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「都市伝説と戦う為に、都市伝説と契約した能力者達……」 まとめwiki

連載 - 喫茶ルーモア・隻腕のカシマ-67

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喫茶ルーモア・隻腕のカシマ


XXI 時の夜の大いなる者/完結



眩しい光をやり過ごし、目を開くと

「XIIのハングド・マンは、苦難や罰を意味し……」

占い師のお姉さんがいた

「次に……X……このカードは、フォーチュン……運命のカード」

どうやら、カードの説明をしてくれている最中らしい

「運の変わり目、分岐点、転換点などを表していますが……流れと共にある事とも……」

Xのカード……流れと共にある事……
図書館の世界がそうであったと思い出す

「通常は良い変化・流れを意味しますが、周りの影響を受けやすいカードでもあり……」

オズの魔法使い……あの時、朗読をしていた大木という女性の事を思い出す
そして、法の書……あれはきっとクロウリーが書き記した魔術書だ

「周囲に不運があれば不運に、幸運があれば幸運になるという性質を持っています」

おぼろげな記憶を辿ると……
説明の順と……トートの世界は対応していた事が分かる

占い師さんは、それぞれのカードに対応する人物や出来事あること……
その内容について、ひとつひとつ丁寧に説明をしてくれる

全ては体験してきた事であり、確認する様な格好になってしまっていたが
それらは全て、彼女のリーディングが見事であるということを示している

紡がれる言葉の端々に、イメージを重ね合わせ……思い起こされる情景は……
まるで、遠い過去の出来事の様に感じられた

「全てのカードの配置から読み取れるイメージは……夏」

読み取りの邪魔をしない様に

「夏の日の、生長する草木……蔓の様に、這い回り、伸び、上を目指す、生命力」

静かに言葉を待ち

「迷う事もあるでしょう……けれど、それは上を目指すのに必要な足掛かりとなる」

頷く

「愛されていますね……貴方は、それを自覚すべきなのかもしれません」

鈍感なわけではない……ただ……

「貴方ほど出逢いに恵まれた者はそうはいませんよ……そして……」

自信がないのだ

「貴方は彼等の繋がりの、輪の中心に位置しています……これは、自身の力で手に入れたものです」

皆が優しい言葉を掛けてくれる

「貴方の周りには、手を貸してくれる者がいます……もっと頼っても良いのではないでしょうか」

ここに居て良いのだと言ってくれる

*



「ありがとうございました」
「どういたしまして……何か質問があれば、お答えしますが……」

クロウリーと別れ際にした話を思い出す

「……あ、そうだ」
「なんでしょう?」
「クロウリーがね、見事なリーディングだったって褒めていました」
「クロウリー……アレイスター・クロウリーがですか?!」

一連の事象について話すと
驚きを隠せないでいたが、彼女もこのカードに違和感を感じていたのだろう

やがて彼女は得心した様子で語り始める

かの魔術師は、召喚や聖餐儀式といった西洋儀式魔術の他に
神秘学、錬金術、占術、東洋宗教、ヨガ、カバラ……
その他、オカルトに類するものに本気で取り組んでいた

おそらく、これらの粋を集めたものが、このトート・タロットを構成している
外部からは力を感じさせない程に密閉された内部世界

概要を語り終え、錬金術へと話が移る

「無価値のものから価値有るものを生み出す行為、それが錬金術です」
「……錬金術」
「例えば、子を生むということもまた同じであると、魔術の様な奇跡であると……」
「子を生み出すことが……魔術と同じ……」
「個の生命としては成立し得ないものから、個の生命を創り出す行為ですから……」
「……」
「そして、錬金術であるならば、相応の対価は支払わねばならないということになりますね」
「対価……それって……育てるという行為?」
「産むのであれば、相応の苦労は覚悟しておかねばならないのです」
「それを怠る者は、別の対価を支払うことになる?」
「ええ、そうあるべきだと……ですが……」
「何?」
「それさえも、育てる苦労さえも、価値あるものと考える者も多いのではないでしょうか」
「……そうだね」
「ならば……対価を最小に出来る彼等は、優秀な錬金術師なのでしょう」
「飛躍してない?」
「ええ、そう思います……ですが、かの魔術師はそのように考えていたのだと思いますよ」
「あのクロウリーが?!」

