ドクター96
その少女には顔が無かった
正確には、顔だったものはある
それは既に無残に切り裂かれ原型を留めておらず、今ここで生きているのが奇跡という有様だった
「意外と死なないもんだな」
しとしとと雨が降る森の中で、男は血に塗れた小さなナイフを手にそう呟いた
「裁判官殿が、あのガキを『魔女』として攫ってこなきゃあな。お前も小間使いとしてもう少し長生きできただろうに」
とある村で、村長の娘が魔女の嫌疑を掛けられた
連絡を受けた魔女裁判を担当する裁判官は、極めて迅速に行動し娘は魔女裁判に掛けられる事となった
「あのガキ、本当に魔女だったんじゃねぇかな」
「裁判官殿の丸太みてぇなもん突っ込まれて生きてるんだから、案外そうかもしんねぇな」
様々な『審問』の結果として、少女は裁判官の『お気に入り』となり、村へと帰す事は出来なくなった
ここで問題が発生する
そんな有様の少女が生きている事を伝え、面会などをさせる訳にもいかない
かといって処刑された事を伝えようにも、毎夜ベッドの上で可愛がられている以上、死体を引き渡す事も出来ない
そのために用意されたのが、その少女と背格好の似たこの少女であった
顔付きも肌の美しさも似ても似つかぬこの少女ではあったが
そういった部分が確認できなければ
顔が肉親でも判別できないほどに挽き潰されていれば
肌がその美しさを確認できないほどに無残に引き裂かれていれば
充分に替え玉として通用するのだ
無論、科学捜査が発達した近代ではそんな杜撰な処置が通用するものではないのだが、魔女狩りが横行していた時代ではそれを望むのは難しい
「しかし面倒臭ぇ、先に殺してから潰せば良かったな。上手い事やりゃあこの辺の噂話のせいにできて後始末が楽だと思ったんだが」
「噂話?」
「伯爵夫人が『出る』って話さ」
「伯爵夫人って、何処のだよ」
「バートリー伯爵夫人さ」
エリザベート・バートリー伯爵夫人
様々な風聞から魔女、吸血鬼、悪魔といった扱いを受けていた伯爵夫人は、裁判の末に処刑扱いとなり城の寝室に幽閉された
数年前にその死が確認されたという話だが、それと同時に『人間』という枠に捕らわれなくなった伯爵夫人が夜な夜な獲物を求めて彷徨っているという噂が流れ始めているのだ
「生きているまま切り裂いた方が血はよく抜ける。『血の伯爵夫人』の犠牲者にはぴったりだろう?」
「愚か者め。このような無様な手口で妾の所業に見せかけようというのか」
聞こえたのは女の声
男達は慌てて辺りを見回し、声の元を探る
「何処を見ておる、妾は此処である」
雨の降る暗い森の中、ドレス姿の妙齢の美女が二人の使用人を従えて立っていた
傘こそ差していたものの、そのドレスには濡れた様子は見られない
傍らに控えた使用人達もだ
「生前のみならず、死してなお罪を着せられようとはなぁ……いくら妾が少々世間一般で言うところの奇行を嗜んでいたとはいえ、あんまりだとは思わぬか?」
大仰に悲しんでいるような口調で語りながらも、その声にはどこか笑いのようなものが混じっていた
「まあ良い。妾は今、機嫌が良い。そこな少女への無体な所業を妾のものとして引き受けてやろう、とっとと去ねい」
使用人二人が、血塗れ泥塗れで横たわる少女の身体を抱え上げる
「お、おい!?」
「何だ? この少女を引き裂き血を絞り取ったのは妾である。ならばこの少女は妾のものであろう?」
「そうはいかねぇ、しっかり殺した上で死体が見付かってもらわなきゃ困るんだよ!」
男はナイフを握り直すと、少女を抱えた使用人の一人目掛けて突き出した
ナイフは使用人の服を裂くが、刃先から伝わったのは金属を引っかいたような奇妙な感触だけ
「妾に指図をしようというのか? 身の程を知れ」
