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亀山研文献報告 2013年1月28日
山崎 彩夏
**&bold(){第7章「社会を変えるには」講談社現代新書 後半(pp.466-497)}
&bold(){◆ 理論の使い方のコンセプト(pp.466-469) }
&u(){社会運動の成功のために諸理論をどのように使うか [社会運動の手続き]
i .運動の目的の設定:
↓変更を求めるのは制度的な実現内容なのか、あるいは人々の認識なのか、など
ii .働きかける対象の設定:
↓政治家なのか、日本の人々なのか、自治体なのか、など
iii .対象を動かすために有効な方法を設定:
政治家を対象にロビイングをおこなうのか、啓蒙活動をおこなうのか、など
+目的と対象のマッチングの検討 &italic(){&bold(){最近の傾向:各々の方法の特性を理解して併用}}&bold(){}
&u(){運動を活性化するためには…}
運動の正当性を担保し参加者の意欲を維持するためには運動の過程の中で参加と対話が進む事が大切である。そのために運動の過程を公開し、決定に参加してもらう
&bold(){◆ 戦後日本の運動の実例(pp.469-471)}
《原発建設中止を決めた新潟県巻町の住民投票運動(1996年)》
成功の要因:地域に根付いて資源動員できるリーダー
原発の賛否ではなく住民投票の実施するかどうかにフレーミング
↑長年狭い社会で人々の自由な意思表示が抑制されていた事が課題だった故に匿名投票が有効だった
《神奈川県逗子市の米軍住宅建設反対運動(1970-80年代)》
成功の要因:従来の保守層ではなく地域の主婦層が中心
建設のために森を切ることに対する反対という点にフレーミング
▼国際NGO:啓蒙活動を中心とした社会運動
必ずしも制度的な改変を目的とせず、啓蒙活動を中心として運動を拡大し、人権や自然保護などのテーマへのフレーミングと政治的には中立的立場をとるよう努め、広い支持層を獲得する。最終的には政治に影響を与えていく。
+専門的活動を特化させた場合は…
専門性の高いスタッフが、国際会議等でロビー活動を展開、社会的ニーズを発掘して起業など
⇔啓蒙活動は意識的に参加を募らないと、「専門家」と「一般会員」で分化がおこりがち
▼生活クラブ:社会的起業型の社会運動
1965年東京都世田谷で数名が無農薬の有機農産物を共同購入 →現在組合員35万人、地方議会へ参加
組合員が地域毎に班をつくって注文を話し合い前金で支払い=生産者のメリット
↑生産・流通・消費の三者が連携し、互いに利益を得ながら変わっていく
▼水俣病訴訟:形式合理性を超えた社会運動
運動は制度的に展開したが、運動の目的は一念を晴らす「正義」の実現を求めていた「非合理」な運動
→形式合理性を超えた「理」の感覚に訴えた結果、世界的支持が広がる
⇔理論的分析は出来ないが様々な社会運動にも通じる初動の動機としての「原体験」
▼ベ平連:組織や固定的個人をもたない都市型の社会運動
1965年ベトナムに平和を!市民連合 「組織ではなく運動である」を信条とする
固定したメンバーや組織はなく、自由に活動するという発想
&u(){運動に参加する人は固定的な個体ではなく、「活動をしている人」という形で表れているにすぎない、という趣旨は、「活動家」と「一般の人々」の境界を取り除いた。}
(実際の運営の中心は知識人や活動家が担っていた)
&bold(){◆ こうすると失敗する(pp.484-487)}
1.時代や社会条件が異なるところに過去の成功経験を持ち込む場合
&u(){現代では人々が「自由」になり、再帰性が増大しているので、個体論的発想ではうまくいかない}
2.運動を「組織」として捉え、「統一」しようとする発想
&u(){結果として正当性が低下し、運動の求心力が失われる→運動が「特殊」な活動と見なされる悪循環}
3.人間を「個体」として捉える発想
&u(){運動の中でカテゴライズされた「個体」についての対立や除外 →運動の分裂につながる悪循環}
&bold(){◆ 個体論的でない運動(pp.487-493)}
組織とは考えずに動いている状態であると捉える。
政治的目的を達成する手段でありながら、つながりを作って自分や他人を活性化する状態
