Beautiful World 4章/かがみより続く
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§11
「アンインストール、アーンインストール、こーのー星の無数の塵のひとつだと、いーまーのーぼくーには理解できない」
「――っておい、なんでアンインストールなのよっ」
ダウンロードのプログレスバーを眺めながら鼻歌を歌っていると、台所で洗い物をしていたかがみが声をかけてきた。
「え? やだなー、実際にアンインストしてるわけじゃないって。ちょっとそういうアニソン思い出しちゃったってだけ。ちゃんとインストール中ですよっ」
くるっと椅子を回してにへらと笑う。ちょっとあきれ顔のかがみは、「まぎらわしい歌を唄うな」なんてこぼしてから流しの前に戻っていった。再びジャーッって水が流れる音が聞こえてくる。腕を動かす度、エプロンをつけたかがみの背中で一本にまとめた髪が揺れている。尻尾みたいだなって、わたしは思う。
「ねー、かがみー」
「んー?」
ジャーージャーー。
カチャカチャ。
かがみは振り返らずに洗い物を続けている。だからわたしもモニタを眺めたまま、振り返らないでかがみに云う。
「ツインテール辞めちゃうの?」
「あ、ああ、これ? 別にそんなつもりじゃないわよ。片付けとか掃除とかするのに、あの髪だと邪魔ってだけ」
「――ふーん」
「なによ? 辞めないで欲しいの?」
「んーん。別にどっちでもいいよー」
そう云って、地球みたいなアイコンから紙が飛んでくるのを眺めている。ダウンロード、やっぱりちょっと遅いなってわたしは思う。でも光じゃなくてCATVみたいだから、きっとこんなものなんだろう。先にダウンロードツールを入れておけばよかったかなって思う。
――アンインストール、アンインストール、恐れを知らない戦士のように振る舞うしかない。
頭の中で、アニソンの続きを口ずさむ。それはちょっと前にやっていた『ぼくらの』ってアニメの主題歌だ。お話も雰囲気もその主題歌も、思い出す度にギリギリと胸を抉られるような痛みを覚える。そんなアニメだった。
「――ごめん、嘘だよ。ツインテ辞めないで欲しいな」
恐れを知らない戦士のようにそう云うと、カチャカチャいっていた音が一瞬止まる。でも水が流れる音は聞こえてきて、ちょっと勿体ないなってわたしは思う。かがみは、水道代がどれくらいかかるのかちゃんと把握してるんだろうか。余計なお世話なんだろうけれど、それが少しだけ気になった。
「――じゃ、辞めない」
すぐに洗剤をすすぐ音が戻ってくる。
大学進学に一人暮らしっていう大きな転機を経て、かがみもイメチェンしたがっていたかもしれない。もういい加減子供っぽいツインテールも、本当は辞めるつもりだったかもしれない。
それでもわたしはかがみにはツインテールのままでいて欲しかった。この一年わたしの傍でかがみはぐんぐん大人になっていったけれど、もし髪型まで大人っぽくなってしまったら、わたしの手が届かないところに行ってしまうかもしれない。わたしにはそれが怖かった。
――細い身体の、どこに力を入れて立てばいい?
それもまた『アンインストール』の一節で。
耳をふさいでも目をふさいでも、わたしたちが大人になるっていう事実は両手をすりぬけて飛び込んでくるのだった。
「ねー、かがみー」
「んー?」
ジャーージャーー。
カチャカチャ。
「わたしのこと、好き?」
「大好きよ」
開き直ったのか作業中で上の空なのか、慌てたような様子もまるでなくって、わたしにはそれが少し不満だ。
みんなが帰って二人きりになって、かがみの雰囲気はちょっとだけ変わっていた。いくら気のおけない仲間たちっていっても、人前ではあんまりイチャイチャした感じにはしたくないのかなって思う。二人きりになってから、なんだかかがみの方にあった壁が一枚なくなって、生身で向き合っているって感じがする。部屋は肌寒いくらいなのに、長髪の裏側で首筋がじっとりと汗ばんでいた。
モニタに写り込んだかがみを見ているうちに、スカイプソフトのダウンロードが終わって、PCがピコンと音を鳴らす。
「あ、インスコするディレクトリは、普通にプログラムファイルでいいの?」
「うん、そこでお願い」
「ほーい。……アカウントは、KonataGekiLOVEでいいかな?」
「長すぎるって。もうちょっと短いのにしてよ」
――内容はそれでもいいんだ。
そう突っ込みたかったけれど、なんとなくできなかった。
さらっと「まーねー」なんて云われたら、それはそれで恥ずかしい。
普通にかがみの名前がらみで取れたからそれにした。でもパスワードはわたし関係のものにしたから、入力する度にわたしの顔を思い出していればいいと思う。
「ねー、かがみー」
「んー?」
ジャーージャーー。
カチャカチャ。
――ドン。
重い物が水切り籠に乗った音。
「土鍋、しまうときはちゃんと水気切らないとだめだよ」
「え? あ、そうなの? しまい方があるんだ?」
「うん、なんだかんだで土だからね。水気が残ってるとカビ生えちゃうのさ」
「……知らなかったわ、ありがとう」
「あと、急激な温度変化があるとヒビ割れちゃうんだよ。だから火に掛けるときは弱火から、洗うときには完全に冷めてからね。もしヒビが入っちゃったら、おかゆを作るとデンプンが糊になって埋められるから覚えておくといいよー」
「なるほど勉強になるわ、サンキュー。ふふ、でも最後のはなんかおばあちゃんの知恵袋みたい」
そう云って、かがみはくすくす笑いながら土鍋をふきんで拭きだした。
――おばあちゃん、か。
別にかがみは本当におばあちゃんに教わったのかって聞きたかったわけじゃない。生活の知恵的なもの全般を“おばあちゃんの知恵袋”っていう用法を使ってみただけ。
でもわたしはそのとき、おばあちゃんのことを考えていた。
それは、わたしが知っているおばあちゃんのことじゃない。わたしが小学校のときに死んでしまった、お父さんのお母さんのことじゃない。
それはもう一人のおばあちゃん。写真でしか見たことがない、お母さんのお母さんのことだった。
『――海野の血が強く出てるな。海色の綺麗な髪だ』
ぽっかりと海の底からあぶくが浮かんでくるように、記憶の底から聞こえてくる声がある。それは多分おじいちゃん――お父さんのお父さんが云った言葉だ。幼稚園だったか小学生だったか思い出せない。おじいちゃんはいつでも不機嫌そうな顔をして、里帰りしたわたしを見る度にお母さんのことを話した。
「――ああ、でも。あのおばあちゃんはそんなイメージじゃないわね。家事なんてお手伝いさんがやってくれます、みたいな感じ?」
その瞬間、わたしはかがみが何を云っているのかよくわからなかった。
けれど遅れてじわじわとその意味が飲み込めてきて、全身の筋肉が硬直する。思わず人差し指が変なところをクリックしてしまい、広告のウィンドウがパッと開く。やっぱりIEは使いづらい。スレイプニルかファイア・フォックスを入れちゃおうかなんて思う。
――そんなことより。
「……かがみ、わたしのおばあちゃんに会ったことあるの?」
錆びついたような首を無理矢理回して、かがみの方に振り向いた。洗い物を終えたかがみが、手を拭きながらきょとんとした顔でわたしを見つめていた。
「あ、そっか。ほら、あんたと一緒にお墓参りに行ったでしょ。あのとき会ったのよ。あんたがおじさん呼びに行く間だったかな? 海岸での私たちのことを見てたんだって」
気楽な感じでそう云って、少しだけ頬を染めたかがみだった。けれどわたしが硬直しているのに気がついて、はっとした様子で口元を手で覆う。
「――わたし、お母さんのお母さんには一度も会ったことない……」
「そ、そうなんだ、ごめん……会わないようにしてるとは云ってたけど、一度もって……そこまでこじれてるんだ……」
わたしは変な顔を見られたくなくて、またモニタの方を向き直る。『バイト・派遣の仕事探し。日払い、週払い、未経験OK!』そんな広告を眺めている。全然興味が湧かないけれど、就職ってやっぱり大変なのかななんて思う。ああ、そうだ、バイト続けていいのかかがみに訊かないと。
モニタの黒い部分にかがみが写っている。わたしの半歩後ろでエプロンを畳んで丸めている。モニタの中で目があって、けれどわたしたちはお互い気づいてないふりをした。
「……全然謝るようなことじゃないよね、それ」
「そ、そうだけど、ね……」
「なんかねー。おじいちゃん二人が意地になっちゃってるんだよね。これだから古い人ってやだやだ」
殊更に明るくそう云って、グーグルから検索ワードを打ち込んだ。とりあえずファイア・フォックス。2chを見る用にJaneも入れておこう。これから先、泊まりにきたときにはわたしもこのPCを使うことになるんだから、使いやすいようにカスタマイズをしておきたかった。
――ぎゅって、背中から抱きしめられた。
暖かい、かがみの身体。ふわっとしてて優しくて、わたしは繭に包み込まれた蝶みたいに安心する。蕩けるような五感の中で、ほんのりと漂うかがみの匂いをかぎ分けた。そのときになって始めて、この部屋の匂いが柊家のかがみの部屋と違うことに気がついた。
「――こなたのこと、凄く心配してたわよ」
「……うそだよ……」
「本当。ずっと見てきたのね。あんたが楽しそうに笑うところを見られて嬉しいって云ってた。ずっと友達でいてくれって、あんたのことよろしくって、私に云ったのよ。……ふふ、でも、最初の頼みは聞けなくなっちゃったわね」
悪戯っぽくそう云って、かがみはわたしの頭に頬をすり寄せてくる。甘えん坊の猫みたいだってわたしは思う。かがみが云いたいことに気がついて、わたしは体中を真っ赤にしながら恥ずかしさに耐えている。
かがみと恋人同士なんだって云われることは、やっぱり少しだけ恥ずかしい。
――でも、死にそうになるくらい嬉しい。
「――っておい、なんでアンインストールなのよっ」
ダウンロードのプログレスバーを眺めながら鼻歌を歌っていると、台所で洗い物をしていたかがみが声をかけてきた。
「え? やだなー、実際にアンインストしてるわけじゃないって。ちょっとそういうアニソン思い出しちゃったってだけ。ちゃんとインストール中ですよっ」
くるっと椅子を回してにへらと笑う。ちょっとあきれ顔のかがみは、「まぎらわしい歌を唄うな」なんてこぼしてから流しの前に戻っていった。再びジャーッって水が流れる音が聞こえてくる。腕を動かす度、エプロンをつけたかがみの背中で一本にまとめた髪が揺れている。尻尾みたいだなって、わたしは思う。
「ねー、かがみー」
「んー?」
ジャーージャーー。
カチャカチャ。
かがみは振り返らずに洗い物を続けている。だからわたしもモニタを眺めたまま、振り返らないでかがみに云う。
「ツインテール辞めちゃうの?」
「あ、ああ、これ? 別にそんなつもりじゃないわよ。片付けとか掃除とかするのに、あの髪だと邪魔ってだけ」
「――ふーん」
「なによ? 辞めないで欲しいの?」
「んーん。別にどっちでもいいよー」
そう云って、地球みたいなアイコンから紙が飛んでくるのを眺めている。ダウンロード、やっぱりちょっと遅いなってわたしは思う。でも光じゃなくてCATVみたいだから、きっとこんなものなんだろう。先にダウンロードツールを入れておけばよかったかなって思う。
――アンインストール、アンインストール、恐れを知らない戦士のように振る舞うしかない。
頭の中で、アニソンの続きを口ずさむ。それはちょっと前にやっていた『ぼくらの』ってアニメの主題歌だ。お話も雰囲気もその主題歌も、思い出す度にギリギリと胸を抉られるような痛みを覚える。そんなアニメだった。
「――ごめん、嘘だよ。ツインテ辞めないで欲しいな」
恐れを知らない戦士のようにそう云うと、カチャカチャいっていた音が一瞬止まる。でも水が流れる音は聞こえてきて、ちょっと勿体ないなってわたしは思う。かがみは、水道代がどれくらいかかるのかちゃんと把握してるんだろうか。余計なお世話なんだろうけれど、それが少しだけ気になった。
「――じゃ、辞めない」
すぐに洗剤をすすぐ音が戻ってくる。
大学進学に一人暮らしっていう大きな転機を経て、かがみもイメチェンしたがっていたかもしれない。もういい加減子供っぽいツインテールも、本当は辞めるつもりだったかもしれない。
それでもわたしはかがみにはツインテールのままでいて欲しかった。この一年わたしの傍でかがみはぐんぐん大人になっていったけれど、もし髪型まで大人っぽくなってしまったら、わたしの手が届かないところに行ってしまうかもしれない。わたしにはそれが怖かった。
――細い身体の、どこに力を入れて立てばいい?
