ドクター98
上を見ても横を見ても、無限に続いているかのような巨大な書架
ロープ、梯子、脚立、ゴンドラ、様々なものがあちこちに張り巡らされ、何か奇妙な生物の巣のようになっている
「ん~……ウチも大概ロクな本無いですけどねぇ……その手の資料は無いですよ」
そんな広大で奇妙な書庫の入り口で、司書らしき女性が眠そうな顔と眠そうな声でそう告げ
カウンターの上に塔の如く積み上げられた目録を押し退けて、組んだ腕を枕に突っ伏してしまう
「多分、何処行っても同じですよ~……そんな事まともに成功してたら、絶対資料があるはずですしぃ」
眼鏡を掛けたまま、頬をむにりと腕に押し当てて
「そもそも、そんな事に手を出す人って……悲しみのあまりに狂った人ばっかりで、資料とかまともに残さないですからぁ」
細められた目は眠さのせいか、それとも
「そんなものの資料を求めてる時点で……あなた、もう狂ってるかもしんないですよ」
大きく一つ、欠伸をして、肘の先でカウンターの上に置いてあった『受付中』の札を小突き、ぱたりと倒して『休憩中』へと変わる
「失敗例の資料なら山程ありまふかりゃ、それでも読んで考えを改めましょうにぇ……むにゃむにゃ、もう食べられないよぅ」
目を閉じて即、これ以上ないぐらいにベタな寝言を垂れ流す司書の女性
カウンターに積み上げられた目録は、いつの間にか大量の古びた書物の山に変貌していた
「……これ、全部読むでありますか?」
「そうだな」
カウンターの側にあった簡素な机に、山と積まれた書物の一部を抱えて陣取るのは有羽とコンスタンツェ
死者蘇生の方法を求めて世界各地の組織を巡り、たらい回しの上でようやくここ『世界中全ての書籍が存在する秘密図書館』への紹介状を手に入れたのだが
「失敗例しか無いって話だしな、読むのは俺だけでいい。コンスタンツェはホテルに戻ってていいぞ」
「いいえ、ダメであります」
そう言うとコンスタンツェは、有羽の手をぎゅっと握る
「せめて、傍に居るのが。今の小官に出来る事であります」
「……そうか」
微笑を浮かべ、そっとコンスタンツェの頭を撫でる有羽
「ごめんな。俺が、あいつを諦めるための不毛な作業に付き合わせて」
その言葉に、ちくりと胸の奥が痛む
有羽がアンネローゼの事を諦めた時、一番に傍に居たいから
「あ……長丁場になるなら、お茶とか持ってくれば良かったでありますな」
誤魔化すようにそう呟いたコンスタンツェの前に、ティーカップがかちりと置かれる
温かい湯気を立てている香りの良い紅茶を二つ、本の邪魔にならない位置に置いたのは、カウンターで眠りこけている司書と瓜二つの女性
「申し訳ありません、先程は私の契約者が失礼致しました」
「契約者、って事は……あなたがこの『図書館』でありますか?」
「こうして会話をしたり、契約者のお世話をしたりするための分身ですけどね。本体はあくまで、この図書館そのものです」
「図書館なのに、契約者のお世話をするのでありますか?」
「私の存在があまりにも巨大ですので。お客を招く時はどうしても消耗が激しく、寝るか食べるかしている事が大半ですから」
そう言って『図書館』は深々と頭を下げ
「では、あなた達にとって良い歴史と記録が残せますよう、お祈りしております」
小さな光の粒を残して、姿を消した
「行く先々で何かと気を遣われてるな、俺は」
「それだけ、死者蘇生を求めてた人というのは……心配なのだと思うであります」
「そう、かもな」
小さくそれだけ呟いて、有羽は本の一冊を手に取りぱらりとページを捲る
それは長い長い、挫折と諦めのための作業
前へ進むために、重い荷物を捨てるための決心
だが、もしも
この資料の中に
試すべき可能性を秘めたものを見つけてしまったら