ナイフで裂かれた使用人の服が、見る間にばりばりと大きく引き裂かれ
まるで握り拳が開かれたように膨れ上がった使用人の身体が、男の身体をばくんと飲み込んだ
「お、おい!?」
もう一人の男が声を上げるが、返事は聞こえない
使用人の姿をしていたものは巨大な金属の棺のような形状に変貌しており、その足元からはじくじくと鮮血が溢れ出していた
ぎちぎちと音を立てて開いた使用人の中には、びっしりと鋭い針が並んでおり
その中からずるりと零れ落ちた男の惨状は、残るもう一人を恐慌状態にするには充分な有様だった
「ひっ……!」
悲鳴すらまともに出す事ができないまま、ぬかるんだ地面の森の中を転げるようにして逃げ出す
その背後から迫る、もう一人の使用人
その手が万力のような機械となり、その口へと捻り込まれる
「あがっ!? ふ、ふがっ!」
じたばたともがく男の目の前で、レバーがぎりぎりと回転する
万力は締め上げるものではあるが、この万力は限界まで閉じられていた
その状態でレバーが回転するという事は
悲鳴を上げて暴れる男はやがて、何かが砕け引き裂かれる音と共にだらりと動かなくなっていた
正確には、顔だったものはある
それは既に無残に切り裂かれ原型を留めておらず、今ここで生きているのが奇跡という有様だった
「意外と死なないもんだな」
しとしとと雨が降る森の中で、男は血に塗れた小さなナイフを手にそう呟いた
「裁判官殿が、あのガキを『魔女』として攫ってこなきゃあな。お前も小間使いとしてもう少し長生きできただろうに」
とある村で、村長の娘が魔女の嫌疑を掛けられた
連絡を受けた魔女裁判を担当する裁判官は、極めて迅速に行動し娘は魔女裁判に掛けられる事となった
「あのガキ、本当に魔女だったんじゃねぇかな」
「裁判官殿の丸太みてぇなもん突っ込まれて生きてるんだから、案外そうかもしんねぇな」
様々な『審問』の結果として、少女は裁判官の『お気に入り』となり、村へと帰す事は出来なくなった
ここで問題が発生する
そんな有様の少女が生きている事を伝え、面会などをさせる訳にもいかない
かといって処刑された事を伝えようにも、毎夜ベッドの上で可愛がられている以上、死体を引き渡す事も出来ない
そのために用意されたのが、その少女と背格好の似たこの少女であった
顔付きも肌の美しさも似ても似つかぬこの少女ではあったが
そういった部分が確認できなければ
顔が肉親でも判別できないほどに挽き潰されていれば
肌がその美しさを確認できないほどに無残に引き裂かれていれば
充分に替え玉として通用するのだ
無論、科学捜査が発達した近代ではそんな杜撰な処置が通用するものではないのだが、魔女狩りが横行していた時代ではそれを望むのは難しい
「しかし面倒臭ぇ、先に殺してから潰せば良かったな。上手い事やりゃあこの辺の噂話のせいにできて後始末が楽だと思ったんだが」
「噂話?」
「伯爵夫人が『出る』って話さ」
「伯爵夫人って、何処のだよ」
「バートリー伯爵夫人さ」
エリザベート・バートリー伯爵夫人
様々な風聞から魔女、吸血鬼、悪魔といった扱いを受けていた伯爵夫人は、裁判の末に処刑扱いとなり城の寝室に幽閉された
数年前にその死が確認されたという話だが、それと同時に『人間』という枠に捕らわれなくなった伯爵夫人が夜な夜な獲物を求めて彷徨っているという噂が流れ始めているのだ
「生きているまま切り裂いた方が血はよく抜ける。『血の伯爵夫人』の犠牲者にはぴったりだろう?」
「愚か者め。このような無様な手口で妾の所業に見せかけようというのか」
聞こえたのは女の声
男達は慌てて辺りを見回し、声の元を探る
「何処を見ておる、妾は此処である」
雨の降る暗い森の中、ドレス姿の妙齢の美女が二人の使用人を従えて立っていた
