輪読和辻哲郎『風土 人間学的考察』 岩波書店 (1979)
2011/10/31 梶原美沙
2011/10/31 梶原美沙
第三章 モンスーン的風土の特殊形態(p179~251)
一 シナ(p.179~199)
モンスーン地域を広義に解すればシナの大陸をも含めることができる。
※ただし太平洋の影響を受ける(=熱帯の大洋から湿気が運ばれる)地域に限られる。
シナの風土を代表的に示すもの:‘揚子江’と‘黄河’
一 シナ(p.179~199)
モンスーン地域を広義に解すればシナの大陸をも含めることができる。
※ただし太平洋の影響を受ける(=熱帯の大洋から湿気が運ばれる)地域に限られる。
シナの風土を代表的に示すもの:‘揚子江’と‘黄河’
揚子江
- 泥水を吐き出す全長約三百里の大河。河口では対岸にただ地平線があるだけ。
河幅が狭くなっても茫々たる平野を流れるので山は見えない。 我々の海や河の観念。
→陸地の方に河を‘はさむ’のではなく、流域の平野に‘君臨している’という印象。
→陸地の方に河を‘はさむ’のではなく、流域の平野に‘君臨している’という印象。
- 揚子江流域は、遠山も見えないほどの大きい平野であるにかかわらず、その大きさを我々に印象することができない。 我々の大平野の観念。
揚子江とその平野とは水の作り出した姿である。そうしてその水は太平洋から主としてモンスーンによって運ばれた。 揚子江やその平野の姿=モンスーンの大陸的具象化。
受容的・忍従的なモンスーン的性格はどのように現れて来るか。
- 泥水の大河…大河に特有な「漫々として流れる」というあの感じを与えない。
- 平べったい大陸…我々の感情にとって偉大な形象ではない。
→シナ大陸の大いさは、直接にはただ変化の乏しい、空漠たる、単調な気分としてのみ我々に現れる。言いかえれば、我々はかかる「大陸」との交渉において、単調にして空爆たるおのれをすでに見いだしているのである。
→受容的・忍従的な性格は、この単調空漠に堪え切るところの意志の持続、感情の放擲、従ってまた伝統の固執、歴史的感覚の旺盛となって現れる。
シナ的性格は特にその無感動性において特徴づけられる。(インド的人間の性格。)
→受容的・忍従的な性格は、この単調空漠に堪え切るところの意志の持続、感情の放擲、従ってまた伝統の固執、歴史的感覚の旺盛となって現れる。
シナ的性格は特にその無感動性において特徴づけられる。(インド的人間の性格。)
黄河
- 沙漠から出てくる河、すなわち沙漠とモンスーンとを媒介する河である。
→シナの人間は沙漠的なるものと無縁ではない。著しく意志の緊張があり、忍従性の奥に戦闘的なるものをひそめている。 モンスーン的性格と沙漠的性格の結合。
※あくまでモンスーン的性格の特殊形態であって、沙漠的性格が存在するわけではない。
抵抗し難い力に対しては忍従するが、沙漠的人間のような絶対服従の態度は見られない。この非服従的忍従は無感動性と密接に連絡する。
没法子(メイファーズ):受容的・忍従的な態度でありながら、しかも底知れぬふてぶてしさを蔵した態度。この態度は無感動と打算とを含んでいる。(cf.大砲を積んだ木船に家族を連れて平然として生きているのは、可能的な危険に対して無感動であること、また金銭の蓄積のために危険を冒すことが最もよき防御法であるから。)
→この態度は、国家や政府そのものが無政府的であるシナの生活において強みになる。
※あくまでモンスーン的性格の特殊形態であって、沙漠的性格が存在するわけではない。
抵抗し難い力に対しては忍従するが、沙漠的人間のような絶対服従の態度は見られない。この非服従的忍従は無感動性と密接に連絡する。
没法子(メイファーズ):受容的・忍従的な態度でありながら、しかも底知れぬふてぶてしさを蔵した態度。この態度は無感動と打算とを含んでいる。(cf.大砲を積んだ木船に家族を連れて平然として生きているのは、可能的な危険に対して無感動であること、また金銭の蓄積のために危険を冒すことが最もよき防御法であるから。)
→この態度は、国家や政府そのものが無政府的であるシナの生活において強みになる。
- 無感動性はシナ文化を一貫する性格として取り上げられる。
