▽妖怪と異人―新しい妖怪論のために (227)
日本の妖怪研究について(一、二)
「妖怪というものとの関連のなかで日本人の神観念をとらえるほうが、日本の神観念のトータルな像をこれまでよりもうまくつかまえることができるのではないか」(230)
「妖怪を論じるということそれ自体が学問的ではないという空気が大学アカデミズムのなかにはあった」ため、まともな研究が数えるほどしかない。(柳田国男『妖怪談義』、阿部正路『日本の妖怪たち』、江馬務『日本妖怪変化史』、阿部主計『妖怪学入門』など)
「妖怪を論じるということそれ自体が学問的ではないという空気が大学アカデミズムのなかにはあった」ため、まともな研究が数えるほどしかない。(柳田国男『妖怪談義』、阿部正路『日本の妖怪たち』、江馬務『日本妖怪変化史』、阿部主計『妖怪学入門』など)
「妖怪」となにか(三、四)
「『祀る』という行為が妖怪と神とを区別するメルクマールになるのではないか」。「作業仮説として、『祀る』『祀られていない』という相違に基づいて、祀られていない超自然的な存在というものを『妖怪』とし、人間によって社が作られ、そこに祀られるような超自然的存在を『神』と」(235)して見ることができる。
ここで、「祀られたものとしての『神』と、祀られていないものとしての『妖怪』との関係は、固定的ではなく流動的で可変的な関係にあ」る。「さまざまな災いをなす神々もしくは神霊〔山姥や狐憑き〕というものの処理の仕方としての『祀り上げ』」(237)は日本各地に見られる。
ここで、「祀られたものとしての『神』と、祀られていないものとしての『妖怪』との関係は、固定的ではなく流動的で可変的な関係にあ」る。「さまざまな災いをなす神々もしくは神霊〔山姥や狐憑き〕というものの処理の仕方としての『祀り上げ』」(237)は日本各地に見られる。
五 日本の妖怪の特徴
(一)祭祀されない超自然的な存在である
(二)異類異形つまり他者的存在である
(三)外のカテゴリーに属しているがために恐怖を引き起こすものである
(四)人間に対して恨みや嫉みをもっていてそれが原因でさまざまな災厄を人間にもたらす(239)
(二)異類異形つまり他者的存在である
(三)外のカテゴリーに属しているがために恐怖を引き起こすものである
(四)人間に対して恨みや嫉みをもっていてそれが原因でさまざまな災厄を人間にもたらす(239)
六 妖怪の異類異形性
「鬼や怪物、動物たち、人間なんだけれども人間のカテゴリーを少し逸脱したようなもの、自分たちが聞いたことのない言葉をしゃべったり、自分たちとは違った服装や生活をしているような人」(241)
七 妖怪の他者性―内部と外部
「他者性」とは、「外集団あるいは外の領域に属していて、『われわれ』の仲間ではないということ」。他者性をもっている「妖怪というのはこちら側に住んではならない、[…]こちら側に出現したら排除しなければならないものである」(244)。
▼社会集団に対する「内」と「外」
「『われわれ』にならない『かれら』」と「『かれら』にならない『私』」という二極があり、「その二極間で、内部と外部を区別する分岐点・境界点が関係の捉え方に応じて移動する。」(245)
「社会関係が『われわれ』から他者に変わったというときに、他者としての妖怪というものが現れてくる」(246)
「『われわれ』にならない『かれら』」と「『かれら』にならない『私』」という二極があり、「その二極間で、内部と外部を区別する分岐点・境界点が関係の捉え方に応じて移動する。」(245)
「社会関係が『われわれ』から他者に変わったというときに、他者としての妖怪というものが現れてくる」(246)
▼空間的な「内」と「外」
「内」にならない「外」=「死後の世界」と、外部にならない内部=「カマドもしくは囲炉裏」
「人間の意識における『内』と『外』が[…]その時その時によってつねに変化しているので、[…]妖怪もまたそれに応じて現れる場所が変動する。」(248)
「内」にならない「外」=「死後の世界」と、外部にならない内部=「カマドもしくは囲炉裏」
