18 迷い子
俺達が東区の診療所に着いたのは
丁度外来受付終了の札が下げられようとしたときだった
丁度外来受付終了の札が下げられようとしたときだった
「直斗、どうし……ああ、星夜は診察か?」
「や、灰人。こんばんは」
「おぅ、『いつも通り』のだ」
「や、灰人。こんばんは」
「おぅ、『いつも通り』のだ」
札を下げようとしていたのは俺達と歳の近そうな人だった
どうやら花束野郎と知り合いらしく、診療所の扉を開けながら応じた
どうやら花束野郎と知り合いらしく、診療所の扉を開けながら応じた
視線が合った
一応会釈をする
向こうはこっちを警戒していた
一応会釈をする
向こうはこっちを警戒していた
「そっちは?」
「『先生』に聞きたいことがあるって言うから、案内してきた相手」
「『先生』に聞きたいことがあるって言うから、案内してきた相手」
まぁ、ここならなんとかなるか
彼からそんな呟きが聞こえた、気がする
彼からそんな呟きが聞こえた、気がする
もうどうにでもなれ
折角ここまで来たんだから話を聞いて帰る積りだ
折角ここまで来たんだから話を聞いて帰る積りだ
彼の警戒を意識的に無視して診療所の中へと入った
「『先生』、診察」
札の人がカーテンに仕切られた部屋の向こうへと声を掛ける
直前、カーテンの向こうから何か喋っているのが聞こえた
あれは診察室で奥に居るのが「先生」なのか
直前、カーテンの向こうから何か喋っているのが聞こえた
あれは診察室で奥に居るのが「先生」なのか
「先生」は札の人を「我が助手」と呼んでいるようだった
俺達と歳は近そうだがこの診療所で働いているんだろうか
俺達と歳は近そうだがこの診療所で働いているんだろうか
助手さんの声に部屋の向こうから「先生」が顔を出してきた
白い髪の、思いの外若そうな人だった
この人が「先生」か
白い髪の、思いの外若そうな人だった
この人が「先生」か
「あぁ、君か、星の少年。『残留思念』を使ったあとの不調かい?」
「不調は出てないが、『三年前』の事件があった場所で能力を使ったから、念の為だ」
「おや、『また』かい? ……まぁいい。おいで。さて、あとの2人は付き添いかな?」
「不調は出てないが、『三年前』の事件があった場所で能力を使ったから、念の為だ」
「おや、『また』かい? ……まぁいい。おいで。さて、あとの2人は付き添いかな?」
栗井戸君と話した後、「先生」はこちらに話を振ってくる
「半分はその通り、もう半分は、こいつが『先生』に聞きたい話があるって言うから、連れてきたんだ」
「ふむ。そちらの確か顔を合わせたことがないはずの少年が、かね?」
「ふむ。そちらの確か顔を合わせたことがないはずの少年が、かね?」
花束野郎が答え、「先生」は俺を眺めながら尋ねる
俺も「先生」の顔は初めて見た。絶対に初対面だ
俺も「先生」の顔は初めて見た。絶対に初対面だ
「こちらの少年の診察が終わってからで良ければ、聞きたいことがあるなら答えるよ
隣の部屋で待っているといい。そっちならお茶もあるから」
「はい、わかりました」
隣の部屋で待っているといい。そっちならお茶もあるから」
「はい、わかりました」
「先生」の厚意に頭を下げた
花束野郎が俺を手招きした
待合室の隣の部屋だ
花束野郎が俺を手招きした
待合室の隣の部屋だ
なるほど、花束野郎の勝手知った場所ってわけか
「こっちの部屋、みんなで遊ぶ時に使わせてもらってたりするから」
「診療所への用事じゃないのか」
「診療所への用事じゃないのか」
野郎の言葉に思わず突っ込んだ
診療所に遊びに、って良いのかそれは
診療所に遊びに、って良いのかそれは
「そちらの部屋は普段は使っておらんしね。有効活用してもらえるなら、それで良いさ」
「『先生』もこう言ってるし、問題ないよ」
「『先生』もこう言ってるし、問題ないよ」
「先生」も野郎もそんな風に答える
果たしていいのだろうか?
果たしていいのだろうか?
部屋の中へ入った花束野郎は手慣れたようにお茶の準備を始める
休憩室のような場所なのか、ここは
休憩室のような場所なのか、ここは
「随分、若い先生なんだな……」
花束野郎に対し、「先生」に対する率直な感想を口にした
「あの白衣を見た目通りの年齢だと思わない方がいいぞ」
俺にそう返したのは、俺の後ろに居た助手さんだ
何だ、見た目通りの年齢では無い、ということか?
