意識が一瞬の暗転から覚めた時、久信は町のど真ん中に立っていた。
「……雨も止んでる……修実姉? 昌夫?」
近くに居たはずの姉と友人の名を呼んでみるが、二人とも近くには居ないようで、返事の声は来ない。
……ああくそ。ってかここどこだよ?
人造の建造物がほとんどなくなっていた、先程までの場所とは明らかに違う。大都市とまではいえないが、人が生活するための施設を集めた、地方都市の中心部のような場所であるということが分かる。
ただ、違和感があるとしたら、これだけ町の施設を集めているにもかかわらず、肝心の人間の気配が周りからは一切しないということ。そしてもう一つ、景色が、まるでそういう色の霧でも出ているかのように、赤錆色に染まっているということだ。
赤錆色の町を改めて眺め、久信は首を傾げた。
……どこかで見たことがある?
その景色はなんとなく既視感を感じるようなものだった。とはいっても、似たような景色はどこの地方都市でも見ることができる。どこかの町の風景と目の前の景色の記憶が混同してしまっているのだろうと自分の中で結論し、久信は手近なところから自分が今いる場所について情報を収集しようと、目の前のビルに入ろうとした。その過程で、自分の体の感覚が先程までと大きく違うことに気付く。
……お、体が軽い。
目が覚めてからずっと久信の体にこびりついていた、瘴気に中てられた後遺症の、あの引きずるような体の重さがなくなっている。
よく確認してみれば、雨が止んでいるだけではなく、その雨で濡れていたはずの久信自身も全く濡れていない。
周囲の状況ががらりと変化したことや、自分の体が先程までの所々疲労していた状態から普段の状態にまで戻っていることを受けて、久信は自分が今、どのような状態にあるのか当たりを付けた。
「そうか、一瞬気を失ったと思った瞬間に精神の方だけこの異界に引きずり込まれたんだな。精神だけ移動したから、肉体的な疲れは全部消えたってところか……精神だけでこんなところまで引きずりこまれたってことは、実際の俺の体の方は……たぶんもう蠱毒の瘴気で瀕死にまで追い込まれてるってとこだろうな」
で、あるならば、久信が居るこの異界は蠱毒という都市伝説そのものの中。ということになる。
そう考えると、この空間も、蠱毒とその宿主である修実の精神を媒介にして形作られたものであると予想できる。
久信はそこまで考えて、先程この町を見た時に感じた既視感の正体に気付いた。
「そうか、この町は……」
この赤錆色の町は、修実を探しに訪れた時に見た、結界に包まれて蠱毒が生まれて、それらの結果として荒廃した町を荒廃する以前に戻したような光景なのだ。
ここは、修実が滅ぼした町の再現だった。
ならば、この町を覆っている赤い霧のようなものの正体も察しがつく。
……これは瘴気か。
蠱毒の壺の中なのだ。中の空気が瘴気に染まっていてもなんの不思議もない。
全ての生き物にとって有毒であるはずの空気の中で呼吸していても久信自身に瘴気に中てられている感じがしないのは、久信が蠱毒の毒気に対する耐性を得たから、というわけではないだろう。久信もそこまで楽観視はしていない。
……この空気の中で特に害を感じていないということは、たぶん、俺自身が蠱毒になりかけているってことだろうな。
修実と向き合い、彼女の体から溢れる瘴気を体に受けたため、肉体はすでに蠱毒に冒されている。精神のほうも蠱毒の瘴気に飲み込まれしてまうのは時間の問題だ。
「あんまりのんびりしている暇はないな」
蠱毒に飲み込まれてしまったら、修実と一緒に人の間で暮らすことはできなくなってしまう。
久信は蛇を生み出して周囲に侍らせる。
こうして蛇神憑きとしての能力を精神だけ引っ張られてきているような状況でも扱えるということは、この能力は血だけではなく、その血が流れる久信の精神とも結びついているということだろう。都市伝説が結ぶ契約というのは精神――魂で結ぶものなのかもしれない。
……だとしたら、この蠱毒は町の生き物の恨みの魂と結びついてるってことになるのか。
