第585話:砕け散る鎖 作:◆5Mp/UnDTiI
そして、第四回目の放送が終了した。
隻腕の傭兵は複雑な心境でそれを聞いていた。ダナティア・アリール・アンクルージュの死。
それは彼が胸の底で思い描いていた計画の一端が崩壊したことを意味する。テレサ・テスタロッサを殺した仇とも言える人物がいなくなったことを意味する。
それらの事実を前にして、相良宗介の胸中は渾々沌々の様相を呈した。自分でも理解できない感情のグラデーションが、勝手放埒のままに広がっていく――
自分自身の心の有様に危惧を覚え、宗介は胸中を鋼色に塗り潰した。
(……いや、これでいい。あの集団が機能しなくなれば――少なくとも旗頭がいなくなれば混乱する――俺達はこのまま美姫と、この佐山という奴の庇護下にあればいいだけだ)
あくまで合理的な思考に徹する。
自分が何かに失敗したわけではない。むしろ脅威になりかけていたダナティアが消滅したことで有利になったとさえいえる。そう判断する。
だが胸の内は晴れない。心を冷たく塗りつぶしても、その下では極彩色のうねりが音を立てて蠢いている。
それは、あの集団が無用な殺人を許容しない性質のものであったからだろう。
個人的な心情を抜きに正常な価値観で見れば、あの集団は尊いものといって良かった。誰かにとってはきっと希望だった。
しかし、それは失われた。
この島ではそんなことは容易く起こりうる。そんな事実を突き付けられた。
だから、もしかしなくとも。
自分たちがこの島から出られるという希望など、同じく断たれるものなのではないかと――
(俺には……なにも、ない)
絶望は絶望を呼ぶ。
相良宗介を襲った絶望は、さらに彼の無力を糾弾する。
いまの自分には何もない。美姫のような力も、テレサ・テスタロッサのような英知も。
ダナティアたちの置き土産となった雲が吹き払われた空を見上げて、悔恨にも似た感情をかみ締めた。
この島からの脱出を、あるいは他人を脱出させることを目指すにしては笑えるほど脆弱。それが今の相良宗介という人物だ。
そんな自分に、いったい何ができるというのか――
「宗介……」
ふと、頬にひんやりとした感触。
気付けば、千鳥かなめの指先が口端に添えられていた。そこから小さな痛みを感じる。
「血が出てるわよ?」
指摘され、ようやく理解する。気づかぬ内に唇の端を噛み、そして噛み千切ってしまっていたらしい。
「あ、ああ――問題ない。大した傷では……」
そう言い掛けて、口が開かれる度にピリッとした痛みが疼くことに顔をしかめる。どうやら頬に剃刀を当てるのを失敗した、という程度の傷でもないらしい。
口の中に広がる鉄の味は、痛みの起点からじんわりと広がりつつあった。とはいえ傷の位置からすると、専用の医療品でもない限り効果的な治療は難しいだろう。放って置くには煩わしく、さりとて大慌てするようなものでもない。そんな怪我だ。
痛みに顔を歪めた宗介を心配するように、かなめも眉を曇らせる。
「ほら無茶しない……って言っても、あたしも何かできるわけじゃないけどさ。リップクリームでも持ち合わせてりゃ良かったけど……」
はは、と力なくかなめは笑った。
ほぼ身一つで拉致されたのだ。私物は着ている服と精々ポケットに入っていたちり紙くらいのものである。
頬をぽりぽりと掻きながら、かなめは宗介を見やった。正確には、その傷口を。
唾液に紛れて薄く滲んだ血がぬらぬらと光っている。かつての――美姫に血を吸われた自分なら、その赤に心配以外の感情を向けたかもしれない。
だが今はそれが無い。体は完全に人に戻っていた。一応、美姫は約束を守ったということだろう。あるいはかなめにも分からないくらい小さな影響は残っているのかもしれないが、そんな小さな差異ならないも同然だ。
そう。千鳥かなめは人間だ――ただの人間なのだ。
「……ねえ、宗介」
だから、決して口にはしないと決めていた問いが、彼女の口から零れ落ちる。
「正直に言ってよ――あたし、足手纏いになってる?」
彼女の言葉に宗介の目が見開かれる。その表情の変化を見て、やはり止めておけばよかったとかなめは一瞬前の自分を罵倒する。
予感はあったのだ。この質問を口にすれば、後悔するだろうという予感は。
だが制止が効かなかった。
千鳥かなめはどちらかといえば行動力のあるタイプだ。むしろじっとしていられない人種とでも言おうか。
その彼女がここ数時間、ほとんど何も出来ずに美姫の後をついていくことしか出来ないという現状。
そこにこのゲームから脱出できる光明が全く見出せずにいるという不安も合わさり、彼女はいつになく弱気になっていた。
だからあの質問だ。この悪趣味な舞台から逃げ出せる可能性はただでさえ低い。ウィスパードが得ることのできる『存在しないはずの技術』を総動員しても、こんな馬鹿げたゲーム盤は造れない。
そのただでさえ低い可能性を、千鳥かなめという存在はさらに狭めていないだろうか?
ウィスパードの知識は役に立たず、そしてそれを除けばごく一般的な女子高生であるところの自分は、一流の傭兵である相良宗介の足枷になってはいまいか?
彼の左手の代わりになりたいとは思う。だが果たして自分は左手に成りうるのか?
そんなかなめの表情に、どこか焦燥のような物を覚えながら、宗介は頭を振る。
「そんな、ことは――」
「宗介があたしを守ってくれてるのはミスリルの仕事だからでしょ?」
確かに、そうだ――宗介は声に出さず肯定する。
ウルズ7の任務はエンジェルの護衛。だからこそ、この島に来ても彼は護衛対象である千鳥かなめのことをすぐに考えた。
そもそも硝煙と銃弾の中に身を置く自分が、普通の学生でしかなかった千鳥かなめと出会った。その由からして"ミスリル"なのだ。
「でもそれなら――もう、いいんじゃない? テッサは……死んじゃったんだから。ミスリルの仕事を果たす意味ってまだある?」
無いのかもしれない。宗介はどこかぼんやりとそんなことを思った。
自分は所詮傭兵だ。今のところはミスリルという組織に身を置いてはいるが、本質は変わらない。自分が組織に繋ぎとめられているのは契約があるから。給金を支払う限り、それに見合うだけの責任を果たすことを組織は要求する。
だがテレサ・テスタロッサは死んだ。無論、人事一切に至るまでを彼女が取り仕切っていたというわけではないが、それでも彼女はミスリルの一部隊である<トゥアハー・デ・ダナン>の長だ。
それで反故になるようなあやふやな契約でもないが、この外部から隔絶された空間で唯一の上官が死亡した以上、ミスリルとの契約にさほどの強制力はないように思える。
(というよりも――ない、な)
宗介はまるで心臓が凍りついてしまったかのように、冷たく胸中で思考を巡らす。
戦闘的な意味において、千鳥かなめが果たせる役割は多くない。おそらく、左腕を失った自分よりも少ないだろう。
ならば彼女は重荷でしかない。戦場でのデッドウェイトは文字通り死に繋がる。
――仮にこの異常な空間から脱出を果たすことが出来たとして。
クルツ・ウェーバーとテレサ・テスタロッサが死亡した以上、ミスリルへの説明責任があるのは自分だけだ。
それはつまり、報告の内容をどうとでも改竄する事ができるということを意味する。
もとよりこの常軌を逸した催し事に関して、ミスリル上層部を納得させられるような論理を自分は構築できない。
ならばその報告はどうあっても荒唐無稽なものになる。そこに一抹の虚偽を混ぜてもばれないほどに。
例えばここで相良宗介が千鳥かなめを殺害したとしても、それを別の誰かが犯した行為にすりかえることが出来る。
上官、ならびに護衛対象をむざむざ殺害されたという事実は自分の傭兵としてのキャリアに致命的な傷を残すだろうが、それは左腕を欠損してしまった現状をみればいまさらなことではあった。
貯金も無いわけではないし、ミスリルは退職金も出る。悠々自適な老後――というには早過ぎるだろうが、しかし残りの人生を送るにあたって何かに困るということはないだろう。
――そこに、千鳥かなめが居ないという一点を除くとすれば。
「――難しいことを考えるのは得意ではない。俺は成績が悪いからな、チドリ。君に宿題を手伝ってもらわねばならないほどに」
気づけば、そんな言葉が相良宗介の口を衝いて出ている。
相変わらずのむっつり顔で、宗介は千鳥かなめの瞳を覗き込んだ。いまいち唐突さのある此方の言葉に、彼女は疑問符を浮かべている。
それも仕様の無いことだろう。宗介は思う。自分も、自分が何を考えているのかよく分からない。この結論は何に基づくものなのか。
(そう、難しいことを考えるのは得意ではない――これは非常に難しい問題だ)
心臓から送られてくる凍て付くような痛みの正体。それが何かも分からない。
自分の、傭兵の論理で式を解けば、ここで千鳥かなめを切り捨てるべきだと解は出る――それに逆らうのは何故かと言う事さえも、分からない。
確かな事実は、唯一つ。
「だから、その……チドリ。やはり、君に手を貸して欲しい。君が居れば、きっとこの難しい問題も解けるだろうと俺は確信している。今までも、俺は君に助けられてきた。そして出来ればこれからも――俺を見捨てないで欲しい」
相良宗介は千鳥かなめを切り捨てられない。それだけだ。
いつに無く舌の回る傭兵を前に、千鳥かなめはきょとんとした表情を見せる。言葉の内容は支離滅裂。それでも、何とかその内容を噛み砕き――
(……えーと、その、なに?)
自問から導き出されるのは羞恥にも似た感情。
彼女の頬に差す朱色は、この舞台には全くもって似つかわしくない。
つまりこれは……そういうことだろうか?
そういうこととして受け取っていいのか? いや、この朴念仁を練って固めて成型したような男にそれを期待するのは酷か? それを確認するにはただ一言を口にすればいい。だけど、それでやっぱり期待はずれだったと分かってしまえば――
「……チドリ? その、だな――」
「う――」
気づけば、あいつの顔が此方を覗き込むような超近距離にある。
それを認識した瞬間、すぱーん! と夜空の下に景気のいい音が響き渡った。
「……やはり見えなかったぞ、チドリ。君は格闘技の才能もあるんじゃないか?」
平手で打たれた額を擦りながら、宗介は呻いた。
対して、かなめは何やらどんよりと暗い表情を浮かべている。
「……やめて。へこんでる所に追い討ちかけるなんて男のすることじゃないわよ」
「追い討ち? 追い討ちとは何を意味して――」
「そうやって追求すんなっていってるんだっつーの!」
叫んで。
千鳥かなめは立ち上がった。いや、体はずっと直立していた。立ち上がったのは千鳥かなめの精神性だ。いつの間にか疲れて座り込んでいた自分に渇を入れ、本来の自分を取り戻す。
「まあいいわ。うん、そうね。さっきのは無し。いや、あたしらしくなかったわ」
反射的に叩いてしまった相方の額に手を当てながら、かなめは微笑を浮かべる。
「まー、あたしも普通のジョシコーセーだし、そこまでメンタル強くないわけよ。だから、まあ――こんな風に、また落ち込むこともあると思うけど」
千鳥かなめは、きっと足手纏いなのだろう。
だけど、人形ではない。意思があり思考があり、ともなれば望みもある。
その望みは我侭なのかもしれない。
だけど、彼がそれを許してくれるというのなら。
「あんたが隣にいてくれれば――何とかなるって、あたしも思えるわ。ソースケ」
満月。人工の明かりが極端に少ないこの島を、それは優しく照らし出している。
月光の祝福の下、相良宗介と千鳥かなめは互いに見つめ合う。胸中に同じ想いを抱いて――
――そして、二人は即死した。
隻腕の傭兵は複雑な心境でそれを聞いていた。ダナティア・アリール・アンクルージュの死。
それは彼が胸の底で思い描いていた計画の一端が崩壊したことを意味する。テレサ・テスタロッサを殺した仇とも言える人物がいなくなったことを意味する。
それらの事実を前にして、相良宗介の胸中は渾々沌々の様相を呈した。自分でも理解できない感情のグラデーションが、勝手放埒のままに広がっていく――
自分自身の心の有様に危惧を覚え、宗介は胸中を鋼色に塗り潰した。
(……いや、これでいい。あの集団が機能しなくなれば――少なくとも旗頭がいなくなれば混乱する――俺達はこのまま美姫と、この佐山という奴の庇護下にあればいいだけだ)
あくまで合理的な思考に徹する。
自分が何かに失敗したわけではない。むしろ脅威になりかけていたダナティアが消滅したことで有利になったとさえいえる。そう判断する。
だが胸の内は晴れない。心を冷たく塗りつぶしても、その下では極彩色のうねりが音を立てて蠢いている。
それは、あの集団が無用な殺人を許容しない性質のものであったからだろう。
個人的な心情を抜きに正常な価値観で見れば、あの集団は尊いものといって良かった。誰かにとってはきっと希望だった。
しかし、それは失われた。
この島ではそんなことは容易く起こりうる。そんな事実を突き付けられた。
だから、もしかしなくとも。
自分たちがこの島から出られるという希望など、同じく断たれるものなのではないかと――
(俺には……なにも、ない)
絶望は絶望を呼ぶ。
相良宗介を襲った絶望は、さらに彼の無力を糾弾する。
いまの自分には何もない。美姫のような力も、テレサ・テスタロッサのような英知も。
ダナティアたちの置き土産となった雲が吹き払われた空を見上げて、悔恨にも似た感情をかみ締めた。
この島からの脱出を、あるいは他人を脱出させることを目指すにしては笑えるほど脆弱。それが今の相良宗介という人物だ。
そんな自分に、いったい何ができるというのか――
「宗介……」
ふと、頬にひんやりとした感触。
気付けば、千鳥かなめの指先が口端に添えられていた。そこから小さな痛みを感じる。
「血が出てるわよ?」
指摘され、ようやく理解する。気づかぬ内に唇の端を噛み、そして噛み千切ってしまっていたらしい。
「あ、ああ――問題ない。大した傷では……」
そう言い掛けて、口が開かれる度にピリッとした痛みが疼くことに顔をしかめる。どうやら頬に剃刀を当てるのを失敗した、という程度の傷でもないらしい。
口の中に広がる鉄の味は、痛みの起点からじんわりと広がりつつあった。とはいえ傷の位置からすると、専用の医療品でもない限り効果的な治療は難しいだろう。放って置くには煩わしく、さりとて大慌てするようなものでもない。そんな怪我だ。
痛みに顔を歪めた宗介を心配するように、かなめも眉を曇らせる。
「ほら無茶しない……って言っても、あたしも何かできるわけじゃないけどさ。リップクリームでも持ち合わせてりゃ良かったけど……」
はは、と力なくかなめは笑った。
ほぼ身一つで拉致されたのだ。私物は着ている服と精々ポケットに入っていたちり紙くらいのものである。
頬をぽりぽりと掻きながら、かなめは宗介を見やった。正確には、その傷口を。
唾液に紛れて薄く滲んだ血がぬらぬらと光っている。かつての――美姫に血を吸われた自分なら、その赤に心配以外の感情を向けたかもしれない。
だが今はそれが無い。体は完全に人に戻っていた。一応、美姫は約束を守ったということだろう。あるいはかなめにも分からないくらい小さな影響は残っているのかもしれないが、そんな小さな差異ならないも同然だ。
そう。千鳥かなめは人間だ――ただの人間なのだ。
「……ねえ、宗介」
だから、決して口にはしないと決めていた問いが、彼女の口から零れ落ちる。
「正直に言ってよ――あたし、足手纏いになってる?」
彼女の言葉に宗介の目が見開かれる。その表情の変化を見て、やはり止めておけばよかったとかなめは一瞬前の自分を罵倒する。
予感はあったのだ。この質問を口にすれば、後悔するだろうという予感は。
だが制止が効かなかった。
千鳥かなめはどちらかといえば行動力のあるタイプだ。むしろじっとしていられない人種とでも言おうか。
その彼女がここ数時間、ほとんど何も出来ずに美姫の後をついていくことしか出来ないという現状。
そこにこのゲームから脱出できる光明が全く見出せずにいるという不安も合わさり、彼女はいつになく弱気になっていた。
だからあの質問だ。この悪趣味な舞台から逃げ出せる可能性はただでさえ低い。ウィスパードが得ることのできる『存在しないはずの技術』を総動員しても、こんな馬鹿げたゲーム盤は造れない。
そのただでさえ低い可能性を、千鳥かなめという存在はさらに狭めていないだろうか?