あれで実際はかなり歳が行ってるとかなのだろうか
何だ、見た目通りの年齢では無い、ということか?
あれで実際はかなり歳が行ってるとかなのだろうか
「直斗、帰る時は同行していくからな。また、学校町の物騒度があがってきているから」
「えー、別に俺一人でも平気だけど……まぁ、星夜もいるんだし、わかった」
「えー、別に俺一人でも平気だけど……まぁ、星夜もいるんだし、わかった」
野郎と助手さんのやり取りを漫然と耳にしながら部屋を見回す
助手さんは部屋に入ったかと思えば、荷物を取ってくると言ってすぐに出て行った
助手さんは部屋に入ったかと思えば、荷物を取ってくると言ってすぐに出て行った
立っているのもなんだし、座るか
花束野郎の方は完全にくつろいでいる
花束野郎の方は完全にくつろいでいる
「そうだ。スマホのメールでもTwitterでもLINEでもいいから、アドレス交換しよう」
「えっ?」
「えっ?」
「連絡先、わかってた方がいいだろ? 後々わかった追加情報とか教えやすいだろ
連絡手段は鳩だ、とか言われたら流石に住所教えるのはアレだけど」
連絡手段は鳩だ、とか言われたら流石に住所教えるのはアレだけど」
「安心してくれ、鳩はない」
「うん、それは良かった」
「うん、それは良かった」
どうやら俺と連絡先の交換がしたいらしい
ほう、俺相手にナンパとはいい度胸だなこの野郎
真面目に振り返ると、正直今でもこいつに関しては半信半疑だ
さっきは面倒臭い事態になるのは御免なので情報を教えると話していたが
ほう、俺相手にナンパとはいい度胸だなこの野郎
真面目に振り返ると、正直今でもこいつに関しては半信半疑だ
さっきは面倒臭い事態になるのは御免なので情報を教えると話していたが
実際はどうなんだろうな
ただまあ、こいつのお陰で「狐」関係の件も進んだ、気がする
ただまあ、こいつのお陰で「狐」関係の件も進んだ、気がする
「ありがとな、色々教えてくれて」
「別に。どうってことないよ」
「別に。どうってことないよ」
相変わらずのニコニコ顔で野郎はそう答えた
次いで俺は右手に納まっていたあの紙切れを渡す
次いで俺は右手に納まっていたあの紙切れを渡す
「あと、これ。東ちゃんが君にあげるってさ」
「ん、どうも。これは電話番号か?」
「かもな」
「ん、どうも。これは電話番号か?」
「かもな」
さて、次は俺の番だな
携帯を出して野郎とのアドレス交換に応じる
最近の携帯は凄いようで、互いにかざすだけでやり取りが出来るらしい
携帯を出して野郎とのアドレス交換に応じる
最近の携帯は凄いようで、互いにかざすだけでやり取りが出来るらしい
あ、待て。商業でも新学期の頃に思ったが、これ危なくないか
互いの携帯が近い距離で一番大事な個人情報をやり取りだ
一番大事な物がこんな近い距離で、だぞ? 危なくないか?
互いの携帯が近い距離で一番大事な個人情報をやり取りだ
一番大事な物がこんな近い距離で、だぞ? 危なくないか?
野郎は既に携帯を取り出して、俺のに向かってかざしていた
「あっ、ちょっ、まっ!!」
「え?」
「え?」
遅かった。データは一瞬にしてやり取りされた
こいつの大事なのが俺の中に流れ込み
俺の大事なのがコイツの中へ入っていく
俺の大事なのがコイツの中へ入っていく
なんて変態的なんだ!
なんでこいつこんな平気な顔してられるんだ!?
なんでこいつこんな平気な顔してられるんだ!?
「なんかひわいだ! こういうのなれない!!」
よりによって花束野郎とこんなことをやるだなんて!
俺はこいつに犯されたのか?
それとも俺がこいつを犯ってしまったのか!?
それが問題なんじゃない! どっちにしても大問題だ!
俺はこいつに犯されたのか?
それとも俺がこいつを犯ってしまったのか!?
それが問題なんじゃない! どっちにしても大問題だ!
「すごいひわい! えろい! このへんたい!!」
なんて奴だ!! なんでこいつはニコニコしてられるんだ!?
こいつはアレか!? 真正の変態で俗に言うドSなのか!?
