第一節 霊木信仰と草木成仏思想
本節では、仏教説話集の中での霊木信仰の扱われ方の変遷を追う。後に天台教学から現れる草木成仏思想が、「草木国土悉皆成仏」というキーワードにまとめられて、広く受け入れられるまでにはまだ時間がある。しかし、天台教学においては安然(841年-915年)が草木成仏思想の達成者と言われているので、この思想が展開していく時代に成立していく『日本霊異記』、『今昔物語集』、『沙石集』の霊木に関連する説話を取り上げることは、「草木国土悉皆成仏」というキーワードが氾濫する前の、樹木と民衆の関係を見ることを可能にする。
まず、『日本霊異記』上巻第三「電(いかづち)の憙(むがしび)を得て生ましめし子の強き力ある縁(えに)」では、「電(いかづち)」が恩返しとして、怪力を持った「少子(ちひさこ)」を生み、「農夫(たつくるをのこ)」に授ける。その時に、農夫に楠で水槽を作らせ、水を入れさせ、その中に竹の葉を浮かべさせる。このような楠船は古来、空を翔る力を秘めるものとされており、楠は「電(いかづち)」の依り代、竹の葉は「電(いかづち)」の乗り物とされている。
また、『日本霊異記』上巻第五「三宝を信敬(しんぎょう)しまつりて現報を得る縁(えに)」では、雷に打たれた楠から仏像を作る。
『今昔物語集』巻第31第37「近江国栗太郡(おうみのくにくりもとのこおり)に大柞(ははそ)を伐る語(こと)」では、近江国の大木伝説を投影した大木のために、田畑に日が当たらないとして、百姓が天皇に奏上し、大木は切り倒される。その後は豊かな実りを得るようになり、百姓の子孫は今もその郡に栄えているという。説話末での、子孫が栄えるという記述は、猿神退治の説話にも見られ、かつて聖性を持っていたものが退治されるという展開の類似を指摘できる。
『沙石集』巻第6の18「袈裟(の)徳(の)事」では、尾張の国に雷神が落ちたが、法師とその法師がかけていた袈裟には、全く被害がなかったという。また、別の僧が古い巨木を切って、寺を建立しようとすると、樹神(こたま)が在家の人に憑いて、「僧を止めて欲しい」と頼む。憑かれた在家の人が、「それなら、僧に憑いて祟ればよいではないか」と言うと、樹神は、「私たちは僧の袈裟衣の風に当たり、陀羅尼 の声を聞いてこそ、苦患(くげん)も助かるので、僧を悩ませることはできない」と言ったという。また別の樹神も、在家の人に憑いて、「僧は恐ろしいので私からは申し上げません。僧を止めて下さい。」と言ったという。
ここまでに取り上げた4つの説話では、結局それぞれの木は伐採されている。しかし、霊木の聖性は、時代を下るにつれて失われていく。『日本霊異記』では、楠は雷神の依り代であったが、上巻第3では「少子(ちひさこ)」は後に法師になり、上巻第5では楠は仏像に加工される。これは、雷神が仏教的世界に取り込まれたと解釈できる。『今昔物語集』では、百姓の田畑のために、巨木を退治したと解釈できる。『沙石集』では、雷神は僧に対して無力であり、樹神は僧に仏教的方法で助けられる存在として、僧を恐れている。
ここから、初めは木にや神に宿っているとされた超越的な力が、「少子(ちひさこ)」や樹神として木から取り出されて、仏法に帰依する存在にされていったことが見て取れる。このような説話の解釈は、後の草木自体に仏性があるという思想、それゆえに成仏するという思想にも接続可能だが、ここで着目したいのは、それでも説話の中の木は全て伐採されていたということである。梅原は、草木成仏思想を、環境思想として評価している。しかし、説話を見る限り、木に仏性を認め、木が成仏することを認めることへの繋がりは確認できても、それがすなわち木の伐採を思いとどまること、すなわち開発の歯止めには繋がらないのである。
ちなみに、『今昔物語集』においては、貴族が風流心の表現として和歌を詠む説話はあっても、民衆が草木に対して風流心を起こす説話は見られない。草木と民衆の関わり方について、霊木信仰のみが主に扱われていることは、民衆の自然観において草木との関わりがないというよりも、仏教説話集としての性質から、民衆の草木の利用があまり描かれないのだと考えられる 。
本節では、仏教説話集の中での霊木信仰の扱われ方の変遷を追う。後に天台教学から現れる草木成仏思想が、「草木国土悉皆成仏」というキーワードにまとめられて、広く受け入れられるまでにはまだ時間がある。しかし、天台教学においては安然(841年-915年)が草木成仏思想の達成者と言われているので、この思想が展開していく時代に成立していく『日本霊異記』、『今昔物語集』、『沙石集』の霊木に関連する説話を取り上げることは、「草木国土悉皆成仏」というキーワードが氾濫する前の、樹木と民衆の関係を見ることを可能にする。
まず、『日本霊異記』上巻第三「電(いかづち)の憙(むがしび)を得て生ましめし子の強き力ある縁(えに)」では、「電(いかづち)」が恩返しとして、怪力を持った「少子(ちひさこ)」を生み、「農夫(たつくるをのこ)」に授ける。その時に、農夫に楠で水槽を作らせ、水を入れさせ、その中に竹の葉を浮かべさせる。このような楠船は古来、空を翔る力を秘めるものとされており、楠は「電(いかづち)」の依り代、竹の葉は「電(いかづち)」の乗り物とされている。
また、『日本霊異記』上巻第五「三宝を信敬(しんぎょう)しまつりて現報を得る縁(えに)」では、雷に打たれた楠から仏像を作る。
『今昔物語集』巻第31第37「近江国栗太郡(おうみのくにくりもとのこおり)に大柞(ははそ)を伐る語(こと)」では、近江国の大木伝説を投影した大木のために、田畑に日が当たらないとして、百姓が天皇に奏上し、大木は切り倒される。その後は豊かな実りを得るようになり、百姓の子孫は今もその郡に栄えているという。説話末での、子孫が栄えるという記述は、猿神退治の説話にも見られ、かつて聖性を持っていたものが退治されるという展開の類似を指摘できる。
『沙石集』巻第6の18「袈裟(の)徳(の)事」では、尾張の国に雷神が落ちたが、法師とその法師がかけていた袈裟には、全く被害がなかったという。また、別の僧が古い巨木を切って、寺を建立しようとすると、樹神(こたま)が在家の人に憑いて、「僧を止めて欲しい」と頼む。憑かれた在家の人が、「それなら、僧に憑いて祟ればよいではないか」と言うと、樹神は、「私たちは僧の袈裟衣の風に当たり、陀羅尼 の声を聞いてこそ、苦患(くげん)も助かるので、僧を悩ませることはできない」と言ったという。また別の樹神も、在家の人に憑いて、「僧は恐ろしいので私からは申し上げません。僧を止めて下さい。」と言ったという。
