小林杜人
小林は、清沢満之が知および肉体による徹底化ののちに到達したように、自力というものの無力、無効を徹底的に教えられ、如来になにもかも預けることによって、精神の安定を獲得するところに到達したのである。獄中での体験、獲得した宗教について彼は次のようにのべている。
「宗教とは現実の不完全なる我を否定し、仏者の世界即ち彼岸の世界、完全なる世界への不断の進展そのものを云ふのではなからうか。従って宗教とは、彼岸への憧れである。欲望である。人間が完成されたものでない以上、常に永遠の生命と、限りなき光明への到達を望んでやまぬものである。」