「浮かねぇ顔だな」
「……今度は誰だ?」
本に向けていた視線を上げると、そこには大柄なスキンヘッドの黒人男性の姿があった
屈強な肉体を包む黒いスーツと視線を遮るサングラスは、彼が『黒服』という存在である事を如実に物語っていた
「申し訳ありませんが」
そんな彼の周囲を無数の本が蝶の群れのように舞い踊り、そのページの間から無数の刃が溢れ出す
「当館は招待状の無い方の入館を受け付けてはおりません。お引取り願います」
「いやいや、別に本を借りに来たわけじゃねぇ。そっちの兄ちゃんに少し話があってだな?」
「当館は何処の組織にも与しない永世中立、独立図書館国家でございます。例え『アメリカ政府の陰謀論』直属の黒服であろうとも」
本の中から引き抜いた両刃の剣を構える『図書館』に、黒服の男は溜息を吐く
「いやだから、人と話しに来ただけだ……って、そっちもやる気かい」
見れば既にコンスタンツェは銃を抜き、有羽も朱に染められた棍を手に戦闘態勢だ
「うちのボスはどんだけ嫌われて……いやまあ嫌われてるわな、あれは」
「直属の部下ですら納得の嫌われっぷりか」
「まあ敵味方分け隔てなく、従わない奴にゃあ容赦無ぇからな」
刃も銃も棍も恐れた様子はなく、古びた椅子にぎしりと腰を下ろす黒服の男
「こっちは戦る気は無ぇ。だがそっちが仕掛けてくるなら……自衛のために反撃するぜ?」
がさりと取り出した、折り畳まれたドル紙幣
「図書館で本が傷むような真似も、騒がしくするつもりも無ぇよ。武器は引っ込めてくれ……な?」
未だ警戒の色を残したまま、本を書架に舞い戻させる『図書館』
銃は下ろしたもののグリップは握ったままのコンスタンツェ
そして
「誰に、何の用だ?」
手にした棍、如意棒のレプリカをボールペン程の大きさにして胸ポケットに収め、椅子に腰を下ろす有羽
「あんたにだよ、元相棒の彼氏さん」
その言葉に、思わず有羽は苦笑いを浮かべる
「何だ、あいつと組んでたのかあんた。さぞかし苦労しただろ」
「お互い様だったさ。最期にとびきり酷い苦労を掛けちまったしな」
そう言って黒服の男は、深々と頭を下げる
「あいつが日本にまで出張る原因になったのは俺の不始末だ。済まんかった」
『アメリカ政府の陰謀論』に与する黒服の態度としては、経験上有り得ない言動と行動に、彼らの悪名を知る者達の顔にはやや戸惑いが浮かぶ
「何を企んでいるでありますか、『陰謀論』の手先め」
特に、妹を殺す羽目になり掛けたコンスタンツェは、あからさまに疑った様子で黒服の男を睨み付けている
「『ドル紙幣の予言』、ダン・デヴィットソン……『陰謀論』直属の実行部隊が、ただそれだけのために動くはずがないであります!」
「あー、嬢ちゃん。そりゃ逆だ」
スキンヘッドを掻きながら、黒服の男、ダンは語る
「直属の実行部隊だからこそ、ある程度は好きに動けるんだよ。反逆しない限りはな」
そう言ってダンは、サングラスを取ってにやりと笑みを浮かべる
「アメリカは自由の国だ。実際はどうであれ『そういう事になっている』。だからこそ『ある程度』は自由にせざるを得ないわけだ」
「でも、わらわらとゴキブリのように湧いてくる黒服の群れは、そんなようには見えないであります」
「地味に酷ぇ言われようだな……そういうのは雑用や兵隊に使う『量産型』だ。それなりに考えなきゃいけねぇ直属部隊は、ボスに従わなきゃいけねぇ以外は思考レベルは人並みさ」
そう言って懐から煙草を取り出そうとして、その手を止める
「っと、図書館で火は無ぇわな。あとあんた、煙草嫌いだろう」
「あいつから聞いたのか?」
「ああ、彼氏が煙草嫌いだから禁煙したってな。俺と組む頃にゃあすっかり嫌煙家だったよ」
「そうか」
