は、この仕事を続けられそうにもない。」
「そうだったのですか・・・・・」
キンメルの言葉に、ニミッツは相槌を打ちながら頷く。
キンメルが太平洋艦隊司令長官に任命されたのは、1941年10月17日である。
それから今日まで、実に2年以上もの間、この重職を続けてきた。
キンメルが太平洋艦隊司令長官に任命されてからは、転移という前代未聞のハプニングが起きた物の、彼の率いる太平洋艦隊は、
シホールアンル軍とよく戦い、ついには北大陸侵攻を成功させると言う所まで辿り着いた。
しかし、キンメルの体は、司令長官という激務に苛まれ、ついには体調を崩すまでになった。
「お陰で、体重が8キロも減ってしまった。まあ、痩せられたお陰で体重を気にする事は無くなったがね。」
キンメルはそう言うと、派手に笑い飛ばした。
「しかし、長官も災難ですな。これからと言う時に・・・・」
「なあに、仕方あるまいさ。病人に指揮を取らせるよりは、もっとマシな奴に指揮を取らせたほうが良い。」
キンメルはニヤリと笑いながら言うと、ニミッツ右肩にポンと手を置いた。
「だから私は、君を太平洋艦隊の新司令長官に推薦したのだ。この事は、ワシントンのキング作戦部長からも了承を得ている。」
キンメルは、先月末に、ワシントンのキング作戦部長に健康上の理由で司令長官を辞任すると伝えた。
それと同時に、彼はニミッツを次の太平洋艦隊司令長官に任命するように伝えている。
ニミッツは、既に南太平洋部隊司令官として数多くの功績を残しており、アメリカ海軍内では、ニミッツは高く評価されている。
キング大将も、ニミッツの手腕は評価しており、キンメルの提案を二つ返事で受け入れた。
「主導権は、我々連合国が握っているから、昔よりは余裕があるだろう。これなら、どんな奴が司令長官になっても戦争に勝てるかもしれない。
しかし、俺としては、君のほうが新司令長官に最適だと思った。だから、君を推薦したのだ。」
「ありがとうございます。しかし、」
ニミッツは、不安げな表情でキンメルに言う。
「私としては、いささか不安が残ります。太平洋艦隊は、今では、開戦時と比べ物にならぬほど強大になっています。
この大艦隊を指揮するには、本当に私でいいのかと思うのです。」
「なあに、今までやってきた事をやれば良い。君は、今まで南太平洋部隊司令官として多くの経験を積んできている。
その経験を元に、各艦隊を動かす。それだけだ。簡単ではないが、君なら充分にできるよ。」
心配ないとばかりにキンメルは、微笑みながらそう言った。
「あと3日だけしか、司令長官の椅子に座れんが、我々に主導権が移った今、このポストを辞める事に未練は無い。ミスターニミッツ。
後は君の時代だ。君も知っていると思うが、シホールアンル側はまだまだ侮れない。恐らく、奴らはとんでもない方法を用いて、
俺達に手痛い損害を与えるかも知れん。だが、開戦時よりも格段に強化された、太平洋艦隊の戦力なら、敵の意外な攻撃にも
充分耐えてくれるだろう。後は頼んだぞ、次期司令長官殿。」
キンメルは、ニヤリを笑みを浮かべた。
その自信に満ちた笑みは、体調を崩した病人とは思えぬほどであった。
「わかりました。」
ニミッツは、深く頷いた。
「長官が築き上げてきた成果を無駄にせぬよう、微力を尽くします。」
この時になって、従兵が紅茶を運んできてくれた。
キンメルは従兵に礼を言って下がらせた。
「長官。そういえば、彼女はどうしていますかな?」
ニミッツは、紅茶を一口啜ってから、キンメルに尋ねた。
「フェイレの事だな。」
キンメルがそう言うと、ニミッツは頷く。
「彼女は、明るい娘だよ。今は宿舎で寝泊りしているが、友人達と良く遊んでいる。」
「彼女からは、何か話を聞かされましたか?」
「ああ、聞いたよ。」
そこで、キンメルは辛そうな表情を浮かべた。
「全く、酷い話だった。彼女の幼少期や思春期は、ほとんど良い思い出がない。」
彼は、フェイレから聞かされた話を、ニミッツに話した。
最初は、冷静な表情で話を聞いていたが、話の終盤ごろには、ニミッツは険しい表情を浮かべていた。
「なるほど。確かに酷い話です。」
「彼女は、涙ながらに語ってくれたよ。彼女の言っていた事からして、かの国は、フェイレの他にも、身寄りの無い子供や、
どこぞから拉致して来た子供を利用して、フェイレにやって事と、ほぼ同じ事をしているようだ。」
「とんでもない世界ですな。私達から見たら、考えられない事ばかりです。」
ニミッツは、辟易したような口調でそう言った。
幼少期から徹底した殺人術を教え込ませ、将来有望な兵士に育て上げる。
人体実験で、人を強力な魔道兵器に作り変える。
今のアメリカでは、全く考えられない事ばかりだ。
もし、フェイレの話がアメリカ国民に知られれば、シホールアンルは本当に血に飢えた国歌として糾弾されるだろう。
最悪の場合、シホールアンルがどんなに譲歩しても、シホールアンルの現体制を変えぬ限り、アメリカはシホールアンルに対する
戦争を続ける事になる可能性は高い。
「強力な兵器を作るにしても、もう少しまともな方法があった筈なのに・・・・彼らは、どこで道を間違えたのでしょうか。」
ニミッツが溜息交じりにそう呟く。
「元から間違えまくっているのさ。」
キンメルは、吐き捨てるように相槌を打った。
「子供を子供に殺させると言う、馬鹿な方法がまかり通るほどだ。」
「はぁ。しかし、彼女も、こうして敵の手から逃れられて、本当に良かったですな。」
「ああ。何しろ、髪の色が変わってしまうほどの、酷い事をされて来たからな。」
「髪の色・・・?」
ニミッツが怪訝な表情を浮かべる。
「フェイレは、元々は髪の色が緑だったらしい。だが、度重なる精神的ショックのせいで、髪の色は青に染まってしまったようだ。