ここまでに取り上げた4つの説話では、結局それぞれの木は伐採されている。しかし、霊木の聖性は、時代を下るにつれて失われていく。『日本霊異記』では、楠は雷神の依り代であったが、上巻第3では「少子(ちひさこ)」は後に法師になり、上巻第5では楠は仏像に加工される。これは、雷神が仏教的世界に取り込まれたと解釈できる。『今昔物語集』では、百姓の田畑のために、巨木を退治したと解釈できる。『沙石集』では、雷神は僧に対して無力であり、樹神は僧に仏教的方法で助けられる存在として、僧を恐れている。
ここから、初めは木にや神に宿っているとされた超越的な力が、「少子(ちひさこ)」や樹神として木から取り出されて、仏法に帰依する存在にされていったことが見て取れる。このような説話の解釈は、後の草木自体に仏性があるという思想、それゆえに成仏するという思想にも接続可能だが、ここで着目したいのは、それでも説話の中の木は全て伐採されていたということである。梅原は、草木成仏思想を、環境思想として評価している。しかし、説話を見る限り、木に仏性を認め、木が成仏することを認めることへの繋がりは確認できても、それがすなわち木の伐採を思いとどまること、すなわち開発の歯止めには繋がらないのである。
ちなみに、『今昔物語集』においては、貴族が風流心の表現として和歌を詠む説話はあっても、民衆が草木に対して風流心を起こす説話は見られない。草木と民衆の関わり方について、霊木信仰のみが主に扱われていることは、民衆の自然観において草木との関わりがないというよりも、仏教説話集としての性質から、民衆の草木の利用があまり描かれないのだと考えられる 。
第二節 不殺生思想の変遷 ―『日本霊異記』から『今昔物語集』まで―
仏教の民間布教の先駆者は行基だと言われている。行基は、当時の厳しい僧尼令を破って民間布教をし、その結果、一度は異端視された。そのような行基を、大僧正として抜擢したのが、天平の時代に東大寺の大仏を建立し、自らを「三宝の奴」と表現した聖武天皇である。『日本霊異記』の作者である景戒は、仏教の興隆に努めた聖武天皇を、日本における仏教の父である聖徳太子の生まれ変わりとした。聖徳太子は、『日本霊異記』の中では、凡人には見抜けない隠身の聖の聖性を見抜いた通眼の持ち主として描かれている。そして、聖武天皇が抜擢した行基を、文殊菩薩の反化(変化)としている。『日本霊異記』では、かつて聖徳太子は、道で出会った賤しい人のことを、隠身の聖だと見抜いたというエピソードが語られる。景戒はその光景を、聖武天皇が、一度は異端視された行基を大僧正に抜擢した現実のエピソードと重ねて見ている。平安時代は、当時の公務員であり民間布教が禁じられていた官僧に対して、官の許しを得ずに出家した私度僧が現れた時代であった。景戒は、凡夫の肉眼には賤しい人に見える私度僧の立場を、『日本霊異記』の中で意味づけして提示しようとしたのであった。
仏教の民間布教に際して、景戒が伝えようとしたことは、現報、因果、輪廻転生の3つの概念であった。『日本霊異記』が、正確には『日本国現報善悪霊異記』であることからも、それは推測できるであろう。現報とは、報いが現れることである。景戒によれば、「現報はなはだ近し」であって、ある行いに対する報いが必ずたちまちのうちに現れるということであった。つまり、現世の行いの報いは、現世の間に受けることが基本であった。因果とは、善因となる言動が善果をもたらし、悪因となる言動が悪果をもたらすということである。景戒にとっては、「因果を信(まこと)なりとせず。」(『日本霊異記』上巻第15縁)のような人が「悪人」であった。景戒は、人々の一生の中で、仏教において善いとする言動は現世で善い結果をもたらし、悪いとする言動は現世で悪い結果をもたらすことを「奇しき事」として説話の中で描いた。善因善果・悪因悪果は基本的に逃れられないものとされた。そして、それらに輪廻転生説が添えられていた。したがって、人々が『日本霊異記』の説話に触れたときに、殺生を忌避する動機となる感覚は、因果応報に基づいて、殺生をすると悪報として自分も死んでしまうのではないかと思うからと、輪廻転生説に基づいて、殺そうとする動物(有情)が自分の親かも知れないからである。こうして、仏教的な善悪の意識を持って、自らの言動を省みるという態度が、説話の物語とともに伝えられたのではないかと考えられる。
ところが、仏教の世界観では基本となる因果応報と輪廻転生の概念は、『今昔物語集』において宿報(しゅくほう)という概念を生む。例として、「鷲の育て子」という同一のモチーフを用いた説話上での作者のまとめ方の違いを見てみる。『日本霊異記』上巻第9縁では、「まことに知る、天の哀れびて資(たす)くるところ、父子は深き縁なりといふことを。」と結ぶのに対し、この話に取材する『今昔物語集』巻26第1話では、「此れも前生(ぜんしょう)の宿報にこそは有りけめ。」と結ぶ。ある子どもが鷲にさらわれて、のちに父と奇跡的に再会するという、もともと仏教色の薄いモチーフを、単なる「深き縁」から因果応報と輪廻転生による「宿報」であると解釈しなおしている。この説話では、前世での縁が、現世でも現れるという解釈になっている。しかしそのほかの説話では、宿報は、前世で作った善因・悪因が、現世で善果・悪果となって現れることをいったり、現世で作った善因・悪因が、来世で善果・悪果となって現れることをいったりもする。こうして、来世で受けることになる報いを踏まえて、現世の自らの言動を決定するという思考様式が導かれていく。
しかしそれは同時に、『日本霊異記』では現世で受けるはずだった悪報を、『今昔物語集』では来世に先延ばしするということであった。前述したように、『日本霊異記』では、例外となる説話もないわけではないが、基本的に因果の道理は現世の中で完結するものであった。しかし、『今昔物語集』では、現世で作った悪因の報いは、来世で受けると考えるようになる。例として、巻29第27話では、現世で様々な狩りに興じていた人が、「殺生の罪をどうしたらいいものか」と歎いて死ぬところで話が終わる。悪報が来世まで先延ばしされているのである。これにより、『日本霊異記』では、すぐに起こるとされていた殺生の報いは、来世に先延ばしされ、現世における殺生はそれほど恐ろしいことではなくなる。ここに、『今昔物語集』が用意した、現世での殺生容認の論理が読み取れるのである。
