第193話 厄物を運ぶ者達
1484年(1944年)11月14日 午前2時 マオンド共和国トハスタ
この日の未明、トハスタ領東部の森の中に続く道を、3台の馬車が程々のスピードを維持しながら突き進んでいった。
その幌の付いた3台の馬車は、いずれも質素な作りだ。御者台には必ず2人が座り、口を閉じたまま、馬車の揺れに
身を任せている。
御者台にいる者たちは、服装からして行商人を思わせる。
ここ最近は稼ぎ少ないのか、彼らはいずれも、暗い表情を浮かべている……傍目からはそう見えた。
この、何の特徴も無い、行商人風の小さな馬車隊が、荷台に恐ろしい物を積んでいる事は、関係者以外、誰も知らない。
その関係者の1人である、ガーイル・ヘヴリウルは、1台目の馬車の中で、光源魔法の光を頼りに、読書を嗜んでいた。
「小隊長、コバギナリクへ入りました。」
御者台の部下が、彼に声をかける。
「了解。」
ヘヴリウルは、素っ気ない声音で部下に返答する。
「コバギナリクか……目的地であるトハスタ郊外まではあと2日、といった所か。」
彼は、側に畳んで置いてある地図を見つめる。
「それまでに、アメリカの蛮族共が大人しくしていればいいのだが。」
不安げな口調で、彼は呟く。
ふと、彼は、目の前に居る部下が、うたた寝している事に気が付く。
「……ふむ、疲れているのか。」
目の前に居る部下は、先程まで、しきりに頭を揺らしながら睡魔と戦っていたのだが、執拗に襲い来る眠気の前に、
遂に力尽きたようだ。
その時、遠くから何かの音が響いて来るのが聞こえた。
「……この音は…」
ヘヴリウルは、その音に心当たりがあった。
巨大な羽虫が飛べば、さもありなん、というようなこの音は、紛れもなく発動機付きの飛行物体……アメリカ軍機だ。
彼は素早い動作で光源魔法を消す。御者も音の正体に気付いたのか、馬車を道の側に付けて、すぐに停止した。
ヘヴリウルは、御者台から顔を出し、森の上を見る。
森は、その大半が樹木に覆われているが、道の部分だけは、まるでその存在を知らせているかのように開けていた。
「脇に寄せて止めろ。」
彼は、御者台の部下に命じる。程なくして、ヘヴリウルの馬車隊は、木陰の下に隠れるような形で停止した。
停まってからそう間を置かずに、米軍機がヘヴリウルの馬車隊の近くを飛び抜ける。
一瞬ながら、ヘヴリウルは、斜め前方を通り過ぎる双発機のシルエットを確認していた。
米軍機は、周囲に爆音を撒き散らしながら、悠々と去って行った。
「今のはインベーダーですね。」
御者台に座っていた、部下の1人が言う。
「ほう、形が分かるのか。」
「ええ。なにしろ、私は動体視力が良いですからね。」
部下は自慢気にそう言った。
「流石だな。ひとまず、邪魔者は去った。前進を再開するぞ。急げ、時間が無い。」
「わかりました。」
ヘヴリウルは、部下に指示を出してから、荷台に引っ込んだ。
「小隊長…今の音は……?」
今の爆音で起きたのであろう。先程まで眠っていた部下が、眠そうな声でヘヴリウルに聞いて来る。
「アメリカ軍機だ。大丈夫、もうどこかに行ったよ。」
彼は、単調な口ぶりで部下にそう返す。
唐突に馬車が動き出す。ヘヴリウルの指示通りに動き始めたようだ。
「まだ眠っといていいぞ。目標まではまだ遠いからな。」
「……わかりました。」
部下が小さい声で返事し、すまなさそうに軽く頭を下げてから、再び顔を俯かせた。
(この新人が入ってからまだ1カ月か……腕はなかなか良い方だが、本番はまだだ。はたして、今度の作戦でどれだけ
働いてくれるかな)
ヘヴリウルはふと、心中でそう思った。
目の前に居る部下は、ナルファトス教の上級執行部隊に入ってまだ1カ月しか経たない新人である。
新人の名前は、フリィネ・ヘミトラエヌといい、年はまだ18歳にしかならない少女だ。
顔立ちはまだあどけなく、どこにでもいる娘といった感じだが、目つきはやや吊り上がり、肩までしか伸びていないショートヘアが、
活発な女といった感を強めている。
体つきは、この年代の女性と比べるとやや成熟し、訓練で鍛えられているが、今は商人風の旅装束に身を包んでいるため、
外見は細身の旅人という印象が強い。
ヘヴリウルは、4カ月前に、下級戦闘執行部隊に配属されていたヘミトラエヌと出会っている。
その時、彼女は、生まれや風貌を理由に同僚から喧嘩を吹っ掛けられていた。
ヘヴリウルは、その時の彼女の怯えようを見て、これは好き放題にいじめ抜かれるなと確信した。
だが、その予想は違っていた。
ヘミトラエヌは、嫌々ながらも、自らも言いたい事をはっきりと述べた。
次第に頭に来た同僚は、実力で持って彼女を抑えつけようとしたが、逆に彼女が同僚達を叩きのめしてしまった。
ヘヴリウルは、彼女の意外な強さに興味を抱き、それから1週間後、彼女に上級執行部隊に入らぬかと勧めた。
最初、彼女は断った。
ヘミトラエヌは、10年前まではマオンド国内で迫害を受けていた、マオンド北東部の山岳民族の出身であり、ナルファトス教の
中枢機関直属である上級執行部隊に、自分は相応しくないと、彼女は思っていた。
だが、ヘヴリウルは、信仰心と実力さえあればやっていけると言い続けた。
彼の熱心な説得に折れたヘミトラエヌは、上級執行部隊への志願を決意し、その1週間後には訓練施設に入れられた。
元々、彼女の部族は戦闘を生業にしていただけあり、幼少の頃から日々戦闘訓練を受けていた。
物心付いた時から身に付いた忍耐力は、死者すら出る過酷な訓練でも十二分に発揮され、彼女は無事に訓練を終えた。
それも、同期の中で最優秀の成績を上げて。
こうして、晴れて上級特別執行部隊へ仲間入りした彼女は、こうして実戦に参加する事が出来た。
とはいえ、訓練では優秀な成績を収めたとはいえ、実戦で役に立つかは分からない。
(今回の任務は、ただの護衛任務と、少しばかりの“狩り”ぐらいだからな。不死の薬を使った後は、俺を始めとする魔道士を
除いて、帰還するだけだ。新人のこいつにとっては、今後の任務ための良い予行演習となるな)
ヘヴリウルは、心中で思う。
今回の任務で、彼が連れてきた人員は計12名。そのうち、8名が魔道士である。
残り4名は、この8名の護衛役として同行し、マオンド本土南部にある秘密の工場から不死の薬を受け取り、その後は目的地を目指した。
4名の護衛役は、目的地に到着後は、速やかにトハスタ領外へ出る事が決まっている。
ヘミトラエヌ以外の護衛役はベテランでるため、ただ物を運んで帰るだけのこの任務に、良い印象は持っていない。
しかし、今回が初の任務参加となる彼女にとっては、丁度良い実践訓練となる。
(俺としては、こいつが実戦でどれだけ動けるかを見極めたかった。その為に、わざと、危ない道を選んで通っているのだが……)
ヘヴリウルは、そこまで思ってから首をかしげる。
彼らが走る街道は、今目指している目的地へなるべく早く行くのならば、理想的な距離であるのだが、一般の行商人や旅人等は、
この街道を滅多に通らない。
この街道は、一昔前までは害獣がよく表れ、今は野党の類が跳梁していると言われており、普通ならば、時間はかかる物の、
安全な表街道から各都市に向かう。
ヘヴリウルとしては、この襲い来るであろう夜盗を、手ならしがてらに処理してやろうと思い、早いながらも、危険な筈の
この街道を行くと決めた。
だが、トハスタ領に入ってから1日が経ったにもかかわらず、夜盗の類はおろか、害獣の子1匹すら現れなかった。
(……怖い物知らずの野蛮人共も、頻繁に往来し、時には爆弾を叩き付けて来る敵機を恐れているのだろうな)
彼はそう確信した。
アメリカ軍機がトハスタ領に現れるようになってからは、陸軍の輸送馬車隊は、頻繁に来襲してくる米軍機によって甚大な損害を被っていた。
米軍機の襲撃による損害は、軍部隊のみならず、地域住民の馬車と、夜盗側にも表れていたが、襲われた件数は、圧倒的に夜盗側が多かった。
夜盗達は良く、数十人から、多い時には100人規模の集団で獲物を襲う。
その夜盗集団が獲物を襲おうとした時、たまたま上空を飛来してきた米軍機がマオンド軍部隊と勘違いして襲撃を仕掛けてくるのである。
とある夜盗集団は、150名程で行商人の馬車隊を襲おうと街道を出た瞬間、上空を飛行していた16機の米軍機
(記録ではP-47となっている)がこれを発見。ありったけのロケット弾や爆弾を叩き込まれたあげ句、機銃掃射を繰り返し受けた。
マオンド軍と勘違いされ、誤爆を受けたこの夜盗集団はたちまちのうちに全滅し、それ以降、トハスタの裏街道からは、夜盗達は
姿を表わさなくなった、という。
ヘヴリウルは、その情報を信じずに、危険地帯とされていたこの裏街道を突っ切る事にしたのだが……この、静まり返った裏街道を
見る限り、情報は正しかったようだ。
