亀山研マラソンゼミ 2012/02/27
発表者:梶原美沙
菊地明暢 卒業論文 2012
「人間の構造と自己・他者・自然 ―〈いま、ここにいる感覚〉を手がかりに―」 論評
発表者:梶原美沙
菊地明暢 卒業論文 2012
「人間の構造と自己・他者・自然 ―〈いま、ここにいる感覚〉を手がかりに―」 論評
1.論文の主旨
〈いま、ここにいる〉感覚とは何かが、この論文に一貫して流れるテーマである。この論文の主旨は、現代において〈いま、ここにいる〉感覚が薄れ、身体性および歴史性が失われていることに対して警鐘を鳴らすとともに、〈いま、ここにいる〉感覚を回復することの必要性を主張するものである。
いじめ、ひきこもり、自殺といった人間―人間関係の問題や、環境問題に代表される人間―自然関係の問題は、現代に固有の「身体性の喪失」と「歴史性の喪失」によって、人間の「空間的・時間的な構造」や「間柄」性が成り立たなくなり、〈いま、ここにいる〉感覚が希薄化していることによって生じているのではないか、と菊地は指摘する。
感覚を感じる主体である〈私〉とはなにか。〈私〉が空間的・時間的な構造をもっていて間柄的であるとはどういうことか。そして〈私〉にとっての〈いま、ここにいる〉感覚とはどのような意味をもつのか。これらについて考察したうえで、「ここ」という空間性と「いま」という時間性のそれぞれに焦点を当てながら、現代の諸問題への視座を示している。
〈いま、ここにいる〉感覚とは何かが、この論文に一貫して流れるテーマである。この論文の主旨は、現代において〈いま、ここにいる〉感覚が薄れ、身体性および歴史性が失われていることに対して警鐘を鳴らすとともに、〈いま、ここにいる〉感覚を回復することの必要性を主張するものである。
いじめ、ひきこもり、自殺といった人間―人間関係の問題や、環境問題に代表される人間―自然関係の問題は、現代に固有の「身体性の喪失」と「歴史性の喪失」によって、人間の「空間的・時間的な構造」や「間柄」性が成り立たなくなり、〈いま、ここにいる〉感覚が希薄化していることによって生じているのではないか、と菊地は指摘する。
感覚を感じる主体である〈私〉とはなにか。〈私〉が空間的・時間的な構造をもっていて間柄的であるとはどういうことか。そして〈私〉にとっての〈いま、ここにいる〉感覚とはどのような意味をもつのか。これらについて考察したうえで、「ここ」という空間性と「いま」という時間性のそれぞれに焦点を当てながら、現代の諸問題への視座を示している。
2.筆者の実感
本論文のテーマそのものは漠然としているにもかかわらず、とても他人事のようには感じられなかった。それは〈いま、ここにいる〉感覚が〈私〉の構造に欠かせないものであるということを、この瞬間にこの文章を作成している私自身も実感しているからだと思う。つまり、私がこのゼミに興味を抱き、ゼミという空間を通じて、幾度に渡って菊地の発表を聞き、このゼミに所属している方々とそれを共有してきたという事実が、私自身のひとつの歴史性を形成しているのではないか。だからこそこの文章を作成することで〈いま、ここにいる〉感覚を感じることができ、私自身の生成・循環が起こるのだろう。
本論文のテーマそのものは漠然としているにもかかわらず、とても他人事のようには感じられなかった。それは〈いま、ここにいる〉感覚が〈私〉の構造に欠かせないものであるということを、この瞬間にこの文章を作成している私自身も実感しているからだと思う。つまり、私がこのゼミに興味を抱き、ゼミという空間を通じて、幾度に渡って菊地の発表を聞き、このゼミに所属している方々とそれを共有してきたという事実が、私自身のひとつの歴史性を形成しているのではないか。だからこそこの文章を作成することで〈いま、ここにいる〉感覚を感じることができ、私自身の生成・循環が起こるのだろう。
3.論文を読んで感じたこと
私はこの論文を読んで、「真摯に向き合う」ことの重要性に改めて気づかされた。先ほどテーマが漠然としていると述べたが、このような漠然としたテーマから目を背けずに、正面からチャレンジしようと思えることがまずすごいと思う。きっと私だったら他のテーマを探すか、もう少し狭めてしまうと思う……
最近、就職活動を行うにあたって、これまでの自分の人生をふり返り、物事との向き合い方を少し考える機会があった。それは自分とのつきあい方であったり、他人や社会との関係性であったりさまざまであるが、この論文を読み、果たして自分はひとつひとつの物事に真摯に向き合うことができているのだろうかと疑問を感じた。〈いま、ここにいる〉感覚の希薄化は、他ならぬ私自身にも起こっているのだろう。
菊地のように漠然としたテーマに対して正面から向き合うことは難しいにしても、「自分」に真摯に向き合う、「家族」に真摯に向き合う、「仲間」に真摯に向き合う、「社会」に真摯に向き合う、「自然」に真摯に向き合う、このようなひとつひとつの目の前の物事に真摯に向き合う努力を怠らないようにしたい。そうすることが〈いま、ここにいる〉感覚の回復につながると信じて、常に厳しい目で自分を見つめ直していきたいと思う。
私はこの論文を読んで、「真摯に向き合う」ことの重要性に改めて気づかされた。先ほどテーマが漠然としていると述べたが、このような漠然としたテーマから目を背けずに、正面からチャレンジしようと思えることがまずすごいと思う。きっと私だったら他のテーマを探すか、もう少し狭めてしまうと思う……
最近、就職活動を行うにあたって、これまでの自分の人生をふり返り、物事との向き合い方を少し考える機会があった。それは自分とのつきあい方であったり、他人や社会との関係性であったりさまざまであるが、この論文を読み、果たして自分はひとつひとつの物事に真摯に向き合うことができているのだろうかと疑問を感じた。〈いま、ここにいる〉感覚の希薄化は、他ならぬ私自身にも起こっているのだろう。
菊地のように漠然としたテーマに対して正面から向き合うことは難しいにしても、「自分」に真摯に向き合う、「家族」に真摯に向き合う、「仲間」に真摯に向き合う、「社会」に真摯に向き合う、「自然」に真摯に向き合う、このようなひとつひとつの目の前の物事に真摯に向き合う努力を怠らないようにしたい。そうすることが〈いま、ここにいる〉感覚の回復につながると信じて、常に厳しい目で自分を見つめ直していきたいと思う。