あの男からは、むすっとした表情からは想像も出来ない様な、優しい理論だ

エイワスの指示に従っての事か、それとも本人の意思か
それは分からない
だが
トート・タロットには、一般のタロットでいうところの
逆位置という解釈は存在せず
死神、悪魔、塔、月といったカードも必ずしも凶札ではないという

それらは優しさ故に、とも考えられるのではないだろうか

「彼の著書に、ムーン・チャイルドという小説があります」
「小説?……魔術書じゃなくて?」
「はい恋愛小説です……その中で、子を作る事が、ホムンクルスを作る事と同義であるとも……」
「ホムンクルス……なるほど……確かに錬金術だね……」
「また、彼の遺した言葉には、子どもの成長に関するものが散見されます」

例えば、アレイスター・クロウリーは、エッセイ「秘密会議」の中で
社会の正しい秩序を可能にするために、子どもの〈真の意志〉が
誕生時か人生のできるだけ早期に発見されうる様な技法が考案されるべきだと示唆している

「きっと……子どもが好きだったのでしょう」
「……イメージ出来ない」
「ですね」

そういって、二人で苦笑いを交わす

個々の〈真の意志〉は、個人の以前の生の結果であるとして
魂の転生の理論を示唆している
だが、彼は過去生の記憶の客観的妥当性を主張するまでには至らない

『つまり〈真の意志〉は転生を繰り返した結果であるが、この記憶は完璧ではない』

彼は目的を達成するための手段として「魔術的記憶」の開発を推奨しており
これは志願者の能力と、思い出した過去とを
何らかの目的、意図、意味に結びつけるものである

『魔術的記憶の開発……すなわち、トート・タロットを利用したあの世界の出来事』

彼は〈真の意志〉を
部分的かつ一時的なことで満足せず目的に向かって断固として進む意志と定義している

『今の自分には……やりぬく事が出来なかった……』

全てが解明されると、不思議と納得してしまっている自分がいた

「ありがとう、占い師さん」
「いえ、こちらこそ……本物のトートに出逢えた事は幸運でした」
「そう?……じゃあ、あげるよソレ」
「え?!」
「だって、いらないし……クロウリーなんて変人の入ったタロットいらないし」
「はぁ……そうなのですか?」
「うん、いらない」
「そう何度も言わなくても……彼、傷つきますよ?」
「ボクも相当傷ついたから、その対価……かわいいモノでしょ?」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「じゃあ、もう帰らないと……ボクサーさんが、吊るされるからね」
「ボクサーさんが、吊るされる……ああ、ハングド・マンの方ですか」
「たぶんね」
「その方の運命は……いえ、何でもありません」
「?」
「では、迷う事があれば、またいらっしゃい」
「うん、ありがとう」

彼女は静かに上品に微笑むと、手を振って見送ってくれた

少しだけ見蕩れていたが……
ボクサーのことを思い出し、家路を急ぐ

*



ルーモアへと帰宅すると
まだ、ボクサーは吊るされてはいなかった

「ふぅ……間に合った?」

店内にはサチ
他には見当たらない

「お帰りなさい、輪君……タロット、どうだったの?何か分かった?」
「ただいま……ん~、取り敢えず処分してきた」
「え?!処分?……危ないものだったの?」

心配そうに聞いてくる

「危ないものではなかったけど……いらないからあげちゃった」
「……なんだ……そうなの……良かった」

ほっとした様に、深く息を吐く
この様子では、サチには本当のことを言えそうにない

「ところで、マスターは?」
「今、裏庭にフルーツトマトとハーブを摘みに行ってるの」

夏場は、トマトやキュウリくらいなら簡単に省スペースで栽培できる
採れたての野菜は、やはり美味しいと評判も良い

「そう、じゃあすぐ戻ってくるね」

未だにボクサーさんは現れない
占いでは、帰宅した時には吊るされていたはずだが……
占いでの世界と少し時間にズレがあるのかもしれない

「あのさ、サチはオズの魔法使いって読んだことある?」

なんとなしに訊いてみる

「好きなお話のひとつね」
「あの話ってさ……カカシも、ブリキの木こりも、ライオンも、欲しいものを手に入れたけど」
「ええ」
「ドロシーって何も手に入れられなかったのかな?」
「そう言われると……確かに、何も手に入れてないかも……」

