「――甘いッ!」
目が覚めるような鋭い気合いと共に、渾身の一撃として突き出した槍が、想像だにしなかった凄まじい力で叩き払われる。体重を込めた一撃をひらりとかわされ、体幹がずれていたところに迸った鮮烈な一撃は、彼女の身体のバランスを突き崩すには十分だった。なんとか体勢を取り戻そうと空中でもがくも、結局ほべっ、という情けない声を口から漏らしながら、頬を土へと強かに打ちつける。
「脇が甘いですよ。槍のような長物を扱う際には、脇を締めて構えるのです」
「は、はい……。申し訳ありません、サー・
ランスロット」
「謝る必要はありません。誰もに皆、至らぬ時期というものはあるものです。そこからどう成長するかが違いとして形となる。さあ、続きですよ」
口の中の砂と鉄の味を噛み締めながら、彼女――
ガレスは立ち上がると、再び訓練用の槍を構えた。
「――はいっ」
6世紀初期のブリテン島。長きに渡る騎士王による遠征もひとまず一段落し、白亜に輝く理想の王都キャメロットにも束の間の平穏が訪れていた。焼けつくような太陽が照りつける夏を過ぎ、城下の畑ではそろそろ麦の穂が頭を垂れる季節である。幸いなことに今年の作物は豊作のようであったが、それでもこれから訪れる冬に備え、今は戦争よりも備蓄と冬支度に労力を裂かねばならない。どこか慌ただしいながらも、それは遠征に備え準備している緊張感とはかけ離れた穏やかな空気だ。収穫の道具を調え、倉の様子を確認する。騎士といっても戦闘と防衛をするだけが役目ではない。時には領民のため、農作業に混じるような庶民的な騎士も一定数存在する。ある意味では、騎士と民の敷居が最も低くなる季節、それがこの時であった。
そんな初秋の折の昼下がり。城内外周に設けられた訓練場で、二人の騎士が手合わせしていた。いや、その関係は手合わせというよりはむしろ師と教えを乞う弟子に近いだろう。その騎士は二人とも、常にかの円卓に席を持つ一流の騎士だった。
師――機能的に短く切り揃えた髪に甘いマスクを備え、紫の鎧に身を包んだ長身の美青年――こそが全てのキャメロットの騎士の頂点にして騎士王の右腕、理想の騎士との誉れも高きランスロット卿。そして弟子――軽装の白銀の鎧に身を包み、金糸でこさえた綿菓子のような髪をショートカットにした騎士――が、無垢なる白き手、ボー・メインことガレス卿である。
「――行きますッ!」
先程までランスロットに親しげな笑みを浮かべていたガレスの表情が瞬時に鋭くなり、裂帛の気勢とともに青銅製の槍が突きだされる。此度はしっかりと脇を締め、体重を乗せながらも体幹はきちんとぶれていない。その渾身の打突を、ランスロットはぬん、と小さく息を吐いて同じく訓練用の長剣で右へ払う。鐘を突いたような澄んだ音が訓練場に響き渡った。ガレスはその払われた勢いを殺さず、むしろ力に任せるままに両足を地から離した。そのまま槍を地面に突き立て、くるりと宙を舞う。僅かにランスロットが首を後ろへ動かすと、その空間をガレスの金属製のブーツが通過した。そのまま彼女は宙返りして体勢を180°反転させ、更に捻りを加えてランスロットに向かうように着地する。先程まで支えにしていた槍を両手で地面から引き抜くと、捻りの勢いのまま斧を木に叩きつける要領でランスロットの銅を薙ぎ払うように腕を振るった。ランスロットは表情を固くすると身を翻して剣で槍を受け止め、そのまま上へと巻き上げる。力で劣るガレスはそれに釣られて両手を持ち上げられてしまう。がら空きになった腹を容赦なくランスロットの蹴りが追撃する。げふ、と口から唾液を飛ばしながら吹っ飛ぶガレス。ランスロットはそのまま彼女を追って跳躍する。背中を地面に強かに打ちつけつつ落下したガレスの頭に幹竹割りの勢いで長剣が迫り――その僅か数センチ上で停止した。
そのまま数秒間静止すると、ランスロットは剣を納めてガレスの腰の上に跨がった状態から立ち上がる。息一つ切れてはいなかった。
