2.重層的な「所有」の理論としての風土
2-1.存在から所有への収斂
2-1.存在から所有への収斂
やはり帰国後まもなくの一九二九年、和辻は、『哲学研究』に論文「日本語に於ける存在の理解」を発表している。論考は一九三五年に加筆され、「日本語と哲学の問題」と改題されて、『続日本精神史研究』に所収される。ドイツ語と日本語との違いが、ドイツと日本との間の「存在の仕方」そのものにも浸潤していることを指摘する試みであった 。
+ | つまり、和辻のハイデッガー受容の視座 |
和辻が論じようとするのは、存在の仕方を日本語で問う「あるということはどういうことであるか」という問いそのものの語法的分析である。和辻の見出した日本語の特質とは、「所有物が有るところの物であるということ」であった 。熊野(二〇〇九)は「「存在」という、哲学一般の基礎的問題が、「所有」という論点に収散してゆき、理論哲学の問いが実践哲学的なそれへと変容してゆく」と整理している。では、なぜ「所有」が問題となるのか。そこには、ドイツ留学前後の日本の経済危機や労働運動が大きく関係している。それは、論考「風土」と『風土 人間学的考察』の間、一九三一年に発表された論文「現代日本と町人根性」とも関連している。
+ | 所有物が有るところの物であるということ |
2-2.占有ではない所有のありよう
苅部(二〇一〇)は、和辻が、留学以前の一九二〇年代初め、無所有の共同生活と社会奉仕を旨とする西田天香の宗教団体「一燈園」の活動に共鳴していたことを指摘している 。当時、西田天香の著書『懺悔の生活』(一九二一年)が大ベストセラーとなり、一燈園の活動は、和辻の他にも倉田百三や西田幾多郎など多くの知識人の関心を集めていた。また、一燈園への注目と同時期の、一九二二年に学習院で行なった講演「わが国体について」では、日本の「国体」を読み替えることによって、華族や富豪など特権階級の改造を主張している。そして「皇室の率先しての私有地投げ出し」や、学習院を華族の学校から「貧民学校」に変えることを提唱している。前にも述べたが、留学前の和辻は日本人の伝統的な民族精神について実在的に語ってはいず、むしろ批判的であった。にもかかわらず、ここでは「我国体の精華は、君臣が曾て〈徳を樹てた〉こと、〈道〉に従ったことである」と、普遍的な「道」が天皇の上にあると説き、そして「道」の内容として社会政策の実行を具体的に提起する。
従うべき規範はより上位なものほど根抵的であるとする存在様式のありようは、後の一九四二年刊行の『倫理学』中巻まで一貫している 。ここで和辻の思想の総体を全体主義と位置づけるのは早急である。むしろ和辻には、天皇イメージの軍事化や〈肥私奉国〉(和辻の言葉では「町人根性」「ブルジョワ精神」)を是とする社会潮流に対する否定的発言が目立つ。とりわけ第一次大戦をさかいに、和辻が警戒を強めたのは、資本主義的な「利益社会」の下で、人々が個人的利得の極大化にのみ邁進する「ブルジョワ精神」に支配されることであった。日本が直面する経済危機や労働運動は、日露戦争後の経済発展が「利益社会化」を極端に進め、日本人の「国民的自覚」を曇らせたために発生した。したがって現今の危機を解決するには、この自覚を復活させ利益社会を止揚して「国民的共同社会」を築くしかないと、和辻は一九三一年の論文「現代日本と町人根性」で主張する。和辻のいわゆる「町人根性」への批判は、『倫理学』における「経済的組織」論の根底に流れる発想と通底している。つまり、個人にせよ、政府にせよ 、物(経済や文化、教育、福祉制度、および民俗的な「型」などを含む)の一元的な占有・管理を認めない態度である。
苅部(二〇一〇)は、和辻が、留学以前の一九二〇年代初め、無所有の共同生活と社会奉仕を旨とする西田天香の宗教団体「一燈園」の活動に共鳴していたことを指摘している 。当時、西田天香の著書『懺悔の生活』(一九二一年)が大ベストセラーとなり、一燈園の活動は、和辻の他にも倉田百三や西田幾多郎など多くの知識人の関心を集めていた。また、一燈園への注目と同時期の、一九二二年に学習院で行なった講演「わが国体について」では、日本の「国体」を読み替えることによって、華族や富豪など特権階級の改造を主張している。そして「皇室の率先しての私有地投げ出し」や、学習院を華族の学校から「貧民学校」に変えることを提唱している。前にも述べたが、留学前の和辻は日本人の伝統的な民族精神について実在的に語ってはいず、むしろ批判的であった。にもかかわらず、ここでは「我国体の精華は、君臣が曾て〈徳を樹てた〉こと、〈道〉に従ったことである」と、普遍的な「道」が天皇の上にあると説き、そして「道」の内容として社会政策の実行を具体的に提起する。