少し残念な気がした
あんなに頑張ったのに、皆の手助けをして回ったのに
何も手に入れられないなんて
寂しい結末だと思った

「でもね」
「ん?」
「でもね、ドロシーは最初から帰ることだけを望んでいたと思うの」
「……うん……帰ってもカンザスには、何もないんだよね」
「そうじゃないの……カンザスには全てがあるの」
「全て?」

ドロシーが住んでいるカンザスは、カラカラに乾いた灰色の世界
ドロシーの友達は、子犬のトトだけだ
それでもドロシーは楽しそうに毎日を過ごしている
ドロシーを育てているヘンリーおじさんとエマおばさんは、いつも疲れていて滅多に笑わない

「オズの国には無くて、カンザスには有る……だから、いつでも帰りたいと思っていたのだと思う」
「唯一の友達である子犬のトトは、オズにも一緒に飛ばされている……なら……残っているのは……」
「おじさんとおばさん……育ての親ね」
「育ての親……」
「きっと大好きだったのよ……ドロシーは、おじさんとおばさんが好きだったのよ」
「だから、帰りたかった……カンザスには全てがあったから……」

優しい解釈だ
本当は理由なんて無いのかもしれない
……けれど

「どう?……わたしの考え……ダメ?」
「……良いと……思うよ」

信じたいと思った
サチの解釈を受け入れたいと思った

サチの声は、優しい声だ
そんな声で言われると、本気でそう思えてしまう
それは、朗読してくれた女性を思い起こさせる声でもあった
彼女は眼鏡をかけていなかったけれど……

「え?!」
「?!……なに?どうかした?」
「あのさ……メガネ……外してみてくれる?」
「眼鏡?……良いけど……わたし……美少女になったりはしないよ?」
「……あ……いや……そういうことじゃなくて」

眼鏡のイメージが強すぎて気付かなかったが
あの大木という女性は……サチにそっくりだった
声も、顔も
眼鏡をかけていないから……姓が違うから気付けなかったのだろうか……

「あのさ……大木さんって……」
「大木さん?……大木さんならトイレに……そういえば、随分長い……かも?……きゃっ?!!」
「呼んだ?」
「呼んでないよ……ボクサーさん……それより、スカート捲らないであげて」
「いや、確認をだなぁ……」
「……なんの確認なのさ」
「メガネを外したら美少女に……ぱんつを脱いだらムチムチな尻に……ならないかなぁ?」

「ならない!!」 「ならないです!!」

ボクサーがお盆でポカポカと叩かれているの眺めながら……考える
前にもこんなシーンがあった気がする
『ボボーリ』とか『ボゴーリ』と聞き間違われる名前……
母音だけを抽出……『オオーイ』……『オオイ』……『オオキ』……『大木』
やはり間違いない

「そうだ……物置部屋に……ロープ……あったよね……」

階段を駆け上がり、ロープを探す
トートの世界でも場所を思い出していたから、すぐに見つけられた

「大木さん……あのさ……リア充って知ってる?」
「りあじゅう?……知らない……て、いうか……何そのロープ、怖い」
「リアルでの生活が充実している様な人物のことを指したネットスラングですね……因みに、よく攻撃対象にされています」
「解説ありがとう、サチ」
「で?……何?……俺……結構、虐げられているような……あれぇ?」
「取り敢えず……罰として、こうでもしておかないと……ね!」
「いやぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

ボクサーの悲痛な叫びがこだまする
ロープをぐるぐるに巻き、街路樹へと逆さ吊りにする

「未来は簡単には変わらないんだッ(キリッ」
「いや、意味わかんねぇ~からぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