この間、大西洋艦隊の潜水艦が連れて来た、ハーピィの女の子と似たような事を、フェイレは経験して来たんだ。」
「・・・・・・・」
ニミッツは、しばし言葉を失った。
(髪の色が変わるほどの精神的ショック・・・・シホールアンルは、何と言う事をしたものか・・・・・)
ニミッツは、心中でそう呟いていた。
「彼女の心の傷は大きい。これからは、過去に受けた傷と一生付き合わねばならんだろう。全く、シホールアンルは厄介な国だ。」
「確かに。」
キンメルの言葉に、ニミッツもさも当然とばかりに、深く頷いた。
「しかし、私が、彼女の実の父親とそっくりと聞いた時は、少しばかり驚いたな。そのせいか、フェイレは私に話をする時は、
実の父親のように話をしてきた。後で聞いた所によると、話し方も父親にそっくりだと言われたよ。」
キンメルは苦笑しながら言った。
「何か、嬉しそうですな。」
「まぁ、確かに嬉しいでもあるが。私としては少し複雑だな。」
「・・・・所で、フェイレ君はワシントンに行かれるのですか?」
「その予定だ。」
キンメルは即答した。
「大統領閣下が会いたがっているようだ。それに、フェイレと同じような境遇を持つ人も、彼女と話をしたいと言っている。
その後は、ちょいとばかり、国内ツアーを楽しませる予定だ。」
「国内ツアーですか。」
今度はニミッツが苦笑した。
「彼女にも、アメリカと言う物はどんな物であるか見せてやりたいからな。」
キンメルはそこまで言った所で、声のトーンを下げた。
「それに、ここだけの話だがね。私はこの職を下りた後、フェイレを引き取ろうと思っている。」
その言葉に、ニミッツは思わず仰天してしまった。
「長官、それは本気ですか!?」
「本気だよ。」
キンメルは躊躇いの無い口調で言った。
「彼女の父親にそっくりな私が身近に居れば、彼女だって早く落ち着きを取り戻すだろう。彼女の心の傷は余りにも大きすぎる。
聞く所によると、フェイレは時折、過去の記憶がフラッシュバックして、発作のような症状を起こすらしい。そんな彼女に、
私は手を差し伸べてやりたいのだ。」
「・・・・長官。」
ニミッツは不安げな表情を浮かべるが、キンメルの笑みがそれを打ち消した。
「なあに、退役間近の老兵にはピッタリの役割さ。こう見えても、私は7人の子供を育ててきている。いわば、子育てのプロだ。
そこに、1人だけ変わった子供が混じってもさほど心配はない。」
彼は、自信満々の表情でそう断言した。
「分かりました。長官、何人子供を育てても、子育ては大変ですぞ。」
ニミッツは冗談を言いながら、紅茶の入ったカップを持ち上げた。彼は、乾杯をするかのように、カップをやや前に差し出す。
「紅茶で乾杯というのは、いささか変だな。まぁ、私がここ去るまでは早いが。」
キンメルは小言を言いつつも、自らもカップを持つ。
「そういえば、君も、これからワシントンに行くんだったな。」
「はい。海軍省で色々手続きがありますので。戻って来るのは就任式の前日ですね。」
「そうか。」
「これからキング提督と対面すると思うと、少し背筋が寒く感じます。」
「避けては通れん道さ。とりあえず、これから太平洋艦隊をよろしく頼むぞ、ミスター・ニミッツ。」
「はっ。悔いの無いように頑張ります。」
会話が終えると、2人はカップをカチンと合わせた。
2月5日。チェスター・ニミッツ大将は、前任者のキンメル大将が健康上の理由で司令長官職を辞任を表明したため、
14日付で太平洋艦隊司令長官に任命された。
ニミッツ新司令長官は、就任と同時に司令部のスタッフも入れ替えた。
まず、太平洋艦隊司令部のナンバー2である参謀長には、数々の空母戦闘を戦い抜いたフランク・フレッチャー中将が迎え入れられた。
次に、作戦参謀にはフォレスト・シャーマン大佐が任ぜられた。
情報主任参謀にはエドウィン・レイトン大佐、情報副参謀にはジョセフ・ロシュフォート中佐が就任した。
この他にも、新規スタッフが司令部内で登用され、サンディエゴの司令部はニミッツ新司令長官の指導の下、シホールアンル軍との戦いに望む事となった。
1484年(1944年)2月6日 午前8時 シホールアンル帝国ジャスオ領
第4機動艦隊司令官である、リリスティ・モルクンレル中将は、旗艦クァーラルドの艦橋から、出港していく護送船団を見送っていた。
「ファスコド島の補給船団か。」
リリスティは、淡白な口調で呟く。
今、出港しつつある護送船団は、ファスコド島に展開する守備隊の補給物資や増援部隊を満載している。
船団は巡洋艦4隻、駆逐艦16隻、偽装対空艦6隻、輸送船28隻で編成され、外海に出れば時速8リンルでファスコド島に向かう。
ファスコド島はジャスオ領の中部から西に350ゼルド(1050キロ)離れた所にあるホウロナ諸島を構成している島の1つだ。
ホウロナ諸島は、大小8の島々で形成されている縦長の群島で、ファスコド島はその中でも最も大きい島の1つだ。
大きさは東西に10ゼルド、南北に20ゼルドほどだ。
この島には、驚くべき事にシホールアンル軍の最精鋭部隊とも言われている魔法騎士師団が配備されている。
この魔法騎士師団の他に、陸軍の第515歩兵旅団が配備されている。
ファスコド島は、島全体が深い森に覆われており、別名森の島とも言われている。
この島に配備された第75魔法騎士師団は、これまでに編成された魔法騎士団の中で3番目に編成された歴史ある部隊で、師団将兵の錬度は高い。
北大陸統一戦では、ヒーレリ公国で起きた反乱事件を短時間で解決するなど、数々の武勲を挙げている。
ファスコド島以外にも、ジェド島、エゲ島、ベネング島に1個師団並プラス1個旅団。
あるいは1個師団が配備されている。