(cf.芸術、大編纂事業、大帝国、万里の長城etc.…)
二 日本(p.199~251)
イ 台風的性格(p.199~231)
日本の風土に見られる3つの二重性格
イ 台風的性格(p.199~231)
日本の風土に見られる3つの二重性格
- 自然が人間に‘恵む’とともに、人間を‘脅かす’というモンスーン的風土の、人間の受容的・忍従的な存在の仕方の二重性格。
- 豊富な水が‘熱帯的’な大雨と‘寒帯的’な大雪という二重の形として現れる二重性格。
- ‘季節的’でありつつ‘突発的’であるという台風の二重性格。
→日本はモンスーン的風土の二重性格の上に、さらに熱帯的・寒帯的、季節的・突発的というごとき特殊な二重性格が加わってくる。
日本の人間における特殊形態
日本の人間における特殊形態
熱帯的・寒帯的 季節的・突発的
受容性 ・四季の変化は著しいように調子の移り変わりが早い。
- 活発敏感であるがゆえに疲れやすく持久性を持たない。
- 豊富に流れ出でつつ変化において静かに持久する感情。 ・絶えず他の感情に変転しつつ同じ感情として持久する感情。
- 変化の各瞬間に突発性を含みつつ前 の感情に規定せられた他の感情に転化する。
(cf.急激に咲き恬淡に散る桜の花)
忍従性 ・あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する。
忍従性 ・あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する。
- 戦闘的・反抗的な気分において、持久的ならぬあきらめ(自暴自棄) ・繰り返し行く忍従の各瞬間に突発的な忍従を蔵している。
- 生への執着を全否定する争闘の極致。
=台風的な忍従性
日本の人間の特殊な存在の仕方
豊かに流露する感情が変化においてひそかに持久しつつその持久的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が犯行においてあきらめに沈み、突発的な昂揚の裏に俄然たるあきらめの静かさを蔵すること、において規定される。
=しめやかな激情、戦闘的な恬淡
人間の第一の規定:個人にして社会であること=「間柄」における人であること
日本の人間の特殊な存在の仕方
豊かに流露する感情が変化においてひそかに持久しつつその持久的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が犯行においてあきらめに沈み、突発的な昂揚の裏に俄然たるあきらめの静かさを蔵すること、において規定される。
=しめやかな激情、戦闘的な恬淡
人間の第一の規定:個人にして社会であること=「間柄」における人であること
- 恋愛関係における「男女の間柄」
離れたる肉体を通じて男女の間の全然距てなき結合が目ざされる。
→肉体的生命を惜しまない恋愛の勇敢となる裏で、肉体において全然距てなき結合が不可能であるとのあきらめになる。
激情を内に蔵したしめやかな情愛、戦闘的であるとともに恬淡なあきらめを持つ恋愛。
→肉体的生命を惜しまない恋愛の勇敢となる裏で、肉体において全然距てなき結合が不可能であるとのあきらめになる。
激情を内に蔵したしめやかな情愛、戦闘的であるとともに恬淡なあきらめを持つ恋愛。
- 家族としての「夫婦の間柄・親子の間柄・兄弟の間柄」
表面的の静けさにもかかわらず底力においてきわめて烈しい、全然距てなき結合を目ざすところのしめやかな情愛によって、利己心の犠牲も徹底的に遂行せられようとする。
→家族的な「間」は生命を惜しまない勇敢な・戦闘的な態度となって現れ、従って人はきわめて恬淡に己の命をも捨てた。
しめやかな激情・戦闘的な恬淡というごとき日本的な「間柄」を家族的に実現。
→家族的な「間」は生命を惜しまない勇敢な・戦闘的な態度となって現れ、従って人はきわめて恬淡に己の命をも捨てた。
しめやかな激情・戦闘的な恬淡というごとき日本的な「間柄」を家族的に実現。
「家」=「うち」、家の外の世間=「そと」と把捉する日本人。
日本 ヨーロッパ
日本 ヨーロッパ
・家内部における距てなき結合。
・そとに対する明白な区別。