お互いが親しい間柄だった一人の女性を挟む事で、二人の間には初対面にも関わらずどこか昔馴染みのような雰囲気が漂っている
そんな雰囲気を察してか、『図書館』は本を退けて新たに紅茶を用意し、コンスタンツェも銃をバッグの中に収めて大人しく席につく
「それで、あんたは単に謝りにとか昔話にとか、そういう事をしに来たわけじゃないんだろ?」
「ああ、そういや本題はそっちだ。あんたが、あいつを生き返らせる手段を探してるって話を聞いてな」
「随分と耳が良いんだな」
「おいおい、あれだけ大っぴらに行動してて何言ってんだ。各地の研究機関はどっかこっかの組織と繋がりがあるもんだぜ? 今のあんたは、でかい組織のほとんどがマークしてる有様だ」
机の上に積まれた書物の山を、ぐいと押し退けて
「黄泉路への門を開こうとすると、大体ロクな事が起きねぇからな。その手の研究をしてた連中のせいで、表沙汰になってないでかい戦争は何度も起きてる」
「だから、諦めろ、と?」
それまでどこか親しげだった雰囲気が、一瞬で凍り付く
「そうじゃねえ。見当違いで大事件を起こされちゃたまらんから、こうして俺が来たんだよ」
大きな図体で器用に肩を竦め、やれやれといった調子で首を振る
「まあ、あいつの場合は肉体を保存しておいてるせいで、魂もそこに繋ぎ止められてるようだけどな。そうでなけりゃまた新しい『黒服』としてとっくにリサイクルされてる」
「待て。という事は、俺の能力であいつの身体を保管してなきゃ、あいつは生き返ってたって事か?」
「んなこたぁ無い。あいつの姿をした、あいつの能力を使う、あいつによく似た違う『黒服』が出来上がるだけだ」
「だったら、残っている魂と肉体で生き返らせる事が出来れば」
「その肉体も魂も、権利はボスが握ってるってのが問題だ。まともな手じゃあ元の木阿弥ってわけだ」
「別に、あいつが生き返るなら、それでも」
「今度は会えないところでまた死ぬかもしれんぜ?」
ぐ、と言葉に詰まる有羽
「となると、手は二つしかないが、どっちもあんたにゃ無理な話だ。一つは俺らの側について、ボスと協力してあいつを復活させる」
「それが目的でありますか、この外道!?」
「落ち着けお嬢ちゃん、無理な話だって前置きしてるだろ。こいつがそんなに不義理な奴じゃねぇのは、惚気話でよく知ってる」
「どういう話してたんだあいつは……」
「聞かない方が良いかもしれんぜ? ともあれもう一つは、うちのボスと契約して丸ごと全部乗っ取っちまうか」
「どう考えても呑まれて終わりだな」
「ああ、だから無理っつったろ? ここだけの話、俺らみたいな側近の黒服の原型は、そうやって呑まれた連中らしいがね」
「あいつも、そうなのか?」
「多分な。まあ作り直される度に記憶も人格もリメイクされるから、本人はほとんど気にしてないがね。俺も資料で知ってるだけだ」
やや冷めた紅茶をぐいと飲み干して、ダンはがたりと椅子を鳴らして立ち上がる
「ま、そういう事でだ。無駄な時間を費やさないで、もっと有意義な人生を送ってやってくれや……あいつもその方が喜ぶ。そういう事を伝えに来ただけだ」
そう言ってダンは、机の上に100ドル紙幣を一枚置いていく
「当館は喫茶店ではありませんし、利用料金も発生したしませんが」
訝しげに告げる『図書館』に、ダンは口元を緩めて笑う
「俺ぁコーヒーの方が好きなんだ。次に来る時があったらまあ頼むわ」
「……あなたの組織は自前で『X-FILE』を所持しているでしょう。次の機会など」
「趣味は読書なんでな。プライベートで来てもダメかい?」
「プライベートなら一般の図書館をお勧め致します」
「そりゃ残念」
そう言いながらも紙幣を回収する様子は無く、ダンは図書館を出ていってしまった