こうして騒がしい日常がまた始まる

しばらくすると、サチが見かねて、ボクサーさんを降ろしてあげていた
今はその気がないにしても
こういうことの積み重ねが、距離を少しずつ縮めていくのだろう

そんなサチを見ていて、ひとつのイメージが浮かぶ

『通常は良い変化・流れを意味しますが、周りの影響を受けやすいカードでもあり……』
『周囲に不運があれば不運に、幸運があれば幸運になるという性質を持っています』

あれは図書館の女性職員、つまりは、サチを表している
ならば、サチは不幸体質などではないということだ
周りが幸運を持ってさえいれば、幸せにだってなれるのだ

だから
『碓氷 サチ = 幸薄い』から『大木 サチ = 幸多き』へ変わるのなら
それも良い事なのかもしれない

*



営業時間が終わり、サチもボクサーさんも帰っていった

マスターと二人になる

静かな店内で、いつもの様に
今日の出来事を話し、笑い、叱られて、褒められた

でも、心の奥に小さな棘が刺さっている様な感覚がある

トートの世界で見た、最悪の結末

息子さんに殺意を抱き
マスターを刺してしまった

一歩間違えば、そういう世界があったのかもしれない

罪の意識が、棘となって突き刺さっている

「ごめん……マスター」
「どうしたんだ?急に」
「ボク……早く大人になりたい……」
「大人に、か……何かあったのかい?」
「ボクは正しいと思える事をしたつもりなのに……それは独り善がりだったんだ」

全ては独善的な行為だった
子どもじみた愚かな行為
断固として進む、そんな強い意志の伴わない愚行

それでもあの時の気持ちは
恩を返したいという気持ちは本物だった

でも、自分も愛されていたかった
辛い時に傍にいて欲しかった

「どうしたら良いか分からないんだ……ボクは、どうしたら良いんだろう……」

マスターは困った様に、眉を八の字にして

「私は……輪が……都市伝説であるが故に抱えてしまう悩みを……
 理解する事は難しいかもしれない
 だけれども……私だって、かつては子どもだったんだ……
 早く大人になりたいと思ったこともあるよ
 今、思い返してみて……考えてみて……そう……
 そう思い悩むこと自体は悪くないし……必要なことなのかもしれない……そう思えるよ
 でもね
 実際に……早く大人になる必要なんて無いと思うよ
 ゆっくりで良いんだ
 一つ一つ、ゆっくりと積み重ねて理解していけば良いんだ
 歩くように、散歩をするように……時には寄り道をして……
 何も急ぐ必要はない、急いで大人になる必要はない
 一緒に進んでいこう、ゆっくりと、二人で進んでいこう」

最後はいつもの笑顔だった

「でも……ボクは……」

早く大人になって、嫉妬や逆恨みといった感情を制御できる様になりたかった
トート・タロットの力で見せられた、あの結末が現実とならない様に……

「それにね……その方が楽しいと思わないか?」

マスターは、遮る様に言葉を挟む

「……楽しい?」
「輪……私から、息子を育てる楽しみを奪わないでほしいんだよ」
「……マスター」
「いいかい?」
「……うん」
「約束だ」
「うん……約束」
「よし、じゃあ、明日は店は休みにして出掛けるとしよう」
「休みって……急に大丈夫なの?」
「もうお盆休みでお客さんも少ない、問題ないだろう」
「それで……どこにいくの?」
「プールへ行こう」
「プールって……」
「私の息子が溺れない様に……約束を果たさないといけないからね」

それは、昔した約束
この店で再会したあの夏にした約束のことだ
けれど、その言葉は……

『そしたら、子供が海で溺れる事が、潮に流されてしまう事があるかもしれない……』
『助けてあげて、絶対に』
『絶対に目を離さないであげて欲しいんです』

トート・タロットのシミュレーションの中でした約束の様にも思えた

そして、思い返せばいつだって
マスターは、ボクがこの世界で溺れない様に見守ってくれていたのだと気付いた


*


♪Honest (試験運用中)