・そとに対する明白な区別。
- 家内部での個々相距てる構造。
- 距てある個人の間の社交。
我々は「家」の存在の仕方が特に顕著に国民の特殊性を示す。
日本の人間が‘その全体性’を自覚する道も、実は家の全体性を通じてなされた。
日本の人間が‘その全体性’を自覚する道も、実は家の全体性を通じてなされた。
- 神話を通じてのみ得られる原始社会において、祭り事によって確保せられた一つの教団の意味を持った。(教団的な人間の共同態=「家」と同じく感情融合的な共同態)
- 教団的な距てなき結合は、肉体ある人間の結合として‘距てにおいて’実現せられる。
→そこに激情的な性格が現われざるを得ない。「しめやかな激情」という二重性格。
→この結合は常に‘対抗’を含む=戦闘的である。
→この結合は常に‘対抗’を含む=戦闘的である。
- 猛烈な戦闘が突如として融合に転ずる‘恬淡性’によって、戦闘自身が距てなき結合への道となり得た。「戦闘的恬淡」という二重性格。
人間の行為と心情を評価せられる「貴し」「明し」あるいは「きたなし」「卑し」。
この特殊な評価から次の諸点を最も重要なものとして選び出すことができる。
①国民としての存在を教団としての存在たらしめた宗教的な信念(=尊皇心)
②人間の慈愛の尊重ないし社会的正義の尊重となる人間の距てなき結合の尊重
③戦闘的恬淡に根ざした「貴さ」の尊重
→三者は古代において主要な徳であったが‘教団としての結合’というごとき原始信仰にもとづいている。
文化が迅速に発達し、個人の存在が強く自覚せられた後にも同様に見いだされ得るか。
五つの大きい社会的変革
一.祭り事の統一の全国的実現…宗教的な封建社会の組織。 ……①・②・③
二.大化の改新…中央集権国家の形成。土地公有主義にもとづく国家社会的な社会組織。
→経済的実力に裏づけられた宗教的権威による改革の遂行。
土地公有主義に見られる社会的正義の尊重……②
三.鎌倉幕府の樹立…封建的組織の再興、守護・地頭により組織せられた第二次封建制度。
卑しさを恥ずる武士道、鎌倉仏教の勃興における慈悲の道徳……②・③
四.戦国時代…民衆の中から出た勢力が支配階級を実質的に覆した。
→町人の経済的実力が武力をひそかに圧倒し始めた。
五.明治維新…封建制度の再顚覆と中央集権国家の再形成。
→権威なき権威であった天皇の権威は、依然として国民の全体性を表現。
教団としての結合を表現する尊皇心……①
我々はしめやかな激情・戦闘的恬淡というごとき国民の特殊性にもとづいて自覚せられたこれらの道徳思想を特に重大視しなくてはならぬ。
この特殊な評価から次の諸点を最も重要なものとして選び出すことができる。
①国民としての存在を教団としての存在たらしめた宗教的な信念(=尊皇心)
②人間の慈愛の尊重ないし社会的正義の尊重となる人間の距てなき結合の尊重
③戦闘的恬淡に根ざした「貴さ」の尊重
→三者は古代において主要な徳であったが‘教団としての結合’というごとき原始信仰にもとづいている。
文化が迅速に発達し、個人の存在が強く自覚せられた後にも同様に見いだされ得るか。
五つの大きい社会的変革
一.祭り事の統一の全国的実現…宗教的な封建社会の組織。 ……①・②・③
二.大化の改新…中央集権国家の形成。土地公有主義にもとづく国家社会的な社会組織。
→経済的実力に裏づけられた宗教的権威による改革の遂行。
土地公有主義に見られる社会的正義の尊重……②
三.鎌倉幕府の樹立…封建的組織の再興、守護・地頭により組織せられた第二次封建制度。
卑しさを恥ずる武士道、鎌倉仏教の勃興における慈悲の道徳……②・③
四.戦国時代…民衆の中から出た勢力が支配階級を実質的に覆した。
→町人の経済的実力が武力をひそかに圧倒し始めた。
五.明治維新…封建制度の再顚覆と中央集権国家の再形成。
→権威なき権威であった天皇の権威は、依然として国民の全体性を表現。
教団としての結合を表現する尊皇心……①
我々はしめやかな激情・戦闘的恬淡というごとき国民の特殊性にもとづいて自覚せられたこれらの道徳思想を特に重大視しなくてはならぬ。
ロ 日本の珍しさ(p.232~251)