ウィスパードの知識は役に立たず、そしてそれを除けばごく一般的な女子高生であるところの自分は、一流の傭兵である相良宗介の足枷になってはいまいか?
彼の左手の代わりになりたいとは思う。だが果たして自分は左手に成りうるのか?
そんなかなめの表情に、どこか焦燥のような物を覚えながら、宗介は頭を振る。
「そんな、ことは――」
「宗介があたしを守ってくれてるのはミスリルの仕事だからでしょ?」
確かに、そうだ――宗介は声に出さず肯定する。
ウルズ7の任務はエンジェルの護衛。だからこそ、この島に来ても彼は護衛対象である千鳥かなめのことをすぐに考えた。
そもそも硝煙と銃弾の中に身を置く自分が、普通の学生でしかなかった千鳥かなめと出会った。その由からして"ミスリル"なのだ。
「でもそれなら――もう、いいんじゃない? テッサは……死んじゃったんだから。ミスリルの仕事を果たす意味ってまだある?」
無いのかもしれない。宗介はどこかぼんやりとそんなことを思った。
自分は所詮傭兵だ。今のところはミスリルという組織に身を置いてはいるが、本質は変わらない。自分が組織に繋ぎとめられているのは契約があるから。給金を支払う限り、それに見合うだけの責任を果たすことを組織は要求する。
だがテレサ・テスタロッサは死んだ。無論、人事一切に至るまでを彼女が取り仕切っていたというわけではないが、それでも彼女はミスリルの一部隊である<トゥアハー・デ・ダナン>の長だ。
それで反故になるようなあやふやな契約でもないが、この外部から隔絶された空間で唯一の上官が死亡した以上、ミスリルとの契約にさほどの強制力はないように思える。
(というよりも――ない、な)
宗介はまるで心臓が凍りついてしまったかのように、冷たく胸中で思考を巡らす。
戦闘的な意味において、千鳥かなめが果たせる役割は多くない。おそらく、左腕を失った自分よりも少ないだろう。
ならば彼女は重荷でしかない。戦場でのデッドウェイトは文字通り死に繋がる。
――仮にこの異常な空間から脱出を果たすことが出来たとして。
クルツ・ウェーバーとテレサ・テスタロッサが死亡した以上、ミスリルへの説明責任があるのは自分だけだ。
それはつまり、報告の内容をどうとでも改竄する事ができるということを意味する。
もとよりこの常軌を逸した催し事に関して、ミスリル上層部を納得させられるような論理を自分は構築できない。
ならばその報告はどうあっても荒唐無稽なものになる。そこに一抹の虚偽を混ぜてもばれないほどに。
例えばここで相良宗介が千鳥かなめを殺害したとしても、それを別の誰かが犯した行為にすりかえることが出来る。
上官、ならびに護衛対象をむざむざ殺害されたという事実は自分の傭兵としてのキャリアに致命的な傷を残すだろうが、それは左腕を欠損してしまった現状をみればいまさらなことではあった。
貯金も無いわけではないし、ミスリルは退職金も出る。悠々自適な老後――というには早過ぎるだろうが、しかし残りの人生を送るにあたって何かに困るということはないだろう。
――そこに、千鳥かなめが居ないという一点を除くとすれば。
「――難しいことを考えるのは得意ではない。俺は成績が悪いからな、チドリ。君に宿題を手伝ってもらわねばならないほどに」
気づけば、そんな言葉が相良宗介の口を衝いて出ている。
相変わらずのむっつり顔で、宗介は千鳥かなめの瞳を覗き込んだ。いまいち唐突さのある此方の言葉に、彼女は疑問符を浮かべている。
それも仕様の無いことだろう。宗介は思う。自分も、自分が何を考えているのかよく分からない。この結論は何に基づくものなのか。
(そう、難しいことを考えるのは得意ではない――これは非常に難しい問題だ)
心臓から送られてくる凍て付くような痛みの正体。それが何かも分からない。
自分の、傭兵の論理で式を解けば、ここで千鳥かなめを切り捨てるべきだと解は出る――それに逆らうのは何故かと言う事さえも、分からない。
確かな事実は、唯一つ。
「だから、その……チドリ。やはり、君に手を貸して欲しい。君が居れば、きっとこの難しい問題も解けるだろうと俺は確信している。今までも、俺は君に助けられてきた。そして出来ればこれからも――俺を見捨てないで欲しい」
相良宗介は千鳥かなめを切り捨てられない。それだけだ。
いつに無く舌の回る傭兵を前に、千鳥かなめはきょとんとした表情を見せる。言葉の内容は支離滅裂。それでも、何とかその内容を噛み砕き――
(……えーと、その、なに?)
自問から導き出されるのは羞恥にも似た感情。
彼女の頬に差す朱色は、この舞台には全くもって似つかわしくない。
つまりこれは……そういうことだろうか?
そういうこととして受け取っていいのか? いや、この朴念仁を練って固めて成型したような男にそれを期待するのは酷か? それを確認するにはただ一言を口にすればいい。だけど、それでやっぱり期待はずれだったと分かってしまえば――
「……チドリ? その、だな――」
「う――」
気づけば、あいつの顔が此方を覗き込むような超近距離にある。
それを認識した瞬間、すぱーん! と夜空の下に景気のいい音が響き渡った。
「……やはり見えなかったぞ、チドリ。君は格闘技の才能もあるんじゃないか?」
平手で打たれた額を擦りながら、宗介は呻いた。
対して、かなめは何やらどんよりと暗い表情を浮かべている。
「……やめて。へこんでる所に追い討ちかけるなんて男のすることじゃないわよ」
「追い討ち? 追い討ちとは何を意味して――」
「そうやって追求すんなっていってるんだっつーの!」
叫んで。
千鳥かなめは立ち上がった。いや、体はずっと直立していた。立ち上がったのは千鳥かなめの精神性だ。いつの間にか疲れて座り込んでいた自分に渇を入れ、本来の自分を取り戻す。
「まあいいわ。うん、そうね。さっきのは無し。いや、あたしらしくなかったわ」
反射的に叩いてしまった相方の額に手を当てながら、かなめは微笑を浮かべる。
「まー、あたしも普通のジョシコーセーだし、そこまでメンタル強くないわけよ。だから、まあ――こんな風に、また落ち込むこともあると思うけど」
千鳥かなめは、きっと足手纏いなのだろう。
だけど、人形ではない。意思があり思考があり、ともなれば望みもある。
その望みは我侭なのかもしれない。
だけど、彼がそれを許してくれるというのなら。
「あんたが隣にいてくれれば――何とかなるって、あたしも思えるわ。ソースケ」
満月。人工の明かりが極端に少ないこの島を、それは優しく照らし出している。
月光の祝福の下、相良宗介と千鳥かなめは互いに見つめ合う。胸中に同じ想いを抱いて――
――そして、二人は即死した。
◇◇◇
ひゅん、と指を空間に踊らせる。一閃。ただ線を引くように。
まるで児戯のようなその動作も、彼女が主なら真実、世界を切り裂く動作となる。
まるで児戯のようなその動作も、彼女が主なら真実、世界を切り裂く動作となる。
世界には意味がない。どこまで行っても意味がない。
この吸血鬼を前にしては、意味がない。
この吸血鬼を前にしては、意味がない。
彼女はあらゆるものを無意味にしてしまう。ただ彼女の好き嫌いで、世界は滅茶苦茶になってしまう。
彼女はほんの数秒前に、この世界が嫌いになった。
だから傍に居た二人の首を感慨も口上もなく切断し、美姫は絶望を吐き捨てる。
彼女はほんの数秒前に、この世界が嫌いになった。
だから傍に居た二人の首を感慨も口上もなく切断し、美姫は絶望を吐き捨てる。
「馴れ合いにも飽いた。そろそろ終わらすか」
殺意すら込めず呟かれたその言葉はまるで鈴のように透き通っていたが、その背後で力なくくず折れる二つの死体が、その吸血鬼が本気であることを示していた。
◇◇◇
運が良かっただけだというのはすぐに分かった。
自分の首が飛ばなかったのは、彼らの方が吸血鬼に近かったから。そんな理由に過ぎない。
佐山・御言は反射的に己の首に手を添えていた。何故なら、自分から僅か五メートルほどの距離で起こったはずの惨事。二人の首を同時に飛ばした一撃が――
(全く……見えなかった)
放送で告げられた自分の知り合い――風見・千里の死に惑わされていたという訳では断じてない。吸血鬼と自分は向かい合うようにして対峙していた。視線は一度も外さなかった。
だが見えなかった。二人の男女の首が切断された瞬間。寸鉄が振るわれたのか、熱線が放たれたのか、風が薙いだのか、糸によるものか、はてまた何らかの概念による攻撃なのか。
一切、佐山には判断できなかった。
それはつまり、自分に向けてそれと同じ攻撃が放たれた場合、成す術も無く自分も彼らと同じ道を辿るということを意味している。
(いや、分かっていたことだ……)
この吸血鬼に勝てないということは分かっていた。初撃で放たれた威嚇。あれを見た時点で、彼我の力量差は推し量れていた。単純な暴力では、逆立ちしたって敵わない。
自分が美姫に挑むというのは、何の訓練も受けていない人間が素手で機竜に挑むようなものだ。
そしておそらく、それは自分以外の参加者であってもそう変わるまい。
もしも彼女がその気になれば、彼女が容易くこの"ゲーム"で優勝してしまうであろうとことは容易に想像できた。
だから契約をしたのだ。それは暴走する列車に手綱で制動をかけるようなものだが、それでも何とか制御しなければならないと思った。
そして出来る、という勝算もあったのだ。
この女怪は最強だが、自分と同じような弱点を抱えている。
圧倒的な力と最悪の精神性を持ち合わせながら、この己を姫と呼ばせる傲岸不遜な吸血鬼が積極的に行動しなかった理由。
それはつまり、この島に彼女を束縛する"何か"があるということに他ならない。
刻印ではない。彼女の力はそれを制限下にあってなお健在だ。ならばそれは別のもの――彼女と同じ世界から呼び出された参加者ではないかと佐山は考えていた。
そして、ほんの数秒前にそれを確信できたのだ。死者を告げる放送が流れていた時、この吸血鬼は存外、素直に耳を傾けていた――
(やはり女史は参加者の内の誰かに執着している……だからその人物さえ仲間に引き入れられたのなら、この吸血鬼も御せると思っていた。だが)
だが、失敗した。
その参加者はどうやら死んでしまっていたらしい。放送が終わった瞬間、美姫は態度を豹変させた。
何もかもがつまらぬとでもいう風に、吸血鬼の瞳には一切の色彩が映っていない。おそらくは、これから野苺でも採るような気軽さで摘み取るであろう眼前の生命さえも。
無駄だと心のどこかで確信しながら、だが佐山は口を開いた。掛けるのは無論、制止の要請。
しかしそれは自分の命惜しさに、という話ではない。
彼は悟ったからだ。ここで美姫を止められなければ、それは文字通りこのゲームの終焉を意味するであろうということを――
(まさにここが世界の中心というわけだ――笑い話にもならんがね!)
残りの参加者が総出でかかっても、彼女ならばそれを笑いながら一蹴するかもしれない。その中に美姫がもうひとりいるというのなら話は別だが。
故に、交渉。それこそが佐山・御言の真骨頂だ。
だが――足りない。その事実に背筋が凍り付く。
説得の為の材料が、己に残された時間が。
圧倒的に足りない。否、全く存在しないと言っても良い。かろうじて出来るのは、相手の精神性に縋る凡百な悪手のみ。
「貴女は私と交わした誓いを破り、この愚かしいゲームに乗る気か! だがそれではむざむざ、あの主催者達の思惑通りに行動してやることになりはしまいか!?」
「ああ、そうじゃ。だからどうした? 乗ってやると私が決めたのだ。お前に口出しする権利などない。もとより聖書の一端を借りようが所詮は口約束。貴様と結んだ契約などに私を縛る力などあるまい」
にべもなく、言葉を跳ね除けられる。
続けて、まるで天上の座から宣まう神の如く、美姫は傲岸不遜に言い放った。
「私が契ろうと思うから契り、私が破ろうと思ったから破った。そこに貴様が果たした功績など一欠けらとて存在せぬわ」
交渉に応じるような余地は絶無。佐山は歯噛みした。
『力はより強い力に負ける』という言葉がある。
この言葉の後に『故に、力のみを求めるのは最良でない』という意を付属させてよく用いられるが、だがこの言葉にはもうひとつ意味がある。
ごく単純な真理だった。より強い力を持てば、負けることはない。
何者よりも強ければ、何者にも負けることはない。
たった今、この吸血鬼はそれに成り果てた。単独で、独断で、だが何もかもを打ち破ることの出来る存在。打ち破ってしまう存在。
(この"姫"とやら――名前以上に気まぐれが過ぎる。交渉も契約も意味がない。彼女がその気になれば、どんなものでも破棄されてしまうのだから)
交渉――交渉か。佐山が浮かべるのは多分にアイロニーを含んだ苦笑。
全竜交渉部隊の長として、自分はこれまでにいくつもの異世界と交渉し、契約を結んできた。
だがそれは結局、交渉できる下地があったからに過ぎない。概念戦争。その戦後処理。10の異世界は故郷を滅ぼされ、自分たちの世界は崩壊の危機に瀕し、それぞれがそれぞれの落とし所を探っていた。
だがこの吸血はどうか。最強の存在に、落としどころなどあるものだろうか。
あるのかもしれない。だが、それが何か出会ったばかりの佐山に分かるはずも無い。
自分ならば御せる? 佐山はふん、と自嘲気味に鼻を鳴らした。
否。この吸血鬼と自分との相性は最悪であった。
「では貴様も死ね」
美姫の姿が消えた。次の瞬間には、自分は抗いようもなく死んでいるであろうことを確信する。
歩法を使う暇もない。もっとも自分の歩法は未熟な上、美姫のタイミングもほとんど掴めていないのだ。
まさに"見え辛くなる程度"の手品に過ぎない。
自分の持つ力では、自分にある知識では、この状況を切り抜けられない。その手段が何一つない。
(私は――至らなかったか)
時間的に見て、佐山にこのカタストロフィを防ぐ手段はなかっただろう。彼が美姫と接触した時点で、すでに崩壊のキーとなる秋せつらは故人となっていた。
それでも佐山は悔やまずにはいられない。もっと早く自分が集団を大きくしていれば。その中に鍵となる人物が含まれていれば。
無論そんなifへの悔恨に意味はない。現実的に、自分がしてしまった最も愚かしい行動はただひとつ。
――最悪のタイミングでこの吸血鬼を傍らにおいてしまったということ。
そして、強い衝撃が佐山の体を貫いた。
自分の首が飛ばなかったのは、彼らの方が吸血鬼に近かったから。そんな理由に過ぎない。
佐山・御言は反射的に己の首に手を添えていた。何故なら、自分から僅か五メートルほどの距離で起こったはずの惨事。二人の首を同時に飛ばした一撃が――
(全く……見えなかった)
放送で告げられた自分の知り合い――風見・千里の死に惑わされていたという訳では断じてない。吸血鬼と自分は向かい合うようにして対峙していた。視線は一度も外さなかった。
だが見えなかった。二人の男女の首が切断された瞬間。寸鉄が振るわれたのか、熱線が放たれたのか、風が薙いだのか、糸によるものか、はてまた何らかの概念による攻撃なのか。
一切、佐山には判断できなかった。
それはつまり、自分に向けてそれと同じ攻撃が放たれた場合、成す術も無く自分も彼らと同じ道を辿るということを意味している。
(いや、分かっていたことだ……)
この吸血鬼に勝てないということは分かっていた。初撃で放たれた威嚇。あれを見た時点で、彼我の力量差は推し量れていた。単純な暴力では、逆立ちしたって敵わない。
自分が美姫に挑むというのは、何の訓練も受けていない人間が素手で機竜に挑むようなものだ。
そしておそらく、それは自分以外の参加者であってもそう変わるまい。
もしも彼女がその気になれば、彼女が容易くこの"ゲーム"で優勝してしまうであろうとことは容易に想像できた。
だから契約をしたのだ。それは暴走する列車に手綱で制動をかけるようなものだが、それでも何とか制御しなければならないと思った。
そして出来る、という勝算もあったのだ。
この女怪は最強だが、自分と同じような弱点を抱えている。
圧倒的な力と最悪の精神性を持ち合わせながら、この己を姫と呼ばせる傲岸不遜な吸血鬼が積極的に行動しなかった理由。
それはつまり、この島に彼女を束縛する"何か"があるということに他ならない。
刻印ではない。彼女の力はそれを制限下にあってなお健在だ。ならばそれは別のもの――彼女と同じ世界から呼び出された参加者ではないかと佐山は考えていた。
そして、ほんの数秒前にそれを確信できたのだ。死者を告げる放送が流れていた時、この吸血鬼は存外、素直に耳を傾けていた――
(やはり女史は参加者の内の誰かに執着している……だからその人物さえ仲間に引き入れられたのなら、この吸血鬼も御せると思っていた。だが)
だが、失敗した。
その参加者はどうやら死んでしまっていたらしい。放送が終わった瞬間、美姫は態度を豹変させた。
何もかもがつまらぬとでもいう風に、吸血鬼の瞳には一切の色彩が映っていない。おそらくは、これから野苺でも採るような気軽さで摘み取るであろう眼前の生命さえも。
無駄だと心のどこかで確信しながら、だが佐山は口を開いた。掛けるのは無論、制止の要請。
しかしそれは自分の命惜しさに、という話ではない。
彼は悟ったからだ。ここで美姫を止められなければ、それは文字通りこのゲームの終焉を意味するであろうということを――
(まさにここが世界の中心というわけだ――笑い話にもならんがね!)