それもまた『アンインストール』の一節で。
耳をふさいでも目をふさいでも、わたしたちが大人になるっていう事実は両手をすりぬけて飛び込んでくるのだった。
「ねー、かがみー」
「んー?」
ジャーージャーー。
カチャカチャ。
「わたしのこと、好き?」
「大好きよ」
開き直ったのか作業中で上の空なのか、慌てたような様子もまるでなくって、わたしにはそれが少し不満だ。
みんなが帰って二人きりになって、かがみの雰囲気はちょっとだけ変わっていた。いくら気のおけない仲間たちっていっても、人前ではあんまりイチャイチャした感じにはしたくないのかなって思う。二人きりになってから、なんだかかがみの方にあった壁が一枚なくなって、生身で向き合っているって感じがする。部屋は肌寒いくらいなのに、長髪の裏側で首筋がじっとりと汗ばんでいた。
モニタに写り込んだかがみを見ているうちに、スカイプソフトのダウンロードが終わって、PCがピコンと音を鳴らす。
「あ、インスコするディレクトリは、普通にプログラムファイルでいいの?」
「うん、そこでお願い」
「ほーい。……アカウントは、KonataGekiLOVEでいいかな?」
「長すぎるって。もうちょっと短いのにしてよ」
――内容はそれでもいいんだ。
そう突っ込みたかったけれど、なんとなくできなかった。
さらっと「まーねー」なんて云われたら、それはそれで恥ずかしい。
普通にかがみの名前がらみで取れたからそれにした。でもパスワードはわたし関係のものにしたから、入力する度にわたしの顔を思い出していればいいと思う。
「ねー、かがみー」
「んー?」
ジャーージャーー。
カチャカチャ。
――ドン。
重い物が水切り籠に乗った音。
「土鍋、しまうときはちゃんと水気切らないとだめだよ」
「え? あ、そうなの? しまい方があるんだ?」
「うん、なんだかんだで土だからね。水気が残ってるとカビ生えちゃうのさ」
「……知らなかったわ、ありがとう」
「あと、急激な温度変化があるとヒビ割れちゃうんだよ。だから火に掛けるときは弱火から、洗うときには完全に冷めてからね。もしヒビが入っちゃったら、おかゆを作るとデンプンが糊になって埋められるから覚えておくといいよー」
「なるほど勉強になるわ、サンキュー。ふふ、でも最後のはなんかおばあちゃんの知恵袋みたい」
そう云って、かがみはくすくす笑いながら土鍋をふきんで拭きだした。
――おばあちゃん、か。
別にかがみは本当におばあちゃんに教わったのかって聞きたかったわけじゃない。生活の知恵的なもの全般を“おばあちゃんの知恵袋”っていう用法を使ってみただけ。
でもわたしはそのとき、おばあちゃんのことを考えていた。
それは、わたしが知っているおばあちゃんのことじゃない。わたしが小学校のときに死んでしまった、お父さんのお母さんのことじゃない。
それはもう一人のおばあちゃん。写真でしか見たことがない、お母さんのお母さんのことだった。
『――海野の血が強く出てるな。海色の綺麗な髪だ』
ぽっかりと海の底からあぶくが浮かんでくるように、記憶の底から聞こえてくる声がある。それは多分おじいちゃん――お父さんのお父さんが云った言葉だ。幼稚園だったか小学生だったか思い出せない。おじいちゃんはいつでも不機嫌そうな顔をして、里帰りしたわたしを見る度にお母さんのことを話した。
「――ああ、でも。あのおばあちゃんはそんなイメージじゃないわね。家事なんてお手伝いさんがやってくれます、みたいな感じ?」
その瞬間、わたしはかがみが何を云っているのかよくわからなかった。
けれど遅れてじわじわとその意味が飲み込めてきて、全身の筋肉が硬直する。思わず人差し指が変なところをクリックしてしまい、広告のウィンドウがパッと開く。やっぱりIEは使いづらい。スレイプニルかファイア・フォックスを入れちゃおうかなんて思う。
――そんなことより。
「……かがみ、わたしのおばあちゃんに会ったことあるの?」
錆びついたような首を無理矢理回して、かがみの方に振り向いた。洗い物を終えたかがみが、手を拭きながらきょとんとした顔でわたしを見つめていた。
「あ、そっか。ほら、あんたと一緒にお墓参りに行ったでしょ。あのとき会ったのよ。あんたがおじさん呼びに行く間だったかな? 海岸での私たちのことを見てたんだって」
気楽な感じでそう云って、少しだけ頬を染めたかがみだった。けれどわたしが硬直しているのに気がついて、はっとした様子で口元を手で覆う。
「――わたし、お母さんのお母さんには一度も会ったことない……」
「そ、そうなんだ、ごめん……会わないようにしてるとは云ってたけど、一度もって……そこまでこじれてるんだ……」
わたしは変な顔を見られたくなくて、またモニタの方を向き直る。『バイト・派遣の仕事探し。日払い、週払い、未経験OK!』そんな広告を眺めている。全然興味が湧かないけれど、就職ってやっぱり大変なのかななんて思う。ああ、そうだ、バイト続けていいのかかがみに訊かないと。
モニタの黒い部分にかがみが写っている。わたしの半歩後ろでエプロンを畳んで丸めている。モニタの中で目があって、けれどわたしたちはお互い気づいてないふりをした。
「……全然謝るようなことじゃないよね、それ」
「そ、そうだけど、ね……」
「なんかねー。おじいちゃん二人が意地になっちゃってるんだよね。これだから古い人ってやだやだ」
殊更に明るくそう云って、グーグルから検索ワードを打ち込んだ。とりあえずファイア・フォックス。2chを見る用にJaneも入れておこう。これから先、泊まりにきたときにはわたしもこのPCを使うことになるんだから、使いやすいようにカスタマイズをしておきたかった。
――ぎゅって、背中から抱きしめられた。
暖かい、かがみの身体。ふわっとしてて優しくて、わたしは繭に包み込まれた蝶みたいに安心する。蕩けるような五感の中で、ほんのりと漂うかがみの匂いをかぎ分けた。そのときになって始めて、この部屋の匂いが柊家のかがみの部屋と違うことに気がついた。
「――こなたのこと、凄く心配してたわよ」
「……うそだよ……」
「本当。ずっと見てきたのね。あんたが楽しそうに笑うところを見られて嬉しいって云ってた。ずっと友達でいてくれって、あんたのことよろしくって、私に云ったのよ。……ふふ、でも、最初の頼みは聞けなくなっちゃったわね」
悪戯っぽくそう云って、かがみはわたしの頭に頬をすり寄せてくる。甘えん坊の猫みたいだってわたしは思う。かがみが云いたいことに気がついて、わたしは体中を真っ赤にしながら恥ずかしさに耐えている。
かがみと恋人同士なんだって云われることは、やっぱり少しだけ恥ずかしい。
――でも、死にそうになるくらい嬉しい。
*
「――ね。今年のお盆は私も連れてってよ。お墓参り」
「お盆に? なんで?」
「なんでっておい、微妙に傷つくなその返事……」
「え、あ、ご、ごめん……」
「いや、いいけどね。ほら、あんた云ってたでしょ、夏に来ると裏の池にアマガエルが沢山いるって」
「うん」
「見てみたいなって思ったのよ」
「……それだけ?」
「……それに、かなたさんに報告したいの。あんたとつき合ってるんだよってね」
そう云って微笑んだかがみを照らす月明かり。
夜の風。
春の気配。
最後の桜が、花びらを夜の流れに散らしている。
ベランダに出るテラス窓は膝ぐらいの高さに開けられていて、座って話し込むのに丁度いい高さだった。わたしたちは二人、一枚の毛布にくるまりながら星を眺めていた。手元にはかがみが入れてくれた暖かいココア。ふーふーと冷ましながら、二人でちびちびと飲んでいた。水色の地に猫の絵が描かれた可愛いコップ。『あんた用にしとくね』って、かがみは云ってくれたんだ。
わたしはあまり星のことは知らなかったけれど、かがみは随分と詳しいようだった。やっぱり七夕生まれだから、つかさと同じようにかがみも夜空を見上げてきたのかなって思う。去年の夏休み、キャンプで遭難しかけたときのことをわたしは思い出していた。
そうして死兆星の話でまた笑い合った後、ふと思い出したように、かがみはお盆には一緒に帰省したいってわたしに云った。
「――ありがとう」
「ん。それにほら、ゆみちゃんにもまた来るって云っちゃったしね」