珍しい:「世の常に通例であること」を前提とし、その地盤において「常でなく通例でないすなわち「まれである」という有り方。→全く‘世界的に珍しい’日本。
「ヨーロッパから日本へ帰ってそれに異常な珍しさを感ずる」
1) 日本がこれまで通例のあり方として理解せられていたことと異なる有り方を持った。
2) 自分の側でその通例の有り方として理解していたことが変わって来た。
3) 年来見慣れていた通例の有り方がそのままであるとともに、その底にこれまで理解せられていなかった一層根本的な有り方が呈露され、それが従来理解せられていた通例な有り方に対して、通例でないこと、まれであることとしてつかまれた。=1)と2)の双方。
cf.自動車や電車、立派な道路、都会そのものに対して不釣り合いな日本の家
→前には‘あるべき’釣り合いを理解していながらもそれが目前に欠けていることを理解していなかった。
なぜ不釣り合いな家が依然として地に食らいついた姿を都市のまん中に示すのか。
どうして便利で快適で都市の意義を発揮できる高層建築を選ばないのか。
→日本人は「家」に住むことを欲し、そこでのみくつろぎを得るから。
「家」がなくしてただ個人と社会とがあるヨーロッパの都市。
日本における最も強い「へだて」は家と外なる世界との間に存する。
( 町を取り巻く城壁、国境などに「へだて」を置くヨーロッパ。)
珍しい:「世の常に通例であること」を前提とし、その地盤において「常でなく通例でないすなわち「まれである」という有り方。→全く‘世界的に珍しい’日本。
「ヨーロッパから日本へ帰ってそれに異常な珍しさを感ずる」
1) 日本がこれまで通例のあり方として理解せられていたことと異なる有り方を持った。
2) 自分の側でその通例の有り方として理解していたことが変わって来た。
3) 年来見慣れていた通例の有り方がそのままであるとともに、その底にこれまで理解せられていなかった一層根本的な有り方が呈露され、それが従来理解せられていた通例な有り方に対して、通例でないこと、まれであることとしてつかまれた。=1)と2)の双方。
cf.自動車や電車、立派な道路、都会そのものに対して不釣り合いな日本の家
→前には‘あるべき’釣り合いを理解していながらもそれが目前に欠けていることを理解していなかった。
なぜ不釣り合いな家が依然として地に食らいついた姿を都市のまん中に示すのか。
どうして便利で快適で都市の意義を発揮できる高層建築を選ばないのか。
→日本人は「家」に住むことを欲し、そこでのみくつろぎを得るから。
「家」がなくしてただ個人と社会とがあるヨーロッパの都市。
日本における最も強い「へだて」は家と外なる世界との間に存する。
( 町を取り巻く城壁、国境などに「へだて」を置くヨーロッパ。)
- 個人が喜んでおのれを没却しつつそこに生活の満足を感じる小さい世界。
→人々はおのが権利を主張し始めなかったとともに、公共生活における義務の自覚にも達しなかった。共同そのものが発達し得なかった。
→小さい世界にふさわしい「思いやり」「控え目」「いたわり」というごとき繊細な心情を発達させた。
「家」の内部における「距てなさ」への要求が強ければ強いほど共同への嫌悪もまた強い。
→小さい世界にふさわしい「思いやり」「控え目」「いたわり」というごとき繊細な心情を発達させた。
「家」の内部における「距てなさ」への要求が強ければ強いほど共同への嫌悪もまた強い。
「家」が頑固に都会の地に食いついて平べったく存し、世にも珍しい不釣り合いが生じている間は、根本的にはまだ過去の地盤を離れないのである。
→多くの「珍しい」現象は皆結局あの珍奇な小さい家の姿に帰着する。
→多くの「珍しい」現象は皆結局あの珍奇な小さい家の姿に帰着する。
疑問点
- 明治維新を引き合いに出して「天皇の権威は依然として国民の全体性を表現するもの」であり、「原始的な信仰は決して死んでなかった」とあったが、それなら武士による政治は成立しなかったのではないか。
- 「共同的であることがちょうど日本人を最も不安ならしめるものなのである。(p.244)」とあるが、ここでの「共同」はどのような意味で使われているのか。
- 高層ビルやマンションが立ち並ぶ都会は過去の地盤を離れたということになるのか。