残りの参加者が総出でかかっても、彼女ならばそれを笑いながら一蹴するかもしれない。その中に美姫がもうひとりいるというのなら話は別だが。
故に、交渉。それこそが佐山・御言の真骨頂だ。
だが――足りない。その事実に背筋が凍り付く。
説得の為の材料が、己に残された時間が。
圧倒的に足りない。否、全く存在しないと言っても良い。かろうじて出来るのは、相手の精神性に縋る凡百な悪手のみ。
「貴女は私と交わした誓いを破り、この愚かしいゲームに乗る気か! だがそれではむざむざ、あの主催者達の思惑通りに行動してやることになりはしまいか!?」
「ああ、そうじゃ。だからどうした? 乗ってやると私が決めたのだ。お前に口出しする権利などない。もとより聖書の一端を借りようが所詮は口約束。貴様と結んだ契約などに私を縛る力などあるまい」
にべもなく、言葉を跳ね除けられる。
続けて、まるで天上の座から宣まう神の如く、美姫は傲岸不遜に言い放った。
「私が契ろうと思うから契り、私が破ろうと思ったから破った。そこに貴様が果たした功績など一欠けらとて存在せぬわ」
交渉に応じるような余地は絶無。佐山は歯噛みした。
『力はより強い力に負ける』という言葉がある。
この言葉の後に『故に、力のみを求めるのは最良でない』という意を付属させてよく用いられるが、だがこの言葉にはもうひとつ意味がある。
ごく単純な真理だった。より強い力を持てば、負けることはない。
何者よりも強ければ、何者にも負けることはない。
たった今、この吸血鬼はそれに成り果てた。単独で、独断で、だが何もかもを打ち破ることの出来る存在。打ち破ってしまう存在。
(この"姫"とやら――名前以上に気まぐれが過ぎる。交渉も契約も意味がない。彼女がその気になれば、どんなものでも破棄されてしまうのだから)
交渉――交渉か。佐山が浮かべるのは多分にアイロニーを含んだ苦笑。
全竜交渉部隊の長として、自分はこれまでにいくつもの異世界と交渉し、契約を結んできた。
だがそれは結局、交渉できる下地があったからに過ぎない。概念戦争。その戦後処理。10の異世界は故郷を滅ぼされ、自分たちの世界は崩壊の危機に瀕し、それぞれがそれぞれの落とし所を探っていた。
だがこの吸血はどうか。最強の存在に、落としどころなどあるものだろうか。
あるのかもしれない。だが、それが何か出会ったばかりの佐山に分かるはずも無い。
自分ならば御せる? 佐山はふん、と自嘲気味に鼻を鳴らした。
否。この吸血鬼と自分との相性は最悪であった。
「では貴様も死ね」
美姫の姿が消えた。次の瞬間には、自分は抗いようもなく死んでいるであろうことを確信する。
歩法を使う暇もない。もっとも自分の歩法は未熟な上、美姫のタイミングもほとんど掴めていないのだ。
まさに"見え辛くなる程度"の手品に過ぎない。
自分の持つ力では、自分にある知識では、この状況を切り抜けられない。その手段が何一つない。
(私は――至らなかったか)
時間的に見て、佐山にこのカタストロフィを防ぐ手段はなかっただろう。彼が美姫と接触した時点で、すでに崩壊のキーとなる秋せつらは故人となっていた。
それでも佐山は悔やまずにはいられない。もっと早く自分が集団を大きくしていれば。その中に鍵となる人物が含まれていれば。
無論そんなifへの悔恨に意味はない。現実的に、自分がしてしまった最も愚かしい行動はただひとつ。
――最悪のタイミングでこの吸血鬼を傍らにおいてしまったということ。
そして、強い衝撃が佐山の体を貫いた。
◇◇◇
佐山・御言は空を見る。
夜天。そこには星星が煌き、月明かりがこの忌まわしい島を、それでも柔らかく照らしている。
(最後の光景か)
体を動かそうとしても動かない。まるでその所有権が剥奪されたかのような感覚。
一説によるとギロチンに処された罪人は胴から首が離れてもしばらくは意識を保っていたらしい。ならばこれも首を刎ねられ、脳の活動が停止するまでの短い視覚か。
だがそんな物思いは、腰部に走った激痛に遮断された。
(……腰に?)
疑問。物理的に神経の接続が断たれた状態で、その部位の痛みを感じることがなぜ出来る?
「立て!」
疑問の解を脳が弾き出す前に、体は耳朶に叩きつけられた声に従った。
背中を丸めて衝撃を殺す。そのまま後転するように体重を腰から背、肩へと移動させ、最後に両手を地面に叩き付けてバク転を実行。
意識すれば、体は思考に十分ついてくる。首はしっかり繋がっている。
地面に足を着け、視界は空から前方へと変化。見ればそこには吸血鬼の一撃を、長大な槍のような武器で受け止めた黒衣の騎士。
アシュラムだった。咄嗟に佐山を突き飛ばし、代わりに美姫の一撃を食い止めたらしい。
――いや、食い止めようと、したのか。
止められていない。吸血鬼の膂力を、彼の黒騎士がいなす事すら出来なかった。
「オ――!」
一撃でアシュラムのガードがこじ開けられる。体勢すらも致命的に崩れた。もはやどう足掻いても次の吸血鬼の攻撃を防ぐことは不可能。
(……不味い、入る!)
佐山は胸中で叫ぶ。アシュラムは自分以上の実力者かもしれないが、それでも美姫には届くまい。それは眼前の光景が証明している。
だがやはり自分にはどうすることも出来ない。距離が遠すぎる。手の中に武器はない。近くにG-Sp2が突き刺さっているくらいのもので――
「……?」
そう。自分の傍にはあの白い槍が突き刺さっていた筈だ。だがどこに?
見渡す限り、あの概念兵器の威容はどこにも確認できない。
アシュラムに引き倒され、さらにその状態から後方に跳躍したのだ。自分の視界にG-Sp2が入っていないのはおかしい。
その疑問に答えたのは口笛だった。
佐山はその曲を知っていた。あの作曲家らしい、高らかに始まる開幕の序曲。
ニュルンベルクのマイスタージンガー。それが奇妙なほど耳に残る口笛で演奏されている。
その演奏者はいつの間にかアシュラムと美姫の傍に出現していた。人影というよりは、まるで筒のような細長いシルエット。
そいつの名前はブギーポップという。
唐突に出現したそいつは、迷うことなく一撃を食らわせた。
「がっ!?」
「……ほう?」
アシュラムに。
放たれたのは猛速の中段回し蹴り。それがアシュラムの胴体に綺麗に入った。黒の鎧に包まれた立派な体躯が冗談のように吹き飛んでいく。体勢が崩れていたお陰で、無意識での抵抗すらできなかったためだ。
そしてその反動を利用し、ブギーポップもまたその場から跳躍していた。死神にさえこの吸血鬼は殺せない。だから、美姫を抑えようとするのではなくアシュラムを逃がすことに徹した。
「――逃がさん」
「……!」
だが吸血鬼は容赦をしない。
アシュラムを逃がすことを第一としたため、結果としてブギーポップの跳躍は不十分なものになっていた。美姫は即座に標的を変更。ブギーポップが稼いだ僅かな距離を瞬時に詰め、再度腕を振るう。
今度こそ、その魔手から逃れる術は無い。
美姫の手刀が叩きつけられる。それは疑いようも無く直撃し、ブギーポップのマントの下から何かが砕ける嫌な音が聞こえた。
「……宮下君!」
叫んでも、いまさら何が変わるわけでもない。
勢いそのままに十メートルほどを転がって、黒マントの怪人は、
「――今はブギーポップだ」
そう言って、すっと立ち上がった。
マントを開く。そこから白い破片がばらばらと零れ、さらにその中心には、
「すまないね、佐山君。無断借用した挙句、少々壊してしまった」
『ヒドイノ』
G-Sp2。ひとつの世界を構成する概念核をカウリングし製造された兵器。
その機殻の一部分が砕けていた。どうやらマントの下に防御用として仕込んでいたらしい。横から見れば、隠し切れなかった柄の部分が背後に突き出していたのが確認できただろう。
「……とりあえず、無事か」
「さて、ただ一合をギリギリで潜り抜けただけだがな」
そう言って同じく立ち上がったのはアシュラムである。こちらも受身を取ったのか、目に見えるダメージはない。
アシュラムはすでに偃月刀を構えていた。その切っ先を美姫に向ける。
その凶器の先端を見て、美姫はからと笑った。
「私に武器を向けるか、黒衣の将。恩を返してくれるのでは無かったのかえ?」
「その通りだ。俺は恩を返す為、貴女に武器を向けている」
「仇で、か?」
「否」
アシュラムは小さく口元を歪めた。
まるで鏡を見るような錯覚。そう、いまの美姫はかつての自分に似ている。あの決闘で全てを失った自分と。
そして、そんな空っぽのこの身を満たしてくれたは一人の少女だった。心優しき異世界の童。そんなものが自分の心を救った。
その少女は、先の死者を告げる放送でその名前を呼ばれてしまっていた。
悲しいと、そう思う。もはやあの少女に受けた恩を返すことは叶わぬと、胸が破れそうな思いが踏襲した。
だがその直後に響いた放送があった。意志は継がれる。その限りにおいて、道は途絶えぬと。
(――ならば、彼女の道を途絶えさせてはならぬな)
それが、恩を返すことになるのなら。
君の道は俺が継ごう、藤堂志摩子。
「貴女の誇りを傷つかせぬよう、俺は貴女をここで止めるのだ」
「私の誇り? それを他者が規定し、他者が守ると? ――戯言を」
「哀れだな、美姫」
貫くように放たれたアシュラムの言葉に、美姫の体が短く一度、痙攣する。
「……なんだと?」
彼女の体を駆け巡るのは紛う事なき怒りの感情だ。美姫が牙を剥き、地面を踏みにじる――それだけで大気が震えた。
だがアシュラムはその怪物を真正面から見つめた。怒気を受け止め、冷たく言葉を紡ぐ。
「今のお前は駄々っ子のようだ。かつての俺と同じく全てを失い――だが俺と違うのは、その喪失からくる絶望を己にではなく世界に向けたこと。そんな理由で世界を破滅させても、お前はただ傷つくだけだろう」
「傷つく? はて、気の向くまま国をいくつも潰し、人を何十万と食い捨てた私が、たかがこの箱庭と数十人を手ずから殺した所でか? 有り得ぬ」
「では訊ねよう。その後に、いったい何が残るという」
「何も残さぬ。私がただ一人で――」
言いかけて、美姫は言葉を止めた。
そう、独り。あれほど渇望した秋せつらはもう存在しない。
それが他者の手によって成されたということが我慢ならず、自分はそいつ諸共、秋せつらの死という条件を成立させたこの世界を滅ぼすと決めた。
だが、その後は? 優勝し、あの腐れた管理者どもを皆殺しにして、その後は?
また騏鬼翁を従え時空を回るのか。それもいいだろう。ただ思いのままに果て無き日々を生きるのが美姫という存在だ。
だが、今の自分にそれが出来るのか? できぬであろうな、と美姫は思う。秋せつらの喪失に、自分は思っていた以上の衝撃を受けていた。果て無き生への執着が薄れていく。そうだ、これからの生においても秋せつら以上に自分が望む存在などあるまい。それは希望がないということ。目的が無くても美姫は生きていける。だが希望がなくてはさしもの彼女も生きていけないだろう。
――虚無。
ただ空隙だけが、彼女の胸の中に存在する。
その胸の内を読んだように、アシュラムが頷いた。
「そうだ。お前は俺と同じだ。何も無い――何も無かった」
そう。自分には何も無かった。アシュラムは思い返す。この島にきてすぐのことを。自分は開けた砂浜で、ただひとり死を待ち焦がれていた。
――だけどそこに来たのは死神ではなく。
「だが今は何も無くとも、そこに何かを足して満たすことは出来よう。それが出来るのは他人だけだ。それは何でもひとりで出来るお前が、唯一出来ないことだろう、美姫。
まずはここでお前を止める。そして、その胸の内を満たしてみせよう。かつて俺が彼女にそうしてもらったように。
――お前を救おう。今度は俺が、お前を救ってみせる!」
青龍偃月刀を掲げ、誓いを口に。
かつてその男はその身の内に絶望を抱え、吸血鬼に誑かされ、己の意志を失った。
だが、黒衣の騎士。いまやその身に纏う黒は絶望の闇ではなく、他者に安らぎを与える夜の色である。
「……良い男じゃな、お前は」
美姫は、ほう、と息をついた。
素質はあると思っていた。美丈夫というだけではない。外面ではなく、内面の資質。絶望に身を浸してこそいたが、この男は一国の王に相応しい器であると。
故に、惜しい。美姫は悲壮に顔を歪めた。
「せつらと出会う前に、お前と会っていればよかったのかも知れぬ」
美姫にとっての至上はどこまでいっても秋せつらだ。
その想いは、裏切れない。
美姫は構えた。といっても、彼女に大仰な、例えば拳法のような構えは不要だ。どんな体勢からでも、彼女の放つ一撃は人にとって必殺となる。
それでも構えたのは礼儀だ。アシュラムとの戦いを、美姫が特別なものとして認めたということ。
「しかし、アシュラムよ――お前の想い、胸に響いた。
私はこれからお前を殺し、そして他の者を全て殺す。その先にあるのが絶望と知ってもなお、な。せつらのことを想うと、そうせずにはいられぬのだ。
だが、それでも。
それでも私を救えるというのなら、救ってみよ。私の中の秋せつらを超えるというのなら、超えてみよ!