「あー、かがみに懐いてたねー。お姉ちゃんが欲しい年頃なのかな?」
「そうかも。すぐる君、あんまり女心はわからなそうな子だったもんなぁ」
「そだねー。っていうかすぐる君って云えばほら、結局わたしが云ったこと正しかったじゃん!」
「なんのことよ?」
「かがみはわたしの嫁って奴!」
ぴこんと人差し指を立てて、わたしは云う。子供を傷つけないような体のいい断り文句がわからなくて苦し紛れに云った言葉だったけれど、気がついたら本当になっていた。そんな偶然が面白くて、わたしは足をぱたぱたさせながらかがみに抱きついた。
「――あー! あったあった。あははっ、でもちょっとだけ違うだろ?」
「なにがさ?」
「私があんたの嫁じゃなくて、あんたが私の嫁なのよ」
「……えぇー?」
厭そうに顔をしかめたわたしの肩を、けれどかがみは笑いながらぎゅって抱き寄せた。手の中のココアはあらかた飲み終わっていたけれど、それでもひっくり返さないようにって、わたしは慌ててコップを抱え込む。
そんな風に乱暴に抱き寄せられたのは初めてで、わたしの心臓が信じられないほどドキドキと音を立てだした。このままこの小さな胸を飛びだしていって、春の星座になってしまうじゃないかと思うくらい。くにゃりと力が入らない身体をかがみにもたせかけながら、こんなかがみになら本当に全部頼ってしまってもいいのかもしれないって、わたしは思っていた。
――だけど。
「お母さんは……」
「ん?」
「お母さんは、祝福してくれるかな? わたしたちのこと……」
わたしがそう云うと、かがみの目がすっと細くなる。怒ってるわけじゃない、さげすんでるわけでもない。暖かいけど、優しいけど、でもどこか怖い顔。あのクリスマスの朝わたしが目覚めたとき、かがみはこんな表情をしていた。
「してくれるわよ、絶対。かなたさんの人となりは知らないけど、あのそうじろうさんが好きになった人だもの」
「――でも、じゃあおじいちゃんは? お父さんとお母さんは笑ってくれるかもしんない、伯父さんと伯母さんはわかってくれるかもしんない。でもおじいちゃんは絶対許してくれないよね。二十年前に駆け落ちした息子のことを未だに許してない人だよ。変な身分制度みたいなのに拘って、そこから外れちゃいけないなんて思ってる人だよ。女は家で家事やってろなんて、自然に思ってる保守的な人だよ。女同士、男同士のことなんて、多分――話にもなんない」
止まらない。
わたしの口が止まらない。心の中でわき上がってきた思いが、言葉になってこぼれ落ちていく。
怖い。
だって、わたしは怖いんだ。
――あの人は、きっとわたしたちのことを嗤うだろう。
背中を丸めて、お酒を飲みながら、煙草臭い息を吐き出して、ぴしゃんと音を立てて自分の腿を叩き、そうしてわたしたちのことを断定する。
そんなのは気の迷いだって。
そんなのは全部男と女の紛い物。種の遺伝子で決められた本当の恋じゃないって“あの人たち”は云うだろう。恋も愛もセックスも男女間のものだけが本物で、そうじゃないものはただの真似事だって“あの人たち”は云うだろう。ネットでもリアルでもそういう人たちは沢山見てきたから、だからわたしにもなんとなくわかるんだ。自分が異性を好きになるのと全く同じように同性を好きになる。そんな人間がいることを想像しようとしない“あの人たち”は、だから最後にこう云うんだ。
――おまえはただの変態だって。
わたしがかがみに対して抱くこの気持ちのことを、きっとそうやって呼ぶ。
「……怖いの、こなた?」
「怖い、怖いよ。かがみは怖くないの?」
さっきまでかがみに抱きしめられて死ぬほど幸せだったのに。今はもう、毛布の合わせ目から吹きこんできたすきま風に凍えそうになっている。慌てて毛布を身体にまきつけてみたけれど、そうするとかがみに掛かってるところを引っ張ってしまうって気がついた。だからわたしはかがみの足の間に入って、全身で密着する。でもなんだか座りが悪くて疲れそうな体勢だったから、もぞもぞと身体を動かして横向きになって、かがみの胸に耳を押しつけた。
とくとくと、かがみの心臓が音を立てて動いている。
自分以外の心臓の音なんて、あんまり聞いたことがないけれど、その音を聞いていると不思議なほど気持ちが落ち着いた。少しだけ、桟の溝に乗ったお尻が痛かった。
「それは、私だって怖いわよ……でも、そういうことから逃げ出して後ろ向きのまま日陰で生きていく方が、もっと怖いの」
「強いんだ、かがみ……」
わたしがそう云うと、かがみはおかしそうに笑った。
「全然っ。全然そんなことないって。色んな先のことも考えて、他にそうするしか方法がないからそうするだけよ。例えばあんたはさ、女の子とつき合うなんて間違ってるからこれから男の子を好きになりなさいって云われて、好きになれるの?」
「……なれない、と思う」
「じゃ、向き合うしかないじゃない。それとも一生誰にもばれないように、こそこそと二人で隠れながら生きてく? そっちの方が多分辛いと思うわよ」
「――でも!」
――でも、かがみはわたしじゃなくてもいいはずじゃん。
アセクでレズビアンなんていうわたしを受け入れられる人は、多分この世でかがみ一人だけだけど、普通のバイであるかがみは、別にわたしじゃなくていい。
そう云おうとした言葉は、けれどわたしの口から出てくることはなかった。
一つには、かがみがもの凄い顔で睨んだから。
なんでなんだろう、かがみはわたしが云おうとしたことがわかっていたのかもしれない。その顔は、“それを云ったらはっ倒す”って書いてあるみたいにわたしには思えた。
――そうしてもう一つ。
そのときカラカラって音がして、右隣にある部屋の窓が開きだしたから。
この部屋は角部屋で、左側は何かの事務所、下には広めの庭が広がっていてその向こうは人通りのなさそうな小道。だから、こんな風にベランダ口でいちゃいちゃしていても大丈夫かなって思っていた。でも、やっぱりその右隣の部屋の人には迷惑だったかもしれない。九時過ぎに部屋のドアが開く音がして、かがみが「ヴォリューム落とせ」って云ってたから、誰かがいるってことはわかってたはずなのに。うるさいって文句を云われるのかと思って、わたしは身構えた。
――っていうか、そんなことより。
この状況、やばいんじゃないだろうか。
窓際。一枚の毛布。ぴったりと寄せ合った身体。上目遣いでかがみを見上げるわたし。その背中に優しく回されたかがみの両手。そんな二人の女の子。
どうとりつくろおうか迷って固まっているうちに、その人はゆっくりと桟を跨ぎ、ベランダに足を踏み出して――。
そうして思い切り目があった。
女の子。多分私たちと同年代くらい。眉の上くらいでざっくりと切りそろえた前髪、耳を出した長めのショートカット。細いフレームの丸い黒縁眼鏡、ラフな感じのトレーナー、七分丈のレギンス。細身で背も低めで人当たりが良さそうで、ちょっとひよりんを思い出させる。そんな女の子だった。
「――こんばんは」
「……あ、どうも」
かがみに抱きしめられながら間抜けな挨拶をすると、女の子も魂を抜かれたような顔で間抜けな返事を返してくれた。
正面から見ると、結構綺麗な顔立ちをしている。日本人には珍しく頬のあたりにそばかすが散っていて、わたしの中の萌え要素レーダーがピコンピコンと反応するのを感じていた。
その直後、女の子の顔が瞬間的に真っ赤に染まっていった。
抱えていたプラスチックの洗濯籠が手から離れて落っこちて、カランカランと音を立てて転がっていく。
「あ、丹野さん、こんばんはー」
なのにかがみは全然慌てる様子もなく、その丹野さんの方を振り返ると、にこっと晴れやかな笑みを浮かべたのだった。まるで期末試験が全部終わった日の放課後に、どこ遊びに行こうかって声を掛けてくるときみたいにさわやかに。
「こ、ここここここんばんは、柊さん!」
ずざざって音がするくらい飛びずさって、ベランダの隅に背中合わせに張りつく丹野さんだった。
「あ、紹介するわね。あそこの人は丹野はるかさん、隣に住んでるのよね――って、見ればわかるか。なんとっ、同じ慶央の新入生で、学科は違うけど法学部で一緒なのよ」
「……どうも」
「……どうも」
かがみの腕の中とベランダの隅っこで、ぺこりと頭を下げ合った。
っていうか何? 何この状況?