ジェド島、エゲ島にはファスコド島防衛の任を負った第22空中騎士軍が駐屯しており、周辺海域に睨みを利かせている。
このホウロナ諸島に、アメリカ機動部隊が襲って来れば、第4機動艦隊はホウロナ諸島並びに、ジャスオ領南部に展開するワイバーン隊と
協力して、敵を攻撃する予定だ。
その予定であった。
だが、その予定は、前日に送られて来た魔法通信によって覆されてしまった。
「オールフェス・・・・あんた、本当にそれで大丈夫なの?」
リリスティは、誰にも聞こえぬような小声で呟いていた。
それから20分後、リリスティは、司令官室にとある人物を招き入れていた。
「・・・・あの、大丈夫ですか、司令官?」
リリスティは、司令官席のソファーに座っている。その反対側に座っている士官。
竜母ホロウレイグ艦長、クリンレ・エルファルフ大佐が躊躇いがちな口調で尋ねられた。
「ええ、なんとかね。」
リリスティはそう言うが、彼女の顔には、はっきりと不満げな表情が浮かんでいる。
「クリンレ、こういう場では普通に呼んでいいのよ。気なんか使わなくていいから。」
リリスティは優しげな口調で言ったつもりだったが、クリンレから見れば、苛立ちながら話しているように見えた。
(うう・・・・とても気まずいな)
クリンレは内心でそう思いつつも、とにかく話を続けようとした。
「リリスティ姉さんは、どうして僕を読んだんですか?」
「う~ん、ちょいとだけ、昔馴染みと話したくてね。」
リリスティはそう言いながら、用意されていたコップの水を一気にあおった。
コップの水はたちまち空になった。
「最近・・・・なんか、オールフェスが変に思えてしょうがないの。」
「オールフェスが?」
「うん。」
リリスティは頷く。
「一番最初に変だと思ったのは、1月の中旬頃に、あの変な国内相の役人がここに押し掛けてきてからよ。あの嘘つき役人は、
オールフェス直々の命令を受けたからといって、実質的に艦隊の指揮を取っていた。まぁ、結果は酷いもんになったけど・・・・」
ふと、クリンレは、リリスティの声音に憤りのような物が混じっている事に気が付いた。
(あの時の事、まだ怒っているんだな)
クリンレは、同僚の艦長から聞いた話を思い出した。
彼はその時の出来事を直接見た訳では無いが、トアレ岬沖海戦の前に、リリスティは不承不承ながらも第11艦隊にオールクレイ級戦艦の
クロレクとケルグラストを貸し与えた。
だが、貸し与えたこの2隻のうち、クロレクは撃沈され、ケルグラストは大破するという大損害を被った。
このような被害を受けても、目的を達成できたならばまだマシであっただろう。
だが、カリペリウは、自らが乗っていた巡洋戦艦エレディングラごとトアレ岬沖に水葬され、第11艦隊自体壊滅的な打撃を被ってしまった。
第11艦隊の損害報告を受け取った時、リリスティは思わず、カリペリウは大嘘つきだと、人目もはばからずに喚き散らした。
海戦に敗北した翌18日の午後には、国内相の役人が謝罪のため現れたが、どういう訳か、この役人もまた、終始生意気な態度でリリスティに
接したため、彼女の怒りは爆発した。
この役人はリリスティに叩きのめされた後、モルクドの艦内から海に放り込まれてしまった。
その後、彼女は司令官室で国内相の無能ぶりを罵りながら、部屋で暴れた。お陰で、室内は目も当てられぬ状態となった。
リリスティの怒りは、それほど凄まじい物があり、幕僚達は話す事は愚か、近付く時も神経を使った。
その怒りも、2、3日ですっかり引いているが、思い出すと、やはり腹が立つようだ。
「オールフェスは、以前、あたしに知恵を貸してくれと言ってくれた。あたしは二つ返事で答え、オールフェスに色々教えてやったわ。
でも、なんでだろう・・・・」
リリスティは困惑したような表情を浮かべた。
「あたしは最初、ホウロナ諸島の辺りで迎撃すれば、アメリカ機動部隊にも大打撃を与えられるはずって言った。なのに、オールフェスは
ホウロナ諸島を見捨てようとしている。」
「ホウロナ諸島を見捨てるのですか!?」
クリンレは思わず叫んでしまった。
「ええ。昨日、第4機動艦隊は本国に戻れと言う命令文を受け取ったわ。あたしは、今日の昼過ぎに行われる会議で、各部隊の司令官に
言うつもりだったんだけど、あなたには今、特別に教える事にしたわ。」
「そんな・・・・会議で言えばいいのに。」
「あんたは昔から口が堅いでしょ?」
リリスティは人の悪い笑みを浮かべながらクリンレに言う。
「この事はしばらく内緒よ。」
「は、はぁ。」
クリンレはやれやれと言いつつ、後頭部を掻いた。
「しかし、僕はてっきり、ホウロナ諸島の周辺で、敵機動部隊と決戦する物と思い込んでいましたよ。相手の数が多いのが気掛かりでしたが、
それでも、自分達は勝てると思っていました。」
(勝てる・・・・・か。どうだろうなぁ・・・・)
リリスティは内心、クリンレの確信を揺さぶるような事を思った。
相手・・・・シホールアンル機動部隊の宿敵である、アメリカ機動部隊は数が多い。
いや、多すぎると言ったほうが良い。
アメリカ海軍の機動部隊は、1月の時点で正規空母10から11隻、小型空母8隻を前線に投入している。
このうち、正規空母1隻と軽空母1隻の戦線離脱を確認している。
14日の時点では、戦線離脱した空母は軽空母1隻のみであったが、15日の夜半に、レイキ領沿岸に接近した米機動部隊に向けて、
陸軍のワイバーン隊が夜間攻撃を仕掛けたお陰で、ヨークタウン級空母2隻を大破(このうち、1隻は小破レベル)させた。
リリスティは知らなかったが、この時、損傷を受けた空母はエンタープライズであった。
エンタープライズを擁する第58任務部隊第1任務群は、15日の午後9時に、突然ワイバーン74騎の空襲を受けた。