→結果的に関係や地域社会を変えていく動きを伴う
直接的民主主義を涵養するような具体的に集まれる場があることも重要
&italic(){&bold(){お互いに相手を理解し対話能力を身につけて、共に作っていく姿勢が大切}}&bold(){}
→局面によっては役割分担が生じることも
&bold(){◆ 個体論的な戦略(pp.493-496)}
個体論的視点は運動の目的を戦略的に設定する上では方法論的に有効な場合もある
例)戦略的な広報活動、理解しやすい枠組み
⇔流動的な状況の場合には再帰性を伴う関係論的姿勢が有効
&bold(){◆ 楽しくあること楽しそうであること(pp.496-497)}
運動の面白さ=自分たちで作り上げていくこと
「デモの意味」=共感を育み、一種の社交の場、一人ひとりが力を得て帰っていく
&italic(){&bold(){「自己」を超えた「われわれ」が作れる。その過程が楽しい}}&bold(){}
メディアでは代替できない五感をすべて複合した、あるいはそれを超えた「雰囲気の盛り上がり」
政府がなんとかしてくれるという考え方:
高度経済成長期の感覚の名残であり、現代は自分で動かないと変わらない
⇔&u(){現代は「あなたが変わること」という語の意味が新しく活かしなおされる時代}
【疑問・感想】
・ 小熊氏の述べる「楽しいこと」という表現の内容が掴みづらかった。参加していることに対する充足感を指しているのか?むしろ、人々が「自由」になり、場合によっては社会から自分が疎外されていると感じる現代では、「何か」を「楽しむ」ことの強制に対しても倦怠感が蔓延しているような気がする。
・ 運動が動的であるとすれば、目的を達成した場合はどのような動態を経て人々の中で帰結するのか。「個体」として関わらないのであれば、人々は生活の中で多面的な活動に局面的に参加するようになっていくのか。
・ 「鍋会」のように人々が動的に関わり運動になるとして、それが選挙制度などの既存の固定化した政治の社会的枠組みと具体的にどのようにリンクしていくのかというのが次の課題となって現れるのではないか。
亀山研文献報告 2013年1月28日
第7章「社会を変えるには」後半
(『社会を変えるには』、pp.466—397)
報告:山崎 彩夏
**&bold(){第7章「社会を変えるには」講談社現代新書 後半(pp.466-497)}
&bold(){◆ 理論の使い方のコンセプト(pp.466-469) }
&u(){社会運動の成功のために諸理論をどのように使うか [社会運動の手続き]
i .運動の目的の設定:
↓変更を求めるのは制度的な実現内容なのか、あるいは人々の認識なのか、など
ii .働きかける対象の設定:
↓政治家なのか、日本の人々なのか、自治体なのか、など
iii .対象を動かすために有効な方法を設定:
政治家を対象にロビイングをおこなうのか、啓蒙活動をおこなうのか、など
+目的と対象のマッチングの検討 &italic(){&bold(){最近の傾向:各々の方法の特性を理解して併用}}&bold(){}
&u(){運動を活性化するためには…}
運動の正当性を担保し参加者の意欲を維持するためには運動の過程の中で参加と対話が進む事が大切である。そのために運動の過程を公開し、決定に参加してもらう
&bold(){◆ 戦後日本の運動の実例(pp.469-471)}
《原発建設中止を決めた新潟県巻町の住民投票運動(1996年)》
成功の要因:地域に根付いて資源動員できるリーダー
原発の賛否ではなく住民投票の実施するかどうかにフレーミング
↑長年狭い社会で人々の自由な意思表示が抑制されていた事が課題だった故に匿名投票が有効だった
《神奈川県逗子市の米軍住宅建設反対運動(1970-80年代)》
成功の要因:従来の保守層ではなく地域の主婦層が中心
建設のために森を切ることに対する反対という点にフレーミング
▼国際NGO:啓蒙活動を中心とした社会運動
必ずしも制度的な改変を目的とせず、啓蒙活動を中心として運動を拡大し、人権や自然保護などのテーマへのフレーミングと政治的には中立的立場をとるよう努め、広い支持層を獲得する。最終的には政治に影響を与えていく。
+専門的活動を特化させた場合は…
専門性の高いスタッフが、国際会議等でロビー活動を展開、社会的ニーズを発掘して起業など
