【史実では?】
- アメリカのノースアメリカンにより製造されたレシプロ単発単座戦闘機
- 愛称はマスタング 、またはムスタング。
- 敵対した日本軍からも評価が高く、最高のレシプロ戦闘機の一つとされている。
【この世界では?】
- この世界では、赤色戦争における合衆国軍主力戦闘機として活躍した名機。
- メッサーシュミットやスピットファイアー相手に一歩も引かず、欧州軍を苦しめたことで知られる。
- 狩野粒子下での航空戦闘を想定し、アメリカ空軍が急遽、再生産を開始。
- P-51Dの一部素材を変更しただけで、実際はDと変わることはほとんどない。
- その分、生産コストを低減させ、数で押し切ることを可能にした。
【性能は?】
- 乗員:パイロット1名
- 全長:9.8 m
- 全幅:11.3 m
- 全高:4.17 m
- 固定武装:12.7mm重機関銃×6 (2,000発)
- 搭載:爆弾1,000lbs(454kg)×2 又は ロケット弾5in×10
B-32
【史実では?】
- 米陸軍航空軍が運用した爆撃機。
- コンヴェア社により開発されたが、開発の遅延、対抗馬のB-29の開発成功などにより、生産数は少ない。
- 愛称はドミネーター(Dominator)
【特記事項】
- 日本軍が最後に戦った相手。
- 第二次世界大戦(大東亜戦争だけでなく!)最後の空中戦を経験した機。
- ポツダム宣言受諾後の1945年8月18日に連合国軍占領下の沖縄の基地より、同機2機が日本本土の偵察のために関東上空に飛来。
- その際、房総半島から伊豆諸島にかけての上空で日本軍戦闘機紫電改及び零戦と第二次世界大戦最後の空戦を展開した。
- 結果は同機の搭乗員1名が死亡、2名が負傷し、日本側に損害なし。
- ダメージを負った2機は沖縄へ退いた。(この戦闘での死者がアメリカ軍兵士の第二次世界大戦での最後の戦死者である)。なお、この戦闘には坂井三郎も参加していた。(※以上、wikiペディア「B-32」の項より)
【この世界では?】
- 赤色戦争中、ボーイングはB-29の開発に失敗。代わりに採用されたのがB-32。
- 戦線投入時、米国本土上陸を果たしていた欧州軍だったが、高度1万メートル以上で迎撃戦闘が可能な戦闘機を保有しておらず、その空爆の前に大損害を余儀なくされた。
- 米国では、祖国を防衛した「空の要塞」として愛される機。
- P-51と共に再生産が開始される。
- エンジン性能を向上させ、爆弾搭載量は赤色戦争当時の2倍近くに向上している。
【性能は?】
- B-32F
- 全長:26.32m
- 全幅:42.15m
- 全高:11.06m
- 武装:12.7mm連装機銃4基、
- 爆弾搭載量 20トン
- 乗員:6名
UH-1NEE
【史実では?】
- UH-1 IROQUOIS・イロコイ
- 愛称:HUI・ヒューイ
- ベル・エアクラフト社が開発した汎用ヘリコプター。
- ベトナム戦争で大活躍し、後に世界各国軍の軍用ヘリの基本形となったといっても過言ではない。
- 陸上自衛隊の他、民間でも採用されている。
【この世界では?】
- 史実と大差ない。
- 帝国陸軍でも大量に採用されている(独自開発の後継機へ置換が進行中)
- 各国とも、狩野粒子下でもヘリを運用したいという本音があり、日米EU各国が協力して、電子装備に頼らないヘリの開発を推進。
- 非電子装備組み込み規格として設定されたNEE規格に基づき、開発された。
- 電子装備に頼らないため、機械部品が増え、整備性がかなり落ちるが、戦線投入可能な唯一のヘリとして、各国で採用、生産される。
- 輸送や武装など、各種タイプが製造された。
- 兵員12名搭乗可能。
- 固定武装なし。
- 総生産機数5000機以上とされる。
最終更新:2010年07月17日 13:21