こいつはアレか!? 真正の変態で俗に言うドSなのか!?
望んでも無いのに体がびくびくしてしまう
そしてそれを止められない! なんてこった!
俺はどっちかというと女の子とこういうのやりたかったよ!!
そしてそれを止められない! なんてこった!
俺はどっちかというと女の子とこういうのやりたかったよ!!
乱れた呼吸を抑えながら、震える手で携帯の画面を確認した
「花房直斗」。それが野郎の名前らしい
「何これ、『青い歯』?」
悪いが俺は自分のことで精一杯だ!
そっちは自分で何とかしてくれ、花束野郎、もとい花房君!
そっちは自分で何とかしてくれ、花束野郎、もとい花房君!
「えーと、さわたり、しゅーじゅ、でいいのか? 面白い名前だな」
「診察終わっ……なんでそいつ、気持ち悪い動きしてんだ」
「診察終わっ……なんでそいつ、気持ち悪い動きしてんだ」
声の方に首を捻った。栗井戸君だった
「面白いやつだからいいじゃん。……星夜、診察結果、どうだった?」
「今回は特に問題なし。様子見で一週間は『再現』はするなっつわれたが」
「診察が終わった、って事は『先生』に話を聞いてきて大丈夫か」
「今回は特に問題なし。様子見で一週間は『再現』はするなっつわれたが」
「診察が終わった、って事は『先生』に話を聞いてきて大丈夫か」
ようやく交換ショックから心身回復しそうだ。俺はどうにか立ち上がった
「話聞くんだったら、さっさと行っとけ。向こうは夕食まだだっつってたから」
「いやその前にやることがある。栗井戸君、携帯を出せ」
「は?」
「いやその前にやることがある。栗井戸君、携帯を出せ」
「は?」
栗井戸君、悪いが君に拒否権は無いぞ
俺がさっき花束野郎にされたのと同じ気分を味わってもらう
俺がさっき花束野郎にされたのと同じ気分を味わってもらう
「さあ、携帯を出すんだ! ぷりーづ!!」
携帯を持つ手を掴み、半ば強引に俺の携帯を近づける
無慈悲にも、データのやり取りは一瞬だった
無慈悲にも、データのやり取りは一瞬だった
「ひひぃぃいンっ!! おれはまけないっ!! このひわいさにっ!!」
「お前『先生』に質問する前に、先ず頭を診てもらえ」
「お前『先生』に質問する前に、先ず頭を診てもらえ」
体が勝手にびくびくするのが抑えられない!
まるで汚物を見るかのような栗井戸君の視線が突き刺さる
でももう何も怖くないぞ。嘘、やっぱ怖い。栗井戸君、目が怖い
まるで汚物を見るかのような栗井戸君の視線が突き刺さる
でももう何も怖くないぞ。嘘、やっぱ怖い。栗井戸君、目が怖い
そうか、「先生」は俺の頭も診てくれるのか。なら安心だな
「わかった」
それだけ返事をして、俺は診療室に向かった
「おい、何だこれは。データが文字化けしてるが」
背後から何か聞こえたが、とりあえず無視した
「さて、ホモの少年よ」
「タイムッ!!」
「タイムッ!!」
診察室に入った俺に椅子を勧めた「先生」は
俺が腰掛けた直後にそう呼んだもんだから、思わず止めに入った
俺が腰掛けた直後にそう呼んだもんだから、思わず止めに入った
何だって? ホモの少年?
「俺、ホモじゃないです」
はっきり主張しておくが俺は女の子が好きだ
そして今は強くそのように主張すべきだろう
絶対に、断固として、だ
そして今は強くそのように主張すべきだろう
絶対に、断固として、だ
「そうかね? うむ、了解した。星の少年が、君のことをそう表現していたので、そうなのかな? と思っておった」
「風評被害です。違います。女の子の方が好きです」
「OK、実に安心した。尻の心配をせずに君と会話できそうだ」
「風評被害です。違います。女の子の方が好きです」
「OK、実に安心した。尻の心配をせずに君と会話できそうだ」
星の少年とは栗井戸君のことか
どうやら栗井戸君は俺に気があるらしいな
あンにゃろう覚えとけよ、中学生だからって一つ違いなだけだし容赦は無しだからな
どうやら栗井戸君は俺に気があるらしいな
あンにゃろう覚えとけよ、中学生だからって一つ違いなだけだし容赦は無しだからな
「さて、改めて。私に訊きたいことがあるそうだね?」
そうだ
俺がここへ来た理由だ
先程から色々あったが、忘れたわけでは無い
俺がここへ来た理由だ
先程から色々あったが、忘れたわけでは無い
いよいよ質問だ
とはいえ、いきなり切り出していいのか、迷う
そもそも花束野郎は「聞きたい話がある」というアバウトな伝え方しかしてなかった
この話をいきなり振っていいのか? しかも、この話題は「先生」にとってもかなりナイーブな部分じゃないのか?
