以下、抜粋メモ。
つまり水が汚れたということは、個別の水や水環境の素材について目をむけているのではなくいわば、生活行動として、自分たちがその場でどのような営みをしてきたのか、その「営みの総体」として表現されているのではないか、と。その営みの総体を、言葉として表現するなら、それは日常生活のなかでの、水の世界との“濃密なかかわり”なのである。逆に、水が汚れるということは水の世界と日常生活行動の切断であり、濃密なかかわりの喪失であり、心性としての水と人間との“疎遠化”である。それはもしかしたら、かかわりというようなきどった表現でもなく、もっと泥くさい、無自覚のものかもしれない。(中略)
毒物汚染、富栄養化汚染、ゴミ汚染、物質で測ることができる意味での汚染はすすんだ。そのことにだれも反論はないだろう。でも、水の場との行動的なつながりの切断、そして、水に対する想像力の枯渇、このことが、私たちと水とのかかわりをますます疎遠にしているのではないか。
生活行動のなかで、“疎遠”になった水は汚れているのである。逆に“疎遠”になったことが汚れていることをよりいっそう強く感じさせるのかもしれない。(33~34頁)
毒物汚染、富栄養化汚染、ゴミ汚染、物質で測ることができる意味での汚染はすすんだ。そのことにだれも反論はないだろう。でも、水の場との行動的なつながりの切断、そして、水に対する想像力の枯渇、このことが、私たちと水とのかかわりをますます疎遠にしているのではないか。
生活行動のなかで、“疎遠”になった水は汚れているのである。逆に“疎遠”になったことが汚れていることをよりいっそう強く感じさせるのかもしれない。(33~34頁)
はたして地域の人たちにとって、リアリティのある汚染観とはどのようなものだろうか。きわめて個人的な経験であるが、こんな疑問をもっているときに次のような場面に出合った。(中略)
琵琶湖のなかにある沖島での聞き取り調査をしているとき、そこで洗濯をしているひとりの女性に出合った。「このあたりの環境はどうかわりましたか?」と聞くと、「汚れてしまってね、こんなにひどく。ここがずっと砂浜でね、私ら子どもじぶんは泳いだんですよ。それがいまはもう泳げませんしね、汚れてしまったんですよ」という答え。私の目には湖水は透明でけっして汚れているようにはみえない。そのあたりは、夏はプランクトンが発生しやすいが、冬は比較的透明度も高い。そこでその人は真っ白の洗濯物を洗っている。砂浜もやせ細ってはいるが、私の目には子どもたちが遊べないというほどではない。その方は昭和二十五年生まれ、この地区には簡易水道がはいる昭和三十六年まで井戸がなかった。飲み水も、煮炊きの水もみんな琵琶湖の水を使っていた。
気をつけて現場歩きをしていると、「汚い」という感覚が「行動」と深くむすびついてい
るということを教えてくれる事例に何度も出会った。集落のなかを流れる水路をながめながら、「ここでは昔、お茶わんを洗ったんですよ。野菜だって、洗濯だって、みんなここでしたんですよ」。「うちの地区はね、井戸水が出なかったんです。それでこの川の水を飲み水にしていたんです」。「私ら子どもじぶんはこの水をバケツでくんでプロにいれるのが仕事だったんですよ、ときどきプロのなかに魚が泳いでいたりね」。「朝、おきると顔を洗うのはウミ(湖)です。顔を洗って、その手でシジミをひとつかみとってくるん。それで母親が味噌汁をたいてくれました」。(62~63頁)
琵琶湖のなかにある沖島での聞き取り調査をしているとき、そこで洗濯をしているひとりの女性に出合った。「このあたりの環境はどうかわりましたか?」と聞くと、「汚れてしまってね、こんなにひどく。ここがずっと砂浜でね、私ら子どもじぶんは泳いだんですよ。それがいまはもう泳げませんしね、汚れてしまったんですよ」という答え。私の目には湖水は透明でけっして汚れているようにはみえない。そのあたりは、夏はプランクトンが発生しやすいが、冬は比較的透明度も高い。そこでその人は真っ白の洗濯物を洗っている。砂浜もやせ細ってはいるが、私の目には子どもたちが遊べないというほどではない。その方は昭和二十五年生まれ、この地区には簡易水道がはいる昭和三十六年まで井戸がなかった。飲み水も、煮炊きの水もみんな琵琶湖の水を使っていた。
気をつけて現場歩きをしていると、「汚い」という感覚が「行動」と深くむすびついてい
るということを教えてくれる事例に何度も出会った。集落のなかを流れる水路をながめながら、「ここでは昔、お茶わんを洗ったんですよ。野菜だって、洗濯だって、みんなここでしたんですよ」。「うちの地区はね、井戸水が出なかったんです。それでこの川の水を飲み水にしていたんです」。「私ら子どもじぶんはこの水をバケツでくんでプロにいれるのが仕事だったんですよ、ときどきプロのなかに魚が泳いでいたりね」。「朝、おきると顔を洗うのはウミ(湖)です。顔を洗って、その手でシジミをひとつかみとってくるん。それで母親が味噌汁をたいてくれました」。(62~63頁)
“汚れ”を見つめ“汚れ”とつきあいながら、環境問題への糸口をさがすことは、近代精神がその技術至上主義のなかで忘れてしまったものであり、かといって、自然保護というような人間と自然を対立的にとらえる志向のなかで実現されるものでもない、もっと生活論的で、かつ日常的な営みのなかで生まれてくるものではないだろうか。(72頁)
私たちは、環境問題には自然科学や、あるいは社会科学のなかでの経済学や法律学だけでなく、社会学的かつ歴史的なアプローチが必要ではないかと、琵琶湖という環境問題の現場にあって、痛感してきた。(121頁)