仏教の民間布教の先駆者は行基だと言われている。行基は、当時の厳しい僧尼令を破って民間布教をし、その結果、一度は異端視された。そのような行基を、大僧正として抜擢したのが、天平の時代に東大寺の大仏を建立し、自らを「三宝の奴」と表現した聖武天皇である。『日本霊異記』の作者である景戒は、仏教の興隆に努めた聖武天皇を、日本における仏教の父である聖徳太子の生まれ変わりとした。聖徳太子は、『日本霊異記』の中では、凡人には見抜けない隠身の聖の聖性を見抜いた通眼の持ち主として描かれている。そして、聖武天皇が抜擢した行基を、文殊菩薩の反化(変化)としている。『日本霊異記』では、かつて聖徳太子は、道で出会った賤しい人のことを、隠身の聖だと見抜いたというエピソードが語られる。景戒はその光景を、聖武天皇が、一度は異端視された行基を大僧正に抜擢した現実のエピソードと重ねて見ている。平安時代は、当時の公務員であり民間布教が禁じられていた官僧に対して、官の許しを得ずに出家した私度僧が現れた時代であった。景戒は、凡夫の肉眼には賤しい人に見える私度僧の立場を、『日本霊異記』の中で意味づけして提示しようとしたのであった。
仏教の民間布教に際して、景戒が伝えようとしたことは、現報、因果、輪廻転生の3つの概念であった。『日本霊異記』が、正確には『日本国現報善悪霊異記』であることからも、それは推測できるであろう。現報とは、報いが現れることである。景戒によれば、「現報はなはだ近し」であって、ある行いに対する報いが必ずたちまちのうちに現れるということであった。つまり、現世の行いの報いは、現世の間に受けることが基本であった。因果とは、善因となる言動が善果をもたらし、悪因となる言動が悪果をもたらすということである。景戒にとっては、「因果を信(まこと)なりとせず。」(『日本霊異記』上巻第15縁)のような人が「悪人」であった。景戒は、人々の一生の中で、仏教において善いとする言動は現世で善い結果をもたらし、悪いとする言動は現世で悪い結果をもたらすことを「奇しき事」として説話の中で描いた。善因善果・悪因悪果は基本的に逃れられないものとされた。そして、それらに輪廻転生説が添えられていた。したがって、人々が『日本霊異記』の説話に触れたときに、殺生を忌避する動機となる感覚は、因果応報に基づいて、殺生をすると悪報として自分も死んでしまうのではないかと思うからと、輪廻転生説に基づいて、殺そうとする動物(有情)が自分の親かも知れないからである。こうして、仏教的な善悪の意識を持って、自らの言動を省みるという態度が、説話の物語とともに伝えられたのではないかと考えられる。
ところが、仏教の世界観では基本となる因果応報と輪廻転生の概念は、『今昔物語集』において宿報(しゅくほう)という概念を生む。例として、「鷲の育て子」という同一のモチーフを用いた説話上での作者のまとめ方の違いを見てみる。『日本霊異記』上巻第9縁では、「まことに知る、天の哀れびて資(たす)くるところ、父子は深き縁なりといふことを。」と結ぶのに対し、この話に取材する『今昔物語集』巻26第1話では、「此れも前生(ぜんしょう)の宿報にこそは有りけめ。」と結ぶ。ある子どもが鷲にさらわれて、のちに父と奇跡的に再会するという、もともと仏教色の薄いモチーフを、単なる「深き縁」から因果応報と輪廻転生による「宿報」であると解釈しなおしている。この説話では、前世での縁が、現世でも現れるという解釈になっている。しかしそのほかの説話では、宿報は、前世で作った善因・悪因が、現世で善果・悪果となって現れることをいったり、現世で作った善因・悪因が、来世で善果・悪果となって現れることをいったりもする。こうして、来世で受けることになる報いを踏まえて、現世の自らの言動を決定するという思考様式が導かれていく。
しかしそれは同時に、『日本霊異記』では現世で受けるはずだった悪報を、『今昔物語集』では来世に先延ばしするということであった。前述したように、『日本霊異記』では、例外となる説話もないわけではないが、基本的に因果の道理は現世の中で完結するものであった。しかし、『今昔物語集』では、現世で作った悪因の報いは、来世で受けると考えるようになる。例として、巻29第27話では、現世で様々な狩りに興じていた人が、「殺生の罪をどうしたらいいものか」と歎いて死ぬところで話が終わる。悪報が来世まで先延ばしされているのである。これにより、『日本霊異記』では、すぐに起こるとされていた殺生の報いは、来世に先延ばしされ、現世における殺生はそれほど恐ろしいことではなくなる。ここに、『今昔物語集』が用意した、現世での殺生容認の論理が読み取れるのである。
第三節 不殺生思想の変遷 ―『今昔物語集』から『沙石集』まで―
前節では、『今昔物語集』における悪果の先延ばしと、それによる現世での殺生容認の論理の成立を論じた。そうなると、現世で殺生してしまったが、来世ではそのための悪果を受けたくない、という民衆の事情に沿った論理の模索が始まったと考えていいだろう。仏教説話は、民衆への仏教の唱導教化のために作られたと考えられるので、説話が民衆に影響を与える一方で、民衆のありようが説話に反映されると考えられる。本節では、現世での殺生容認の論理を、大まかに2点に分けて論じる。
1点目は、念仏往生である。民衆が来世で悪果を受けるのは、現世で殺生したからだと説明してきた。だが、より根本的な理由を探せば、六道の中で輪廻転生しているからであり、それを逃れてしまえば、来世で悪果を受けることもない。しかし、経を読誦したり、造仏したりという困難な修行は、民衆にはできない。『日本霊異記』の説話から一貫して、経は、やはり僧に頼んで読んでもらうものであった。しかし、『沙石集』成立前の院政期は、法然、親鸞、一遍らがそれぞれ、民衆のための易行で往生できる浄土教を作り上げた時期である。『今昔物語集』では、殺生を生業とする法師が念仏往生する話(巻15第27話)がある。『沙石集』でも、漁師にもできる易行としての念仏により往生する説話(巻第6の6)がある。以下に後者の概要を示す。