「全く……アメリカ人共は、なかなか良い仕事をするじゃないか。お陰で、2日ほど早く、目的地に付けそうだ。」
彼は、皮肉気な言葉を吐いてから、再び読書に興じた。
それから3時間後。
「……こいつぁ、久方ぶりの獲物だぜ。お前、良い仕事をしたな。」
森の木々の中から、3台の立ち往生した馬車を見つけた夜盗団のリーダーは、目ざとく獲物を見つけてきた手下を褒めた。
10分前、森の奥で野宿をしていたリーダーは、突然、走り寄って来た見張り役の手下に起こされた。
「馬鹿野郎!今何時だと思ってるんだ、このボケが!!」
突然叩き起こされたリーダーは、思わず手下を殴りそうになったが、その手下が、街道の側で小さな馬車隊が立ち往生していると報告した。
ここ最近、彼が率いる夜盗団は、1ヵ月前に起きた、見慣れぬ飛行物体によるライバル夜盗団の大虐殺を目の当たりにしてから、
狩りには消極的であった。
彼は、18人の手下を従え、2年前から街道を通る通行人や馬車を襲ったり、村を襲撃したり等、悪事を働いてきたが、あの大虐殺が
きっかけで、彼はしばらくの間、部下達と共に山奥の砦で引き籠っていた。
1週間前に、久方ぶりに狩りに出かけてきた彼らだが、肝心の獲物は全く姿を見せず、退屈な毎日を送っていた。
そんな退屈な日々は、今、終わりを告げようとしている。
「お頭、どうやら、先頭の馬車で何かあったようですぜ。誰かが車輪の辺りを修理しています。」
「へへ、大方、この森を抜けようとして、馬車をぶっ飛ばしていたんだろう。だが、ここはろくに舗装もされていねえ、ガタガタの獣道。
こんな所を早く走れば、やわな普通の馬車じゃ足回りがやられちまう。ホント、奴らは運がねえな。」
「言えてますね、お頭。逆に、俺らは運がいいって事ですかね。」
「そうだろうよ。見てみろ、あの見張り役。あの体系からして女だ。それも上玉の。こりゃ、久しぶりに当たりが来たようだぜ。」
リーダーはそう言ってから、ヒッヒッヒと、下卑た笑い声を漏らした。
その時、道の方向に顔を向けていた見張り役が、彼らに顔を向けた。
「ん?」
彼が率いる部下の中で、軍人経験のある男が、その動作を見て不審に思い、声を漏らす。
しかし、リーダーは気に留めなかった。
「野郎共、仕事に取り掛かるぞ!」
リーダーは、小さいながらも喜びを含んだ声音で、後ろに控えていた部下達に伝えた。
部下達は頷くと、素早い動作で馬車隊に向かう。
彼らの動きは手慣れていた。馬車隊は、あっという間に18名の夜盗集団に囲まれてしまった。
リーダーは、先頭の馬車の近くまで走り寄り、見張りに立っていた商人に、抜き放った剣を突き付けた。
「おいお前。この馬車隊のお頭さんは居るかい?」
リーダーは、切っ先を見張り役の顔に近付ける。見張り役の服装は、上が茶色の羽織物、その下に薄い赤色の服、下が靴元まで伸びる長いズボンを羽織っている。
服のあちこちに穴が開いたりしていることから、彼は、この行商人はあまり良い生活をしていないのか?と思った。
「………」
剣を突き付けられた行商人は何も言葉を発しない。いきなりの襲撃に怯えているのか、顔に緊張の色が滲んでいる。
「ほほう、良く見たら…おめえ、女か。ハハ、お嬢ちゃん、俺の言葉は分かるよな?お頭さんはその馬車に乗っているのかい?」
リーダーは改めて尋ねた。
その時、馬車の中から男が出てきた。
コート風の上着を羽織った、紳士風の痩身な男は、リーダーを見つけるや、こう言った。
「そうだ。私がこの馬車隊の責任者だ。そして……さらばだ、哀れな者どもよ。」
痩身の男は言葉を発してから、不気味に口元を歪める。
「ナルファトスの聖動に仇なす邪教徒共に、聖なる執行を加えてやれ。」
一瞬、リーダーはこの男が言っている言葉理解できなかった。
(ナルファトス……?な、何を言っているんだ、こいつ)
彼の思案は、唐突に打ち切られた。
いきなり、腹に重い打撃が加えられた。内臓が巨大な杭で押し潰されたかのような圧迫感と、鈍い痛みが同時に伝わる。
「!?」
声が出かかるが、なぜか出せなかった。
彼は痛みに堪え切れず、顔を上向けながら倒れこもうとする。その時、先程の細身の女が見えた。
女の瞳からは、先に見えた弱々しさは、綺麗さっぱり消え失せていた。
彼女は、とんでもない野獣だ。彼はそう確信した。
直後、女は振り上げていた右足の踵を、リーダーの頭頂部に振り下ろした。
脳天を貫く打撃を感じた時には、リーダーの意識は刈り取られていた。
気が付くと、戦闘は終わっていた。
いや、戦闘というよりは、一方的な虐殺と言った方が正しかった。
夜盗集団の数少ない生き残りである若い部下は、心中でそう呟いた。
「……何が獲物だ……とんでもない外れじゃないか、くそったれめ。」
彼は、しわがれた声で、仰向けに倒れているリーダーを非難した。
いきなり、喉元が締め付けられ、息が苦しくなった。
「う…グ…!」
彼は、先程、リーダーを叩きのめした細身の女に羽交い締めにされていた。
その女が、緩めていた腕を、再び首に押し付けたのだ。
「おい、そこまでにしろ。」
馬車隊のリーダーらしき男が、女に言う。
「大事な検体だ。殺すな。」
女は無言で頷き、首に巻き付けていた腕を緩める。
5分前。若い部下は、18人の仲間と共に、この馬車隊を襲った。だが、そこから悲劇が始まった。
まず、リーダーが、軟弱な筈の女にあっという間に叩きのめされ、その次に、3台目を襲おうとしていた仲間達が次々と
血祭りに挙げられた。
この行商人風の集団は、鮮やかな動作で仲間達を殺して行った。
ある者は、隠し持っていたナイフで喉を裂き、ある者は魔法を使って仲間の体を微塵に吹き飛ばす。
別の者は、あろうことか召喚獣を読んで、一瞬にして3人もの仲間が惨殺された。
この集団は、流れるようにして仲間を殺して行った。
彼は、リーダーを叩きのめした女と戦う事になった。彼は軍隊に居た事があり、そこである程度格闘術を習っていた。
最初は、なんとか攻撃を捌けていたが、たった1分ほど打ち合っただけであっさりと逆転され、今では羽交い締めにされた状態で
捕えられている。
「これを例の薬を浸してから、ここに持って来てくれ。」
リーダー格の男は、鞘に入ったナイフを、陰険そうな顔つきをした男に渡す。
その男は、指示通りに馬車の荷台に入っていき、しばし間を置いてから戻って来た。
男は、リーダー格の男にナイフを渡す。そのナイフは鞘から抜かれ、刃先が見えていた。
男は無言のまま、若い部下に近付いた。
「離していいぞ。」
リーダー格の男は、部下を羽交い絞めにしていた女に告げる。
女はしばし逡巡したあと、言われるがままに男を離した。
チャンスだ!女の腕が首から離れた時、若い男はそう思った。
若い男は、女の腕が完全に離れた途端、咄嗟に後方へ逃げ出した。その瞬間、後ろから何かが当たった。
背中から激痛が走ったのは、その直後からであった。
「……!」
「すまないな、若者。これも国のためだ。」
リーダー格の男が、耳元で囁く。彼は、逃げる間もなく、背後からこの男によってナイフを突き立てられたのだ。
部下は、それでも逃げようとしたが、足に力が入らなかった。
ナイフは、背中から心臓に達していた。そのため、彼は激痛を感じながらも、長い間苦しむ事無く死んでいった。
盗賊の若い男がうつぶせに倒れた。背中には、ヘヴリウルが指したナイフが深々と刺さっている。
「そのお頭さんを起こせ。」
ヘヴリウルは、ヘミトラエヌに伝える。彼女は、気絶しているリーダーのもとに歩み寄り、頬を、2、3度強く叩いた。
やがて、リーダーがうめき声を発しながら起き上った。
「う……頭が……」
「おお、これはこれは、夜盗の頭目殿。どうですかな?ご気分は。」
「ぬ……てめ……え…?」
リーダーは起き上るや否や、ヘヴリウルに向かって罵声を浴びせようとした。
しかし、彼は、周りの光景を見るなり、思わず押し黙ってしまった。
馬車隊の周りには、彼が率いた仲間達の惨死体が転がっていた。四肢が欠けたり、体の半身が無い死体もある。
「こ……こ…これは……一体……」
「……見て分からないのかね?君の部下達だよ。いや、元部下、といった方が正しいかね。」
ヘヴリウルは、陰湿な笑みを浮かべながら、リーダーの胸倉を掴んだ。
彼は、リーダーの顔をぐいっと引き寄せた。
「お陰で、いい訓練になったぞ。だが……」
ヘヴリウルは、先程殺害した、若い部下に顔を向ける。
「本番はこれからだ。」
彼はそう言うと、リーダーをその部下の死体の側に押しやった。押し出されたリーダーは、部下のすぐ隣で転倒してしまった。
「……うう………惨い。あんまりじゃないか!!」
リーダーは、顔を起こしてから叫んだ。
「あんまり……か。薄汚い夜盗風情が、良く言う。」
ヘヴリウルは、薄笑いを浮かべながら返事する。月光に照らしだされたその顔は、リーダーの恐怖感を更に煽った。
