自分の体がある、という感覚すら曖昧なまま、久信は粘性の水の中を漂っているような感覚をおぼろげに得ていた。意識はかろうじて、湧き出した蠱毒の毒によって今のような状態に追い込まれてしまったということを覚えている。
……くそ、毒そのものよりも、この纏わりついてくる呪いが邪魔くさい。
ともすると、ものを考えることすらできなくなりそうな異常な不快感が体にまとわりついて離れない。
蠱毒は新たに放り込まれた蠱毒の礎を逃さないように、次々と体に腕や蛇が絡みついては爪や牙を突き立てるように久信の中に侵入してくる。
久信が思っていた以上に、蠱毒の呪詛が強力に久信を侵しているのを感じる。蠱毒の本質が毒ではなく、呪詛にあるということを身をもって思い知らされる気分で、自分の意識を蠱毒に塗りつぶされるのを防ぐために、ひたすら思考を回転させる。
纏わりついてくる腕や蛇は時間が経つごとに増加していき、久信にはもう自分が立っているはずの地面や手に持っているはずの壺の感触すらもなくなってしまった。
五感はほとんどが使い物にならなくなっており、何とか死守していた自分の内側に対する感覚も怪しくなってくる。
徐々に茫洋としてくる意識は、何故自分がわざわざ蠱毒の澱を体内に入れてまで力を欲するのかを考える。
……俺は、なんでこんなにしてまでこの毒を、力を欲しがったんだっけ……?
そもそも、久信が力を欲したのは、力によって周囲から孤立してしまった姉を独りにしないため――彼女を捕える力という名の孤独の檻へと一緒に入るためだった。
既に持ってしまっている力はどうしようもない。だから、同じだけの力を持って、姉と同じ所に行けるようになろうとしたのだ。
そして、久信は力を欲し、自身の力を磨き、それでも届くことのない姉の力に焦り、挙句勝てる見込みもなさそうな相手にも立ち向かった。
地力が違うのだということを郭から身をもって教えられた久信は、自分が持つ力の底上げをしようとして、今はこうして毒と喰らい合いをしている。
ここで毒を喰らってその毒を自分の力の足しにすることができれば、修実と離れることもなくて済むのだ。
だから久信はこの毒の力を身に着けることだけに全力を傾け、成功すれば、彼の望むものが手に入る。
この方法だけが、彼の悲願を叶える唯一の――
……いや、違う。
全ての感覚が曖昧になった中、自分自身を見つめてひたすら思考を回転させることによって自分自身をかろうじて保っていた久信は、自問をひたすら深め、初めてこれまでたどり着いたことのない疑問にたどり着いた。
……ああ、そうだ。俺にとって、力は手段であって、目的じゃ、ない。
それは決まり切っていた思考の順路に初めて疑問点を付けた。そんな瞬間だった。
久信にとって最大の目的は最愛の人と一緒に居ること、ただそれだけだ。
彼は修実とずっと一緒に居たかったのだ。彼女が離れて行こうとするどの時も。
そしてその目的は久信に力さえあれば叶えられるような、そんな目的だったから、だから隣にいることができるだけの、孤独の檻に入ることができるだけの力を欲した。
力、というのは目的を達成するために絶対に必要なものではない。修実を追う立場にあった久信にはその事が見えなくなっていた。
……修実姉は、ずっと別の方法で一緒に居られるようにしていてくれたのに。
修実は溢れる力を完全に支配下に置くという手段で人の間に居られるように行動していたのに、そのことすら見えなくなっていたのだ。
姉は、結局自分が放り込まれていた組織の中でその手段をほぼ完ぺきに完成させた。最後には暴走してしまったが、その後も久信のところまで戻ってきてくれた。
ただ、今はコドクの中で溜まった毒が修実に彼女が望まない力を与えて、その力が彼女を苦しめている。
現在修実を苦しめているコドクを横合いからかっさらって食いつぶそうとした久信は、情けなくも取り込まれる寸前にまできている。
いつの間にか手段が目的にすり替わってしまい、身の丈に合わない力を求めることに固執した結果がこれだ。
一緒に居るために必要な選択は、久信が蠱毒を喰らって強くなることでも、心中をすることでもない。
……今思えば、家の両親は修実姉が自分で力を制御できるようになるって信じてたんだろうな。だから俺が自分の力を磨くことに必死になってる事に気付いていても、目的と手段を取り違えてるなんて教えなかったんだ。世継ぎが自分の力を磨く事自体は好ましいことだからって。
だとしたら文句の一つでも言ってやらなければならない。苦笑気味にそう思い、久信はここにきてもう1つの手段に辿り着いた。
かつて両親が修実に出来るように望んだことと、修実が成すことができる寸前にまで漕ぎつけていたことと同じことをすればいい。
すなわち、彼女の中にある大きな力を制御する、ということだ。
それを行うために取れる手段は、力の源を奪い取って他の誰かに肩代わりさせることではない。
