2012年11月26日
亀山研ゼミ
学部3年 新井栞
亀山研ゼミ
学部3年 新井栞
卒論の研究テーマについて
Ⅰ 概説
現代の日常生活における様々な性現象とその歴史について考察することで、私たちが性についてどのような意識を抱き、またそれがどのような時代変遷を遂げてきたのか、を知るための手がかりとしたい。
性現象や性的意識について研究する理由としては、性欲が人間の三大欲求に数えられるほど強い欲求であり、また三大欲求の中で最も他者に依存する欲求であるためである。こうした特徴を持つ性欲から生じる性的な意識について研究することで、人間がどのように他者や社会と向き合っているかも明らかにできるのではないだろうか。
また、性現象について研究する際に、性現象の持つコミュニケーションとしての側面に注目したい。性現象が成り立つためには他者と他者とのコミュニケーションが必要であり、コミュニケーションの送り手と受け手の関係、また性現象の当事者とそれ以外の人々との関係を考えることが出来る。ここでは、コミュニケーションの送り手と受け手の関係における望ましい状態を「合意」、望ましくない状態を「逸脱」と呼び、性現象の当事者以外の人々が送り手と受け手の関係を承認しているかどうかで「承認」と「不承認」と呼ぶ状態を考えたい。たとえば周囲の人々に祝福される結婚は「承認」であり「合意」で、周囲の人々の反対を押し切ってなされる結婚は「不承認」であり「合意」である。
日常生活における性現象は多種多様であり、その全てを研究で取り扱うことは不可能であると考えられるので、卒論においては「日本における裸体に対する意識」に絞って研究を行うこととする。日本人が裸体に対してどのような意識を持ち、それが性的な意味を帯びたのはいつ、何がきっかけであったのかについて考察する。その上で、特に明治期における変化と第二次世界大戦後の変化に注目したい。裸体に対する意識の変遷を考察する上で手がかりとするのは、混浴、絵画、水着や下着を含む服装などの歴史である。
性現象や性的意識について研究する理由としては、性欲が人間の三大欲求に数えられるほど強い欲求であり、また三大欲求の中で最も他者に依存する欲求であるためである。こうした特徴を持つ性欲から生じる性的な意識について研究することで、人間がどのように他者や社会と向き合っているかも明らかにできるのではないだろうか。
また、性現象について研究する際に、性現象の持つコミュニケーションとしての側面に注目したい。性現象が成り立つためには他者と他者とのコミュニケーションが必要であり、コミュニケーションの送り手と受け手の関係、また性現象の当事者とそれ以外の人々との関係を考えることが出来る。ここでは、コミュニケーションの送り手と受け手の関係における望ましい状態を「合意」、望ましくない状態を「逸脱」と呼び、性現象の当事者以外の人々が送り手と受け手の関係を承認しているかどうかで「承認」と「不承認」と呼ぶ状態を考えたい。たとえば周囲の人々に祝福される結婚は「承認」であり「合意」で、周囲の人々の反対を押し切ってなされる結婚は「不承認」であり「合意」である。
日常生活における性現象は多種多様であり、その全てを研究で取り扱うことは不可能であると考えられるので、卒論においては「日本における裸体に対する意識」に絞って研究を行うこととする。日本人が裸体に対してどのような意識を持ち、それが性的な意味を帯びたのはいつ、何がきっかけであったのかについて考察する。その上で、特に明治期における変化と第二次世界大戦後の変化に注目したい。裸体に対する意識の変遷を考察する上で手がかりとするのは、混浴、絵画、水着や下着を含む服装などの歴史である。
Ⅱ 今まで読んだ文献
- 川端美季(2006) 「『湯屋取締規則』及び『湯屋營業取締規則』に関する考察」
身体観の歴史を読み解くために、入浴、特に公衆浴場の歴史に注目する。明治期の湯屋の管理に関する3つの法的規則について検討を行い、これらの法的規則の関心の中心は衛生や混浴・裸体露出に関するものではなく、防火という側面から見た湯屋の構造であったことを導く。江戸期の湯屋についても触れ、江戸期にも混浴に対する取締がなされていたことを指摘する。また、混浴や裸体露出禁止については、来日した外国人を強く意識したものであったこと、その取締に「違式詿違条例」と警察が深く関わっていたことを述べる。
- 中野明(2010) 「裸はいつから恥ずかしくなったのか 日本人の羞恥心」
江戸後期に来日した外国人たちが江戸時代の銭湯について残した文章や絵画を参考に、江戸時代に日本全国に公衆浴場が広く存在したこと、またその多くが混浴であったことを述べる。さらにそれらの資料から、江戸時代の日本人が裸体に対する羞恥心を持っていなかったことを指摘し、これは現代における「顔」と同じように裸体を捉えていたのではないかと考察する。また、日本人が裸体を日常品化していた理由として、養老猛司の「唯脳論」から、脳が性を管理する方法には性を徹底的に隠す方法とオープンにする方法とがあり、日本はその前者を選択したためだという。その後明治期に違式詿違条例などの弾圧によって日本人が羞恥心を獲得していく様子を、裸体画論争や水着と下着の変遷などから描いていく。
Ⅲ 今後の課題
「合意」と「逸脱」、「承認」と「不承認」の関係について
裸体に対する意識を示すような具体例を多く揃える
読まなければならない論文
裸体に対する意識を示すような具体例を多く揃える
読まなければならない論文
- 蔵屋美香(1993) 「明冶期における芸術概念の形成とその社会的機能・2 : 裸体画論争を巡って 」
- 青木英夫(2000) 「下着の文化史」
- 井上章一(2002) 「パンツが見える。」
- 坂口哲司(1987) 「羞恥心の歴史」
- 今西一(1998) 「近代日本の差別と性文化―文明開化と民衆世界」
- 立川健治(1996) 「外からみた我々の身体性(1)―かつての裸体と混浴―」