「貴様らだって、気分本位に物を奪い、人を殺し、好きに弄んだのだろう?そんな下劣な貴様らが、我ら、誉れ高い
ナルファトスの執行人にあんまりだとは……片腹痛いわ。」
ヘヴリウルは、視線をリーダーから、倒れ伏している若い部下に向ける。
その時、若い部下の体がピクリと動いた。
「ふむ…お目覚めか。意外と速かったな。」
ヘヴリウルは、良い意味で自分の予想が覆った事に感心する。
刺殺した筈の若い男が、ゆっくりと起き上った。
「なっ…!?」
いきなり起き上った若い部下を見たリーダーは、思わず仰天してしまった。
「お……お前、生きているのか?」
リーダーは、起き上った若い部下に声を掛けた。その時、部下がくるりと顔を向ける。
土気色に染まったその顔には、生気という物が感じられず、虚ろに開かれた目は、全く光を灯っていなかった。
「おい、何とか言え……おい。」
部下は、リーダーの言葉をいくら聞いても、全く応じる事がない。
虚ろな目で、ずっと見つめ続けるだけだ。
「……黙っていないで、何か言え!!」
堪りかねたリーダーは、部下の顔を殴った。
部下が、唐突に加えられた打撃に顔をのけ反らせる。そのまま、後ろに倒れ込むと思われたが、寸手の所で姿勢を維持し、
ゆっくりと元の態勢に戻る。
部下は、鼻からどす黒い血を流しているが、反応は全くない。
「一体……どうなってやがるんだ!?」
リーダーは頭が混乱し始めた。目の前に居る部下は、確かに生きている。
だが、いくら話しかけても、渾身の力で顔を殴っても、表情を歪めようとしない。
彼は、まるで、人形を相手にしているかのような感覚に囚われた。
「おまえ…本当に、生きているのか?」
「生きているとも。」
リーダーの問いには、ヘヴリウルが答えた。
「ただし、体だけな。」
ヘヴリウルはそう言ってから、心中で、リーダーの前にいる“使い”に指示を送る。
部下……もとい、不死の薬で、ヘヴリウルの使いとなったそれは、すくっと立ち上がる。
「ひっ!」
リーダーは、恐怖に耐えきれず、腰を落としたまま後ろに下がっていく。
彼は、必死に立とうとするのだが、どういう訳か立てない。腰が全く上がらない。
まだ動く足と、両腕を使って後ろに這っていくしかなかった。だが、恐怖で震えた手足では、出せる移動速度もたかが知れている。
リーダーが下がるたびに、その化け物は歩み寄ってくる。2つの月光が、その表情を不気味に照らし出す。
既に死に絶え、歩く屍と化したそれは、光の無い目でリーダーを見下ろしながら、嬲るようにして、ゆっくりと近付く。
リーダーは、必死に手足を動かし、目の前の化け物から逃れようとした。
しかし、彼の努力は、唐突に終わった。
背中に何かが当たった、と思うや、急に進めなくなった。すぐに後ろを振り返ると、そこには1本の木が聳え立っていた。
まるで、貴様の道のりはここで終わりだ、と言わんばかりに。
「わ、悪かった。今まで散々こき使って本当に申し訳無かった。お願いだ!助けてくれ!」
リーダーは、近寄る元部下に向かって、必死に懇願する。
すると、それは、リーダーから5歩ほど離れた場所で、ピタリと止まった。
リーダーに向けられていた土気色の顔が、別方向に逸らされた。
「………まさか、助かった?」
彼は、震える口調でそう呟く。その時、いきなり部下の体がビクンと震えた。
直後、口を大きく開けながら、リーダーに飛び込んできた。
「……!?」
声を叫ぶ暇もなく、彼は化け物に取り付かれた。
リーダーは、肩を掴んでいる化け物の手を振りほどこうとしたが、どういう訳か、全くほどけない。
逆に、強い力で抑え込まれてしまった。
リーダーは、深い絶望感に襲われた。
口から悲鳴が上がりかけたが、化け物が喉を噛み潰した為、口から出たのは小さな空気の音であった。
リーダーが死に絶えるまでの時間は、思いのほか短かった。
「ふむ。流石に、軍の魔法研究所と共同で開発しただけはある。」
ヘヴリウルは、死骸の前で喉を唸らせる使いを見ながら、満足気に語った。
彼はふと、ある事を思いついた。
「さて、本当に死なないのか、試させて貰う。」
ヘヴリウルはそう言うと、いきなり、持っていたナイフを使いに投げた。
ナイフは使いの背中に刺さった。その位置は、肺の辺りであり、通常ならば致命傷である。
使いは一瞬だけ、体を前に倒し込んだが、その後は何事もなかったように、再び姿勢を元に戻して、ただ前方を見据えている。
「なるほど。普通なら即死物の攻撃も、不死の薬を使えばこんな物か。」
ヘヴリウルは愉快気に言いながら、その使いの近くまで歩み寄り、背中に刺さったナイフを抜き取った。
「小隊長!危ないですよ!」
見かねたヘミトラエヌが、大声でヘヴリウルに言う。
彼女は、大の男をも、あっさりと殺してしまう化け物相手に、無防備なままでは危なのでは?と思い、ヘヴリウルに声を掛けたのだが…
「フフ、そんな事はないぞ。」
ヘヴリウルは、愉悦に歪んだ口元を露わにしながら答える。
すると、彼の使いとなった死体が、ゆっくりとした足取りで彼の前に立った。
それはまるで、主人の盾とならんとする、従者の動きそのものであった。
「何しろ、私はネクロマンサーなのだからな。」
彼はそこまで言ってから、薄い笑い声を漏らした。
そのまま10分が過ぎ、木の側で倒れていたリーダーの死体も動き始めた。
「予定通りだな。」
ヘヴリウルは頷く。
「不死の薬によって、生き返った物に殺されるか、傷を負わされれば、その者もまた、不死の薬の影響で仲間となり、私のような
ネクロマンサーの手駒となる。フフフ、これぞ、私が望んでいた駒だ。」
その時、何を思ったのか、彼は新たに使いとなった、リーダーの死体に指を向けた。
小声で呪文を呟くや、指先から稲妻のような物が発せられ、リーダーの顔に当たる。
その瞬間、甲高い爆発音とともに、顔が吹き飛んだ。
首から上を失った胴体は、5秒ほど経ち続けた後、ゆっくりと地面に倒れた。
「頭をやられては、ただの死体に逆戻りか。これでは、頭を砕かれたり、首を跳ねられても同じ事になるのだろうな。」
ヘヴリウルは不満気にそう言った。
「まっ、今回は仕方がない。ひとまずはこの状態でいいだろう。頭以外をやられなければ、当初の計画通りに動くから、今の所は、
これで良しとするべきだな。」
彼は言葉を終えるや、もう1人の使いにも何かの魔法を撃ち込んだ。
赤い稲妻のような物が、使いの体を貫いたと思いきや、全身が炎で包まれた。
火の塊と化したそれは、やがてリーダーの死体の上に倒れ込み、共に火葬に付された。
「実験はこれで終わりだ。後は、目的地に急ぐまで。」
彼はそう呟いてから、部下達に馬車へ乗れと命じた。
部下達は、言われるがままに馬車へ乗りこんでいく。
その中で、ヘミトラエヌだけが、茫然とした表情で、ゆらめく炎を見つめ続けていた。
「……何をしている。」
「はっ、も、申し訳ありません。」
彼女は、はっとなった表情を浮かべつつ、慌てて頭を下げる。
「新米のお前には、刺激が強すぎたようだな。」
「面目ありません。」
「何、謝る事は無い。最初は誰だって同じだ。」
ヘヴリウルは、無表情のままでその言葉を言い放ち、彼女の肩を叩いた。
「場数を踏めば慣れていくだろう。ひとまず、今は休め。疲れただろう。」
彼はそう言って、手で彼女に荷台へ乗るように促す。
彼女は軽く頭を下げてから、荷台に乗った。
(あいつも若いが。腕前は確かだ。色々苦労するとは思うが、今後は順調に伸びるだろう。上層部も期待するに違いない)
ヘヴリウルは、心中で部下の栄進を確信すると共に、部下のこれからの働きに期待するのであった。
不死の薬を散布するために動員された小隊は、実に70にも及び、作戦に参加する魔道士は500名にも上った。
ナルファトスと、マオンド上層部が計画した作戦は、今や、実行段階に達しようとしていた。
1484年(1944年)11月14日 午前7時 ユークニア島泊地
太陽が水平線から顔を出して間もないこの時、ユークニア島泊地では、眠気の残る早朝にも拘らず、出港直前の慌ただしさに包まれていた。
第72任務部隊第1任務群の旗艦である正規空母イラストリアスの甲板上では、出港用意の号令がかかると同時に、係の水兵達が
素早い動作で作業をこなしつつあった。
「2週間と経たぬうちに、また総力出撃とはね。」
TG72.1の指揮官であるジョン・マッケーン中将(今年10月に昇進)は、艦長であるファルク・スレッド大佐にそう話しかけた。
「確かに。しかし、前回は高速機動部隊のみが出撃していましたが、今回は艦隊丸ごと。高速空母群のみならず、旧式戦艦部隊、
護衛空母部隊……そして、200隻もの輸送船団がスィンク諸島の各島々から出港します。」
「規模からいえば、前回以上だな。」
マッケーンは頷いた。
