巡りゆく星たちの中で > 条約

ポータル艦エルニウスがラヴァンジェの軌道居留地へ向かう航路上、ピースギアの作戦統合室では緊張感のある会話が続いていた。

 静かな航行の最中、通信端末に新たな暗号化データが着信した。送信元はセトルラームの外務部門、ただしその本文には、驚くべき内容が記されていた。

イズモ「……来たな。セトルラームから“技術包括提携協定の拡大提案”。ラヴァンジェも同枠に招き入れたいと明記してある。」

カエデ「正式打診……というより、かなり踏み込んだ提案ですね。“三国による技術交流の常設機関設立”まで構想に入っているとは。」

 綾音が手元の端末で内容を素早く確認し、淡い光の中に表情を引き締める。

綾音「意図は明白ね。セトルラーム側は今回の交渉をチャンスと捉えた。ピースギアとラヴァンジェが信頼関係を築けば、第三極の設立――つまり、既存の共立世界構造に対抗しうる“新しい調停軸”の形成が可能になると考えているのよ」

イズモ「その可能性を歓迎すべきか、警戒すべきか……判断が分かれるな」

カエデ「ただ、セトルラームの意図が悪意でないのは確かです。むしろ、未来を共に築くための“戦略的賭け”でしょう」

綾音「ええ。少なくとも、“排他性を打破したい”という姿勢は本物ならば――それに応えない理由はない」

 スクリーンには、ラヴァンジェ軌道上に広がる居留地の構造図が映し出される。彼らの技術は緻密で、文化的様式が色濃く反映されていた。

綾音「イズモ、ラヴァンジェ側に提案を伝えて。セトルラームとの技術包括提携を三国体制へ拡大する意志がこちらにあること。そして、会談後には正式な三者会議の招集を希望する、と」

イズモ「承知。先方の代表クロイシア氏が乗り気なら、すぐにでも調整を進めよう」

カエデ「協定内容の基盤は既存のセトルラーム条項を踏襲しつつ、ラヴァンジェの文化的自律性に配慮した条文を追加するべきでしょう。“独自技術の尊重”と“非軍事的応用技術の優先交流”を明記する必要があります」

綾音「それが重要。ラヴァンジェにとって、外部との技術共有は“歴史的な試練”なのよ。過去の侵略記憶も、今もなお根強い。だから、こちらが“学ぶ姿勢”を示す必要があるの」

 テーブルに投影された協定草案に手を加えながら、綾音はさらに言葉を続けた。

綾音「この協定は、単なる技術共有ではない。“価値観の接続”よ。例えば——現象魔法はラヴァンジェ独自のもので、私たちには再現できない。セトルラームのタクトアーツも同じ。ピースギアのエレメンタル・シンフォニーもまた」

イズモ「それぞれが唯一無二の力を持つ。だが、それを“軍事のため”だけに囲い込めば、信頼は失われる」

カエデ「だからこそ、共有は“平和的・自衛的応用に限る”と明文化しましょう。」

綾音「いい案ね。それならラヴァンジェ政府も納得しやすいはず。翻訳デバイスや空調装置も、ただの“機械”ではなく、“文化を運ぶ媒体”として扱うことができる」

 スクリーンに投影されたラヴァンジェ代表団の情報には、彼らの文化における“技術と精神の融合”の価値観が細かく分析されていた。

綾音「……交渉は、ある意味で“信仰”に近い。私たちが信じる未来、彼らが守ってきた過去、その間に橋をかける。それが、ピースギアの本当の任務なのよ」

イズモ「ならば、セトルラームの提案に“未来への構築”という意味を与えよう。」

綾音「……承認。条約名は『技術包括提携枠組み条約』。次の段階に進むわ。全員、ラヴァンジェとの会談に向けて最終準備を」

 窓の外では、エルニウスがラヴァンジェ居留地の高層空間に進入していく。青い光の海を滑るように、艦はその存在を静かに主張していた。

綾音「未来は、選び取るものではない。“共に築く”もの。だから、私たちは向き合う。異なる世界と、異なる思想と。そして、そこにこそ、希望があると信じているから」

会談は予想以上に円滑に進んだ。

 ラヴァンジェ代表の表情は終始硬かったが、翻訳デバイスの実演そしてピースギア側の誠実な態度に、会談終盤には明確な柔らかさが生まれていた。
そして、セトルラームとピースギアの共同で提出した技術包括提携枠組み条約案は、ラヴァンジェ政府の承認を受け、正式に可決された。

 それから数時間後。

 ピースギア・エルニウス艦内、作戦統合室。

 ラヴァンジェとの通信スクリーンが静かに消灯され、再び室内に静寂が戻る。

綾音「……これで正式に“共に未来を築く体制”が整ったわ」

 綾音の口調には疲労の色もあったが、それ以上に確かな手応えと安堵があった。

カエデ「ラヴァンジェの外交文法は非常に象徴的です。表面上の合意よりも、“内なる理解”が重視される文化。その意味でも、今回の成果は大きいです」

綾音「ただの契約文書じゃない。“思想と未来の共有”よ。これで、ピースギア・セトルラーム・ラヴァンジェ、三つの世界がひとつの円環として機能し始める。共立世界に新たな均衡点が生まれたのよ」

 中央のテーブル上に、三者の紋章が並び、ホログラムとして輝いていた。ピースギアの“守護の翼”、セトルラームの“均衡の星環”、そしてラヴァンジェの“流転の樹”。
最終更新:2025年08月02日 20:07