キム・ヒョンテ
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キム・ヒョンテ
概要
韓国のイラストレーター・ゲームクリエーター、そしてSHIFT UPの創業者でありCEO。
妻は同社のキャラクターデザイナーKKUEM氏。
キャラクターのボディラインを強調し、体の曲線の美しさ、はっきりとした陰影を前面に押し出した独自のデザインは「ヒョンテ塗り」と呼ばれている。
日本のサブカルチャーに深い造詣があり、簡単な日本語なら読解することが出来る。
好きな作家に士郎正宗、寺田克也、村田蓮爾、白亜右月、黒星紅白を、影響を受けたCGにMSXソフト「ピンクソックス」の梅まろ(現 梅麻呂)を挙げている。
妻は同社のキャラクターデザイナーKKUEM氏。
キャラクターのボディラインを強調し、体の曲線の美しさ、はっきりとした陰影を前面に押し出した独自のデザインは「ヒョンテ塗り」と呼ばれている。
日本のサブカルチャーに深い造詣があり、簡単な日本語なら読解することが出来る。
好きな作家に士郎正宗、寺田克也、村田蓮爾、白亜右月、黒星紅白を、影響を受けたCGにMSXソフト「ピンクソックス」の梅まろ(現 梅麻呂)を挙げている。
来歴
学生時代
幼い頃から漫画が好きだったが、当時の韓国では日本の漫画に触れる機会が少なかった。
そんな中で日本の漫画やアニメを広めてている人物から漫画に触れる機会がありハマっていったという。
当時は音楽にも興味を示しておりMIDIで作曲もしていた。
将来音楽か絵か、どちらの道に進むか考えた結果、絵を選び持っていた音楽関連の機材は処分したという。
中央大学芸術学部に入学、デザイン学科を専攻し漫画家を志望するようになる。
1997年には鶴山文化社漫画公募展に入賞、同年のソウル文化社新人公募展にも入賞する。
当時描いていた漫画はサイバーパンクモノで不良少年と少女が出会うと言った内容だったらしい。
しかし当時の韓国で制定された青少年保護法は漫画の表現に風当たりが強く、業界の将来に暗い影を落としていた。
そこで自身のイラストレーターとしてのスキルを活かしゲームクリエーターを目指すことに。
マントラ時代
1998年、海外ゲームのローカライズを行っていたマントラ社に誘われる。
そこでは自社ゲーム「ラプソディア・オカルテラー」のエンディングパートイラストを制作。
このゲームは未発売のまま世には出なかった。
そしてマントラ社は財務状況の悪化、契約違反による賠償金の支払いで倒産してしまう。
ソフトマックス時代
1999年、路頭に迷いかけていたところソフトマックス社の「創世戦記外伝2~TEMPEST~」のキャラクターデザイナーであったTony氏が方向性の違いからプロジェクトを離脱したことを受け、新しいキャラクターデザイナーとして外部スタッフとして参加。
創世戦記は好評な結果を残したため正式に入社し、後の創世戦記シリーズのメインデザイナーとして活躍する。
2001年には「マグナカルタ雪崩の亡霊」のキャラクターデザインに従事、PC版が韓国のみで発売された。
一作目のマグナカルタはバグが多かったためゲームとしての評価は低かったが、キム・ヒョンテ氏のキャラクターデザインはその独自の世界観から高い評価を得た。
同年に自身初の画集「Oxide」を出版する。
2004年に「マグナカルタ真紅の痕跡」がPS2とPCで発売される。
このマグナカルタ真紅の痕跡は日本でも「マグナカルタ」として発売されている。
日本でもキム・ヒョンテ氏のキャラクターデザインは評判となり、同年に画集「Oxide 2X」を出版。
2009年にはXbox360にて「マグナカルタ2」が発売、さらにその名を世に広めることになった。
しかしゲーム自体の売上は伸び悩み、マグナカルタシリーズは2が最後となった。
NCソフト時代
2008年にソフトマックス社を離れ、ゲーム業界だけでなくMMORPGの歴史に金字塔を打ち立てた「リネージュ」をリリースしたNCソフトに入社。
NCソフトではリネージュに続くMMORPGタイトルを開発中でキム・ヒョンテ氏はアートディレクターに抜擢される。
このタイトルは「ブレイド&ソウル」として2012年にサービスが開始された。
キム・ヒョンテ氏デザインのキャラクターが美麗なグラフィックで表現され反響を呼び、2014年には日本でもサービスが開始されている。
またスタジオGONZOによりTVアニメも制作、放映されている。
SHIFT UP設立
2014年1月に自身のブログでNCソフトを退社することを発表。
新しいチャレンジとして自身の新会社SHIFT UPの創業とスマートフォン向けタイトル「DESTINY CHILD(通称デスチャ)」を発表する。(会社自体は2013年に登記済み)