第7艦隊は、陸軍部隊を支援するために、大規模な偽装上陸作戦を敢行する事になった。
今回の作戦では、大西洋艦隊の主力である第7艦隊の高速空母群を始めとし、旧式戦艦群、護衛空母群、そして、それらに護衛された
輸送船団が、スィンク諸島から一気に、マオンド本土の西部沿岸にあるコルザミへ向かう。
太平洋戦線の第5艦隊を除けば、強大な艦隊が、首都とさほど離れていない地域の沿岸を目指すのである。
もし、海兵隊や陸軍部隊がこの200隻の輸送船団に乗っていた場合、実に4個師団は運ぶ事が出来る。
マオンド側が、コルザミに向かう第7艦隊を発見すれば、彼らは否応なしに対応を余儀なくされるであろう。
「この大艦隊の先兵となるTF72が、今出港しつつある。機動部隊が出港していく様子は、何度見ても心が躍る物だ。」
マッケーンは、誇らしげな気持ちになりながら、スレッド艦長に言う。
「おっしゃる通りです。私も、この光景が大好きですよ。」
スレッド艦長は、口元に微笑を浮かべながらマッケーンに返した。
「第3任務群、出港しまーす!」
見張りの声が艦橋に響いて来た。
ユークニア島泊地の沖合には、第3任務群が停泊している。TF72に所属している3個任務群のうち、一番沖に居るTG72.3が
出港を開始したのだ。
TG72.3に所属している駆逐艦、巡洋艦が先に出港を開始していく。
次に、直衛艦の顔役である、アラスカ級巡洋戦艦のコンスティチューション、トライデントが後に続く。
その後は、正規空母のレンジャーⅡとハンコック、軽空母のノーフォークが、護衛艦艇に釣られて、沖へ沖へと向かって行く。
レンジャーⅡとハンコックは、共にエセックス級航空母艦の17、19番艦として建造されている。
この2隻は、モンメロ沖海戦の直前に艦隊に配備されて以来、TF72の主力艦として前線で戦ってきた。
配備された当初は、未だに青臭さが残る空母と言われたレンジャーⅡとハンコックの航空隊も、ここ数ヶ月間で逞しく成長し、
第7艦隊では掛け替えの無い艦となっている。
軽空母ノーフォークも、インディペンデンス級軽空母の11番艦として建造されて以来、今まで頼りにされてきた、歴戦の艦である。
TG72.3の出港が終わると、今度はTG72.2に出番が回って来た。
TG72.2も、TG72.3と同様に駆逐艦数隻が先に出港し、次に巡洋艦群が続く。
巡洋艦の中の1隻……ボルチモア級重巡洋艦に属するオレゴンシティは、第7艦隊司令長官であるオーブリー・フィッチ大将が
旗艦として定めている。
第7艦隊が編成されてから、早8ヶ月が経つが、オレゴンシティから旗艦が移った事は無い。
そのオレゴンシティは、堂々たる姿で出港していく。
その雄姿は、まるで、今度の作戦でも艦隊司令部を守り通して見せると、艦隊の将兵全員に語っているようにも思えた。
重巡、軽巡が出港した後は、それを遥かに超える威容を持った、2隻の巨艦が続く。
アイオワ級戦艦のウィスコンシンとミズーリだ。
6月のモンメロ沖海戦や、先日のマオンド本土攻撃で活躍した両艦は、その堂々たる体躯を周囲に見せ付けながら、ゆっくりとした
足取りで出港していく。
「アイオワ級戦艦の出撃は、いつ見ても圧倒される物だな。」
マッケーンは、双眼鏡越しに見える2隻の新鋭戦艦に対して、感嘆したように呟いた。
戦艦が出港した後は、空母がそれに続く。
TG72.2司令官ジョン・リーブス少将が座乗するワスプが、低速でと航行していく。
ワスプは、米海軍の正規空母の中では一番小さい空母であるが、その小さな空母が歩んできた戦歴は、他の空母等に引けを取らない。
大西洋艦隊の中でも最も古い古参空母は、小さいながらも、逞しい艦体を誇らしげに見せながら、外海へ向かって行く。
TG72.2はワスプの他に、正規空母ゲティスバーグ、軽空母ライトで編成されおり、3隻の空母が出港した後は、後詰の巡洋艦や
駆逐艦が追随して行く。
TG72.2の出港が終わり、いよいよTG72.1に出番が巡って来た。
「第92駆逐隊、出港します!」
見張り員が、味方艦の出港を逐一知らせて来る。
第92駆逐隊は、転移以来艦隊に居る4隻のラーン級駆逐艦で編成されている。
この4隻の駆逐艦が出港した後は、2隻の巡洋艦が駆逐艦群の後を追う。
巡洋艦2隻のうち、1隻はドーセットシャーである。
アメリカ巡洋艦には無い3本煙突が特徴のこの艦は、僚艦である軽巡洋艦のケニアを率いて外海へと向かって行く。
「プリンス・オブ・ウェールズ、レナウン、出港します!」
見張り員の声を聞いたマッケーンは、艦の左舷側に目を向ける。
イラストリアスの左舷前方には、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦のレナウンが停泊している。
この2隻の戦艦は、今はゆっくりと前進している。
転移以来、『ジョンブル戦隊』の顔役として活躍してきたプリンス・オブ・ウェールズとレナウンは、改装によって、洗練された威容を
見せ付けながら(特に艦橋の辺りが、SKレーダー等の電子装備で飾り立てられている為、外見が幾らかごつくなった)アイオワ級や
アラスカ級といった新鋭戦艦にも気後れを感じさせぬ、堂々たる姿で、泊地を悠然と航行して行く。
「ベニントン、出港しまーす!」
マッケーンは、艦の真横に視線を移す。
TG72.1の僚艦である空母ベニントンも、ゆっくりとした速度で、先に出港した艦を追って行く。
ベニントンの飛行甲板には、艦載機が折り畳まれた状態で駐機している。マッケーンは、その艦載機の群れを見つめた。
「ふむ。やはり防空専任艦だけあって、戦闘機の比率が多いな。」
マッケーンは何気ない口調で呟いた。
TF72に所属する3個空母群は、それぞれに防空任務主体の航空団を置いた母艦が含まれている。
TG72.1では、正規空母のベニントンと軽空母のロング・アイランドⅡが防空専任艦に選ばれている。
同じように、TG72.2では空母ゲティスバーグとノーフォーク、TG72.3では空母ハンコックとライトが、戦闘機隊主体の
航空団を乗せている。
防空専任空母には、艦載機の搭載数が多いエセックス級空母が選ばれている。
元々は、イラストリアスやワスプも、防空専任空母にしてはどうか?という声があったが、イラストリアスは72機、ワスプは74から
76機しか積めないため、最終的に、この2艦は、防空専任空母としては役不足と判断され、搭載機数が多いエセックス級が選ばれることになった。
現在、TF72の航空兵力は754機。この内、以前の航空団編成のままならば、戦闘機の数は404機である。
しかし、10隻中、6隻を防空専任艦としたため、戦闘機の総数は630機となり、艦隊航空隊の実に8割が、戦闘機で占められている事になる。
また、今回の作戦を実行するに当たって、母艦航空隊では戦闘機搭乗員が不足しかけていたが、それを解消するためのテストとして、海兵隊
航空隊から母艦の発着訓練を受けた搭乗員を、臨時に空母へ乗せる事になった。
6隻の戦闘機専任空母のうち、正規空母のベニントンとハンコックには、元の母艦航空隊の他に、海兵隊のVMF-309とVMF-310が
乗り組んでおり、1瞬間前から昨日まで訓練に明け暮れていた。
この、戦闘機専用空母の発案者は、マッケーン本人であるが、彼は、今度の作戦で、自分の案がどれだけ通用するのかが気になっていた。
「俺の案が通って、母艦航空隊はこのようになったが、果たして、敵航空部隊の攻撃力は、どれほどまで削がれるのだろうか。」
彼は、口中で呟く。いずれにせよ、彼の持論を正しいかどうかを決める時は、刻々と迫りつつあった。
「両舷、前進微速。」
スレッド艦長の凛とした声が響く。それから程なくして、イラストリアスの艦体が動き始めた。
TF72の中で、唯一の装甲空母が出港を開始した。
艦は、ゆっくりと外海に向かいつつある。
(さて、これからまた忙しくなるぞ。)
マッケーンは、心中で呟く。
TF72の後には、旧式戦艦部隊や、護衛空母部隊で編成されたTF73と、本偽装作戦の要となる200隻の輸送船団が続く。
恐らく、マオンド側は第7艦隊を発見次第、投入出来る限りの兵力を持って、死に物狂いで挑んでくるであろう。
その決戦の時に、マッケーンの発案である戦闘機専用空母の真価が発揮される。
(今度の戦いでは、敵に嫌というほど、戦闘機の威力を教えてやり、マオンド側に、TF72が、より性質の悪い厄物扱いされるような
戦いぶりを見せてやろう)
彼は、心中でそう決意した。
機動部隊は、午前8時までには全ての任務群が出港を終えた。
空母10隻、戦艦3隻、巡洋戦艦3隻、巡洋艦14隻、駆逐艦72隻で編成された3つの高速機動部隊は、ナルファトス教特別執行部隊が
運びつつある災厄とは、全く異なる災厄をマオンド本土に与えるべく、一路、コルザミへと向かった。
