早朝、街全体に響き渡る鐘の音がフィレンツェ市民に一日の始まりを告げる。
朝日に照らし出されるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を初めとした数々の歴史的な建築、彫刻群はこの街が現代までに続くルネサンス文化の継承地であることを悠然と物語っていた。
そんな中、すれ違う精美な美術品には目も暮れず街中を疾走する青年が一人、脚をもつれさせながらどこかへと向かっていた。
今時の若者といった感じの小洒落たファッションで身を包み、その美しい長髪を風に靡かせている。
「早く伝えないと、ジーナどんな顔するかなァァ~~ッ!!」
鼻歌混じりに通りを駆け抜ける彼の姿に、自分のパン店の前を掃いていた老婆も呆れた表情をして、遠ざかる青年の背中越しに叫んだ。
「ニコロッ!朝っぱらから騒々しいよッ!」
「へへへッ!わーってるよ、クレアばーさん!」
その怒声に応えるように振り返り軽く右手を挙げると、性懲りもなく口笛を吹きながら街外れの方へと消えていった。
「全く、あの子ったらねぇ……」
クレアと呼ばれた老婆も、その姿が見えなくなると柔らかい笑みをフッと浮かべ、また店前の掃き掃除に勤しみ始めた。
「はぁ…はぁ……よし、着いた」
青年は街外れの小さな修道院の前にまで走って来ると、一度襟元を整えコホンと咳払いをしてから装飾の成された扉に手を掛けた。
「ジーナ!たっ…」
「宝の地図を見つけたって?」
「ってええええッ!?」
颯爽と扉を開け放ち、高らかにソレを報告しようとしていた青年は、予想外の横取りにそのままもんどりうって転倒した。
仰向けになって床にぶつけた頭を押さえる青年の顔を覗き込むように、一人の少女が彼の傍らにしゃがみ込んだ。
両手には使い込まれて灰色がかったホワイトボードを持っている。
そこには綺麗な字でこう書かれていた。
『次にお前は「俺のセリフ取るなよシスターッ!」と言う』
「うぐっ……俺のセリフ取るなよシスターッ!
……ハッ!?」
「うふふ、扉の前で一呼吸置いたのが間違いだったわね、ニコロ。
ジーナが先に聴いちゃったのよ」
(しまったァァ~…、ジーナの『スタンド能力』をすっかり忘れてた…。
クッソ、驚かせたかったのになァ~…)
ニコロは一人、やってしまったとばかりに天を仰いだ。
ステンドグラスの中に見た聖母マリアの微笑みが、自分を見て嘲笑っているような気がして、ニコロは本当に悔しい思いで心が一杯になっていた。
ニコロ・デ・パッツィは、イタリアの最有力マフィア『パッショーネ』の構成員である。
その姓からも分かるように、彼はあの『パッツィ家の陰謀』を起こした名門パッツィ家の末裔だった。
一時期は栄華を極めたパッツィ家も、このニコロの代ではそこらの一般家庭と何ら変わりないものとなっていた。
昔から、特にメディチ家が大きく発展させたこのフィレンツェでは、パッツィ家は悪役として扱われている。
観光客が頭上の美術品に見とれ、鬱血で眩暈を起こすのを昔は“パッツィ家の呪い”なんて呼んだりもした。
彼には、それが許せなかった。
彼には、二つの夢があった。
いつか、この『パッショーネ』でフィレンツェを取り仕切る幹部となり再びパッツィの名をこの地に轟かせること。
フィレンツェ市民に、パッツィ家こそこの地を統治するに相応しい一族なのだと今一度知らしめるのだ。
そしてもう一つは、幼なじみの少女――ジーナ・アルバーズィアを幸せにすることだ。
彼女は四歳の時、交通事故の後遺症で聴覚を失い、さらに再びの事故で今度は両親を失うことになった。
彼女はその不幸と生まれつき不可思議な『力』を使えたことで親類から『悪魔憑き』として疎まれ、何度も親族間を盥回しにされた挙げ句、修道院に預けられることになる。
二人が初めて出会ったのもその修道院だった。
そんな彼女を自分の手で幸せにしてみせる、そのためならニコロは何だってやる『覚悟』を持ってギャングの仕事に精を出していた。
今日、その夢を叶えるために必要不可欠なモノが手に入ったために、ニコロは朝一番でこのサチェルタ修道院を訪れたのであった。
「パッツィ家の隠し財産の在処を示した地図の在処を示した地図?」
『ややこしい』
ニコロは礼拝堂の椅子に我が物顔でふんぞり返ると、訝しげに古ぼけた地図を見つめる二人に向かって得意気に語り出した。
「駅前の古本屋の爺さんが持ってたんだぜ。『パッツィ家の陰謀』の時にパッツィの従者から渡されて、それから代々受け継いできたもんなんだと。
俺がパッツィの末裔だって言ったら貸してやるってさ」
「地図って言っても何が描いてあるのかサッパリよ、コレ」
『よくこんなちんちくりんの言うこと信じたな』
「ちんちくりん言うな!