修実の体を異形化している蠱毒は、この町の住人や都市伝説を糧にして形成された。
彼らの魂の記憶を材料にして作られたものがあの町を模したこの空間だとしたら、ここは肉体が滅びた後の残骸によって作られた毒の坩堝であり――
「そしてコドクに放り込まれて死ぬに死ねない亡者が仲間を引き込もうとしている巣穴でもあるってわけだ」
呟く久信の周りには、いくつもの人の残骸の姿があった。
久信は先ほど入ろうとしていたビルから出てきた、一番近くにいる亡者を見た。
死に際がそのような状況だったのか、体がただれている人間が足を引きづりながら、虚ろな目で歩いて来る。それと同じような状態になっている亡者が周囲の建物から次々と這い出してくる。まともな人間の形を保っているものはどこにも居ない。皆、どこかに欠損やあるいは増殖を抱えた異様な体をしている。
「蠱毒の中で生存競争に負けるとこうなるってことだな」
久信は生み出しておいた蛇を手近の一体に集らせた。
機械的な動きで久信に向かって手を振り上げていた亡者は十匹からなる蛇に集られ、地面に引き倒された。
もがくように手足を動かす亡者の首に蛇の一匹が絡みつき、そのまま絞め殺しにかかる。
亡者は苦しむような素振りで首に指を突き立てて蛇を払おうとして、それが成功する前に虚ろな目を澱ませて事切れた。
「生きた人間を模したおかげか、元々人間を材料に使ってるからか……ともかく、絞め殺すという方法が有効なのは助かるな」
周囲に放った蛇が次々に亡者へと集る。
幾匹かは毒の牙を突き立てているが、それによって亡者の動きが止まる気配はない。どうやら蠱毒の中では蛇の毒などは大した効き目をもたないらしい。
周囲からは、蠱毒の中に放り込また異物に気付いたのか、追加で次々と亡者が現れる。
蛇が次々と放たれていくが、亡者には恐怖心というものが存在しないのか、歩みを止める気配を見せずに久信に向かって突き進んで来る。このままでは久信は数に押されて亡者の波に飲み込まれてしまうだろう。
ここからどう動いたものだろうかと考える久信の傍らで、変化が起こった。
最初に倒した亡者が徐々に赤い光に包まれて分解されていくのだ。
十秒ほどで完全に分解された亡者は、赤錆色の砂塵のようになって、空に飛んでいった。
それに続くような形で、倒した亡者たちが順番に分解されて、同じように空に飛んでいく。
分解された亡者たちが飛んでいく方向は一定だ。そこでは建物越しでよく見えないが、どうも赤錆色の空気の色が濃霧のようにより濃くなっているようだ。
赤錆色の瘴気が濃くなっているということは、それだけ毒気が強く集中しているということでもある。この町の中、特に行く当てがない久信としては、これは初めて見つけることができた指標だ。
……分解された亡者が回収されるように飛んで行ったということは、あの瘴気が集まっている場所は、亡者の巣ないし、この亡者を操るモノが居るはず……。
そしてそれはイコール蠱毒の本体そのものである可能性が高い。
それを確認しに行くのは当然危険を伴う行為ではあるが、このままここで止まっていてもやがては蠱毒に飲まれるか、亡者に押し切られるだけだ。
行けば、少なくとも分解された亡者がその後どのように処理されているのかを確認することができる。
……なら、行った方が得だな。
久信は、次々と迫る亡者を避けるようにビルに侵入し、建物を利用しながら町中での移動を開始した。
奇怪な状態になった人間や都市伝説を幾人か絞め殺し、瘴気の霧が特に集中している場所を目指して移動する。
進むごとに瘴気は濃くなり、途中からはどこが瘴気が集中している部分なのかがよく分からなくなったが、亡者を倒し、それが分解されてどこかに飛んでいくのを見失うまで追う、という流れを何度か繰り返す。
そうやって無理やり進んで行くと、やがて亡者が多く湧いてくる方向が掴めるようになった。
それは、分解された亡者たちが飛んでいく方向と同じだった。
……縊った亡者がよみがえって来てるのか……?