暴れる毒は1人の身にはあまりにも重すぎる。
だから、
二人で分かち合えばいい。
制御が利かない力を持て余す者はいつか必ず破綻を迎える。
一時は強引に力を抑えこんだ修実が今こうして死の道しか選べなくなっているようにだ。
人の間で生きていこうとするのなら、力を管理し、自分が不用意に他人を傷つけないようにしなければならない。
久信のやりかたでは力を持て余す者が別に1人できるだけ、閉じた関係の中でやがて朽ちるしかなかった。一方、修実が選択するしかなかった方法は最低でも本人が死ぬしかない方法だった。
久信は視野が狭くなっていて、修実は長い間独りであったせいで他の誰かを考慮に入れた思考ができなかった。
……それじゃあだめなんだ。もう一度、修実姉と会って話をしないと。このまま間違ってしまう。
これまでの自分たちの考えに否定を突き付ける。
それに反応するように、久信を侵す毒がより勢いを増して襲い掛かってきた。
そのせいだろうか、久信はこの毒のもう一つの本質に気付いた。
蠱毒は契約者もおらず、制御もできてはいないが、この毒の頂点に立っているのは間違いなく修実なのだ。蠱毒の本質とは呪詛にあり、呪いとは人の想いによってその力を発揮する。
この蠱毒は、修実本人が意識しないところで、彼女の願望に従って毒を溢れさせているのではないだろうか。
そう考えることができる要素はいくらかある。
こうして蠱毒の中に飛び込んだ久信を捕えて引き込み取り込もうとする蠱毒は、言い換えれば久信を逃がさないように、離さないようにしているということだ。
この毒の頂点にある者は、久信に離れて欲しくないと思ってくれているということでもあるのだ。
ならば、久信がすべきなのはこの纏わりついてくる毒を引き剥がそうともがくのでも、屈服させてやろうと真っ向から力をふるうことでもない。
抱きしめて、離れることはないと伝えてやること。
これは修実の無意識が抱く執着心の表れだ。
孤独であることを受け容れていたかのように見えた修実が、唯一手放すことを拒んで自分の中に取り込んでしまいたいと思うほどに執着を見せる他人。それが久信だ。
蠱毒は、自分たちの頂点が無意識に下した指令に従い、近くに寄って来た格好の標的である久信を取り込もうとして、まるで誘うかのように亡者の群れをばらまいて壺の場所を教えたのだ。
久信には、毒を通して修実が縋ってくるのが分かるようだった。
あんなに力を持っている修実が、彼女と比べて大した力を持っていない久信に縋り付いていることに、内心驚きのような、こそばゆいような感情を覚える。
修実が言っていた、久信が居なければ生きていけないという言葉が本心からのものであったと、ようやく実感として理解できた。
これまで、彼女にとって自分などは家族として傍に置いておければいい嗜好品のようなものだと心のどこかで冷めた考えを持っていたのだ。それだけ、彼女の圧倒的な力は他の一切を必用としないように見えていたのだ。
……理解できた気になっていたのに、俺は修実姉の孤独を本当のところは理解できてなかったってわけだ。
修実の心の深層に蠱毒越しに触れた今。久信は違えることなく、彼女の孤独を理解した。
自分を、あるいは執着するそれ自体を壊してでも一緒に居たいという想い。
どこか破綻しているその考えに、しかし彼女は身を委ねるしかなかったのだ。
それ以外の方法は、ずっと独りであることを強要され続けた彼女には思い付けもしなかったのだろう。
一緒に人の間で生きていくためには、これまでとは別の方法をとらなければならない。
その方法については、久信にはもう半ば分かっている。
そして、それを行うためには修実の協力が必要不可欠だ。
久信はその方法を示しに行った。
……くそ、毒そのものよりも、この纏わりついてくる呪いが邪魔くさい。
ともすると、ものを考えることすらできなくなりそうな異常な不快感が体にまとわりついて離れない。
蠱毒は新たに放り込まれた蠱毒の礎を逃さないように、次々と体に腕や蛇が絡みついては爪や牙を突き立てるように久信の中に侵入してくる。
久信が思っていた以上に、蠱毒の呪詛が強力に久信を侵しているのを感じる。蠱毒の本質が毒ではなく、呪詛にあるということを身をもって思い知らされる気分で、自分の意識を蠱毒に塗りつぶされるのを防ぐために、ひたすら思考を回転させる。
纏わりついてくる腕や蛇は時間が経つごとに増加していき、久信にはもう自分が立っているはずの地面や手に持っているはずの壺の感触すらもなくなってしまった。
五感はほとんどが使い物にならなくなっており、何とか死守していた自分の内側に対する感覚も怪しくなってくる。
徐々に茫洋としてくる意識は、何故自分がわざわざ蠱毒の澱を体内に入れてまで力を欲するのかを考える。
……俺は、なんでこんなにしてまでこの毒を、力を欲しがったんだっけ……?