…確かに、最初は言っても信じなかったけど家宝の紋章を見せたら一発よ」
そう言うと、ニコロは胸元に付けたパッツィ家の紋章を誇らしげに見せびらかす。これは彼の誇りであり、特別な日にはいつも付けているものだ。
が、二人は徹底して無視を決め込んで地図を光に透かしたりひっくり返してみたり、あーでもないこーでもないと言い合っている。
そんな様子を見て、ニコロはむっとした顔をしながら思案する二人にズカズカと歩み寄ると持っていた地図をひょいと取り上げた。
「お前ら、だけじゃなくて俺でもこの暗号は解けねぇよ。
だから『俺達』に任せとけって!」
そうするとニコロは手に持った地図を何回かヒラヒラさせた後、突然それを放り投げた。
「『ヌード・バレット』ッ!」
その力強い掛け声と共にピョコン、とニコロの肩口から小人の姿をしたスタンドが現れる。
『ヌード・バレット』と呼ばれたそれは目の前ではらはらと舞い落ちる地図の右隅に狙いを定め、
ピシュンッ
と手に持ったボウガンから一本、小さな小さな矢を放った。
矢は地図目掛け真っ直ぐに飛んでいき、その右隅ギリギリを見事射抜く。
そして、そのまま地図ごと礼拝堂の壁に鋭い音を立てて突き刺さる。
「矢が刺さったことで地図から暗号としての『機能』を奪う…
やっぱり俺って天才だなァァ~~ハハハハッ!」
一人高笑いするニコロを当然の如く無視して、ジーナとシスターは壁に刺さった地図の所まで行くと変わった所はないか確かめる。
すると、先程まで意味不明な文字と図形の形をしていたインクが地図の上をグニャグニャと動き出し、何かを形作っていく。
「どこかの見取り図みたいね……。あ、上に何か書いてあるわ。
『パッツィ礼拝堂地下案内図』……」
『見取り図にMappa(地図)って書いてる所があるよ』
「サンタ・クローチェ聖堂にあるパッツィ礼拝堂の地下が隠し場所って訳か。
財産をため込むにはあおつらえ向きの場所だな」
毛先を指で弄くりながら、ニコロは地図を覗き込んだ。
入口は礼拝堂の中にある隠し扉か…。
あそこは観光客も多いし、夜中に忍び込んで……いやッ、自分の御先祖様の礼拝堂なんだ、善は急げと言うし(ジーナと一緒に行きたいし)堂々と行けばいいじゃあないか―――
よしっ、と腹積もりを決めたニコロはジーナに話しかけようと、
『だが断る』
「ジーナ、今から一緒に地図探しに行くぞ!」
「………」
『………』
数秒の静寂が流れる。
ニコロは、黙ってジーナの腕を引くと去り際に壁の地図を引っ剥がして礼拝堂から出て行った。
その後ろ姿を、シスターは何ともいえない表情で見送っていた。というよりも笑いを堪えているような感じだった。
「本当に仲の良いことね、あの二人は」
扉が必要以上の勢いで締められるのを見て、シスターはニコロの悔しそうな顔が目に浮かぶのだった。
「ニコロ…強引すぎ…」
ぼそりと、隣にいるニコロにさえ聞こえないぐらいのか細い声でジーナは呟いた。
『ザ・クアイエット・プレイス』
ジーナ・アルバーズィアのスタンドである。
能力はスタンドの持つヘッドフォン越しに『数秒後の音』を聴くこと。
聴覚を失ったジーナでも、スタンド能力により得た『音』は直接脳内に響き渡るために『聴く』ことができた。
この能力を使えば、多少は不便でコツもいるが人と会話をすることもできる。
それでも、外でこのスタンドを出していると色々と面倒で、修道院以外ではニコロと一緒にいる時だけ発現するようにしている。
「やっぱりこの街はいつ見ても綺麗だなァー!」
「そう…だね」
朝、修道院に行く時には脇目も振らずに走っていたニコロだが、今はジーナと一緒に街中の美術品を眺めながら歩いていた。
ニコロはジーナと二人でこの通りを歩くのがたまらなく好きだった。
まだ幼なじみという域からは出れていないが、この時だけは恋人のように振る舞うことができたから。
「でもさ、俺がこの街の担当幹部になったらもっと良い所にする自信があるんだよ
そのためにも、どんどん『パッショーネ』に貢献してアピールしないとな」
「……ニコロ、あの…さ…」
「あれっ、今日はずっと晴れてたよな?」
何かを言おうとしたジーナを遮って、ニコロは不思議そうに前方の石畳を指差した。
今日のフィレンツェは朝から抜けるような青空だというのに、そこには幾つもの水溜まりが出来ていたのだ。
「ん~~、水溜まりがあるのはクレアばーさんの店の辺りだけだな」
「嫌な…感じ…」
ジーナが、外ではニコロと一緒に居る時だけスタンドを発現する理由、それはスタンドを出しているといつも他の『スタンド使い』に絡まれてしまうためだ。
普段はニコロが場を納めて事なきを得ているのだが、何となく今日は大変なことになりそうな…そんな空気をジーナは密かに感じていた。
「何にせよ、この通りを行かないとサンタ・クローチェに着かないからな」
「うん…」
それでも不安そうな顔をするジーナを見て、ニコロはじっと考える素振りを見せた後、彼女の手をギュッと握って見せた。
「これなら怖くないだろ?」
「……うんっ」
二人はぎこちない動きで何度か相の手を握り直すとまた水溜まりに向かって歩き始めた。
端から見れば、朝帰りのカップルに見えないこともない。
(ディ・モールトベネッ!)
ニコロは心の中で激しくガッツポーズをすると、ジーナと手を繋ぐ口実を作ってくれたその奇妙な『水溜まり』に(ありがとう、本当にありがとう)…彼には他に言葉が見つからなかった。
クレアのパン屋の前を“通り過ぎる”までは。
〈ちょっと、そこの男女一組。
リアルな話、お前らカップルか?〉
ヘッドフォンを通じて突然、頭の中に響き渡った知らない男の声にジーナは体をびくりと震わせる。
その声は、丁度ニコロ達が今し方通り過ぎたパン屋の方から聞こえてくるようだった。
ジーナは数秒後に現れるであろうその声の主の方へと少しずつ少しずつ振り返っていった。
「ああァ~~ちょっと、そこの男女一組。
リアルな話、お前らカップルか?」
そこに立っていたのは、恐らく30代前半と思しき男。フードを被っていて顔はよく見えなかったが、口に銜えたタバコの煙をくゆらせ、傍らにはシャベルを杖代わりにして佇む『スタンド』を発現させている。
「誰だ、アンタ?」
「俺か?俺はディズマーレってモンだ。
ところでよ、お前は『ニコロ・デ・パッツィ』で間違いないよな?
