さようならという修実の言葉を、久信は正面から受け止めた。
喪ってしまうのは怖い。出来ることならば一緒に居たいと言いながら、彼女は離別の言葉を口にしている。
周囲から言い聞かされていた昔とは違い、今回は自分の意思で発された別れのための言葉であり、その理由は久信を殺してしまうかもしれない自分に耐え切れないというものだ。
……まただ。
また、弱い者として扱われている。
自分が修実と比較して弱いということは昌夫からも指摘されていたし、久信自身でも分かっていた。だが、修実本人にそう指摘されたようなものである今の状況は、意外なほどに久信に衝撃を与えていた。
久信が弱いせいで、姉弟はお互いの最愛の人と一緒にいることができず、修実の方は自分から孤独の檻の中へと閉じこもってしまう。
そしてコドクに殺されるまで坐して待つってのか。
人として生を受けながら、人の間にいることもできずに独りであることを我慢して享受するという。精一杯の努力をしてもそんな生き方しか選べない修実の状況を久信は許せなかった。
許せなかったから
久信は修実の両肩を掴んだ。
「――え?」
六臂で自分を覆い隠すように体を抱いていた修実は、その上から触れてくる久信の体温に一瞬呆けた顔になり、それによって心に虚が生まれたのか、修実の体からにじみ出るようにして瘴気が漏れ出た。
修実の至近距離にいた久信の体に呪詛が響いてくる。
「……っ」
「あ、や、だめ――」
久信が苦悶の声を上げ、修実が慌てて距離を置こうと、肩にある久信の手をどけようと力を込めると、それに連動するように、呪詛が目に見える形で溢れてくる。
靄から黒い塊となって呪詛が久信をがんじがらめにしようとする。
修実は久信を外そうとするのをやめて、体を強く絞るように六臂で掻き抱いた。
なんとか瘴気の流出を収めた修実は、荒い息で久信に言う。
「だめよ久くん! 早く私から離れて」
そう訴えてくる表情には余裕が一切ない。ほんの少しであろうとも気を抜くことができないほど、修実の中の蠱毒は活性化しているということだろう。それほど際どい状況に、彼女は今立たされている。いつ修実が蠱毒を抑えきることができなくなるのか分からない。そんな状態で彼女の周囲から彼女が気に掛ける人間が居なくなってしまえば、修実はそこを死地と定めてあっさりと死んでしまうだろう。
ここで修実を行かせてしまうということは、彼女を死に場所へと行かせるようなものだ。
久信は、蠱毒の影響を我慢して、修実に言う。
「俺だって、修実姉が死んだら生きていけない。だから、一つ試そう」
修実はゆっくりと呼吸を整えるように呼吸を繰り返しながら問う。
「何、を……?」
久信は雨に濡れて垂れてきた修実の髪を掻き上げて、瞳を見つめて言った。
「俺がその毒を食って支配する」
再び修実の顔に驚きの虚が浮かぶ。今度は瘴気が漏れ出ないように早々に復帰した修実は、久信になんらかの反応を返そうとして、それよりも早く昌夫が声を荒げた。
「ば――ッ、馬鹿野郎! 方法ってのはそれか?! お前、瘴気に中てられただけでぶっ倒れただろうが! 毒の大元を飲んだりなんかしたら死ぬだけだぞ?!」
久信の背後から重ねられる怒声に、修実が頷く。
修実が体内に収めている蠱毒という毒は、特殊な容器を用いて、忌まわしい特殊な手法を重ねて作り出されるものであり、人がその身の内に収めておくような類の代物ではない。毒としての蠱毒は、容器に厳重な封を重ねて秘蔵しておくことでようやく安全を確保できる劇物だ。
しかし、この蠱毒という存在は単純に毒である以前に、都市伝説でもある。故に、
「もし、この蠱毒と契約することができれば、蠱毒は制御される。そうなれば瘴気が無差別にまき散らされることはなくなって、修実姉も独りでいる必要もなくなる。
俺がこの毒を平らげることさえできれば、修実姉はコドクから解放される。だから、蠱毒を俺が飲み干す」
そう宣言する久信に、修実は首を横に振ってみせた。
「無茶よ。久くんが蠱毒に飲み込まれるだけだわ!」
久信はいや、と首を横に振った。
「修実姉の体の中に在って修実姉を害さない毒なら、同じ血が流れていて、なおかつ契約している都市伝説も同じ、同族の俺に対しても多少は毒性が低いかもしれないだろ」