一方のガレスは地面に横たわったまま小さく喘いでいたが、やがて大きく咳き込んだ。蹴られた腹を抑えつつ、体をくの字に曲げてしばらくの間空気を求めて咳き込み続ける。1分以上の時間をかけて、ようやく粗いながらも呼吸が整った。地面にへたりこんだまま、咳の涙で潤んだ目でランスロットを見上げる。
「今の機転はなかなかよかったですよ」
「んっ、はぁ……はぁ……ありがとう、ございます、サー、ランスロット……」
「少し休憩にしましょうか」
ランスロットは傍らの水瓶から杯に水を酌むと、ガレスに手渡す。そこそこ大きなものであったのにも関わらず、ガレスは一気に水を飲み干し、大きく深呼吸する。
「んくっ、んくっ、んくっ……ぷはぁっ!大丈夫ですサー・ランスロット。まだいけます」
ガレスは力強くそう言ったが、ランスロットは厳しい表情を浮かべた。
「自分の体の限界を自覚するのも騎士の役目ですよサー・ガレス。既に貴女は槍を杖にせねば立ち上がれないではないですか」
そう指摘され、ガレスは頬を赤らめて俯く。なんとか彼女は立ち上がってはいたが、その両足は震え、大地に突き立てた槍に体重をかけてなんとか体を起こしている状態だった。どう見ても訓練を続行できるような状態ではない。それでも、さきほどランスロットを見上げていた彼女の瞳から闘志は消え去るどころか、むしろ強まるばかりだった。そんな彼女にランスロットは僅かに頬を緩め、ガレスのショートヘアを優しく撫でた。
「すみません、サー・ランス……はわっ!?」
と、ガレスが騎士らしからぬ声をあげた。いきなりランスロットが片手で彼女の体を抱えあげたのである。身長150にも満たない小柄な彼女を持ち上げている様は、端から見たら父親が娘を抱えあげているようにすら見えただろう。だが、きちんと武装したガレスを片手に抱え、もう一方で剣と槍を抱えるという行為は、並大抵の筋力で成せる技ではない。それにも関わらずランスロットは顔をしかめることすらなく練習場の隅へ歩いて行く。抵抗する体力も残っていないガレスは、人形のようにだらりと身をランスロットに預けた。
「随分と重くなりましたね、ガレス卿。キャメロットへやって来たときはまだ小枝のような少女であったというのに」
「へへへ、これでも日々鍛えていたんですよサー・ランスロット!お陰でこうです!」
抱えられたままガレスが腕捲りをしてぐい、と腕を曲げると、陶器のように白いその二の腕に少女らしからぬ力瘤が盛り上がった。
「指摘した私が言うのもなんですが、レディが体重の増えたことを誇るものではありませんよ」
ランスロットはそう苦笑いするが、ガレスはその態度に頬を膨らませた。
「私は女性である前に騎士ですよサー・ランスロット。騎士が力強くあるのは当然の責務です。そうでなければ、私たちは民を守れない」
「ふふっ、そうでしたね……これは失礼」
「あっ、その態度は受け流しているだけですね!?わかるんですよそういうの!あなたは何か態度を変えるときにははっきりと示す人ですから!」
「ほう、そういうものでしたか」
「そうですよ!」
そんなやりとりをしながらも、ランスロットは練習場の隅にある木製の長椅子にガレスを下ろしてやると、その傍らに自らも座った。かすかに微風が吹き、城内に植えられていた楢の木と二人の髪を靡かせる。
「サー・ガレスには適いませんね」
「当然です!何年あなたと過ごしてきたと思っているんですか」
「ええっと、あなたが初めて王城に現れたのが……」
「一々数えなくて構いません。とにかく、長い間私はあなたと一緒に過ごしてきました。そして、何度もお世話になってきました」
練習場は小さなスタジアムのような形状をしている。周囲を取り囲む塀に包まれて、秋の高い青空が丸く切り取られていた。漂う羊のような雲を見上げて、ガレスは深呼吸する。先ほどの訓練で打撲した腹が痛んだが、それも彼女にとっては心地よかった。
自然と穏やかな笑みが浮かぶ。
「――感謝しています、サー・ランスロット」