TG58.1には、レーダーを搭載したF6F-N3ヘルキャット戦闘機が12機配備されており、レーダーが敵編隊を探知するや、
すぐに発艦して敵のワイバーン群を迎え撃った。
だが、僅か12機の夜間戦闘機では大量のワイバーンを阻止できなかった。
迎撃隊は7騎のワイバーンを撃墜したが、逆に4機撃墜、5機損傷の被害を受けて蹴散らされ、大多数のワイバーンが輪形陣に突入してきた。
米機動部隊は猛烈な対空砲火で迎撃し、ワイバーン14機を撃墜した。
だが、結果的に空母群への投弾を許してしまい、空母ヨークタウンに爆弾2発、エンタープライズに爆弾6発が命中した。
ヨークタウンは、中央部と後部部分に被弾したが、幸いにも被弾箇所はエレベーターを逸れていたため、応急修理をすれば戦闘続行は可能であった。
だが、エンタープライズは、3基のエレベーター全てを破壊され、空母としての機能を完全に失ってしまった。
このため、エンタープライズは大破確実の判定を受け、駆逐艦2隻の護衛と共にアメリカ本国に戻っていった。
このように、アメリカ側は戦闘可能な空母を2隻減らされてしまったが、それでも正規空母10ないし9、小型空母6ないし7隻が使用可能であった。
そのうち、北ウェンステル領の西部沿岸部で活動中の敵機動部隊は、正規空母6隻、小型空母4隻を中心に編成されている。
一方、リリスティの部隊は正規竜母、小型竜母共に6隻。これに陸上基地のワイバーンが加わるから、数の面では優勢である。
もし、アメリカ軍が西部沿岸部に展開している機動部隊でホウロナ諸島に侵攻して来れば、シホールアンル側に勝算がある。
だが、アメリカ側が東部沿岸部に展開している機動部隊も投入してくれば、数は互角どころか、敵側の方が勝りかねない。
そうなった場合、勝利はどちらに転がり込むか分からない。
「オールフェスは、敵の全機動部隊と戦って、貴重な竜母が全滅してしまう事を恐れているのよ。それも、僻地での戦いごときにね。」
「そんな、僻地って・・・・・」
クリンレは束の間絶句するが、意を決して言葉を続ける。
「ホウロナ諸島が取られれば、レスタンやヒーレリに、あの化け物爆撃機がやってきますよ!そんな事になれば、せっかく勝ち取った領土が
失われてしまいます!」
「そうね・・・・でも、オールフェスには何か考えがあるみたい。」
「考え・・・・ですか?」
「うん。」
リリスティは、自分の記憶をまさぐりながら、クリンレに言う。
「オールフェスの考えによると、強大な敵機動部隊を打ち破るには、その分力をあたし達の全力で持って攻撃し、壊滅させる事が、
アメリカ機動部隊を打ち破る唯一の方法と思っているみたい。」
「我の全力で持って、彼の分力を叩く・・・・・なるほど。確かに有効な戦術です。」
「うん。あたしは、それをここでやろうとオールフェスに言ったの。あの時は、あたしが入院している時だったかな。いきなり、
彼があたしに知恵を貸してくれと言って来たの。そして話し合った結果、オールフェスは敵の分力を、自分達の全力で叩いて
全滅させるという方法を思いついた。その時、オールフェスは、ホウロナ諸島沖をアメリカ空母の墓場に変えてやろうぜ、と言ってたわ。
なのに・・・・」
リリスティは、まるで理解しがたいと言わんばかりに表情を暗くした。
「いきなり、あたしの艦隊を本国に戻とはね。しかも、詳細も知らせないままに。」
「ホウロナ諸島が落ちたら、ただでさえ手一杯の防空戦闘が更にやりにくくなる。あいつは、一体どういう考えで・・・・・」
クリンレもまた、首を捻るばかりであった。ふと、彼は何かを思い出した。
「そういえば、僕もおかしいなと思った事があります。」
「ふ~ん、何それ?」
「はぁ・・・・これは、陸軍の友人から聞いた話なんですが。なんでも、前線に送られる予定であった陸軍の飛空挺部隊やワイバーン部隊が、
任地への移動中に消えているらしいんですよ。」
「消えた?」
リリスティは、素っ頓狂な声を上げた。
「はい。しかも、2騎や4騎ずつといった少数じゃなく、空中騎士隊が丸ごと消えるんですよ。消えた飛空挺やワイバーンの総数は、
かなりの数になるそうですよ。」
「かなりの数って・・・・まさか100や200ぐらい?」
リリスティは、自信の無さそうな口調で言った。しかし、仮に200騎のワイバーンや非空挺が消えたとしても、それを待ち望んでいた
前線部隊にとっては大打撃である。
だが、リリスティの言った数字は間違いであった。
「いえ・・・・」
クリンレは、一瞬躊躇った。言っても良いのだろうかと、彼は逡巡していた。
4秒ほど黙ってから、意を決してクリンレは言った。
「800・・・・です。」
「800!?」
今度は、リリスティが驚く番であった。
「そんな大量のワイバーンが・・・・前線に向かう途中に消えたの?」
「友人の話にからして、そうらしいです。お陰で、北ウェンステル戦線では、本来4000騎近い数のワイバーン、あるいは飛空挺が
配備される予定だったのですが、予想よりもかなり少ないので、前線のワイバーン隊は相当な負担を強いられているようですよ。」
「それって、本当なの?」
「僕もあまり信じていませんが、現実にワイバーンが少なくなっていると言う情報が意外とあちこちからあるようですから・・・・
本当の事なのかもしれません。」
「800って・・・・いくら何でも消えすぎよ・・・・」
どこかに消えてしまった、800ものワイバーンと飛空挺。
800と言う数字は、第4機動艦隊の12隻の竜母が搭載する艦載ワイバーンよりも多い。
アメリカ軍や、連合軍の反攻が始まっている今、前線部隊では1騎でも多くのワイバーンや飛空挺を必要としている。
非常時と言っても良いこの時期に、なぜ800ものワイバーン、飛空挺が消えたのだろうか?