スタンド使いの彼女がいるとは聞いてなかったが」
『彼女じゃないぞ』
「俺の名前を知っている、そして『スタンド使い』……。
要件は何だよ?…っても見当はついてるけどな」
「ああ、多分お前の予想通りだよ。
だからな、大人しくその地図を渡した方が身のためだと思うぜ。
…彼女をこんな風にされたくなかったらな」
ディズマーレと名乗るその男は、ある水溜まりの近くまで行くと自分の腕を水面に突っ込んだ。
まるで抽選箱に入った当たり籤を狙いすますようにグルグルとかき混ぜる。
やがて、目当てのものが見つかったのか腕をぐいっと深みまで沈めていくと、ねちゃついた笑みを浮かべながら『何か』を引っ張り上げていく。
「婆さ…ん…?」
「クレ…アさん…?」
ディズマーレが引っ張り上げたモノを見て、二人は暫くの間、そこで何が起きてているのか認識できなかった。
目の前に掲示された現実が理解できなかったのか、あるいは理解したくなかったのかもしれない。
ともかくその間、二人の瞳には普段からよく世話になっていた老婆の、その変わり果てた姿だけが朦朧と映っていた。
「ガキにゃ刺激が強すぎたか?ん?」
ディズマーレはゴミのようにクレアの死体を水溜まりへと投げ捨てた。
ボチャリ、と鈍い水音を響かせて再びクレアの姿は見えなくなった。
「うっ…な…んで…」
ジーナは頬を流れ落ちる涙が地面に垂れるよりも先に、膝を崩して石畳の上にうずくまった。
「テメェ…!」
「おっと、やる気になったか?
そんじゃ、そろそろ始めるか…お前の地図を懸けた『殺し合い』をッ!」
「うおおおおおおッ!『ヌード・バレット』ッ!」
ニコロの雄叫びがフィレンツェの街にこだまする。
絶対に許さねえ、どこのどいつか知らねぇが血反吐ぶちまけ這い蹲らせてやる――彼は自身のスタンドにボウガンの弦を千切れんばかりに引かせると、ディズマーレの喉元目掛け発射した。
ビシュウウンッ!!
「お前のスタンドはボウガンで攻撃するのか…」
迫り来るボウガンの矢を前に、ディズマーレは『何もしなかった』
ように見えた。
ニコロもジーナも気付いていなかった。
彼の『スタンド』が杖代わりにしていたシャベルが何時の間にか短くなっていることに。
「掘り返せ、『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』……」
ガインッ!
ディズマーレのスタンド――『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』が、ズッポリと地面にめり込んだシャベルの柄をパンチングマシーンの要領で思いっきり殴り抜けた。
スタンド本来の力とてこの原理を利用したことで、易々と石畳ごと地面を掘り返す。
ビシャアアアアア!
「なんだッ!?アイツの足元から『水』が湧き出ているぞッ!」
『シャベルで掘った穴から湧き水を出現させる能力…だって』
ジーナは、泣き止んでいた。
頬を伝った涙を拭う。なんとか膝に力を込めて立ち上がり、外出用の小さなホワイトボードに震える手でマジックを走らせていく。
『私も戦う。クレアさんのためにも』
その瞳は眩いばかりの黄金の『意志』を以て、ニコロの目を真っ直ぐに見つめていた。
「『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』湧き水を掘り当てる…って彼女、なんで分かった?」
既に、湧き水の勢いは冷水機から飛び出る飲み水程度のものしかなかった。
『ヌード・バレット』の矢は、最初の噴水によって彼方へと弾き飛ばされていた。
「お前のスタンド能力は未来予知か?
ショージキに答えろ」
右足をピチャリピチャリと苛立たしげに動かして、ディズマーレはジーナに問い質した、筈だったのだが…
「駄目だッ!ジーナ、お前は逃げてシスターの所で待ってろ!」
『うるさいナルシハゲ』
「誰がハゲだッ!」
『ナルシストは否定しないんだね』
「おい、お前ら…」
「実際ハンサムなんだからしょーがないだろッ!?」
「………」
痴話喧嘩に付き合う程、ディズマーレはお人好しではなかった。
彼は『ディザスター』という犯罪組織に属する殺人鬼であり、さらに生まれてこの方彼女がいたこともない。
敢えて理由は言わないが、ディズマーレは今、非常にムカついていた。
荒々しく振りかざしたシャベルを地面に透過させる――今度は穴がニコロの方を向くように調整して、だ。
「内穴角度35゜6´穴深さ38㎝の“鉄砲水”を食らえッ!」
ブシャアアアアッ!
