論点(付け加えるべきところがあったらお願いします)(7/13)
1知ろうとしなかったのか、知ることができなかったのか
1知ろうとしなかったのか、知ることができなかったのか
2近代のすべての罪を引き受けるという彼ら。弱いけど、でも強い。公害に第三者は いない。自己責任論を語るときは「あなたが悪い」。ではなく、「わたしも悪い」 これをどう論理化するのか。なぜ彼らは向き合えることができたのか。水俣のよう な出来事に遭遇しないとダメなのか
3近代人はリスクと向き合っているとはいえない。BSE問題、食中毒。誰かのせいにす れば済む問題?誰か一人に責任を押し付けて賠償金を払わせて済むのか?それでい いのか?誰かに対策(車のエアバッグ、全頭検査)させる、それはリスクに向き合 っているといえるのか。信頼と押し付けはどう違う?東電と政府の責任にすること を繰り返していては、同じこと(チェルノブイリ、東海村)をまた繰り返す
→2と3、どちらも、見たくないものをみる、ということであるが、それは一緒に考えていいのか?見ることができる人はどうすれば生まれるのか
4私も悪い、というとき、先にあるのはあなたが大切という気持ち?誰かを大切に思う 気持ちが、自分の気持ちを大切にすることへ?=リンギスの「何も共有していない ものの共同体」と類似
5既存のリスク論は何がダメなのか。もっと深いところの問題を解決しないと、リスク 社会論は空虚?
6リスク論が盛んになった背景
7踏みとどまる必要性
8水俣市民はどう受け止めてきたか
9リスク「として」向き合う
→「負の経験と責任を負う”主体的精神”、表層的自己責任論の幻想・イデオロギー性を払拭したより深い、いわば”真の自己責任”の在り方」