今の彼女には、その真意が全く分からなかった。
「はぁ・・・・何か、疲れてきたわ。」
リリスティは、深い溜息を吐きながらそう言った。
その後、クリンレは場の空気を和ませるために話題を変えた。
クリンレとの会見は1時間半にも及んだが、リリスティはずっと、何かが引っ掛かるような思いを感じていた。
1484年(1944年)2月1日 午前8時 カリフォルニア州サンディエゴ
その日、元南太平洋部隊司令官であるチェスター・ニミッツ中将は、所要のためサンディエゴの太平洋艦隊司令部を訪れた。
彼は司令部に到着するなり、応接室で待たされた。
そして10分ほど経った午前8時10分。応接室に、太平洋艦隊司令長官である、ハズバント・キンメル大将が現れた。
「おはよう、ミスターニミッツ。」
キンメルは、顔に笑みを浮かべながらニミッツに挨拶した。
「おはようございます。長官。」
「元気そうだな。南太平洋部隊の仕事は順調に進んでいるようだね。」
キンメルは、適当にニミッツと言葉を交わしながら、ニミッツと反対側のソファーに座った。
「しかし長官。大分痩せられましたな。」
ニミッツは、どこか心配するような口調でキンメルに言う。キンメルはこの言葉に苦笑しながら頷く。
「ああ。面目ない限りさ。」
彼はそう言って、深い溜息をつく。
「1年前から体調を崩してしまってな。医者からは精神的ストレスのせいだと言われている。そのせいで、ちょいとばかり
不整脈も併発してしまってな。これ以上は、この仕事を続けられそうにもない。」
「そうだったのですか・・・・・」
キンメルの言葉に、ニミッツは相槌を打ちながら頷く。
キンメルが太平洋艦隊司令長官に任命されたのは、1941年10月17日である。
それから今日まで、実に2年以上もの間、この重職を続けてきた。
キンメルが太平洋艦隊司令長官に任命されてからは、転移という前代未聞のハプニングが起きた物の、彼の率いる太平洋艦隊は、
シホールアンル軍とよく戦い、ついには北大陸侵攻を成功させると言う所まで辿り着いた。
しかし、キンメルの体は、司令長官という激務に苛まれ、ついには体調を崩すまでになった。
「お陰で、体重が8キロも減ってしまった。まあ、痩せられたお陰で体重を気にする事は無くなったがね。」
キンメルはそう言うと、派手に笑い飛ばした。
「しかし、長官も災難ですな。これからと言う時に・・・・」
「なあに、仕方あるまいさ。病人に指揮を取らせるよりは、もっとマシな奴に指揮を取らせたほうが良い。」
キンメルはニヤリと笑いながら言うと、ニミッツ右肩にポンと手を置いた。
「だから私は、君を太平洋艦隊の新司令長官に推薦したのだ。この事は、ワシントンのキング作戦部長からも了承を得ている。」
キンメルは、先月末に、ワシントンのキング作戦部長に健康上の理由で司令長官を辞任すると伝えた。
それと同時に、彼はニミッツを次の太平洋艦隊司令長官に任命するように伝えている。
ニミッツは、既に南太平洋部隊司令官として数多くの功績を残しており、アメリカ海軍内では、ニミッツは高く評価されている。
キング大将も、ニミッツの手腕は評価しており、キンメルの提案を二つ返事で受け入れた。
「主導権は、我々連合国が握っているから、昔よりは余裕があるだろう。これなら、どんな奴が司令長官になっても戦争に勝てるかもしれない。
しかし、俺としては、君のほうが新司令長官に最適だと思った。だから、君を推薦したのだ。」
「ありがとうございます。しかし、」
ニミッツは、不安げな表情でキンメルに言う。
「私としては、いささか不安が残ります。太平洋艦隊は、今では、開戦時と比べ物にならぬほど強大になっています。
この大艦隊を指揮するには、本当に私でいいのかと思うのです。」
「なあに、今までやってきた事をやれば良い。君は、今まで南太平洋部隊司令官として多くの経験を積んできている。
その経験を元に、各艦隊を動かす。それだけだ。簡単ではないが、君なら充分にできるよ。」
心配ないとばかりにキンメルは、微笑みながらそう言った。
「あと3日だけしか、司令長官の椅子に座れんが、我々に主導権が移った今、このポストを辞める事に未練は無い。ミスターニミッツ。
後は君の時代だ。君も知っていると思うが、シホールアンル側はまだまだ侮れない。恐らく、奴らはとんでもない方法を用いて、
俺達に手痛い損害を与えるかも知れん。だが、開戦時よりも格段に強化された、太平洋艦隊の戦力なら、敵の意外な攻撃にも
充分耐えてくれるだろう。後は頼んだぞ、次期司令長官殿。」
キンメルは、ニヤリを笑みを浮かべた。
その自信に満ちた笑みは、体調を崩した病人とは思えぬほどであった。
「わかりました。」
ニミッツは、深く頷いた。
「長官が築き上げてきた成果を無駄にせぬよう、微力を尽くします。」
この時になって、従兵が紅茶を運んできてくれた。
キンメルは従兵に礼を言って下がらせた。
「長官。そういえば、彼女はどうしていますかな?」
ニミッツは、紅茶を一口啜ってから、キンメルに尋ねた。
「フェイレの事だな。」
キンメルがそう言うと、ニミッツは頷く。
「彼女は、明るい娘だよ。今は宿舎で寝泊りしているが、友人達と良く遊んでいる。」
「彼女からは、何か話を聞かされましたか?」
「ああ、聞いたよ。」
そこで、キンメルは辛そうな表情を浮かべた。
「全く、酷い話だった。彼女の幼少期や思春期は、ほとんど良い思い出がない。」
彼は、フェイレから聞かされた話を、ニミッツに話した。
最初は、冷静な表情で話を聞いていたが、話の終盤ごろには、ニミッツは険しい表情を浮かべていた。
「なるほど。確かに酷い話です。」
「彼女は、涙ながらに語ってくれたよ。彼女の言っていた事からして、かの国は、フェイレの他にも、身寄りの無い子供や、
どこぞから拉致して来た子供を利用して、フェイレにやって事と、ほぼ同じ事をしているようだ。」
「とんでもない世界ですな。私達から見たら、考えられない事ばかりです。」
ニミッツは、辟易したような口調でそう言った。
幼少期から徹底した殺人術を教え込ませ、将来有望な兵士に育て上げる。
人体実験で、人を強力な魔道兵器に作り変える。
今のアメリカでは、全く考えられない事ばかりだ。