そもそも花束野郎は「聞きたい話がある」というアバウトな伝え方しかしてなかった
この話をいきなり振っていいのか? しかも、この話題は「先生」にとってもかなりナイーブな部分じゃないのか?
迷っている時間は無い
切り出すしかない
切り出すしかない
「『狐』についてです。『先生』は以前、『狐』からの誘惑を受けて、しかしそれを解除されたと聞いています」
「その件絡みかい? そうなると、20年近く前の話になるよ。あまり参考にならんかもしれん」
「構いません。話してくださいますか?」
「参考になるかならないか、微妙な意見でも良ければね」
「その件絡みかい? そうなると、20年近く前の話になるよ。あまり参考にならんかもしれん」
「構いません。話してくださいますか?」
「参考になるかならないか、微妙な意見でも良ければね」
単刀直入に話してみると、「先生」は笑顔で応じてくれた
正直、少しほっとした。どうやら答えてくれるらしい
正直、少しほっとした。どうやら答えてくれるらしい
「それじゃあまずは
『狐』に誘惑されたとき、どんな感覚になるんですか?」
『狐』に誘惑されたとき、どんな感覚になるんですか?」
「感覚、か。強烈な惚れ薬と麻薬を与えられた感じ、かな
『狐』がこの世で絶対的に正しい存在であると感じ、彼女の為に生命をかけてでも尽くしたくなる
それ以外、考えられなくなる。……どの程度強い誘惑を受けたか、にもよるが。そんな感じかな」
『狐』がこの世で絶対的に正しい存在であると感じ、彼女の為に生命をかけてでも尽くしたくなる
それ以外、考えられなくなる。……どの程度強い誘惑を受けたか、にもよるが。そんな感じかな」
なるほど
俺は「先生」の言葉に頷く
「先生」の話した誘惑の感覚は、典型的な魅了の症状だった
ここに来る前に花束野郎もとい花房君が
「先生の表現は分かりにくい」と話していたが、この感じなら大丈夫そうだ
俺は「先生」の言葉に頷く
「先生」の話した誘惑の感覚は、典型的な魅了の症状だった
ここに来る前に花束野郎もとい花房君が
「先生の表現は分かりにくい」と話していたが、この感じなら大丈夫そうだ
「なるほど。続けますね
先程も言いましたが、『先生』は『狐』に誘惑されて解除された成功例の1人だと言う事ですが
どうやって解除されたのですか?」
先程も言いましたが、『先生』は『狐』に誘惑されて解除された成功例の1人だと言う事ですが
どうやって解除されたのですか?」
「解除法か。参考にならんだろうが『狐』自ら、誘惑を解除してきたのだよ」
「『狐』が自ら?」
「『狐』が自ら?」
思わず発した俺の言葉を、「先生」はその通り、と肯定した
「狐」が自発的に魅了を解除した? 何故?
「狐」が自発的に魅了を解除した? 何故?
