第一講 宮本常一との出会い―民俗語彙の再発見(p.1-56)
宮本常一との出会い(p.3-7)
アチック・ミューゼアム(後の日本常民文化研究所):
1925年に渋沢敬三が創設した、民具・民俗資料の収集・研究、漁業・水産史の研究施設。網野(著者)は1950年から築地の月島分室(漁村の資料収集)に所属していた。宮本常一は月島分室に非常勤の研究員として所属。
1925年に渋沢敬三が創設した、民具・民俗資料の収集・研究、漁業・水産史の研究施設。網野(著者)は1950年から築地の月島分室(漁村の資料収集)に所属していた。宮本常一は月島分室に非常勤の研究員として所属。


宮本常一の中世史像―清水三男への高い評価(p.7-12)
清水三男への高い評価→天皇に対する見方、庶民・百姓・村に対する捉え方・姿勢に関わる
⇒「瑣末な事実まで含めて隅々まで文書を理解したうえで、[…]人々の生きた生活を明らかにする」という史料に対する姿勢
⇒「天皇に対する親近感、親愛の情」を背景とする、「天照大神以来の天皇の伝統」、「日本の国体」に対しての積極的かつ肯定的な姿勢
⇒「天皇に対する親近感、親愛の情」を背景とする、「天照大神以来の天皇の伝統」、「日本の国体」に対しての積極的かつ肯定的な姿勢
→日本の民俗学、歴史学の抱える最も重要な根本的問題
宮本常一の学問(p.12-16)
河岡武春(1927-1986、主著『海の民-漁村の歴史と民俗-』1987など)の影響で『海をひらいた人びと』『忘れられた日本人』を読み、その後は宮本の著作を多く読む
日本塩業研究会:
製塩方法の工業化により日本の塩田がなくなることになったため、塩業に関わる歴史、民俗の体系を編纂するために、日本専売公社が予算を出した推進母体。第三代会長を宮本が務める。70年代から網野も所属し、宮本と接する。
製塩方法の工業化により日本の塩田がなくなることになったため、塩業に関わる歴史、民俗の体系を編纂するために、日本専売公社が予算を出した推進母体。第三代会長を宮本が務める。70年代から網野も所属し、宮本と接する。
強烈な人格(p.16-19)
強烈な人格:
「民俗調査のときには[…]みごとな聞き手」⇔話すときには「“まくしたてる”」「大変な迫力」
「民俗調査のときには[…]みごとな聞き手」⇔話すときには「“まくしたてる”」「大変な迫力」
日本常民文化研究所が神奈川大学に招致される際、借用している古文書の返却の仕事のために神奈川大へ移動。宮本「あなたが行ってくれて、自分は地獄から這い上がれるような気がする」
宮本常一と渋沢敬三(p.19-21)
宮本は、渋沢敬三に決定的な影響を受けている。宮本常一については
→佐野眞一『旅する巨人』『渋沢家三代』(文春新書)
→紀伊国屋書店ビデオ『学問と情熱』シリーズ「宮本常一」
本書では著作の内容について述べるにとどめる
→佐野眞一『旅する巨人』『渋沢家三代』(文春新書)
→紀伊国屋書店ビデオ『学問と情熱』シリーズ「宮本常一」
本書では著作の内容について述べるにとどめる
海から日本社会をみる(p.21-24)
敗戦後(初期)と晩年で、考え方、社会に対する姿勢が変わっている
周防大島の出身で、島の生活の苦しさを知るために離島振興法に熱心に関わる→成立
↓
「島に橋が架かるなどということは夢みたいなすばらしいことで考えもしなかった、ところが橋が架かったら島の人間はみな島から出ていきよる」(海や山の役割に対する見方の変化)
↓
「島に橋が架かるなどということは夢みたいなすばらしいことで考えもしなかった、ところが橋が架かったら島の人間はみな島から出ていきよる」(海や山の役割に対する見方の変化)
『日本文化の形成』:
「海から日本の社会をみる」、「海に生きる民:海民」の見直し←島の捉え方への自己批判・反省
「海から日本の社会をみる」、「海に生きる民:海民」の見直し←島の捉え方への自己批判・反省
東西日本の文化の差異と「民具」研究の提唱(p24-25)
『忘れられた日本人』にみえる「東と西の問題」=東北日本と西南日本の文化の差異
⇔柳田國男「方言周圏論」
⇔柳田國男「方言周圏論」
渋沢敬三の影響:
有形民俗資料としての「民具」研究の積極的提唱、絵巻物などの絵画資料の重要性の強調
有形民俗資料としての「民具」研究の積極的提唱、絵巻物などの絵画資料の重要性の強調
進歩とは何か?発展とは何か?(p.25-31)
『忘れられた日本人』は、宮本が社会の進歩、発展に確信を持っていた時期から、そこで切り落とされてきたものの中に非常に大事なものがある、と発言し始める過渡期にあたる
神奈川大学のゼミでの経験:
90年代以降の学生は、「らい病」「木炭」「燈火の全くない真っ暗な場所」「トイレの臭さ」などなど、を知らない?