その時こそ私は満たされ、我が数千年の彷徨は終焉を迎えよう!」
「そう、君はここで終焉を迎えるんだ」
口笛は未だ途絶えていない。
マイスタージンガー。第一幕への前奏曲。だが彼が奏でる時、それは敵を送る葬送曲になる。
死神はアシュラムと同じく己の得物を構え、美姫にその刃を向ける。
「――君は世界の敵だ、妖姫よ」
救済を誓う騎士の叫びに、吸血鬼の零す絶望に、なんら感じ入ることはなく。
ブギーポップはただ自動的に、敵の抹殺を宣告した。
夜天。そこには星星が煌き、月明かりがこの忌まわしい島を、それでも柔らかく照らしている。
(最後の光景か)
体を動かそうとしても動かない。まるでその所有権が剥奪されたかのような感覚。
一説によるとギロチンに処された罪人は胴から首が離れてもしばらくは意識を保っていたらしい。ならばこれも首を刎ねられ、脳の活動が停止するまでの短い視覚か。
だがそんな物思いは、腰部に走った激痛に遮断された。
(……腰に?)
疑問。物理的に神経の接続が断たれた状態で、その部位の痛みを感じることがなぜ出来る?
「立て!」
疑問の解を脳が弾き出す前に、体は耳朶に叩きつけられた声に従った。
背中を丸めて衝撃を殺す。そのまま後転するように体重を腰から背、肩へと移動させ、最後に両手を地面に叩き付けてバク転を実行。
意識すれば、体は思考に十分ついてくる。首はしっかり繋がっている。
地面に足を着け、視界は空から前方へと変化。見ればそこには吸血鬼の一撃を、長大な槍のような武器で受け止めた黒衣の騎士。
アシュラムだった。咄嗟に佐山を突き飛ばし、代わりに美姫の一撃を食い止めたらしい。
――いや、食い止めようと、したのか。
止められていない。吸血鬼の膂力を、彼の黒騎士がいなす事すら出来なかった。
「オ――!」
一撃でアシュラムのガードがこじ開けられる。体勢すらも致命的に崩れた。もはやどう足掻いても次の吸血鬼の攻撃を防ぐことは不可能。
(……不味い、入る!)
佐山は胸中で叫ぶ。アシュラムは自分以上の実力者かもしれないが、それでも美姫には届くまい。それは眼前の光景が証明している。
だがやはり自分にはどうすることも出来ない。距離が遠すぎる。手の中に武器はない。近くにG-Sp2が突き刺さっているくらいのもので――
「……?」
そう。自分の傍にはあの白い槍が突き刺さっていた筈だ。だがどこに?
見渡す限り、あの概念兵器の威容はどこにも確認できない。
アシュラムに引き倒され、さらにその状態から後方に跳躍したのだ。自分の視界にG-Sp2が入っていないのはおかしい。
その疑問に答えたのは口笛だった。
佐山はその曲を知っていた。あの作曲家らしい、高らかに始まる開幕の序曲。
ニュルンベルクのマイスタージンガー。それが奇妙なほど耳に残る口笛で演奏されている。
その演奏者はいつの間にかアシュラムと美姫の傍に出現していた。人影というよりは、まるで筒のような細長いシルエット。
そいつの名前はブギーポップという。
唐突に出現したそいつは、迷うことなく一撃を食らわせた。
「がっ!?」
「……ほう?」
アシュラムに。
放たれたのは猛速の中段回し蹴り。それがアシュラムの胴体に綺麗に入った。黒の鎧に包まれた立派な体躯が冗談のように吹き飛んでいく。体勢が崩れていたお陰で、無意識での抵抗すらできなかったためだ。
そしてその反動を利用し、ブギーポップもまたその場から跳躍していた。死神にさえこの吸血鬼は殺せない。だから、美姫を抑えようとするのではなくアシュラムを逃がすことに徹した。
「――逃がさん」
「……!」
だが吸血鬼は容赦をしない。
アシュラムを逃がすことを第一としたため、結果としてブギーポップの跳躍は不十分なものになっていた。美姫は即座に標的を変更。ブギーポップが稼いだ僅かな距離を瞬時に詰め、再度腕を振るう。
今度こそ、その魔手から逃れる術は無い。
美姫の手刀が叩きつけられる。それは疑いようも無く直撃し、ブギーポップのマントの下から何かが砕ける嫌な音が聞こえた。
「……宮下君!」
叫んでも、いまさら何が変わるわけでもない。
勢いそのままに十メートルほどを転がって、黒マントの怪人は、
「――今はブギーポップだ」
そう言って、すっと立ち上がった。
マントを開く。そこから白い破片がばらばらと零れ、さらにその中心には、
「すまないね、佐山君。無断借用した挙句、少々壊してしまった」
『ヒドイノ』
G-Sp2。ひとつの世界を構成する概念核をカウリングし製造された兵器。
その機殻の一部分が砕けていた。どうやらマントの下に防御用として仕込んでいたらしい。横から見れば、隠し切れなかった柄の部分が背後に突き出していたのが確認できただろう。
「……とりあえず、無事か」
「さて、ただ一合をギリギリで潜り抜けただけだがな」
そう言って同じく立ち上がったのはアシュラムである。こちらも受身を取ったのか、目に見えるダメージはない。
アシュラムはすでに偃月刀を構えていた。その切っ先を美姫に向ける。
その凶器の先端を見て、美姫はからと笑った。
「私に武器を向けるか、黒衣の将。恩を返してくれるのでは無かったのかえ?」
「その通りだ。俺は恩を返す為、貴女に武器を向けている」
「仇で、か?」
「否」
アシュラムは小さく口元を歪めた。
まるで鏡を見るような錯覚。そう、いまの美姫はかつての自分に似ている。あの決闘で全てを失った自分と。
そして、そんな空っぽのこの身を満たしてくれたは一人の少女だった。心優しき異世界の童。そんなものが自分の心を救った。
その少女は、先の死者を告げる放送でその名前を呼ばれてしまっていた。
悲しいと、そう思う。もはやあの少女に受けた恩を返すことは叶わぬと、胸が破れそうな思いが踏襲した。
だがその直後に響いた放送があった。意志は継がれる。その限りにおいて、道は途絶えぬと。
(――ならば、彼女の道を途絶えさせてはならぬな)
それが、恩を返すことになるのなら。
君の道は俺が継ごう、藤堂志摩子。
「貴女の誇りを傷つかせぬよう、俺は貴女をここで止めるのだ」
「私の誇り? それを他者が規定し、他者が守ると? ――戯言を」
「哀れだな、美姫」
貫くように放たれたアシュラムの言葉に、美姫の体が短く一度、痙攣する。
「……なんだと?」
彼女の体を駆け巡るのは紛う事なき怒りの感情だ。美姫が牙を剥き、地面を踏みにじる――それだけで大気が震えた。
だがアシュラムはその怪物を真正面から見つめた。怒気を受け止め、冷たく言葉を紡ぐ。
「今のお前は駄々っ子のようだ。かつての俺と同じく全てを失い――だが俺と違うのは、その喪失からくる絶望を己にではなく世界に向けたこと。そんな理由で世界を破滅させても、お前はただ傷つくだけだろう」
「傷つく? はて、気の向くまま国をいくつも潰し、人を何十万と食い捨てた私が、たかがこの箱庭と数十人を手ずから殺した所でか? 有り得ぬ」
「では訊ねよう。その後に、いったい何が残るという」
「何も残さぬ。私がただ一人で――」
言いかけて、美姫は言葉を止めた。
そう、独り。あれほど渇望した秋せつらはもう存在しない。
それが他者の手によって成されたということが我慢ならず、自分はそいつ諸共、秋せつらの死という条件を成立させたこの世界を滅ぼすと決めた。
だが、その後は? 優勝し、あの腐れた管理者どもを皆殺しにして、その後は?
また騏鬼翁を従え時空を回るのか。それもいいだろう。ただ思いのままに果て無き日々を生きるのが美姫という存在だ。
だが、今の自分にそれが出来るのか? できぬであろうな、と美姫は思う。秋せつらの喪失に、自分は思っていた以上の衝撃を受けていた。果て無き生への執着が薄れていく。そうだ、これからの生においても秋せつら以上に自分が望む存在などあるまい。それは希望がないということ。目的が無くても美姫は生きていける。だが希望がなくてはさしもの彼女も生きていけないだろう。
――虚無。
ただ空隙だけが、彼女の胸の中に存在する。
その胸の内を読んだように、アシュラムが頷いた。
「そうだ。お前は俺と同じだ。何も無い――何も無かった」
そう。自分には何も無かった。アシュラムは思い返す。この島にきてすぐのことを。自分は開けた砂浜で、ただひとり死を待ち焦がれていた。
――だけどそこに来たのは死神ではなく。
「だが今は何も無くとも、そこに何かを足して満たすことは出来よう。それが出来るのは他人だけだ。それは何でもひとりで出来るお前が、唯一出来ないことだろう、美姫。
まずはここでお前を止める。そして、その胸の内を満たしてみせよう。かつて俺が彼女にそうしてもらったように。
――お前を救おう。今度は俺が、お前を救ってみせる!」
青龍偃月刀を掲げ、誓いを口に。
かつてその男はその身の内に絶望を抱え、吸血鬼に誑かされ、己の意志を失った。
だが、黒衣の騎士。いまやその身に纏う黒は絶望の闇ではなく、他者に安らぎを与える夜の色である。
「……良い男じゃな、お前は」
美姫は、ほう、と息をついた。
素質はあると思っていた。美丈夫というだけではない。外面ではなく、内面の資質。絶望に身を浸してこそいたが、この男は一国の王に相応しい器であると。
故に、惜しい。美姫は悲壮に顔を歪めた。
「せつらと出会う前に、お前と会っていればよかったのかも知れぬ」
美姫にとっての至上はどこまでいっても秋せつらだ。
その想いは、裏切れない。
美姫は構えた。といっても、彼女に大仰な、例えば拳法のような構えは不要だ。どんな体勢からでも、彼女の放つ一撃は人にとって必殺となる。
それでも構えたのは礼儀だ。アシュラムとの戦いを、美姫が特別なものとして認めたということ。
「しかし、アシュラムよ――お前の想い、胸に響いた。
私はこれからお前を殺し、そして他の者を全て殺す。その先にあるのが絶望と知ってもなお、な。せつらのことを想うと、そうせずにはいられぬのだ。
だが、それでも。
それでも私を救えるというのなら、救ってみよ。私の中の秋せつらを超えるというのなら、超えてみよ!
その時こそ私は満たされ、我が数千年の彷徨は終焉を迎えよう!」
「そう、君はここで終焉を迎えるんだ」
口笛は未だ途絶えていない。
マイスタージンガー。第一幕への前奏曲。だが彼が奏でる時、それは敵を送る葬送曲になる。
死神はアシュラムと同じく己の得物を構え、美姫にその刃を向ける。
「――君は世界の敵だ、妖姫よ」
救済を誓う騎士の叫びに、吸血鬼の零す絶望に、なんら感じ入ることはなく。
ブギーポップはただ自動的に、敵の抹殺を宣告した。
◇◇◇
「待ちたまえ、宮し――いや、今はブギーポップか。
確かに彼女は危険だ。だがアシュラム氏が救おうとするならその意思は酌むべきではないだろうか?」
声の主は佐山・御言。
この島から殺意を全て奪い、脱出の為には殺人者への許容すら強制する悪役。
「助けられた身でこんなことを言うのはどうかと思うが、そこはまあ私の人徳でカバーするとして。
騎士は救済を叫び、姫はそれに応えんとしている。
ならば我々がすべきなのはその手助けではないかね? 物語的に。
あえて言おう――空気を読め、と」
その台詞は無論、佐山の姓が吐いたものなれば、感情や好みから出たものではない。
いまこの場で最善なのはゲームに否定的なアシュラムが勝利し、美姫を完全に手なずけること。
次善は美姫を殺害し、それを救済としてとりあえずの危機を乗り越えること。
だがそんな次善を佐山・御言は認めない。何故ならその最善こそがこの島を脱出するに当たって必要な手段だからだ。
例えばもしも美姫をブギーポップが殺してしまえば、その後アシュラムの協力を得るのは難しくなるだろう。
ひいては宮野氏の遺恨を解決する手段も失われるということだ。彼の連れの名前は先の放送で呼ばれていたが、それでもまだ兵長がいるように、この島のどこかで火種として燻っているかもしれない。
そんな負の連鎖を食い止めんとする佐山の台詞に、だがブギーポップは頭をふって、
「――いずれこうなるとは思っていたよ、佐山君」
「こうなるとは?」
「君と僕が敵対するということさ。あらゆる殺人を許容しない君と、自動的な死神ではね」
何気なく、剣呑な台詞を吐いた。
「殺人鬼から殺意を奪えても、僕のような死神からは奪えない。そもそも奪えるものでもないのさ、僕の性質から見ればね。だから君が例の方針を翻さないならいずれ袂を分かつことは必然だった。この島には世界の敵が多すぎる」
「そんなことは――」
「例えば、僕は十叶詠子を始末しようとした」
さらりと告白される重大な事実。
しかしそれに対して、佐山も溜息をひとつ付き、
「――やはり、君か」
「おや、気づかれていたか」
「あのタイミングの良さではね。詠子君の失踪の直後に、入れ替わるように君が現れて……何より、彼女の"物語"を私は聞いている。おそらく、君の言う"世界の敵"に彼女が該当することは察していたよ――しかし詠子君の名が放送で呼ばれなかったのが引っかかっていてね。君に問いただすのはもう少し証拠を集めてからと思っていたが」
「恥ずかしながら、しくじってね――だがまだ彼女が生きて、その性質が移ろわぬモノである以上、僕は彼女を殺そうとし続けるだろう。さて、佐山君。そんな僕を前にして、君はどうする?」
「無論、止めよう」
「どうやってだい? 僕に対しての交渉や説得は意味が無いぜ。僕はそういう存在だ。僕に役割を放棄しろいうのは、魚に空を飛べというようなものさ。それとも零崎君のように力尽くでいくかい? 君と僕とでは――さて、どちらが強いかな?」
「無手の相手に槍を構えながら言う台詞かね?」
やれやれ、と佐山は首を振った。どの道、力量差は眼前の光景が示している。
美姫の一撃に全く反応できなかった佐山と、辛うじてとはいえ反応できたブギーポップ――それが両者の差だ。
力ずくでも、交渉でも止められない相手。それは、つい先ほども――
「佐山君、君はさっき、自分の限界に気づいたはずだ。
彼女のように自分の気まぐれを押し通せる者や、僕のように自動的な存在に対して"君自身"は無力であると」
佐山・御言は無敵ではない。
なるほど弁は立つ。だが逆に言えば、それが通じぬ相手に対する有効手段には限りがあるということだ。
体は鍛えられ、技も身に着けている。達人と呼んでも誤謬ではないほどに。だが超人ではない。佐山・御言は人間の域を出ていない。
それらが通じねば、佐山・御言は無力だ。話を聞かぬ人外の輩に、佐山・御言は無力だ。
(いや――分かっていたとも)
自分は平和主義者だ。例えば午前中に出会ったギギナのような戦闘狂ではないし、世界全てを敵に回して勝利するような武力は無い。
この、人類の限界を超えた能力を持つ化け物たちが集う島において、戦闘力という点で自分は決して優位な立場に居ない。
だがそれは元の世界でも同じだったはずだ。マイナス概念しか持たぬ、最弱の世界たるLow-G。対して自分が交渉し、結果的に戦闘を繰り広げてきたのは己の世界が持つプラス概念を自在に繰る異世界達。
それでも互角以上に戦い、契約を結んでこれたのは自分に力があったからだ。日本UCAT。全竜交渉部隊。そういった組織を従える力が。
そうだ――それは佐山・御言が個人で発揮できる力ではない。
今の佐山・御言には決定的に力がない。
だから自分は人を集め、このゲームから脱出するための勢力を作ろうとしていたのだ。
しかし、それは未だなされていない。だから、こうして殺し合いを止められないでいる。
「なるほど。確かにこれは私の落ち度かな。私は君を止める手段を持ち合わせていない――」
佐山・御言は死んでも敗北を認めない。だがそれは彼が勝ち続けられるということではない。
一歩、後退する。ここにいる誰一人として他者の説得に応じるものではなく、また自分も交渉材料を持ち合わせていない。戦闘に貢献できる武器も能力も無い以上、佐山・御言がここで出来ることは何一つ無い。
「――今は、まだ」
だが、いずれは勝つ。
佐山の呟きを受けて、ほう、とブギーポップは試すように首を傾げて見せた。
「いずれは僕も説得できる、ということかな?」
「無論だ。君はあの時アマワを敵と呼んだな? 同じく私が奴の打倒を目指す以上、いずれ交渉の機会もあるだろう――そしてその時までに、私は君との交渉材料を用意して見せようではないか」
そう言いながら、佐山はくるりと反転して戦場に背を見せ、
「――よって、これは逃亡ではなく戦略的撤退なので念のため。とりあえずは武器を貸し逃げして貸し一ということにしようっ!」
脇目も振らず、全力でこの場を離れていく。
佐山が目指すのはダナティア達が居た筈のC-6マンション。
やはり放送で名を呼ばれてしまっていたが、それでも彼女の放送の力は残っている筈だ。
故に人は集まる。無論、それは殺人者を呼び寄せる危険もあったが、
(その危険性を加味していられるほど事態は緩徐なものでない――ブギーポップ君とアシュラム氏の二人掛りでも美姫を止められるかは未知数。いや、先ほどの武力交渉の結果を見れば、むしろ止められない公算が大きい。ならば私は彼らに時間を稼いでもらい、その隙に対抗するための勢力をつくる!)