その勢いは暴徒鎮圧用放水車と何ら遜色ない、うねりを上げて余所見をしていたニコロに押し寄せてくる。
「ぐうッ…ぐッ!(お、押される…!)」
一歩、また一歩と後ろへ…
「退がるよなァ…これだけの水圧をまともに喰らえばしょーがないっちゃしょーがねぇが。
ま、今のお前は言葉通り『崖っぷち』って訳だ」
ズルォアッ
「な、なんだァァ~~ッ!?み、『水溜まり』がッ!」
「お前達がここに来たときに見た『水溜まり』は俺が予め掘っておいたものだ。
その全てが水深2m以上、ババアの死体と、そしてお前を沈めるには充分な深さだッ!」
「う、うおおおおおおッ!」
水溜まりの縁に足を踏み外したニコロは、地面が濡れているために踏ん張ることもできず為すすべもなく落下する
「あぶな…い」
寸前、『ザ・クアイエット・プレイス』がニコロの腕を引っ張ることで何とか落下は免れる。
全身をびっしょりと濡らしたニコロは息も絶え絶えにジーナを見た。
今の彼には、彼女が聖母マリアか何かに思えた。
「彼女…いや嬢ちゃん。
素人がヤクザの『殺し合い』にちゃちゃ入れちゃあいけねーよ?」
『黙れよ穴掘り童貞クソ野郎
地面じゃなくてママのケツ穴でも掘ってるんだな』
「………んだと?」
「ちょっジーナ、女の子なんだからもっとお淑やかな言葉で…。
ってそもそもアイツを煽るなッ!下がってろって!」
ホワイトボードに書き殴られた言葉に、ディズマーレは頭をボリボリと掻き毟ると心底面倒臭そうな顔をした。
「はあ、せっかく逃がしてやろうと思ってたのによォォ…、ええ?
これじゃあ殺すしか無くなったじゃねえかあああッ!!」
アンニュイな雰囲気が一変して、目を見開き青筋を立てディズマーレは『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』と共に猛進してくる。
「直接殴り殺さねえと気が済まねえッ!」
「それは…私も…だよ」
ガインッ!
二人のスタンドが交錯する。激しい音を立てて、拳と拳がぶつかり合う。
果たしてどちらのラッシュが『上』なのか、それは端から見ていたニコロにとっても一目瞭然だった。
『ザ・クアイエット・プレイス』の拳が数発、ラッシュの間隙を突いてディズマーレの体に打ち込まれていたのだ。
『パワーもスピードも私のスタンドの方が上
あなたに勝ち目はない』
「ぐおッ……!こ、んな筈ではッ、俺の力はァァ……。
ち、チクショウがァァ――!
……なーんてな」
“持っているはずの物がない”
ディズマーレとのラッシュの応酬が成立している時点で、ジーナは気付くべきだったのだ。
そしてそれが、ディズマーレの奥の手でもあった。
「経験が違いすぎるんだよ、俺とお前じゃあな」
「しまっ…」
『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』の右足がキラリと輝いた。
そして目で確認するよりも先に、ジーナはスタンド能力によって全てを悟っていた。
「蹴り上げろッ!」
ブオンッ!
取っ手に右足をくぐらせ、バレないように地面に透過させていたシャベルを一気に振り抜く。
スタンドの脚の長さ+シャベルの長さは、ジーナの体を真っ二つに切り裂くのには充分だった。
「ああっ…」
『音』を聴いたおかげで一瞬早く身を引けたジーナだったが、それでもシャベルの刃先が右肩を掠めた。
普通なら掠り傷程度のもので、出血はすぐに治まるのだが……
「血が…止まら…ない」
右肩の湧き水は血液と共に噴き出していた。
いくら強く押さえてもその勢いは収まらない。
赤の混じった水溜まりが、狼狽えるジーナの足下に出来つつあった。
「湧き水はシャベルで掘った物全てから噴き出してくる…。
無論、人間だって例外じゃあねえ。
早く俺をぶち殺さねえと、出血多量でお陀仏だぜ、嬢ちゃん」
「死…ぬ…?」
「おい、ディズマーレ…だったか?」
それまで呆然と二人の戦いを見惚けていたニコロが、何時の間にか立ち上がりジーナの側まで来ていた。
彼女の傷口に軽く触れる。これだけの出血だと、持って後3分といった所か。
たった3分、何もしなければジーナは死んでしまう。
こんな状況に追い込んだディズマーレを、そして自分自身の不甲斐なさをニコロは恨んだ。
「俺の女を傷付けた罪は思いぞディズマーレッ!」
『…だから私は彼女じゃないぞ』
「矢を飛ばすしか能の無いお前はッ!はっきり言ってそこの嬢ちゃん以下だッ!」
「まだ分からないだろッ!」
『ヌード・バレット』はディズマーレに狙いを定めボウガンを構える。対して、『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』シャベルを槍のように持ち、ニコロにその切っ先を向けている。
「喰らいな、俺の攻撃をッ!」
ビシュンッ!ビシュン!
先に動いたのは、ニコロの『ヌード・バレット』。今度は威力・スピードを落とした代わりに二発連続で矢を射っている。
それぞれディズマーレの喉元と右足を狙ったものだ。
「何度やっても同じなんだよな、学習しろよニコロ・デ・パッツィッ!」
一本も二本も同じ、噴水の防壁を作り出せば容易に撃ち落とすことができる。心中ほくそ笑むディズマーレは地面にシャベルを掘り込ませ、再び湧き水のシールドを展開した。
ビシャアアアッ!
「そしてディズマーレ、次のお前のセリフはこうだ…『馬鹿の一つ覚えって奴だな、ニコロ』!」
「へへ、馬鹿の一つ覚えって奴だな、ニコロ!
…ハッ!?」
湧き水が次第に枯れていく。塞がれていた視界が徐々に晴れていく最中、ディズマーレの目に映ったのは…
「なあにいいいいいい~~ッ!!?」
「この距離からのボウガンの矢は避けられないだろ、ディズマーレッ!」
自身の手前1mまで肉薄し、ゼロ距離から『ヌード・バレット』のボウガンを今まさに撃ち込まんとするニコロ・デ・パッツィの姿だった。
「コンチクショウがああああああッ!!」
ザバアアアアッ!