傘こそ差していたものの、そのドレスには濡れた様子は見られない
傍らに控えた使用人達もだ
「生前のみならず、死してなお罪を着せられようとはなぁ……いくら妾が少々世間一般で言うところの奇行を嗜んでいたとはいえ、あんまりだとは思わぬか?」
大仰に悲しんでいるような口調で語りながらも、その声にはどこか笑いのようなものが混じっていた
「まあ良い。妾は今、機嫌が良い。そこな少女への無体な所業を妾のものとして引き受けてやろう、とっとと去ねい」
使用人二人が、血塗れ泥塗れで横たわる少女の身体を抱え上げる
「お、おい!?」
「何だ? この少女を引き裂き血を絞り取ったのは妾である。ならばこの少女は妾のものであろう?」
「そうはいかねぇ、しっかり殺した上で死体が見付かってもらわなきゃ困るんだよ!」
男はナイフを握り直すと、少女を抱えた使用人の一人目掛けて突き出した
ナイフは使用人の服を裂くが、刃先から伝わったのは金属を引っかいたような奇妙な感触だけ
「妾に指図をしようというのか? 身の程を知れ」
ナイフで裂かれた使用人の服が、見る間にばりばりと大きく引き裂かれ
まるで握り拳が開かれたように膨れ上がった使用人の身体が、男の身体をばくんと飲み込んだ
「お、おい!?」
もう一人の男が声を上げるが、返事は聞こえない
使用人の姿をしていたものは巨大な金属の棺のような形状に変貌しており、その足元からはじくじくと鮮血が溢れ出していた
ぎちぎちと音を立てて開いた使用人の中には、びっしりと鋭い針が並んでおり
その中からずるりと零れ落ちた男の惨状は、残るもう一人を恐慌状態にするには充分な有様だった
「ひっ……!」
悲鳴すらまともに出す事ができないまま、ぬかるんだ地面の森の中を転げるようにして逃げ出す
その背後から迫る、もう一人の使用人
その手が万力のような機械となり、その口へと捻り込まれる
「あがっ!? ふ、ふがっ!」
じたばたともがく男の目の前で、レバーがぎりぎりと回転する
万力は締め上げるものではあるが、この万力は限界まで閉じられていた
その状態でレバーが回転するという事は
悲鳴を上げて暴れる男はやがて、何かが砕け引き裂かれる音と共にだらりと動かなくなっていた
―――
二人の使用人に抱え上げられる、虫の息の少女
その少女に伯爵夫人は微笑みかける
「のう、小娘……生きたくはないか?」
蚊の鳴くほどの声も出せない、頷く事も首を振る事もできない
そんな少女の様子など気にもせず、伯爵夫人は言葉を続ける
「妾は人を癒す術など持ち合わせてはおらぬ。だが……己の身体なら、永遠に若く美しくあり続ける事ができるのだ」
いたぶるように傷口を指でなぞり、失いかける意識を無理矢理引き起こしながら
「妾と契約をせよ。そうすればその身体は妾のもの。そして人に非ず、元のお前に非ず、そのような存在となれば……既に身体から流れ落ちたお前の血が、その身体を癒してくれようぞ」
伯爵夫人は笑う、嘲う
「その身体を以って妾を楽しませよ。世界を見聞し、乙女の身体を、血を味わい、その感覚を妾に捧げるのだ」
その指先が半開きの唇に触れ、その奥へと潜り込む
そして、少女はその指に最後の力を振り絞って噛み付いた
「くくく、ははははははははははは! ようこそ恐れられるものの世界へ! ようこそ噂が変貌させた世界へ! ようこそ、妾の世界へ!」
笑う
笑う
魔女が笑う
吸血鬼が笑う
伯爵夫人が笑う
深く暗い森の中で、げらげらと
その声は遠く村々まで響き渡り、血の伯爵夫人の笑い声として長く永く語り継がれる事となった
その少女に伯爵夫人は微笑みかける
「のう、小娘……生きたくはないか?」
蚊の鳴くほどの声も出せない、頷く事も首を振る事もできない
そんな少女の様子など気にもせず、伯爵夫人は言葉を続ける
