Chapter 10-3 : 職務 ~Work~

(投稿者:怨是)



 強力なMAIDは、一部にとっては忌々しさを伴いつつも、奇跡的に続出していた。
 技術の流出は他国の軍隊にとどまらず、一介の零細企業などにも伝わる事となり、1944年現在においては未だ多くのベールが暴かれる事は無くとも、流れのMAID技師などを生み出すまでに至った。
 国家は存在し、それを守る軍隊も存在する。
 しかして、それを強固に維持するような精神はいつしか綻びつつあった。
 働きアリの視覚は潰れてなどいなかった。
 否、少し嗅覚の鋭いアリが何匹か紛れ込み、それが他の――物事を疑う事の出来る少数の――アリへと伝播した。


 ――1944年、8月7日。
 シュヴェルテ暗殺記事の発表から、一年近くが経過しようとしている事に今更ながら気づかされる。
 ホルグマイヤーは、もう帝都栄光新聞社の門戸をくぐる事すら億劫になっていた。
 電話口だけで良いのではないか。

 非公式の協力者である“DD”は、秘密警察署長の自殺からほどなくして姿を消した。
 今は別の協力者によるものだ。いつしか、帝都栄光新聞社は全体の空気が“あのような色”に染め上げられていた。
 社員も顔ぶれが随分と変えられており、大規模な人事異動と云うにはいささか正気の度合いが少なすぎる気さえする。

 Gとよく似た昆虫こと、我々が“ゴキブリ”と呼ぶあの名状し難き害虫の雌は、危機に瀕すると卵を産み落とす。
 殺虫剤などでは決して殺す事のできない厄介な卵を、見つかりづらい所に産み落とす。
 結果として数ヵ月後には更なる繁殖が行われ、付近は害虫地獄と化してしまう。
 帝都栄光新聞社もまた、卵が産み落とされたのだ。
 DDの産み落とした卵から孵化した害虫たちが今、立派に黒旗叩きを行っている。
 ある事、ない事、可能な限りの下劣な言葉の寄せ集め。
 いつかの記事ではMAIDを代わる代わる陵辱しただの。
 またいつかの記事ではジークフリートのポスターを焼いただの。
 唾棄すべき野蛮な侵略者であるかのように描かれていた。
 同じような内容の記事を、かつて皇室親衛隊のMAID達にも書いていなかったか。

 何よりホルグマイヤーを辟易させたのは、秘密警察と黒旗の繋がりが一切描写されていない事だった。
 秘密警察の一部の人間は、彼らと内通している。民間義勇軍の派遣さえも計画している。
 が、それでもなお彼らを止められないのは、ホルグマイヤーが人間の形をしているからに他ならない。
 これが神か怪物の姿で彼らの間に割って入れたなら、きっと別の道へと方向転換を促せたかもしれなかった。

「こんな立場じゃなけりゃあな」

 煙草に火を灯し、天を仰ぐ。
 かつて煙草は拝火教の人々に用いられていたという。
 神と通ずるための貴重なツールとして。ならば今こそ、煙草の女神の御機嫌を伺ってみたかった。

 マクレーヴィヒは黒旗と通じていた。
 シュヴェルテの肉体だけは生きていた。心は死んだが。
 明日も同じような仕事をせねばならないし、数ヵ月後にまた第二のシュヴェルテが生まれるかもしれない。
 人が一人死ねば、十人が悲しむ。人が十人死ねば、百人が悲しむ。
 しかも誰かの為に命を賭してという、名誉ある死ではない。
 薄汚い欲望の為に命を玩具にされて無残に汚されて死ぬのだ。
 守る為の軍に居ながら、何も守る事無く死んで行く様子を見て、それ以上の悲しみを感じない者が果たして居るのだろうか。
 生きているなら救いはある。話も出来る。愛し合える。叱り付けたり、慰めたりする事だってできる。

 死ねばその機会は永遠に訪れない。
 反応(レスポンス)は各々の心の中に委ねられてしまう。


 放心状態で歩き回っていると、見覚えのある建物に辿り着いた。
 クーベルオルフェン街道の一角に佇む、白竜工業の町工場。
 “黒旗に武器提供を行った外国産業! 死すべし!”などといった落書きが煉瓦造りの壁を強姦している。
 あの盾の事だな。今朝の朝刊を読んだ者のうちの誰かが書いたのだろう。
 今朝の記事の見出しを、ホルグマイヤーもよくよく見ていた。

「あぁ、この壁の落書きね。ここ最近は毎日のように書かれてたんですけど、とうとう来たかと思いましたよ」

 流暢なエントリヒ語を話す楼蘭人が、窓を開けてこちらを見ていた。
 白竜工業の従業員らしく、袖を捲くったシャツには機械油が付着している。

「ヒドいでしょ」

「ああ、今朝の新聞を読んだ上での犯行だろうね、こりゃあ」

「しかもウチがあの子と提携しているというネタを覚えてる人だから、そうとうのマニアですね」

 シュヴェルテが製造された頃、つまりは1940年の春頃の話になる。
 帝都栄光新聞社は当時、彼女の誕生、そして到来を素直に祝福していた。
 世論と云うものはまったく恐ろしいもので、風向き一つで真逆の事をし始める。
 否、人間というものの体質がそれを成していると云えた。
 昨日と今日では話しの内容の違う人間が居る。おそらくはそれと同じなのだ。
 従業員はもう諦めているらしく、この落書きをどうにかしようとは考えていないようだった。