もしそうだとしたら、下手をしたらこの空間の中では亡者は無尽蔵に湧き出てくるということになる。そうなれば亡者と戦い続けるだけでは勝ち目は無い。
大元を叩かない限りは久信に勝ちはないということだ。
……気付くのが下手に体力を削った後じゃなくてよかった。
亡者がやってくる方向は掴めている。そこまで行けば何らかの情報が手に入るだろう。
久信は一抹の焦りを感じながら、この町で一番瘴気が濃く立ち込めている場所に辿り着いた。
そこは、地方都市の駅前にあるロータリーだった。
バスやタクシーのような乗り物は一切ない。ただ亡者の群れがのそのそと蠢いている空き地となっている空間。その中央に、久信は亡者以外の影を見た。
目を凝らしてみると、久信の足元に侍る蛇たちにまとわりつかれて縊り殺された亡者は分解された後、赤い砂礫のような瘴気の断片になってロータリーの中央に据え置かれた壺の中に吸い込まれている。
それと交換するように、壺の中からは瘴気が塊となって溢れ出して滞空し、数秒空中でこねまわされるように蠢いた後に、亡者としての歪な人型を手に入れてのそりのそりと歩きはじめた。
遠目なため若干見づらいが、壺はおそらく成人男性の膝くらいまでの高さがある。口が広くなっており、梅干しでも入っていそうな壺だ。それこそが蠱毒の本体だろう。
そう判断する材料は亡者の動きだけではない。その場には亡者以外の影がもう1つあったのだ。
それは壺を包むようにしている女性だった。
包む、と言っても、実際に腕や脚でしっかりと抱え込まれているわけではない。その女性には壺を包み込むための腕や脚が無かったのだ。
彼女の肩は、仮に彼女に腕がまだあったなら、その腕でしっかりと壺を抱いていただろうと思わせる動きをしていた。
久信は彼女と壺の位置関係を見て舌打ちする。
「遠くからあの壺を割ってみるってこともできないか」
物を投げつけるには、女性の位置が拙い。
直接近づくしか方法はないと腹を括って、久信は近くに寄っていた亡者を蛇で締め上げた。
亡者の姿は、当初襲って来ていたものからその傾向を若干変化させていた。
これまでは人間を材料にしているためか、人間の造形から大きく離れた亡者はほとんど現れなかった。しかし、今久信を襲って来ている亡者は、足をクモのように八本持ち、腕はなく、胴体から頭にかけて無数の目玉を生やした異形だった。
完全に人の造形を無視しており、これまで通り首を締め上げても首周辺の目玉から涙のように黒い汚物が垂れ流されるだけで、殺すことができない。
牙を突き立てて毒を回そうとすると、逆に蛇の方が毒殺されてしまう。一体の異形に対して蛇を十数匹けしかけて全ての目を潰して体を引きちぎらせることでようやく異形を殺すことに成功する。
蠱毒が差し向けてくる亡者が、久信の戦い方に対応してきていた。
……おいおい、この亡者ども、自由に形をいじれたりするのかよ。
久信の攻撃パターンを解析して、攻撃がききづらいような亡者を作り出しているのかもしれない。
時間をかければかけるだけ、久信自身が蠱毒に飲みこまれる危険が増え、また亡者もより殺しづらくなる仕組みだ。
ならばこれ以上手をこまねいているわけにはいかない。目標はもう目に見えているのだ。
久信は急ぎ、壺に向かって駆け出した。
ロータリーは壁にするような建物もなく、寄ってくる亡者は力づくでどうにかするしかない。
蛇を常に生み出し続けながら、なかなか近付けないことに業を煮やしていると、それまで一心に壺を抱える動作をしていた女性が、久信の接近にやっと気付いたかのように顔を上げた。
彼女は久信の姿を目で確認すると、壺の蓋を塞ぐように、体を前に倒した。
一応は蓋をされた壺だが、分解された亡者は彼女の背をすり抜けて壺に戻り、壺から溢れる瘴気もその量を変化させることはない。
意味は無くても諦めきれないかのように蓋を体で塞ぐ彼女に、久信は声をかけた。
「修実姉!」
名を呼ばれた彼女――修実は首だけを動かして久信に顔を向ける。
「久くん。こんな所にまで来てくれたのね」
答えた瞬間。壺の中から、赤錆色をした瘴気とは色合いが違う、黒い瘴気が流れ出た。
「――え?」