「で、このちっこいのが泉こなたって云って、高校時代からのつき合いの、私の恋――」
「どわーーーーっ!!」
思わずかがみの腕をふりほどくと、その手を掴んだままわたしは慌てて部屋に飛び込んだ。手を引かれて思いっきりバランスを崩したかがみのかかとをもう片方の手のひらで跳ね上げて、空気投げの要領でベッドの上に投げ落とす。かがみの名誉のために云っておくと、割とおっきい音がしたのは別に体重が増えたせいじゃないと思う。
「うわっ、ちょ、なにすんのよ――」
「おやすみなさい!」
ぐちゃぐちゃ云おうとしていたかがみの言葉を遮って、わたしは窓から顔を出して丹野さんに云ったあと、ぴしゃんと窓を閉めてカーテンもきっちり引いたんだ。
そうして静まりかえった部屋の中、聞こえてくるのは荒くなったわたしの息づかい。それとごそごそとかがみが姿勢を戻す衣擦れの音。目の前のかがみは珍しくあぐらなんて組みながら、ぽりぽりと頭を掻いていた。
「――なによ。あんなところ見られたら、もう云い訳なんて無理じゃない……」
「そ、そうだけど、そうだけど! もうちょっと云い方とか空気ってものがあるでしょ! なんで冷静にお互いの紹介なんて始めちゃってんのさ!」
「だって……ちゃんと紹介しないと友達になれないじゃん……」
ふて腐れたみたいにそっぽを向いて、かがみは云った。そんな珍しく子供っぽいかがみがどうしようもなく可愛くて、ついわたしは抱きしめて頭を撫でてあげたくなってしまうんだ。でもそんなことで誤魔化されるわけにはいかないから、わたしはぎゅっと堪えて次の言葉を口にした。
「かがみさ、さっきすっごい無理してたでしょ。わたしがカミングアウト怖がってたから殊更なんでもないように口にしてさ。そんで女同士なんて当たり前で普通のことだって、無理矢理自分にもわたしにも思い込ませようとしてたよね」
だまってわたしの話を聞いていたかがみの横顔が、みるみるうちに朱に染まっていく。そんなところを見ると、やっぱり思い切り図星なんだろう。思わず“はぁ~~”って長いため息がわたしの口から漏れ出ていった。
「かがみぃ~」
「……ごめん」
「ごめんじゃないよ……。学部一緒で隣同士なんて、もう完璧に親友フラグじゃん。なのにあんなんじゃドン引きだよ、このフラグクラッシャーめ……」
「……わ、わるかったわねっ、どうせ私はあんたと違ってそういうの不器用だわよ!」
「いやいやいや、そんなとこでツンデレってる場合じゃないから! ほら、ちゃんとフォローしてきてよ。わたしお風呂見てるからさ」
なんとか怖い顔を作ってそう云うと、かがみはスイッチが入ったみたいに背筋を伸ばして立ち上がる。身体に掛かっていた髪が滝みたいに流れ落ちていって、わたしはそれが凄く綺麗だと思う。
やれやれと思いながら狭いお風呂場でバスタブの蓋を開けようとしたときに、身だしなみを整えたかがみが出がけに声をかけてきた。
「――ありがとう、こなた」
その声はどこまでも優しくてしっかりしてて、わたしが大好きな頼りになるかがみの声だったから。
思わずぼーっとしたまま湯船に手を突っ込んで火傷しそうになったのも、仕方ないことのはずだった。
「お盆に? なんで?」
「なんでっておい、微妙に傷つくなその返事……」
「え、あ、ご、ごめん……」
「いや、いいけどね。ほら、あんた云ってたでしょ、夏に来ると裏の池にアマガエルが沢山いるって」
「うん」
「見てみたいなって思ったのよ」
「……それだけ?」
「……それに、かなたさんに報告したいの。あんたとつき合ってるんだよってね」
そう云って微笑んだかがみを照らす月明かり。
夜の風。
春の気配。
最後の桜が、花びらを夜の流れに散らしている。
ベランダに出るテラス窓は膝ぐらいの高さに開けられていて、座って話し込むのに丁度いい高さだった。わたしたちは二人、一枚の毛布にくるまりながら星を眺めていた。手元にはかがみが入れてくれた暖かいココア。ふーふーと冷ましながら、二人でちびちびと飲んでいた。水色の地に猫の絵が描かれた可愛いコップ。『あんた用にしとくね』って、かがみは云ってくれたんだ。
わたしはあまり星のことは知らなかったけれど、かがみは随分と詳しいようだった。やっぱり七夕生まれだから、つかさと同じようにかがみも夜空を見上げてきたのかなって思う。去年の夏休み、キャンプで遭難しかけたときのことをわたしは思い出していた。
そうして死兆星の話でまた笑い合った後、ふと思い出したように、かがみはお盆には一緒に帰省したいってわたしに云った。
「――ありがとう」
「ん。それにほら、ゆみちゃんにもまた来るって云っちゃったしね」
「あー、かがみに懐いてたねー。お姉ちゃんが欲しい年頃なのかな?」
「そうかも。すぐる君、あんまり女心はわからなそうな子だったもんなぁ」
「そだねー。っていうかすぐる君って云えばほら、結局わたしが云ったこと正しかったじゃん!」
「なんのことよ?」
「かがみはわたしの嫁って奴!」
ぴこんと人差し指を立てて、わたしは云う。子供を傷つけないような体のいい断り文句がわからなくて苦し紛れに云った言葉だったけれど、気がついたら本当になっていた。そんな偶然が面白くて、わたしは足をぱたぱたさせながらかがみに抱きついた。
「――あー! あったあった。あははっ、でもちょっとだけ違うだろ?」
「なにがさ?」
「私があんたの嫁じゃなくて、あんたが私の嫁なのよ」
「……えぇー?」
厭そうに顔をしかめたわたしの肩を、けれどかがみは笑いながらぎゅって抱き寄せた。手の中のココアはあらかた飲み終わっていたけれど、それでもひっくり返さないようにって、わたしは慌ててコップを抱え込む。
そんな風に乱暴に抱き寄せられたのは初めてで、わたしの心臓が信じられないほどドキドキと音を立てだした。このままこの小さな胸を飛びだしていって、春の星座になってしまうじゃないかと思うくらい。くにゃりと力が入らない身体をかがみにもたせかけながら、こんなかがみになら本当に全部頼ってしまってもいいのかもしれないって、わたしは思っていた。
――だけど。
「お母さんは……」
「ん?」
「お母さんは、祝福してくれるかな? わたしたちのこと……」
わたしがそう云うと、かがみの目がすっと細くなる。怒ってるわけじゃない、さげすんでるわけでもない。暖かいけど、優しいけど、でもどこか怖い顔。あのクリスマスの朝わたしが目覚めたとき、かがみはこんな表情をしていた。
「してくれるわよ、絶対。かなたさんの人となりは知らないけど、あのそうじろうさんが好きになった人だもの」
「――でも、じゃあおじいちゃんは? お父さんとお母さんは笑ってくれるかもしんない、伯父さんと伯母さんはわかってくれるかもしんない。でもおじいちゃんは絶対許してくれないよね。二十年前に駆け落ちした息子のことを未だに許してない人だよ。変な身分制度みたいなのに拘って、そこから外れちゃいけないなんて思ってる人だよ。女は家で家事やってろなんて、自然に思ってる保守的な人だよ。女同士、男同士のことなんて、多分――話にもなんない」
止まらない。
わたしの口が止まらない。心の中でわき上がってきた思いが、言葉になってこぼれ落ちていく。
怖い。
だって、わたしは怖いんだ。
――あの人は、きっとわたしたちのことを嗤うだろう。
背中を丸めて、お酒を飲みながら、煙草臭い息を吐き出して、ぴしゃんと音を立てて自分の腿を叩き、そうしてわたしたちのことを断定する。
そんなのは気の迷いだって。
そんなのは全部男と女の紛い物。種の遺伝子で決められた本当の恋じゃないって“あの人たち”は云うだろう。恋も愛もセックスも男女間のものだけが本物で、そうじゃないものはただの真似事だって“あの人たち”は云うだろう。ネットでもリアルでもそういう人たちは沢山見てきたから、だからわたしにもなんとなくわかるんだ。自分が異性を好きになるのと全く同じように同性を好きになる。そんな人間がいることを想像しようとしない“あの人たち”は、だから最後にこう云うんだ。
――おまえはただの変態だって。
わたしがかがみに対して抱くこの気持ちのことを、きっとそうやって呼ぶ。
「……怖いの、こなた?」
「怖い、怖いよ。かがみは怖くないの?」
さっきまでかがみに抱きしめられて死ぬほど幸せだったのに。今はもう、毛布の合わせ目から吹きこんできたすきま風に凍えそうになっている。慌てて毛布を身体にまきつけてみたけれど、そうするとかがみに掛かってるところを引っ張ってしまうって気がついた。だからわたしはかがみの足の間に入って、全身で密着する。でもなんだか座りが悪くて疲れそうな体勢だったから、もぞもぞと身体を動かして横向きになって、かがみの胸に耳を押しつけた。
とくとくと、かがみの心臓が音を立てて動いている。
自分以外の心臓の音なんて、あんまり聞いたことがないけれど、その音を聞いていると不思議なほど気持ちが落ち着いた。少しだけ、桟の溝に乗ったお尻が痛かった。
「それは、私だって怖いわよ……でも、そういうことから逃げ出して後ろ向きのまま日陰で生きていく方が、もっと怖いの」
「強いんだ、かがみ……」
わたしがそう云うと、かがみはおかしそうに笑った。
「全然っ。全然そんなことないって。色んな先のことも考えて、他にそうするしか方法がないからそうするだけよ。例えばあんたはさ、女の子とつき合うなんて間違ってるからこれから男の子を好きになりなさいって云われて、好きになれるの?」
「……なれない、と思う」
「じゃ、向き合うしかないじゃない。それとも一生誰にもばれないように、こそこそと二人で隠れながら生きてく? そっちの方が多分辛いと思うわよ」
「――でも!」
――でも、かがみはわたしじゃなくてもいいはずじゃん。
アセクでレズビアンなんていうわたしを受け入れられる人は、多分この世でかがみ一人だけだけど、普通のバイであるかがみは、別にわたしじゃなくていい。
そう云おうとした言葉は、けれどわたしの口から出てくることはなかった。
一つには、かがみがもの凄い顔で睨んだから。
なんでなんだろう、かがみはわたしが云おうとしたことがわかっていたのかもしれない。その顔は、“それを云ったらはっ倒す”って書いてあるみたいにわたしには思えた。
――そうしてもう一つ。
そのときカラカラって音がして、右隣にある部屋の窓が開きだしたから。
この部屋は角部屋で、左側は何かの事務所、下には広めの庭が広がっていてその向こうは人通りのなさそうな小道。だから、こんな風にベランダ口でいちゃいちゃしていても大丈夫かなって思っていた。でも、やっぱりその右隣の部屋の人には迷惑だったかもしれない。九時過ぎに部屋のドアが開く音がして、かがみが「ヴォリューム落とせ」って云ってたから、誰かがいるってことはわかってたはずなのに。うるさいって文句を云われるのかと思って、わたしは身構えた。
――っていうか、そんなことより。
この状況、やばいんじゃないだろうか。
窓際。一枚の毛布。ぴったりと寄せ合った身体。上目遣いでかがみを見上げるわたし。その背中に優しく回されたかがみの両手。そんな二人の女の子。
どうとりつくろおうか迷って固まっているうちに、その人はゆっくりと桟を跨ぎ、ベランダに足を踏み出して――。
そうして思い切り目があった。
女の子。多分私たちと同年代くらい。眉の上くらいでざっくりと切りそろえた前髪、耳を出した長めのショートカット。細いフレームの丸い黒縁眼鏡、ラフな感じのトレーナー、七分丈のレギンス。細身で背も低めで人当たりが良さそうで、ちょっとひよりんを思い出させる。そんな女の子だった。
「――こんばんは」
「……あ、どうも」
かがみに抱きしめられながら間抜けな挨拶をすると、女の子も魂を抜かれたような顔で間抜けな返事を返してくれた。
正面から見ると、結構綺麗な顔立ちをしている。日本人には珍しく頬のあたりにそばかすが散っていて、わたしの中の萌え要素レーダーがピコンピコンと反応するのを感じていた。
その直後、女の子の顔が瞬間的に真っ赤に染まっていった。
抱えていたプラスチックの洗濯籠が手から離れて落っこちて、カランカランと音を立てて転がっていく。
「あ、丹野さん、こんばんはー」
なのにかがみは全然慌てる様子もなく、その丹野さんの方を振り返ると、にこっと晴れやかな笑みを浮かべたのだった。まるで期末試験が全部終わった日の放課後に、どこ遊びに行こうかって声を掛けてくるときみたいにさわやかに。
「こ、ここここここんばんは、柊さん!」
ずざざって音がするくらい飛びずさって、ベランダの隅に背中合わせに張りつく丹野さんだった。
「あ、紹介するわね。あそこの人は丹野はるかさん、隣に住んでるのよね――って、見ればわかるか。なんとっ、同じ慶央の新入生で、学科は違うけど法学部で一緒なのよ」
「……どうも」
「……どうも」
かがみの腕の中とベランダの隅っこで、ぺこりと頭を下げ合った。
っていうか何? 何この状況?