「まったく……いつ来るかも判らない相手のために仕入を増やす羽目になりました」
「別に、コーヒーを飲む来客は他にも居るのではありませんか?」
『図書館』は一瞬考え込むと、僅かに視線を彷徨わせながら溜息を吐いた
「そういえばそうですね……完全にペースを持っていかれていました。私もまだまだ修行が足りません」
そして
積み上げられた書物をしばらく見詰めていた有羽は、申し訳無さそうに頭を下げ
「折角出していただいたのに、申し訳ありません」
その言葉から察知してか、『図書館』は微笑を浮かべて一礼する
「いえ……どうか、これからのあなたの物語が良いものでありますよう」
積み上げられた書物が宙を舞い、書架のあるべき場所へと戻っていく
「……帰るか、日本に」
「帰るでありますよ、診療所に」
もう一度、今度は感謝の意を込めて司書と『図書館』に向かって頭を下げる有羽
そして顔を上げると
突っ伏して寝ていたはずの司書が、手をぷらぷらと振っていた
ロープ、梯子、脚立、ゴンドラ、様々なものがあちこちに張り巡らされ、何か奇妙な生物の巣のようになっている
「ん~……ウチも大概ロクな本無いですけどねぇ……その手の資料は無いですよ」
そんな広大で奇妙な書庫の入り口で、司書らしき女性が眠そうな顔と眠そうな声でそう告げ
カウンターの上に塔の如く積み上げられた目録を押し退けて、組んだ腕を枕に突っ伏してしまう
「多分、何処行っても同じですよ~……そんな事まともに成功してたら、絶対資料があるはずですしぃ」
眼鏡を掛けたまま、頬をむにりと腕に押し当てて
「そもそも、そんな事に手を出す人って……悲しみのあまりに狂った人ばっかりで、資料とかまともに残さないですからぁ」
細められた目は眠さのせいか、それとも
「そんなものの資料を求めてる時点で……あなた、もう狂ってるかもしんないですよ」
大きく一つ、欠伸をして、肘の先でカウンターの上に置いてあった『受付中』の札を小突き、ぱたりと倒して『休憩中』へと変わる
「失敗例の資料なら山程ありまふかりゃ、それでも読んで考えを改めましょうにぇ……むにゃむにゃ、もう食べられないよぅ」
目を閉じて即、これ以上ないぐらいにベタな寝言を垂れ流す司書の女性
カウンターに積み上げられた目録は、いつの間にか大量の古びた書物の山に変貌していた
「……これ、全部読むでありますか?」
「そうだな」
カウンターの側にあった簡素な机に、山と積まれた書物の一部を抱えて陣取るのは有羽とコンスタンツェ
死者蘇生の方法を求めて世界各地の組織を巡り、たらい回しの上でようやくここ『世界中全ての書籍が存在する秘密図書館』への紹介状を手に入れたのだが
「失敗例しか無いって話だしな、読むのは俺だけでいい。コンスタンツェはホテルに戻ってていいぞ」
「いいえ、ダメであります」
そう言うとコンスタンツェは、有羽の手をぎゅっと握る
「せめて、傍に居るのが。今の小官に出来る事であります」
「……そうか」
微笑を浮かべ、そっとコンスタンツェの頭を撫でる有羽
「ごめんな。俺が、あいつを諦めるための不毛な作業に付き合わせて」
その言葉に、ちくりと胸の奥が痛む
有羽がアンネローゼの事を諦めた時、一番に傍に居たいから
「あ……長丁場になるなら、お茶とか持ってくれば良かったでありますな」
誤魔化すようにそう呟いたコンスタンツェの前に、ティーカップがかちりと置かれる
温かい湯気を立てている香りの良い紅茶を二つ、本の邪魔にならない位置に置いたのは、カウンターで眠りこけている司書と瓜二つの女性
「申し訳ありません、先程は私の契約者が失礼致しました」
「契約者、って事は……あなたがこの『図書館』でありますか?」
「こうして会話をしたり、契約者のお世話をしたりするための分身ですけどね。本体はあくまで、この図書館そのものです」