1484年(1944年)11月14日 午前2時 マオンド共和国トハスタ
この日の未明、トハスタ領東部の森の中に続く道を、3台の馬車が程々のスピードを維持しながら突き進んでいった。
その幌の付いた3台の馬車は、いずれも質素な作りだ。御者台には必ず2人が座り、口を閉じたまま、馬車の揺れに
身を任せている。
御者台にいる者たちは、服装からして行商人を思わせる。
ここ最近は稼ぎ少ないのか、彼らはいずれも、暗い表情を浮かべている……傍目からはそう見えた。
この、何の特徴も無い、行商人風の小さな馬車隊が、荷台に恐ろしい物を積んでいる事は、関係者以外、誰も知らない。
その関係者の1人である、ガーイル・ヘヴリウルは、1台目の馬車の中で、光源魔法の光を頼りに、読書を嗜んでいた。
「小隊長、コバギナリクへ入りました。」
御者台の部下が、彼に声をかける。
「了解。」
ヘヴリウルは、素っ気ない声音で部下に返答する。
「コバギナリクか……目的地であるトハスタ郊外まではあと2日、といった所か。」
彼は、側に畳んで置いてある地図を見つめる。
「それまでに、アメリカの蛮族共が大人しくしていればいいのだが。」
不安げな口調で、彼は呟く。
ふと、彼は、目の前に居る部下が、うたた寝している事に気が付く。
「……ふむ、疲れているのか。」
目の前に居る部下は、先程まで、しきりに頭を揺らしながら睡魔と戦っていたのだが、執拗に襲い来る眠気の前に、
遂に力尽きたようだ。
その時、遠くから何かの音が響いて来るのが聞こえた。
「……この音は…」
ヘヴリウルは、その音に心当たりがあった。
巨大な羽虫が飛べば、さもありなん、というようなこの音は、紛れもなく発動機付きの飛行物体……アメリカ軍機だ。
彼は素早い動作で光源魔法を消す。御者も音の正体に気付いたのか、馬車を道の側に付けて、すぐに停止した。
ヘヴリウルは、御者台から顔を出し、森の上を見る。
森は、その大半が樹木に覆われているが、道の部分だけは、まるでその存在を知らせているかのように開けていた。
「脇に寄せて止めろ。」
彼は、御者台の部下に命じる。程なくして、ヘヴリウルの馬車隊は、木陰の下に隠れるような形で停止した。
停まってからそう間を置かずに、米軍機がヘヴリウルの馬車隊の近くを飛び抜ける。
一瞬ながら、ヘヴリウルは、斜め前方を通り過ぎる双発機のシルエットを確認していた。
米軍機は、周囲に爆音を撒き散らしながら、悠々と去って行った。
「今のはインベーダーですね。」
御者台に座っていた、部下の1人が言う。
「ほう、形が分かるのか。」
「ええ。なにしろ、私は動体視力が良いですからね。」
部下は自慢気にそう言った。
「流石だな。ひとまず、邪魔者は去った。前進を再開するぞ。急げ、時間が無い。」
「わかりました。」
ヘヴリウルは、部下に指示を出してから、荷台に引っ込んだ。
「小隊長…今の音は……?」
今の爆音で起きたのであろう。先程まで眠っていた部下が、眠そうな声でヘヴリウルに聞いて来る。
「アメリカ軍機だ。大丈夫、もうどこかに行ったよ。」
彼は、単調な口ぶりで部下にそう返す。
唐突に馬車が動き出す。ヘヴリウルの指示通りに動き始めたようだ。
「まだ眠っといていいぞ。目標まではまだ遠いからな。」
「……わかりました。」
部下が小さい声で返事し、すまなさそうに軽く頭を下げてから、再び顔を俯かせた。
(この新人が入ってからまだ1カ月か……腕はなかなか良い方だが、本番はまだだ。はたして、今度の作戦でどれだけ
働いてくれるかな)
ヘヴリウルはふと、心中でそう思った。
目の前に居る部下は、ナルファトス教の上級執行部隊に入ってまだ1カ月しか経たない新人である。
新人の名前は、フリィネ・ヘミトラエヌといい、年はまだ18歳にしかならない少女だ。
顔立ちはまだあどけなく、どこにでもいる娘といった感じだが、目つきはやや吊り上がり、肩までしか伸びていないショートヘアが、
活発な女といった感を強めている。
体つきは、この年代の女性と比べるとやや成熟し、訓練で鍛えられているが、今は商人風の旅装束に身を包んでいるため、
外見は細身の旅人という印象が強い。
ヘヴリウルは、4カ月前に、下級戦闘執行部隊に配属されていたヘミトラエヌと出会っている。
その時、彼女は、生まれや風貌を理由に同僚から喧嘩を吹っ掛けられていた。
ヘヴリウルは、その時の彼女の怯えようを見て、これは好き放題にいじめ抜かれるなと確信した。
だが、その予想は違っていた。
ヘミトラエヌは、嫌々ながらも、自らも言いたい事をはっきりと述べた。
次第に頭に来た同僚は、実力で持って彼女を抑えつけようとしたが、逆に彼女が同僚達を叩きのめしてしまった。
ヘヴリウルは、彼女の意外な強さに興味を抱き、それから1週間後、彼女に上級執行部隊に入らぬかと勧めた。
最初、彼女は断った。
ヘミトラエヌは、10年前まではマオンド国内で迫害を受けていた、マオンド北東部の山岳民族の出身であり、ナルファトス教の
中枢機関直属である上級執行部隊に、自分は相応しくないと、彼女は思っていた。
だが、ヘヴリウルは、信仰心と実力さえあればやっていけると言い続けた。
彼の熱心な説得に折れたヘミトラエヌは、上級執行部隊への志願を決意し、その1週間後には訓練施設に入れられた。
元々、彼女の部族は戦闘を生業にしていただけあり、幼少の頃から日々戦闘訓練を受けていた。
物心付いた時から身に付いた忍耐力は、死者すら出る過酷な訓練でも十二分に発揮され、彼女は無事に訓練を終えた。
それも、同期の中で最優秀の成績を上げて。
こうして、晴れて上級特別執行部隊へ仲間入りした彼女は、こうして実戦に参加する事が出来た。
とはいえ、訓練では優秀な成績を収めたとはいえ、実戦で役に立つかは分からない。
(今回の任務は、ただの護衛任務と、少しばかりの“狩り”ぐらいだからな。不死の薬を使った後は、俺を始めとする魔道士を
除いて、帰還するだけだ。新人のこいつにとっては、今後の任務ための良い予行演習となるな)
ヘヴリウルは、心中で思う。
今回の任務で、彼が連れてきた人員は計12名。そのうち、8名が魔道士である。
残り4名は、この8名の護衛役として同行し、マオンド本土南部にある秘密の工場から不死の薬を受け取り、その後は目的地を目指した。
4名の護衛役は、目的地に到着後は、速やかにトハスタ領外へ出る事が決まっている。
ヘミトラエヌ以外の護衛役はベテランでるため、ただ物を運んで帰るだけのこの任務に、良い印象は持っていない。
しかし、今回が初の任務参加となる彼女にとっては、丁度良い実践訓練となる。
(俺としては、こいつが実戦でどれだけ動けるかを見極めたかった。その為に、わざと、危ない道を選んで通っているのだが……)
ヘヴリウルは、そこまで思ってから首をかしげる。
彼らが走る街道は、今目指している目的地へなるべく早く行くのならば、理想的な距離であるのだが、一般の行商人や旅人等は、
この街道を滅多に通らない。
この街道は、一昔前までは害獣がよく表れ、今は野党の類が跳梁していると言われており、普通ならば、時間はかかる物の、
安全な表街道から各都市に向かう。
ヘヴリウルとしては、この襲い来るであろう夜盗を、手ならしがてらに処理してやろうと思い、早いながらも、危険な筈の
この街道を行くと決めた。
だが、トハスタ領に入ってから1日が経ったにもかかわらず、夜盗の類はおろか、害獣の子1匹すら現れなかった。
(……怖い物知らずの野蛮人共も、頻繁に往来し、時には爆弾を叩き付けて来る敵機を恐れているのだろうな)
彼はそう確信した。
アメリカ軍機がトハスタ領に現れるようになってからは、陸軍の輸送馬車隊は、頻繁に来襲してくる米軍機によって甚大な損害を被っていた。
米軍機の襲撃による損害は、軍部隊のみならず、地域住民の馬車と、夜盗側にも表れていたが、襲われた件数は、圧倒的に夜盗側が多かった。
夜盗達は良く、数十人から、多い時には100人規模の集団で獲物を襲う。
その夜盗集団が獲物を襲おうとした時、たまたま上空を飛来してきた米軍機がマオンド軍部隊と勘違いして襲撃を仕掛けてくるのである。
とある夜盗集団は、150名程で行商人の馬車隊を襲おうと街道を出た瞬間、上空を飛行していた16機の米軍機
(記録ではP-47となっている)がこれを発見。ありったけのロケット弾や爆弾を叩き込まれたあげ句、機銃掃射を繰り返し受けた。
マオンド軍と勘違いされ、誤爆を受けたこの夜盗集団はたちまちのうちに全滅し、それ以降、トハスタの裏街道からは、夜盗達は
姿を表わさなくなった、という。
ヘヴリウルは、その情報を信じずに、危険地帯とされていたこの裏街道を突っ切る事にしたのだが……この、静まり返った裏街道を
見る限り、情報は正しかったようだ。