とはいっても、一度瘴気に冒された身としては、素直に蠱毒を飲めばその毒性に耐え切れずに死んでしまうだろうことは理解している。
だが、蠱毒は単なる毒ではない。それが都市伝説である以上、蠱毒という都市伝説が持つルールに則って制圧する方法もある。
「蠱毒に入って、中にいる全ての生き物の上に立てば蠱毒を制することができるかもしれない」
そうすることができれば、蠱毒をシステム面から制圧することができる。
しかし、それを成功させるためには蠱毒というシステムに正面から挑まなければならないということを意味している。
「そんなことをして、もし失敗してしまったら久くんが死んじゃう! 私、久くんがいない世界で生きているなんて、たとえ短い間だけだったとしても嫌……!」
拒否を示す修実に、久信は穏やかともいえる表情で言った。
「その時は、蠱毒の中で死んだ俺は蠱毒の中の毒の一片として、修実姉と一緒に居られるよ。
そうなったら、一緒に死ねる」
修実が息を呑む。
「修実姉を独りにはしないよ。その時は一緒に死のう?」
ゆっくりと伺うように訊ねる久信に、修実も恐る恐る訊ねた。
「……いいの?」
「当然」
久信は晴れやかな笑顔で頷いた。
「修実姉がいない世界なんて生きていてもしょうがないし、修実姉と一緒に逝けるならそれもまたよし、だ」
修実はその告白に首を横に振って、自身を更にきつく、爪が肉に食い込むほどに抱いて戒める。
そんな抵抗を数秒行い、しかし最後には涙をこぼしながら呟いた。
「……ごめんなさい、ありがとう。久くん」
久信は修実から得られた返事に、ほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。こっちこそ、ありがとう」
これで修実からの了承はとれた。久信としてはどう転んでも修実の傍にいられる形になり、最悪の結果にはならない。
自分たちが取るべき道を決めた二人の様子を見て、昌夫が「ああもうわかった!」と半ば自棄で言う。
「決まったんならさっさとやれよもう。墓ぐらいは作ってやる。お前ら憑き物筋の中でも相当ぶっ飛んでるな、くそ、もう付き合うのも疲れる」
「言葉を選んでくれてありがとうね」
修実がどうしたものかという表情で応じた。
「蛇の性だ。これで終わりにするからもう少しだけ付き合ってくれ」
久信が臆面もなく言い切る。それを聞いた修実の表情に、ようやく笑みに近い表情が浮かんだ。
「ああもう勝手にやれ」
渋面で言って、昌夫は山の中の手近な木の下に入った。
「でもな、お前らの監視役として言わせてもらうが、勝手に命投げ捨てんなよ? 特に久、お前だ。どう転んだって自分は損しないからいいやなんて考えてやがったら切れるぞ」
「お、おう……」
久信が目を逸らしつつ頷く。
昌夫は念押しするように一言添えた。
「やるなら、成功する心積もりで、やれ」
「分かったよ」
一回ぞんざいに答えて、久信はもう一度、今度はいくらか真剣に答えた。
「毒を、飲み干してやるさ」
……そう、そのために、修実姉を助け出すだけの力が欲しい。
修実を縛り、煩わせるものを払うだけの力が。
力を望む久信の眼前、修実が自分を締め上げる力を抜いた。
彼女の身から瘴気が立ち上り、久信を冒し始める。
「…………っ」
修実の肩を掴む両手から握力が抜けて、雨が当たる微細な衝撃だけで膝を屈しそうになる。
崩れそうになる久信の体に温かいものが巻きついた。
修実の六つの腕が、自身ではなく、久信を包んで優しい力で抱きとめていた。
温もりの正体に久信が気付くと、更にもう一本、温もりが追加された。
現在の修実の下半身。姦姦蛇螺としての、特徴的な蛇身だった。
新たに加わった蛇身は、人だったころにはなかった器官のため力加減に慣れていないのか、久信を締め付ける力が若干強い。
感じる痛みに苦笑の形に口元を曲げる久信の視界が黒く染まった。
蠱毒の瘴気が修実と久信の周りに充満しているのだ。昌夫の位置から見た二人は黒い渦の中に閉じ込められている形になっているだろう。
瘴気が凝りすぎたのか、やがて雨が二人の体に届かなくなった。
それでもなお雨に打たれているかのように大量の脂汗を流しながら、消えゆく意識で久信はこれから挑むモノに宣戦を布告した。
――さあ、新しい生き物だぞ。勝負しようか。