キム・ヒョンテ氏は会社設立について、自身のイラストをメインにしたゲームを作りたかったこと、ブレイド&ソウルではゲーム制作まで携われなかったことを理由にあげ、このゲームが受け入れられるか非常に大きな賭けだったと語っている。
スマートフォン向け市場への参入について、韓国ではMMORPGは熾烈な競争が続いてるのに対し、スマートフォン市場は過渡期であり海外の質の高いゲームに差をつけられる前に参入したかったことを述べている。
Live2Dで生き生きと動くキャラクターは当時では新しく大きな注目を集めた。
デスチャは2016年に韓国で、2017年に日本でリリースされ、初動のセルランは一位となり賭けに勝利する。
しかしLive2Dのキャラクター制作は非常に多数の工程を経ており、後に「過去のキャリア15年分の2倍の作業量だった」と語っている。
PROJECT NIKKE
2018年に社内コンペで応募されたNIKKEに興味を示しProject NIKKEとして開発をスタートさせる。
しかし当時のキム氏はSteller BladeとNIKKE、二つのタイトルを同時に開発するハードスケジュールだったため現場を統括するディレクターを必要としていた。
先輩クリエイターからの紹介でユ・ヒョンソク氏を知りNIKKEのディレクターを打診し、以降ユ氏が中心となりNIKKE開発は進められる。
幼い頃から漫画が好きだったが、当時の韓国では日本の漫画に触れる機会が少なかった。
そんな中で日本の漫画やアニメを広めてている人物から漫画に触れる機会がありハマっていったという。
当時は音楽にも興味を示しておりMIDIで作曲もしていた。
将来音楽か絵か、どちらの道に進むか考えた結果、絵を選び持っていた音楽関連の機材は処分したという。
中央大学芸術学部に入学、デザイン学科を専攻し漫画家を志望するようになる。
1997年には鶴山文化社漫画公募展に入賞、同年のソウル文化社新人公募展にも入賞する。
当時描いていた漫画はサイバーパンクモノで不良少年と少女が出会うと言った内容だったらしい。
しかし当時の韓国で制定された青少年保護法は漫画の表現に風当たりが強く、業界の将来に暗い影を落としていた。
そこで自身のイラストレーターとしてのスキルを活かしゲームクリエーターを目指すことに。
マントラ時代
1998年、海外ゲームのローカライズを行っていたマントラ社に誘われる。
そこでは自社ゲーム「ラプソディア・オカルテラー」のエンディングパートイラストを制作。
このゲームは未発売のまま世には出なかった。
そしてマントラ社は財務状況の悪化、契約違反による賠償金の支払いで倒産してしまう。
ソフトマックス時代
1999年、路頭に迷いかけていたところソフトマックス社の「創世戦記外伝2~TEMPEST~」のキャラクターデザイナーであったTony氏が方向性の違いからプロジェクトを離脱したことを受け、新しいキャラクターデザイナーとして外部スタッフとして参加。
創世戦記は好評な結果を残したため正式に入社し、後の創世戦記シリーズのメインデザイナーとして活躍する。
2001年には「マグナカルタ雪崩の亡霊」のキャラクターデザインに従事、PC版が韓国のみで発売された。
一作目のマグナカルタはバグが多かったためゲームとしての評価は低かったが、キム・ヒョンテ氏のキャラクターデザインはその独自の世界観から高い評価を得た。
同年に自身初の画集「Oxide」を出版する。
2004年に「マグナカルタ真紅の痕跡」がPS2とPCで発売される。
このマグナカルタ真紅の痕跡は日本でも「マグナカルタ」として発売されている。
日本でもキム・ヒョンテ氏のキャラクターデザインは評判となり、同年に画集「Oxide 2X」を出版。
2009年にはXbox360にて「マグナカルタ2」が発売、さらにその名を世に広めることになった。
しかしゲーム自体の売上は伸び悩み、マグナカルタシリーズは2が最後となった。
NCソフト時代
2008年にソフトマックス社を離れ、ゲーム業界だけでなくMMORPGの歴史に金字塔を打ち立てた「リネージュ」をリリースしたNCソフトに入社。
NCソフトではリネージュに続くMMORPGタイトルを開発中でキム・ヒョンテ氏はアートディレクターに抜擢される。
このタイトルは「ブレイド&ソウル」として2012年にサービスが開始された。
キム・ヒョンテ氏デザインのキャラクターが美麗なグラフィックで表現され反響を呼び、2014年には日本でもサービスが開始されている。
またスタジオGONZOによりTVアニメも制作、放映されている。