そもそも、久信が力を欲したのは、力によって周囲から孤立してしまった姉を独りにしないため――彼女を捕える力という名の孤独の檻へと一緒に入るためだった。
既に持ってしまっている力はどうしようもない。だから、同じだけの力を持って、姉と同じ所に行けるようになろうとしたのだ。
そして、久信は力を欲し、自身の力を磨き、それでも届くことのない姉の力に焦り、挙句勝てる見込みもなさそうな相手にも立ち向かった。
地力が違うのだということを郭から身をもって教えられた久信は、自分が持つ力の底上げをしようとして、今はこうして毒と喰らい合いをしている。
ここで毒を喰らってその毒を自分の力の足しにすることができれば、修実と離れることもなくて済むのだ。
だから久信はこの毒の力を身に着けることだけに全力を傾け、成功すれば、彼の望むものが手に入る。
この方法だけが、彼の悲願を叶える唯一の――
……いや、違う。
全ての感覚が曖昧になった中、自分自身を見つめてひたすら思考を回転させることによって自分自身をかろうじて保っていた久信は、自問をひたすら深め、初めてこれまでたどり着いたことのない疑問にたどり着いた。
……ああ、そうだ。俺にとって、力は手段であって、目的じゃ、ない。
それは決まり切っていた思考の順路に初めて疑問点を付けた。そんな瞬間だった。
久信にとって最大の目的は最愛の人と一緒に居ること、ただそれだけだ。
彼は修実とずっと一緒に居たかったのだ。彼女が離れて行こうとするどの時も。
そしてその目的は久信に力さえあれば叶えられるような、そんな目的だったから、だから隣にいることができるだけの、孤独の檻に入ることができるだけの力を欲した。
力、というのは目的を達成するために絶対に必要なものではない。修実を追う立場にあった久信にはその事が見えなくなっていた。
……修実姉は、ずっと別の方法で一緒に居られるようにしていてくれたのに。
修実は溢れる力を完全に支配下に置くという手段で人の間に居られるように行動していたのに、そのことすら見えなくなっていたのだ。
姉は、結局自分が放り込まれていた組織の中でその手段をほぼ完ぺきに完成させた。最後には暴走してしまったが、その後も久信のところまで戻ってきてくれた。
ただ、今はコドクの中で溜まった毒が修実に彼女が望まない力を与えて、その力が彼女を苦しめている。
現在修実を苦しめているコドクを横合いからかっさらって食いつぶそうとした久信は、情けなくも取り込まれる寸前にまできている。
いつの間にか手段が目的にすり替わってしまい、身の丈に合わない力を求めることに固執した結果がこれだ。
一緒に居るために必要な選択は、久信が蠱毒を喰らって強くなることでも、心中をすることでもない。
……今思えば、家の両親は修実姉が自分で力を制御できるようになるって信じてたんだろうな。だから俺が自分の力を磨くことに必死になってる事に気付いていても、目的と手段を取り違えてるなんて教えなかったんだ。世継ぎが自分の力を磨く事自体は好ましいことだからって。
だとしたら文句の一つでも言ってやらなければならない。苦笑気味にそう思い、久信はここにきてもう1つの手段に辿り着いた。
かつて両親が修実に出来るように望んだことと、修実が成すことができる寸前にまで漕ぎつけていたことと同じことをすればいい。
すなわち、彼女の中にある大きな力を制御する、ということだ。
それを行うために取れる手段は、力の源を奪い取って他の誰かに肩代わりさせることではない。
暴れる毒は1人の身にはあまりにも重すぎる。
だから、
二人で分かち合えばいい。
制御が利かない力を持て余す者はいつか必ず破綻を迎える。
一時は強引に力を抑えこんだ修実が今こうして死の道しか選べなくなっているようにだ。
人の間で生きていこうとするのなら、力を管理し、自分が不用意に他人を傷つけないようにしなければならない。
久信のやりかたでは力を持て余す者が別に1人できるだけ、閉じた関係の中でやがて朽ちるしかなかった。一方、修実が選択するしかなかった方法は最低でも本人が死ぬしかない方法だった。
久信は視野が狭くなっていて、修実は長い間独りであったせいで他の誰かを考慮に入れた思考ができなかった。