「コイツ、自分から『水溜まり』にッ!」
ディズマーレは、咄嗟にバックステップすると背後の水溜まりに飛び込んだ。
矢を放つ相手が不意に消えたことによって、ニコロは止まることもできずにそのままの勢いで水溜まりを飛び越え、グルグルと石畳の上を転がる。
「ハァ…ハァ…。
今のは危なかったぜ…。
後ろに水溜まりが無かったら、俺の着ている服が防水加工されていなかったら…マジで死んでたかもな」
「いってええ~~…。
クソッ!早くコイツを倒さないとジーナが…」
ニコロはすぐさま立ち上がり、同時にディズマーレは水溜まりから体を上げる。
そうして対峙した二人はただ、互いの目を見据えて微動だにしなかった。
そんな空気を嫌ったディズマーレが、おもむろに口を開く。
「そのヘッドフォン…嬢ちゃんのだろ?
俺のセリフを読む…未来の声とか音を拾える能力って感じか」
後ろでうずくまるジーナを親指で指し示す、横目でチラリと見た限りどうやら血の流しすぎで体をガクガクと震わせているようだった。
「………」
「いいか、俺は今まで何人も殺してきた…スタンド使いも含めてそりゃあ大勢だ。
だから分かる、お前にゃ俺を倒すことはできない…。
そのヘッドフォンを使っても俺を倒しきれなかったんだからな」
「…ああ、痛いほど分かったぜ。
確かに、今の俺じゃあお前に適わねぇ。
だから、『俺達』がお前を倒すんだッ!」
ガチャ…
背後で響いたほんの小さな物音を、ディズマーレは聞き逃さなかった。
後ろを振り返ると、『ザ・クアイエット・プレイス』がホワイトボードをジーナから受け取っている。
「私の…最後の攻…撃」
渾身の力を込める。
さながら鉄腕メジャーリーガーのように大きく振りかぶって、ジーナはそのホワイトボードをディズマーレ目掛けて投げ込んだ。
ギュルルルッ!
「残念だったな、嬢ちゃん。
こんな物、攻撃の内にも入らねえぜ…。」
風を切り裂き飛来するホワイトボードをシャベルで叩き割らんと、『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』だけを後ろに回す。自分はニコロと睨み合ったままで。
当然、ニコロの動きにも警戒しなければならないからだ……ん?
ドドドドドドドドド…
奇妙な事に気が付いた。
“居るべきはずのモノが居ない”
ディズマーレにはその訳を考える暇さえ残されていなかった。
そして、それこそがニコロとジーナの用意した奥の手であった。
バグォォンッ!
ホワイトボードがシャベルによって粉々に砕かれる音、そして遅れてやってきた…
ドシュウウ!
「ごッ…うぐおッ!?」
ディズマーレの右肩に深々と突き刺さる、『ヌード・バレット』のボウガンの発射音だった。
「さっき俺がお前に突進したのは…『ヌード・バレット』の射程をごく短いものだと思いこませるためだ。
遠隔操作できるなら、本体が近付く必要はない…って。
だから、あの攻撃を躱されても良かったんだよ。
ってか、お前が『水溜まり』に逃げ込むのはヘッドフォンから聴こえた声と音で分かってたしな」
「クソッ…クソォッ…」
「俺とジーナでお前を挟み込む必要もあった。
俺がお前の注意を引いて、後ろからボウガンの矢が放たれると悟られないように」
ビシュンッ!
さらに『ヌード・バレット』による追撃の二の矢。
二発目を喰らうのは流石にヤバい――ディズマーレは焦りながらもシャベルを振るおうとしたのだが…
「み、右肩が上がらないッ!」
まるでそこだけ石化してしまったかのように、ピクリとも動かなかった。
その虚を突いて、今度は左肩にボウガンの矢が突き立てられる。
「両肩共に上がらないだとォォ~~~ッ!?」
「そういや、俺の能力をまだ言ってなかったな。
『矢が刺さったモノの機能を奪う』…。
お前の両肩の機能、奪わせて貰ったぜ」
そしてこれは、ディズマーレの事実上の敗北を意味していた。
両肩が上げられなければ、矢を引き抜くこともできない。
彼はもはや、ニコロにとってただの『的』と化したのだ。
ビシュン!ビシュン!ビシュンッ!
左脚、右脚、そして鳩尾。
続け様に射掛けられたディズマーレはたまらずによろける。そして、その先には『水溜まり』が…
「うああああああッ!!
こんなッバカなななッ…」
「両脚の歩行機能、さらに鳩尾への一発でお前の服の『防水機能』を奪わせて貰ったぜ」
「がぼッくぶッ、ウグブッ……」
「クレア婆さんの分まで苦しんで死ねよ、ディズマーレ…」
「ウブブブ……」
もがく事もできず、首を2度3度激しく動かすだけで、ディズマーレは苦悶の表情を浮かべながら『水溜まり』の中にゆっくりと沈んでいった。
「…………。
死者には善悪問わず敬意を払え、がシスターの口癖だったな。
主の下で安らかに眠れよ、ディズマーレ。
…ああッ、それよりもジーナ、大丈夫か!?」
ディズマーレの死体が浮き上がってくるのを確認すると、ニコロは怪我をしたジーナの下に駆け寄る。右肩の傷からの出血は止まったらしく、既に自力で立ち上がっていた。
命に別状は無さそうだ…良かった本当に良かった、ニコロはホッと胸をなで下ろした。
だが、何だか様子がおかしい。
立っているというよりも、“立たされている”ような。
「く…ニ…コロ…」
ギリギリギリギリ…
近くまで来てようやく、ニコロはジーナの異変に気が付いた。
彼女の首を、水でできた腕のようなものが締め上げていた。
ジーナはその腕に体を無理やり起こされ、それがまるで立ち上がっているかのように見えたのだ。
「ジーナ!?何だよッこの腕はッ!」
必死で振り解こうとするが、ソレは本物の液体と同じ性質を持っているらしく何度やってもピチャピチャと水音が虚しく響くだけ。
「ジーナッ、ジーナッ!