北国の海辺に、漁師が寄り合って、お堂を建てて供養していたが、導師が心に叶わなかった。ある僧が、漁師の心を知って供養するには、「皆様は、必ず往生なさいます。その訳は、念仏が弥陀の浄土に往生する正しい行業だからです。しかも不断に念仏しているので、往生することに間違いありません。皆様は、自然に不断の念仏を申しておられます。朝に夕に、一人ひとり網を持って、『アミアミ』と、おっしゃれば、波がタブタブとなります。これは、いつも阿弥陀仏と申されているということであり、ありがたいことです。」と言った。漁師たちは喜んで、一生の財産を布施した。僧が布施を望んで説法するならば、正理にもとる妄見である。もし菩薩の同事の行 を心得て、どうにかして心を向けさせて、滅罪生善の道に入れる方便ならば、理非の正反対のことでも、咎はないはずだ。
漁師の心を捉えて話す僧が、同事の行の方便として、アミアミとタブタブが不断の念仏になっていると言った。『沙石集』の作者である無住が「方便」と言ったのは、アミアミとタブタブの部分のことであろうから、やはり念仏は、阿弥陀仏の浄土に往生するための正しい行業とされているのである。そして、『今昔物語集』では、殺生を生業としているとはいえ法師でないとできなかった念仏往生を、『沙石集』では、漁師にもできるとしている。結果、念仏することで、来世での宿報を恐れることなく、現世での生業に伴う殺生ができるようになったのである。以上が、殺生容認の論理1点目である。
2点目は、本地垂迹説から生じた殺生善根論 である。本地垂迹説は、平安時代後期に成立した。『沙石集』巻第1の8「生類ヲ神明ニ供ズル不審ノ事」では、厳島神社に参籠した上人が、社頭に魚がそなえられていることを不審に思って祈請すると、「これは因果の理を知らず、徒に物の命を殺して、浮かばれない者が、私にそなえようと思う心によって、咎を私に譲って彼は罪軽く、殺された生類は、報命 尽きて何となく徒に捨てることになる命を、私に供えようとする因縁によって、仏道に入る手段とする。よって私の力で、報命尽きた魚類を駈り寄せてとらせるのだ。」と示されたということである。本話の前半部分に「和光ノ本地ハ仏菩薩ナリ。」とあるように、本地垂迹説が採用され、厳島神社の神の本地は仏であるとされる。そのため、魚が成仏できるのである。仏が漁師の被る悪果・悪報を引き受け、魚類の成仏も引き受けるとした上で、仏自ら漁師に魚類を捕らせていると宣言している。ここで初めて、これまで基本的に悪果のみしか導かないものだった殺生行為が、善い結果を導くと解釈されるのである。善果を導くものを、景戒が善因と呼んでいたことを踏まえると、仏の垂迹である神に供える(巻第1の8)、人に食べられる(巻第1の8拾遺) という状況に限られているが、殺生行為が悪因から善因に解釈し直されたと言えるのである。以上が、殺生容認の論理2点目である。
前節では、『今昔物語集』における悪果の先延ばしと、それによる現世での殺生容認の論理の成立を論じた。そうなると、現世で殺生してしまったが、来世ではそのための悪果を受けたくない、という民衆の事情に沿った論理の模索が始まったと考えていいだろう。仏教説話は、民衆への仏教の唱導教化のために作られたと考えられるので、説話が民衆に影響を与える一方で、民衆のありようが説話に反映されると考えられる。本節では、現世での殺生容認の論理を、大まかに2点に分けて論じる。
1点目は、念仏往生である。民衆が来世で悪果を受けるのは、現世で殺生したからだと説明してきた。だが、より根本的な理由を探せば、六道の中で輪廻転生しているからであり、それを逃れてしまえば、来世で悪果を受けることもない。しかし、経を読誦したり、造仏したりという困難な修行は、民衆にはできない。『日本霊異記』の説話から一貫して、経は、やはり僧に頼んで読んでもらうものであった。しかし、『沙石集』成立前の院政期は、法然、親鸞、一遍らがそれぞれ、民衆のための易行で往生できる浄土教を作り上げた時期である。『今昔物語集』では、殺生を生業とする法師が念仏往生する話(巻15第27話)がある。『沙石集』でも、漁師にもできる易行としての念仏により往生する説話(巻第6の6)がある。以下に後者の概要を示す。
北国の海辺に、漁師が寄り合って、お堂を建てて供養していたが、導師が心に叶わなかった。ある僧が、漁師の心を知って供養するには、「皆様は、必ず往生なさいます。その訳は、念仏が弥陀の浄土に往生する正しい行業だからです。しかも不断に念仏しているので、往生することに間違いありません。皆様は、自然に不断の念仏を申しておられます。朝に夕に、一人ひとり網を持って、『アミアミ』と、おっしゃれば、波がタブタブとなります。これは、いつも阿弥陀仏と申されているということであり、ありがたいことです。」と言った。漁師たちは喜んで、一生の財産を布施した。僧が布施を望んで説法するならば、正理にもとる妄見である。もし菩薩の同事の行 を心得て、どうにかして心を向けさせて、滅罪生善の道に入れる方便ならば、理非の正反対のことでも、咎はないはずだ。
漁師の心を捉えて話す僧が、同事の行の方便として、アミアミとタブタブが不断の念仏になっていると言った。『沙石集』の作者である無住が「方便」と言ったのは、アミアミとタブタブの部分のことであろうから、やはり念仏は、阿弥陀仏の浄土に往生するための正しい行業とされているのである。そして、『今昔物語集』では、殺生を生業としているとはいえ法師でないとできなかった念仏往生を、『沙石集』では、漁師にもできるとしている。結果、念仏することで、来世での宿報を恐れることなく、現世での生業に伴う殺生ができるようになったのである。以上が、殺生容認の論理1点目である。
2点目は、本地垂迹説から生じた殺生善根論 である。本地垂迹説は、平安時代後期に成立した。『沙石集』巻第1の8「生類ヲ神明ニ供ズル不審ノ事」では、厳島神社に参籠した上人が、社頭に魚がそなえられていることを不審に思って祈請すると、「これは因果の理を知らず、徒に物の命を殺して、浮かばれない者が、私にそなえようと思う心によって、咎を私に譲って彼は罪軽く、殺された生類は、報命 尽きて何となく徒に捨てることになる命を、私に供えようとする因縁によって、仏道に入る手段とする。よって私の力で、報命尽きた魚類を駈り寄せてとらせるのだ。」と示されたということである。本話の前半部分に「和光ノ本地ハ仏菩薩ナリ。」とあるように、本地垂迹説が採用され、厳島神社の神の本地は仏であるとされる。そのため、魚が成仏できるのである。仏が漁師の被る悪果・悪報を引き受け、魚類の成仏も引き受けるとした上で、仏自ら漁師に魚類を捕らせていると宣言している。ここで初めて、これまで基本的に悪果のみしか導かないものだった殺生行為が、善い結果を導くと解釈されるのである。善果を導くものを、景戒が善因と呼んでいたことを踏まえると、仏の垂迹である神に供える(巻第1の8)、人に食べられる(巻第1の8拾遺) という状況に限られているが、殺生行為が悪因から善因に解釈し直されたと言えるのである。以上が、殺生容認の論理2点目である。