修実が目を見開いてその瘴気を眺める。黒い瘴気は赤い空気の中で細長い、十数匹の蛇の形になって亡者の隙間を縫うようにして、機敏な動きで久信に這い寄った。
「――っ、人型よりもこっちの方が俺を殺るのに都合がいいってか?!」
久信は自分の蛇で瘴気の蛇を喰らい合わせた。
蛇の動きを参考にしたのか、捻じ切った亡者の体がその部位だけで這い寄る動きを見せ始める。
「ずいぶんと自由に動くじゃねえか!」
それらを食い止めるために蛇を使役する。ここで亡者の波が久信の処理能力の限界に達した。
「今、そっちに行くからな! 修実姉!」
新たに生み出した蛇を絡み合わせ、一本のロープのようにして、久信はロータリー中央近くの街灯に巻き付けた。
蛇に引っ張られることによって体を宙に浮かせ、振り子のような動きで亡者の頭越しに壺と修実がいる所まで強引に移動する。
転がるようにして着地した久信は、修実の体を掴んで壺から引きはがした。
「久くん……」
脚や腕で体を支えることができず、地面に転がる状態になった修実に悪いと思いながらも、手を貸すよりも先に、久信にはやる事があった。
「修実姉、これからこの壺ぶっ壊す。危ないから離れててくれ」
そう言いながら、久信は壺を修実から遠くへと蹴り飛ばそうと足を思いっきり振りかぶって蹴りをぶつけようとする。
蹴り脚が壺に激突する瞬間、壺の中から白い腕が飛びだしてきて脚を掴み止めた。
まとわりついた壺は足が振り抜かれた後もそのまま脚に纏わりついている。
「そんなにがっつかなくてもこっちから行ってやるよ」
久信は脚にまとわりついている腕に爪を立てて強引に引きはがして、壺本体を自分の手で抱えた。
壺の中をのぞき込むようにして、壺の奥へと声を張り上げる。
「さあ! ここまで来たぞ! 蠱毒の澱を俺に見せろ!」
久信の声に応じて、見た目からはそんなに深いはずがないのに上から覗いただけでは底がいっこうに見透かせない、不気味な深さを持つ壺から黒い蛇が間欠泉のような勢いで湧き出した。
湧き出した蛇は久信の全身にとびかかって巻き付いては締め付ける。
まるで久信をなにがなんでも離さないとでもいいたげな膨大で強力な締め付けに、体をバラバラに捻じ切られそうなになりながらも久信は吠えた。
「修実姉は渡さない。勝負だ蠱毒!」
次の瞬間。
久信は壺の外の肉体も、そして今、ここにある精神すらも、蠱毒の壺に捕えられた。
「……雨も止んでる……修実姉? 昌夫?」
近くに居たはずの姉と友人の名を呼んでみるが、二人とも近くには居ないようで、返事の声は来ない。
……ああくそ。ってかここどこだよ?
人造の建造物がほとんどなくなっていた、先程までの場所とは明らかに違う。大都市とまではいえないが、人が生活するための施設を集めた、地方都市の中心部のような場所であるということが分かる。
ただ、違和感があるとしたら、これだけ町の施設を集めているにもかかわらず、肝心の人間の気配が周りからは一切しないということ。そしてもう一つ、景色が、まるでそういう色の霧でも出ているかのように、赤錆色に染まっているということだ。
赤錆色の町を改めて眺め、久信は首を傾げた。
……どこかで見たことがある?
その景色はなんとなく既視感を感じるようなものだった。とはいっても、似たような景色はどこの地方都市でも見ることができる。どこかの町の風景と目の前の景色の記憶が混同してしまっているのだろうと自分の中で結論し、久信は手近なところから自分が今いる場所について情報を収集しようと、目の前のビルに入ろうとした。その過程で、自分の体の感覚が先程までと大きく違うことに気付く。
……お、体が軽い。
目が覚めてからずっと久信の体にこびりついていた、瘴気に中てられた後遺症の、あの引きずるような体の重さがなくなっている。
よく確認してみれば、雨が止んでいるだけではなく、その雨で濡れていたはずの久信自身も全く濡れていない。
周囲の状況ががらりと変化したことや、自分の体が先程までの所々疲労していた状態から普段の状態にまで戻っていることを受けて、久信は自分が今、どのような状態にあるのか当たりを付けた。