「図書館なのに、契約者のお世話をするのでありますか?」
「私の存在があまりにも巨大ですので。お客を招く時はどうしても消耗が激しく、寝るか食べるかしている事が大半ですから」
そう言って『図書館』は深々と頭を下げ
「では、あなた達にとって良い歴史と記録が残せますよう、お祈りしております」
小さな光の粒を残して、姿を消した
「行く先々で何かと気を遣われてるな、俺は」
「それだけ、死者蘇生を求めてた人というのは……心配なのだと思うであります」
「そう、かもな」
小さくそれだけ呟いて、有羽は本の一冊を手に取りぱらりとページを捲る
それは長い長い、挫折と諦めのための作業
前へ進むために、重い荷物を捨てるための決心
だが、もしも
この資料の中に
試すべき可能性を秘めたものを見つけてしまったら
「浮かねぇ顔だな」
「……今度は誰だ?」
本に向けていた視線を上げると、そこには大柄なスキンヘッドの黒人男性の姿があった
屈強な肉体を包む黒いスーツと視線を遮るサングラスは、彼が『黒服』という存在である事を如実に物語っていた
「申し訳ありませんが」
そんな彼の周囲を無数の本が蝶の群れのように舞い踊り、そのページの間から無数の刃が溢れ出す
「当館は招待状の無い方の入館を受け付けてはおりません。お引取り願います」
「いやいや、別に本を借りに来たわけじゃねぇ。そっちの兄ちゃんに少し話があってだな?」
「当館は何処の組織にも与しない永世中立、独立図書館国家でございます。例え『アメリカ政府の陰謀論』直属の黒服であろうとも」
本の中から引き抜いた両刃の剣を構える『図書館』に、黒服の男は溜息を吐く
「いやだから、人と話しに来ただけだ……って、そっちもやる気かい」
見れば既にコンスタンツェは銃を抜き、有羽も朱に染められた棍を手に戦闘態勢だ
「うちのボスはどんだけ嫌われて……いやまあ嫌われてるわな、あれは」
「直属の部下ですら納得の嫌われっぷりか」
「まあ敵味方分け隔てなく、従わない奴にゃあ容赦無ぇからな」
刃も銃も棍も恐れた様子はなく、古びた椅子にぎしりと腰を下ろす黒服の男
「こっちは戦る気は無ぇ。だがそっちが仕掛けてくるなら……自衛のために反撃するぜ?」
がさりと取り出した、折り畳まれたドル紙幣
「図書館で本が傷むような真似も、騒がしくするつもりも無ぇよ。武器は引っ込めてくれ……な?」
未だ警戒の色を残したまま、本を書架に舞い戻させる『図書館』
銃は下ろしたもののグリップは握ったままのコンスタンツェ
そして
「誰に、何の用だ?」
手にした棍、如意棒のレプリカをボールペン程の大きさにして胸ポケットに収め、椅子に腰を下ろす有羽
「あんたにだよ、元相棒の彼氏さん」
その言葉に、思わず有羽は苦笑いを浮かべる
「何だ、あいつと組んでたのかあんた。さぞかし苦労しただろ」
「お互い様だったさ。最期にとびきり酷い苦労を掛けちまったしな」
そう言って黒服の男は、深々と頭を下げる
「あいつが日本にまで出張る原因になったのは俺の不始末だ。済まんかった」
『アメリカ政府の陰謀論』に与する黒服の態度としては、経験上有り得ない言動と行動に、彼らの悪名を知る者達の顔にはやや戸惑いが浮かぶ
「何を企んでいるでありますか、『陰謀論』の手先め」
特に、妹を殺す羽目になり掛けたコンスタンツェは、あからさまに疑った様子で黒服の男を睨み付けている
「『ドル紙幣の予言』、ダン・デヴィットソン……『陰謀論』直属の実行部隊が、ただそれだけのために動くはずがないであります!」
「あー、嬢ちゃん。そりゃ逆だ」
スキンヘッドを掻きながら、黒服の男、ダンは語る
「直属の実行部隊だからこそ、ある程度は好きに動けるんだよ。反逆しない限りはな」