……それじゃあだめなんだ。もう一度、修実姉と会って話をしないと。このまま間違ってしまう。
これまでの自分たちの考えに否定を突き付ける。
それに反応するように、久信を侵す毒がより勢いを増して襲い掛かってきた。
そのせいだろうか、久信はこの毒のもう一つの本質に気付いた。
蠱毒は契約者もおらず、制御もできてはいないが、この毒の頂点に立っているのは間違いなく修実なのだ。蠱毒の本質とは呪詛にあり、呪いとは人の想いによってその力を発揮する。
この蠱毒は、修実本人が意識しないところで、彼女の願望に従って毒を溢れさせているのではないだろうか。
そう考えることができる要素はいくらかある。
こうして蠱毒の中に飛び込んだ久信を捕えて引き込み取り込もうとする蠱毒は、言い換えれば久信を逃がさないように、離さないようにしているということだ。
この毒の頂点にある者は、久信に離れて欲しくないと思ってくれているということでもあるのだ。
ならば、久信がすべきなのはこの纏わりついてくる毒を引き剥がそうともがくのでも、屈服させてやろうと真っ向から力をふるうことでもない。
抱きしめて、離れることはないと伝えてやること。
これは修実の無意識が抱く執着心の表れだ。
孤独であることを受け容れていたかのように見えた修実が、唯一手放すことを拒んで自分の中に取り込んでしまいたいと思うほどに執着を見せる他人。それが久信だ。
蠱毒は、自分たちの頂点が無意識に下した指令に従い、近くに寄って来た格好の標的である久信を取り込もうとして、まるで誘うかのように亡者の群れをばらまいて壺の場所を教えたのだ。
久信には、毒を通して修実が縋ってくるのが分かるようだった。
あんなに力を持っている修実が、彼女と比べて大した力を持っていない久信に縋り付いていることに、内心驚きのような、こそばゆいような感情を覚える。
修実が言っていた、久信が居なければ生きていけないという言葉が本心からのものであったと、ようやく実感として理解できた。
これまで、彼女にとって自分などは家族として傍に置いておければいい嗜好品のようなものだと心のどこかで冷めた考えを持っていたのだ。それだけ、彼女の圧倒的な力は他の一切を必用としないように見えていたのだ。
……理解できた気になっていたのに、俺は修実姉の孤独を本当のところは理解できてなかったってわけだ。
修実の心の深層に蠱毒越しに触れた今。久信は違えることなく、彼女の孤独を理解した。
自分を、あるいは執着するそれ自体を壊してでも一緒に居たいという想い。
どこか破綻しているその考えに、しかし彼女は身を委ねるしかなかったのだ。
それ以外の方法は、ずっと独りであることを強要され続けた彼女には思い付けもしなかったのだろう。
一緒に人の間で生きていくためには、これまでとは別の方法をとらなければならない。
その方法については、久信にはもう半ば分かっている。
そして、それを行うためには修実の協力が必要不可欠だ。
久信はその方法を示しに行った。
@
久信は、壺の中から転がり出ていた。
どう考えても自分の頭すら入りそうにない、横倒しになった壺の入り口に、あの中にどうやって入っていたのかは分からない。ただ、確かにそこから転がり出てきたのだということは、久信の脚に一匹だけ絡みついている黒い蛇の尾の先が壺の中に伸びているのを見ればわかる。
手で外すと、蛇は底を見透かすことができない壺の奥へと消えた。
顔を上げると、四肢を無くした修実が、意外なものを見るような目で久信を見上げていた。
「毒に飲まれなかったんだね」
事実を確認するように呟く修実に、久信は頷きを返した。
「そうだよ。自分と修実姉の間違いに気付いたからね。それを今から教えるよ」
修実は薄く笑う。
「これまでと違う方法……。それはね、私に言ってもだめだよ」
久信の背後で壺がひとりでに直立し直した。
その物音に気付いた久信が振り返ると、壺の中からは久信の身の丈を遥かに上回る巨大な蛇が這いだしてきた。
蛇は滑るような動きで口を開いて修実を丸呑みにしようとする。
久信は修実を抱きしめると、蛇の進路からかろうじて逃れた。
地面に転がりつつ、蛇の動向に目を光らせている久信に、腕の中の修実が囁く。