それはつまり、あの二人を見捨てたともとれる形になる。
佐山は左胸を押さえつつ、苦笑した――新庄君がいれば、あるいはこんな手段を認めなかったかもしれない。
(私は悪役として正しい道を進んでいるのか?)
あるいはその答えを得るために、佐山は全力で暗い夜道を駆けていく。
確かに彼女は危険だ。だがアシュラム氏が救おうとするならその意思は酌むべきではないだろうか?」
声の主は佐山・御言。
この島から殺意を全て奪い、脱出の為には殺人者への許容すら強制する悪役。
「助けられた身でこんなことを言うのはどうかと思うが、そこはまあ私の人徳でカバーするとして。
騎士は救済を叫び、姫はそれに応えんとしている。
ならば我々がすべきなのはその手助けではないかね? 物語的に。
あえて言おう――空気を読め、と」
その台詞は無論、佐山の姓が吐いたものなれば、感情や好みから出たものではない。
いまこの場で最善なのはゲームに否定的なアシュラムが勝利し、美姫を完全に手なずけること。
次善は美姫を殺害し、それを救済としてとりあえずの危機を乗り越えること。
だがそんな次善を佐山・御言は認めない。何故ならその最善こそがこの島を脱出するに当たって必要な手段だからだ。
例えばもしも美姫をブギーポップが殺してしまえば、その後アシュラムの協力を得るのは難しくなるだろう。
ひいては宮野氏の遺恨を解決する手段も失われるということだ。彼の連れの名前は先の放送で呼ばれていたが、それでもまだ兵長がいるように、この島のどこかで火種として燻っているかもしれない。
そんな負の連鎖を食い止めんとする佐山の台詞に、だがブギーポップは頭をふって、
「――いずれこうなるとは思っていたよ、佐山君」
「こうなるとは?」
「君と僕が敵対するということさ。あらゆる殺人を許容しない君と、自動的な死神ではね」
何気なく、剣呑な台詞を吐いた。
「殺人鬼から殺意を奪えても、僕のような死神からは奪えない。そもそも奪えるものでもないのさ、僕の性質から見ればね。だから君が例の方針を翻さないならいずれ袂を分かつことは必然だった。この島には世界の敵が多すぎる」
「そんなことは――」
「例えば、僕は十叶詠子を始末しようとした」
さらりと告白される重大な事実。
しかしそれに対して、佐山も溜息をひとつ付き、
「――やはり、君か」
「おや、気づかれていたか」
「あのタイミングの良さではね。詠子君の失踪の直後に、入れ替わるように君が現れて……何より、彼女の"物語"を私は聞いている。おそらく、君の言う"世界の敵"に彼女が該当することは察していたよ――しかし詠子君の名が放送で呼ばれなかったのが引っかかっていてね。君に問いただすのはもう少し証拠を集めてからと思っていたが」
「恥ずかしながら、しくじってね――だがまだ彼女が生きて、その性質が移ろわぬモノである以上、僕は彼女を殺そうとし続けるだろう。さて、佐山君。そんな僕を前にして、君はどうする?」
「無論、止めよう」
「どうやってだい? 僕に対しての交渉や説得は意味が無いぜ。僕はそういう存在だ。僕に役割を放棄しろいうのは、魚に空を飛べというようなものさ。それとも零崎君のように力尽くでいくかい? 君と僕とでは――さて、どちらが強いかな?」
「無手の相手に槍を構えながら言う台詞かね?」
やれやれ、と佐山は首を振った。どの道、力量差は眼前の光景が示している。
美姫の一撃に全く反応できなかった佐山と、辛うじてとはいえ反応できたブギーポップ――それが両者の差だ。
力ずくでも、交渉でも止められない相手。それは、つい先ほども――
「佐山君、君はさっき、自分の限界に気づいたはずだ。
彼女のように自分の気まぐれを押し通せる者や、僕のように自動的な存在に対して"君自身"は無力であると」
佐山・御言は無敵ではない。
なるほど弁は立つ。だが逆に言えば、それが通じぬ相手に対する有効手段には限りがあるということだ。
体は鍛えられ、技も身に着けている。達人と呼んでも誤謬ではないほどに。だが超人ではない。佐山・御言は人間の域を出ていない。
それらが通じねば、佐山・御言は無力だ。話を聞かぬ人外の輩に、佐山・御言は無力だ。
(いや――分かっていたとも)
自分は平和主義者だ。例えば午前中に出会ったギギナのような戦闘狂ではないし、世界全てを敵に回して勝利するような武力は無い。
この、人類の限界を超えた能力を持つ化け物たちが集う島において、戦闘力という点で自分は決して優位な立場に居ない。
だがそれは元の世界でも同じだったはずだ。マイナス概念しか持たぬ、最弱の世界たるLow-G。対して自分が交渉し、結果的に戦闘を繰り広げてきたのは己の世界が持つプラス概念を自在に繰る異世界達。
それでも互角以上に戦い、契約を結んでこれたのは自分に力があったからだ。日本UCAT。全竜交渉部隊。そういった組織を従える力が。
そうだ――それは佐山・御言が個人で発揮できる力ではない。
今の佐山・御言には決定的に力がない。
だから自分は人を集め、このゲームから脱出するための勢力を作ろうとしていたのだ。
しかし、それは未だなされていない。だから、こうして殺し合いを止められないでいる。
「なるほど。確かにこれは私の落ち度かな。私は君を止める手段を持ち合わせていない――」
佐山・御言は死んでも敗北を認めない。だがそれは彼が勝ち続けられるということではない。
一歩、後退する。ここにいる誰一人として他者の説得に応じるものではなく、また自分も交渉材料を持ち合わせていない。戦闘に貢献できる武器も能力も無い以上、佐山・御言がここで出来ることは何一つ無い。
「――今は、まだ」
だが、いずれは勝つ。
佐山の呟きを受けて、ほう、とブギーポップは試すように首を傾げて見せた。
「いずれは僕も説得できる、ということかな?」
「無論だ。君はあの時アマワを敵と呼んだな? 同じく私が奴の打倒を目指す以上、いずれ交渉の機会もあるだろう――そしてその時までに、私は君との交渉材料を用意して見せようではないか」
そう言いながら、佐山はくるりと反転して戦場に背を見せ、
「――よって、これは逃亡ではなく戦略的撤退なので念のため。とりあえずは武器を貸し逃げして貸し一ということにしようっ!」
脇目も振らず、全力でこの場を離れていく。
佐山が目指すのはダナティア達が居た筈のC-6マンション。
やはり放送で名を呼ばれてしまっていたが、それでも彼女の放送の力は残っている筈だ。
故に人は集まる。無論、それは殺人者を呼び寄せる危険もあったが、
(その危険性を加味していられるほど事態は緩徐なものでない――ブギーポップ君とアシュラム氏の二人掛りでも美姫を止められるかは未知数。いや、先ほどの武力交渉の結果を見れば、むしろ止められない公算が大きい。ならば私は彼らに時間を稼いでもらい、その隙に対抗するための勢力をつくる!)
それはつまり、あの二人を見捨てたともとれる形になる。
佐山は左胸を押さえつつ、苦笑した――新庄君がいれば、あるいはこんな手段を認めなかったかもしれない。
(私は悪役として正しい道を進んでいるのか?)
あるいはその答えを得るために、佐山は全力で暗い夜道を駆けていく。
そして――悪役は去り、騎士と姫と死神が動き出した。
「ようやく、小うるさい話は終わりか――ならば、ゆるりと行くぞ」
美姫が一歩を踏み出し、アシュラムが応じるように前へ出、ブギーポップが闇に紛れる。
……こうして僅か三名による、だが間違いなくこのゲームの行く末を左右するであろう決戦が幕を開けた。
美姫が一歩を踏み出し、アシュラムが応じるように前へ出、ブギーポップが闇に紛れる。
……こうして僅か三名による、だが間違いなくこのゲームの行く末を左右するであろう決戦が幕を開けた。
◇◇◇
戦場を彩る明かりは月明かりのみ。
しかし、それは干戈を交える際に散る火花が目立たぬ程度には明るかった。よって、暗闇で目測を誤る心配は少ない。
(とはいえ――光量の問題というわけでもないか!)
歯を砕けんほどに食いしばりながら、アシュラムは胸中で雄叫びを上げた。
黒衣の騎士アシュラム。竜すら殺す最高の剣士。
ある騎士をして曰く、彼の者の剣を三合まで受けられれば十分に一流の剣士と言える。
――ならば、そのアシュラムを稚児のように扱うこの吸血鬼はなんと形容すべきか。
「そら、止めてみよ?」
細面の美女。顔の半分が焼け爛れているとはいえ、傍から見れば決して戦部には見えないだろう。
しかし何の気なしに繊手から放たれる一薙ぎは、アシュラムの知る如何なる戦士のものよりも重く、鋭い。
一撃がアシュラムの腕を痺れさせ、防御のために突き出した武器は悉く弾かれる。
「っ!」
再びガードを強引にこじ開けられ、その内に吸血鬼の手が弄うように侵入し、
「――無粋を」
「何度も言うが、僕は自動的でね」
ブギーポップの突き出した白い槍が、アシュラムを庇う様に吸血鬼の一撃を阻む。
しかし死神の一撃すら美姫には及ばない。美姫は無造作にG-Sp2を払うと、さらにブギーポップに向けてもう片方の凶手を振るった。
振るった右腕に連動してたなびいた衣の裾がまるで餅か何かのように伸び、ブギーポップを叩き潰すようにして地面を叩く。
するとまるで爆弾が落ちたかのような轟音が響き、裾が打った地面には深刻な罅割れが走った。
「私を殺すと言いながら逃げるだけか、死神とやら」
地面に死体がないのを確認して、苦々しそうに美姫が呟く。
人体の限界を引き出せるブギーポップをしてさえ、美姫の前では羽虫のようなものだ。その動きは吸血鬼の瞳に捉えられないものではないし、大した脅威にはならない。
だがこの羽虫は音を立てなかった。美姫の感覚を以ってしても、一度ブギーポップが闇に紛れてしまうとその存在を察知できなくなる。
それが、未だに騎士と死神の二人が吸血鬼の猛攻を凌げている理由でもあった。ブギーポップは決して前に出ず、アシュラムの危機をギリギリで救うだけに留めている。
もしも二人ともが真正面から挑めば、この戦いは最初の一撃で終わっていただろう。
ブギーポップが再び闇に紛れて移動を始める。アシュラムも体勢を整え、再び武器を構え直した。
と――そうして前に出ようとした黒衣の騎士の耳元で、死神の声が弾けた。
(――いい加減、協力してくれるとありがたいのだがね)
声は先ほどから幾度も聞こえていた。確かに耳元で響いているというのに、出所の不明瞭な声だ。
振り返って確認するような愚は冒さないが、それでも背後には誰も居ないであろうことをアシュラムは確信していた。
何度目かになるかは分からないが、これまでと同じ返答をする。
「くどい。貴様への協力というのは美姫を殺すということだろう。却下だ。邪魔をするな」
(――それが僕の仕事なのでね。どの道君一人では死ぬだけだよ。それでは彼女を救えまい)
それに対する死神の言葉も今までと大意は同じ。故に、アシュラムはさらに幾度も重ねた言葉を返そうとして、
「……」
だが、沈黙した。妖姫と数合を打ち、その力を実感し始めている。確かにこの実力差は如何ともしがたい。
全精力を掛けて予測すれば、何とか相手の一撃を受けることができるという程度。そこからの反撃など望むべくも無い。それほどの開きがある。
このままでは千日手にもなるまい。いずれはこちらの体力が尽きて攻撃を受け損ね、終わる。
アシュラムの逡巡を感じ取ったのか、死神は返答を待たずに話を続けた。
(もっとも、僕の方も似たようなものだがね――宮下藤花の体をここまで傷つけてしまうなんて)
よく聞けば、ブギーポップの飄々とした声にもどこか精彩さが欠けている。
もしも闇に紛れた死神を見ることができる者がいれば、その左腕が力なく垂れ下がっていたことに気づいただろう。最初に美姫から受けた攻撃の結果である。
G-Sp2を緩衝材にしてさえこのダメージ。
いや、この程度で済んで万々歳というところだろう。もしもこれが並みの装甲であればそれごと砕かれて終わりだったし、攻撃を受けたのがブギーポップでなければG-Sp2は防御装甲としての役割を果たさず、逆に体を砕く鈍器として作用したに違いない。
(――だがひとつだけ、僕に有利に働いている点がある)
「なんだ。言ってみろ」
(能力の制限だ)
そう言って、ブギーポップは自分の左腕を指差した。誰に見えるわけでもないが、そこには管理者たちによって捺された刻印が存在している。
(――僕がこの島に来たばかりの頃は、わざわざ対面して語らねば世界の敵を判別できなかった。だが今回、僕は彼女が世界の敵になる寸前に"出て"これた……何らかの影響で制限の状態が変動している。それも僕にとって都合の良い方向に)
「世界の敵――? それが何なのかは知らんが、そういった存在にお前が反応するというのなら、単に美姫が相当に強かったから対するお前の反応も強くなったというだけの話ではないのか?」
(うん、その可能性もある)
あっさりと話を翻すブギーポップに、アシュラムが顔をしかめた。
だがブギーポップはそれに構わず言葉を続ける。
(今回の世界の敵は、その性質も能力も単純だ……ただ、その度合いが大きすぎるというだけで。精神性はともかく、本来、単純な腕力だけでは世界を敵に回せない。だって世界は竜巻や台風といった、そういったパワーを内包してしまえるほど巨大なのだから。
しかし、もしもたった一人で世界を崩壊させてしまう単純なパワーを持てるというのなら、それは恐るべき世界の敵だ。そして、それはシンプルなだけに対策のしようが無い……)
やれやれ、とブギーポップは呻いた。
(まさに最大級の世界の危機だよ。この僕ですら殺せないかもしれない敵だ)
「ああ、お前には殺させん」
見えぬブギーポップにそれでも先んじるよう、アシュラムが一歩、美姫との距離を詰める。
「俺が、救う。志摩子ならばそうするだろうからな」
(なるほど、それが今の君の行動原理か。だが目的はあっても、それを達成する為の方法はあるのかね?)