「全く……アメリカ人共は、なかなか良い仕事をするじゃないか。お陰で、2日ほど早く、目的地に付けそうだ。」
彼は、皮肉気な言葉を吐いてから、再び読書に興じた。
それから3時間後。
「……こいつぁ、久方ぶりの獲物だぜ。お前、良い仕事をしたな。」
森の木々の中から、3台の立ち往生した馬車を見つけた夜盗団のリーダーは、目ざとく獲物を見つけてきた手下を褒めた。
10分前、森の奥で野宿をしていたリーダーは、突然、走り寄って来た見張り役の手下に起こされた。
「馬鹿野郎!今何時だと思ってるんだ、このボケが!!」
突然叩き起こされたリーダーは、思わず手下を殴りそうになったが、その手下が、街道の側で小さな馬車隊が立ち往生していると報告した。
ここ最近、彼が率いる夜盗団は、1ヵ月前に起きた、見慣れぬ飛行物体によるライバル夜盗団の大虐殺を目の当たりにしてから、
狩りには消極的であった。
彼は、18人の手下を従え、2年前から街道を通る通行人や馬車を襲ったり、村を襲撃したり等、悪事を働いてきたが、あの大虐殺が
きっかけで、彼はしばらくの間、部下達と共に山奥の砦で引き籠っていた。
1週間前に、久方ぶりに狩りに出かけてきた彼らだが、肝心の獲物は全く姿を見せず、退屈な毎日を送っていた。
そんな退屈な日々は、今、終わりを告げようとしている。
「お頭、どうやら、先頭の馬車で何かあったようですぜ。誰かが車輪の辺りを修理しています。」
「へへ、大方、この森を抜けようとして、馬車をぶっ飛ばしていたんだろう。だが、ここはろくに舗装もされていねえ、ガタガタの獣道。
こんな所を早く走れば、やわな普通の馬車じゃ足回りがやられちまう。ホント、奴らは運がねえな。」
「言えてますね、お頭。逆に、俺らは運がいいって事ですかね。」
「そうだろうよ。見てみろ、あの見張り役。あの体系からして女だ。それも上玉の。こりゃ、久しぶりに当たりが来たようだぜ。」
リーダーはそう言ってから、ヒッヒッヒと、下卑た笑い声を漏らした。
その時、道の方向に顔を向けていた見張り役が、彼らに顔を向けた。
「ん?」
彼が率いる部下の中で、軍人経験のある男が、その動作を見て不審に思い、声を漏らす。
しかし、リーダーは気に留めなかった。
「野郎共、仕事に取り掛かるぞ!」
リーダーは、小さいながらも喜びを含んだ声音で、後ろに控えていた部下達に伝えた。
部下達は頷くと、素早い動作で馬車隊に向かう。
彼らの動きは手慣れていた。馬車隊は、あっという間に18名の夜盗集団に囲まれてしまった。
リーダーは、先頭の馬車の近くまで走り寄り、見張りに立っていた商人に、抜き放った剣を突き付けた。
「おいお前。この馬車隊のお頭さんは居るかい?」
リーダーは、切っ先を見張り役の顔に近付ける。見張り役の服装は、上が茶色の羽織物、その下に薄い赤色の服、下が靴元まで伸びる長いズボンを羽織っている。
服のあちこちに穴が開いたりしていることから、彼は、この行商人はあまり良い生活をしていないのか?と思った。
「………」
剣を突き付けられた行商人は何も言葉を発しない。いきなりの襲撃に怯えているのか、顔に緊張の色が滲んでいる。
「ほほう、良く見たら…おめえ、女か。ハハ、お嬢ちゃん、俺の言葉は分かるよな?お頭さんはその馬車に乗っているのかい?」
リーダーは改めて尋ねた。
その時、馬車の中から男が出てきた。
コート風の上着を羽織った、紳士風の痩身な男は、リーダーを見つけるや、こう言った。
「そうだ。私がこの馬車隊の責任者だ。そして……さらばだ、哀れな者どもよ。」
痩身の男は言葉を発してから、不気味に口元を歪める。
「ナルファトスの聖動に仇なす邪教徒共に、聖なる執行を加えてやれ。」
一瞬、リーダーはこの男が言っている言葉理解できなかった。
(ナルファトス……?な、何を言っているんだ、こいつ)
彼の思案は、唐突に打ち切られた。
いきなり、腹に重い打撃が加えられた。内臓が巨大な杭で押し潰されたかのような圧迫感と、鈍い痛みが同時に伝わる。
「!?」
声が出かかるが、なぜか出せなかった。
彼は痛みに堪え切れず、顔を上向けながら倒れこもうとする。その時、先程の細身の女が見えた。
女の瞳からは、先に見えた弱々しさは、綺麗さっぱり消え失せていた。
彼女は、とんでもない野獣だ。彼はそう確信した。
直後、女は振り上げていた右足の踵を、リーダーの頭頂部に振り下ろした。
脳天を貫く打撃を感じた時には、リーダーの意識は刈り取られていた。
気が付くと、戦闘は終わっていた。
いや、戦闘というよりは、一方的な虐殺と言った方が正しかった。
夜盗集団の数少ない生き残りである若い部下は、心中でそう呟いた。
「……何が獲物だ……とんでもない外れじゃないか、くそったれめ。」
彼は、しわがれた声で、仰向けに倒れているリーダーを非難した。
いきなり、喉元が締め付けられ、息が苦しくなった。
「う…グ…!」
彼は、先程、リーダーを叩きのめした細身の女に羽交い締めにされていた。
その女が、緩めていた腕を、再び首に押し付けたのだ。
「おい、そこまでにしろ。」
馬車隊のリーダーらしき男が、女に言う。
「大事な検体だ。殺すな。」
女は無言で頷き、首に巻き付けていた腕を緩める。
5分前。若い部下は、18人の仲間と共に、この馬車隊を襲った。だが、そこから悲劇が始まった。
まず、リーダーが、軟弱な筈の女にあっという間に叩きのめされ、その次に、3台目を襲おうとしていた仲間達が次々と
血祭りに挙げられた。
この行商人風の集団は、鮮やかな動作で仲間達を殺して行った。
ある者は、隠し持っていたナイフで喉を裂き、ある者は魔法を使って仲間の体を微塵に吹き飛ばす。
別の者は、あろうことか召喚獣を読んで、一瞬にして3人もの仲間が惨殺された。
この集団は、流れるようにして仲間を殺して行った。
彼は、リーダーを叩きのめした女と戦う事になった。彼は軍隊に居た事があり、そこである程度格闘術を習っていた。
最初は、なんとか攻撃を捌けていたが、たった1分ほど打ち合っただけであっさりと逆転され、今では羽交い締めにされた状態で
捕えられている。
「これを例の薬を浸してから、ここに持って来てくれ。」
リーダー格の男は、鞘に入ったナイフを、陰険そうな顔つきをした男に渡す。
その男は、指示通りに馬車の荷台に入っていき、しばし間を置いてから戻って来た。
男は、リーダー格の男にナイフを渡す。そのナイフは鞘から抜かれ、刃先が見えていた。
男は無言のまま、若い部下に近付いた。
「離していいぞ。」
リーダー格の男は、部下を羽交い絞めにしていた女に告げる。
女はしばし逡巡したあと、言われるがままに男を離した。
チャンスだ!女の腕が首から離れた時、若い男はそう思った。
若い男は、女の腕が完全に離れた途端、咄嗟に後方へ逃げ出した。その瞬間、後ろから何かが当たった。
背中から激痛が走ったのは、その直後からであった。
「……!」
「すまないな、若者。これも国のためだ。」
リーダー格の男が、耳元で囁く。彼は、逃げる間もなく、背後からこの男によってナイフを突き立てられたのだ。
部下は、それでも逃げようとしたが、足に力が入らなかった。
ナイフは、背中から心臓に達していた。そのため、彼は激痛を感じながらも、長い間苦しむ事無く死んでいった。
盗賊の若い男がうつぶせに倒れた。背中には、ヘヴリウルが指したナイフが深々と刺さっている。
「そのお頭さんを起こせ。」
ヘヴリウルは、ヘミトラエヌに伝える。彼女は、気絶しているリーダーのもとに歩み寄り、頬を、2、3度強く叩いた。
やがて、リーダーがうめき声を発しながら起き上った。
「う……頭が……」
「おお、これはこれは、夜盗の頭目殿。どうですかな?ご気分は。」
「ぬ……てめ……え…?」
リーダーは起き上るや否や、ヘヴリウルに向かって罵声を浴びせようとした。
しかし、彼は、周りの光景を見るなり、思わず押し黙ってしまった。
馬車隊の周りには、彼が率いた仲間達の惨死体が転がっていた。四肢が欠けたり、体の半身が無い死体もある。
「こ……こ…これは……一体……」
「……見て分からないのかね?君の部下達だよ。いや、元部下、といった方が正しいかね。」
ヘヴリウルは、陰湿な笑みを浮かべながら、リーダーの胸倉を掴んだ。
彼は、リーダーの顔をぐいっと引き寄せた。
「お陰で、いい訓練になったぞ。だが……」
ヘヴリウルは、先程殺害した、若い部下に顔を向ける。
「本番はこれからだ。」
彼はそう言うと、リーダーをその部下の死体の側に押しやった。押し出されたリーダーは、部下のすぐ隣で転倒してしまった。
「……うう………惨い。あんまりじゃないか!!」
リーダーは、顔を起こしてから叫んだ。
「あんまり……か。薄汚い夜盗風情が、良く言う。」
ヘヴリウルは、薄笑いを浮かべながら返事する。月光に照らしだされたその顔は、リーダーの恐怖感を更に煽った。