そう言ってダンは、サングラスを取ってにやりと笑みを浮かべる
「アメリカは自由の国だ。実際はどうであれ『そういう事になっている』。だからこそ『ある程度』は自由にせざるを得ないわけだ」
「でも、わらわらとゴキブリのように湧いてくる黒服の群れは、そんなようには見えないであります」
「地味に酷ぇ言われようだな……そういうのは雑用や兵隊に使う『量産型』だ。それなりに考えなきゃいけねぇ直属部隊は、ボスに従わなきゃいけねぇ以外は思考レベルは人並みさ」
そう言って懐から煙草を取り出そうとして、その手を止める
「っと、図書館で火は無ぇわな。あとあんた、煙草嫌いだろう」
「あいつから聞いたのか?」
「ああ、彼氏が煙草嫌いだから禁煙したってな。俺と組む頃にゃあすっかり嫌煙家だったよ」
「そうか」
お互いが親しい間柄だった一人の女性を挟む事で、二人の間には初対面にも関わらずどこか昔馴染みのような雰囲気が漂っている
そんな雰囲気を察してか、『図書館』は本を退けて新たに紅茶を用意し、コンスタンツェも銃をバッグの中に収めて大人しく席につく
「それで、あんたは単に謝りにとか昔話にとか、そういう事をしに来たわけじゃないんだろ?」
「ああ、そういや本題はそっちだ。あんたが、あいつを生き返らせる手段を探してるって話を聞いてな」
「随分と耳が良いんだな」
「おいおい、あれだけ大っぴらに行動してて何言ってんだ。各地の研究機関はどっかこっかの組織と繋がりがあるもんだぜ? 今のあんたは、でかい組織のほとんどがマークしてる有様だ」
机の上に積まれた書物の山を、ぐいと押し退けて
「黄泉路への門を開こうとすると、大体ロクな事が起きねぇからな。その手の研究をしてた連中のせいで、表沙汰になってないでかい戦争は何度も起きてる」
「だから、諦めろ、と?」
それまでどこか親しげだった雰囲気が、一瞬で凍り付く
「そうじゃねえ。見当違いで大事件を起こされちゃたまらんから、こうして俺が来たんだよ」
大きな図体で器用に肩を竦め、やれやれといった調子で首を振る
「まあ、あいつの場合は肉体を保存しておいてるせいで、魂もそこに繋ぎ止められてるようだけどな。そうでなけりゃまた新しい『黒服』としてとっくにリサイクルされてる」
「待て。という事は、俺の能力であいつの身体を保管してなきゃ、あいつは生き返ってたって事か?」
「んなこたぁ無い。あいつの姿をした、あいつの能力を使う、あいつによく似た違う『黒服』が出来上がるだけだ」
「だったら、残っている魂と肉体で生き返らせる事が出来れば」
「その肉体も魂も、権利はボスが握ってるってのが問題だ。まともな手じゃあ元の木阿弥ってわけだ」
「別に、あいつが生き返るなら、それでも」
「今度は会えないところでまた死ぬかもしれんぜ?」
ぐ、と言葉に詰まる有羽
「となると、手は二つしかないが、どっちもあんたにゃ無理な話だ。一つは俺らの側について、ボスと協力してあいつを復活させる」
「それが目的でありますか、この外道!?」
「落ち着けお嬢ちゃん、無理な話だって前置きしてるだろ。こいつがそんなに不義理な奴じゃねぇのは、惚気話でよく知ってる」
「どういう話してたんだあいつは……」
「聞かない方が良いかもしれんぜ? ともあれもう一つは、うちのボスと契約して丸ごと全部乗っ取っちまうか」
「どう考えても呑まれて終わりだな」
「ああ、だから無理っつったろ? ここだけの話、俺らみたいな側近の黒服の原型は、そうやって呑まれた連中らしいがね」
「あいつも、そうなのか?」
「多分な。まあ作り直される度に記憶も人格もリメイクされるから、本人はほとんど気にしてないがね。俺も資料で知ってるだけだ」
やや冷めた紅茶をぐいと飲み干して、ダンはがたりと椅子を鳴らして立ち上がる