お前にとっての宿主と、俺にとっての最愛の人を賭けて。
喪ってしまうのは怖い。出来ることならば一緒に居たいと言いながら、彼女は離別の言葉を口にしている。
周囲から言い聞かされていた昔とは違い、今回は自分の意思で発された別れのための言葉であり、その理由は久信を殺してしまうかもしれない自分に耐え切れないというものだ。
……まただ。
また、弱い者として扱われている。
自分が修実と比較して弱いということは昌夫からも指摘されていたし、久信自身でも分かっていた。だが、修実本人にそう指摘されたようなものである今の状況は、意外なほどに久信に衝撃を与えていた。
久信が弱いせいで、姉弟はお互いの最愛の人と一緒にいることができず、修実の方は自分から孤独の檻の中へと閉じこもってしまう。
そしてコドクに殺されるまで坐して待つってのか。
人として生を受けながら、人の間にいることもできずに独りであることを我慢して享受するという。精一杯の努力をしてもそんな生き方しか選べない修実の状況を久信は許せなかった。
許せなかったから
久信は修実の両肩を掴んだ。
「――え?」
六臂で自分を覆い隠すように体を抱いていた修実は、その上から触れてくる久信の体温に一瞬呆けた顔になり、それによって心に虚が生まれたのか、修実の体からにじみ出るようにして瘴気が漏れ出た。
修実の至近距離にいた久信の体に呪詛が響いてくる。
「……っ」
「あ、や、だめ――」
久信が苦悶の声を上げ、修実が慌てて距離を置こうと、肩にある久信の手をどけようと力を込めると、それに連動するように、呪詛が目に見える形で溢れてくる。
靄から黒い塊となって呪詛が久信をがんじがらめにしようとする。
修実は久信を外そうとするのをやめて、体を強く絞るように六臂で掻き抱いた。
なんとか瘴気の流出を収めた修実は、荒い息で久信に言う。
「だめよ久くん! 早く私から離れて」
そう訴えてくる表情には余裕が一切ない。ほんの少しであろうとも気を抜くことができないほど、修実の中の蠱毒は活性化しているということだろう。それほど際どい状況に、彼女は今立たされている。いつ修実が蠱毒を抑えきることができなくなるのか分からない。そんな状態で彼女の周囲から彼女が気に掛ける人間が居なくなってしまえば、修実はそこを死地と定めてあっさりと死んでしまうだろう。
ここで修実を行かせてしまうということは、彼女を死に場所へと行かせるようなものだ。
久信は、蠱毒の影響を我慢して、修実に言う。
「俺だって、修実姉が死んだら生きていけない。だから、一つ試そう」
修実はゆっくりと呼吸を整えるように呼吸を繰り返しながら問う。
「何、を……?」
久信は雨に濡れて垂れてきた修実の髪を掻き上げて、瞳を見つめて言った。
「俺がその毒を食って支配する」
再び修実の顔に驚きの虚が浮かぶ。今度は瘴気が漏れ出ないように早々に復帰した修実は、久信になんらかの反応を返そうとして、それよりも早く昌夫が声を荒げた。
「ば――ッ、馬鹿野郎! 方法ってのはそれか?! お前、瘴気に中てられただけでぶっ倒れただろうが! 毒の大元を飲んだりなんかしたら死ぬだけだぞ?!」
久信の背後から重ねられる怒声に、修実が頷く。
修実が体内に収めている蠱毒という毒は、特殊な容器を用いて、忌まわしい特殊な手法を重ねて作り出されるものであり、人がその身の内に収めておくような類の代物ではない。毒としての蠱毒は、容器に厳重な封を重ねて秘蔵しておくことでようやく安全を確保できる劇物だ。
しかし、この蠱毒という存在は単純に毒である以前に、都市伝説でもある。故に、
「もし、この蠱毒と契約することができれば、蠱毒は制御される。そうなれば瘴気が無差別にまき散らされることはなくなって、修実姉も独りでいる必要もなくなる。
俺がこの毒を平らげることさえできれば、修実姉はコドクから解放される。だから、蠱毒を俺が飲み干す」
そう宣言する久信に、修実は首を横に振ってみせた。
「無茶よ。久くんが蠱毒に飲み込まれるだけだわ!」
久信はいや、と首を横に振った。
「修実姉の体の中に在って修実姉を害さない毒なら、同じ血が流れていて、なおかつ契約している都市伝説も同じ、同族の俺に対しても多少は毒性が低いかもしれないだろ」