「で、このちっこいのが泉こなたって云って、高校時代からのつき合いの、私の恋――」
「どわーーーーっ!!」
思わずかがみの腕をふりほどくと、その手を掴んだままわたしは慌てて部屋に飛び込んだ。手を引かれて思いっきりバランスを崩したかがみのかかとをもう片方の手のひらで跳ね上げて、空気投げの要領でベッドの上に投げ落とす。かがみの名誉のために云っておくと、割とおっきい音がしたのは別に体重が増えたせいじゃないと思う。
「うわっ、ちょ、なにすんのよ――」
「おやすみなさい!」
ぐちゃぐちゃ云おうとしていたかがみの言葉を遮って、わたしは窓から顔を出して丹野さんに云ったあと、ぴしゃんと窓を閉めてカーテンもきっちり引いたんだ。
そうして静まりかえった部屋の中、聞こえてくるのは荒くなったわたしの息づかい。それとごそごそとかがみが姿勢を戻す衣擦れの音。目の前のかがみは珍しくあぐらなんて組みながら、ぽりぽりと頭を掻いていた。
「――なによ。あんなところ見られたら、もう云い訳なんて無理じゃない……」
「そ、そうだけど、そうだけど! もうちょっと云い方とか空気ってものがあるでしょ! なんで冷静にお互いの紹介なんて始めちゃってんのさ!」
「だって……ちゃんと紹介しないと友達になれないじゃん……」
ふて腐れたみたいにそっぽを向いて、かがみは云った。そんな珍しく子供っぽいかがみがどうしようもなく可愛くて、ついわたしは抱きしめて頭を撫でてあげたくなってしまうんだ。でもそんなことで誤魔化されるわけにはいかないから、わたしはぎゅっと堪えて次の言葉を口にした。
「かがみさ、さっきすっごい無理してたでしょ。わたしがカミングアウト怖がってたから殊更なんでもないように口にしてさ。そんで女同士なんて当たり前で普通のことだって、無理矢理自分にもわたしにも思い込ませようとしてたよね」
だまってわたしの話を聞いていたかがみの横顔が、みるみるうちに朱に染まっていく。そんなところを見ると、やっぱり思い切り図星なんだろう。思わず“はぁ~~”って長いため息がわたしの口から漏れ出ていった。
「かがみぃ~」
「……ごめん」
「ごめんじゃないよ……。学部一緒で隣同士なんて、もう完璧に親友フラグじゃん。なのにあんなんじゃドン引きだよ、このフラグクラッシャーめ……」
「……わ、わるかったわねっ、どうせ私はあんたと違ってそういうの不器用だわよ!」
「いやいやいや、そんなとこでツンデレってる場合じゃないから! ほら、ちゃんとフォローしてきてよ。わたしお風呂見てるからさ」
なんとか怖い顔を作ってそう云うと、かがみはスイッチが入ったみたいに背筋を伸ばして立ち上がる。身体に掛かっていた髪が滝みたいに流れ落ちていって、わたしはそれが凄く綺麗だと思う。
やれやれと思いながら狭いお風呂場でバスタブの蓋を開けようとしたときに、身だしなみを整えたかがみが出がけに声をかけてきた。
「――ありがとう、こなた」
その声はどこまでも優しくてしっかりしてて、わたしが大好きな頼りになるかがみの声だったから。
思わずぼーっとしたまま湯船に手を突っ込んで火傷しそうになったのも、仕方ないことのはずだった。
*
「――やっぱり狭い」
「わがまま云うなよ。洗い場があるだけ結構贅沢なんだぞ」
「そりゃ、わたしとかがみだからいいけどさ。泊まりにきたのがみゆきだったらどうすんの? 絶対一緒に入れないよ」
「いやいや、おかしいだろそれ。みゆきだったら一緒にお風呂入ったりしないわよ」
「――あ。そりゃそうか」
クックッって笑いながらお湯を被ると、お湯のカーテンの向こうでかがみが苦笑してるのが見えた。
「っていうかさ、洗い場がなかったらどこで身体洗うの?」
「そりゃ、バスタブの中でに決まってるじゃない。洋画とかで見たことないの?」
「あー、聞いたことあるけど、そういうの日本じゃやらないんだと思ってたよー」
「それがそうでもないんだって。新しめで学生向けの部屋なんか、ほとんどその三点ユニットバスなのよ」
「へー。……三点って?」
「バスタブと洗面台とトイレ」
「――え。お風呂場にトイレがあるの? なんかそれやだー」
「ふふ、この部屋のありがたさがわかったか」
そう云って、かがみは湯船のお湯を両手の隙間からぴゅーって打ち出して、わたしの顔に掛けたんだ。その飛ばし方は妙に綺麗で上手くって、きっと散々つかさと遊んできたんだなって、髪をわしゃわしゃ洗いながらわたしは思う。
かがみの視線が、ちらちらとわたしの裸に向いていることには気づいている。平気そうな顔をしてるけど、かがみのほっぺが赤いのは何もお湯の温かさのせいだけじゃないと思う。こんな子供みたいな身体を見て何が面白いのかはやっぱりわからないけれど、それでかがみが喜んでくれるなら、いくらでも眺めていて欲しかった。
――それとも、隠した方がいいのかな。
よくわからないけれど、性欲を我慢するのって大変なことらしい。少なくともわたしがやってきたエロゲやギャルゲや少年漫画ではそうだった。みんな乳とか尻とか太ももを見ては爆発寸前って感じで鼻血を吹き出して、頼むから隠してくれって必死になって訴えていた。
でも、少女漫画だとそんなこともないように思う。なんかのイベントで男の子の裸を見たりしちゃっても、どきっとしたり頬を染めたりするだけで、少年漫画みたいに“もう辛抱たまらん”って感じじゃなかった。小コミなんかを見てても普通にエッチな気分にはなるみたいだけど、それはやっぱり男の子のソレとはなんだか違うような気がする。
「――どうしたのよこなた」
「え?」
「ぼーっとしちゃって。さっきからずっと同じ所洗ってないか?」
――ああ、考え込んじゃってたんだ。
考えていたことが考えていたことだけにちょっとだけ恥ずかしくて、わたしはもごもごとごまかしながら身体を洗うのを再開する。
でもまあいいやってわたしは思う。かがみは自分から一緒にお風呂入ろうって云ってきたんだし、何か問題があったら見せるなとかなんとか云ってくれるだろう。だからまあいいや。変な気を回しすぎない方がきっといい。お互いにそんなことをしてたら余計にぎくしゃくしそうだってわたしには思えた。
そんなわたしの様子が変だったのだろうか、かがみが笑いながらぴゅーぴゅーと顔にお湯を飛ばしてきた。
思わずわたしが風呂桶のお湯で反撃すると、しばらくの間、お風呂場は戦場になった。
「わがまま云うなよ。洗い場があるだけ結構贅沢なんだぞ」
「そりゃ、わたしとかがみだからいいけどさ。泊まりにきたのがみゆきだったらどうすんの? 絶対一緒に入れないよ」
「いやいや、おかしいだろそれ。みゆきだったら一緒にお風呂入ったりしないわよ」
「――あ。そりゃそうか」
クックッって笑いながらお湯を被ると、お湯のカーテンの向こうでかがみが苦笑してるのが見えた。
「っていうかさ、洗い場がなかったらどこで身体洗うの?」
「そりゃ、バスタブの中でに決まってるじゃない。洋画とかで見たことないの?」
「あー、聞いたことあるけど、そういうの日本じゃやらないんだと思ってたよー」
「それがそうでもないんだって。新しめで学生向けの部屋なんか、ほとんどその三点ユニットバスなのよ」
「へー。……三点って?」
「バスタブと洗面台とトイレ」
「――え。お風呂場にトイレがあるの? なんかそれやだー」
「ふふ、この部屋のありがたさがわかったか」
そう云って、かがみは湯船のお湯を両手の隙間からぴゅーって打ち出して、わたしの顔に掛けたんだ。その飛ばし方は妙に綺麗で上手くって、きっと散々つかさと遊んできたんだなって、髪をわしゃわしゃ洗いながらわたしは思う。
かがみの視線が、ちらちらとわたしの裸に向いていることには気づいている。平気そうな顔をしてるけど、かがみのほっぺが赤いのは何もお湯の温かさのせいだけじゃないと思う。こんな子供みたいな身体を見て何が面白いのかはやっぱりわからないけれど、それでかがみが喜んでくれるなら、いくらでも眺めていて欲しかった。
――それとも、隠した方がいいのかな。
よくわからないけれど、性欲を我慢するのって大変なことらしい。少なくともわたしがやってきたエロゲやギャルゲや少年漫画ではそうだった。みんな乳とか尻とか太ももを見ては爆発寸前って感じで鼻血を吹き出して、頼むから隠してくれって必死になって訴えていた。
でも、少女漫画だとそんなこともないように思う。なんかのイベントで男の子の裸を見たりしちゃっても、どきっとしたり頬を染めたりするだけで、少年漫画みたいに“もう辛抱たまらん”って感じじゃなかった。小コミなんかを見てても普通にエッチな気分にはなるみたいだけど、それはやっぱり男の子のソレとはなんだか違うような気がする。
「――どうしたのよこなた」
「え?」
「ぼーっとしちゃって。さっきからずっと同じ所洗ってないか?」
――ああ、考え込んじゃってたんだ。
考えていたことが考えていたことだけにちょっとだけ恥ずかしくて、わたしはもごもごとごまかしながら身体を洗うのを再開する。
でもまあいいやってわたしは思う。かがみは自分から一緒にお風呂入ろうって云ってきたんだし、何か問題があったら見せるなとかなんとか云ってくれるだろう。だからまあいいや。変な気を回しすぎない方がきっといい。お互いにそんなことをしてたら余計にぎくしゃくしそうだってわたしには思えた。
そんなわたしの様子が変だったのだろうか、かがみが笑いながらぴゅーぴゅーと顔にお湯を飛ばしてきた。
思わずわたしが風呂桶のお湯で反撃すると、しばらくの間、お風呂場は戦場になった。
「――んで、丹野さんはどうだったのさ」
「んー。納得はしてくれたけど、やっぱりちょっと引いてたわね。本当、ちゃんとフォローしておいてよかったわ」
