「……まるで、鮫だ!」
目標に避けられ、勢い余って何本もの街路樹を薙ぎ倒した巨大なハサミの威力に、一拍早く飛びのいていたステッラは思わず舌打ちを漏らした。このエビ型のスタンドは、決して戦闘力では自分に勝るモノではないが、聞き分けのないガキがダダをこねるかのように無茶苦茶な動きをしてくる!
そして、その本体はスタンドにも増して常軌を逸していた。スタンドの口から吐き出された奇妙な泡に包まれて、手足を震わせながらティベレ川のほとりの宙空に浮かぶその少女は、白目をむきながら、
「オマエ、敵! 私ヲ殺ソウトスル悪魔! ウケケケケ!」
と、天を仰いで哄笑する。次いで、顔を下に向けるが、その目は焦点があっていない。その最中でも彼女は妙な事に手足を休むことなく動かしている。やがて、いい加減疲れてきたのか、ビルの屋上へと少女は舞い降りた。
(イカれているのか、この女は?)
『ヴィルトゥ』の人間にはロクなやつがいやしない。それもこれも、向こうのボスに問題があるのだろう。そんな風に思っていたステッラであったが、続く少女の言葉に、脳天を叩かれたかのような衝撃が走った。
「オマエ、死ネバ、クスリ、貰エル! 私ノ体ヲハイマワルウジ虫、キエルクスリヲ! クスリガクレタ、コノ『エヴィータ』デオイハラッテモ、イナクナラナイイマイマシイウジ虫、ケシテヤル!」
その言葉に、ハッとなったステッラは少女を見つめた。もしかして、この少女は、麻薬中毒者なのか? そういえば、どうも『ヴィルトゥ』の仕業らしいが、近年多くの子供が行方不明となり、その一部が薬物によって中毒死して発見される、と言う事件が発生していると聞いた。考えてみれば、ジョルナータが『パッショーネ』入りするきっかけとなった裏切り者の元売人は、彼女の友人を攫った挙句、薬物で中毒死させたではないか。今こそわかった。『ヴィルトゥ』は、副作用の強い『才能のある者からスタンドを発現させる麻薬』を開発し、それを攫った子供で人体実験していたのか! 失敗すれば死は免れず、成功しても薬物中毒で精神が損なわれる、とは何と惨いやり口だ!
悲憤のあまりに髪を逆立てたステッラであったが、突如ズズズ……、と音が鳴る。そちらの方へと目をやった彼は、驚愕に思わず目を見開いた。
『エヴィータ』のハサミは、本体を覆うのと同様の泡で包まれている。それが、先程へし折ったはずみに街路樹にこびりついていたのだが、泡は急速に倒木全体に広がっていき、覆われる面積が多くなるにつれて倒木が宙へと浮かび上がっていく。
(まさか、あの泡に包まれたモノは何でも空中へと浮かび上がるのか?)
敵の能力がまだはっきりと判らないながらも、状況から推測していくステッラであったが、その時、
「グフッ、グフフゥッ! 落チロォッ!」
パチン、と少女が指を鳴らすのに応じて、全ての泡が消滅し、倒木が雨あられと落下する。だが、その程度の事で動じるステッラではない。
「高々倒木を降り注がせたところで、この俺に通じると思うなッ! 『SORROW』!」
スタンドの拳に打たれ、自らを針金に変えていくことで木々の雨の中を易々とすり抜けていくステッラ。だが、その周囲は断末魔の悲鳴で満ちた。空中高くから落下した倒木は、時ならぬ戦闘の騒音に或いは足を止め、或いは窓から身を乗り出した野次馬達を容赦なく押しつぶしていったのだ。
哀れな被害者だ、と思ったが故に一瞬攻めびかえてしまった事が、この惨事を招いた。ステッラは、嚇怒しようとする己を抑え込み、ビルの屋上で再び泡を纏ってゲラゲラ笑う少女へと拳を構えた。
「敵を始末する上で大切な事はッ! 怯えず、怒らず、動揺せずッ! 常に冷静さを保つことッ!
そしてッ! 俺の為すべき事は、ボスの前に立ち塞がるモノならば、たとえそれがいたいけな赤子であろうが、雨中に見捨てられた哀れな子犬であろうが、一切の情をかけずに踏み潰していくことッ!
故にッ! たとえお前も被害者であろうとも、俺の敵であるならば、罪もない堅気に手を出す外道に落ちたというのならばッ! やむを得ん、ただ冷徹にあらゆる手を尽くして排除するッ!」
一声叫び、ステッラは脚をバネに変えて空高く舞った。すかさず襲いかかる『エヴィータ』のハサミを、『SORROW』の拳が、蹴りが迎え撃つ。ガシィ! とハサミがステッラを地面へと叩き落とせば、脚をバネにしたステッラはその反発で更に高く跳躍し、落下の勢いを借りて手刀を振るう。いくら暴走したスタンドが、狂人特有のバカ力を発揮しようが、所詮百戦錬磨のギャングの攻撃に及ぶはずがない。徐々に劣勢に立たされる少女のスタンドに、
「くらえ!」
再び飛び上がったステッラが渾身の一撃を叩き込もうとしたその時、彼の眼にある異常が止まった。ビルの屋上に身を置く少女は、戦闘の最中に再び泡のスーツを身にまとっていたのだが、『スーツ』からこぼれおちた泡は何時しか屋上からビル全体へと広がっていた。それはまあいいとしよう。問題は、泡につつみこまれたビルの変化であった。下の方へと行くにつれ、レンガ造りのビルがぐしゃぐしゃに潰されて、倒れ込んでいくではないか!