「何故、『狐』が自ら、わざわざかけた誘惑を解除したのか
まぁ恐らく、誘惑をかけられた当初の私は絶賛発狂中であった故
誘惑された直後に「狐」を毒殺しようとしたからだろうね」
まぁ恐らく、誘惑をかけられた当初の私は絶賛発狂中であった故
誘惑された直後に「狐」を毒殺しようとしたからだろうね」
「毒殺」
「うん、毒殺」
「うん、毒殺」
道中、栗井戸君は「先生」がナチュラルに狂ってる的な話をしていたが
「先生」が茶目っ気で話を誇張していないのなら、かつて本当に発狂していたらしい
「先生」が茶目っ気で話を誇張していないのなら、かつて本当に発狂していたらしい
「発狂当時の記憶こそあれ、当時抱いていた感情に関する記憶は曖昧故に
今の私には当時の私の思考パターンをはっきりと理解しきれんのだが
推測するに『この世界で生き続けてもそれは彼女にとって不幸でしかない
ならば、彼女のために彼女を殺そう』と考えたのではないかね」
今の私には当時の私の思考パターンをはっきりと理解しきれんのだが
推測するに『この世界で生き続けてもそれは彼女にとって不幸でしかない
ならば、彼女のために彼女を殺そう』と考えたのではないかね」
ほぼ推測で申し訳ないが、そう「先生」は付け加えて微笑んでいる
整理するか
「先生」は当時発狂しており、その最中に「狐」と遭遇した
そして「狐」の魅了を受けた「先生」は「狐」の為に彼女を毒殺しようとした
こんな世界で生きていくのは不幸だし、可哀想だから殺してあげるね
そういう理由で「先生」は「狐」を殺そうとしたのか
「狐」からすればたまったものでは無いだろう
そんな所だろうか
「先生」は当時発狂しており、その最中に「狐」と遭遇した
そして「狐」の魅了を受けた「先生」は「狐」の為に彼女を毒殺しようとした
こんな世界で生きていくのは不幸だし、可哀想だから殺してあげるね
そういう理由で「先生」は「狐」を殺そうとしたのか
「狐」からすればたまったものでは無いだろう
そんな所だろうか
今はそういう感じで理解しておこう
「わかりました。次の質問、は、『狐』に誘惑されていた時の事を覚えているかどうか、なんですけど
先程答えていた事から考えると」
先程答えていた事から考えると」
「あぁ、覚えているね。誘惑の強度による違いや個人差がある可能性はあるが、少なくとも、私は100%覚えている
その瞬間に抱いた感情に関して曖昧な部分があるのは、私が発狂状態から正気に戻る際に
首から上を綺麗にぶっ飛ばされせい故誘惑されていた事は全く関係ないし」
その瞬間に抱いた感情に関して曖昧な部分があるのは、私が発狂状態から正気に戻る際に
首から上を綺麗にぶっ飛ばされせい故誘惑されていた事は全く関係ないし」
今
今、「先生」は、何と言った?
今、「先生」は、何と言った?
首から上をぶっ飛ばされて?
多分、婉曲表現だろう
花房君もそんなことを話してただろう
表現が遠回りで分かりにくい、と
だが
俺は「先生」の顔を見上げた
相変わらず「先生」はにこやかな顔で俺を見返している
相変わらず「先生」はにこやかな顔で俺を見返している
でも、「先生」は生きている
多分この人は、強い人だ
そして、知っているんだ
「少なくとも、『先生』はしっかり覚えている、と
それじゃあ、次の質問なんですが。『狐』の能力……、魅了の力への対処法が知りたいんです」
それじゃあ、次の質問なんですが。『狐』の能力……、魅了の力への対処法が知りたいんです」
「対処法。すなわち、魅了により誘惑されない方法が知りたい、といったところかな?」
答える「先生」の表情は穏やかだった
「なるべく『狐』と接触しないこと、触れ合わないこと、視線を合わさないこと、言葉を聞かないこと
基本はそこだね。『狐』の魅了は視覚聴覚触覚、ありとあらゆる感覚に働きかけてくるものだから
ぶっちゃけた話、遭遇しないに限る」
基本はそこだね。『狐』の魅了は視覚聴覚触覚、ありとあらゆる感覚に働きかけてくるものだから
ぶっちゃけた話、遭遇しないに限る」
まあ、そりゃそうだ
正直、「狐」みたいなやばい存在には関わらないに限る
それに尽きる話なんだ、本来なら
正直、「狐」みたいなやばい存在には関わらないに限る
それに尽きる話なんだ、本来なら
「遭遇してしまった場合に備える、としたら
――『大切な存在』を作っておきなさい」
――『大切な存在』を作っておきなさい」
「大切な存在?」
「そう、誰よりも大切な、大切な存在
絶対に、他の何者もがその座に収まるなど許されない。それほどに大切な存在
たとえ、無意識下に思う相手でもいい。それがあれば、魅了に耐えられることもあるそうだよ
『通り悪魔』の御仁等は、それによって魅了に抵抗したね」
