健康に関する法律と宗教

By tacchi


Motion:THW prevent religious institutions from influencing laws regarding health.(宗教団体が健康に関する法律に影響を及ぼすのを防ぐ)


健康に宗教がからむとなると、薬物に関する問題が考えられるかな、と思いました。



1 現状分析


  • 信教の自由についてWikipediaから

『信教の自由は宗教に関する人権の一つ。17世紀のヨーロッパにおける市民革命の多くが宗教的自由の獲得・擁護を背景とする性格をも持っていたため、人権の中でも最も重要かつ古典的なものの一つであると考えられることが多い。
今日では世界各国の憲法や「世界人権宣言」や「国際人権規約」の中でも保障されている自由の一つである。』

日本国憲法で触れられている信教の自由について、

『個人が自由に好むところの宗教を信仰し、宗教的行為(礼拝・布教など)を行い、宗教団体を結社する権利。
宗教を信仰するかしないか、するとしてどの宗教を選択するか、自由に決める権利。および信仰を強制・弾圧されない権利。
宗教を信仰していたり、していなかったりすることによって、いわれのない差別を受けることのない権利。
上記の権利を確保するために、国家が特定の宗教について信仰の強制・弾圧・過度の推奨などを行う事を禁ずる制度(いわゆる政教分離)を行うこと。 』

世界人権宣言より、

『第18条 すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。』

アメリカ合衆国憲法より、

『 修正第一条 連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律、または言論あるいは出版の自由を制限し、または人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。』

イスラーム国家について、

『イスラーム国家においては、イスラームの絶対的優越が国是となっている。そのため、ムスリム(イスラーム教徒)のみに完全な信教の自由が与えられる(ただし、離教の自由はない)。その他の信仰に関してはズィンミーとして一定程度の人権を保障することが通例だが、場合によっては信教の自由を完全に否定され剣かコーランかを突きつけられることもある。概して同系の宗教を信ずる啓典の民がズィンミーとなりやすく、それ以外の信仰に関しては政府の扱い次第である。』





2 問題点


  • 薬物乱用が正当化されるおそれ

下記のマリファナ使用を正当化する男性の事例からわかるように、宗教的な儀式や信仰において薬物を使用することを、信仰の自由や身体の自由などの観点から合憲とし、政府が宗教活動に干渉することを制限するような法律を求める動きがある。



3 メリット&デメリット


メリット

  • 薬物乱用に対する規制にもなる
  • 科学的根拠のない意見を法律に反映しない→適切に人々の健康を守れるよう


デメリット

  • 信教の自由を侵害するおそれ




4 具体例


boston.com NewsよりAriz. court rejects religious defense for pot useという記事から。
アリゾナ州での薬物使用と宗教観に関する事例です。()内は要約。

The unanimous ruling rejected Danny Ray Hardesty's argument that he was entitled to use the same defense allowed for peyote use in Native American sacramental rites.
(ダニー・レイ・ハーデスティは、ネイティブアメリカンが儀式でペヨーテ(幻覚剤)を使うことが許されていることと同じく、自分にもそのような資格があると主張した。)

Hardesty said he belonged to a church whose main religious sacrament is allowing individual families to establish their own modes of worship."Hardesty's mode was to smoke and eat marijuana without limit as to time or place," the court opinion noted.
(ハーデスティの属する教会は、個々人が自分の信仰方法を作ることを許可している。ハーデスティのそれは、いつどこででもマリファナを使用できる、というものだった。)

Along with claiming a state constitutional protection that the Supreme Court said it didn't need to address, Hardesty sought to apply 1999 state law prohibiting government from burdening a person's exercise of religion except when there's a compelling governmental interest and when government uses the least restrictive means.
(ハーデスティは、止むを得ない政府の事情があり最小限の制限をする場合を除き、政府が個人の宗教活動に負荷をかけることを禁ずる法を作るよう求めた。)

The justices said it's already been established that concerns about public safety and health give the government a compelling interest in restricting marijuana use.
(裁判官は、政府がマリファナ使用を制限するような、市民の安全と健康に関する法律はすでにあると述べた。)

And the court concluded that Hardesty's claims that he has a right to use marijuana whenever he pleases, including while driving, means nothing less restrictive than a ban would suffice.(また、ハーデスティの、いつどこででもマリファナを使用する権利があるという主張は、制限するに足ると結論づけた。)


最終的にこの男性は有罪となりました。





参考資料





09/10/02 nagata
いまいちわかりにくいモーションだねえ。
ちょっと思いついたのは、延命拒否とかってこの論題に当たらないかな?
エホバの証人とか脳死判定とかホスピス云々とか。
一応以下に参考資料をはっつけてみます。


(引用)
医療行為に関して 
種痘、ペニシリン、ワクチンは血液を穢す理由から禁止されたと一般に理解されたが、これは信徒以外の誤解であって、当時はまだ安全性に不備があるので警告しただけであって、現在は差し支えないという立場をとっている。 臓器移植、骨髄移植の禁止もこれに並ぶ。 輸血(全血)は「血を避けなさい、食べてはならない」という聖書的根拠により罪とされているが、自己輸血(自己血液の一次保存後に再輸血)、血液分画の使用は個々の良心に従い決定する