第四節 不殺生思想の変遷 ―『沙石集』から―
前々節からこれまで見てきたように、景戒によって提示された「現報」、「因果」、「輪廻転生」の3つの概念は、4つ目の概念である「宿報」を作り出し、この「宿報」は、現世で逃れられないとされていた報いを、来世に先延ばしし、現世での殺生の報いは現世で受けなくてもよいという状況を作り出した。さらにそれらが展開したものとして、念仏往生と殺生善根論 を挙げた。これら2つは、現世で殺生をしても、来世以降ではその報いは逃れられないという構造さえ、逃れられるものにした。景戒が、「殺生してはいけない。殺生すれば、生きているうちに必ず報いを受ける 。」と民衆に提示した不殺生思想が変容を遂げた結果、殺生に対する民衆的な解釈で表現すると、「現世では殺生してもいいのだ。来世以降ではその報いを受けるかも知れないけれど。」となりさらに、「現世では殺生してもいいのだ。念仏往生すればいいのだし、殺生した生き物の成仏の手助けにもなるのだから。」となった。もちろん、『日本霊異記』、『今昔物語集』、『沙石集』は、どれ一つとして殺生を積極的に勧めたりはしない。しかし、殺生が許容される論理も全くないわけではない。それは傾向としては、現世での不殺生戒の空洞化に向かう論理展開であった。本論では特に、仏教的戒律の中でも不殺生戒の解釈の変容について述べているが、殺生以外の悪因についても、現世での言動の選択の際に、重要視されなくなり空洞化といわないまでも、不殺生を徹底しなければという強迫観念が薄まっていったことが説話で確認できる。
その空洞に入り込んできたのが、説話の聞き手である民衆の感覚である。亀山 は、『沙石集』に表れている、この民衆の感覚を、「世間の道理」としてまとめた。無住が『沙石集』において頻繁に使用する「因果の道理」とともに、無住の道理感覚、ひいては彼のまなざしの先にある当時の民衆の感覚を表現するものである。この「世間の道理」は、まず『今昔物語集』に見られ、より展開した形で『沙石集』の道理感覚の柱の一つとなるのである。無住は、因果の道理と世間の道理、「この二つの道理を体得するのが智恵であり、そのような実践的智恵を備える人が賢者」 であるとして、評価するのである。
前々節からこれまで見てきたように、景戒によって提示された「現報」、「因果」、「輪廻転生」の3つの概念は、4つ目の概念である「宿報」を作り出し、この「宿報」は、現世で逃れられないとされていた報いを、来世に先延ばしし、現世での殺生の報いは現世で受けなくてもよいという状況を作り出した。さらにそれらが展開したものとして、念仏往生と殺生善根論 を挙げた。これら2つは、現世で殺生をしても、来世以降ではその報いは逃れられないという構造さえ、逃れられるものにした。景戒が、「殺生してはいけない。殺生すれば、生きているうちに必ず報いを受ける 。」と民衆に提示した不殺生思想が変容を遂げた結果、殺生に対する民衆的な解釈で表現すると、「現世では殺生してもいいのだ。来世以降ではその報いを受けるかも知れないけれど。」となりさらに、「現世では殺生してもいいのだ。念仏往生すればいいのだし、殺生した生き物の成仏の手助けにもなるのだから。」となった。もちろん、『日本霊異記』、『今昔物語集』、『沙石集』は、どれ一つとして殺生を積極的に勧めたりはしない。しかし、殺生が許容される論理も全くないわけではない。それは傾向としては、現世での不殺生戒の空洞化に向かう論理展開であった。本論では特に、仏教的戒律の中でも不殺生戒の解釈の変容について述べているが、殺生以外の悪因についても、現世での言動の選択の際に、重要視されなくなり空洞化といわないまでも、不殺生を徹底しなければという強迫観念が薄まっていったことが説話で確認できる。
その空洞に入り込んできたのが、説話の聞き手である民衆の感覚である。亀山 は、『沙石集』に表れている、この民衆の感覚を、「世間の道理」としてまとめた。無住が『沙石集』において頻繁に使用する「因果の道理」とともに、無住の道理感覚、ひいては彼のまなざしの先にある当時の民衆の感覚を表現するものである。この「世間の道理」は、まず『今昔物語集』に見られ、より展開した形で『沙石集』の道理感覚の柱の一つとなるのである。無住は、因果の道理と世間の道理、「この二つの道理を体得するのが智恵であり、そのような実践的智恵を備える人が賢者」 であるとして、評価するのである。
第五節 説話的合理性
古代・中世民衆の仏教受容は、民衆の世界観は、仏教的世界観により破壊しつくされたのでもないし、徐々に塗り替えられていったのでもない。草木国土悉皆成仏の思想が、日本人のアニミズム的な感情にかない、これほど普及したのだということがよく言われるが、果たしてそうだろうか。もちろん感情的な需要という面もあったことは認めなければならないだろう。しかし、本論文で時代を下りながら3つの説話集を分析した結果、説話の中で、民衆独特の合理性が立ち現れてくるのである。
『日本霊異記』では、しきりに因果を説き、仏道への帰依を勧めるが、民衆にとっては悪報のおぞましい描写は感覚的に受容できても、それ以外は、内面化しにくいものだったのではないかと考えられる。その根拠としては、放生は一人ひとりの心がけと言うよりは国家儀礼であったし、経の読誦は俗の者が取り組める行ではなく、僧に頼まなければならないものであった。これでは、民衆の世界には仏教的なるものは浸透しにくい。このことは、仏教の論理と、民衆の論理がお互いにかみ合っていなかったことを示していると思われる。
『今昔物語集』では、娘をイケニヘに出していた共同体の過去を創出し、神と共同体の関係を退治という形で切り離し、イケニヘだった娘を退治した猟師や僧に譲渡することで、共同体は、神とではなく賢さ・勇敢さ・技能・仏法と繋がることになったことを述べた。