絶対に、他の何者もがその座に収まるなど許されない。それほどに大切な存在
たとえ、無意識下に思う相手でもいい。それがあれば、魅了に耐えられることもあるそうだよ
『通り悪魔』の御仁等は、それによって魅了に抵抗したね」
やや「先生」の表情が陰った
いや、何か憐れんでいるような表情だ
いや、何か憐れんでいるような表情だ
「あの御仁の場合、誘惑されないのは、『狐』に対する激しい怒りがあるからかもしれんね
それを思えば、『狐』に対する怒りや憎悪が一定以上ある場合も、魅了されずにすむのかもしれん
――何分、データが少なくてね。断言できる段階ではない」
それを思えば、『狐』に対する怒りや憎悪が一定以上ある場合も、魅了されずにすむのかもしれん
――何分、データが少なくてね。断言できる段階ではない」
『通り悪魔』の御仁、とは
その言葉を聞いて思い浮かんだのは「ホオズキさん」の名前だ
しかしそれは、大分前に噂で聞いた程度の話だ
そういえば中学校でも花房君がホオズキさんの名前を出してたな
まさか「先生」もホオズキさんと知り合いなのか
そりゃ有名人っぽいからな
その言葉を聞いて思い浮かんだのは「ホオズキさん」の名前だ
しかしそれは、大分前に噂で聞いた程度の話だ
そういえば中学校でも花房君がホオズキさんの名前を出してたな
まさか「先生」もホオズキさんと知り合いなのか
そりゃ有名人っぽいからな
いや、でもそれは今訊く話じゃない
「狐」と行き遭ってしまったとき
大切な存在が、心を助けてくれるかもしれない、か
大切な存在が、心を助けてくれるかもしれない、か
大切な存在、か
居るのか、俺に
俺なんかに
居るのか、俺に
俺なんかに
多分、もう居ない
空七はもう往ってしまった
死んだ、とかそういう話じゃない
七尾が焼けたあの夜、あの時点で、もうアイツとは終わった
空七はもう往ってしまった
死んだ、とかそういう話じゃない
七尾が焼けたあの夜、あの時点で、もうアイツとは終わった
そもそも俺は
言うほどアイツのことが好きだったのか
今でもよく分かっちゃいない
言うほどアイツのことが好きだったのか
今でもよく分かっちゃいない
その程度の話だ
それだけの話なんだ
それだけの話なんだ
吹っ切るべきは俺の方だ
「あの、『先生』は『三年前』の時点で、もう学校町にいたんですよね?」
「あぁ、そうだよ」
「あぁ、そうだよ」
顔を、上げた
これも「先生」に訊いておいた方が良いかもしれない
「先生」なら、多分、何かを知っているのかもしれない
これも「先生」に訊いておいた方が良いかもしれない
「先生」なら、多分、何かを知っているのかもしれない
機会は今しか無い
「それなら
『三年前』、『狐』が一度、学校町から離脱した後の話なんですが
別の町で『狐』の手勢の内、恐らく別動隊が、何者かに魅了を上書きされて
その結果、別動隊の多くが何者かの命令の所為で自害したそうです
――この出来事について何かご存知ですか?」
『三年前』、『狐』が一度、学校町から離脱した後の話なんですが
別の町で『狐』の手勢の内、恐らく別動隊が、何者かに魅了を上書きされて
その結果、別動隊の多くが何者かの命令の所為で自害したそうです
――この出来事について何かご存知ですか?」
先生はふむ、と思案しているようだった
「ん、んー
すまんな。その話は、私は把握していないね
少なくとも『薔薇十字団』はつかんでいない情報だ」
すまんな。その話は、私は把握していないね
少なくとも『薔薇十字団』はつかんでいない情報だ」
ややあって「先生」はそう答える
駄目、だったか
駄目、だったか
「そう、ですか
その。そんな事、って可能なんでしょうか?」
その。そんな事、って可能なんでしょうか?」
「狐の魅了を上書き、の件についてかな?」
「先生」の問いに俺は頷いた
「理論上は十二分にありえることだ」
やはりというか、即答だった
「そもそも、魅了系に限らず精神に影響を与える能力というやつは
同じく精神に影響を与える能力によって上書きが可能なんだ。支配系能力に関しても同じだね
例えば、『はないちもんめ』による支配を、『スパニッシュフライ』による魅了で上書きするようにね」
同じく精神に影響を与える能力によって上書きが可能なんだ。支配系能力に関しても同じだね
例えば、『はないちもんめ』による支配を、『スパニッシュフライ』による魅了で上書きするようにね」
「魅了に限らず精神に影響を与えたり他人を支配するような能力を持った者なら可能、と言うことですね」
「その通り
もっとも、その能力の使い手の力量が『狐』より上でなければ難しいけれどね
魅了能力によって対抗し支配権を奪うのならば、なおさらだ
別の精神系・支配系能力であれば、魅了で対抗するよりは楽であろうが。それでも難しいと思うよ」