「久くん。もう逃げられないよ。ねえ、私を放さないで、私の中で一緒に居よう?」
どこか甘い響きを持つ囁きに、しかし久信は首を横に振って応えた。
「そうはいかない。俺たちはこの檻をぶち壊すんだから。このコドクの檻の外で俺たちは生きていくんだから」
「毒を取り込んでくれるの? でも、久くんには無理だよ。この蠱毒に、ほら、もう呑まれそうじゃない」
修実の視線が向く先。大蛇は長大な体をUターンして正面に久信を捉えていた。
正面にある爬虫類の目を直視して、久信は自嘲気味に笑った。
「ああ、俺はどうあがいても弱いから。だから、このコドクを全て引き受けるなんて大それたことはとてもできない」
久信よりもはるかに都市伝説を扱う能力が高い修実でも収めきれない呪詛だ。久信1人で抱え込む事は逆立ちしたってできはしない。
「でも、独りで抱え込むには重すぎるこのコドクの荷物を一緒に持つことくらいは、俺でもできるんだ」
蛇はその全身から怨念をまき散らしながら久信に迫った。口を開く蛇から目を逸らさないまま、彼は呼びかけた。
「一緒にこの毒を喰らっていこう。大丈夫。俺だって少しは強くなったから。修実姉を支えられる!
だから、独りで毒を抱え込んで居なくなってしまおうなんて絶対に許さない! 心中だって却下だ! 俺たちは生きてずっと一緒にいるんだから!」
言葉が吐き出された先。巨大な口を開けて迫っていた蛇が、久信の目と鼻の先で止まり、黒い瘴気を全身から流しだすように放出し始めた。
瘴気が流れ出すごとに蛇の全身は縮んでいく。その光景を見守る久信の前で、やがて頭があった部分だけを残して瘴気が流れきった。
最後に残された部分は、蛇の形をしてはいなかった。先程の大蛇から考えれば目玉一個分の大きさしか残らなかったそれは、まるでダルマのようだった。
「久くん……」
それは、四肢を失った修実だった。
どう考えても自分の頭すら入りそうにない、横倒しになった壺の入り口に、あの中にどうやって入っていたのかは分からない。ただ、確かにそこから転がり出てきたのだということは、久信の脚に一匹だけ絡みついている黒い蛇の尾の先が壺の中に伸びているのを見ればわかる。
手で外すと、蛇は底を見透かすことができない壺の奥へと消えた。
顔を上げると、四肢を無くした修実が、意外なものを見るような目で久信を見上げていた。
「毒に飲まれなかったんだね」
事実を確認するように呟く修実に、久信は頷きを返した。
「そうだよ。自分と修実姉の間違いに気付いたからね。それを今から教えるよ」
修実は薄く笑う。
「これまでと違う方法……。それはね、私に言ってもだめだよ」
久信の背後で壺がひとりでに直立し直した。
その物音に気付いた久信が振り返ると、壺の中からは久信の身の丈を遥かに上回る巨大な蛇が這いだしてきた。
蛇は滑るような動きで口を開いて修実を丸呑みにしようとする。
久信は修実を抱きしめると、蛇の進路からかろうじて逃れた。
地面に転がりつつ、蛇の動向に目を光らせている久信に、腕の中の修実が囁く。
「久くん。もう逃げられないよ。ねえ、私を放さないで、私の中で一緒に居よう?」
どこか甘い響きを持つ囁きに、しかし久信は首を横に振って応えた。
「そうはいかない。俺たちはこの檻をぶち壊すんだから。このコドクの檻の外で俺たちは生きていくんだから」
「毒を取り込んでくれるの? でも、久くんには無理だよ。この蠱毒に、ほら、もう呑まれそうじゃない」
修実の視線が向く先。大蛇は長大な体をUターンして正面に久信を捉えていた。
正面にある爬虫類の目を直視して、久信は自嘲気味に笑った。
「ああ、俺はどうあがいても弱いから。だから、このコドクを全て引き受けるなんて大それたことはとてもできない」
久信よりもはるかに都市伝説を扱う能力が高い修実でも収めきれない呪詛だ。久信1人で抱え込む事は逆立ちしたってできはしない。
「でも、独りで抱え込むには重すぎるこのコドクの荷物を一緒に持つことくらいは、俺でもできるんだ」
蛇はその全身から怨念をまき散らしながら久信に迫った。口を開く蛇から目を逸らさないまま、彼は呼びかけた。
「一緒にこの毒を喰らっていこう。大丈夫。俺だって少しは強くなったから。修実姉を支えられる!