「貴様らだって、気分本位に物を奪い、人を殺し、好きに弄んだのだろう?そんな下劣な貴様らが、我ら、誉れ高い
ナルファトスの執行人にあんまりだとは……片腹痛いわ。」
ヘヴリウルは、視線をリーダーから、倒れ伏している若い部下に向ける。
その時、若い部下の体がピクリと動いた。
「ふむ…お目覚めか。意外と速かったな。」
ヘヴリウルは、良い意味で自分の予想が覆った事に感心する。
刺殺した筈の若い男が、ゆっくりと起き上った。
「なっ…!?」
いきなり起き上った若い部下を見たリーダーは、思わず仰天してしまった。
「お……お前、生きているのか?」
リーダーは、起き上った若い部下に声を掛けた。その時、部下がくるりと顔を向ける。
土気色に染まったその顔には、生気という物が感じられず、虚ろに開かれた目は、全く光を灯っていなかった。
「おい、何とか言え……おい。」
部下は、リーダーの言葉をいくら聞いても、全く応じる事がない。
虚ろな目で、ずっと見つめ続けるだけだ。
「……黙っていないで、何か言え!!」
堪りかねたリーダーは、部下の顔を殴った。
部下が、唐突に加えられた打撃に顔をのけ反らせる。そのまま、後ろに倒れ込むと思われたが、寸手の所で姿勢を維持し、
ゆっくりと元の態勢に戻る。
部下は、鼻からどす黒い血を流しているが、反応は全くない。
「一体……どうなってやがるんだ!?」
リーダーは頭が混乱し始めた。目の前に居る部下は、確かに生きている。
だが、いくら話しかけても、渾身の力で顔を殴っても、表情を歪めようとしない。
彼は、まるで、人形を相手にしているかのような感覚に囚われた。
「おまえ…本当に、生きているのか?」
「生きているとも。」
リーダーの問いには、ヘヴリウルが答えた。
「ただし、体だけな。」
ヘヴリウルはそう言ってから、心中で、リーダーの前にいる“使い”に指示を送る。
部下……もとい、不死の薬で、ヘヴリウルの使いとなったそれは、すくっと立ち上がる。
「ひっ!」
リーダーは、恐怖に耐えきれず、腰を落としたまま後ろに下がっていく。
彼は、必死に立とうとするのだが、どういう訳か立てない。腰が全く上がらない。
まだ動く足と、両腕を使って後ろに這っていくしかなかった。だが、恐怖で震えた手足では、出せる移動速度もたかが知れている。
リーダーが下がるたびに、その化け物は歩み寄ってくる。2つの月光が、その表情を不気味に照らし出す。
既に死に絶え、歩く屍と化したそれは、光の無い目でリーダーを見下ろしながら、嬲るようにして、ゆっくりと近付く。
リーダーは、必死に手足を動かし、目の前の化け物から逃れようとした。
しかし、彼の努力は、唐突に終わった。
背中に何かが当たった、と思うや、急に進めなくなった。すぐに後ろを振り返ると、そこには1本の木が聳え立っていた。
まるで、貴様の道のりはここで終わりだ、と言わんばかりに。
「わ、悪かった。今まで散々こき使って本当に申し訳無かった。お願いだ!助けてくれ!」
リーダーは、近寄る元部下に向かって、必死に懇願する。
すると、それは、リーダーから5歩ほど離れた場所で、ピタリと止まった。
リーダーに向けられていた土気色の顔が、別方向に逸らされた。
「………まさか、助かった?」
彼は、震える口調でそう呟く。その時、いきなり部下の体がビクンと震えた。
直後、口を大きく開けながら、リーダーに飛び込んできた。
「……!?」
声を叫ぶ暇もなく、彼は化け物に取り付かれた。
リーダーは、肩を掴んでいる化け物の手を振りほどこうとしたが、どういう訳か、全くほどけない。
逆に、強い力で抑え込まれてしまった。
リーダーは、深い絶望感に襲われた。
口から悲鳴が上がりかけたが、化け物が喉を噛み潰した為、口から出たのは小さな空気の音であった。
リーダーが死に絶えるまでの時間は、思いのほか短かった。
「ふむ。流石に、軍の魔法研究所と共同で開発しただけはある。」
ヘヴリウルは、死骸の前で喉を唸らせる使いを見ながら、満足気に語った。
彼はふと、ある事を思いついた。
「さて、本当に死なないのか、試させて貰う。」
ヘヴリウルはそう言うと、いきなり、持っていたナイフを使いに投げた。
ナイフは使いの背中に刺さった。その位置は、肺の辺りであり、通常ならば致命傷である。
使いは一瞬だけ、体を前に倒し込んだが、その後は何事もなかったように、再び姿勢を元に戻して、ただ前方を見据えている。
「なるほど。普通なら即死物の攻撃も、不死の薬を使えばこんな物か。」
ヘヴリウルは愉快気に言いながら、その使いの近くまで歩み寄り、背中に刺さったナイフを抜き取った。
「小隊長!危ないですよ!」
見かねたヘミトラエヌが、大声でヘヴリウルに言う。
彼女は、大の男をも、あっさりと殺してしまう化け物相手に、無防備なままでは危なのでは?と思い、ヘヴリウルに声を掛けたのだが…
「フフ、そんな事はないぞ。」
ヘヴリウルは、愉悦に歪んだ口元を露わにしながら答える。
すると、彼の使いとなった死体が、ゆっくりとした足取りで彼の前に立った。
それはまるで、主人の盾とならんとする、従者の動きそのものであった。
「何しろ、私はネクロマンサーなのだからな。」
彼はそこまで言ってから、薄い笑い声を漏らした。
そのまま10分が過ぎ、木の側で倒れていたリーダーの死体も動き始めた。
「予定通りだな。」
ヘヴリウルは頷く。
「不死の薬によって、生き返った物に殺されるか、傷を負わされれば、その者もまた、不死の薬の影響で仲間となり、私のような
ネクロマンサーの手駒となる。フフフ、これぞ、私が望んでいた駒だ。」
その時、何を思ったのか、彼は新たに使いとなった、リーダーの死体に指を向けた。
小声で呪文を呟くや、指先から稲妻のような物が発せられ、リーダーの顔に当たる。
その瞬間、甲高い爆発音とともに、顔が吹き飛んだ。
首から上を失った胴体は、5秒ほど経ち続けた後、ゆっくりと地面に倒れた。
「頭をやられては、ただの死体に逆戻りか。これでは、頭を砕かれたり、首を跳ねられても同じ事になるのだろうな。」
ヘヴリウルは不満気にそう言った。
「まっ、今回は仕方がない。ひとまずはこの状態でいいだろう。頭以外をやられなければ、当初の計画通りに動くから、今の所は、
これで良しとするべきだな。」
彼は言葉を終えるや、もう1人の使いにも何かの魔法を撃ち込んだ。
赤い稲妻のような物が、使いの体を貫いたと思いきや、全身が炎で包まれた。
火の塊と化したそれは、やがてリーダーの死体の上に倒れ込み、共に火葬に付された。
「実験はこれで終わりだ。後は、目的地に急ぐまで。」
彼はそう呟いてから、部下達に馬車へ乗れと命じた。
部下達は、言われるがままに馬車へ乗りこんでいく。
その中で、ヘミトラエヌだけが、茫然とした表情で、ゆらめく炎を見つめ続けていた。
「……何をしている。」
「はっ、も、申し訳ありません。」
彼女は、はっとなった表情を浮かべつつ、慌てて頭を下げる。
「新米のお前には、刺激が強すぎたようだな。」
「面目ありません。」
「何、謝る事は無い。最初は誰だって同じだ。」
ヘヴリウルは、無表情のままでその言葉を言い放ち、彼女の肩を叩いた。
「場数を踏めば慣れていくだろう。ひとまず、今は休め。疲れただろう。」
彼はそう言って、手で彼女に荷台へ乗るように促す。
彼女は軽く頭を下げてから、荷台に乗った。
(あいつも若いが。腕前は確かだ。色々苦労するとは思うが、今後は順調に伸びるだろう。上層部も期待するに違いない)
ヘヴリウルは、心中で部下の栄進を確信すると共に、部下のこれからの働きに期待するのであった。
不死の薬を散布するために動員された小隊は、実に70にも及び、作戦に参加する魔道士は500名にも上った。
ナルファトスと、マオンド上層部が計画した作戦は、今や、実行段階に達しようとしていた。
1484年(1944年)11月14日 午前7時 ユークニア島泊地
太陽が水平線から顔を出して間もないこの時、ユークニア島泊地では、眠気の残る早朝にも拘らず、出港直前の慌ただしさに包まれていた。
第72任務部隊第1任務群の旗艦である正規空母イラストリアスの甲板上では、出港用意の号令がかかると同時に、係の水兵達が
素早い動作で作業をこなしつつあった。
「2週間と経たぬうちに、また総力出撃とはね。」
TG72.1の指揮官であるジョン・マッケーン中将(今年10月に昇進)は、艦長であるファルク・スレッド大佐にそう話しかけた。
「確かに。しかし、前回は高速機動部隊のみが出撃していましたが、今回は艦隊丸ごと。高速空母群のみならず、旧式戦艦部隊、
護衛空母部隊……そして、200隻もの輸送船団がスィンク諸島の各島々から出港します。」
「規模からいえば、前回以上だな。」
マッケーンは頷いた。