『沙石集』では、説話の中で、「世間ノ習(ならい)」の理解を評価する姿勢が表れたことを述べ、これは無住が「因果の道理」とともに「世間の道理」の存在を民衆の生活世界に認めていたことを表していると述べた。この「世間の道理」は、『今昔物語集』において、賢さ・勇敢さ・技能が評価されることとも無関係ではないと考えられる。
民衆の仏教受容とは、感情での受容ではなく、むしろ論理での受容が可能にした。それは、景戒が提示した「因果」が、民衆の道理感覚にかなうものに変容したからこそ可能になったと考えられる。
そして、因果応報を筆頭とする仏教の論理と、無住に発見された「世間の道理」に代表される民衆の道理感覚は、私度僧の中で、説法の場で、ある了解へと向かっていったと考えられる。そうでなければ、『沙石集』で「因果の道理」と「世間の道理」が一つのストーリーに収まることはなかったであろう。
橋本 は、ハーバマスによる、ウェーバーの悲観的な合理化論をどのように克服したのか(あるいはしていないのか)について論じている。ウェーバーは、近代社会を生み出した合理化過程が、「鋼鉄の檻」や「価値の多神教」に帰結し、人間が持てるようになったはずだった自由と意味が、逆に奪われることになるとした。これに対して、ハーバマスは、合理性とは、ウェーバーが「合理性」と呼ぶところの目的合理性のみではなく、コミュニケーション参加者の間で了解を達成するために知識を使う、そのときの合理性をコミュニケーション的合理性と呼んだ。コミュニケーション的合理性が解放されるにつれ、コミュニケーション参加者は、了解過程における不一致を、議論という反省的レベルで調停することを目指すようになるのだが、こうした理念は、すでに言語の構造に備わっているという。
コミュニケーション的合理性について、脱魔術化や近代化以前の時代の、しかもテクストの中の合理性との類似を主張するのは、ウェーバーやハーバマスの議論の前提から外れている。しかし、民衆の生活世界における仏教の論理的受容の様相から、説話テクストが言語として、説話の筆録と説法が議論として機能し、説話的合理性のもと営まれることの可能性を示唆できると考える。そして、そのことをもって、物語という行為に了解志向型コミュニケーションの可能性が存すると考えられる。
また、ゲイ は、社会生活はもの語り(story)によって構成されているとし、それ故にもの語りには、ヨーロッパ文明においてそれにふさわしい位置が与えられなければならないとした。本論文において、もの語りに説話的合理性を認めたことは、この論を後押しするものだろう。そしてゲイは、倫理と政治の架け橋を提供するもの語りに、政治的努力としての価値を認めている。
古代・中世民衆の仏教受容は、民衆の世界観は、仏教的世界観により破壊しつくされたのでもないし、徐々に塗り替えられていったのでもない。草木国土悉皆成仏の思想が、日本人のアニミズム的な感情にかない、これほど普及したのだということがよく言われるが、果たしてそうだろうか。もちろん感情的な需要という面もあったことは認めなければならないだろう。しかし、本論文で時代を下りながら3つの説話集を分析した結果、説話の中で、民衆独特の合理性が立ち現れてくるのである。
『日本霊異記』では、しきりに因果を説き、仏道への帰依を勧めるが、民衆にとっては悪報のおぞましい描写は感覚的に受容できても、それ以外は、内面化しにくいものだったのではないかと考えられる。その根拠としては、放生は一人ひとりの心がけと言うよりは国家儀礼であったし、経の読誦は俗の者が取り組める行ではなく、僧に頼まなければならないものであった。これでは、民衆の世界には仏教的なるものは浸透しにくい。このことは、仏教の論理と、民衆の論理がお互いにかみ合っていなかったことを示していると思われる。
『今昔物語集』では、娘をイケニヘに出していた共同体の過去を創出し、神と共同体の関係を退治という形で切り離し、イケニヘだった娘を退治した猟師や僧に譲渡することで、共同体は、神とではなく賢さ・勇敢さ・技能・仏法と繋がることになったことを述べた。
『沙石集』では、説話の中で、「世間ノ習(ならい)」の理解を評価する姿勢が表れたことを述べ、これは無住が「因果の道理」とともに「世間の道理」の存在を民衆の生活世界に認めていたことを表していると述べた。この「世間の道理」は、『今昔物語集』において、賢さ・勇敢さ・技能が評価されることとも無関係ではないと考えられる。
民衆の仏教受容とは、感情での受容ではなく、むしろ論理での受容が可能にした。それは、景戒が提示した「因果」が、民衆の道理感覚にかなうものに変容したからこそ可能になったと考えられる。
そして、因果応報を筆頭とする仏教の論理と、無住に発見された「世間の道理」に代表される民衆の道理感覚は、私度僧の中で、説法の場で、ある了解へと向かっていったと考えられる。そうでなければ、『沙石集』で「因果の道理」と「世間の道理」が一つのストーリーに収まることはなかったであろう。
橋本 は、ハーバマスによる、ウェーバーの悲観的な合理化論をどのように克服したのか(あるいはしていないのか)について論じている。ウェーバーは、近代社会を生み出した合理化過程が、「鋼鉄の檻」や「価値の多神教」に帰結し、人間が持てるようになったはずだった自由と意味が、逆に奪われることになるとした。これに対して、ハーバマスは、合理性とは、ウェーバーが「合理性」と呼ぶところの目的合理性のみではなく、コミュニケーション参加者の間で了解を達成するために知識を使う、そのときの合理性をコミュニケーション的合理性と呼んだ。コミュニケーション的合理性が解放されるにつれ、コミュニケーション参加者は、了解過程における不一致を、議論という反省的レベルで調停することを目指すようになるのだが、こうした理念は、すでに言語の構造に備わっているという。
コミュニケーション的合理性について、脱魔術化や近代化以前の時代の、しかもテクストの中の合理性との類似を主張するのは、ウェーバーやハーバマスの議論の前提から外れている。しかし、民衆の生活世界における仏教の論理的受容の様相から、説話テクストが言語として、説話の筆録と説法が議論として機能し、説話的合理性のもと営まれることの可能性を示唆できると考える。そして、そのことをもって、物語という行為に了解志向型コミュニケーションの可能性が存すると考えられる。