だから、独りで毒を抱え込んで居なくなってしまおうなんて絶対に許さない! 心中だって却下だ! 俺たちは生きてずっと一緒にいるんだから!」
言葉が吐き出された先。巨大な口を開けて迫っていた蛇が、久信の目と鼻の先で止まり、黒い瘴気を全身から流しだすように放出し始めた。
瘴気が流れ出すごとに蛇の全身は縮んでいく。その光景を見守る久信の前で、やがて頭があった部分だけを残して瘴気が流れきった。
最後に残された部分は、蛇の形をしてはいなかった。先程の大蛇から考えれば目玉一個分の大きさしか残らなかったそれは、まるでダルマのようだった。
「久くん……」
それは、四肢を失った修実だった。
@
地面に落ちてこちらを見上げる修実に、久信は笑みで頷いた。
「なんていうか、さっきぶり、修実姉」
その言葉を聞いて、久信の腕の中に抱えられていた修実が口を開く。
「あーあ、せっかくあと少しでこの人を私の物にできたのに」
久信の腕の中の修実からは、先程の大蛇と同じように、黒い瘴気が流れ出していた。
久信の腕の中の修実からは数秒足らずで人の形が失われ、久信と、地面に居る修実から逃れるように少し離れた位置で再び瘴気の塊として凝り出した。
「残念。あなたは私の正体に気付いていたの? 久くん?」
凝り、再び形を成した瘴気の塊は、修実の顔に六臂を備えていた。
姦姦蛇螺の上半身だ。
下半身にあたる蛇身の部分は、上半身が形を成した今も、周囲から瘴気を集めては形作っている。
この蠱毒の中にある全ての瘴気を集める気なのだろう。
徐々に大きくなっていく姦姦蛇螺の体を見ながら、久信は首を傾げた。
「さあ、なんとなく、あの壺の中に捕まった時の蛇や腕の感じに亡者とは違う明らかな感情の動きを感じて、そこでまず違和感を感じて。で、壺から這い出し後、あの大蛇がまず一番最初に修実姉に擬態したお前を狙ったあたりで確信したかな」
「惜しいなあ。あと少しだったのに。その子か私の毒に冒されれば楽になれたのに。
私が欲を出して獲物を奪うような真似をしなければよかったのかしら? その子はどうせ取り込むなら自分こそが――って気だったらしいから」
「そんなこと言って。さっき自分が修実姉じゃないって知らせるようなこと言ってたじゃないか」
久信が壺から出てきた時の台詞もそうだが、何より自分たちの間違いに気付いた久信の言葉に対して私に言ってもだめ、と言ったことは、彼女が自分の正体――すなわち蠱毒の澱であることを明かしているようなものだ。
「私に言っても無意味っていう事実をただ伝えただけよ」
姦姦蛇螺はそっけなく言って先程の大蛇をしのぐほどの大きさになった体をくねらせる。
久信は地面から全てを受け容れた表情で成り行きを見守っていた本物の修実を正面から抱き上げた。
久信と目を合わせるのを避けるように俯き加減になった修実に、久信は優しく言う。
「修実姉の精神……でいいんだよね? 俺に付き合って修実姉もここに来てくれてたんだね」
「ごめんなさい。この毒に挑んだら久くんは飲まれて、久くんであることができなくなると思ったから、私が自分でできるだけ久くんを壊さないように取り込もうって、そう思ったの」
何度か苦しそうに呼吸を繰り返し、修実は顔を上げた。
「私の毒は、私の罪は。私が独りで飲み込んで消えていくって決めていたのに……っ。
久くんが、あんまり私なんかに優しいから。私独りで逝く決心が揺らいでしまったの……。ずっと独りでいられると思ってたのに……」
言葉に詰まりながら修実は言う。その手の付け根がおずおずとこちらに差し出されるように動く。
無自覚の動きだ。彼女は誰かに助けを求めるという、当たり前のことをする権利が自分にもあるということが未だに定着していない。