「そうか、一瞬気を失ったと思った瞬間に精神の方だけこの異界に引きずり込まれたんだな。精神だけ移動したから、肉体的な疲れは全部消えたってところか……精神だけでこんなところまで引きずりこまれたってことは、実際の俺の体の方は……たぶんもう蠱毒の瘴気で瀕死にまで追い込まれてるってとこだろうな」
で、あるならば、久信が居るこの異界は蠱毒という都市伝説そのものの中。ということになる。
そう考えると、この空間も、蠱毒とその宿主である修実の精神を媒介にして形作られたものであると予想できる。
久信はそこまで考えて、先程この町を見た時に感じた既視感の正体に気付いた。
「そうか、この町は……」
この赤錆色の町は、修実を探しに訪れた時に見た、結界に包まれて蠱毒が生まれて、それらの結果として荒廃した町を荒廃する以前に戻したような光景なのだ。
ここは、修実が滅ぼした町の再現だった。
ならば、この町を覆っている赤い霧のようなものの正体も察しがつく。
……これは瘴気か。
蠱毒の壺の中なのだ。中の空気が瘴気に染まっていてもなんの不思議もない。
全ての生き物にとって有毒であるはずの空気の中で呼吸していても久信自身に瘴気に中てられている感じがしないのは、久信が蠱毒の毒気に対する耐性を得たから、というわけではないだろう。久信もそこまで楽観視はしていない。
……この空気の中で特に害を感じていないということは、たぶん、俺自身が蠱毒になりかけているってことだろうな。
修実と向き合い、彼女の体から溢れる瘴気を体に受けたため、肉体はすでに蠱毒に冒されている。精神のほうも蠱毒の瘴気に飲み込まれしてまうのは時間の問題だ。
「あんまりのんびりしている暇はないな」
蠱毒に飲み込まれてしまったら、修実と一緒に人の間で暮らすことはできなくなってしまう。
久信は蛇を生み出して周囲に侍らせる。
こうして蛇神憑きとしての能力を精神だけ引っ張られてきているような状況でも扱えるということは、この能力は血だけではなく、その血が流れる久信の精神とも結びついているということだろう。都市伝説が結ぶ契約というのは精神――魂で結ぶものなのかもしれない。
……だとしたら、この蠱毒は町の生き物の恨みの魂と結びついてるってことになるのか。
修実の体を異形化している蠱毒は、この町の住人や都市伝説を糧にして形成された。
彼らの魂の記憶を材料にして作られたものがあの町を模したこの空間だとしたら、ここは肉体が滅びた後の残骸によって作られた毒の坩堝であり――
「そしてコドクに放り込まれて死ぬに死ねない亡者が仲間を引き込もうとしている巣穴でもあるってわけだ」
呟く久信の周りには、いくつもの人の残骸の姿があった。
久信は先ほど入ろうとしていたビルから出てきた、一番近くにいる亡者を見た。
死に際がそのような状況だったのか、体がただれている人間が足を引きづりながら、虚ろな目で歩いて来る。それと同じような状態になっている亡者が周囲の建物から次々と這い出してくる。まともな人間の形を保っているものはどこにも居ない。皆、どこかに欠損やあるいは増殖を抱えた異様な体をしている。
「蠱毒の中で生存競争に負けるとこうなるってことだな」
久信は生み出しておいた蛇を手近の一体に集らせた。
機械的な動きで久信に向かって手を振り上げていた亡者は十匹からなる蛇に集られ、地面に引き倒された。
もがくように手足を動かす亡者の首に蛇の一匹が絡みつき、そのまま絞め殺しにかかる。
亡者は苦しむような素振りで首に指を突き立てて蛇を払おうとして、それが成功する前に虚ろな目を澱ませて事切れた。
「生きた人間を模したおかげか、元々人間を材料に使ってるからか……ともかく、絞め殺すという方法が有効なのは助かるな」
周囲に放った蛇が次々に亡者へと集る。
幾匹かは毒の牙を突き立てているが、それによって亡者の動きが止まる気配はない。どうやら蠱毒の中では蛇の毒などは大した効き目をもたないらしい。
周囲からは、蠱毒の中に放り込また異物に気付いたのか、追加で次々と亡者が現れる。
蛇が次々と放たれていくが、亡者には恐怖心というものが存在しないのか、歩みを止める気配を見せずに久信に向かって突き進んで来る。このままでは久信は数に押されて亡者の波に飲み込まれてしまうだろう。
ここからどう動いたものだろうかと考える久信の傍らで、変化が起こった。