もっとも、その能力の使い手の力量が『狐』より上でなければ難しいけれどね
魅了能力によって対抗し支配権を奪うのならば、なおさらだ
別の精神系・支配系能力であれば、魅了で対抗するよりは楽であろうが。それでも難しいと思うよ」
俺の確認を「先生」は肯定した
つまりはそういうことらしい
「狐」の魅了を上書きする能力があり
実際に上書きした実例があるなど、悪夢のような話だ
考えたくはない。だが、これは確かに俺が耳にした話だった
「狐」の魅了を上書きする能力があり
実際に上書きした実例があるなど、悪夢のような話だ
考えたくはない。だが、これは確かに俺が耳にした話だった
「世界は、『毒』でできている」
「先生」の声で意識が引き戻された
顔を上げる
「先生」は先程と変わらず、穏やかな表情のままだった
「先生」は先程と変わらず、穏やかな表情のままだった
「世界は毒に満ちており、人は毒によって生き、毒によって殺される
人は毒がなければ生きられず、人は毒があるからこそ死んでいく
世界とはそのようにできている。故に、人は毒を理解しなければ生き続けられない」
人は毒がなければ生きられず、人は毒があるからこそ死んでいく
世界とはそのようにできている。故に、人は毒を理解しなければ生き続けられない」
俺に語る「先生」の声は
どこまでも穏やかだった
どこまでも穏やかだった
俺に語っているのでは無いのかもしれない
彼は、まるで心中を吐露するかのように言葉を続けた
彼は、まるで心中を吐露するかのように言葉を続けた
「思い込みとは猛毒である。無知とは猛毒である
しかして、全てを知ったとして毒に殺されぬ訳ではない
逆に、全てを知ったが故に『絶望』と言う名の致死量の猛毒によって殺される事もまたある」
しかして、全てを知ったとして毒に殺されぬ訳ではない
逆に、全てを知ったが故に『絶望』と言う名の致死量の猛毒によって殺される事もまたある」
「先生」の話を聞いて、思い出した
この世には毒性学(トキシコロジー)という学問があるらしい
その世界では、「この世のありとあらゆる物を毒として定義する」
だから、人は毒無くしては生きていくことができない。そういう話だった
この世には毒性学(トキシコロジー)という学問があるらしい
その世界では、「この世のありとあらゆる物を毒として定義する」
だから、人は毒無くしては生きていくことができない。そういう話だった
「先生」が言いたいのはそういうことでは無いのだと思う
俺は先生の目を見詰めた
俺は先生の目を見詰めた
「知りなさい。たくさん、たくさん。君にとって必要な事を
『自分にとって都合のいい真実』ではなく『真なる真実』を見つけてごらん
その真実が君にとって絶望だったとして、その絶望という猛毒に負けないくらいの『希望』と言う猛毒を見つけてごらん
そうすれば、大概のことは、きっと大丈夫さ」
『自分にとって都合のいい真実』ではなく『真なる真実』を見つけてごらん
その真実が君にとって絶望だったとして、その絶望という猛毒に負けないくらいの『希望』と言う猛毒を見つけてごらん
そうすれば、大概のことは、きっと大丈夫さ」
彼の声は、どこまでも穏やかで
それでいて、優しかった
それでいて、優しかった
耳に痛い話だった
俺にとっては、特に
俺にとっては、特に
息を吸う
「先生」のような人と早く出会っていれば
俺は、俺達は、道を誤ることは無かったんじゃないか
俺は、俺達は、道を誤ることは無かったんじゃないか
いや、違う
俺は
俺は
今はもう
何も
何も
「あの」
思わず声を発していた
「あの、ありがとうございます」
今の俺には重過ぎる言葉だ
正直、受け入れられるか自信が無い
正直、受け入れられるか自信が無い
「先生」の目を見る
その眼差しはどこか、温かった
「先生」にお礼を伝え、俺と「先生」は診療室を出た
とうに日は暮れて、外は暗くなっているだろう
とうに日は暮れて、外は暗くなっているだろう
休憩室を覗くと既に誰も居なかった
あいつら、先に帰ったわけか
あいつら、先に帰ったわけか
花房君、もとい花野郎が連絡先の交換を提案したのは
先に帰る積りだったからなのか
先に帰る積りだったからなのか
そう言えば、助手さんも花野郎に帰りがどうのと話していた筈だ
あの連中、俺を警戒してた割に俺だけ残して先に帰るとはな
あの連中、俺を警戒してた割に俺だけ残して先に帰るとはな
何というか納得がいかん
少々複雑な思いに駆られる
少々複雑な思いに駆られる
「さて、変態の少年」
「タイムッ!!」
「タイムッ!!」
「先生」が出し抜けに声を掛けてくる
思わず突っ込まずにはいられなかった
「先生」、何言ってんですか!? さっきの余韻が台無しだよ!!