だが、人として生まれた彼女の本能は誰かに助けを求め続けていたはずなのだ。
久信は、かつてはその手が伸ばされている可能性があることすら、考えもしなかった。
そして、生活の補助などを任されて、少しは頼られていると感じ、それによって少しは姉のことを理解できたと思っていた自分が自惚れていたことに改めて思い知らされる。
再会できてからも、修実の手は伸ばされ続けていたのだろう。助けて、と。
久信はまた気付くことができなかった。
修実が無意識に求めた救いは与えられず、追い込まれた修実は結局独りで果てる道を選んだ。
……今からじゃ、遅いかもしれないけど。
久信は、修実が求める助けを、今度こそはという思いで差し伸べにいく。
「独り独りって、そんな悲しいことを言わないでくれ」
抱えた姉を胸元に抱き寄せる。
「家族じゃないか。一緒に暮らすって言ってたじゃないか」
今度こそ、助けを求める見えない手を掴んで引き寄せる。そんな意志を込めて、
「何があっても、俺は、修実姉の傍に居て、二度と孤独を味わわなくていいようにするから」
蠱毒の中にある全ての瘴気を吸収しきった姦姦蛇螺が、久信を試すように、容赦のない勢いで正面から迫る。
迫りくるコドクノオリを見据えつつ、久信は修実に彼女のコドクを終わらせるための答えを告げた。
「一緒に契約しよう」
「いっしょ……?」
「そう。この毒を、呪詛を、怨念を、二人で飲んで、二人で背負って……そうやってこのコドクを俺たち二人で鎮めよう」
そして、
「これからは二人で生きて行こう。
もう二度と寂しさなんて感じなくてすむように。多くの人の間で、人間として」
怨念の塊となった姦姦蛇螺の全身が怒涛の勢いで二人の眼前に至る。
人と蛇をベースに、様々な生き物の呪いが集まったそれは、修実という要があって完成した、確かに修実が抱くコドクの容だった。
それを前にして、最愛の弟と一緒に彼女は、
「私には、弱い私では独りは耐えきれないから……だから助けて、久くん。弱い私を寂しい私を、助けてください」
「うん。――遅くなってごめん」
盤石の心を固めた二人の身に、膨大な量の怨念が、猛り狂う呪いを治め鎮める先を求めて襲い掛かった。
「なんていうか、さっきぶり、修実姉」
その言葉を聞いて、久信の腕の中に抱えられていた修実が口を開く。
「あーあ、せっかくあと少しでこの人を私の物にできたのに」
久信の腕の中の修実からは、先程の大蛇と同じように、黒い瘴気が流れ出していた。
久信の腕の中の修実からは数秒足らずで人の形が失われ、久信と、地面に居る修実から逃れるように少し離れた位置で再び瘴気の塊として凝り出した。
「残念。あなたは私の正体に気付いていたの? 久くん?」
凝り、再び形を成した瘴気の塊は、修実の顔に六臂を備えていた。
姦姦蛇螺の上半身だ。
下半身にあたる蛇身の部分は、上半身が形を成した今も、周囲から瘴気を集めては形作っている。
この蠱毒の中にある全ての瘴気を集める気なのだろう。
徐々に大きくなっていく姦姦蛇螺の体を見ながら、久信は首を傾げた。
「さあ、なんとなく、あの壺の中に捕まった時の蛇や腕の感じに亡者とは違う明らかな感情の動きを感じて、そこでまず違和感を感じて。で、壺から這い出し後、あの大蛇がまず一番最初に修実姉に擬態したお前を狙ったあたりで確信したかな」
「惜しいなあ。あと少しだったのに。その子か私の毒に冒されれば楽になれたのに。
私が欲を出して獲物を奪うような真似をしなければよかったのかしら? その子はどうせ取り込むなら自分こそが――って気だったらしいから」
「そんなこと言って。さっき自分が修実姉じゃないって知らせるようなこと言ってたじゃないか」