「そりゃそうだよ。自分は相手に性的関心がないのに、相手は自分に性的関心があるんだよ? そんなのどうしていいかわかんないよねー」
「……なにそれ……死ぬほど突っ込みづらいんですけど……」
「むふふ、困れ困れ」
そう云って、わたしはかがみのほっぺにほっぺをすり寄せた。最初のうちは困ったような顔をしていたかがみだったけれど、そのうちにまた笑顔になってこつこつとわたしの頭に頭をぶつけ出す。
かがみの足の間に、すっぽりとわたしの身体が入っている。
そんなわたしを、かがみは後ろから抱きしめてくれている。
云うまでもなくこんな格好になっているのは、二人で向き合って入るには湯船が狭すぎるからに他ならない。
「――お父さんにもちゃんと云わないとね。わたしたちがつき合ってるってこと……」
そんな無邪気なじゃれ合いの間、ふと沈黙が訪れたときにわたしは云った。
それを知ったらどう思うだろう。わたしには全然わからない。お父さんはわたしがアセクだってことは勿論知っているけれど、レズビアンだってことまではわかってないはずだった。驚くだろうか。喜ぶだろうか。かがみのことを、受け入れてくれるだろうか。
そんな風に悶々と考えていたわたしだったけれど、続くかがみの返事はまるで予想外のものだった。
「ああ、そうじろうさんには、もう云ってあるわよ?」
「――へ?」
かがみが何を云っているのかわからなくて、一瞬わたしは固まった。そんなわたしに悪戯っぽく笑いかけながら、かがみは続けてこう云った。
「そうじろうさんには、もう云ってあるわよ?」
「……いやいやいや、今の“へ?”は“もう一度言い直せ”じゃなくて、“何云ってんのこの人”って意味だから」
「私とあんたがつき合ってるってことでしょ? それなら卒業式の次の日にもう云ってるんだけど……おじさんは何も云わなかったの?」
「えぇ~~!!」
思わず湯船の中で飛び上がってしまって、ざーって溢れたお湯が排水溝に消えていく。もったいないことしちゃったなって、自分でも思う。これじゃわたしもかがみのことを馬鹿にできない。
――でも、そのくらいわたしは吃驚したんだ。
「うそぉ、だ、だって、えー!? お父さん何も云ってなかったよ?」
「……なるほどね、そういうことか。本当、食えない人だなぁ」
わたしを抱きしめるその腕にぐっと力がこもって、そうして気がつけばかがみはまたあの表情をしている。優しいけど怖い、あの表情。なぜだかわたしは、かがみにこの表情をして欲しくないって思っている。
「どういうこと……?」
「んー、どうっていうか、なんだろ。説明するの難しいんだけど」
「……うん」
「多分私は、おじさんにあんまり信用されてないのよ」
「……え?」
「いや、信用ていうのも違うわね。期待されてないっていうことかな? うーん……端的に云うと、いつか私があんたのことを投げ出すかもしれないって、多分あの人は思ってる。それでも仕方がないだろうって期待しないようにしてるって感じかな?」
「……あんまり喜んでくれてないってこと?……だから、わたしに何も云わなかったって?」
そんなわたしの不安な気持ちが声音に出ていたんだろう。かがみは励ますようにわたしの頭をぽんぽん叩くと、にっこりと笑いかけてくれたんだ。
「ううん、そんなことない。あんたが今幸せだっていうことは誰よりも喜んでくれてるし、きっと応援だってしてくれるわよ」
「……よくわかんない」
「……そうね、ごめん。とにかくできるだけやってみろって発破かけられてるのは確かよ――ったく、いつか目に物見せてやるわっ」
かがみが云ったこと、正直わたしにはよくわからなかった。
よくわからないけれど、なんでだろう。お父さんの信用とか期待とかの話をするかがみは、随分大人の顔をしているような気がした。
家ではフリチンだったりするし、知らない学校の運動会を盗撮しにいくし、べたべたとひっついてきてはわたしに追い払われて凹んだりもする、そんなどうしようもないお父さん。
ツンデレで照れ屋で不器用で、三年間ずっと一緒に笑ったり怒ったり泣いたりしてきて、そうしてわたしのことを好きになってくれたかがみ。
その二人が、わたしがよくわからない領域でわかり合っていて、お互いにだけ、わたしには見せない大人の顔を見せている。
そのことに、わたしはなんだか不思議な気持ちになっていた。
「――ほら、もう出ましょ。いい加減のぼせちゃうわよ」
背中の暖かい感触が遠のくと同時に、ざーってお湯が身体から零れる音がする。
「あ、うん」
一緒に立ち上がると邪魔だから、かがみが出てから私も出よう。そう思って何気なく振り向くと、わたしの視界の中、かがみの淡い茂みがドアップで映し出されていた。丁度わたしが振り向く動作とかがみの動きが一致してしまったらしい。バスタブを出ようとまたいだかがみの股間が、わたしの顔面へ向けて猛スピードで迫ってくる。
「ふぉぉぉぉーっ!!」
全身の反射神経を総動員させて、首をそこから引き戻す。すんでのところでかがみのソノ場所に顔を埋めることは回避できたけれど、勢いがついた身体は止まらず、わたしはユニットバスの壁で後頭部をしこたま打ってしまうのだった。
「ちょっ、な、なななにしようとしたのよこなた!」
顔を真っ赤にして股間を隠すかがみを見ていると、なんだか女の子の裸を見て鼻血を出す男の子の気持ちがわかった気がした。お湯よりも熱くなってるんじゃないかと思うくらい全身を火照らせたまま、わたしは眼だけを残してお湯の中に沈み込み、ぶくぶくとあぶくを吐き出した。そんなことをしても赤い顔は隠せないって、わかってはいたけれど。
――後頭部は、凄く痛かった。
「んー。納得はしてくれたけど、やっぱりちょっと引いてたわね。本当、ちゃんとフォローしておいてよかったわ」
「そりゃそうだよ。自分は相手に性的関心がないのに、相手は自分に性的関心があるんだよ? そんなのどうしていいかわかんないよねー」
「……なにそれ……死ぬほど突っ込みづらいんですけど……」
「むふふ、困れ困れ」
そう云って、わたしはかがみのほっぺにほっぺをすり寄せた。最初のうちは困ったような顔をしていたかがみだったけれど、そのうちにまた笑顔になってこつこつとわたしの頭に頭をぶつけ出す。
かがみの足の間に、すっぽりとわたしの身体が入っている。
そんなわたしを、かがみは後ろから抱きしめてくれている。
云うまでもなくこんな格好になっているのは、二人で向き合って入るには湯船が狭すぎるからに他ならない。
「――お父さんにもちゃんと云わないとね。わたしたちがつき合ってるってこと……」
そんな無邪気なじゃれ合いの間、ふと沈黙が訪れたときにわたしは云った。
それを知ったらどう思うだろう。わたしには全然わからない。お父さんはわたしがアセクだってことは勿論知っているけれど、レズビアンだってことまではわかってないはずだった。驚くだろうか。喜ぶだろうか。かがみのことを、受け入れてくれるだろうか。
そんな風に悶々と考えていたわたしだったけれど、続くかがみの返事はまるで予想外のものだった。
「ああ、そうじろうさんには、もう云ってあるわよ?」
「――へ?」
かがみが何を云っているのかわからなくて、一瞬わたしは固まった。そんなわたしに悪戯っぽく笑いかけながら、かがみは続けてこう云った。
「そうじろうさんには、もう云ってあるわよ?」
「……いやいやいや、今の“へ?”は“もう一度言い直せ”じゃなくて、“何云ってんのこの人”って意味だから」
「私とあんたがつき合ってるってことでしょ? それなら卒業式の次の日にもう云ってるんだけど……おじさんは何も云わなかったの?」
「えぇ~~!!」
思わず湯船の中で飛び上がってしまって、ざーって溢れたお湯が排水溝に消えていく。もったいないことしちゃったなって、自分でも思う。これじゃわたしもかがみのことを馬鹿にできない。
――でも、そのくらいわたしは吃驚したんだ。
「うそぉ、だ、だって、えー!? お父さん何も云ってなかったよ?」
「……なるほどね、そういうことか。本当、食えない人だなぁ」
わたしを抱きしめるその腕にぐっと力がこもって、そうして気がつけばかがみはまたあの表情をしている。優しいけど怖い、あの表情。なぜだかわたしは、かがみにこの表情をして欲しくないって思っている。
「どういうこと……?」
「んー、どうっていうか、なんだろ。説明するの難しいんだけど」
「……うん」
「多分私は、おじさんにあんまり信用されてないのよ」
「……え?」
「いや、信用ていうのも違うわね。期待されてないっていうことかな? うーん……端的に云うと、いつか私があんたのことを投げ出すかもしれないって、多分あの人は思ってる。それでも仕方がないだろうって期待しないようにしてるって感じかな?」
「……あんまり喜んでくれてないってこと?……だから、わたしに何も云わなかったって?」
そんなわたしの不安な気持ちが声音に出ていたんだろう。かがみは励ますようにわたしの頭をぽんぽん叩くと、にっこりと笑いかけてくれたんだ。
「ううん、そんなことない。あんたが今幸せだっていうことは誰よりも喜んでくれてるし、きっと応援だってしてくれるわよ」
「……よくわかんない」
「……そうね、ごめん。とにかくできるだけやってみろって発破かけられてるのは確かよ――ったく、いつか目に物見せてやるわっ」
かがみが云ったこと、正直わたしにはよくわからなかった。
よくわからないけれど、なんでだろう。お父さんの信用とか期待とかの話をするかがみは、随分大人の顔をしているような気がした。