今助けるからなッ!」
トォルルルルルル…。
もう半泣きでジーナを助けようとするニコロの耳に、無機質な電話の呼び出し音が飛び込んだ。
その音が発せられている場所は…ぐるりと辺りを見回す。
トォルルルル、トォルルルル…
間違いない。
ディズマーレの死体の方から、その音は鳴り響いている。
ニコロはこの時、ヘッドフォン越しに聴いていた。
その電話の主こそが、今ジーナを攻撃している『スタンド使い』だと言うことを。
ニコロはディズマーレの下へ駆け付けると、上着のポケットから携帯電話を見つけ出し、ヘッドフォンを外してから通話ボタンを押した。
「Pronto(もしもし)…」
「Ehi l!初めまして、ニコロさん。
僕の名前はピオ・ピオヴァーノです」
その声はまだ幼く、ニコロよりも一回りぐらい小さな男の子のものだ。
「お前がジーナを苦しめてる張本人だな…」
「ワオ!よく分かりましたね、凄いです!
話が円滑に進むと僕も捗ります!」
「いいから、電話を掛けた理由を教えろ。
いいか、間違ってもジーナを殺すなよ。
その時はお前を殺す」
「えへへ、それは困るなあ…。
じゃあですね、サンタ・クローチェ聖堂の屋根の辺りを見てもらっていいですか?」
ニコロは言われた通り、ここから100m程先にあるサンタ・クローチェ聖堂の屋根の上に目を凝らした。
すると、一人の少年がこちらに向けて手を振っているのが僅かに見えた。
「見えましたか?
それでは、隠し財産の地図をボウガンの矢を使ってここまで飛ばしてください!張り切ってどうぞ!」
「…地図を渡せばジーナの命は助かるのか?」
「はい、モチロンです!
僕はウソを吐きませんので!」
「…………」
ジーナを見た。生かさず殺さず、真綿でじわじわと締め上げるようにその命を嬲られている。
ジーナもニコロを見た。携帯電話を握り締め冷や汗を流す姿から、耳が聴こえずとも彼が何を聞かされたのかは察することができた。
「ニ…コロ?電…話?ダ…メだ…よ、相手のっ…言う…こと…聞いちゃ…」
ギリギリギリギリ…
「…分かった、地図はお前に渡すッ!
だから早く、ジーナを解放しろッ!」
「ああ良かったぁ!ありがとうございます、ニコロさん!
じゃあ、あなたが地図をこちらに寄越してから、僕もスタンドを解除しますね!」
ニコロは憎々しげに懐から地図を取り出すと、『ヌード・バレット』はそれを矢にくくりつける。
目標はサンタ・クローチェ聖堂の屋根の上。
これでジーナが助かるのなら…
ビシュウウンッ!
矢は狂うことなく飛んでいき、間もなく屋根の上の少年の、ほんの近くに突き刺さったようだ。
人影が矢を引っこ抜き、地図を開いて本物かどうか確かめているのが見えた。
「はい!本物ですね!
いやあ、ビックリしました!
なんと、僕の居るこの場所にお宝が眠っていた訳ですね!」
「ニコ…ロ…」
ジーナが苦しそうに呻く。ピオのスタンドの指が、始めよりも一層深く首筋に食い込んでいるのが目に見えて分かった。
「約束だ!早くジーナをッ!」
「はいはい、分かってますよ。
それじゃあ、……あっ」
「どうしたんだよッ!」
「すっかり忘れてました~…」
「何をだよッ!」
「僕のスタンド、『自動操縦型』でした☆」
「…は?」
ゴキンッ……
嫌な音がした。
命が潰えた音だった。
「あーあ、やっちゃった……」
「じ、ジーナ…?
嘘だろ、おいッ!!」
ニコロは乱暴に携帯電話を投げ捨てた。受話器の向こうでピオが何かを言おうとしていたが、それがスピーカーから発せられる前に『水溜まり』の中へと消えていった。
「おいッおいッ、ジーナ!」
ニコロは、ぐったりと横たわるジーナの、その胸に耳を当てた。手首に指を当て脈を計った。息をしていないか口に顔を近付けた。
しかし何度、どんな方法を使っても突き付けられるのはジーナが死んだという事実だけ。
「あああああああああああッ!!!」
天気予報では、今日は1日快晴の筈だったのだが。
ポツリ、ポツリと空から零れ落ちた雫は瞬く間にバケツをひっくり返したような土砂降りへと姿を変える。
今度こそ本物の水溜まりがニコロ達の周りに出来上がっていく。
「ぁぁぁぁぁぁ…」
ニコロの涙も叫び声も、この雨音にかき消され誰に気付かれることもない。
まるでニコロと淀んだ曇り空だけが、ジーナのために悲しみの涙を流しているようだった。
予報外れの雨は、未だフィレンツェの街にしとしとと降り続いている。
クレアのパン屋の前にはもう、ニコロとジーナの姿は見当たらない。
そこに残されたのはクレアとディズマーレの死体だけ、『水溜まり』の上にプカプカと力無く浮かんでいた。
警察はまだ到着していないらしく、周りには何人かの男達が現場を封鎖するかのように取り囲んでいる。
そんな通りのパン屋の雨除けに、一人の女が佇んでいた。
彼女はディズマーレの死体に何気なく近付き、その頬を優しく撫でる。
「敵は取るからね…」
一層強くなる雨の中、女は誰にも聞こえないくらい小さな声で囁いた。
雨の日の修道院はどこか物憂げで、無機質というか無慈悲な感じがして嫌いだった。
それでも、中にジーナが居て、いつも自分が遊びにくると笑って迎えてくれる。
厳しさの中にも子に対する優しさを持っているような、この修道院はまさに両親のような存在だった。
…今日までは。
「…ただいま」
冷たく濡れた礼拝堂の扉を開ける。
中には誰もいないようだった。
近くにある長椅子に、背負っていたジーナの亡骸を下ろした。
「ジーナ……」
動かなくなった幼なじみに、なんと声を掛ければいいのだろう。
ニコロには、その名を何度も呼んでやることしか思い付かなかった。
「ジーナァ…ジーナ、ジーナ、ジーナッ!