「人間の意識における『内』と『外』が[…]その時その時によってつねに変化しているので、[…]妖怪もまたそれに応じて現れる場所が変動する。」(248)
▼時間軸
「昼は『われわれ』の時間、内側の時間であり、夜は『かれら』の時間、外側の時間」
「昼は『われわれ』の時間、内側の時間であり、夜は『かれら』の時間、外側の時間」
八 山姥と河童の背後にあるもの
「河童」は、「『川の民』つまり周囲の人びとから『非人』『河原者』として賎視されてきた人びとについてのイメージからきて」いると考えられる。また「山姥」についての「民俗的観念の背後に、実在としての山姥すなわち『山の民』というものの存在とかれらとの交流が推測される」。これらのことから、「妖怪の背後に、実在としての人間、すなわち『異人』が存在しているかにみえ」、「異人に対する民俗的観念と、妖怪についての民俗的観念は深層において通低しているのではないか」(252)と思われる。
九 河童のイメージを構成するもの
河童についての説話は「人形起源説話」が圧倒的に多く、ほかに「祇園の御子」説、「中国から渡来」説がある。
▼河童の属性(254)
(一)手足が簡単に抜ける
(二)人形である
(三)川辺、水界に棲んでいる
(四)頭の形が童子形である
(五)膳や椀を貸してくれたり、ときには魚などを贈ってくれる―人間との特別な関係ができたとき
(六)骨折の薬、その他特殊な薬を持っている
(七)河童を守護神として水神祭りや占いをしたり、それを司る神官の家筋がある(九州)
(八)人に憑いて病気などの災いをもたらす、子どもを水界に沈める
(九)水神の御子もしくは使者・媒介者として働く
(十)「河童」という文字は近世以前の文献には見出されない
(十一)牛や馬を水界に沈める
(一)手足が簡単に抜ける
(二)人形である
(三)川辺、水界に棲んでいる
(四)頭の形が童子形である
(五)膳や椀を貸してくれたり、ときには魚などを贈ってくれる―人間との特別な関係ができたとき
(六)骨折の薬、その他特殊な薬を持っている
(七)河童を守護神として水神祭りや占いをしたり、それを司る神官の家筋がある(九州)
(八)人に憑いて病気などの災いをもたらす、子どもを水界に沈める
(九)水神の御子もしくは使者・媒介者として働く
(十)「河童」という文字は近世以前の文献には見出されない
(十一)牛や馬を水界に沈める
一〇 河童伝承に暗示された実在
「非人」の起源説話と、河童起源譚との類似性(下級の陰陽師と治水・土木・建築労働者たち)をみるに、河童について考える際、「河原の『童子』たち、つまり宗教者たちの異類異形性やその社会的役割といったものとの関連を踏まえ」(258)るべきである。
「民俗社会のなかでのみの河童の意味を考える場合には、『川の民』の存在に言及しなくとも説明できる」。しかし「文化史的な立場から河童たちの生成を考えていく場合には、『川の民』の存在を持ち出す必要があるだろう」(259)。
「民俗社会のなかでのみの河童の意味を考える場合には、『川の民』の存在に言及しなくとも説明できる」。しかし「文化史的な立場から河童たちの生成を考えていく場合には、『川の民』の存在を持ち出す必要があるだろう」(259)。
一一 民俗社会のレヴェルを超えて
「妖怪というもののそれぞれ異常性の背後に、『異人』集団あるいは異なった職業集団というものが見え隠れして」おり、「こうした社会集団に属するような人びとを、農民を主体とする民俗社会の人たちが妖怪視したこと」(261)が分かる。
「よく知られた河童という妖怪にも、『異人』に対する偏見や“差別”の意識が働いていたのをみると、つくづく差別意識の根深さに戦慄せざるをえません。ささやかな試みではありますが、私のこうした試みが、そのような意識の解消に多少でも役立てば、と思っている次第です。」(262)
「よく知られた河童という妖怪にも、『異人』に対する偏見や“差別”の意識が働いていたのをみると、つくづく差別意識の根深さに戦慄せざるをえません。ささやかな試みではありますが、私のこうした試みが、そのような意識の解消に多少でも役立てば、と思っている次第です。」(262)