「……それでも、俺はやるだけだ」
(強情だな。しかし、だからこそ君は彼女に傾倒しきらず、世界の敵になることなくバランスを保てているともいえるのだがね。
ならばここは折衷案といこうじゃないか。君も僕も、単独で彼女を相手にすればただ死ぬしかない。だから協力し合おう。
しかし最後に僕が殺すか、君が救うか――その点は、天の采配に任せようじゃないか)
なんとも胡散臭げな台詞に、アシュラムは皮肉気に笑った。
「先ほどから俺を盾代わりにしてる奴と協力とはな――しかし現状、それしか手が無いというのが腹立たしいところだ」
(お叱りは終わった後に受けようじゃないか)
「……しかし協力したところで、対抗などできるのか?」
(僕が攻めに転じよう。先ほど佐山君から拝借したこの武器なら、きっとあの吸血鬼にも通用する――)
「こそこそと何を相談しておる」
美姫が再度、踏み込んできていた。
さすがに会話に気を取られて殺されるなどという間抜けをアシュラムが犯す筈も無く、その一撃を偃月刀で受け、さらにブギーポップが、
「助力に回るのじゃろう? ――見飽きたわ」
「……!」
そう。闇に紛れたブギーポップを認識することが出来なくても、アシュラムのガードを崩せばそれをフォロー出来る位置に死神は出現する。
そのタイミングが分かればG-Sp2――槍による間合いは、十分に美姫の射程範囲であった。
美姫がその場で回転する。瞬きする間に、十、百、千と回転の回数が恐るべき勢いで積み上がる。もはや目視が追いつかぬほどの速度。
しかしその姿が霞むのは速度のせいだけではなかった。くるくると踊る妖姫に巻き込まれるようにして、轟と風が唸り始める。
風は強風から暴風へ。一瞬で削岩機の様相を呈し、
「――砕け散るがいい!」
半径十数メートルの竜巻の中心と化した美姫が高らかに叫び――
そして全ては渦巻き、砕けた。
しかし、それは干戈を交える際に散る火花が目立たぬ程度には明るかった。よって、暗闇で目測を誤る心配は少ない。
(とはいえ――光量の問題というわけでもないか!)
歯を砕けんほどに食いしばりながら、アシュラムは胸中で雄叫びを上げた。
黒衣の騎士アシュラム。竜すら殺す最高の剣士。
ある騎士をして曰く、彼の者の剣を三合まで受けられれば十分に一流の剣士と言える。
――ならば、そのアシュラムを稚児のように扱うこの吸血鬼はなんと形容すべきか。
「そら、止めてみよ?」
細面の美女。顔の半分が焼け爛れているとはいえ、傍から見れば決して戦部には見えないだろう。
しかし何の気なしに繊手から放たれる一薙ぎは、アシュラムの知る如何なる戦士のものよりも重く、鋭い。
一撃がアシュラムの腕を痺れさせ、防御のために突き出した武器は悉く弾かれる。
「っ!」
再びガードを強引にこじ開けられ、その内に吸血鬼の手が弄うように侵入し、
「――無粋を」
「何度も言うが、僕は自動的でね」
ブギーポップの突き出した白い槍が、アシュラムを庇う様に吸血鬼の一撃を阻む。
しかし死神の一撃すら美姫には及ばない。美姫は無造作にG-Sp2を払うと、さらにブギーポップに向けてもう片方の凶手を振るった。
振るった右腕に連動してたなびいた衣の裾がまるで餅か何かのように伸び、ブギーポップを叩き潰すようにして地面を叩く。
するとまるで爆弾が落ちたかのような轟音が響き、裾が打った地面には深刻な罅割れが走った。
「私を殺すと言いながら逃げるだけか、死神とやら」
地面に死体がないのを確認して、苦々しそうに美姫が呟く。
人体の限界を引き出せるブギーポップをしてさえ、美姫の前では羽虫のようなものだ。その動きは吸血鬼の瞳に捉えられないものではないし、大した脅威にはならない。
だがこの羽虫は音を立てなかった。美姫の感覚を以ってしても、一度ブギーポップが闇に紛れてしまうとその存在を察知できなくなる。
それが、未だに騎士と死神の二人が吸血鬼の猛攻を凌げている理由でもあった。ブギーポップは決して前に出ず、アシュラムの危機をギリギリで救うだけに留めている。
もしも二人ともが真正面から挑めば、この戦いは最初の一撃で終わっていただろう。
ブギーポップが再び闇に紛れて移動を始める。アシュラムも体勢を整え、再び武器を構え直した。
と――そうして前に出ようとした黒衣の騎士の耳元で、死神の声が弾けた。
(――いい加減、協力してくれるとありがたいのだがね)
声は先ほどから幾度も聞こえていた。確かに耳元で響いているというのに、出所の不明瞭な声だ。
振り返って確認するような愚は冒さないが、それでも背後には誰も居ないであろうことをアシュラムは確信していた。
何度目かになるかは分からないが、これまでと同じ返答をする。
「くどい。貴様への協力というのは美姫を殺すということだろう。却下だ。邪魔をするな」
(――それが僕の仕事なのでね。どの道君一人では死ぬだけだよ。それでは彼女を救えまい)
それに対する死神の言葉も今までと大意は同じ。故に、アシュラムはさらに幾度も重ねた言葉を返そうとして、
「……」
だが、沈黙した。妖姫と数合を打ち、その力を実感し始めている。確かにこの実力差は如何ともしがたい。
全精力を掛けて予測すれば、何とか相手の一撃を受けることができるという程度。そこからの反撃など望むべくも無い。それほどの開きがある。
このままでは千日手にもなるまい。いずれはこちらの体力が尽きて攻撃を受け損ね、終わる。
アシュラムの逡巡を感じ取ったのか、死神は返答を待たずに話を続けた。
(もっとも、僕の方も似たようなものだがね――宮下藤花の体をここまで傷つけてしまうなんて)
よく聞けば、ブギーポップの飄々とした声にもどこか精彩さが欠けている。
もしも闇に紛れた死神を見ることができる者がいれば、その左腕が力なく垂れ下がっていたことに気づいただろう。最初に美姫から受けた攻撃の結果である。
G-Sp2を緩衝材にしてさえこのダメージ。
いや、この程度で済んで万々歳というところだろう。もしもこれが並みの装甲であればそれごと砕かれて終わりだったし、攻撃を受けたのがブギーポップでなければG-Sp2は防御装甲としての役割を果たさず、逆に体を砕く鈍器として作用したに違いない。
(――だがひとつだけ、僕に有利に働いている点がある)
「なんだ。言ってみろ」
(能力の制限だ)
そう言って、ブギーポップは自分の左腕を指差した。誰に見えるわけでもないが、そこには管理者たちによって捺された刻印が存在している。
(――僕がこの島に来たばかりの頃は、わざわざ対面して語らねば世界の敵を判別できなかった。だが今回、僕は彼女が世界の敵になる寸前に"出て"これた……何らかの影響で制限の状態が変動している。それも僕にとって都合の良い方向に)
「世界の敵――? それが何なのかは知らんが、そういった存在にお前が反応するというのなら、単に美姫が相当に強かったから対するお前の反応も強くなったというだけの話ではないのか?」
(うん、その可能性もある)
あっさりと話を翻すブギーポップに、アシュラムが顔をしかめた。
だがブギーポップはそれに構わず言葉を続ける。
(今回の世界の敵は、その性質も能力も単純だ……ただ、その度合いが大きすぎるというだけで。精神性はともかく、本来、単純な腕力だけでは世界を敵に回せない。だって世界は竜巻や台風といった、そういったパワーを内包してしまえるほど巨大なのだから。
しかし、もしもたった一人で世界を崩壊させてしまう単純なパワーを持てるというのなら、それは恐るべき世界の敵だ。そして、それはシンプルなだけに対策のしようが無い……)
やれやれ、とブギーポップは呻いた。
(まさに最大級の世界の危機だよ。この僕ですら殺せないかもしれない敵だ)
「ああ、お前には殺させん」
見えぬブギーポップにそれでも先んじるよう、アシュラムが一歩、美姫との距離を詰める。
「俺が、救う。志摩子ならばそうするだろうからな」
(なるほど、それが今の君の行動原理か。だが目的はあっても、それを達成する為の方法はあるのかね?)
「……それでも、俺はやるだけだ」
(強情だな。しかし、だからこそ君は彼女に傾倒しきらず、世界の敵になることなくバランスを保てているともいえるのだがね。
ならばここは折衷案といこうじゃないか。君も僕も、単独で彼女を相手にすればただ死ぬしかない。だから協力し合おう。
しかし最後に僕が殺すか、君が救うか――その点は、天の采配に任せようじゃないか)
なんとも胡散臭げな台詞に、アシュラムは皮肉気に笑った。
「先ほどから俺を盾代わりにしてる奴と協力とはな――しかし現状、それしか手が無いというのが腹立たしいところだ」
(お叱りは終わった後に受けようじゃないか)
「……しかし協力したところで、対抗などできるのか?」
(僕が攻めに転じよう。先ほど佐山君から拝借したこの武器なら、きっとあの吸血鬼にも通用する――)
「こそこそと何を相談しておる」
美姫が再度、踏み込んできていた。
さすがに会話に気を取られて殺されるなどという間抜けをアシュラムが犯す筈も無く、その一撃を偃月刀で受け、さらにブギーポップが、
「助力に回るのじゃろう? ――見飽きたわ」
「……!」
そう。闇に紛れたブギーポップを認識することが出来なくても、アシュラムのガードを崩せばそれをフォロー出来る位置に死神は出現する。
そのタイミングが分かればG-Sp2――槍による間合いは、十分に美姫の射程範囲であった。
美姫がその場で回転する。瞬きする間に、十、百、千と回転の回数が恐るべき勢いで積み上がる。もはや目視が追いつかぬほどの速度。
しかしその姿が霞むのは速度のせいだけではなかった。くるくると踊る妖姫に巻き込まれるようにして、轟と風が唸り始める。
風は強風から暴風へ。一瞬で削岩機の様相を呈し、
「――砕け散るがいい!」
半径十数メートルの竜巻の中心と化した美姫が高らかに叫び――
そして全ては渦巻き、砕けた。
◇◇◇
衝撃が幾度も全身を蹂躙した。ジェットコースター並みの速度で回る観覧車にでも乗ればこんな気分を味わえるだろうか。
いや、実際のところは竜巻に巻き込まれて何度も地面に叩きつけられているのだから、より正確さをもとめるなら自分は洗濯機の中の衣類というところか。
そして最後の衝撃を背中に受け、ブギーポップはようやく凶悪な洗濯槽からその身を脱した。
背後を見れば、そこにあったのは先ほどまで自分が居た小屋だ。幸運なことに竜巻が蹂躙した範囲に直接は入っていなかったらしく、何とか皮一枚のところで倒壊を免れている。
(……僕も似たようなものか)
竜巻の渦中にあった分、自分の息が続いている現状は、背後の小屋よりも幸運だったといえるだろう。
だがダメージの大きさは如何ともしがたい。
罅が入っていた左腕は完全にへし折れ、そのせいで庇うことの出来なかった左半身の被害は甚大だ。左足は股関節から脱臼してあらぬ方向を向いているし、側頭部を酷く打ったようで視界は歪み、さらに目に血が入ってその歪んだ景色すら半分になっている。
体は地面に叩きつけられた衝撃が染み込んでショック状態にあり、自分の着ているブギーポップの衣装はボロボロだった。
たった、一撃。だがあの世界の敵とこちらの戦力差からみれば、この結果は必至ではあった。
(しかし、僕は自動的なのでね……)
それが分かってもなお、立ち向かわねばならない。それを苦痛にも疑問にも思わない。
ショック状態にあるはずの体を無理やり動かし、背後の小屋を支えに、右足だけで体を起こす。
その様は不気味だった。痛みに顔をしかめもせず、ただ無表情で駆動する人の形。まるで壊れかけのアンドロイドが無理に動こうとしているような錯覚を覚える。
その立ち上がったブギーポップの首元に、傷一つ無いたおやかな手が添えられた。
「さて――よくもよくも小うるさい羽虫よ。どうしてくれようか」
無論、差し伸べられた手の持ち主は美姫である。
その細腕ひとつで、小柄とはいえブギーポップの体を足が地から浮くほどに持ち上げて見せる。
だがブギーポップの顔に苦痛は浮かんでいない。そのすまし顔が気に入らぬとでもいう風に、美姫はもう片方の手でブギーポップの左腕を掴んだ。
骨折している箇所を淫らな印象を漂わせる動きで揉んで行く。腕の中で折れ、凶悪な断面を晒しているカルシウムの塊が内側から柔肉を蹂躙した。
しかし、そんな拷問じみた行為を施されてもブギーポップは顔色一つ変えない。
「ほ。悲鳴一つあげぬか。ならば四肢を一つずつ捥いでいこうか。彼の比干の如く、心の臓を取り出して穴をあけやるのも楽しかろうな」
「それ、は、勘弁願いたいね……」
苦痛は浮かべずとも酸欠は如何ともしがたいのか、赤黒く顔を変色させながら死に掛けの死神は呻いた。
「この体は、借り物なの、でね――竹田君に、怒られてしまう、よ」
「そうか。ならばやはりそうしてやろう」
美姫は喜色を浮かべ、まずは無事なほうの右腕を引き千切ってやろうとし――
そして、気づいた。
ブギーポップが握っていたはずの白い槍が、いつの間にかその色と形状を変じていることに。
「……これは、青龍偃月刀!?」
そう。それは先ほどまでアシュラムが振るっていた朱色の薙刀だ。
だがこれがここにあるということは、先ほどまでブギーポップが振るっていたG-Sp2は――
「あの竜巻の中でか!」
そう。すでにブギーポップは"そいつ"に告げていた。
鶴翼斬魔も切れ味ならば劣るまいが、しかしこの場であの吸血鬼に通じるのは世界を内部に納めた白き槍のみであると。
本来、正当な持ち主でなければ概念核の力は解放できないが、しかしこの特異な空間では偃月刀が誰にでも扱えるように、その力も僅かに発揮されている。
美姫が気づいたその時には、すでに黒の孤影が彼女たちのもとに走りこんできていた。
影の名はアシュラム。その手にはブギーポップが竜巻の中で手放した神槍――10th-Gの概念を込められたG-Sp2が新たに握られている。
姫を止め、救済せんとする騎士が放つ太刀筋は美麗の一言。
刹那の内に二閃。
そして切断。
赤き螺旋を描いて、美姫の両腕が宙を舞った。
「――止めてみせたぞ、美姫よ」
いや、実際のところは竜巻に巻き込まれて何度も地面に叩きつけられているのだから、より正確さをもとめるなら自分は洗濯機の中の衣類というところか。
そして最後の衝撃を背中に受け、ブギーポップはようやく凶悪な洗濯槽からその身を脱した。
背後を見れば、そこにあったのは先ほどまで自分が居た小屋だ。幸運なことに竜巻が蹂躙した範囲に直接は入っていなかったらしく、何とか皮一枚のところで倒壊を免れている。
(……僕も似たようなものか)
竜巻の渦中にあった分、自分の息が続いている現状は、背後の小屋よりも幸運だったといえるだろう。
だがダメージの大きさは如何ともしがたい。
罅が入っていた左腕は完全にへし折れ、そのせいで庇うことの出来なかった左半身の被害は甚大だ。左足は股関節から脱臼してあらぬ方向を向いているし、側頭部を酷く打ったようで視界は歪み、さらに目に血が入ってその歪んだ景色すら半分になっている。
体は地面に叩きつけられた衝撃が染み込んでショック状態にあり、自分の着ているブギーポップの衣装はボロボロだった。
たった、一撃。だがあの世界の敵とこちらの戦力差からみれば、この結果は必至ではあった。
(しかし、僕は自動的なのでね……)
それが分かってもなお、立ち向かわねばならない。それを苦痛にも疑問にも思わない。
ショック状態にあるはずの体を無理やり動かし、背後の小屋を支えに、右足だけで体を起こす。
その様は不気味だった。痛みに顔をしかめもせず、ただ無表情で駆動する人の形。まるで壊れかけのアンドロイドが無理に動こうとしているような錯覚を覚える。
その立ち上がったブギーポップの首元に、傷一つ無いたおやかな手が添えられた。
「さて――よくもよくも小うるさい羽虫よ。どうしてくれようか」
無論、差し伸べられた手の持ち主は美姫である。
その細腕ひとつで、小柄とはいえブギーポップの体を足が地から浮くほどに持ち上げて見せる。
だがブギーポップの顔に苦痛は浮かんでいない。そのすまし顔が気に入らぬとでもいう風に、美姫はもう片方の手でブギーポップの左腕を掴んだ。
骨折している箇所を淫らな印象を漂わせる動きで揉んで行く。腕の中で折れ、凶悪な断面を晒しているカルシウムの塊が内側から柔肉を蹂躙した。
しかし、そんな拷問じみた行為を施されてもブギーポップは顔色一つ変えない。
「ほ。悲鳴一つあげぬか。ならば四肢を一つずつ捥いでいこうか。彼の比干の如く、心の臓を取り出して穴をあけやるのも楽しかろうな」
「それ、は、勘弁願いたいね……」
苦痛は浮かべずとも酸欠は如何ともしがたいのか、赤黒く顔を変色させながら死に掛けの死神は呻いた。
「この体は、借り物なの、でね――竹田君に、怒られてしまう、よ」
「そうか。ならばやはりそうしてやろう」
美姫は喜色を浮かべ、まずは無事なほうの右腕を引き千切ってやろうとし――
そして、気づいた。