くそぉ…」
「ニコ…ロ…」
「…え?」
聞き慣れた、けれど二度と聞くことはできないはずのその声に、ニコロは思わず総毛立つ。
目の前にはジーナの亡骸が横たわっていて、後ろからはそのジーナの声が…。
「ニ…コロ、ごめ…んね」
あまりの衝撃に固まってしまっていたニコロに、ジーナの声をした女が抱きついてきた。
いや、声だけじゃなくて回し込まれた手の感じも髪の匂いも全てジーナのものだ―――
混乱するニコロには構わず、その女は背中に顔をうずめたまま辿々しく言葉を紡いでいく。
「私…今のまま…でも幸せだった…から。
ニコ…ロが私の…ために色々頑張って…くれてたの嬉し…かった。
なのに…」
「お前、ジーナなのか…?
どうして…」
「なのに…ニコロの…夢…叶えて…あげられな…くてごめんね…。
私、ニコ…ロと一緒に…幸せになれ…なかった。
ニコロを…幸せに…できなかっ…た。
それが…私の『罪』」
「『罪』ってなんだよ…。
俺は、俺だってお前と一緒に居るだけで幸せだったんだよ!
俺の『夢』は、ジーナと一緒にこの街で楽しく過ごすための方法でしかなかったんだよ…」
「ニコロ、私の…こと許して…くれるの?」
「当たり前だ!
ってか元々、ジーナには罪なんてないだろ?」
「ありが…とう、ニコロ。
これで私も…帰れるよ」
回し込まれた女の腕が黒い靄のようになって、その輪郭がぼやけ始めていた。
「ジーナ、最後に一つ訊いて良いか…?」
「なに…?」
「いや…やっぱりいいや」
「………」
女が、抱きつくのを止めてニコロから離れる。
すかさず振り向くと…顔は黒くぼやけてよく見えなかったが、その女は確かにジーナだった。
見た目だけじゃなく、包み込む母のような雰囲気そのものが、間違いなく彼女のものだった。
女はニコロの顔を見て一度にっこり微笑むと、持っていたホワイトボードにサラサラと何事かを書き込んでいく。
「じゃあ…ね。
ニコロと…もっと話したかったけど、もう時間がない…から」
「本当に、今までありが…とう」
「…待ってくれジーナッ!
俺はお前を愛し……」
シュウウウウウウ…
「…てた」
ニコロが言い終わる前に、女の体は全て靄になってどこかへ消えていった。
再び、礼拝堂にはニコロ一人だけが残されたのだ。
床に力無く崩れ落ちる。声を上げ、涙を流すその寸前、ニコロは目の前にホワイトボードが落ちているのに気が付いた。
恐らく、靄になって消えたジーナが持っていたものだろう。
裏になったそれを手に取り、引っくり返す。
「そうか…ジーナの『スタンド能力』をすっかり忘れてたよ」
ホワイトボードを胸に抱き、立ち上がる。その顔に悲しみの色はもうない。
ステンドグラスの中に見た聖母マリアの微笑みがジーナの笑顔と重なって、ニコロの心の中は何とも言えない暖かさで一杯になっていた。
『私も、ニコロのことを愛していました
今までも、これからもずっと、ね?』
―――ピオ・ピオヴァーノの隠れ家
「ポケモンの名前言えた なら
言われたポケモンも 嬉しい♪」
曇ったコップにオレンジジュースを注ぎ込む、仕事終わりのピオ・ピオヴァーノは非常に上機嫌だった。
彼は隠し財産の地図を手に入れた後、ニコロの報復から逃れるために一旦隠れ家へと戻ってきていた。
テーブルの上に広げた地図を指でなぞりながら、隠し財産の使い道をあれやこれやと妄想する。
「どこかでポケモンいい返事♪
どこかでポケモンいい返事♪」
「おう、楽しそうじゃねえかピオ」
「あっ、ディズマーレおかえり!
ねえ見てよ、コレ!
やっぱりさ、女は男を駄目にするよね。
アイツ、涙声で『ジーナを助けてくれええッ!』ってさ、笑いを堪えるのに必死だったよぉ。
クククケククッ!」
狂ったように笑い始めるピオだったが、とてつもなく気持ちの悪い違和感を覚え直ぐに笑顔が消え失せた。
そんなはずはない、だってこの目で全て見ていたのだから――ピオは恐る恐る後ろを振り返る。
「あれ?
ディズマーレ、何で生きてるの……?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』!」
グチャアアッ!
「いだああああああッ!?」
ピオの右肩にディズマーレのスタンドのシャベルが刺し込まれる。
深く、深く、その切っ先はピオの体を抉るように貫通していた。
水道管が破裂したかのように、傷口から湧き水と血液が噴き出している。
「な、なな、なんで…?」
「痛い?苦しいかしら?
でもね、あの子の方がよっぽど苦しんだの」
玄関の方から唐突に女の声がした。
柔らかで、透き通った中に確かな殺意が感じられる声だった。
「あなたにあの子の苦しみは分からない。
人間の心が無いあなたには…。
人間の心がないものに神は微笑まない」
「誰なの…?