⇔啓蒙活動は意識的に参加を募らないと、「専門家」と「一般会員」で分化がおこりがち
▼生活クラブ:社会的起業型の社会運動
1965年東京都世田谷で数名が無農薬の有機農産物を共同購入 →現在組合員35万人、地方議会へ参加
組合員が地域毎に班をつくって注文を話し合い前金で支払い=生産者のメリット
↑生産・流通・消費の三者が連携し、互いに利益を得ながら変わっていく
▼水俣病訴訟:形式合理性を超えた社会運動
運動は制度的に展開したが、運動の目的は一念を晴らす「正義」の実現を求めていた「非合理」な運動
→形式合理性を超えた「理」の感覚に訴えた結果、世界的支持が広がる
⇔理論的分析は出来ないが様々な社会運動にも通じる初動の動機としての「原体験」
▼ベ平連:組織や固定的個人をもたない都市型の社会運動
1965年ベトナムに平和を!市民連合 「組織ではなく運動である」を信条とする
固定したメンバーや組織はなく、自由に活動するという発想
&u(){運動に参加する人は固定的な個体ではなく、「活動をしている人」という形で表れているにすぎない、という趣旨は、「活動家」と「一般の人々」の境界を取り除いた。}
(実際の運営の中心は知識人や活動家が担っていた)
&bold(){◆ こうすると失敗する(pp.484-487)}
1.時代や社会条件が異なるところに過去の成功経験を持ち込む場合
&u(){現代では人々が「自由」になり、再帰性が増大しているので、個体論的発想ではうまくいかない}
2.運動を「組織」として捉え、「統一」しようとする発想
&u(){結果として正当性が低下し、運動の求心力が失われる→運動が「特殊」な活動と見なされる悪循環}
3.人間を「個体」として捉える発想
&u(){運動の中でカテゴライズされた「個体」についての対立や除外 →運動の分裂につながる悪循環}
&bold(){◆ 個体論的でない運動(pp.487-493)}
組織とは考えずに動いている状態であると捉える。
政治的目的を達成する手段でありながら、つながりを作って自分や他人を活性化する状態
→結果的に関係や地域社会を変えていく動きを伴う
直接的民主主義を涵養するような具体的に集まれる場があることも重要
&italic(){&bold(){お互いに相手を理解し対話能力を身につけて、共に作っていく姿勢が大切}}&bold(){}
→局面によっては役割分担が生じることも
&bold(){◆ 個体論的な戦略(pp.493-496)}
個体論的視点は運動の目的を戦略的に設定する上では方法論的に有効な場合もある
例)戦略的な広報活動、理解しやすい枠組み
⇔流動的な状況の場合には再帰性を伴う関係論的姿勢が有効
&bold(){◆ 楽しくあること楽しそうであること(pp.496-497)}
運動の面白さ=自分たちで作り上げていくこと
「デモの意味」=共感を育み、一種の社交の場、一人ひとりが力を得て帰っていく
&italic(){&bold(){「自己」を超えた「われわれ」が作れる。その過程が楽しい}}&bold(){}
メディアでは代替できない五感をすべて複合した、あるいはそれを超えた「雰囲気の盛り上がり」
政府がなんとかしてくれるという考え方:
高度経済成長期の感覚の名残であり、現代は自分で動かないと変わらない
⇔&u(){現代は「あなたが変わること」という語の意味が新しく活かしなおされる時代}
【疑問・感想】
・ 小熊氏の述べる「楽しいこと」という表現の内容が掴みづらかった。参加していることに対する充足感を指しているのか?むしろ、人々が「自由」になり、場合によっては社会から自分が疎外されていると感じる現代では、「何か」を「楽しむ」ことの強制に対しても倦怠感が蔓延しているような気がする。
・ 運動が動的であるとすれば、目的を達成した場合はどのような動態を経て人々の中で帰結するのか。「個体」として関わらないのであれば、人々は生活の中で多面的な活動に局面的に参加するようになっていくのか。
・ 「鍋会」のように人々が動的に関わり運動になるとして、それが選挙制度などの既存の固定化した政治の社会的枠組みと具体的にどのようにリンクしていくのかというのが次の課題となって現れるのではないか。
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