「運送業の人が盾を運んでくれたけど、ちゃんと使ってくれてるかなぁ」

「離反についてはショックを受けていないようで」

「あんなの、反抗期のようなものでしょう。盾をきちんと使ってくれさえすれば、こちらとしては満足です」

 親心の一種に似ているのか。
 そこでまたホルグマイヤーは、何か奇妙な、へどろの中の蛭を掴んだような悪寒に襲われた。
 MAID化は、それまで翼をはためかせる事を覚えていた鳥を、強制的に卵へと戻し、雛にしてしまう。
 そこには紛れも無い狂気が存在する。致命的な事実――MAIDが人から生まれたという事――は国民の多くに知らされないまま。

「そうだ。ウチにも来月辺りに、新しくMAIDが配属されるんですよ」

 人は、転ばない限りは足元を凝視する事は無い。または、足元を見ねばならない立場に居ない限りは。
 それ故に床が途中で白黒チェック模様から黒一色に染まった所で、そこに興味が無ければ凝視する事などありえない。
 あるいは、気まぐれが訪れない限り。
 しかし、床には番犬が潜んでいたのだ。床を凝視すると、黒々とした体毛に覆われた番犬がこちらを凝視しているのだ。
 数秒でも目が合えば、番犬は瞬く間にこちらへ飛び掛り、喉笛を噛み千切る。
 その番犬こそが、皇室親衛隊や秘密警察などに含まれる“名状し難き部署”である。

「ほぉ、技師は?」

 ――いつしか番犬達は困惑をその双眸に湛えつつあった。
 民間の零細企業がMAIDに大きく関わってから長い時間が経ちすぎてしまったのだ。
 彼らをどのようにすれば良いのか、どの番犬も決めかねていた。
 そうこうして獲物の周りをぐるぐると廻っているうちに、ハゲワシがこの獲物を啄ばんでしまう。
 町工場には手榴弾が投げ込まれ、先月の戦闘で竜式が大破した。

 今回配属されるMAIDも凄惨な憂き目に遭わねば良いのだがと、牙の丸い番犬は胸中でそっと祈った。
 自分が飲み下すのは軟らかく砕いたドッグフードだけで良い。
 血なまぐさいニュースを噛み千切っても、そこから旨みは感じられない。

「皇帝陛下の御厚意で、技術提供をして頂けるそうでして」

 つまり彼ら厄介な技術者集団にとって、エントリヒ帝国は心の祖国――否、それ以上のものとなる。
 国内の企業でもMAIDを個別に与えられる事など無かったのだから。

 兵器産業を営む人間の少なからずがMAIDという金蔓に憧れた。
 ある企業は飛行用の装備を開発し、ある企業は戦車砲の小型化を重ねてMAIDの携行用装備とした。
 この白竜工業は初めからMAIDの為の武器を作り、MAIDの為の鎧を作り、MAIDの為の義肢を作った。
 それが、いよいよ実を結んだのかもしれない。そして同時に、国内の多くの企業の嫉妬を買うに違いない。
 格安で売り捌かれる、嫉妬のバーゲンセールの中で戦い抜いてくれるのか。

「まぁ、いつ潰されても可笑しくないと思ってた頃合でしたので、MAIDに触れるのは嬉しく思いますよ」

 従業員の男は煙草に火を点けつつ、くたびれた笑みを浮かべる。
 彼にも、常に黒々とした影に追い回されているという自覚はあるのだ。




 同時刻。
 ギーレン宰相は緊急会議にて、己の胃の疼きを留めようと必死に堪えていた。
 スィルトネートが、たかだかタヌキ一匹に束ねられただけの、あの取るに足らない烏合の衆に連れ去られてしまった。
 両腕の震えが止まる前に、ドッペルバウアーが髭を弄り回しながら口を挟む。

「らしくありませんな。冷徹な合理主義者で知られる宰相閣下が、こうも感情的な決断を下されるとは」

 スィルトネート奪還――否、救出の為に、そして軍事正常化委員会を永遠にこの世から追い出してしまう為に。
 実に壮大な数の部隊が用意される事となったのである。
 空軍から三個飛行師団、陸軍からも同程度の規模。
 MAIDに至っては前回の計画で予定されていたドルヒ、スルーズ、レーニシルヴィ、ジークフリート。
 この五体に加え、新たにメディシスベルゼリアも加える事となる。
 副次的な目的があるとはいえ、たった一体のMAIDの為にここまでの措置を採る事は異例であった。

