夜刀浦奇譚
第四話 -老爺と星夜-
第四話 -老爺と星夜-
「もうやめてくれよ、爺さん。わかってんだろ? あんたじゃおれには勝てねえよ」
悲痛な叫びを上げたのは五十代半ばの中年男性。
対するのはその手にスマートフォンを握る老人。体のいたるところから出血しているのは全て中年の男につけられたものだ。
対するのはその手にスマートフォンを握る老人。体のいたるところから出血しているのは全て中年の男につけられたものだ。
「おれの正体をあの黒ずくめの野郎から聞いたんだろう? 人は神に勝てねえんだよ。爺さん、おれはあんたを殺したくはねえんだ」
――先程の男性、彼は人ではありません。人に化けた神。ナイアーラトテップと呼ばれる邪神です
ナイアーラトテップ。
ホラー作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが生み出した、創作神話の中に出てくる邪神にしてトリックスター。
数いる〈旧支配者〉の中でも人間と直接コンタクトを取り、全てを引っ掻き回し、時には己の主人すら嘲笑う神。
ホラー作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが生み出した、創作神話の中に出てくる邪神にしてトリックスター。
数いる〈旧支配者〉の中でも人間と直接コンタクトを取り、全てを引っ掻き回し、時には己の主人すら嘲笑う神。
創作上の登場人物が意思ある存在として現れることは珍しくないと知っている老人に驚きはない。
黒服の言葉に嘘偽りがないことは、男の衣服の下で不定形の何かが蠢いているのを見れば明らかだ。
衣服の下の肉の塊で殴られても鉤爪で裂かれても、老人が満身創痍で済んでいるのは、男が手を抜いているからに他ならない。
それでも老人の心は折れない。
神の有する絶対の力は老人の体を傷つかせることはできたが、心まで傷つけることはできていない。
老人の胸にあるものはひとつ。
黒服の言葉に嘘偽りがないことは、男の衣服の下で不定形の何かが蠢いているのを見れば明らかだ。
衣服の下の肉の塊で殴られても鉤爪で裂かれても、老人が満身創痍で済んでいるのは、男が手を抜いているからに他ならない。
それでも老人の心は折れない。
神の有する絶対の力は老人の体を傷つかせることはできたが、心まで傷つけることはできていない。
老人の胸にあるものはひとつ。
だから満身創痍にも拘らず、老人は武器を手に取る。
老人が持つには珍しい最新のスマートフォンを。
カメラを男に向け、ボタンを押す――画面に指先が触れる直前、老人の体を肉塊が襲う。
老人が持つには珍しい最新のスマートフォンを。
カメラを男に向け、ボタンを押す――画面に指先が触れる直前、老人の体を肉塊が襲う。
「……ここまで差があるか……」
「諦めてくれよ、どれだけ早く襲うとしてもおれのスピードに敵うわけがないだろうが」
「諦めてくれよ、どれだけ早く襲うとしてもおれのスピードに敵うわけがないだろうが」
不適に笑う老人と今にも泣き出しそうな男。
しかし実際に追い詰められているのは老人であり、優位に立っているのは男である。
しかし実際に追い詰められているのは老人であり、優位に立っているのは男である。
「どうしてあんな奴の言いなりになってんだよ」
「奴と交わした約定よ」
「そのせいで死んじまうんだぞ」
「まだ死ぬとは決まっとらん」
「奴と交わした約定よ」
「そのせいで死んじまうんだぞ」
「まだ死ぬとは決まっとらん」
老人の手が動く瞬間、男の肉塊が腕を絡めとる。
自らの腕の軋む音にも苦痛の色を隠さず、だがそれでも老人は笑う。
自らの腕の軋む音にも苦痛の色を隠さず、だがそれでも老人は笑う。
「人を殺す気概のない落ちぶれた神如きに殺されるわけもないわ、阿呆」
「あんただけは殺したくはねえんだ……」
「――殺す度胸もなく神を名乗るな、小僧!」
「あんただけは殺したくはねえんだ……」
「――殺す度胸もなく神を名乗るな、小僧!」
老人の怒号と共に体が光り、肉塊が弾かれた。
男の肉塊を弾いたものは老人の体の周りに現れた淡い光球。
それはまるで――
男の肉塊を弾いたものは老人の体の周りに現れた淡い光球。
それはまるで――
「これは、この光は……」
『写真に写ると魂が抜かれる』
都市伝説。
『写真に写る』
都市伝説本来の力。
『魂が抜かれる』
都市伝説の新たなる力。
『魂』
拡大解釈。
『抜かれる』
――抜かれた魂はどこに?