家ではフリチンだったりするし、知らない学校の運動会を盗撮しにいくし、べたべたとひっついてきてはわたしに追い払われて凹んだりもする、そんなどうしようもないお父さん。
ツンデレで照れ屋で不器用で、三年間ずっと一緒に笑ったり怒ったり泣いたりしてきて、そうしてわたしのことを好きになってくれたかがみ。
その二人が、わたしがよくわからない領域でわかり合っていて、お互いにだけ、わたしには見せない大人の顔を見せている。
そのことに、わたしはなんだか不思議な気持ちになっていた。
「――ほら、もう出ましょ。いい加減のぼせちゃうわよ」
背中の暖かい感触が遠のくと同時に、ざーってお湯が身体から零れる音がする。
「あ、うん」
一緒に立ち上がると邪魔だから、かがみが出てから私も出よう。そう思って何気なく振り向くと、わたしの視界の中、かがみの淡い茂みがドアップで映し出されていた。丁度わたしが振り向く動作とかがみの動きが一致してしまったらしい。バスタブを出ようとまたいだかがみの股間が、わたしの顔面へ向けて猛スピードで迫ってくる。
「ふぉぉぉぉーっ!!」
全身の反射神経を総動員させて、首をそこから引き戻す。すんでのところでかがみのソノ場所に顔を埋めることは回避できたけれど、勢いがついた身体は止まらず、わたしはユニットバスの壁で後頭部をしこたま打ってしまうのだった。
「ちょっ、な、なななにしようとしたのよこなた!」
顔を真っ赤にして股間を隠すかがみを見ていると、なんだか女の子の裸を見て鼻血を出す男の子の気持ちがわかった気がした。お湯よりも熱くなってるんじゃないかと思うくらい全身を火照らせたまま、わたしは眼だけを残してお湯の中に沈み込み、ぶくぶくとあぶくを吐き出した。そんなことをしても赤い顔は隠せないって、わかってはいたけれど。
――後頭部は、凄く痛かった。
*
「――気持ちいい」
「そ。でもそのまま寝ちゃ駄目よ。歯も磨かないといけないしね」
「わーかってるよ、もぉ。かがみって時々お母さんみたいなこと云うよね」
「それは……。恋人としては喜んでいいのか怒っていいのかわからんな……」
「笑えば、いいと思うよ」
「なんでそこでエヴァネタか。っていうかエヴァの劇場版って、続編はまだなの?」
「お、気になる気になる?」
「……それじゃ気にならない」
「それじゃってなにさ、このツンデレめっ」
そう云って笑うと、かがみも嬉しそうに笑った。
なんとなく点けたままのテレビの中でも、よくわからないタレントが楽しそうに笑っていた。
――やっぱり、ちょっと長湯がすぎたみたい。
力が入らなくなった身体を持て余し、わたしはかがみの前でぺたんと床に座っている。水分補給にと出してもらった麦茶をそっと口に含むと、猫のコップの中で、氷がカランと音を立てて鳴る。
さっきは肌寒く感じた夜風が、火照った身体には気持ちいい。
でも気を抜くと風邪を引いてしまうのが春と秋の怖いところだからって、すぐに髪の毛を乾かしておこうってことになったんだ。
誰かにドライヤーを当ててもらうことは、初めての経験だった。
さわさわと頭皮を優しく撫でるかがみの手。時々頬にあたるドライヤーの熱気。穏やかなかがみの息づかい。
さっきは寝たりしないよって云ったけれど、なんだか今にも目蓋が落ちそうになってくる。
好きな人が自分の髪をいじってくれることが、こんなに幸せで安心できることだって、そのときわたしは初めて知ったんだ。まるで髪の毛にも触覚があるんじゃないかなんて、変なことをわたしは考えた。
「――っていうかさ」
このまま黙っていると本当に眠ってしまいそうで、わたしは億劫な口を無理矢理開いてかがみに問いかける。
「んー?」
「もしかしてさ、かがみん家の方にも云ってあるの?」
「あ、私の家族にあんたとのことを云ってあるかってこと?」
「うん」
「――そりゃね」
こともなげに答えたかがみに、がっくりと首から力が抜けていく。丁度かがみが髪の毛を抑えていたから、頭皮が引っ張られてちょっとだけ痛かった。
「なーんーでー。なんでわたしのことなのに、わたしだけ蚊帳の外なのさー?」
正直気持ちはわかる気がするけれど、なんだか一人前扱いされてないみたいで少しだけ癪だった。
「だってほら、こっちのことはこっちの話だし……。それとも何、あんたも同席したかった? “娘さんを私に下さい!”とか、云ってくれるつもりだったの?」
「う……い、云わないけどさ……」
「なんだ、残念」
そう云って笑ったかがみは少しだけ意地悪だってわたしは思う。
「……大丈夫、だったの?」
「…………うん」
それっきり、沈黙。
――大丈夫のはずがない。
何もなかったはずがない。
大事に育ててきた娘が、いきなり自分は同性が好きだなんて云ってきたんだから、みきおばさんにしてみたらたまらないだろう。ヘテロとかバイとかビアンとか、そんな言葉自体、普通の人はあんまりよく知らない。変態、趣味、アブノーマル。同性愛指向なんて、普通の人にとってはきっとそんな位置づけだ。性同一性障害との違いすらよくわかってないかもしれない。わたしだって、かがみとのことがあるまでそっちのことはあんまり考えてこなかった。
責任感が強くて、正義感もあって、頭も良くって行動力もある。弁護士になって活躍して、結婚したら子供も産んで、その子供もきっと優秀な子に育ってやがて社会に巣立っていく。
そんな親として当たり前の幸せを、おばさんたちもかがみに見ていたはずだった。
――なのに、わたしのせいで。
そう思うと、眼の縁から自然と涙が盛り上がってくる。
「ばか……なんて顔してんのよ」
「……ごめんね」
「謝るなよ馬鹿、殴られたいのか」
「……うん」
――ゴツン。
「ふみゃっ!」
しょんぼりした気持ちでそう云ったら、本当に思いきり殴られた。正直、云ってるだけで本当に殴ったりはしないだろうと思ってたのに。今まで見たことがない、かがみの新しい反応だってわたしは思った。
「お、おおおお……ぶ、ぶったなー……黒井先生にしか殴られたことないのにー!」
「……反省した?」
拳を振り上げてにっこりと笑うかがみはなんだか普通に怖くって、思わずわたしはうんうんと何度もうなずいてしまうんだ。
「……本当に、そんなに修羅場ってわけじゃなかったのよ……」
けれどかがみは、ふ、と視線を逸らすとわたしの肩に頭を乗せてきた。握っていたドライヤーを離すと、わたしの腰のあたりにそっと手を回して抱きついてくる。そんなすがりつくような抱きしめ方をしてくるから、わたしはかがみがさっき云った言葉を信じることができない。
「つかさがいてくれたし、一番理解してくれそうなお父さんから攻めたから、随分楽だった。心配だったまつりお姉ちゃんも、ちゃんとよくわかってくれてた。やっぱり大学生になるとちょっと違うよね。友達にそういう人もいるみたい」
「……おばさんは? 多分、おばさんが一番難しいよね」
「……うん。でも、きっとわかってくれるって思ってる」
――じゃあ、今はわかってくれてないんじゃん。
そう云いたくなったけど、ぐっとその言葉を飲み込んだ。一番傷ついてるのがかがみだってことはわかっているし、過ぎたことを責めたって仕方がない。
――だけど。
「……せめて、わたしには最初に云って欲しかったな」
「うん……ごめんね」
かがみがわたしを護ろうとしてくれたのはわかってる。それでもわたしは、かがみが戦っているなら一緒に戦っていたかった。わたしがごろごろネトゲなんかしてる間、かがみが辛い目に合ってたのかもしれないって思ったら、それはやっぱり、凄く悔しい。
「――あ」
「……え? なぁにこなた?」
そんなことを考えているうちに、ふと思い出したことがある。
今日みんなでかがみの家に行くってことになって、わたしとつかさは家から出るから、どこで待ち合わせしようかって話になったんだ。
駅でもいいし、お互いの家でもいいよねって話してて、わたしは半ば冗談で、『つかさはまたねぼすけするだろうから、わたしがつかさん家行こうか』って云ったんだ。
けれど、つかさは急にムキになった。
『朝早くなければ平気だもん、こなちゃんこそ絶対ゲームやってて遅れるから、わたしがいくよ!』
って、有無を云わさぬ感じで云ったんだ。
わたしはまた、つかさの微笑ましい対抗意識なのかなって思って普通に萌えてたんだけど、あれは多分、わたしを柊家に来させたくなくて云ったことかもしれないって、今になってわたしは思うんだ。
「――ふーん、つかさがねー」
気がつけば、わたしたちは床に寝っ転がって話してる。
青と紫、すっかり乾いたわたしたちの髪が川みたいに広がって、水の中に浮かんでいるみたいにふわふわした気持ちになっていた。
眠かった。とにかく凄く眠かった。
わたしの眼も落ちそうになっていたけれど、かがみも本当に眠そうで、今も水飲み鳥みたいにかくんって首が落ちている。本当に、ちゃんと歯を磨いて髪もまとめてベッドに入らないといけないのに、このままじゃ風邪ひいちゃうかもしれないのに、かがみと折り重なったまま、わたしはどうしても身体を動かすことができなかった。
――と。
ブーブーブーって、ケータイが振動する音がする。それも一つだけじゃなくて、二つ同時の音だった。
「――はっ。危ない、自分で云ってて寝ちゃうところだったわよ……」
そんなことを云いながらケータイを開くかがみを横目に見ながら、わたしも自分のケータイをぱかっと開く。
――つかさから、メールが届いていた。
「そ。でもそのまま寝ちゃ駄目よ。歯も磨かないといけないしね」
「わーかってるよ、もぉ。かがみって時々お母さんみたいなこと云うよね」
「それは……。恋人としては喜んでいいのか怒っていいのかわからんな……」
「笑えば、いいと思うよ」