とはいっても、一度瘴気に冒された身としては、素直に蠱毒を飲めばその毒性に耐え切れずに死んでしまうだろうことは理解している。
だが、蠱毒は単なる毒ではない。それが都市伝説である以上、蠱毒という都市伝説が持つルールに則って制圧する方法もある。
「蠱毒に入って、中にいる全ての生き物の上に立てば蠱毒を制することができるかもしれない」
そうすることができれば、蠱毒をシステム面から制圧することができる。
しかし、それを成功させるためには蠱毒というシステムに正面から挑まなければならないということを意味している。
「そんなことをして、もし失敗してしまったら久くんが死んじゃう! 私、久くんがいない世界で生きているなんて、たとえ短い間だけだったとしても嫌……!」
拒否を示す修実に、久信は穏やかともいえる表情で言った。
「その時は、蠱毒の中で死んだ俺は蠱毒の中の毒の一片として、修実姉と一緒に居られるよ。
そうなったら、一緒に死ねる」
修実が息を呑む。
「修実姉を独りにはしないよ。その時は一緒に死のう?」
ゆっくりと伺うように訊ねる久信に、修実も恐る恐る訊ねた。
「……いいの?」
「当然」
久信は晴れやかな笑顔で頷いた。
「修実姉がいない世界なんて生きていてもしょうがないし、修実姉と一緒に逝けるならそれもまたよし、だ」
修実はその告白に首を横に振って、自身を更にきつく、爪が肉に食い込むほどに抱いて戒める。
そんな抵抗を数秒行い、しかし最後には涙をこぼしながら呟いた。
「……ごめんなさい、ありがとう。久くん」
久信は修実から得られた返事に、ほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。こっちこそ、ありがとう」
これで修実からの了承はとれた。久信としてはどう転んでも修実の傍にいられる形になり、最悪の結果にはならない。
自分たちが取るべき道を決めた二人の様子を見て、昌夫が「ああもうわかった!」と半ば自棄で言う。
「決まったんならさっさとやれよもう。墓ぐらいは作ってやる。お前ら憑き物筋の中でも相当ぶっ飛んでるな、くそ、もう付き合うのも疲れる」
「言葉を選んでくれてありがとうね」
修実がどうしたものかという表情で応じた。
「蛇の性だ。これで終わりにするからもう少しだけ付き合ってくれ」
久信が臆面もなく言い切る。それを聞いた修実の表情に、ようやく笑みに近い表情が浮かんだ。
「ああもう勝手にやれ」
渋面で言って、昌夫は山の中の手近な木の下に入った。
「でもな、お前らの監視役として言わせてもらうが、勝手に命投げ捨てんなよ? 特に久、お前だ。どう転んだって自分は損しないからいいやなんて考えてやがったら切れるぞ」
「お、おう……」
久信が目を逸らしつつ頷く。
昌夫は念押しするように一言添えた。
「やるなら、成功する心積もりで、やれ」
「分かったよ」
一回ぞんざいに答えて、久信はもう一度、今度はいくらか真剣に答えた。
「毒を、飲み干してやるさ」
……そう、そのために、修実姉を助け出すだけの力が欲しい。
修実を縛り、煩わせるものを払うだけの力が。
力を望む久信の眼前、修実が自分を締め上げる力を抜いた。
彼女の身から瘴気が立ち上り、久信を冒し始める。
「…………っ」
修実の肩を掴む両手から握力が抜けて、雨が当たる微細な衝撃だけで膝を屈しそうになる。
崩れそうになる久信の体に温かいものが巻きついた。
修実の六つの腕が、自身ではなく、久信を包んで優しい力で抱きとめていた。
温もりの正体に久信が気付くと、更にもう一本、温もりが追加された。
現在の修実の下半身。姦姦蛇螺としての、特徴的な蛇身だった。
新たに加わった蛇身は、人だったころにはなかった器官のため力加減に慣れていないのか、久信を締め付ける力が若干強い。
感じる痛みに苦笑の形に口元を曲げる久信の視界が黒く染まった。
蠱毒の瘴気が修実と久信の周りに充満しているのだ。昌夫の位置から見た二人は黒い渦の中に閉じ込められている形になっているだろう。
瘴気が凝りすぎたのか、やがて雨が二人の体に届かなくなった。
それでもなお雨に打たれているかのように大量の脂汗を流しながら、消えゆく意識で久信はこれから挑むモノに宣戦を布告した。
――さあ、新しい生き物だぞ。勝負しようか。
お前にとっての宿主と、俺にとっての最愛の人を賭けて。