さらに輸血拒否の項目ページ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%B8%E8%A1%80%E6%8B%92%E5%90%A6#.E3.82.A8.E3.83.9B.E3.83.90.E3.81.AE.E8.A8.BC.E4.BA.BA.E3.81.AE.E4.B8.BB.E5.BC.B5.E3.81.A8.E3.80.81.E3.81.9D.E3.82.8C.E3.81.AB.E5.AF.BE.E3.81.99.E3.82.8B.E6.89.B9.E5.88.A4)から
(引用)
輸血拒否には、信教の自由や子供の人権といった「法的見地」からだけではなく、「宗教的見地」、「医学的見地」などの面から議論や各立場からの主張があり、その議論はマスコミでも頻繁に取り上げられている。
1985年の事件(1985年6月6日、神奈川県川崎市で宣教学校の準備に向かう途中の男児(当時小学校5年生)が交通事故に遭い、搬送先病院における輸血を伴う手術をエホバの証人の信者である両親が拒否。当病院は、無輸血手術も無輸血手術を行う病院への転院も拒否し、男児が死亡。) のように、子供に対する輸血を、信者である親が拒否する場合には、子供の人権が問題となるが、この点エホバの証人は、輸血拒否について、子ども自身も意思表明していると回答している。また、エホバの証人は、保護者による子供の輸血拒否は、民法第818条の親権(特に監護権(第820条))の範囲内で認められると言っている。
また、輸血の危険性や輸血の代替手段について強く訴えている。実際、無輸血治療の実績がある病院や証人たちに協力的な医師や病院も存在する。
信者の子供への輸血を親が拒否する件は、一般論として、小学生程度の年齢では、輸血拒否についての判断能力や自己の宗教観・人生観を確立しているとは考えられず、法律上同意は無効と解される。法律関係者らの中には民法第1条第3項にある権利濫用にあたると主張する者も多い。そのため、保護者の権限行使といえど子供の生死を決することまでは許されず、権利の濫用であって認められないと批判している。彼らは、子供の生命を危険にさらす的外れな行為であり、正当な監護権の行使とは認められないと主張している。また、法解釈によっては、保護者が保護責任者遺棄罪に問われる可能性もある。

※こういう事件が起こったとき「宗教上の教義は生命云々とは切り離せや」VS「んなことできるか」という対立構図が生まれうる…?

さらに「健康」という言葉からすれば、エホバの証人の「&bold(){兵役拒否の他、格闘技や護身術の習得さえも忌避する}」という教条もありかもしれない。
参考)神戸高専剣道実技拒否事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%AB%98%E5%B0%82%E5%89%A3%E9%81%93%E5%AE%9F%E6%8A%80%E6%8B%92%E5%90%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(引用)
公立学校の生徒が、自己の宗教的信条に反するという理由で、必修科目である剣道の履修を拒否したため留年処分となったうえに、次の年も留年処分となったため、学則にしたがいその退学処分にした処分に対して、違法であると取消しを求めた国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟である。学校教育における信教の自由の保障が争われた憲法学上著名な判例のひとつである。

↓双方の主張
原告(元生徒)
必修の体育科目の一部である剣道の授業を拒否した生徒に対して、学校側はレポート提出等の代替措置を一切認めず欠席扱いとし、最終的には退学とした学校側の措置は裁量権の逸脱である。
学校側による剣道の履修の強要は、日本国憲法が保障する信教と良心の自由を侵害する行為である。
他の学校では同様な格闘技の授業を拒否する生徒に対し代替措置が行われている。また高等専門学校において剣道実技の履修が必須のものとはいえない。
被告(学校側)
学校入学時の募集要項に必修科目の事が記載していたはずであり、単位として取得できなければどのような措置になるかが周知されていたといえる。そのため履修拒否することは最初から予期していたはずだ。
原告が主張する代換措置を学校が認めたら、特定の宗教の信仰を援助支援したことになり、日本国憲法20条3項の政教分離に反することになる。信教の自由による行為が常にその自由が保障されるというものではない。信教の自由を制限して得られる公共的利益の方が学校運営上必要である。

↓判決
第一審 
1審の神戸地裁は学校側の主張を認め、原告の請求を棄却した。これは宗教的信条が「加持祈祷事件」(最高裁昭和38.5.15)の判決で示された、「信教の自由の保障する限界を逸脱し」かつ「著しく反社会的なものである」であれば、法的保護を与えることが出来ないとした判例を基にしたものであった。

抗告審・上告審 
しかし、大阪高裁および最高裁は、地裁の判決を破棄し、学校側による一連の措置は裁量権の逸脱であり違憲違法なものであったと認定し原告の主張を認めた。最高裁第2小法廷が1996年3月8日に全員一致で出した判決文の主旨によれば、『他の学校では同様な格闘技の授業を拒否する生徒に対し代替措置が行われている』とし、『高等専門学校において剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、他の体育科目による代替的方法によってこれを行うことも性質上可能である』とした。

一連の学校側の措置については、『信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなかったが、生徒の信仰の自由に対して配慮しない結果となり、原級留置処分の決定も退学処分の選択も社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない』として、学校側の処分取り消しを決定した。

なお学校側が主張した生徒の行為を認めたら日本国憲法20条3項の政教分離に反するか否かであるが、『代替措置を講じることは特定の宗教に対する援助をするわけではない』として、特定宗教の援助にはあたらないとした




ちょっと苦しいけど、一応以上です。

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最終更新:2009年10月02日 09:56
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