ビルが倒れていく前に、少女は手足を掻いて次の建物へと身を移すが、その下でビルは中に居た人間を巻きこんで小さく圧縮される。その光景に、ステッラは己の思い違いを悟った。どうやら、この泡は、『包まれたモノを何でも空中へと浮かばせる』のではなく、『包み込んだモノを水中に居るのと同じ状態にする』らしい。だからビルは、『水圧』で潰されたんだ! そう理解したのは、しかし遅かった。驚愕の一瞬に、『SORROW』のアッパーは空を切り、横殴りに払われた『エヴィータ』の泡まみれのハサミがステッラの腹を打った。
「ぐはっ! ま、不味い!」
ゴボリ、と血を吐いて吹き飛ばされていくステッラの身体を、見る見るうちに泡が覆っていく。このままでは、地面にたたきつけられる前に『水圧』で押しつぶされてしまう!
ステッラは、咄嗟に己の肉体をバネに変え、更にバネになった腕を伸ばして、手近な建物の軒を掴んだ。針金で出来たバネ状の全身ならば、少なくともそのままの状態よりは『水圧』に耐えられるだろうし、軒に掴まって軌道を修正すれば、墜落してもティベレ川の水をクッションにできる。泡につつまれていて、水中でどんな事が起きるかは知らないが、地べたに叩きつけられるよりはまだマシであろう。そう判断した事は、結果的に間違いではなかった。
バシャン! 水中へと沈んでいったステッラであったが、彼は手足で水を掻いてともかく浮かびあがろう、とした際に自らの身に起こった異変に気付いた。水が、手足に触れる感覚がないのだ。それどころか、川底をまるで地上のように自在に動き回れる。頭を覆った泡のヘルメットの中で、ステッラはホッと息をついた。
(なるほど……。敵の本当の能力は、『“泡”に触れた物にとっての水中と空中を“逆転”させる』事だったって訳か。ならば、やつはすぐに水中へと俺を追ってくるはず。それを如何返り討ちにするかだが……、ん?)
ステッラが気付いたのは、排水溝の中で頭から血を流して倒れている男の姿であった。コートを羽織った男の足元に注射器が、頭の近くにはコンクリートの塊が落ちていることから、どうやら、先程街路樹の雨が降った際の衝撃で、排水溝の天井から落下した岩塊を受けて死んだらしい麻薬中毒者らしい。この死体を見た時、ステッラの脳裏に勝利する為の策が思い浮かんだ。
**
「ギャハハ! ブチブチブチブチブチ殺スゥ!」
狂った笑いを上げて、少女はスタンドと共にティベレ川へと飛び込んでいく。ただでさえ大都市を流れる故に濁っている上に、先程ステッラが着水した事もあって、ティベレ川の透明度は非常に低い。その中に飛び込んだ少女は、水中をゆらゆら漂う人影を見つけるや否や、何も考えることも無しにスタンドごと突っ込んでいく。しかし、ハサミが貫いたのは、ステッラとは似ても似つかない男の死体であった。
「!!?」
驚愕した少女であったが、既に遅かった。バッ! 濁り水の中から突如針金で出来た網が彼女を絡め取り、排水溝の縁へと強引に引き寄せる。死体を身代わりに立て、自らは身を潜めたステッラは、川底のゴミから作ったバネを材料に素早く網を作り出し、それに結び付けたバネをウインチに見立てて少女を釣りとったのだ。
身動きの取れない少女を見つめ、ステッラは呟いた。
「悪いな、小娘。俺は、ボスの信念を邪魔しようとする相手であれば、たとえそれが法王の如き地位の人間であろうが、必ず始末してきた。これまでもそうだし、これからもそうだ。例え殺されようとも、その思いだけは変えられない。だから、『ヴィルトゥ』のやつらに気を狂わされたのが最初の不幸で、俺の前に立ち塞がったのが最後の不幸と思って諦めろ……
テンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンテンガ・イル・レスト(つりはとっときな)ォ!」
『SORROW』のラッシュが、網に包まれた少女の胴体を打ち抜いていく。バネに換えられた少女の胴体から、これまで肺に充満していた空気が大きな泡となって、水に浮かんで消えていく。針金の網に身動きを封じられ、更に呼吸をする臓器を失った少女が、ティベレの流れに乗って何処かへと消えていく。やがて、ステッラは自身の身体を包む泡が消滅していくのを感じた。彼は、大きく手を掻いて水面へと身を持ち上げていった。
今回の死亡者
本体名―不明。少なくとも蛯原という姓でも夏海という名前でもないのは確実。
スタンド名―エヴィータ(ステッラに海老の投網漁をされ、揚句テンテンラッシュで肺を針金に変えられ、窒息して死亡)
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