ブギーポップが握っていたはずの白い槍が、いつの間にかその色と形状を変じていることに。
「……これは、青龍偃月刀!?」
そう。それは先ほどまでアシュラムが振るっていた朱色の薙刀だ。
だがこれがここにあるということは、先ほどまでブギーポップが振るっていたG-Sp2は――
「あの竜巻の中でか!」
そう。すでにブギーポップは"そいつ"に告げていた。
鶴翼斬魔も切れ味ならば劣るまいが、しかしこの場であの吸血鬼に通じるのは世界を内部に納めた白き槍のみであると。
本来、正当な持ち主でなければ概念核の力は解放できないが、しかしこの特異な空間では偃月刀が誰にでも扱えるように、その力も僅かに発揮されている。
美姫が気づいたその時には、すでに黒の孤影が彼女たちのもとに走りこんできていた。
影の名はアシュラム。その手にはブギーポップが竜巻の中で手放した神槍――10th-Gの概念を込められたG-Sp2が新たに握られている。
姫を止め、救済せんとする騎士が放つ太刀筋は美麗の一言。
刹那の内に二閃。
そして切断。
赤き螺旋を描いて、美姫の両腕が宙を舞った。
「――止めてみせたぞ、美姫よ」
◇◇◇
くるくると回り、その回転を血の軌跡で表しながら、吸血鬼の腕が宙を舞う。
その不気味なオブジェの下で、三人はそれぞれ微動だにせず佇んでいた。
ブギーポップは自分を拘束していた腕が断ち切られたことで解放され、しかしその身を支えることが出来ずに再び地面に倒れ伏している。
もはや戦闘能力は無いも同然だった。これでは歩くことすら敵うまい。機械のような自動さも、しかし破損してしまえば動きようがない。
アシュラムは息も荒く、そして体はブギーポップほどでないにしても満身創痍だった。漆黒の鎧は砕け、マントは引き千切れている。アバラも二、三は折れているだろう――これ以上動けば内臓を傷つけ死に至るかもしれない。
そして、両腕を失った美姫は一瞬きょとんとした顔を見せ、G-Sp2を杖代わりにしているアシュラムを見やる。
「……私を止め、救うと言っていたなアシュラム。だが――」
「無傷で、とは言っていない。どの道、貴女はこれくらいしなければ止まらぬだろう」
くるくると、腕が、回る。
切り上げられ宙を舞う二つの白い繊手は自身が描く放物線の頂上に達し、下降の意思を見せていた。
アシュラムは一度大きく息を吸い込み、息を無理やり整え、美姫と向かい合った。
自らが纏うマントの残骸を脱ぎ捨て、即席の包帯にするように裂いていく。
「手当てを――その程度の傷で死ぬということもないだろうが、しかし血をどれだけ失っていいというものでもあるまい」
「私が言いたいのはな、アシュラム」
美姫の顔に浮かんでいたのは、憐憫。
アシュラムがその表情を訝んだ瞬間、
「まだ……だ!」
響いたのは、ようやく肺に酸素を取り入れることのできたブギーポップの掠れた叫び。
腕が、落ちてくる。
「この程度で私を止めた気か? と――そう訊ねたのじゃ」
落下する吸血鬼の腕が地面に触れることはなかった。
それはあまりに美しい両腕が土塗れになることを、地面自身が拒否したとでも言うように。
それぞれの腕が美姫の横を通過しようとした瞬間、まるで引き寄せられるように軌道が変化。
美姫が両腕を持ち上げてみせる。切断面など僅かにも確認できない、綺麗に癒着した白い美手を。
――確かに切り離したはずの両腕は、だが一瞬で再生を果たしていた。
「我が腕を切断せしめたのは見事――せつらの糸にも迫る妙技よ。だが、その程度で私を止めることは叶わぬぞ」
美姫という大吸血鬼の真に恐るべきところは、あらゆる装甲を紙切れの如く引き裂いてしまうような攻撃力ではない。
100万度のレーザーを受けても平然とし、彼の魔界医師にすら癒せぬ傷を瞬時に塞ぐ、防御・再生機能こそ、彼女を不滅とする要因なのだ。
アシュラムの体が一度、びくんと揺れた。
全身の筋肉が強張り、そして次の瞬間には弛緩する。
だが、彼の黒騎士が膝を付くことは無かった。
なぜなら、その体の中心を再生した美姫の細腕が刺し貫いていたからである。
さながらピン止めされた昆虫標本を思わせる、腹から入り背へ抜ける一撃。完全な致命傷であった。
彼の装備する"影纏い"がレプリカでなく、真作であればこのような結果も免れたかもしれないが……
「ごっ――ふ」
アシュラムが血を吐く。
喉の奥、重要臓器からの致命的な出血。
ごぼごぼとまるで滝のように吐き出される赤い液体を、美姫はまるでシャワーでも浴びるかのようにその肢体で受け止める。
「――よい。分かっておった。せつらに及ぶ男など、有り得ぬということはな」
言葉に反して、妖姫の顔に浮かぶのは寂寥の情。
鮮血を零し、急速に死につつある黒衣の将を惜しむように、あるいは慈しむように、美姫は彼の逞しい体を血に濡れていない方の手で抱き寄せた。
「それでも、お前は永劫に語られる英傑の一人であろう……せめて我が腕の中で眠ることを慰めとせよ。そして、」
美姫の双眸に、紅き光が爛々と灯る。
魔眼――まさにその言葉に相応しい様相であった。
その紅眼が睨むのは、地面に倒れ伏したブギーポップである。
もはや着ているマントの惨状も合わさって一見襤褸屑にしか見えぬそれは、しかし未だ妖姫を斃すことを諦めておらず、力なく垂れ下がっているアシュラムの腕から転がり落ちたG-Sp2を取り返そうとしていた。
構わず、美姫が片足を振り上げる。
「引き際を知らぬ死神は、根の国に帰るが良い――」
言葉と共に振り下ろされた足刀は、音速を軽く超える勢いで死神の首を砕く。
そう、砕く。だから間に合うはずも無い。刹那の間もなく、語られた都市伝説はここで潰える。間に合うはずが無い。
だからその声は、美姫の魔眼がブギーポップを捉える前に囁かれていたのだろう。
鋭く、速く。まさか半死人が紡いだとは思わせぬほど力のある言葉。
声の主はブギーポップ。そしてその内容は――
その不気味なオブジェの下で、三人はそれぞれ微動だにせず佇んでいた。
ブギーポップは自分を拘束していた腕が断ち切られたことで解放され、しかしその身を支えることが出来ずに再び地面に倒れ伏している。
もはや戦闘能力は無いも同然だった。これでは歩くことすら敵うまい。機械のような自動さも、しかし破損してしまえば動きようがない。
アシュラムは息も荒く、そして体はブギーポップほどでないにしても満身創痍だった。漆黒の鎧は砕け、マントは引き千切れている。アバラも二、三は折れているだろう――これ以上動けば内臓を傷つけ死に至るかもしれない。
そして、両腕を失った美姫は一瞬きょとんとした顔を見せ、G-Sp2を杖代わりにしているアシュラムを見やる。
「……私を止め、救うと言っていたなアシュラム。だが――」
「無傷で、とは言っていない。どの道、貴女はこれくらいしなければ止まらぬだろう」
くるくると、腕が、回る。
切り上げられ宙を舞う二つの白い繊手は自身が描く放物線の頂上に達し、下降の意思を見せていた。
アシュラムは一度大きく息を吸い込み、息を無理やり整え、美姫と向かい合った。
自らが纏うマントの残骸を脱ぎ捨て、即席の包帯にするように裂いていく。
「手当てを――その程度の傷で死ぬということもないだろうが、しかし血をどれだけ失っていいというものでもあるまい」
「私が言いたいのはな、アシュラム」
美姫の顔に浮かんでいたのは、憐憫。
アシュラムがその表情を訝んだ瞬間、
「まだ……だ!」
響いたのは、ようやく肺に酸素を取り入れることのできたブギーポップの掠れた叫び。
腕が、落ちてくる。
「この程度で私を止めた気か? と――そう訊ねたのじゃ」
落下する吸血鬼の腕が地面に触れることはなかった。
それはあまりに美しい両腕が土塗れになることを、地面自身が拒否したとでも言うように。
それぞれの腕が美姫の横を通過しようとした瞬間、まるで引き寄せられるように軌道が変化。
美姫が両腕を持ち上げてみせる。切断面など僅かにも確認できない、綺麗に癒着した白い美手を。
――確かに切り離したはずの両腕は、だが一瞬で再生を果たしていた。
「我が腕を切断せしめたのは見事――せつらの糸にも迫る妙技よ。だが、その程度で私を止めることは叶わぬぞ」
美姫という大吸血鬼の真に恐るべきところは、あらゆる装甲を紙切れの如く引き裂いてしまうような攻撃力ではない。
100万度のレーザーを受けても平然とし、彼の魔界医師にすら癒せぬ傷を瞬時に塞ぐ、防御・再生機能こそ、彼女を不滅とする要因なのだ。
アシュラムの体が一度、びくんと揺れた。
全身の筋肉が強張り、そして次の瞬間には弛緩する。
だが、彼の黒騎士が膝を付くことは無かった。
なぜなら、その体の中心を再生した美姫の細腕が刺し貫いていたからである。
さながらピン止めされた昆虫標本を思わせる、腹から入り背へ抜ける一撃。完全な致命傷であった。
彼の装備する"影纏い"がレプリカでなく、真作であればこのような結果も免れたかもしれないが……
「ごっ――ふ」
アシュラムが血を吐く。
喉の奥、重要臓器からの致命的な出血。
ごぼごぼとまるで滝のように吐き出される赤い液体を、美姫はまるでシャワーでも浴びるかのようにその肢体で受け止める。
「――よい。分かっておった。せつらに及ぶ男など、有り得ぬということはな」
言葉に反して、妖姫の顔に浮かぶのは寂寥の情。
鮮血を零し、急速に死につつある黒衣の将を惜しむように、あるいは慈しむように、美姫は彼の逞しい体を血に濡れていない方の手で抱き寄せた。
「それでも、お前は永劫に語られる英傑の一人であろう……せめて我が腕の中で眠ることを慰めとせよ。そして、」
美姫の双眸に、紅き光が爛々と灯る。
魔眼――まさにその言葉に相応しい様相であった。
その紅眼が睨むのは、地面に倒れ伏したブギーポップである。
もはや着ているマントの惨状も合わさって一見襤褸屑にしか見えぬそれは、しかし未だ妖姫を斃すことを諦めておらず、力なく垂れ下がっているアシュラムの腕から転がり落ちたG-Sp2を取り返そうとしていた。
構わず、美姫が片足を振り上げる。
「引き際を知らぬ死神は、根の国に帰るが良い――」
言葉と共に振り下ろされた足刀は、音速を軽く超える勢いで死神の首を砕く。
そう、砕く。だから間に合うはずも無い。刹那の間もなく、語られた都市伝説はここで潰える。間に合うはずが無い。
だからその声は、美姫の魔眼がブギーポップを捉える前に囁かれていたのだろう。
鋭く、速く。まさか半死人が紡いだとは思わせぬほど力のある言葉。
声の主はブギーポップ。そしてその内容は――
「――撃て、兵長君!」
その声が、まるで爆弾の信管に対する入力だったかのように。
彼らの傍にあった小屋が、内側から粉々に吹き飛んだ。
彼らの傍にあった小屋が、内側から粉々に吹き飛んだ。
◇◇◇
「もうすぐここに、世界の敵が現れる」
宮下藤花と一瞬ですり変わったそいつと兵長は、倉庫の中で奇妙な対面を果たしていた。
先ほどまで普通に話していた何の特異性もない少女の変貌に、兵長は戸惑ってもごもごと質問を発する。
『世界の敵? いや、その前にお前は一体――』
「名前はブギーポップだ。説明する暇も無いので、宮下藤花は二重人格だったとでも納得しておいて欲しい。
そして世界の敵とは読んでの字の如く。放って置けば世界を滅ぼしかねないものであり、僕の敵でもある。しかし――」
兵長の疑問を無理やり封じ込め、ブギーポップは肩を竦めた。
「今回の"敵"は強力だ。おそらく、僕一人では返り討ちにあうのが関の山だろう」
『自分ひとりで納得してんじゃねえよ……なんでまだ会ってもいないのにそんなことが分かる?』
全く同じ顔、同じ服装だというのに、もはや宮下藤花の面影は欠片も無い。自然、兵長の口調も連れの不死人を相手にするようなぞんざいなものに変わっていく。
――刻印の無い兵長は知らない。その連れが、0時の放送で名を呼ばれたことを。
ブギーポップはそれを知っている筈だったが。兵長には伝えていない。この怪人が何を思ってそうしたのかは、自動的な故に本人に訊ねても分からないだろう。
隠し事をしている様子など僅かにも見せず、ブギーポップは話し続ける。
「分かるのだから仕方が無い――あえて言うなら、それが僕の"機能"だからだ……どうやら、僕に掛けられた制限が変動しつつあるらしいね。殺戮を加速させる為に元から時限式を採用していたのか、あるいは――」
そこで急に言いよどむ怪人に、兵長は首を――無いが――傾げるような心持で訊ねた。
『あるいは?』
「……いや、これはまだ分からない。とにかく僕じゃ敵わない奴が相手になるということは確かだ」
そう言って、宮下藤花の姿をしたそいつは慇懃にぺこりと頭を下げて見せた。態度のせいであまり誠意は感じられないが。
「君の協力が必要だ、兵長君」
『……まあ、一応お前も宮下の嬢ちゃんだって言えなくもねえんなら、死なれたら寝覚めも悪いし協力してやるのは吝かじゃねえけどよ……』
先ほどの会話を思い出し、どこか唸るように兵長はスピーカーからノイズを吐き出した。
『――にしてもその世界の敵っつったか? それは一体どんな奴だっていうんだ?』
「さあ? 僕は反応して浮き上がっただけだからね。例えばどんな容姿であるとか、どういう能力を持つのかまではわからないよ」
『……分かるって言ったり分からねえって言ったり、胡散臭い野郎だ』
「これは手厳しいな――しかし」
兵長はぞくりと震えた。
それまでどこかコミカルささえ感じることのできた怪人の声音が急変し、ギラリとしたものを帯びたからだ。
もはや肉体も無い身で、自分のどこがその反応を生み出したかは分からなかったが、だが確かにそいつの声には死神が魂を刈り取る際に振るう大鎌のような鋭さがあった。
宮下藤花と一瞬ですり変わったそいつと兵長は、倉庫の中で奇妙な対面を果たしていた。
先ほどまで普通に話していた何の特異性もない少女の変貌に、兵長は戸惑ってもごもごと質問を発する。
『世界の敵? いや、その前にお前は一体――』
「名前はブギーポップだ。説明する暇も無いので、宮下藤花は二重人格だったとでも納得しておいて欲しい。
そして世界の敵とは読んでの字の如く。放って置けば世界を滅ぼしかねないものであり、僕の敵でもある。しかし――」
兵長の疑問を無理やり封じ込め、ブギーポップは肩を竦めた。
「今回の"敵"は強力だ。おそらく、僕一人では返り討ちにあうのが関の山だろう」
『自分ひとりで納得してんじゃねえよ……なんでまだ会ってもいないのにそんなことが分かる?』
全く同じ顔、同じ服装だというのに、もはや宮下藤花の面影は欠片も無い。自然、兵長の口調も連れの不死人を相手にするようなぞんざいなものに変わっていく。
――刻印の無い兵長は知らない。その連れが、0時の放送で名を呼ばれたことを。
ブギーポップはそれを知っている筈だったが。兵長には伝えていない。この怪人が何を思ってそうしたのかは、自動的な故に本人に訊ねても分からないだろう。
隠し事をしている様子など僅かにも見せず、ブギーポップは話し続ける。
「分かるのだから仕方が無い――あえて言うなら、それが僕の"機能"だからだ……どうやら、僕に掛けられた制限が変動しつつあるらしいね。殺戮を加速させる為に元から時限式を採用していたのか、あるいは――」
そこで急に言いよどむ怪人に、兵長は首を――無いが――傾げるような心持で訊ねた。
『あるいは?』
「……いや、これはまだ分からない。とにかく僕じゃ敵わない奴が相手になるということは確かだ」
そう言って、宮下藤花の姿をしたそいつは慇懃にぺこりと頭を下げて見せた。態度のせいであまり誠意は感じられないが。
「君の協力が必要だ、兵長君」
『……まあ、一応お前も宮下の嬢ちゃんだって言えなくもねえんなら、死なれたら寝覚めも悪いし協力してやるのは吝かじゃねえけどよ……』
先ほどの会話を思い出し、どこか唸るように兵長はスピーカーからノイズを吐き出した。
『――にしてもその世界の敵っつったか? それは一体どんな奴だっていうんだ?』
「さあ? 僕は反応して浮き上がっただけだからね。例えばどんな容姿であるとか、どういう能力を持つのかまではわからないよ」
『……分かるって言ったり分からねえって言ったり、胡散臭い野郎だ』
「これは手厳しいな――しかし」
兵長はぞくりと震えた。
それまでどこかコミカルささえ感じることのできた怪人の声音が急変し、ギラリとしたものを帯びたからだ。
もはや肉体も無い身で、自分のどこがその反応を生み出したかは分からなかったが、だが確かにそいつの声には死神が魂を刈り取る際に振るう大鎌のような鋭さがあった。
「そいつはおそらく、この島での君の運命に大きく関わっている――今までの運命にも、そしてこれからのモノにも」
その言葉の意味は、その時の兵長には何のことだか分からなかったが――
◇◇◇
そして、現在。
あの時死神が口にした運命という言葉。その意味が今なら分かる。
「――撃て、兵長君!」
倉庫の外から響くブギーポップの声に、兵長は無音の咆哮をあげた。
(待ちかねたぜ――!)
