福嶋卒論
あとがき
本論の出発点は、環境問題に対する責任という意識だった。何をどうすればという以上に、すでに一人ひとりがそれぞれにできることを身を削って実行していかなければ、次の世代が自分の年齢になる頃の地球には、自分が見てきたさまざまな美しい海も山も街もなくなってしまうかもしれない、という脅迫感に近い危機意識とでもいうべきだろうか。しかしどうやって、何から考え何から手をつければいいのかわからない。まさに、思ってはいるけれど実行できない、という責任逃れの状態にあるのではないか。しかし、何も思っていないわけではなく、それでも何も思っていない人と何も変わらないようにしか見えない。この靄が晴れない限り、次の一歩は踏み出せそうもないと思っていた。そして「責任」について、できる限り考え論文として整理し終わったいま、少し晴れ間が見えてきたように思える。
いろいろな不祥事や事故が起こるたびに叫ばれる「責任」という語は、何故か自分にとってはそのような否定的で後ろ向きのイメージではなく、すすんで果たすものであり、それなりの責任を果たすことは楽しくやりがいのある前向きなイメージが強い。このイメージのせいで、第2章で述べたような呼応責任という概念を、どうしてもきちんと位置づけたかったのだと思うが、果たしてそれはどこまで成功したのだろうか。「自律」「個人」「共同体」「近代」「規範」などのキータームをどれだけ誤解なく使えているのかについては、まったく自信がない。そのうえ、では具体的にどのようなものを打ち立てるべきか、という疑問はまったく手付かずのまま残されている。
しかしその結果はともあれ、確実に思考力が養われたと思う。哲学や倫理学など思想一般にまったく縁などない生活をしてきたと思っていたが、もしかしたら自分には意外と馴染む分野なのかもしれないという発見もあった。少しずつ、読んでいるうちに理解できる本も増えてきたと思うと、ここで足を止めて考える二年間をもったことに自分では大変満足している。そして、この論文をまとめることで、今後自分がどこを目指し何に焦点を当てていくのかが朧気ながら見えてきたように思う。具体的に何をなすか、ということよりも、なぜそれをなそうとするのか、に軸足を置くことの意義を教えられたように感じている。それをどうにか実行していくことが、自分のこれからの責任であると思う。
いろいろな不祥事や事故が起こるたびに叫ばれる「責任」という語は、何故か自分にとってはそのような否定的で後ろ向きのイメージではなく、すすんで果たすものであり、それなりの責任を果たすことは楽しくやりがいのある前向きなイメージが強い。このイメージのせいで、第2章で述べたような呼応責任という概念を、どうしてもきちんと位置づけたかったのだと思うが、果たしてそれはどこまで成功したのだろうか。「自律」「個人」「共同体」「近代」「規範」などのキータームをどれだけ誤解なく使えているのかについては、まったく自信がない。そのうえ、では具体的にどのようなものを打ち立てるべきか、という疑問はまったく手付かずのまま残されている。
しかしその結果はともあれ、確実に思考力が養われたと思う。哲学や倫理学など思想一般にまったく縁などない生活をしてきたと思っていたが、もしかしたら自分には意外と馴染む分野なのかもしれないという発見もあった。少しずつ、読んでいるうちに理解できる本も増えてきたと思うと、ここで足を止めて考える二年間をもったことに自分では大変満足している。そして、この論文をまとめることで、今後自分がどこを目指し何に焦点を当てていくのかが朧気ながら見えてきたように思う。具体的に何をなすか、ということよりも、なぜそれをなそうとするのか、に軸足を置くことの意義を教えられたように感じている。それをどうにか実行していくことが、自分のこれからの責任であると思う。
参考文献一覧
丸山眞男 『日本の思想』 岩波文庫 1961年
ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 『菊と刀』 社会思想社 1946年
濱口惠俊 『「日本らしさ」の再発見』 日本経済新聞社 1977年
大久保喬樹 『日本文化論の名著入門』 角川選書 2008年
青木保 『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』
中央公論社1990年
船曳建夫 『「日本人論」再考』 NHK出版 2003年
井上俊・上野千鶴子・大澤真幸・見田宗介・吉見俊哉
『岩波講座 現代社会学23 日本文化の社会学』 岩波書店 1996年
南博 『日本の社会と文化』 勁草書房 2001年
中根千枝 『タテ社会の人間関係』 講談社現代新書 1967年
中根千枝 『適応の条件』 講談社現代新書 1972年