もし、フェイレの話がアメリカ国民に知られれば、シホールアンルは本当に血に飢えた国歌として糾弾されるだろう。
最悪の場合、シホールアンルがどんなに譲歩しても、シホールアンルの現体制を変えぬ限り、アメリカはシホールアンルに対する
戦争を続ける事になる可能性は高い。
「強力な兵器を作るにしても、もう少しまともな方法があった筈なのに・・・・彼らは、どこで道を間違えたのでしょうか。」
ニミッツが溜息交じりにそう呟く。
「元から間違えまくっているのさ。」
キンメルは、吐き捨てるように相槌を打った。
「子供を子供に殺させると言う、馬鹿な方法がまかり通るほどだ。」
「はぁ。しかし、彼女も、こうして敵の手から逃れられて、本当に良かったですな。」
「ああ。何しろ、髪の色が変わってしまうほどの、酷い事をされて来たからな。」
「髪の色・・・?」
ニミッツが怪訝な表情を浮かべる。
「フェイレは、元々は髪の色が緑だったらしい。だが、度重なる精神的ショックのせいで、髪の色は青に染まってしまったようだ。
この間、大西洋艦隊の潜水艦が連れて来た、ハーピィの女の子と似たような事を、フェイレは経験して来たんだ。」
「・・・・・・・」
ニミッツは、しばし言葉を失った。
(髪の色が変わるほどの精神的ショック・・・・シホールアンルは、何と言う事をしたものか・・・・・)
ニミッツは、心中でそう呟いていた。
「彼女の心の傷は大きい。これからは、過去に受けた傷と一生付き合わねばならんだろう。全く、シホールアンルは厄介な国だ。」
「確かに。」
キンメルの言葉に、ニミッツもさも当然とばかりに、深く頷いた。
「しかし、私が、彼女の実の父親とそっくりと聞いた時は、少しばかり驚いたな。そのせいか、フェイレは私に話をする時は、
実の父親のように話をしてきた。後で聞いた所によると、話し方も父親にそっくりだと言われたよ。」
キンメルは苦笑しながら言った。
「何か、嬉しそうですな。」
「まぁ、確かに嬉しいでもあるが。私としては少し複雑だな。」
「・・・・所で、フェイレ君はワシントンに行かれるのですか?」
「その予定だ。」
キンメルは即答した。
「大統領閣下が会いたがっているようだ。それに、フェイレと同じような境遇を持つ人も、彼女と話をしたいと言っている。
その後は、ちょいとばかり、国内ツアーを楽しませる予定だ。」
「国内ツアーですか。」
今度はニミッツが苦笑した。
「彼女にも、アメリカと言う物はどんな物であるか見せてやりたいからな。」
キンメルはそこまで言った所で、声のトーンを下げた。
「それに、ここだけの話だがね。私はこの職を下りた後、フェイレを引き取ろうと思っている。」
その言葉に、ニミッツは思わず仰天してしまった。
「長官、それは本気ですか!?」
「本気だよ。」
キンメルは躊躇いの無い口調で言った。
「彼女の父親にそっくりな私が身近に居れば、彼女だって早く落ち着きを取り戻すだろう。彼女の心の傷は余りにも大きすぎる。
聞く所によると、フェイレは時折、過去の記憶がフラッシュバックして、発作のような症状を起こすらしい。そんな彼女に、
私は手を差し伸べてやりたいのだ。」
「・・・・長官。」
ニミッツは不安げな表情を浮かべるが、キンメルの笑みがそれを打ち消した。
「なあに、退役間近の老兵にはピッタリの役割さ。こう見えても、私は7人の子供を育ててきている。いわば、子育てのプロだ。
そこに、1人だけ変わった子供が混じってもさほど心配はない。」
彼は、自信満々の表情でそう断言した。
「分かりました。長官、何人子供を育てても、子育ては大変ですぞ。」
ニミッツは冗談を言いながら、紅茶の入ったカップを持ち上げた。彼は、乾杯をするかのように、カップをやや前に差し出す。
「紅茶で乾杯というのは、いささか変だな。まぁ、私がここ去るまでは早いが。」
キンメルは小言を言いつつも、自らもカップを持つ。
「そういえば、君も、これからワシントンに行くんだったな。」
「はい。海軍省で色々手続きがありますので。戻って来るのは就任式の前日ですね。」
「そうか。」
「これからキング提督と対面すると思うと、少し背筋が寒く感じます。」
「避けては通れん道さ。とりあえず、これから太平洋艦隊をよろしく頼むぞ、ミスター・ニミッツ。」
「はっ。悔いの無いように頑張ります。」
会話が終えると、2人はカップをカチンと合わせた。
2月5日。チェスター・ニミッツ大将は、前任者のキンメル大将が健康上の理由で司令長官職を辞任を表明したため、
14日付で太平洋艦隊司令長官に任命された。
ニミッツ新司令長官は、就任と同時に司令部のスタッフも入れ替えた。
まず、太平洋艦隊司令部のナンバー2である参謀長には、数々の空母戦闘を戦い抜いたフランク・フレッチャー中将が迎え入れられた。
次に、作戦参謀にはフォレスト・シャーマン大佐が任ぜられた。
情報主任参謀にはエドウィン・レイトン大佐、情報副参謀にはジョセフ・ロシュフォート中佐が就任した。
この他にも、新規スタッフが司令部内で登用され、サンディエゴの司令部はニミッツ新司令長官の指導の下、シホールアンル軍との戦いに望む事となった。
1484年(1944年)2月6日 午前8時 シホールアンル帝国ジャスオ領
第4機動艦隊司令官である、リリスティ・モルクンレル中将は、旗艦クァーラルドの艦橋から、出港していく護送船団を見送っていた。
「ファスコド島の補給船団か。」
リリスティは、淡白な口調で呟く。
今、出港しつつある護送船団は、ファスコド島に展開する守備隊の補給物資や増援部隊を満載している。
船団は巡洋艦4隻、駆逐艦16隻、偽装対空艦6隻、輸送船28隻で編成され、外海に出れば時速8リンルでファスコド島に向かう。
ファスコド島はジャスオ領の中部から西に350ゼルド(1050キロ)離れた所にあるホウロナ諸島を構成している島の1つだ。
ホウロナ諸島は、大小8の島々で形成されている縦長の群島で、ファスコド島はその中でも最も大きい島の1つだ。
大きさは東西に10ゼルド、南北に20ゼルドほどだ。
この島には、驚くべき事にシホールアンル軍の最精鋭部隊とも言われている魔法騎士師団が配備されている。
