五日市憲法実習
日時:2012年5月20日(日) 10:00~16:30(予定)
場所:五日市地域交流センター、五日市郷土館、深沢家屋敷跡
日時:2012年5月20日(日) 10:00~16:30(予定)
場所:五日市地域交流センター、五日市郷土館、深沢家屋敷跡
◇ ◇ ◇
集合場所・集合時間
当日は、JR武蔵五日市駅改札前に、10:00集合です。
集合場所・集合時間
当日は、JR武蔵五日市駅改札前に、10:00集合です。
当日の実習ポイント
●五日市地域交流センターにて、映画『五日市物語』関連の展示をもとに五日市地区の特色を概観
あきる野市が2011年に作った映画『五日市物語』(監督は市役所の係長で、『轍』と同じ)の展示場が五日市地域交流センターの3階で開館しています。展示されている、ロケ地写真、五日市の昔の写真、撮影に使用した道具・衣装などから、現在の五日市の特色を概観します。また、自由民権運動の時代を語る貴重な資料である五日市憲法草案のレプリカを見ることもできます。
(10:15~10:30)
●五日市地域交流センターにて、映画『五日市物語』関連の展示をもとに五日市地区の特色を概観
あきる野市が2011年に作った映画『五日市物語』(監督は市役所の係長で、『轍』と同じ)の展示場が五日市地域交流センターの3階で開館しています。展示されている、ロケ地写真、五日市の昔の写真、撮影に使用した道具・衣装などから、現在の五日市の特色を概観します。また、自由民権運動の時代を語る貴重な資料である五日市憲法草案のレプリカを見ることもできます。
(10:15~10:30)
●五日市郷土館にて、学芸員の方による五日市憲法草案の詳細のレクチャー
五日市憲法草案が東京都あきる野市(当時は西多摩郡五日市町)の民家の土蔵から発見されたのは昭和43年(1968年)、高度成長期のただ中でした。全国的に土地の開発が盛んに行われ、貴重な歴史資料が破棄されてしまう恐れがありました。そこで当時の研究者が、古い民家を回り、蔵や納戸の奥で埃をかぶっていた書類・資料を発掘し、保護したものの一部が資料館にまとめられています。
(10:40~12:30)
五日市憲法草案が東京都あきる野市(当時は西多摩郡五日市町)の民家の土蔵から発見されたのは昭和43年(1968年)、高度成長期のただ中でした。全国的に土地の開発が盛んに行われ、貴重な歴史資料が破棄されてしまう恐れがありました。そこで当時の研究者が、古い民家を回り、蔵や納戸の奥で埃をかぶっていた書類・資料を発掘し、保護したものの一部が資料館にまとめられています。
(10:40~12:30)
●深沢家屋敷跡にて、五日市憲法草案が発見された蔵を見学
明治初期、政府主導の近代化政策として「殖産興業」が進められる一方で、近代国家建設のためには議会開設と憲法制定を早く行うべきだと主張する人々が増大。自由民権運動が起こりました。政府は弾圧を図りましたが、運動は全国に拡大。東京西部では自分たちで憲法草案(私擬憲法)を作る人々が現れました。そのなかの一つが、1881年から、深沢権八、千葉卓三郎を中心に作られた五日市憲法です。国民の権利などについて、当時としては画期的な内容が含まれていますが、1887年に制定された保安条例によって、私擬憲法の作成が禁止。大日本帝国憲法に直接反映されることはありませんでした。草案は以後、1世紀余り、所蔵されることになります。
(13:30~16:30)
明治初期、政府主導の近代化政策として「殖産興業」が進められる一方で、近代国家建設のためには議会開設と憲法制定を早く行うべきだと主張する人々が増大。自由民権運動が起こりました。政府は弾圧を図りましたが、運動は全国に拡大。東京西部では自分たちで憲法草案(私擬憲法)を作る人々が現れました。そのなかの一つが、1881年から、深沢権八、千葉卓三郎を中心に作られた五日市憲法です。国民の権利などについて、当時としては画期的な内容が含まれていますが、1887年に制定された保安条例によって、私擬憲法の作成が禁止。大日本帝国憲法に直接反映されることはありませんでした。草案は以後、1世紀余り、所蔵されることになります。
(13:30~16:30)
※ お昼ごはんを買える場所はほとんどありません(JR武蔵五日市駅にコンビニがあります)。各自、弁当持参でお願いします。
※ 深沢家屋敷跡までは、片道60分近くかかります。舗装されていますが、山道なので、歩きやすい靴を着用してください。
※ 当日の連絡先は、太田携帯です
※ 深沢家屋敷跡までは、片道60分近くかかります。舗装されていますが、山道なので、歩きやすい靴を着用してください。
※ 当日の連絡先は、太田携帯です