また、ゲイ は、社会生活はもの語り(story)によって構成されているとし、それ故にもの語りには、ヨーロッパ文明においてそれにふさわしい位置が与えられなければならないとした。本論文において、もの語りに説話的合理性を認めたことは、この論を後押しするものだろう。そしてゲイは、倫理と政治の架け橋を提供するもの語りに、政治的努力としての価値を認めている。
第六節 現代の環境問題と物語
地球規模で考えると、現代は、地球環境問題という国際政治運動が盛んである。森岡によれば、この国際政治運動とは、地球上のすべての国家が相乗りできるような「大きな物語」を共有することで、混乱した世界に新秩序を再構成しようとする試み である。
しかし森岡は、「自国の福祉のためには自腹を切れるが、開発途上国との格差是正のためには大きな犠牲をはらいたくない。こういうふうに考える人が、日本人のマジョリティである」 とも述べている。
一方、日本企業はこの運動に影響を受け、「環境問題対策」に取り組んでいる。この「環境問題対策」とは、技術開発で環境問題を解決できれば、日本人の生活レベルを下げなくてもよい、という発想であり、この点が消費者へのアピールポイント(または仮初めの安心を与える装置)にもなっている。
このような日本企業と消費者の関係を見て、槌田は、「物を売りたい企業は、まだリサイクルシステムが完備していない段階で、リサイクルシステムを組めない商品を売るので、『リサイクルできるのだから、どんどん消費しても良いのだ』という大量生産・大量消費の気分をいたずらにあおり、リサイクル完備社会は『リサイクル型超浪費社会』になる」 と述べている。
森岡はさらに、臓器移植技術と自然支配・環境破壊は、ともに人間のエゴイズムから生じたと主張している。
臓器移植は、臓器をもらう人間のエゴイズム(「他人の臓器をもらってまでも生き続けたい」 )をサポートするシステムであると森岡は主張する。エゴイズムはみんながこころに抱え込んでいて、この点ではみんな同罪なのだから、その願望はできるだけ認めてゆこうとするところに、臓器移植を肯定する社会が立ちあらわれる 。このエゴイズムを森岡は、「生命の欲望」と呼ぶ。大乗仏教における「闇の煩悩」とも言える。
つまり、現代文明の底辺には「生命の欲望」(もっと長く生きたい、もっと快適な生を送りたい)があり、現代の科学技術と社会システムがそれを精緻なかたちで満足させようとする。特に近代の科学技術は、機械論・二元論・還元論にもとづき、「生命の欲望」を満足させるツールとして発達してきた。その結果、人間は「生命の欲望」の満足、苦痛の回避、快楽を手放すことができなくなった。近代の科学技術と産業社会が「生命の欲望」に拍車をかけた結果、自然支配と環境破壊が起こったのである。このようにして資本主義システムは「生命の欲望」を巧妙に取り込んだわけだが、自然支配と環境破壊が露呈すると、これらを批判する思想(調和、共生、「森の思想」)をもまたひとつの「商品」として流通させ、そこから利潤をあげてきた 。つまり、資本主義システムは、エゴ(生命の欲望)を魅力的でロマン主義的なオブラートで包み商品化することで、環境破壊が忌避される時勢にもかかわらず潤沢な流通を確保し、消費者はそれ(商品化された調和、共生、「森の思想」)を表面的に賛美しつつ内なる「生命の欲望」を満足させてきたということである。これを森岡は、「『生命の欲望』と科学技術・近代社会システムの共犯関係」 と呼んでいる。
この共犯関係に対抗するには、まず、リベラリズムの否定からコミュニタリアニズムが生じたことに注目したい。法哲学者のロールズが『正義論』で、「福祉国家論的なリベラリズム」、「個人の自由と(「格差原理」により正当化される)社会福祉をともに正当化する『公正としての正義』」を主張した のは、エゴイズムを動力源とする社会に限界を感じたからではないだろうか。その後には、サンデル、マッキンタイアにより共同体主義が主張され、それまでの人間観がさらに変更されていった。サンデルは、『自由主義と正義の限界』の中で、「ロールズのリベラリズムの立論の根底に、共同体や伝統から切り離された『負荷なき自我』という人間観が前提されている点」 が問題であるとした。
尾関によれば、「『共生』と『共同』は現代において相互補完的な理念であり、互いが互いの理想的な対抗理念」 である。つまり、共同は同質化を強要する恐れがあることに対して、共生は異質を尊重し、赤裸々な「生存競争」を隠蔽する と言う。
よって、資本主義における商品化された共生思想はエゴイズムを隠蔽し、共同体における共生思想は生存競争を隠蔽する。つまり現代の共生思想は、エゴイズムや生存競争の隠し場所にしかならない。人間はもともと、エゴイズムや生存競争に干渉されたくないので、美しい共生思想でくるみ、隠しておくのである。
資本主義が共生思想を商品化しただけでなく、過去のロマン主義・生命主義・母性主義に代表される「大きな物語」が環境問題を解決し得なかったことからも、共生・調和を「美しい」と感じるだけでは、もはや問題を解決できないと言えるのである。
さて、これまで、説話は人々が自身の現世での心のありようや言動を反省・規制する契機となったことを述べてきた。前節では、仏教説話は作り手と聞き手によって皆が納得する方向へ向かう了解指向型コミュニケーションであることを示唆した。そして、本節では、「大きな物語」が「生命の欲望」を隠蔽することを述べた。これら3要素は、物語というものが持つ性質であり、より積極的に捉えれば可能性である。
仏教説話を物語するということは、仏教的世界と民衆的世界が、一つの物語へと向かうことで、一つの了解となることであった。そして、物語は「流れ」である。梅原は、「草木国土悉皆成仏」という、歴史という物語の「点」を再評価しているわけだが、この「点」だけをそのまま現代に移植しても「流れ」は生まれず、了解へのコミュニケーションは生まれない。
物語は、たとえ過去の出来事を語っていたとしても、ただの話者の記憶の再構成やその伝達ではない。物語することは、その再構成や伝達の際に、知覚できなかったり、想起できなかったり、忘れられたり、改変を加えられたりという、時間的にも空間的にも内容を不断にふるいにかけ、試練を経る営みなのである。内容がいつのことであれ、物語は、過去に規定され、現在に規定され、未来に規定される。しかしその逆もまたしかりである。物語は過去を規定し、現在を規定し、未来を規定する。このことは、環境問題を抱えて生きる我々の、未来へのアプローチ方法としての物語の可能性を示唆している。