⇒現代の若い世代と網野の世代との間の文化的生活的な断絶がかなり深い
90年代以降の学生は、「らい病」「木炭」「燈火の全くない真っ暗な場所」「トイレの臭さ」などなど、を知らない?
⇒現代の若い世代と網野の世代との間の文化的生活的な断絶がかなり深い
「もののけ姫」とアジール(p.31-34)
「もののけ姫」に見られるいろいろな“仕掛け”
→自然のアジール(不可侵、平和領域)である森の“デーダラボッチ”、もののけ、こだま
→人為的なアジールである踏鞴場の非人、牛飼、女性、遊女、(ハンセン病の石火矢衆)
→自然のアジール(不可侵、平和領域)である森の“デーダラボッチ”、もののけ、こだま
→人為的なアジールである踏鞴場の非人、牛飼、女性、遊女、(ハンセン病の石火矢衆)
⇒若い世代に“仕掛け”の意味が分からない、という問題
民俗語彙の再発見(p.34-42)
「ほうばい・朋輩・傍輩」:
漢語でなく日本で作られた言葉。同年か1つ違いくらいで、食物なども同じように分かち合える友人。単純な友達ではなく平等・対等な関係。立場、職能を共有する国人のような集団の中の強い結びつきなどにみられる。
漢語でなく日本で作られた言葉。同年か1つ違いくらいで、食物なども同じように分かち合える友人。単純な友達ではなく平等・対等な関係。立場、職能を共有する国人のような集団の中の強い結びつきなどにみられる。
+ | 悲しみの米食共同体:太田 |
「えっと・越度」:
中世では「おっと」と読まれ、ある限度を超えた誤り、過失の意。『忘れられた日本人』では「度を過ぎて」「並外れて」「たくさん」という意味になっている。
中世では「おっと」と読まれ、ある限度を超えた誤り、過失の意。『忘れられた日本人』では「度を過ぎて」「並外れて」「たくさん」という意味になっている。
「おとし宿」:
盗人を泊めたり、盗品を売ったりしていた宿。
「おとす」ということは、人間のものでなくなってしまうこと(勝俣鎮夫「「落ス」考」)であり、「落としたもの」は神仏のもの=「無主物」になる。「落とされた」ものは取ることができ、人の所有物を「落とし」て無主物にし、「落とし取る」という行動は必ずしも不法行為にならない。
盗人を泊めたり、盗品を売ったりしていた宿。
「おとす」ということは、人間のものでなくなってしまうこと(勝俣鎮夫「「落ス」考」)であり、「落としたもの」は神仏のもの=「無主物」になる。「落とされた」ものは取ることができ、人の所有物を「落とし」て無主物にし、「落とし取る」という行動は必ずしも不法行為にならない。
善根宿の役割(p.42-48)
善根宿:巡礼・遍路をする女性たちが自由に泊まれる宿
「おおとびでごいす」
狂言「隠狸」の世界(p.48-56)
『忘れられた日本人』に出てくる日本社会の古い民俗・習俗
→「百姓=農民」として描かれているが、百姓することと農業することが同義で用いられるようになったのは江戸後期からだった。
→「百姓=農民」として描かれているが、百姓することと農業することが同義で用いられるようになったのは江戸後期からだった。
⇒周防大島、土佐、対馬などについて宮本の描いたものと違うものもたくさんありうる
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