*



だから───


「さて、今日の稽古はこれまでにしようか」
「え?……でも、まだこんな時間だよ?」

疑問に思うのも当然だった
いつもの半分程度の時間しか鍛錬をしていないのだから

「今日は、店主殿が直々に稽古をつけて下さるのだろう?」
「稽古って……カシマさん……ただ、泳ぐ練習をするだけだよ……」
「疲れ切っていては、覚えられるものも覚えられぬだろうからな」
「いや、まだ疲れてないし、いつも程度の鍛錬でも問題ないから!」
「ふむ……そうかね?」
「続けようよ、ね?」
「では……実戦を模して打ち合うとしようか……それで終いにしよう」
「……」
「ん?どうした?……オレでは相手として不足かな?」
「……不足だなんて……そんな事ないよ……」

現実での出来事ではなかったとはいえ、思い出してしまう

『いつか……オレが強くなったら手合わせをしてもらえるかな?』
『ああ、待っててくれ……必ず、キミの相手をするのに相応しい実力をつけるから』

架空の過去での約束が、心に響く
相応しいなんてどころじゃない
自分にとって最高の師がここにいる

「むろん竹刀で行う模擬戦だ……やってみるか?」
「うん!」


いつも───


「輪は随分と強くなりましたね」
「ジャック……あの子はまだまだ強くなるだろうさ」
「いずれ、私達の助けが要らなくなる日が来るのですね……それも何だか寂しい気がします」
「そうかもしれん……だが……」
「何です?」
「オレたちは、彼の成長する様を間近で見守ることが出来る」
「確かに……こんな贅沢な事は他にないのかもしれませんね」
「うむ」
「明日の彼は、また少しだけ成長しているのでしょうか」
「何を考え、何を感じているのだろうな」
「そこに私達はいるのでしょうか」
「今のオレたちには分からんが……明日のオレたちは知っているはずだ」
「そうですね……今はそれだけで十分としましょう」
「ああ……その方が……知らない方が……」
「きっと楽しい……ですか?」
「うむ、そういう事だ」


この人たちは───

───ボクとの約束などなくても、約束など交わす前に

ボクの望みを叶えてくれていたのだと
幸福に包み込んでくれていたのだと

ボクは知った

今までにもたくさん、こういう事があったのだろう

例えば
当たり前の様に出てくる手料理
勉強を見てくれること
面白い本を薦めてくれること
下らない話で笑わせてくれること
今日あった出来事を頷きながら聞いてくれること
いつでも傍で見守っていてくれること
悪いことをしたら叱ってくれること
良いことをしたら頭を撫でて褒めてくれること
布団をそっと掛けなおしてくれること

普通だと思える様な全てのこと

小さく、愚かな頃には気付かずにいたことが
きっと、大人になり、思い返した時に気付くのだろう
それらがとても大切だったということに

それに気付く事のできたボクは
この世の全てを手に入れたくらいに幸福であると

そう思う

ボクは間違っていた

『善良な人々、そんな彼等の家庭に生まれたなら……不幸ではないんだ』

不幸じゃないなんて……そんな程度のことではなく
それは、幸福そのものだったんだ

ボクは知った

そしてこれからも、きっと

色んなことを、ボクにしてくれるのだろう

ゆっくりと、歩くように
散歩をするように、のんびりと
時には寄り道をしながら

大切なことを、ボクに教えてくれるのだろう

遥か未来で待ってくれているという
ゆっくりと進んでも良いのだという
自信は後からついてくるのだという

だから
ボクはゆっくりと進んでいく

この夏の日のような人生を
日の光の射す、この場所で、この店で
これからも、ずっと

*



セミの声が聞こえる

生き急いでいるかの様な、急いた鳴声

けれど、彼らは

土の中で、何年もかけてゆっくりと、のんびりと育ってきた

自分で作り出した殻を破り飛び立てる、そんな夏を待ちながら

ボクもいつか、この、子どもという殻を破り

強く飛び立つことの出来る大人になるのだろう

暑い夏を何度もやり過ごしながら、ゆっくりと大人へ近づくのだろう

その傍らにはいつも、マスターや皆がいてくれる

だから、どんなに暑く過酷な夏でも乗り越えて行けると思う



さあ、はじめよう

今年もまた、はじめよう

ボクの夢を、暑い夏を───


               トート篇 ─ Fin. ─



*


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