従うべき規範はより上位なものほど根抵的であるとする存在様式のありようは、後の一九四二年刊行の『倫理学』中巻まで一貫している 。ここで和辻の思想の総体を全体主義と位置づけるのは早急である。むしろ和辻には、天皇イメージの軍事化や〈肥私奉国〉(和辻の言葉では「町人根性」「ブルジョワ精神」)を是とする社会潮流に対する否定的発言が目立つ。とりわけ第一次大戦をさかいに、和辻が警戒を強めたのは、資本主義的な「利益社会」の下で、人々が個人的利得の極大化にのみ邁進する「ブルジョワ精神」に支配されることであった。日本が直面する経済危機や労働運動は、日露戦争後の経済発展が「利益社会化」を極端に進め、日本人の「国民的自覚」を曇らせたために発生した。したがって現今の危機を解決するには、この自覚を復活させ利益社会を止揚して「国民的共同社会」を築くしかないと、和辻は一九三一年の論文「現代日本と町人根性」で主張する。和辻のいわゆる「町人根性」への批判は、『倫理学』における「経済的組織」論の根底に流れる発想と通底している。つまり、個人にせよ、政府にせよ 、物(経済や文化、教育、福祉制度、および民俗的な「型」などを含む)の一元的な占有・管理を認めない態度である。
2-3.複層的な「存在=所有」と入会権
ここで、和辻がハイデッガーを経由して向けた「人間存在」の身体的・実践的なありようへの関心について、存在から所有への収斂を介して、一つの物の上に重畳して、いくつもの所有が成立し得るような所有の様態を描写することであったとみなすことができる。注釈ⅲで述べたとおり、和辻が環境世界の根抵に位置づけようとしたハイデッガーの共同世界は、複層的な所有の状態である。このは、ハイデッガーが道具的存在への「配慮」(Besorgen)と、世界内部的に出会われるような他者(人間)への「顧慮」(Fursorge)とを、「気遣い」(Sorge)として統一する過程に準じて、他者の身体を仮想的に取り込むことによって行われる。ただし、これはくり返すとおり、『存在と時間』においては非本来的なあり方とされた道具連関から導かれたものである 。
ここで、和辻がハイデッガーを経由して向けた「人間存在」の身体的・実践的なありようへの関心について、存在から所有への収斂を介して、一つの物の上に重畳して、いくつもの所有が成立し得るような所有の様態を描写することであったとみなすことができる。注釈ⅲで述べたとおり、和辻が環境世界の根抵に位置づけようとしたハイデッガーの共同世界は、複層的な所有の状態である。このは、ハイデッガーが道具的存在への「配慮」(Besorgen)と、世界内部的に出会われるような他者(人間)への「顧慮」(Fursorge)とを、「気遣い」(Sorge)として統一する過程に準じて、他者の身体を仮想的に取り込むことによって行われる。ただし、これはくり返すとおり、『存在と時間』においては非本来的なあり方とされた道具連関から導かれたものである 。
+ | 「存在」と「所有」 |
入会権について分析する川島(一九六七)が述べるように、所有物についてどのような行為もなし得るということは、現代においては、所有者である以上当然であるように見える。しかし、このことは近代法の歴史的特質にすぎない。それぞれの「物」の性質・効用に応じて、またそれぞれの主体に応じて、限定された異なる内容の権利が成立したのであり、それらの権利は言わば並列的に、広義の「所有」と呼ばれていた(川島、一九六七、六五頁)。和辻は利益社会の下においてすべてが個人の所有物となること、あるいは政府によって一元的管理がなされることを「経済組織の本来の面目が人倫的組織にあること」の転倒であるとする。つまり、複層的な「存在=所有」を肯定し、世界観として理論づけたのが、和辻の風土論であるといえる。