最初に倒した亡者が徐々に赤い光に包まれて分解されていくのだ。
十秒ほどで完全に分解された亡者は、赤錆色の砂塵のようになって、空に飛んでいった。
それに続くような形で、倒した亡者たちが順番に分解されて、同じように空に飛んでいく。
分解された亡者たちが飛んでいく方向は一定だ。そこでは建物越しでよく見えないが、どうも赤錆色の空気の色が濃霧のようにより濃くなっているようだ。
赤錆色の瘴気が濃くなっているということは、それだけ毒気が強く集中しているということでもある。この町の中、特に行く当てがない久信としては、これは初めて見つけることができた指標だ。
……分解された亡者が回収されるように飛んで行ったということは、あの瘴気が集まっている場所は、亡者の巣ないし、この亡者を操るモノが居るはず……。
そしてそれはイコール蠱毒の本体そのものである可能性が高い。
それを確認しに行くのは当然危険を伴う行為ではあるが、このままここで止まっていてもやがては蠱毒に飲まれるか、亡者に押し切られるだけだ。
行けば、少なくとも分解された亡者がその後どのように処理されているのかを確認することができる。
……なら、行った方が得だな。
久信は、次々と迫る亡者を避けるようにビルに侵入し、建物を利用しながら町中での移動を開始した。
奇怪な状態になった人間や都市伝説を幾人か絞め殺し、瘴気の霧が特に集中している場所を目指して移動する。
進むごとに瘴気は濃くなり、途中からはどこが瘴気が集中している部分なのかがよく分からなくなったが、亡者を倒し、それが分解されてどこかに飛んでいくのを見失うまで追う、という流れを何度か繰り返す。
そうやって無理やり進んで行くと、やがて亡者が多く湧いてくる方向が掴めるようになった。
それは、分解された亡者たちが飛んでいく方向と同じだった。
……縊った亡者がよみがえって来てるのか……?
もしそうだとしたら、下手をしたらこの空間の中では亡者は無尽蔵に湧き出てくるということになる。そうなれば亡者と戦い続けるだけでは勝ち目は無い。
大元を叩かない限りは久信に勝ちはないということだ。
……気付くのが下手に体力を削った後じゃなくてよかった。
亡者がやってくる方向は掴めている。そこまで行けば何らかの情報が手に入るだろう。
久信は一抹の焦りを感じながら、この町で一番瘴気が濃く立ち込めている場所に辿り着いた。
そこは、地方都市の駅前にあるロータリーだった。
バスやタクシーのような乗り物は一切ない。ただ亡者の群れがのそのそと蠢いている空き地となっている空間。その中央に、久信は亡者以外の影を見た。
目を凝らしてみると、久信の足元に侍る蛇たちにまとわりつかれて縊り殺された亡者は分解された後、赤い砂礫のような瘴気の断片になってロータリーの中央に据え置かれた壺の中に吸い込まれている。
それと交換するように、壺の中からは瘴気が塊となって溢れ出して滞空し、数秒空中でこねまわされるように蠢いた後に、亡者としての歪な人型を手に入れてのそりのそりと歩きはじめた。
遠目なため若干見づらいが、壺はおそらく成人男性の膝くらいまでの高さがある。口が広くなっており、梅干しでも入っていそうな壺だ。それこそが蠱毒の本体だろう。
そう判断する材料は亡者の動きだけではない。その場には亡者以外の影がもう1つあったのだ。
それは壺を包むようにしている女性だった。
包む、と言っても、実際に腕や脚でしっかりと抱え込まれているわけではない。その女性には壺を包み込むための腕や脚が無かったのだ。
彼女の肩は、仮に彼女に腕がまだあったなら、その腕でしっかりと壺を抱いていただろうと思わせる動きをしていた。
久信は彼女と壺の位置関係を見て舌打ちする。
「遠くからあの壺を割ってみるってこともできないか」
物を投げつけるには、女性の位置が拙い。
直接近づくしか方法はないと腹を括って、久信は近くに寄っていた亡者を蛇で締め上げた。
亡者の姿は、当初襲って来ていたものからその傾向を若干変化させていた。
これまでは人間を材料にしているためか、人間の造形から大きく離れた亡者はほとんど現れなかった。しかし、今久信を襲って来ている亡者は、足をクモのように八本持ち、腕はなく、胴体から頭にかけて無数の目玉を生やした異形だった。
