亀山が『価値』のなかで折々参照する、NHK世論調査部『日本の若者―その意識と行動』一九八六年で、「左手にプライド、右手にキャッシュカード」と揶揄された五〇年代から七〇年代前半生まれの年齢層は、すでに中年以上となっている。また、亀山は、『うその倫理学』以降、折にふれて、見田宗介が、『現代社会の社会意職』弘文堂、一九七九年のなかで論じる、他者の“まなざし地獄”を生きることを、現代の病態としてあげている。「人間を表層によって差別する」現代都市社会のなかでは、諸個人は誇示的消費によって「他者のまなざしを操作」しなければならない状況におかれているという見田の分析と、リースマンが『孤独な群集』(一九五〇/一九六四)で述べた高度消費社会の「他者志向'性」をふまえて、亀山は次のように、現代における自己の確保の困難さをまとめる。
「商品社会では他者志向性が構造的に生活全体に及ぶ。労働市場・職場・学校はもとより、日常の消費生活から社会的生活全般、果ては友人関係や家族関係に至るまで,生活のあらゆる場面で他者の“まなざし地獄”を生きることになる。こうした中で、自分らしさ・個性・自己の誇りなど自己のアイデンティティは、他者の視線への過剰適応による“積分的膨張”の中で雲散霧消するか,“微分的極小化”の果てに無化するか、どちらかになる」(宗教、九八)。
たしかに、商品社会の昂進は、生活者に非常な不快、苦痛をもたらすように思える。一九九九年からは毎年三万人以上の自殺者が出ており、うつ病の診療者数も増加している。
しかし、その一方で、内閣府が定期的に行っている「国民生活に関する世論調査」によれば、二〇一〇年の時点で、二〇代男性の六五.九%、二〇代女性の七五.二%が、現在の生活に「満足している」と回答していることも考慮に入れる必要がある。NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査や「世界青年意識調査」等でも同様に、近年の二〇代男女の幸福度は過去最高の水準にあることが示されている。また、この極めて高い幸福度と裏腹に、「日頃の生活の中で、不安がある」と答えた二〇代は一九八〇年代後半の四割弱から二〇〇八年は六七.一%に上昇している。
この状況の背景について、大澤真幸は、将来の可能性が残されている人や、これからの人生に希望がある人にとって、現状の不満は自分を全否定したことにはならないが、もはや自分がこれ以上の満足を得られると思えない時、人は今の生活に満足していると回答すると分析する(大澤真幸『 』)。また、中沢明子は、消費が誇示的なものではなく、毎日の暮らしに楽しさをもたらせてくれる「遠足型消費」へと移行しつつあることを指摘している(中沢明子『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』朝日新書)。古市寿憲は、社会起業家と呼ばれる人たちをはじめ、社会志向が目立つようになってきたことを指摘している。二〇一一年の内閣府「社会意識に関する世論調査」によると、二〇代のうち「社会志向」は五五.〇%。同じ調査で七〇歳以上を見ると「社会志向」は五四%。二〇代の「社会志向」は八〇年代には三〇%以下であったが、右肩上がりに強まっている。この背景には、豊かさを享受している「後ろめたさ」のようなものがあるからと古市は分析している(『絶望の国の幸福な若者たち』講談社、二〇一一年)。
見田、亀山が考察対象としていたものとは別の世代層が現れつつあること、また、東日本大震災以降の「新しい成長の限界」のなかで、「現代的問題」は今後、さらに変化していくことを鑑みれば、誰にとってのどのような苦痛を問題とするのか、という問いはますます重要になってきている。
「商品社会では他者志向性が構造的に生活全体に及ぶ。労働市場・職場・学校はもとより、日常の消費生活から社会的生活全般、果ては友人関係や家族関係に至るまで,生活のあらゆる場面で他者の“まなざし地獄”を生きることになる。こうした中で、自分らしさ・個性・自己の誇りなど自己のアイデンティティは、他者の視線への過剰適応による“積分的膨張”の中で雲散霧消するか,“微分的極小化”の果てに無化するか、どちらかになる」(宗教、九八)。
たしかに、商品社会の昂進は、生活者に非常な不快、苦痛をもたらすように思える。一九九九年からは毎年三万人以上の自殺者が出ており、うつ病の診療者数も増加している。
しかし、その一方で、内閣府が定期的に行っている「国民生活に関する世論調査」によれば、二〇一〇年の時点で、二〇代男性の六五.九%、二〇代女性の七五.二%が、現在の生活に「満足している」と回答していることも考慮に入れる必要がある。NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査や「世界青年意識調査」等でも同様に、近年の二〇代男女の幸福度は過去最高の水準にあることが示されている。また、この極めて高い幸福度と裏腹に、「日頃の生活の中で、不安がある」と答えた二〇代は一九八〇年代後半の四割弱から二〇〇八年は六七.一%に上昇している。
この状況の背景について、大澤真幸は、将来の可能性が残されている人や、これからの人生に希望がある人にとって、現状の不満は自分を全否定したことにはならないが、もはや自分がこれ以上の満足を得られると思えない時、人は今の生活に満足していると回答すると分析する(大澤真幸『 』)。また、中沢明子は、消費が誇示的なものではなく、毎日の暮らしに楽しさをもたらせてくれる「遠足型消費」へと移行しつつあることを指摘している(中沢明子『遠足型消費の時代―なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』朝日新書)。古市寿憲は、社会起業家と呼ばれる人たちをはじめ、社会志向が目立つようになってきたことを指摘している。二〇一一年の内閣府「社会意識に関する世論調査」によると、二〇代のうち「社会志向」は五五.〇%。同じ調査で七〇歳以上を見ると「社会志向」は五四%。二〇代の「社会志向」は八〇年代には三〇%以下であったが、右肩上がりに強まっている。この背景には、豊かさを享受している「後ろめたさ」のようなものがあるからと古市は分析している(『絶望の国の幸福な若者たち』講談社、二〇一一年)。
見田、亀山が考察対象としていたものとは別の世代層が現れつつあること、また、東日本大震災以降の「新しい成長の限界」のなかで、「現代的問題」は今後、さらに変化していくことを鑑みれば、誰にとってのどのような苦痛を問題とするのか、という問いはますます重要になってきている。