地球規模で考えると、現代は、地球環境問題という国際政治運動が盛んである。森岡によれば、この国際政治運動とは、地球上のすべての国家が相乗りできるような「大きな物語」を共有することで、混乱した世界に新秩序を再構成しようとする試み である。
しかし森岡は、「自国の福祉のためには自腹を切れるが、開発途上国との格差是正のためには大きな犠牲をはらいたくない。こういうふうに考える人が、日本人のマジョリティである」 とも述べている。
一方、日本企業はこの運動に影響を受け、「環境問題対策」に取り組んでいる。この「環境問題対策」とは、技術開発で環境問題を解決できれば、日本人の生活レベルを下げなくてもよい、という発想であり、この点が消費者へのアピールポイント(または仮初めの安心を与える装置)にもなっている。
このような日本企業と消費者の関係を見て、槌田は、「物を売りたい企業は、まだリサイクルシステムが完備していない段階で、リサイクルシステムを組めない商品を売るので、『リサイクルできるのだから、どんどん消費しても良いのだ』という大量生産・大量消費の気分をいたずらにあおり、リサイクル完備社会は『リサイクル型超浪費社会』になる」 と述べている。
森岡はさらに、臓器移植技術と自然支配・環境破壊は、ともに人間のエゴイズムから生じたと主張している。
臓器移植は、臓器をもらう人間のエゴイズム(「他人の臓器をもらってまでも生き続けたい」 )をサポートするシステムであると森岡は主張する。エゴイズムはみんながこころに抱え込んでいて、この点ではみんな同罪なのだから、その願望はできるだけ認めてゆこうとするところに、臓器移植を肯定する社会が立ちあらわれる 。このエゴイズムを森岡は、「生命の欲望」と呼ぶ。大乗仏教における「闇の煩悩」とも言える。
つまり、現代文明の底辺には「生命の欲望」(もっと長く生きたい、もっと快適な生を送りたい)があり、現代の科学技術と社会システムがそれを精緻なかたちで満足させようとする。特に近代の科学技術は、機械論・二元論・還元論にもとづき、「生命の欲望」を満足させるツールとして発達してきた。その結果、人間は「生命の欲望」の満足、苦痛の回避、快楽を手放すことができなくなった。近代の科学技術と産業社会が「生命の欲望」に拍車をかけた結果、自然支配と環境破壊が起こったのである。このようにして資本主義システムは「生命の欲望」を巧妙に取り込んだわけだが、自然支配と環境破壊が露呈すると、これらを批判する思想(調和、共生、「森の思想」)をもまたひとつの「商品」として流通させ、そこから利潤をあげてきた 。つまり、資本主義システムは、エゴ(生命の欲望)を魅力的でロマン主義的なオブラートで包み商品化することで、環境破壊が忌避される時勢にもかかわらず潤沢な流通を確保し、消費者はそれ(商品化された調和、共生、「森の思想」)を表面的に賛美しつつ内なる「生命の欲望」を満足させてきたということである。これを森岡は、「『生命の欲望』と科学技術・近代社会システムの共犯関係」 と呼んでいる。
この共犯関係に対抗するには、まず、リベラリズムの否定からコミュニタリアニズムが生じたことに注目したい。法哲学者のロールズが『正義論』で、「福祉国家論的なリベラリズム」、「個人の自由と(「格差原理」により正当化される)社会福祉をともに正当化する『公正としての正義』」を主張した のは、エゴイズムを動力源とする社会に限界を感じたからではないだろうか。その後には、サンデル、マッキンタイアにより共同体主義が主張され、それまでの人間観がさらに変更されていった。サンデルは、『自由主義と正義の限界』の中で、「ロールズのリベラリズムの立論の根底に、共同体や伝統から切り離された『負荷なき自我』という人間観が前提されている点」 が問題であるとした。
尾関によれば、「『共生』と『共同』は現代において相互補完的な理念であり、互いが互いの理想的な対抗理念」 である。つまり、共同は同質化を強要する恐れがあることに対して、共生は異質を尊重し、赤裸々な「生存競争」を隠蔽する と言う。
よって、資本主義における商品化された共生思想はエゴイズムを隠蔽し、共同体における共生思想は生存競争を隠蔽する。つまり現代の共生思想は、エゴイズムや生存競争の隠し場所にしかならない。人間はもともと、エゴイズムや生存競争に干渉されたくないので、美しい共生思想でくるみ、隠しておくのである。
資本主義が共生思想を商品化しただけでなく、過去のロマン主義・生命主義・母性主義に代表される「大きな物語」が環境問題を解決し得なかったことからも、共生・調和を「美しい」と感じるだけでは、もはや問題を解決できないと言えるのである。
さて、これまで、説話は人々が自身の現世での心のありようや言動を反省・規制する契機となったことを述べてきた。前節では、仏教説話は作り手と聞き手によって皆が納得する方向へ向かう了解指向型コミュニケーションであることを示唆した。そして、本節では、「大きな物語」が「生命の欲望」を隠蔽することを述べた。これら3要素は、物語というものが持つ性質であり、より積極的に捉えれば可能性である。
仏教説話を物語するということは、仏教的世界と民衆的世界が、一つの物語へと向かうことで、一つの了解となることであった。そして、物語は「流れ」である。梅原は、「草木国土悉皆成仏」という、歴史という物語の「点」を再評価しているわけだが、この「点」だけをそのまま現代に移植しても「流れ」は生まれず、了解へのコミュニケーションは生まれない。
物語は、たとえ過去の出来事を語っていたとしても、ただの話者の記憶の再構成やその伝達ではない。物語することは、その再構成や伝達の際に、知覚できなかったり、想起できなかったり、忘れられたり、改変を加えられたりという、時間的にも空間的にも内容を不断にふるいにかけ、試練を経る営みなのである。内容がいつのことであれ、物語は、過去に規定され、現在に規定され、未来に規定される。しかしその逆もまたしかりである。物語は過去を規定し、現在を規定し、未来を規定する。このことは、環境問題を抱えて生きる我々の、未来へのアプローチ方法としての物語の可能性を示唆している。