第2講 女の「世間」(P57~)
『忘れられた日本人』を通じて宮本が問題にしようとしたこと
1女性・老人・子供・遍歴をする人びと←この講ではここに注目
2東日本と西日本の間にある差異
○女性について
1歌垣(W:31-33/243-245)
歌垣とは、
“古代の習俗。男女が山や海辺に集まって歌舞飲食し、豊作を予祝し、また祝う行事。多く春と秋に行われた。自由な性的交わりの許される場でもあり、古代における求婚の一方式でもあった。人の性行為が植物にも生命力を与えると信じられていたと思われる。のち、農耕を離れて市でも行われるようになった。かがい。”(『大辞林』三省堂)
↑・『常陸国風土記』『日本書紀』等で古代からあったことを確認できる
・中世の参篭の場も歌垣の場(=「無縁の場」)であったと考えられる
⇒しかし、少なくとも昭和30年代前半まで各地で生きていたことが宮本の研究から分かる
『忘れられた日本人』を通じて宮本が問題にしようとしたこと
1女性・老人・子供・遍歴をする人びと←この講ではここに注目
2東日本と西日本の間にある差異
○女性について
1歌垣(W:31-33/243-245)
歌垣とは、
“古代の習俗。男女が山や海辺に集まって歌舞飲食し、豊作を予祝し、また祝う行事。多く春と秋に行われた。自由な性的交わりの許される場でもあり、古代における求婚の一方式でもあった。人の性行為が植物にも生命力を与えると信じられていたと思われる。のち、農耕を離れて市でも行われるようになった。かがい。”(『大辞林』三省堂)
↑・『常陸国風土記』『日本書紀』等で古代からあったことを確認できる
・中世の参篭の場も歌垣の場(=「無縁の場」)であったと考えられる
⇒しかし、少なくとも昭和30年代前半まで各地で生きていたことが宮本の研究から分かる
2女性だけの旅・娘の家出(W:110-118)
- 『忘れられた日本人』のほかに『石山寺縁起絵巻』『今昔物語』『御伽草子』などからも、
女性だけの旅、女性と子供連れの一人旅があったことが分かる
- お遍路、商売、子供をもらってくれるところを探す、奉公し行儀見習いなど目的は様々
- “日本では娘たちは両親に断りもしないで、一日でも幾日でも、ひとりで好きなところへ出かける”“日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている”
(ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波書店1991)
→ヨーロッパよりも女性に自由がある
※グリフィス、カッテンディーケなどは、
東洋の他の国と比べても日本の女性には自由があるといっている
〔渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社2005〕
→ヨーロッパよりも女性に自由がある
※グリフィス、カッテンディーケなどは、
東洋の他の国と比べても日本の女性には自由があるといっている
〔渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社2005〕
⇒江戸時代以降の日本の社会では、女性は男性の意志のもとに屈服させられていたと考えられていたが、おそらくこれは明治以降の法制がつくりだした虚像
3夜這いの習俗(W:78-80/128)
- 明治以降なくなっていったが、いまでも生きている世界がある
4財布の紐を握る女性
- 織物・養蚕などは基本的にすべて女性の仕事(生産から販売まで)であったと思われる
+炭の販売、魚の加工・販売も女性の仕事
→動産―銭は女性が管理するのが当然
※オールコック「不思議なことに、女は主人よりもはるかに計算が上手」
ウェストン「主婦が一家の財布を預かり、実際に家庭を支配することが多い」
〔渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社2005〕
→動産―銭は女性が管理するのが当然
※オールコック「不思議なことに、女は主人よりもはるかに計算が上手」
ウェストン「主婦が一家の財布を預かり、実際に家庭を支配することが多い」
〔渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社2005〕
- 近代日本の主な輸出産業である製糸業・紡績業は、7世紀末以前から織物・養蚕などをしてきた女性に依存=女性の力なしに近代化はありえない、ただの安価な労働力ではない
※製糸・紡績には女性が親元から離れて自由な世界に行くという側面もあった
(前ページ「2女性だけの旅・娘の家出」と関連)
(前ページ「2女性だけの旅・娘の家出」と関連)
⇒公的な世界では、税を出しているのはすべて男性ということになっていることもあり、これまでの歴史研究者は女性の社会的な役割に注目してこなかった。しかし宮本は、女性の実生活を生き生きと描いている
○老人について
1村の寄りあい(W:36-39)
1村の寄りあい(W:36-39)
- 帳箱を開けるには、寄り合いにおいて全員が賛同しないといけない
2隠居の役割
- 「隠居」してからも年寄りには権力があった
→「庵室」(=隠居した家)がおもや(「主屋」「面屋」)に匹敵する力をもちつづけることも
⇒隠者文学や中国ではみられない院政ができてきたのも、
このような社会が根底にあったからではないか
⇒隠者文学や中国ではみられない院政ができてきたのも、
このような社会が根底にあったからではないか
○子供について
1子供と社会(W:86-88/100-104)
当時の人びとは、子供は個人のものではなく社会全体のものだと捉えていた
→・行方不明の子供を村の人みんなが自ずと捜索
・貰い手をさがしていた子供をおばあさんが育て、子供はふるさとに帰らず土地のものに
1子供と社会(W:86-88/100-104)
当時の人びとは、子供は個人のものではなく社会全体のものだと捉えていた
→・行方不明の子供を村の人みんなが自ずと捜索
・貰い手をさがしていた子供をおばあさんが育て、子供はふるさとに帰らず土地のものに
2養子や奉公人のあり方
- 奉公人は「名子」「下人」同様、ある家の隷属民、不自由民と考えられてきた
→しかし、江戸時代の雇用関係には、雇われる側が強い立場になることもあった
- 名子、家抱、下人が技術者・職能民であることもあった
- 人口の40パーセントが「名子」の都市も存在
⇒「名子」=隷属民という認識にも疑問、実質的には都市民である場合も多いのでは
→他に該当する身分がなかったので、仕方なく「名子」としているだけではないかと推測
→他に該当する身分がなかったので、仕方なく「名子」としているだけではないかと推測
○遍歴民について
1遍歴民の存在(W:73/82/235)
1遍歴民の存在(W:73/82/235)
- 茶筅や竹細工の箕を売る山窩、「飛騨工」は近代に入っても広範囲で仕事をしていた
- 遍歴する芸人が船賃をとられないということもあった
→芸人に権威があった時代の残影か
2「土佐源氏」について(W:131-158)
「土佐源氏」で登場する馬喰は乞食ではない
→宮本の著作を読む際には、創作の部分、別の場面での経験がはいっていることもあるので注意
○その他
アジール(W:177/240-241)
「土佐源氏」で登場する馬喰は乞食ではない
→宮本の著作を読む際には、創作の部分、別の場面での経験がはいっていることもあるので注意
○その他
アジール(W:177/240-241)
- 随所でアジールが描かれている
例:歌垣の場、対馬の天道地など
=ここに逃げ込むと罪人を捕らえることができない
=ここに逃げ込むと罪人を捕らえることができない
- 戦争などがあると山奥の「山小屋」にこもる
→城は本来的に聖地である山に築かれ、そこに籠もれば攻撃されない場所だったのでは
=本来、城は戦争のときに立てこもったり、攻撃するときの拠点ではない
=本来、城は戦争のときに立てこもったり、攻撃するときの拠点ではない
⇒集落と城は不可分
城ができたから集落ができたということだけでなく、両々相まっている
城ができたから集落ができたということだけでなく、両々相まっている
注:W:○ は『忘れられた日本人』の該当ページを表す