「あなたがいなければ、私は円卓に席を持つことはできなかったでしょう。それに、何度も命を落としていたと思います。あなたは私の最大の恩人です。いつも恩返しをしたいと思っているのですが、どうにもうまく行かなくて」
沈黙が落ちる。初秋の微風は途切れることなく、太陽が照らす暖かさと頬を撫でる風が心地よい。
ふと、ランスロットはガレスの横顔を見た。かつてみすぼらしい姿で、しかも単身でキャメロットを訪れたあどけない少女。その姿を、彼は明確に記憶している。騎士になりたいと騎士王に直接嘆願するも台所の下働きを任された彼女は、どこから見てもただの町娘だった。
その時から、大きく容姿は変わっていない。彼女の兄譲りのくせっ毛も、少し太い眉も、小柄な体躯も、年齢相応の変化しかしていないはずだった。その上彼女は生まれつき幼い顔立ちらしく、その変化はむしろ少ない方のはずであった。
けれど――やはり、彼女は変わった。そうランスロットは思う。
数多の冒険を潜り抜け、騎士として女性ながら妻も娶った。しかもその女性は最初の冒険にてガレスが自ら救い出した少女である。便宜上夫と妻としての立場を取っているが、その関係はどこまでも平等で睦まじいものだと聞いている。
それでも、ランスロットにとってガレスはあのときの少女のままだった。そうだと思い込んでいた。しかし、実際は違っていたのだ。
彼女は、ガレスは、もう立派な騎士だった。
彼女は、ガレスは、もう立派な女性だった。
その二つは、決して相反するものではないと思っている。そして彼女は、その両方を兼ね備えた立派な人物に成長しつつあった。まだまだ未熟な面はいくらでも残っており、甘さや視界の狭さは彼女の欠点だ。だが、それもやがて彼女は克服するだろう。
いつか、彼女がキャメロットで最も優れた騎士と呼ばれる時が来る。そんな予感がした。
そのためにも、彼女はこれからも守ってやらねばならない。ガレスが立派な騎士に成長するまで、自分は彼女を守ってやりたい。ランスロットは心にそう誓った。
「なんて!あはは、ちょっと湿っぽくなってしまいましたね。すみません。これもこの青空が綺麗なせいだー、なーんて」
恥ずかしくなったのか急にガレスは立ち上がると、頬を真っ赤に染めて両手をぶんぶんと振った。その様子が愛らしくて、ランスロットからもつい笑みがこぼれる。
「と、だんだん日が傾いてきていますね!申し訳ありませんサー・ランスロット、今日の訓練はここまででお願いします。夕暮れ時は民とともに麦の刈り入れの手伝いをする約束があるので、その準備をしなければ」
「ええ、構いませんよ。練習場の後片付けは私がしておきましょう」
「ありがとうございます。あー、館に帰ったらサー・
アイアンサイドが煩いでしょうね…『赤い跡までは許しますが、青あざをつけて戻るとはなんと痛々しい!訓練は紅くなる程度に済ませておけと何度言えば分かるのか!』って」
「ふふ、彼らしい」
「ですね。それではお言葉に甘えて、お先に上がらせていただきますね」
そう言ってガレスは長椅子から立ち上がると、慌ただしく後片付けを始めた。訓練用の簡素な鎧を脱ぐと、ガレスは自らの布で軽く全身の汗を拭く。鎧を傍らの専用の瓶で水洗いして使用済み用の棚に置くと、自分も水浴び用の槽から大きな匙で水をすくって簡易的に汗を流した。もう一度髪と顔、手足を布で拭き、肌にぴったりと張り付く濡れた服を軽く絞ると、今度こそガレスは競技場を後にする。
その背中に、ランスロットは声をかけた。
「大丈夫ですよ、サー・ガレス。私はしっかりと恩返しを受けています」
ガレスはびっくりしたように振り返ると、しばらくの間ランスロットの顔を見つめ――満面の笑みで一礼した。
「失礼します」
騎士王の補佐官である
アグラヴェイン卿が、王妃グィネヴィアと騎士ランスロットの不貞を公の場で糾弾する、僅か数ヶ月前の出来事であった。
最終更新:2016年09月29日 21:56