個人情報
- ふりがな:ふじた すすむ
- 生年月日:1929年11月22日
- 出身地:奈良県奈良市
- 最終学歴:奈良県立奈良高等学校 卒
- 没年月日:不明
- 本業:フジチュー株式会社 元代表取締役会長(商品取引業、後にMMGアローズ株式会社となるも破産)
- 家族:藤田三郎(父、馬主)、藤田庸右(弟、馬主)
馬主情報
- JRA馬主資格取得年:不明
- 冠名:ハッピー
- 冠名の由来:不明
- 服色:緑、黄元禄、桃袖緑一本輪
- 配色由来:不明
- 重賞競走勝利数:5勝
- 初重賞競走制覇:1982年 CBC賞
- GⅠ級競走勝利数:1勝
- 初GⅠ級競走制覇:1984年 安田記念
解説
概略
ハッピープログレスの馬主として知られている人物。今現在名を馳せる藤田晋 (サイバーエージェント)とは同姓同名の別人であり、通説では安藤建設の元社長の人物であるとされていた(例えばニコニコ大百科の記事藤田晋)。だが、主題の晋氏の所有馬が1989年を最後に居なくなったのちに同じ服色を用いた藤田庸右氏の存在がある一方、安藤建設の方の藤田晋氏の親族に「庸右」という人物が確認できないことなど、安藤建設の人物と断定するには不確定要素が多々存在した。そこで、複数の資料を調査した結果、関連名義との姓名の一致などから、大阪にかつて存在した「フジチュー」という企業の人物の可能性が高いと分かった。
調査内容
POGDBに存在する主題の藤田晋氏の関連名義は「藤田庸右」「藤田三郎」の2名義。先述の通り2人との間柄は実弟と父であり、『人事興信録』第25版 下で確認することができる(なお藤田晋の戸籍上の表記は藤田「晉」)。フジチューは1961年頃、藤田晋氏によって大阪府に設立(『全国繊維企業要覧』1990 西日本篇、『奈良県年鑑』1971)。経営者の父を会長(『奈良県』)、弟を営業部長(『繊維企業』)に据えて始まり、1969年には庸右氏が社長となり晋氏は会長へ就任した。馬主としては1989年5月のハッピーダンデイの勝利した下鴨ステークスが最終出走で、同馬もこのレースを最後に引退しているため名義変更などもなく、馬主廃業が死去によるものかは断定できない。もし現在も存命であればかなりの高齢となるが、現在の消息に関しては残念ながら情報が見つからなかった。しかし、庸右氏が晋氏の服色に変更しているということを踏まえると、やはり最終出走の近辺に亡くなられている可能性も十分に考えられる(但し、庸右氏が服色を変更した時期は不明)。なお、当記事では所属馬主協会を中京としているが、これは2012年まで馬主であった庸右氏の所属が中京であるため。晋氏は他の協会に所属していた可能性もあるのでその点はご留意いただきたい。
フジチューの末路
2004年、藤田栄作氏(庸右氏の長男。人事興信録より)に代替わりしたフジチューは、外資「モルガン&モルガングループ」による出資に応じ「MMGアローズ」に社名を変更した(先物協会ニュース 平成16年7月号)。その後2006年4月、証券取引法66条に認められる違約行為が発覚(MMGアローズ株式会社に対する検査結果に基づく勧告について)、業務停止・改善命令が出される事態となった(MMGアローズ株式会社に対する行政処分について)。残念ながら会社は再生することなく、間もなく破産手続きの開始が決定される(日本商品先物取引協会「会員の異動」)。1961年から続いたフジチューはここで歴史の幕を下ろしたこととなるが、現在、会社が所在していた住所には「有限会社フジチュー・フューチャーズ・クラブ」という会社が存在しているのが確認できる(業種等は不明)。
余談
フジチューは、オリンピックにも出場したバドミントン選手の水井泰子氏などを擁していたこともあり、スポーツ事業に力を入れていた模様である。実際に庸右氏もバドミントンで国体への出場経験がある(先物協会ニュース 平成14年10月号)。庸右氏は晩年は日本レディースバドミントン連盟名誉会長を務め、2021年12月に逝去している(同連盟「あゆみ」)。
登場文献・ウェブ記事
特になし。というか長かった。多分当データベースの個人記事では最も力が入った記事になるのでは?