「妾は人を癒す術など持ち合わせてはおらぬ。だが……己の身体なら、永遠に若く美しくあり続ける事ができるのだ」
いたぶるように傷口を指でなぞり、失いかける意識を無理矢理引き起こしながら
「妾と契約をせよ。そうすればその身体は妾のもの。そして人に非ず、元のお前に非ず、そのような存在となれば……既に身体から流れ落ちたお前の血が、その身体を癒してくれようぞ」
伯爵夫人は笑う、嘲う
「その身体を以って妾を楽しませよ。世界を見聞し、乙女の身体を、血を味わい、その感覚を妾に捧げるのだ」
その指先が半開きの唇に触れ、その奥へと潜り込む
そして、少女はその指に最後の力を振り絞って噛み付いた
「くくく、ははははははははははは! ようこそ恐れられるものの世界へ! ようこそ噂が変貌させた世界へ! ようこそ、妾の世界へ!」
笑う
笑う
魔女が笑う
吸血鬼が笑う
伯爵夫人が笑う
深く暗い森の中で、げらげらと
その声は遠く村々まで響き渡り、血の伯爵夫人の笑い声として長く永く語り継がれる事となった
―――
「私はこんな顔はしていなかった」
少女は不満げに呟いた
「お前の顔は、引き裂かれ潰れたものしか知らぬのでな。妾の好みで治したに決まっておろう」
「前より身体が幼い気がする」
「若ければ若いほど良いに決まっておろう? 夜を楽しむには充分な程度にはなっておる」
そう言うと、伯爵夫人は傘を少女に預けて笑う
「妾は寝室より遠くへは離れられぬ、閉じ込められたものという存在故な。お前の旅路が妾を堪能させてくれる事を期待しておるぞ?」
そこでふと気が付いたようにぽんと手を叩く
「お前、名はなんという?」
「奴隷が産んだ生まれついての奴隷に名前なんて無いわ」
「名も無し、顔も無し、なんとまあ愉快な存在になったものよ。妾との契約にてその命に終わりも無しときた」
降りしきる雨に濡れる事もなく、笑い声だけを響かせて
「くくく、妾の契約者として恥じぬ振る舞いを身に付けよ。妾はいつでも見ているぞ?」
伯爵夫人は森の奥へと消えていった
少女は泥と血で汚れた身体と服を見て、ふうと溜息を一つ漏らす
名前も、顔も、終わりも無くした少女に与えられたのは
不死不滅のような身体
自在に操れる数多の拷問具
そして美、色、血への欲求
「これから、どうしようかしら」
幼い少女が一人で生きるには余りにも世知辛く間の悪い時代に、あても終わりも無い旅が始まった
少女は不満げに呟いた
「お前の顔は、引き裂かれ潰れたものしか知らぬのでな。妾の好みで治したに決まっておろう」
「前より身体が幼い気がする」
「若ければ若いほど良いに決まっておろう? 夜を楽しむには充分な程度にはなっておる」
そう言うと、伯爵夫人は傘を少女に預けて笑う
「妾は寝室より遠くへは離れられぬ、閉じ込められたものという存在故な。お前の旅路が妾を堪能させてくれる事を期待しておるぞ?」
そこでふと気が付いたようにぽんと手を叩く
「お前、名はなんという?」
「奴隷が産んだ生まれついての奴隷に名前なんて無いわ」
「名も無し、顔も無し、なんとまあ愉快な存在になったものよ。妾との契約にてその命に終わりも無しときた」
降りしきる雨に濡れる事もなく、笑い声だけを響かせて
「くくく、妾の契約者として恥じぬ振る舞いを身に付けよ。妾はいつでも見ているぞ?」
伯爵夫人は森の奥へと消えていった
少女は泥と血で汚れた身体と服を見て、ふうと溜息を一つ漏らす
名前も、顔も、終わりも無くした少女に与えられたのは
不死不滅のような身体
自在に操れる数多の拷問具
そして美、色、血への欲求
「これから、どうしようかしら」
幼い少女が一人で生きるには余りにも世知辛く間の悪い時代に、あても終わりも無い旅が始まった