第7艦隊は、陸軍部隊を支援するために、大規模な偽装上陸作戦を敢行する事になった。
今回の作戦では、大西洋艦隊の主力である第7艦隊の高速空母群を始めとし、旧式戦艦群、護衛空母群、そして、それらに護衛された
輸送船団が、スィンク諸島から一気に、マオンド本土の西部沿岸にあるコルザミへ向かう。
太平洋戦線の第5艦隊を除けば、強大な艦隊が、首都とさほど離れていない地域の沿岸を目指すのである。
もし、海兵隊や陸軍部隊がこの200隻の輸送船団に乗っていた場合、実に4個師団は運ぶ事が出来る。
マオンド側が、コルザミに向かう第7艦隊を発見すれば、彼らは否応なしに対応を余儀なくされるであろう。
「この大艦隊の先兵となるTF72が、今出港しつつある。機動部隊が出港していく様子は、何度見ても心が躍る物だ。」
マッケーンは、誇らしげな気持ちになりながら、スレッド艦長に言う。
「おっしゃる通りです。私も、この光景が大好きですよ。」
スレッド艦長は、口元に微笑を浮かべながらマッケーンに返した。
「第3任務群、出港しまーす!」
見張りの声が艦橋に響いて来た。
ユークニア島泊地の沖合には、第3任務群が停泊している。TF72に所属している3個任務群のうち、一番沖に居るTG72.3が
出港を開始したのだ。
TG72.3に所属している駆逐艦、巡洋艦が先に出港を開始していく。
次に、直衛艦の顔役である、アラスカ級巡洋戦艦のコンスティチューション、トライデントが後に続く。
その後は、正規空母のレンジャーⅡとハンコック、軽空母のノーフォークが、護衛艦艇に釣られて、沖へ沖へと向かって行く。
レンジャーⅡとハンコックは、共にエセックス級航空母艦の17、19番艦として建造されている。
この2隻は、モンメロ沖海戦の直前に艦隊に配備されて以来、TF72の主力艦として前線で戦ってきた。
配備された当初は、未だに青臭さが残る空母と言われたレンジャーⅡとハンコックの航空隊も、ここ数ヶ月間で逞しく成長し、
第7艦隊では掛け替えの無い艦となっている。
軽空母ノーフォークも、インディペンデンス級軽空母の11番艦として建造されて以来、今まで頼りにされてきた、歴戦の艦である。
TG72.3の出港が終わると、今度はTG72.2に出番が回って来た。
TG72.2も、TG72.3と同様に駆逐艦数隻が先に出港し、次に巡洋艦群が続く。
巡洋艦の中の1隻……ボルチモア級重巡洋艦に属するオレゴンシティは、第7艦隊司令長官であるオーブリー・フィッチ大将が
旗艦として定めている。
第7艦隊が編成されてから、早8ヶ月が経つが、オレゴンシティから旗艦が移った事は無い。
そのオレゴンシティは、堂々たる姿で出港していく。
その雄姿は、まるで、今度の作戦でも艦隊司令部を守り通して見せると、艦隊の将兵全員に語っているようにも思えた。
重巡、軽巡が出港した後は、それを遥かに超える威容を持った、2隻の巨艦が続く。
アイオワ級戦艦のウィスコンシンとミズーリだ。
6月のモンメロ沖海戦や、先日のマオンド本土攻撃で活躍した両艦は、その堂々たる体躯を周囲に見せ付けながら、ゆっくりとした
足取りで出港していく。
「アイオワ級戦艦の出撃は、いつ見ても圧倒される物だな。」
マッケーンは、双眼鏡越しに見える2隻の新鋭戦艦に対して、感嘆したように呟いた。
戦艦が出港した後は、空母がそれに続く。
TG72.2司令官ジョン・リーブス少将が座乗するワスプが、低速でと航行していく。
ワスプは、米海軍の正規空母の中では一番小さい空母であるが、その小さな空母が歩んできた戦歴は、他の空母等に引けを取らない。
大西洋艦隊の中でも最も古い古参空母は、小さいながらも、逞しい艦体を誇らしげに見せながら、外海へ向かって行く。
TG72.2はワスプの他に、正規空母ゲティスバーグ、軽空母ライトで編成されおり、3隻の空母が出港した後は、後詰の巡洋艦や
駆逐艦が追随して行く。
TG72.2の出港が終わり、いよいよTG72.1に出番が巡って来た。
「第92駆逐隊、出港します!」
見張り員が、味方艦の出港を逐一知らせて来る。
第92駆逐隊は、転移以来艦隊に居る4隻のラーン級駆逐艦で編成されている。
この4隻の駆逐艦が出港した後は、2隻の巡洋艦が駆逐艦群の後を追う。
巡洋艦2隻のうち、1隻はドーセットシャーである。
アメリカ巡洋艦には無い3本煙突が特徴のこの艦は、僚艦である軽巡洋艦のケニアを率いて外海へと向かって行く。
「プリンス・オブ・ウェールズ、レナウン、出港します!」
見張り員の声を聞いたマッケーンは、艦の左舷側に目を向ける。
イラストリアスの左舷前方には、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦のレナウンが停泊している。
この2隻の戦艦は、今はゆっくりと前進している。
転移以来、『ジョンブル戦隊』の顔役として活躍してきたプリンス・オブ・ウェールズとレナウンは、改装によって、洗練された威容を
見せ付けながら(特に艦橋の辺りが、SKレーダー等の電子装備で飾り立てられている為、外見が幾らかごつくなった)アイオワ級や
アラスカ級といった新鋭戦艦にも気後れを感じさせぬ、堂々たる姿で、泊地を悠然と航行して行く。
「ベニントン、出港しまーす!」
マッケーンは、艦の真横に視線を移す。
TG72.1の僚艦である空母ベニントンも、ゆっくりとした速度で、先に出港した艦を追って行く。
ベニントンの飛行甲板には、艦載機が折り畳まれた状態で駐機している。マッケーンは、その艦載機の群れを見つめた。
「ふむ。やはり防空専任艦だけあって、戦闘機の比率が多いな。」
マッケーンは何気ない口調で呟いた。
TF72に所属する3個空母群は、それぞれに防空任務主体の航空団を置いた母艦が含まれている。
TG72.1では、正規空母のベニントンと軽空母のロング・アイランドⅡが防空専任艦に選ばれている。
同じように、TG72.2では空母ゲティスバーグとノーフォーク、TG72.3では空母ハンコックとライトが、戦闘機隊主体の
航空団を乗せている。
防空専任空母には、艦載機の搭載数が多いエセックス級空母が選ばれている。
元々は、イラストリアスやワスプも、防空専任空母にしてはどうか?という声があったが、イラストリアスは72機、ワスプは74から
76機しか積めないため、最終的に、この2艦は、防空専任空母としては役不足と判断され、搭載機数が多いエセックス級が選ばれることになった。
現在、TF72の航空兵力は754機。この内、以前の航空団編成のままならば、戦闘機の数は404機である。
しかし、10隻中、6隻を防空専任艦としたため、戦闘機の総数は630機となり、艦隊航空隊の実に8割が、戦闘機で占められている事になる。
また、今回の作戦を実行するに当たって、母艦航空隊では戦闘機搭乗員が不足しかけていたが、それを解消するためのテストとして、海兵隊
航空隊から母艦の発着訓練を受けた搭乗員を、臨時に空母へ乗せる事になった。
6隻の戦闘機専任空母のうち、正規空母のベニントンとハンコックには、元の母艦航空隊の他に、海兵隊のVMF-309とVMF-310が
乗り組んでおり、1瞬間前から昨日まで訓練に明け暮れていた。
この、戦闘機専用空母の発案者は、マッケーン本人であるが、彼は、今度の作戦で、自分の案がどれだけ通用するのかが気になっていた。
「俺の案が通って、母艦航空隊はこのようになったが、果たして、敵航空部隊の攻撃力は、どれほどまで削がれるのだろうか。」
彼は、口中で呟く。いずれにせよ、彼の持論を正しいかどうかを決める時は、刻々と迫りつつあった。
「両舷、前進微速。」
スレッド艦長の凛とした声が響く。それから程なくして、イラストリアスの艦体が動き始めた。
TF72の中で、唯一の装甲空母が出港を開始した。
艦は、ゆっくりと外海に向かいつつある。
(さて、これからまた忙しくなるぞ。)
マッケーンは、心中で呟く。
TF72の後には、旧式戦艦部隊や、護衛空母部隊で編成されたTF73と、本偽装作戦の要となる200隻の輸送船団が続く。
恐らく、マオンド側は第7艦隊を発見次第、投入出来る限りの兵力を持って、死に物狂いで挑んでくるであろう。
その決戦の時に、マッケーンの発案である戦闘機専用空母の真価が発揮される。
(今度の戦いでは、敵に嫌というほど、戦闘機の威力を教えてやり、マオンド側に、TF72が、より性質の悪い厄物扱いされるような
戦いぶりを見せてやろう)
彼は、心中でそう決意した。
機動部隊は、午前8時までには全ての任務群が出港を終えた。
空母10隻、戦艦3隻、巡洋戦艦3隻、巡洋艦14隻、駆逐艦72隻で編成された3つの高速機動部隊は、ナルファトス教特別執行部隊が
運びつつある災厄とは、全く異なる災厄をマオンド本土に与えるべく、一路、コルザミへと向かった。