思わず突っ込まずにはいられなかった
「先生」、何言ってんですか!? さっきの余韻が台無しだよ!!
思わず「先生」を睨む
診療所に来る前に聞いた話では
この人も中々性癖が捻じ曲がってるらしいじゃないか
診療所に来る前に聞いた話では
この人も中々性癖が捻じ曲がってるらしいじゃないか
正直、初対面で無ければ色々話を聞き出したいくらいだ
「まあ、自分がちょっとアレって自覚はありますけども」
「うむ」
「うむ」
「先生」はにこやかなまま相槌を打った
「もう時間も遅い。君もそろそろ帰りたまえ
最近はこの町も平時より物騒になってきておるからね」
最近はこの町も平時より物騒になってきておるからね」
「そうします。今日は本当にありがとうございます
いきなりだったのにここまで答えて下さって」
いきなりだったのにここまで答えて下さって」
頭を下げると「先生」は片手を向けて制した
「それとこれを渡しておこう」
そんなことを告げながら、「先生」はメモ用紙を差し出した
電話番号が書き込まれていた
電話番号が書き込まれていた
「何かあったら、いつでも連絡しなさい」
「あ……、あの、ありがとうございます!」
「あ……、あの、ありがとうございます!」
「先生」は笑いながらひらひらと手を振る
「端末で連絡先を交換、となると、君の心身には障りがあるようであるからね」
ぬっ
そうか、つまり
「先生」にも休憩室でのやり取りを把握されてたわけか
「先生」にも休憩室でのやり取りを把握されてたわけか
それもばっちりと
ぐぬぬ
ぐぬぬ
□□■
神は以色列に向ひ心の清き者に對ひて真に惠有り
然れど我は我が足躓くばかり我が歩滑るばかりにて在りき
此は我惡き者の榮ゆるを見てその誇れる者を嫉みしに依る
彼等は死るに苦しみ無くその力は反りて堅し
彼等は人の如くに憂に在らず人の如く艱難に遭ふ事無し
此の故に傲慢は裝飾の如く其の頸に巡り強暴は衣の如く彼等を覆へり
彼等肥太り其の眼飛び出で心の慾に勝りて物を賣るなり
又嘲笑を為し惡を以て暴虐の言葉を出だし高ぶりて物言う
其の口を天に置きその舌を地に普く往しむ
此の故に彼の民は此処に翻り水の滿ちたる杯を搾り出して
曰く 神如何で知り給はんや至上者に知識あらんやと
視よ彼等は惡き者なるに常に安かにしてその富しく加れり
誠に我は徒に心を清め罪を犯さずして手を洒ひたり
其は我終日悩みに遭ひ朝ごとに責を受けしなり
我若し斯る事を述んと謂しならば我汝が子輩の代を誤せしならん
我此等の道理を知らんとして思ひ巡ししに我が眼甚く痛たり
我神の聖處に往て彼等の結局を深く思へる迄は然りき (詩篇 73:1-17)
然れど我は我が足躓くばかり我が歩滑るばかりにて在りき
此は我惡き者の榮ゆるを見てその誇れる者を嫉みしに依る
彼等は死るに苦しみ無くその力は反りて堅し
彼等は人の如くに憂に在らず人の如く艱難に遭ふ事無し
此の故に傲慢は裝飾の如く其の頸に巡り強暴は衣の如く彼等を覆へり
彼等肥太り其の眼飛び出で心の慾に勝りて物を賣るなり
又嘲笑を為し惡を以て暴虐の言葉を出だし高ぶりて物言う
其の口を天に置きその舌を地に普く往しむ
此の故に彼の民は此処に翻り水の滿ちたる杯を搾り出して
曰く 神如何で知り給はんや至上者に知識あらんやと
視よ彼等は惡き者なるに常に安かにしてその富しく加れり
誠に我は徒に心を清め罪を犯さずして手を洒ひたり
其は我終日悩みに遭ひ朝ごとに責を受けしなり
我若し斯る事を述んと謂しならば我汝が子輩の代を誤せしならん
我此等の道理を知らんとして思ひ巡ししに我が眼甚く痛たり
我神の聖處に往て彼等の結局を深く思へる迄は然りき (詩篇 73:1-17)