「ま、そういう事でだ。無駄な時間を費やさないで、もっと有意義な人生を送ってやってくれや……あいつもその方が喜ぶ。そういう事を伝えに来ただけだ」
そう言ってダンは、机の上に100ドル紙幣を一枚置いていく
「当館は喫茶店ではありませんし、利用料金も発生したしませんが」
訝しげに告げる『図書館』に、ダンは口元を緩めて笑う
「俺ぁコーヒーの方が好きなんだ。次に来る時があったらまあ頼むわ」
「……あなたの組織は自前で『X-FILE』を所持しているでしょう。次の機会など」
「趣味は読書なんでな。プライベートで来てもダメかい?」
「プライベートなら一般の図書館をお勧め致します」
「そりゃ残念」
そう言いながらも紙幣を回収する様子は無く、ダンは図書館を出ていってしまった
「まったく……いつ来るかも判らない相手のために仕入を増やす羽目になりました」
「別に、コーヒーを飲む来客は他にも居るのではありませんか?」
『図書館』は一瞬考え込むと、僅かに視線を彷徨わせながら溜息を吐いた
「そういえばそうですね……完全にペースを持っていかれていました。私もまだまだ修行が足りません」
そして
積み上げられた書物をしばらく見詰めていた有羽は、申し訳無さそうに頭を下げ
「折角出していただいたのに、申し訳ありません」
その言葉から察知してか、『図書館』は微笑を浮かべて一礼する
「いえ……どうか、これからのあなたの物語が良いものでありますよう」
積み上げられた書物が宙を舞い、書架のあるべき場所へと戻っていく
「……帰るか、日本に」
「帰るでありますよ、診療所に」
もう一度、今度は感謝の意を込めて司書と『図書館』に向かって頭を下げる有羽
そして顔を上げると
突っ伏して寝ていたはずの司書が、手をぷらぷらと振っていた
―――
季節は春が近付く頃合
新しい出発には丁度良い
あちこち迷ってはいるものの、前へと進む決意は出来た
「有羽さんなら、きっと大丈夫であります」
腕に抱き付き、春の日差しのような笑顔を浮かべるコンスタンツェ
「そういえば、いつから俺の事を名前で呼んでたっけか。前まではバイトさんって呼んでたのに」
「はわ!? え、その……け、結構前からでありますよ!?」
そう呼び始めたのは、バレンタインの時から
攻めの姿勢で行こうと決意したその時からである
「こ、ここ、これだけ長いお付き合いなのに、未だに、その、名前で呼ばないのは失礼かと思って! き、気付いてなかったでありますか?」
「そうか……御免な、気を遣ってもらっていたのに気付かなくて」
「そんな事は無いでありますよ、有羽さんも色々大変だったでありますから」
新しい出発には丁度良い
あちこち迷ってはいるものの、前へと進む決意は出来た
「有羽さんなら、きっと大丈夫であります」
腕に抱き付き、春の日差しのような笑顔を浮かべるコンスタンツェ
「そういえば、いつから俺の事を名前で呼んでたっけか。前まではバイトさんって呼んでたのに」
「はわ!? え、その……け、結構前からでありますよ!?」
そう呼び始めたのは、バレンタインの時から
攻めの姿勢で行こうと決意したその時からである
「こ、ここ、これだけ長いお付き合いなのに、未だに、その、名前で呼ばないのは失礼かと思って! き、気付いてなかったでありますか?」
「そうか……御免な、気を遣ってもらっていたのに気付かなくて」
「そんな事は無いでありますよ、有羽さんも色々大変だったでありますから」
春から
診療所に戻ってから
そろそろ攻勢に転じよう
できる範囲で
診療所に戻ってから
そろそろ攻勢に転じよう
できる範囲で
随分と弱気な攻勢への転じ方ではあるものの、二人の関係が季節のように変わり行く始まりであった