「まさか、まさか――!」
「そのまさかよ。人間を舐めるなよ、糞神」
「そのまさかよ。人間を舐めるなよ、糞神」
ある光は螺旋を描くように、ある光は上下に、ある光は動かずに。
それぞれ別の動きをとりながらも、老人の体を取り巻く無数の光の球が宙に浮かんでいる。あたかも老人を守るように。
それぞれ別の動きをとりながらも、老人の体を取り巻く無数の光の球が宙に浮かんでいる。あたかも老人を守るように。
「去ねい!」
宙を漂う光球が、文字通り目にも留まらぬ速さで男へと向かう。
肉塊を硬質化させて防いだものの、光球が直撃した跡からは淡い煙が立ち上る。
肉塊を硬質化させて防いだものの、光球が直撃した跡からは淡い煙が立ち上る。
老人の手の動きにあわせ、光球が男を襲う。
ある球は肉塊を硬質化して防ぎ、ある光球は鉤爪で裂き、ある光球は蝕腕で軌道を逸らす。
時間にするとわずか十秒にも満たない。
一方的な連射に見えるが、それでも男の傷は少ない。
ある球は肉塊を硬質化して防ぎ、ある光球は鉤爪で裂き、ある光球は蝕腕で軌道を逸らす。
時間にするとわずか十秒にも満たない。
一方的な連射に見えるが、それでも男の傷は少ない。
「……くそっ」
男の後退に合わせて老人も前に出る。
老人のものとは思えぬ速度で光球を操る手を動かしながら。
撃ち、弾かれ、撃たれ、防ぐ。
ただがむしゃらに撃っているわけでも防いでいるわけでもない。
どちらも最善の一手を模索しつつの攻防。
老人のものとは思えぬ速度で光球を操る手を動かしながら。
撃ち、弾かれ、撃たれ、防ぐ。
ただがむしゃらに撃っているわけでも防いでいるわけでもない。
どちらも最善の一手を模索しつつの攻防。
しかし、流星の如き光はいつしか数が減り始めた。
数こそ少なくなったとはいえ、老人の唯一の武器である光球はまだ浮かんでいる。
ただ、その使い手である老人の体力が尽きた。
戦闘向けではない都市伝説同様、老人もその年齢を考えると戦闘に向いているとはいい難い。
数こそ少なくなったとはいえ、老人の唯一の武器である光球はまだ浮かんでいる。
ただ、その使い手である老人の体力が尽きた。
戦闘向けではない都市伝説同様、老人もその年齢を考えると戦闘に向いているとはいい難い。
「地力が、違うか……」
老人と男。人と神。
結果を見れば自明の理。
それでもなお、手を止めぬ老人を賞賛すべきであろう。
結果を見れば自明の理。
それでもなお、手を止めぬ老人を賞賛すべきであろう。
手を動かすのがわずかに遅れた、瞬きよりも短い一瞬。
致命的な隙は――絶好の勝機であった。
致命的な隙は――絶好の勝機であった。
「しまっ……」
光球を掻い潜り、男が肉塊を放つ。
叩きつけられた体は簡単に皹が入り、小さな体は宙を飛び、地面に落下する。
常人でも耐えかねる衝撃に口から体中から血を流し、弾かれた体は無機質なアスファルトの上で何度も踊る。
当然といえば当然の結果。
――勝負あり。
叩きつけられた体は簡単に皹が入り、小さな体は宙を飛び、地面に落下する。
常人でも耐えかねる衝撃に口から体中から血を流し、弾かれた体は無機質なアスファルトの上で何度も踊る。
当然といえば当然の結果。
――勝負あり。
ゆっくりと、静かに老人の下へと歩み寄る男。
今にも泣き出しそうなその顔はとても勝利者のものではない。
今にも泣き出しそうなその顔はとても勝利者のものではない。
「どうしてだ?」
「どうしてもだ」
「わからねえよ、おれにはわからねえ……」
「お前が勝ってわしが負けた。それだけのことよ。気に病むことはない。――殺せ」
「……そればっかりはできねえ」
「言うと思ったわ、愚か者が」
「どうしてもだ」
「わからねえよ、おれにはわからねえ……」
「お前が勝ってわしが負けた。それだけのことよ。気に病むことはない。――殺せ」
「……そればっかりはできねえ」
「言うと思ったわ、愚か者が」
満身創痍どころか、死にかけの老人はにやりと笑う。
その手には男を相手に最後まで押すことができなかったスマートフォン。
その手には男を相手に最後まで押すことができなかったスマートフォン。
「……何をする気だ?」
「――負けて生きるは恥よ喃」
「バッ……」
「――負けて生きるは恥よ喃」
「バッ……」
震える手でどのような操作をしたのか、老人の顔がスマートフォンの光で照らされる。
「沢山殺してきたが、わしの死はわしだけのものだ。人を殺せぬへたれた神にくれてやるつもりはないわい」
「やめ――」
「やめ――」
かしゃり
音が鳴り、光が弾け――暗転。
ただそれだけの呆気なさで大正生まれの老人はこの世を去った。
何もできなかった神を独り残して。
老人の操るスマートフォンは最初からカメラを内側に設定していたのかどうか――知る由もなく。
ただそれだけの呆気なさで大正生まれの老人はこの世を去った。
何もできなかった神を独り残して。
老人の操るスマートフォンは最初からカメラを内側に設定していたのかどうか――知る由もなく。
続く