この魔法騎士師団の他に、陸軍の第515歩兵旅団が配備されている。
ファスコド島は、島全体が深い森に覆われており、別名森の島とも言われている。
この島に配備された第75魔法騎士師団は、これまでに編成された魔法騎士団の中で3番目に編成された歴史ある部隊で、師団将兵の錬度は高い。
北大陸統一戦では、ヒーレリ公国で起きた反乱事件を短時間で解決するなど、数々の武勲を挙げている。
ファスコド島以外にも、ジェド島、エゲ島、ベネング島に1個師団並プラス1個旅団。
あるいは1個師団が配備されている。
ジェド島、エゲ島にはファスコド島防衛の任を負った第22空中騎士軍が駐屯しており、周辺海域に睨みを利かせている。
このホウロナ諸島に、アメリカ機動部隊が襲って来れば、第4機動艦隊はホウロナ諸島並びに、ジャスオ領南部に展開するワイバーン隊と
協力して、敵を攻撃する予定だ。
その予定であった。
だが、その予定は、前日に送られて来た魔法通信によって覆されてしまった。
「オールフェス・・・・あんた、本当にそれで大丈夫なの?」
リリスティは、誰にも聞こえぬような小声で呟いていた。
それから20分後、リリスティは、司令官室にとある人物を招き入れていた。
「・・・・あの、大丈夫ですか、司令官?」
リリスティは、司令官席のソファーに座っている。その反対側に座っている士官。
竜母ホロウレイグ艦長、クリンレ・エルファルフ大佐が躊躇いがちな口調で尋ねられた。
「ええ、なんとかね。」
リリスティはそう言うが、彼女の顔には、はっきりと不満げな表情が浮かんでいる。
「クリンレ、こういう場では普通に呼んでいいのよ。気なんか使わなくていいから。」
リリスティは優しげな口調で言ったつもりだったが、クリンレから見れば、苛立ちながら話しているように見えた。
(うう・・・・とても気まずいな)
クリンレは内心でそう思いつつも、とにかく話を続けようとした。
「リリスティ姉さんは、どうして僕を読んだんですか?」
「う~ん、ちょいとだけ、昔馴染みと話したくてね。」
リリスティはそう言いながら、用意されていたコップの水を一気にあおった。
コップの水はたちまち空になった。
「最近・・・・なんか、オールフェスが変に思えてしょうがないの。」
「オールフェスが?」
「うん。」
リリスティは頷く。
「一番最初に変だと思ったのは、1月の中旬頃に、あの変な国内相の役人がここに押し掛けてきてからよ。あの嘘つき役人は、
オールフェス直々の命令を受けたからといって、実質的に艦隊の指揮を取っていた。まぁ、結果は酷いもんになったけど・・・・」
ふと、クリンレは、リリスティの声音に憤りのような物が混じっている事に気が付いた。
(あの時の事、まだ怒っているんだな)
クリンレは、同僚の艦長から聞いた話を思い出した。
彼はその時の出来事を直接見た訳では無いが、トアレ岬沖海戦の前に、リリスティは不承不承ながらも第11艦隊にオールクレイ級戦艦の
クロレクとケルグラストを貸し与えた。
だが、貸し与えたこの2隻のうち、クロレクは撃沈され、ケルグラストは大破するという大損害を被った。
このような被害を受けても、目的を達成できたならばまだマシであっただろう。
だが、カリペリウは、自らが乗っていた巡洋戦艦エレディングラごとトアレ岬沖に水葬され、第11艦隊自体壊滅的な打撃を被ってしまった。
第11艦隊の損害報告を受け取った時、リリスティは思わず、カリペリウは大嘘つきだと、人目もはばからずに喚き散らした。
海戦に敗北した翌18日の午後には、国内相の役人が謝罪のため現れたが、どういう訳か、この役人もまた、終始生意気な態度でリリスティに
接したため、彼女の怒りは爆発した。
この役人はリリスティに叩きのめされた後、モルクドの艦内から海に放り込まれてしまった。
その後、彼女は司令官室で国内相の無能ぶりを罵りながら、部屋で暴れた。お陰で、室内は目も当てられぬ状態となった。
リリスティの怒りは、それほど凄まじい物があり、幕僚達は話す事は愚か、近付く時も神経を使った。
その怒りも、2、3日ですっかり引いているが、思い出すと、やはり腹が立つようだ。
「オールフェスは、以前、あたしに知恵を貸してくれと言ってくれた。あたしは二つ返事で答え、オールフェスに色々教えてやったわ。
でも、なんでだろう・・・・」
リリスティは困惑したような表情を浮かべた。
「あたしは最初、ホウロナ諸島の辺りで迎撃すれば、アメリカ機動部隊にも大打撃を与えられるはずって言った。なのに、オールフェスは
ホウロナ諸島を見捨てようとしている。」
「ホウロナ諸島を見捨てるのですか!?」
クリンレは思わず叫んでしまった。
「ええ。昨日、第4機動艦隊は本国に戻れと言う命令文を受け取ったわ。あたしは、今日の昼過ぎに行われる会議で、各部隊の司令官に
言うつもりだったんだけど、あなたには今、特別に教える事にしたわ。」
「そんな・・・・会議で言えばいいのに。」
「あんたは昔から口が堅いでしょ?」
リリスティは人の悪い笑みを浮かべながらクリンレに言う。
「この事はしばらく内緒よ。」
「は、はぁ。」
クリンレはやれやれと言いつつ、後頭部を掻いた。
「しかし、僕はてっきり、ホウロナ諸島の周辺で、敵機動部隊と決戦する物と思い込んでいましたよ。相手の数が多いのが気掛かりでしたが、
それでも、自分達は勝てると思っていました。」
(勝てる・・・・・か。どうだろうなぁ・・・・)
リリスティは内心、クリンレの確信を揺さぶるような事を思った。
相手・・・・シホールアンル機動部隊の宿敵である、アメリカ機動部隊は数が多い。
いや、多すぎると言ったほうが良い。
アメリカ海軍の機動部隊は、1月の時点で正規空母10から11隻、小型空母8隻を前線に投入している。
このうち、正規空母1隻と軽空母1隻の戦線離脱を確認している。
14日の時点では、戦線離脱した空母は軽空母1隻のみであったが、15日の夜半に、レイキ領沿岸に接近した米機動部隊に向けて、
陸軍のワイバーン隊が夜間攻撃を仕掛けたお陰で、ヨークタウン級空母2隻を大破(このうち、1隻は小破レベル)させた。
リリスティは知らなかったが、この時、損傷を受けた空母はエンタープライズであった。