「帝国には象徴が二つ必要だ」

 そう云うとギーレンは汗の滲んだ額を抱えながら、小声で「私には必要なのだ、スィルトネートが……」と付け足す。
 単に政治的な理由だけで語るのは容易い。
 政財界の人間の少なからずがMAIDを従えている。
 マクシムム・ジ・エントリヒ皇帝はジークフリートを。
 ユリアン・ジ・エントリヒ外相はメディシスを。
 テオバルト・ベルクマン上級大将はドルヒを。
 グスタフ・グライヒヴィッツ内務大臣はフィルトルを。
 つまるところは一種のステータスとして、MAIDは存在する。

 いつかに皇室内にて、皇帝の死後はブリュンヒルデとジークフリートの銅像が建つという話が出ていた。
 皇帝の愛娘の象徴たる二人という肩書きを付けられるそうだが、ギーレンにしてみれば冗談どころでは済まされない。
 彼女ら二人と皇帝がますます神格化されてしまえば、後取りの確定しているギーレンの時代は、おそらくは暗黒などといった名が付けられる。
 忌々しい目の上のたんこぶたる皇帝派はますますのさばり、政治の安寧は訪れなくなる。
 そうなってしまえば、未来への道は閉ざされたも同然だった。

 それ以上に何より、父親との不和や低い支持率によって孤独に身を置く彼にとって、彼女は貴重な話し相手であった。
 母のようであり、隣人のようであり、妻のようでもあり、そして姉でも妹でもあった。
 惜しむらくは彼女が人間であったならば。おそらくは最高の妻となって支えてくれたに違いなかった。

 ――そのスィルトネートを眼前から奪った代償がどれほど高くつくか。
 教えて遣らねばならない。身を以って味わうが良い。
 貴様ら野蛮な裏切り者どもがスィルトネートに行っているであろうありとあらゆる陵辱などよりも、凄惨な苦痛を味わってもらおう。

 彼らが具体的にどのような陵辱を行うであろうかは想像にも及ばないし、想像するつもりも無かった。
 それよりも彼女を取り戻し、黒旗を完膚なきまでに叩き潰してやった先を皮算用してやるほうがより健康的で、救われる。
 ベルクマンがこちらに目配せしたのを見ると、ギーレンは皮算用をやめた。
 とにかく今は、作戦を練る事が先決である。

「して、戦力の配置の程は」

「任せた……いや、待て。私に考えが一つある」

「考えですか」

「ジークフリートを囮に当たらせろ。以前、連中がジークを何らかの理由で殺せないという報告があった。
 ジークを直接的な対話のカードに用いれば、おそらくかなりの時間が稼げる。それに……“何かの間違い”が無いとも限らん」

 考えうる限りの最悪の苦痛を与える事を思い浮かべた時、人は往々にして彼らに与えられる痛みが自分に来る事よりも、己が優位に立てるという高揚感に持ち上げられる。
 今のギーレンにとって、黒旗は“単なる離反者の烏合の衆”ではなく、もはや“己の存在意義を消し去ろうとする憎むべき外敵”である。
 またジークフリートを――そして大々的ではないにせよその影ではブリュンヒルデも――持ち上げようと考える皇帝派の人間達も、次なる敵へとなりうる可能性を秘めている。
 何かの間違いが起きた時、皇帝派の老獪な寄生虫は青々とその顔に皺を刻む事だろうと、ギーレンは胸中でほくそ笑んだ。

 ジークの出撃に対する反対意見は全て封じてきた。
 単純な道理である。「これに成功すれば、陛下がご存命のうちにジークフリートの銅像が建つ事になるぞ」と釣り餌を池に放り込むだけだ。
 皇帝派は訝しげに思いながらも、要求を呑まざるを得ない。何故なら、メディシスをはじめとする他のMAIDに武功を立てられれば、いくらそれをジークフリートの戦果として既成事実化したとて、現場の兵士の目は誤魔化せない。
 メディシスの戦果を生贄に捧げたら、ユリアン外相による根回しが隠蔽を許さない。
 スルーズは銃しか使わないから、どう頑張っても検死の段階で誤魔化しが利かない。
 レーニとシルヴィも同様に。それに加えてライサ・バルバラ・ベルンハルトという、皇帝派にとって最大の強敵の一人が待ち構えている。
 ベルゼリアも打撃系の武器を用いる上、技術部の強力な後ろ盾が全力で阻止するかもしれない。ブリュンヒルデがらみとなればこちらにとって不利に働く危険性もあるが、少なくともジーク単体に戦果を譲ろうとは考えまい。
 そして、ドルヒの戦果を奪おうものなら、皇帝派は皇室親衛隊そのものの価値を直接的に貶める事となる。
 総括すれば、彼ら皇帝派は袋小路に叩き込まれたのだ。

「……後は任せる」

 ざわめきと共に、会議は続く。
 傍らに、空席を一つ残したまま。


最終更新:2009年04月15日 14:52
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