「なんでそこでエヴァネタか。っていうかエヴァの劇場版って、続編はまだなの?」
「お、気になる気になる?」
「……それじゃ気にならない」
「それじゃってなにさ、このツンデレめっ」
そう云って笑うと、かがみも嬉しそうに笑った。
なんとなく点けたままのテレビの中でも、よくわからないタレントが楽しそうに笑っていた。
――やっぱり、ちょっと長湯がすぎたみたい。
力が入らなくなった身体を持て余し、わたしはかがみの前でぺたんと床に座っている。水分補給にと出してもらった麦茶をそっと口に含むと、猫のコップの中で、氷がカランと音を立てて鳴る。
さっきは肌寒く感じた夜風が、火照った身体には気持ちいい。
でも気を抜くと風邪を引いてしまうのが春と秋の怖いところだからって、すぐに髪の毛を乾かしておこうってことになったんだ。
誰かにドライヤーを当ててもらうことは、初めての経験だった。
さわさわと頭皮を優しく撫でるかがみの手。時々頬にあたるドライヤーの熱気。穏やかなかがみの息づかい。
さっきは寝たりしないよって云ったけれど、なんだか今にも目蓋が落ちそうになってくる。
好きな人が自分の髪をいじってくれることが、こんなに幸せで安心できることだって、そのときわたしは初めて知ったんだ。まるで髪の毛にも触覚があるんじゃないかなんて、変なことをわたしは考えた。
「――っていうかさ」
このまま黙っていると本当に眠ってしまいそうで、わたしは億劫な口を無理矢理開いてかがみに問いかける。
「んー?」
「もしかしてさ、かがみん家の方にも云ってあるの?」
「あ、私の家族にあんたとのことを云ってあるかってこと?」
「うん」
「――そりゃね」
こともなげに答えたかがみに、がっくりと首から力が抜けていく。丁度かがみが髪の毛を抑えていたから、頭皮が引っ張られてちょっとだけ痛かった。
「なーんーでー。なんでわたしのことなのに、わたしだけ蚊帳の外なのさー?」
正直気持ちはわかる気がするけれど、なんだか一人前扱いされてないみたいで少しだけ癪だった。
「だってほら、こっちのことはこっちの話だし……。それとも何、あんたも同席したかった? “娘さんを私に下さい!”とか、云ってくれるつもりだったの?」
「う……い、云わないけどさ……」
「なんだ、残念」
そう云って笑ったかがみは少しだけ意地悪だってわたしは思う。
「……大丈夫、だったの?」
「…………うん」
それっきり、沈黙。
――大丈夫のはずがない。
何もなかったはずがない。
大事に育ててきた娘が、いきなり自分は同性が好きだなんて云ってきたんだから、みきおばさんにしてみたらたまらないだろう。ヘテロとかバイとかビアンとか、そんな言葉自体、普通の人はあんまりよく知らない。変態、趣味、アブノーマル。同性愛指向なんて、普通の人にとってはきっとそんな位置づけだ。性同一性障害との違いすらよくわかってないかもしれない。わたしだって、かがみとのことがあるまでそっちのことはあんまり考えてこなかった。
責任感が強くて、正義感もあって、頭も良くって行動力もある。弁護士になって活躍して、結婚したら子供も産んで、その子供もきっと優秀な子に育ってやがて社会に巣立っていく。
そんな親として当たり前の幸せを、おばさんたちもかがみに見ていたはずだった。
――なのに、わたしのせいで。
そう思うと、眼の縁から自然と涙が盛り上がってくる。
「ばか……なんて顔してんのよ」
「……ごめんね」
「謝るなよ馬鹿、殴られたいのか」
「……うん」
――ゴツン。
「ふみゃっ!」
しょんぼりした気持ちでそう云ったら、本当に思いきり殴られた。正直、云ってるだけで本当に殴ったりはしないだろうと思ってたのに。今まで見たことがない、かがみの新しい反応だってわたしは思った。
「お、おおおお……ぶ、ぶったなー……黒井先生にしか殴られたことないのにー!」
「……反省した?」
拳を振り上げてにっこりと笑うかがみはなんだか普通に怖くって、思わずわたしはうんうんと何度もうなずいてしまうんだ。
「……本当に、そんなに修羅場ってわけじゃなかったのよ……」
けれどかがみは、ふ、と視線を逸らすとわたしの肩に頭を乗せてきた。握っていたドライヤーを離すと、わたしの腰のあたりにそっと手を回して抱きついてくる。そんなすがりつくような抱きしめ方をしてくるから、わたしはかがみがさっき云った言葉を信じることができない。
「つかさがいてくれたし、一番理解してくれそうなお父さんから攻めたから、随分楽だった。心配だったまつりお姉ちゃんも、ちゃんとよくわかってくれてた。やっぱり大学生になるとちょっと違うよね。友達にそういう人もいるみたい」
「……おばさんは? 多分、おばさんが一番難しいよね」
「……うん。でも、きっとわかってくれるって思ってる」
――じゃあ、今はわかってくれてないんじゃん。
そう云いたくなったけど、ぐっとその言葉を飲み込んだ。一番傷ついてるのがかがみだってことはわかっているし、過ぎたことを責めたって仕方がない。
――だけど。
「……せめて、わたしには最初に云って欲しかったな」
「うん……ごめんね」
かがみがわたしを護ろうとしてくれたのはわかってる。それでもわたしは、かがみが戦っているなら一緒に戦っていたかった。わたしがごろごろネトゲなんかしてる間、かがみが辛い目に合ってたのかもしれないって思ったら、それはやっぱり、凄く悔しい。
「――あ」
「……え? なぁにこなた?」
そんなことを考えているうちに、ふと思い出したことがある。
今日みんなでかがみの家に行くってことになって、わたしとつかさは家から出るから、どこで待ち合わせしようかって話になったんだ。
駅でもいいし、お互いの家でもいいよねって話してて、わたしは半ば冗談で、『つかさはまたねぼすけするだろうから、わたしがつかさん家行こうか』って云ったんだ。
けれど、つかさは急にムキになった。
『朝早くなければ平気だもん、こなちゃんこそ絶対ゲームやってて遅れるから、わたしがいくよ!』
って、有無を云わさぬ感じで云ったんだ。
わたしはまた、つかさの微笑ましい対抗意識なのかなって思って普通に萌えてたんだけど、あれは多分、わたしを柊家に来させたくなくて云ったことかもしれないって、今になってわたしは思うんだ。
「――ふーん、つかさがねー」
気がつけば、わたしたちは床に寝っ転がって話してる。
青と紫、すっかり乾いたわたしたちの髪が川みたいに広がって、水の中に浮かんでいるみたいにふわふわした気持ちになっていた。
眠かった。とにかく凄く眠かった。
わたしの眼も落ちそうになっていたけれど、かがみも本当に眠そうで、今も水飲み鳥みたいにかくんって首が落ちている。本当に、ちゃんと歯を磨いて髪もまとめてベッドに入らないといけないのに、このままじゃ風邪ひいちゃうかもしれないのに、かがみと折り重なったまま、わたしはどうしても身体を動かすことができなかった。
――と。
ブーブーブーって、ケータイが振動する音がする。それも一つだけじゃなくて、二つ同時の音だった。
「――はっ。危ない、自分で云ってて寝ちゃうところだったわよ……」
そんなことを云いながらケータイを開くかがみを横目に見ながら、わたしも自分のケータイをぱかっと開く。
――つかさから、メールが届いていた。
『今家に着いたところだよ、そっちはどう? 二人っきりで楽しいのはわかるけど、あんまり遅くまで起きてちゃ駄目だからね。さっき撮った写メ、送ってなかったから送ります。正直こなちゃんが荷物まとめて帰ろうとしたとき、なんで帰ろうとしてるのかわからなかったよ~』
添付されていたメールは、さっきつかさが撮った死ぬほど恥ずかしい写真だった。
だらけきった笑みを浮かべたわたしと、憮然とした表情を浮かべたかがみが写っている。頬を真っ赤に染めておずおずと抱き合った、わたしたちが写っている。
それはわたしたちらしく素直じゃなくて。
わたしたちらしく支え合っていて。
わたしたちらしく不器用な。
――そんな、死ぬほど恥ずかしい写真だった。
隣で同じようにケータイを眺めているかがみも、なんだか蕩けそうな顔をしてたから。きっとかがみの方にもわたしと同じものが送られてきているんだろう。
「――ね、かがみ」
わたしが大好きな人の名前を呼ぶと、その人は眼をきらきらさせたまま振り向いた。
「なによ、こなた」
「わたしたちさ、上手くやっていけるよね」
かがみはぱちくりと眼を瞬かせたあと、きっと力強い表情をしてあっさりとわたしに云った。
だらけきった笑みを浮かべたわたしと、憮然とした表情を浮かべたかがみが写っている。頬を真っ赤に染めておずおずと抱き合った、わたしたちが写っている。
それはわたしたちらしく素直じゃなくて。
わたしたちらしく支え合っていて。
わたしたちらしく不器用な。
――そんな、死ぬほど恥ずかしい写真だった。
隣で同じようにケータイを眺めているかがみも、なんだか蕩けそうな顔をしてたから。きっとかがみの方にもわたしと同じものが送られてきているんだろう。
「――ね、かがみ」
わたしが大好きな人の名前を呼ぶと、その人は眼をきらきらさせたまま振り向いた。
「なによ、こなた」
「わたしたちさ、上手くやっていけるよね」
かがみはぱちくりと眼を瞬かせたあと、きっと力強い表情をしてあっさりとわたしに云った。
「当たり前じゃない」
その言葉は、わたしにとってその瞬間、この世界のどんなことよりも確かなものだった。
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Beautiful World 6章/こなたへ続く
Beautiful World 6章/こなたへ続く