SHIFT UP設立
2014年1月に自身のブログでNCソフトを退社することを発表。
新しいチャレンジとして自身の新会社SHIFT UPの創業とスマートフォン向けタイトル「DESTINY CHILD(通称デスチャ)」を発表する。(会社自体は2013年に登記済み)
キム・ヒョンテ氏は会社設立について、自身のイラストをメインにしたゲームを作りたかったこと、ブレイド&ソウルではゲーム制作まで携われなかったことを理由にあげ、このゲームが受け入れられるか非常に大きな賭けだったと語っている。
スマートフォン向け市場への参入について、韓国ではMMORPGは熾烈な競争が続いてるのに対し、スマートフォン市場は過渡期であり海外の質の高いゲームに差をつけられる前に参入したかったことを述べている。
Live2Dで生き生きと動くキャラクターは当時では新しく大きな注目を集めた。
デスチャは2016年に韓国で、2017年に日本でリリースされ、初動のセルランは一位となり賭けに勝利する。
しかしLive2Dのキャラクター制作は非常に多数の工程を経ており、後に「過去のキャリア15年分の2倍の作業量だった」と語っている。
PROJECT NIKKE
2018年に社内コンペで応募されたNIKKEに興味を示しProject NIKKEとして開発をスタートさせる。
しかし当時のキム氏はSteller BladeとNIKKE、二つのタイトルを同時に開発するハードスケジュールだったため現場を統括するディレクターを必要としていた。
先輩クリエイターからの紹介でユ・ヒョンソク氏を知りNIKKEのディレクターを打診し、以降ユ氏が中心となりNIKKE開発は進められる。
余談
日本在住
ブレイド&ソウルのリリース後に8ヶ月ほど日本に在住していた時期があった。
アニメーション関係者と知り合い日本でアニメの仕事をしないか?と誘われたという。
そして当時の日本ではモバイルゲームが盛り上がりを見せ始めていたことに着目。
キャラクター収集ゲームと自身が絵を描きたいという気持ちが合致、SHIFT UP設立へのきっかけになったと語っている。
KKUEM
プライベートでは2009年にイラストレーター・コスプレイヤーのKKUEM氏と結婚。
KKUEM氏は現在NIKKEのキャラクターデザインの中心的作業を務めており、CEOであるキム・ヒョンテ氏のデザインでも彼女の厳しいチェックを経なければ採用されない。
自身が大ファンでもあるエヴァコラボではアスカのデザインを提出したが「セクシーすぎる」という理由でKKUEM氏から却下されたという。
騙された?
NIKKEのプロジェクトを進めるに当たってユ・ヒョンソク氏の話を聞きNIKKEのディレクターに最適だと考えた。
しかし当時ユ氏はキャラクター収集ゲーム以外に携わりたいと考えており、Steller Bladeの方にに興味を示していた。
そのためキム氏は「Steller Bladeのチームがあなたに興味を持っている」とユ氏に説明しSHIFT UPに来てもらい、その上でNIKKEのディレクターはどうか?と打診したという。
結果的に熱意が通じ、ユ氏みずからNIKKEのプロジェクトへの参加を申し出た。
ブレイド&ソウルのリリース後に8ヶ月ほど日本に在住していた時期があった。
アニメーション関係者と知り合い日本でアニメの仕事をしないか?と誘われたという。
そして当時の日本ではモバイルゲームが盛り上がりを見せ始めていたことに着目。
キャラクター収集ゲームと自身が絵を描きたいという気持ちが合致、SHIFT UP設立へのきっかけになったと語っている。
KKUEM
プライベートでは2009年にイラストレーター・コスプレイヤーのKKUEM氏と結婚。
KKUEM氏は現在NIKKEのキャラクターデザインの中心的作業を務めており、CEOであるキム・ヒョンテ氏のデザインでも彼女の厳しいチェックを経なければ採用されない。
自身が大ファンでもあるエヴァコラボではアスカのデザインを提出したが「セクシーすぎる」という理由でKKUEM氏から却下されたという。
騙された?
NIKKEのプロジェクトを進めるに当たってユ・ヒョンソク氏の話を聞きNIKKEのディレクターに最適だと考えた。
しかし当時ユ氏はキャラクター収集ゲーム以外に携わりたいと考えており、Steller Bladeの方にに興味を示していた。
そのためキム氏は「Steller Bladeのチームがあなたに興味を持っている」とユ氏に説明しSHIFT UPに来てもらい、その上でNIKKEのディレクターはどうか?と打診したという。
結果的に熱意が通じ、ユ氏みずからNIKKEのプロジェクトへの参加を申し出た。