中間発表会での質問について
①章節構成の表題から論文の流れが分かり難い(榎本先生)
中間発表の時点では本論の内容がほとんど深まっていなかったために、章節構成は大まかな骨子としてあくまで仮として考えたものです。今後本論を書いていく上で章節構成も大幅に変更する可能性があるため、それに合わせてより分かりやすい、論旨が伝わりやすいような表題を考えていきたいと思います。
② 経済のことが言及されていない(吉田先生)
表題としてはとくに扱っていませんが、経済について、人間の欲望との関係については問題意識の中に含まれており、当然考慮しています。
というよりも、経済という現象が人間の活動によって生じるものである以上、それは常に哲学や倫理学の対象であるし、そうでなければならないということができます。実際“自身の利益を追求し合理的に行動する経済的人間“という概念もあくまである思想的立場から考え出されたものに過ぎません。
経済「学」は基本的に人間を「経済的人間」と仮定した上に立つ学問であり、そこから導かれる理論によって成立しています。しかし、本論文においてはそのような限定をすることなく、そもそも人間とはどのようなものなのかを全体として考察することが目的であるため、原理的に経済学の知見を用いるということはできません。
ただし「経済活動をする人間」という意味では、果てない欲望の追求というような現代資本主義社会の現象を、経済というものが人間にとってどのような意味を持つのか、欲望に線引きはできるのかという問題として考察の対象とすることができます。例えば本論で注目している人間の身体性の観点からは、現代の金融市場のような経済活動は著しく身体性の欠如したあり方と捉えられます。こうした経済活動が人間にとってどのような影響を及ぼすのかなど、本論において考えていきたいと思っています。
というよりも、経済という現象が人間の活動によって生じるものである以上、それは常に哲学や倫理学の対象であるし、そうでなければならないということができます。実際“自身の利益を追求し合理的に行動する経済的人間“という概念もあくまである思想的立場から考え出されたものに過ぎません。
経済「学」は基本的に人間を「経済的人間」と仮定した上に立つ学問であり、そこから導かれる理論によって成立しています。しかし、本論文においてはそのような限定をすることなく、そもそも人間とはどのようなものなのかを全体として考察することが目的であるため、原理的に経済学の知見を用いるということはできません。
ただし「経済活動をする人間」という意味では、果てない欲望の追求というような現代資本主義社会の現象を、経済というものが人間にとってどのような意味を持つのか、欲望に線引きはできるのかという問題として考察の対象とすることができます。例えば本論で注目している人間の身体性の観点からは、現代の金融市場のような経済活動は著しく身体性の欠如したあり方と捉えられます。こうした経済活動が人間にとってどのような影響を及ぼすのかなど、本論において考えていきたいと思っています。
③「リア充とは、関係的な時間を持っている人々だ」と言いたいのか(学生)
現時点では、「リア充」とは時間性と空間性の基盤を持っている人、つまり差異化と共通感覚による〈私〉の形成過程が上手く循環している人というようにとらえられると考えています。
とはいえ、本論では「リア充」の定義をすることが直接の目的ではないので、「リア充とはこういう人だ」というような結論を出すつもりはあまりありません。
とはいえ、本論では「リア充」の定義をすることが直接の目的ではないので、「リア充とはこういう人だ」というような結論を出すつもりはあまりありません。