会田雄次 『日本人の意識構造』 講談社現代新書 1972年
土居健生 『「甘え」の構造』 弘文堂 1971年
阿部謹也 『「世間」とは何か』 講談社現代新書 1995年
井上忠司 『「世間体」の構造』 講談社学術文庫 2007年(1977年)
李御寧 『「縮み」志向の日本人』 講談社学術文庫 2007年(1982年)
ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 『菊と刀』 社会思想社 1946年
濱口惠俊 『「日本らしさ」の再発見』 日本経済新聞社 1977年
大久保喬樹 『日本文化論の名著入門』 角川選書 2008年
青木保 『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』
中央公論社1990年
船曳建夫 『「日本人論」再考』 NHK出版 2003年
井上俊・上野千鶴子・大澤真幸・見田宗介・吉見俊哉
『岩波講座 現代社会学23 日本文化の社会学』 岩波書店 1996年
南博 『日本の社会と文化』 勁草書房 2001年
中根千枝 『タテ社会の人間関係』 講談社現代新書 1967年
中根千枝 『適応の条件』 講談社現代新書 1972年
会田雄次 『日本人の意識構造』 講談社現代新書 1972年
土居健生 『「甘え」の構造』 弘文堂 1971年
阿部謹也 『「世間」とは何か』 講談社現代新書 1995年
井上忠司 『「世間体」の構造』 講談社学術文庫 2007年(1977年)
李御寧 『「縮み」志向の日本人』 講談社学術文庫 2007年(1982年)
大庭健 『「責任」ってなに?』 講談社現代新書 2005年
桜井哲夫 『〈自己責任〉とは何か』 講談社現代新書 1998年
佐伯啓思 『自由とは何か』 講談社現代新書 2004年
成田和信 『責任と自由』 勁草書房 2004年
小坂井敏晶 『責任という虚構』 東京大学出版会 2008年
仲正昌樹 『「みんな」のバカ!無責任になる構造』 光文社新書 2004年
仲正昌樹 『「不自由」論』 ちくま新書 2003年
小浜逸郎 『「責任」はだれにあるのか』 PHP新書 2005年
桜井哲夫 『〈自己責任〉とは何か』 講談社現代新書 1998年
佐伯啓思 『自由とは何か』 講談社現代新書 2004年
成田和信 『責任と自由』 勁草書房 2004年
小坂井敏晶 『責任という虚構』 東京大学出版会 2008年
仲正昌樹 『「みんな」のバカ!無責任になる構造』 光文社新書 2004年
仲正昌樹 『「不自由」論』 ちくま新書 2003年
小浜逸郎 『「責任」はだれにあるのか』 PHP新書 2005年
門脇俊介 「行為とはなにか―分析的行為論と現象学の交差点から」
城戸淳 「理性と普遍性―カントにおける道徳の根拠をめぐって」
『岩波講座哲学06 モラル/行為の哲学』 岩波書店 2008年
ヴォルフガング・クールマン 「カントの実践哲学における独我論と討議倫理学」
坂部恵・G.シェーンリッヒ・加藤泰史・大橋容一郎『カント・現代の論争に生きる(下)』
理想社 2000年
中島義道 『時間と自由 カント解釈の冒険』 講談社学術文庫 1999年
黒田亘 『行為と規範』 日本放送出版協会 1985年
ジョン・R・サール著 塩野直之訳 『行為と合理性』 勁草書房 2008年
亀山純生 『うその倫理学』 大月書店 1997年
北田暁大 『責任と正義 リベラリズムの居場所』 勁草書房 2003年
山口義久 『アリストテレス入門』 ちくま新書 2001年
関良徳 『フーコーの権力論と自由論 その政治哲学的構成』 勁草書房 2004年
和辻哲郎 『倫理学』 岩波文庫 2007年(1937年)
城戸淳 「理性と普遍性―カントにおける道徳の根拠をめぐって」
『岩波講座哲学06 モラル/行為の哲学』 岩波書店 2008年
ヴォルフガング・クールマン 「カントの実践哲学における独我論と討議倫理学」
坂部恵・G.シェーンリッヒ・加藤泰史・大橋容一郎『カント・現代の論争に生きる(下)』
理想社 2000年
中島義道 『時間と自由 カント解釈の冒険』 講談社学術文庫 1999年
黒田亘 『行為と規範』 日本放送出版協会 1985年
ジョン・R・サール著 塩野直之訳 『行為と合理性』 勁草書房 2008年
亀山純生 『うその倫理学』 大月書店 1997年
北田暁大 『責任と正義 リベラリズムの居場所』 勁草書房 2003年
山口義久 『アリストテレス入門』 ちくま新書 2001年
関良徳 『フーコーの権力論と自由論 その政治哲学的構成』 勁草書房 2004年
和辻哲郎 『倫理学』 岩波文庫 2007年(1937年)