完全に人の造形を無視しており、これまで通り首を締め上げても首周辺の目玉から涙のように黒い汚物が垂れ流されるだけで、殺すことができない。
牙を突き立てて毒を回そうとすると、逆に蛇の方が毒殺されてしまう。一体の異形に対して蛇を十数匹けしかけて全ての目を潰して体を引きちぎらせることでようやく異形を殺すことに成功する。
蠱毒が差し向けてくる亡者が、久信の戦い方に対応してきていた。
……おいおい、この亡者ども、自由に形をいじれたりするのかよ。
久信の攻撃パターンを解析して、攻撃がききづらいような亡者を作り出しているのかもしれない。
時間をかければかけるだけ、久信自身が蠱毒に飲みこまれる危険が増え、また亡者もより殺しづらくなる仕組みだ。
ならばこれ以上手をこまねいているわけにはいかない。目標はもう目に見えているのだ。
久信は急ぎ、壺に向かって駆け出した。
ロータリーは壁にするような建物もなく、寄ってくる亡者は力づくでどうにかするしかない。
蛇を常に生み出し続けながら、なかなか近付けないことに業を煮やしていると、それまで一心に壺を抱える動作をしていた女性が、久信の接近にやっと気付いたかのように顔を上げた。
彼女は久信の姿を目で確認すると、壺の蓋を塞ぐように、体を前に倒した。
一応は蓋をされた壺だが、分解された亡者は彼女の背をすり抜けて壺に戻り、壺から溢れる瘴気もその量を変化させることはない。
意味は無くても諦めきれないかのように蓋を体で塞ぐ彼女に、久信は声をかけた。
「修実姉!」
名を呼ばれた彼女――修実は首だけを動かして久信に顔を向ける。
「久くん。こんな所にまで来てくれたのね」
答えた瞬間。壺の中から、赤錆色をした瘴気とは色合いが違う、黒い瘴気が流れ出た。
「――え?」
修実が目を見開いてその瘴気を眺める。黒い瘴気は赤い空気の中で細長い、十数匹の蛇の形になって亡者の隙間を縫うようにして、機敏な動きで久信に這い寄った。
「――っ、人型よりもこっちの方が俺を殺るのに都合がいいってか?!」
久信は自分の蛇で瘴気の蛇を喰らい合わせた。
蛇の動きを参考にしたのか、捻じ切った亡者の体がその部位だけで這い寄る動きを見せ始める。
「ずいぶんと自由に動くじゃねえか!」
それらを食い止めるために蛇を使役する。ここで亡者の波が久信の処理能力の限界に達した。
「今、そっちに行くからな! 修実姉!」
新たに生み出した蛇を絡み合わせ、一本のロープのようにして、久信はロータリー中央近くの街灯に巻き付けた。
蛇に引っ張られることによって体を宙に浮かせ、振り子のような動きで亡者の頭越しに壺と修実がいる所まで強引に移動する。
転がるようにして着地した久信は、修実の体を掴んで壺から引きはがした。
「久くん……」
脚や腕で体を支えることができず、地面に転がる状態になった修実に悪いと思いながらも、手を貸すよりも先に、久信にはやる事があった。
「修実姉、これからこの壺ぶっ壊す。危ないから離れててくれ」
そう言いながら、久信は壺を修実から遠くへと蹴り飛ばそうと足を思いっきり振りかぶって蹴りをぶつけようとする。
蹴り脚が壺に激突する瞬間、壺の中から白い腕が飛びだしてきて脚を掴み止めた。
まとわりついた壺は足が振り抜かれた後もそのまま脚に纏わりついている。
「そんなにがっつかなくてもこっちから行ってやるよ」
久信は脚にまとわりついている腕に爪を立てて強引に引きはがして、壺本体を自分の手で抱えた。
壺の中をのぞき込むようにして、壺の奥へと声を張り上げる。
「さあ! ここまで来たぞ! 蠱毒の澱を俺に見せろ!」
久信の声に応じて、見た目からはそんなに深いはずがないのに上から覗いただけでは底がいっこうに見透かせない、不気味な深さを持つ壺から黒い蛇が間欠泉のような勢いで湧き出した。
湧き出した蛇は久信の全身にとびかかって巻き付いては締め付ける。
まるで久信をなにがなんでも離さないとでもいいたげな膨大で強力な締め付けに、体をバラバラに捻じ切られそうなになりながらも久信は吠えた。
「修実姉は渡さない。勝負だ蠱毒!」
次の瞬間。
久信は壺の外の肉体も、そして今、ここにある精神すらも、蠱毒の壺に捕えられた。