エンタープライズを擁する第58任務部隊第1任務群は、15日の午後9時に、突然ワイバーン74騎の空襲を受けた。
TG58.1には、レーダーを搭載したF6F-N3ヘルキャット戦闘機が12機配備されており、レーダーが敵編隊を探知するや、
すぐに発艦して敵のワイバーン群を迎え撃った。
だが、僅か12機の夜間戦闘機では大量のワイバーンを阻止できなかった。
迎撃隊は7騎のワイバーンを撃墜したが、逆に4機撃墜、5機損傷の被害を受けて蹴散らされ、大多数のワイバーンが輪形陣に突入してきた。
米機動部隊は猛烈な対空砲火で迎撃し、ワイバーン14機を撃墜した。
だが、結果的に空母群への投弾を許してしまい、空母ヨークタウンに爆弾2発、エンタープライズに爆弾6発が命中した。
ヨークタウンは、中央部と後部部分に被弾したが、幸いにも被弾箇所はエレベーターを逸れていたため、応急修理をすれば戦闘続行は可能であった。
だが、エンタープライズは、3基のエレベーター全てを破壊され、空母としての機能を完全に失ってしまった。
このため、エンタープライズは大破確実の判定を受け、駆逐艦2隻の護衛と共にアメリカ本国に戻っていった。
このように、アメリカ側は戦闘可能な空母を2隻減らされてしまったが、それでも正規空母10ないし9、小型空母6ないし7隻が使用可能であった。
そのうち、北ウェンステル領の西部沿岸部で活動中の敵機動部隊は、正規空母6隻、小型空母4隻を中心に編成されている。
一方、リリスティの部隊は正規竜母、小型竜母共に6隻。これに陸上基地のワイバーンが加わるから、数の面では優勢である。
もし、アメリカ軍が西部沿岸部に展開している機動部隊でホウロナ諸島に侵攻して来れば、シホールアンル側に勝算がある。
だが、アメリカ側が東部沿岸部に展開している機動部隊も投入してくれば、数は互角どころか、敵側の方が勝りかねない。
そうなった場合、勝利はどちらに転がり込むか分からない。
「オールフェスは、敵の全機動部隊と戦って、貴重な竜母が全滅してしまう事を恐れているのよ。それも、僻地での戦いごときにね。」
「そんな、僻地って・・・・・」
クリンレは束の間絶句するが、意を決して言葉を続ける。
「ホウロナ諸島が取られれば、レスタンやヒーレリに、あの化け物爆撃機がやってきますよ!そんな事になれば、せっかく勝ち取った領土が
失われてしまいます!」
「そうね・・・・でも、オールフェスには何か考えがあるみたい。」
「考え・・・・ですか?」
「うん。」
リリスティは、自分の記憶をまさぐりながら、クリンレに言う。
「オールフェスの考えによると、強大な敵機動部隊を打ち破るには、その分力をあたし達の全力で持って攻撃し、壊滅させる事が、
アメリカ機動部隊を打ち破る唯一の方法と思っているみたい。」
「我の全力で持って、彼の分力を叩く・・・・・なるほど。確かに有効な戦術です。」
「うん。あたしは、それをここでやろうとオールフェスに言ったの。あの時は、あたしが入院している時だったかな。いきなり、
彼があたしに知恵を貸してくれと言って来たの。そして話し合った結果、オールフェスは敵の分力を、自分達の全力で叩いて
全滅させるという方法を思いついた。その時、オールフェスは、ホウロナ諸島沖をアメリカ空母の墓場に変えてやろうぜ、と言ってたわ。
なのに・・・・」
リリスティは、まるで理解しがたいと言わんばかりに表情を暗くした。
「いきなり、あたしの艦隊を本国に戻とはね。しかも、詳細も知らせないままに。」
「ホウロナ諸島が落ちたら、ただでさえ手一杯の防空戦闘が更にやりにくくなる。あいつは、一体どういう考えで・・・・・」
クリンレもまた、首を捻るばかりであった。ふと、彼は何かを思い出した。
「そういえば、僕もおかしいなと思った事があります。」
「ふ~ん、何それ?」
「はぁ・・・・これは、陸軍の友人から聞いた話なんですが。なんでも、前線に送られる予定であった陸軍の飛空挺部隊やワイバーン部隊が、
任地への移動中に消えているらしいんですよ。」
「消えた?」
リリスティは、素っ頓狂な声を上げた。
「はい。しかも、2騎や4騎ずつといった少数じゃなく、空中騎士隊が丸ごと消えるんですよ。消えた飛空挺やワイバーンの総数は、
かなりの数になるそうですよ。」
「かなりの数って・・・・まさか100や200ぐらい?」
リリスティは、自信の無さそうな口調で言った。しかし、仮に200騎のワイバーンや非空挺が消えたとしても、それを待ち望んでいた
前線部隊にとっては大打撃である。
だが、リリスティの言った数字は間違いであった。
「いえ・・・・」
クリンレは、一瞬躊躇った。言っても良いのだろうかと、彼は逡巡していた。
4秒ほど黙ってから、意を決してクリンレは言った。
「800・・・・です。」
「800!?」
今度は、リリスティが驚く番であった。
「そんな大量のワイバーンが・・・・前線に向かう途中に消えたの?」
「友人の話にからして、そうらしいです。お陰で、北ウェンステル戦線では、本来4000騎近い数のワイバーン、あるいは飛空挺が
配備される予定だったのですが、予想よりもかなり少ないので、前線のワイバーン隊は相当な負担を強いられているようですよ。」
「それって、本当なの?」
「僕もあまり信じていませんが、現実にワイバーンが少なくなっていると言う情報が意外とあちこちからあるようですから・・・・
本当の事なのかもしれません。」
「800って・・・・いくら何でも消えすぎよ・・・・」
どこかに消えてしまった、800ものワイバーンと飛空挺。
800と言う数字は、第4機動艦隊の12隻の竜母が搭載する艦載ワイバーンよりも多い。
アメリカ軍や、連合軍の反攻が始まっている今、前線部隊では1騎でも多くのワイバーンや飛空挺を必要としている。
非常時と言っても良いこの時期に、なぜ800ものワイバーン、飛空挺が消えたのだろうか?
今の彼女には、その真意が全く分からなかった。
「はぁ・・・・何か、疲れてきたわ。」
リリスティは、深い溜息を吐きながらそう言った。
その後、クリンレは場の空気を和ませるために話題を変えた。
クリンレとの会見は1時間半にも及んだが、リリスティはずっと、何かが引っ掛かるような思いを感じていた。