久信が壺から出てきた時の台詞もそうだが、何より自分たちの間違いに気付いた久信の言葉に対して私に言ってもだめ、と言ったことは、彼女が自分の正体――すなわち蠱毒の澱であることを明かしているようなものだ。
「私に言っても無意味っていう事実をただ伝えただけよ」
姦姦蛇螺はそっけなく言って先程の大蛇をしのぐほどの大きさになった体をくねらせる。
久信は地面から全てを受け容れた表情で成り行きを見守っていた本物の修実を正面から抱き上げた。
久信と目を合わせるのを避けるように俯き加減になった修実に、久信は優しく言う。
「修実姉の精神……でいいんだよね? 俺に付き合って修実姉もここに来てくれてたんだね」
「ごめんなさい。この毒に挑んだら久くんは飲まれて、久くんであることができなくなると思ったから、私が自分でできるだけ久くんを壊さないように取り込もうって、そう思ったの」
何度か苦しそうに呼吸を繰り返し、修実は顔を上げた。
「私の毒は、私の罪は。私が独りで飲み込んで消えていくって決めていたのに……っ。
久くんが、あんまり私なんかに優しいから。私独りで逝く決心が揺らいでしまったの……。ずっと独りでいられると思ってたのに……」
言葉に詰まりながら修実は言う。その手の付け根がおずおずとこちらに差し出されるように動く。
無自覚の動きだ。彼女は誰かに助けを求めるという、当たり前のことをする権利が自分にもあるということが未だに定着していない。
だが、人として生まれた彼女の本能は誰かに助けを求め続けていたはずなのだ。
久信は、かつてはその手が伸ばされている可能性があることすら、考えもしなかった。
そして、生活の補助などを任されて、少しは頼られていると感じ、それによって少しは姉のことを理解できたと思っていた自分が自惚れていたことに改めて思い知らされる。
再会できてからも、修実の手は伸ばされ続けていたのだろう。助けて、と。
久信はまた気付くことができなかった。
修実が無意識に求めた救いは与えられず、追い込まれた修実は結局独りで果てる道を選んだ。
……今からじゃ、遅いかもしれないけど。
久信は、修実が求める助けを、今度こそはという思いで差し伸べにいく。
「独り独りって、そんな悲しいことを言わないでくれ」
抱えた姉を胸元に抱き寄せる。
「家族じゃないか。一緒に暮らすって言ってたじゃないか」
今度こそ、助けを求める見えない手を掴んで引き寄せる。そんな意志を込めて、
「何があっても、俺は、修実姉の傍に居て、二度と孤独を味わわなくていいようにするから」
蠱毒の中にある全ての瘴気を吸収しきった姦姦蛇螺が、久信を試すように、容赦のない勢いで正面から迫る。
迫りくるコドクノオリを見据えつつ、久信は修実に彼女のコドクを終わらせるための答えを告げた。
「一緒に契約しよう」
「いっしょ……?」
「そう。この毒を、呪詛を、怨念を、二人で飲んで、二人で背負って……そうやってこのコドクを俺たち二人で鎮めよう」
そして、
「これからは二人で生きて行こう。
もう二度と寂しさなんて感じなくてすむように。多くの人の間で、人間として」
怨念の塊となった姦姦蛇螺の全身が怒涛の勢いで二人の眼前に至る。
人と蛇をベースに、様々な生き物の呪いが集まったそれは、修実という要があって完成した、確かに修実が抱くコドクの容だった。
それを前にして、最愛の弟と一緒に彼女は、
「私には、弱い私では独りは耐えきれないから……だから助けて、久くん。弱い私を寂しい私を、助けてください」
「うん。――遅くなってごめん」
盤石の心を固めた二人の身に、膨大な量の怨念が、猛り狂う呪いを治め鎮める先を求めて襲い掛かった。