どうし…て、ディズマー…レが?」
ピオは霞んでいく視界の中で、暗がりに立つその女の姿をかろうじて捉えた。
顔は影になっているが、修道女のような風貌、そして胸元に下げられた十字架の先に見えたのは…
「『パッショーネ』の人…?」
「…これは私の『ファミリー』に手を出した罪よ」
『REEEEEEEEEEEE!』
女の体から、黒い妖精のような姿をしたスタンドが飛び出してきた。
十字架を背負ったそのスタンドは、間髪入れずにピオの額にちょこんと触れる。
ピオは、この時ほど自分のスタンドが『自動操縦型』であることを悔いたことはなかった。
自分の居場所が見つかれば、相手の攻撃に対してなす術もない。
「引きずり出しなさい、『モノブライト』」
ズルゥ……
黒い、見ているだけでどうしようもなく気分が悪くなるような『塊』が自分の額からズルズルと引っ張り出されていく。
「よく見なさい。
これがあなたの『罪』」
『塊』はディズマーレの横にまで運ばれると、まるで生きたまま抉り出した心臓のように脈打ちながら何かの姿に変わっていく。
「こ、これは僕…?
僕がもう一人いるゥゥゥ~~ッ!?」
「『U I R 1』、君は死ぬよ。
苦しんで苦しんで苦しんでね!
ククキキキッ!」
『塊』が取った姿はもう一人の自分、『罪人ピオ・ピオヴァーノ』の写し身。
その『罪』は殺人。今まで数え切れないほどの人間を殺してきたピオに、同じく数え切れないほどの罪が雪崩れ込んでくるのだ。
ビチャアア…ググッ!
「うッぐるじッ!ああッ!
ガッハッ…やめ…ろ」
ギリギリギリギリ…
「オ…バサン、僕達にッ喧嘩売ってグッ、ただ…で済むとはぁッ、思って…るの?」
「お前達がどんなに強大な組織であれ、私の街で勝手をすることは許さない。
パッショーネを、私達を舐めるんじゃあないッ!」
ギリギリギリギリ…
「はッはッうぅ、カッハッ………………」
何度か息を吸おうと舌を出し口を広げるピオだったが、急に目をカッと見開いた後、ぐったりと頭をもたげた。
体からは力が抜け落ち、血と水でぐっしょりと濡れたソファにあるのはまるで糸の切れた人形のようだ。
「……地図は?」
女はピオに向けて十字を切った後、部屋の中に踏み入った。
幸い、テーブルの上に広げられていた地図は殆ど汚れていない。
飛び散った血をレースのハンカチで軽く拭き取り目を落とす。
「……これは!?」
―――3週間後…
「ニコロ、本当に行くのね…」
「ああ、『パッショーネ』で出世するには暗殺チームに入って実績を積むしかないと思ってな。
丁度、暗殺チームは今建て直し中で『あんな事』があったから誰もやりたがらねぇみたいだし」
「…本当に出世が目的なの?」
「…………」
礼拝堂の扉に手を掛けたニコロは、振り返らないままに言う。
「最近、『ディザスター』とかいう奴らがイタリアの至る所で悪さしてるって聞いてさ。
俺も俺なりに、この街つーか国を守りたくなったの!…ってそれは言い過ぎか」
「そう…、分かったわ。
それなら私も止めないからね」
「へへへ、俺がいない間シスター!
この街は任せたからな!」
「…私はただのシスターよ?」
「ハハハ、そりゃそうだ」
扉をギイっと開けると、溢れんばかりの朝日が礼拝堂の中に流れ込んできた。
真っ白な光に包まれたニコロは、襟元を整えコホンと咳払いをしてから、
「それじゃあな、シスター…ジーナ」
最後の方は聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、その余韻も残さずに礼拝堂から出ていった。
「ニコロ…」
実際の所、ニコロは私が『パッショーネ』の幹部だと薄々気付いていたのかも知れない。
パッツィの隠し財産の地図の地図は、地下の見取りはそのままに在処だけが分からなくなっていた。
『ヌード・バレット』の能力が作用してるのは明白だった。
あの時、何があったのかは分からないけれど。
ニコロは地図とジーナ、つまり二つの夢を同時に奪われたことは間違いないし、夢を失った彼がこれから何を生き甲斐とするのかも予想がつく。
だけど、それは決して後ろ向きで悲しいものではないと私は思う、というよりも願っている。
礼拝堂から出て行く時に見えたニコロの、純白の朝日に満ちたその瞳の透明感を信じて。
使用させていただいたスタンド
No.727 | |
【スタンド名】 | モノブライト |
【本体】 | シスター・アイリス |
【能力】 | 触れた生物の「罪」を形にして引きずり出す |
No.5768 | |
【スタンド名】 | ヌード・バレット |
【本体】 | ニコロ・デ・パッツィ |
【能力】 | 放った矢が突き刺さった物体の機能を失わせる |
No.1624 | |
【スタンド名】 | ザ・クアイエット・プレイス |
【本体】 | ジーナ・アルバーズィア |
【能力】 | 能力射程圏内の『数秒後の音』をヘッドホン越しに伝える |
No.6149 | |
【スタンド名】 | ラプチャー・オブ・ザ・ディープ |
【本体】 | ディズマーレ・アックーザ |
【能力】 | 湧水を『掘り当てる』 |
No.5345 | |
【スタンド名】 | U I R I(ユープラスアイ・アール・ワン) |
【本体】 | ピオ・ピオヴァーノ |
【能力】 | 水溜りの状態で標的を追跡し、標的の足元にいるときに腕で攻撃する |
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