倉庫の中。組み立てられたダンボールの上で、兵長はその時を待っていた。
ノイズが粒子となり、ラジオの外に隻足の中年男性の像を作り上げる。
その虚像の顔に浮かんでいるのは、烈火の如き怒り。
聞いていた。ずっと、聞いていた。奴らの声をここでずっと聞かされていたのだ。
あの時死神が口にした運命という言葉。その意味が今なら分かる。
「――撃て、兵長君!」
倉庫の外から響くブギーポップの声に、兵長は無音の咆哮をあげた。
(待ちかねたぜ――!)
倉庫の中。組み立てられたダンボールの上で、兵長はその時を待っていた。
ノイズが粒子となり、ラジオの外に隻足の中年男性の像を作り上げる。
その虚像の顔に浮かんでいるのは、烈火の如き怒り。
聞いていた。ずっと、聞いていた。奴らの声をここでずっと聞かされていたのだ。
――まあ、余興程度にはなった。
――謝罪すべきは私じゃな。もっとも、それをする気は微塵もないが。
呆れるほど短気だった自分がここまで我慢できたというのは奇跡に近い。あるいは、怒りが大きすぎて自分でも扱いかねていたのかもしれないが。
ぶちぶちと今の体であるラジオが音を立てる。スパークする半導体は、自らの血管が千切れる音にも似ていた。
兵長は支給品扱いだ。その体に能力を制限する刻印は刻まれていない。
無論、制限は肉体に刻まれた刻印だけではないが――しかし、兵長が他の参加者に比べて本来に近い出力を出せるのは理屈であった。
しかも、ここまで本気で力を使ったことは元の世界でも数えるほどしかない。
酷使してきたこのラジオが保つかどうかは微妙なところではあったが、それでも。
『ミヤノとしずくの仇だ……!』
手心を加える気など、一切ない。
スピーカーが目視できるほど膨らみ、保護用に掛けられている金属製の網目がいくつかはちきれた。
幽霊である兵長が放つ故か霊体にすら作用する、ただの物理現象に収まらない衝撃波。
最大威力のそれが、開放される。
ぶちぶちと今の体であるラジオが音を立てる。スパークする半導体は、自らの血管が千切れる音にも似ていた。
兵長は支給品扱いだ。その体に能力を制限する刻印は刻まれていない。
無論、制限は肉体に刻まれた刻印だけではないが――しかし、兵長が他の参加者に比べて本来に近い出力を出せるのは理屈であった。
しかも、ここまで本気で力を使ったことは元の世界でも数えるほどしかない。
酷使してきたこのラジオが保つかどうかは微妙なところではあったが、それでも。
『ミヤノとしずくの仇だ……!』
手心を加える気など、一切ない。
スピーカーが目視できるほど膨らみ、保護用に掛けられている金属製の網目がいくつかはちきれた。
幽霊である兵長が放つ故か霊体にすら作用する、ただの物理現象に収まらない衝撃波。
最大威力のそれが、開放される。
◇◇◇
内側から破壊の力を加えられた倉庫は盛大に弾け飛び、その破片をあちこちへと四散させた。
しかし兵長の衝撃波は指向性を持ったものだ。倉庫全体が吹き飛んだのは、もともと大した造りではなかったのと、先ほどの竜巻で基部に致命的なダメージが与えられていたからに過ぎない。
その衝撃波本体は木製の薄壁を貫通し、美姫を直撃していた。もとより、ラジオの兵長は外界を視覚で認識しているわけではない――かつては数両ほどを隔てて別車両にいるキーリを探し当てたほどだ。薄い木製の壁一枚くらい、認識の障害とは成り得ない。
しかし、数千年を生きる妖姫がその程度の力で傷つくわけもなかった。
「おのれ。ちょこざいな真似を」
並みの人間の体ならぐちゃぐちゃにしてしまう衝撃波をまるでそよ風でも浴びるように真正面から受け止め、むしろ飛び交う倉庫の破片と巻き起こる土埃が髪や体を汚すことの方に顔をしかめながら、全く焦る風なく美姫は呟く。
しかし、すぐにその顔が憤怒に歪んだ。
彼女の怒りを喚起させたのは、頬にかかる血液――衝撃波の直撃によってその身を切り裂かれたアシュラムの鮮血である。
「下級霊如きが! この誇り高き将を汚すことが叶うと思うてか!?」
『うるせえ! 知ったことか!』
物怖じもせず叫び返す兵長――発射の際にダンボールから転げ落ちたらしく、憑依しているラジオはあわや分解寸前という状態だったが、すでに第二撃目が充填され、周囲にはポルターガイストによって建材の破片が大小いくつも浮かび上がっている。ラジオ自身もその騒霊現象によって浮かび上がり、銃口を突きつけるガンマンのように美姫に向かってスピーカーを構えていた。
『食らえ貴様っ!』
「失せよ!」
二撃目を兵長が放つ――今度は間を隔てるものが無いため、威力も一射目とは比べ物にならない。
対して、美姫がアシュラムを抱きかかえていた左腕を激情に任せて振るう――衣の裾が伸び、衝撃波とぶつかり合うような軌道を描いて、
あっけなく、兵長の衝撃波を吹き散らした。
のみだけに留まらず、裾は布らしいふわりとした動きで宙に浮いている兵長を包み込む。
『このっ……』
完全に包まれる前に続けて衝撃波を放とうとするが、しかしそれは間に合わず。
兵長を包んだ布が帯を結ぶようにきゅっと締まり、中心から小さな破砕音が響いた。
布の隙間から、粉々になった半導体やスピーカー、選局のツマミといった部品が零れ落ちていく。
長いこと憑依霊をしていた兵長はラジオの基盤に同調してしまっているため、ラジオの崩壊はそのまま兵長という存在の終焉を意味していた。
ノイズで形成された軍服姿の中年男性像が半ば崩れ、その顔がくしゃりと歪み――
『へっ、ここまでか……だが、』
にやりと、深い皺を刻んだ。
『貴様も道連れになるんだな。あの世でミヤノとしずくに詫びやがれ――なあ、世界の敵さんとやらよ?』
「何を……?」
その台詞に美姫は訝るように眉を寄せ――
そして、はっとして足元を見下ろした。
あの死神の首をへし折らんと叩き付けた筈の爪先が――しかし空を切っていた。
足と地面の間には、散らばった倉庫の破片以外には何も無い。
そう――確かに地面に倒れ、そしてもう動けなかった筈のブギーポップが消失してしまっていたのである。
(奴は――?)
ブギーポップ。その特異性は、さながら泡の如く『外側は確かに存在するのにその中身ががらんどうである』というような、一種の存在感の無さにある。
それはあらゆる鼓動を探知する能力者や、魂のカタチを見る魔女、果てに遁甲の法すら軽がると破るこの妖姫でさえ見通すことはできなかった。
そしてこの至近距離においても、死神は妖姫が兵長への怒りを募らせた瞬間――その感情の隙をついて、まさに自動的に標的の抹殺へと動き出していたのだ。
(私があの憑依霊に気を向けたあの時――あの時、何が起きていた?)
その瞬間の光景を思い出す。ラジオは二度目の衝撃波を準備し、そしてその周囲には木の破片がいくつも浮遊して――
ポルターガイスト。
その言葉に思い当たった時には、すでにそいつは美姫の死角から最後の攻撃を放っていた。
兵長の巻き起こしたポルターガイスト現象に移動を補助され、同じく騒霊現象によって宙を舞ったG-Sp2を手に。
右足だけで渾身の踏み出しを行い、美姫の心臓を突き破らんと最速の突きを放つブギーポップが。
(これは――)
遅い。満身創痍のブギーポップが放つそれは、制限があってもなお、平時の美姫ならば十分に対応できるものであった。
だがタイミングが不味い。
左腕は兵長を砕くために伸ばしきってしまっていた――怒りに任せて放った一撃だった為、これを引き戻すのは間に合わない。
そしてもう片方の手は、未だアシュラムを貫いたままだ。
こちらを使えば、槍は払える――槍は払えるが、
(黒衣の将の体を、引き裂かねばらならん――)
美姫の行動を制限できる者は居ない。しかし、もし仮にそれが出来るとすればそれは美姫本人だけだろう。彼女の感情が、彼女の動きを止める。
迷うように体が痙攣する。と、
その振動に目を覚ましたかのように、それまで脱力していたアシュラムの両手が力強い動きを見せ、美姫の両肩を掴んだ。
そのまま力を込め、美姫の耳元で囁くように顔を移動させる――
「……志、摩子のよ、うには、いかなか、った……姫、よ……俺では、貴女を救えぬ――」
だが、とアシュラムは血の色に染まった吐息を歯列の隙間から洩らし、力強く、
「――絶望は、与えん!」
放たれたその言葉に、美姫はさらに一瞬の躊躇を覚え――
そしてその躊躇をすり抜けるように、ブギーポップは背後から美姫の左胸に神槍を叩き込んだ。
しかし兵長の衝撃波は指向性を持ったものだ。倉庫全体が吹き飛んだのは、もともと大した造りではなかったのと、先ほどの竜巻で基部に致命的なダメージが与えられていたからに過ぎない。
その衝撃波本体は木製の薄壁を貫通し、美姫を直撃していた。もとより、ラジオの兵長は外界を視覚で認識しているわけではない――かつては数両ほどを隔てて別車両にいるキーリを探し当てたほどだ。薄い木製の壁一枚くらい、認識の障害とは成り得ない。
しかし、数千年を生きる妖姫がその程度の力で傷つくわけもなかった。
「おのれ。ちょこざいな真似を」
並みの人間の体ならぐちゃぐちゃにしてしまう衝撃波をまるでそよ風でも浴びるように真正面から受け止め、むしろ飛び交う倉庫の破片と巻き起こる土埃が髪や体を汚すことの方に顔をしかめながら、全く焦る風なく美姫は呟く。
しかし、すぐにその顔が憤怒に歪んだ。
彼女の怒りを喚起させたのは、頬にかかる血液――衝撃波の直撃によってその身を切り裂かれたアシュラムの鮮血である。
「下級霊如きが! この誇り高き将を汚すことが叶うと思うてか!?」
『うるせえ! 知ったことか!』
物怖じもせず叫び返す兵長――発射の際にダンボールから転げ落ちたらしく、憑依しているラジオはあわや分解寸前という状態だったが、すでに第二撃目が充填され、周囲にはポルターガイストによって建材の破片が大小いくつも浮かび上がっている。ラジオ自身もその騒霊現象によって浮かび上がり、銃口を突きつけるガンマンのように美姫に向かってスピーカーを構えていた。
『食らえ貴様っ!』
「失せよ!」
二撃目を兵長が放つ――今度は間を隔てるものが無いため、威力も一射目とは比べ物にならない。
対して、美姫がアシュラムを抱きかかえていた左腕を激情に任せて振るう――衣の裾が伸び、衝撃波とぶつかり合うような軌道を描いて、
あっけなく、兵長の衝撃波を吹き散らした。
のみだけに留まらず、裾は布らしいふわりとした動きで宙に浮いている兵長を包み込む。
『このっ……』
完全に包まれる前に続けて衝撃波を放とうとするが、しかしそれは間に合わず。
兵長を包んだ布が帯を結ぶようにきゅっと締まり、中心から小さな破砕音が響いた。
布の隙間から、粉々になった半導体やスピーカー、選局のツマミといった部品が零れ落ちていく。
長いこと憑依霊をしていた兵長はラジオの基盤に同調してしまっているため、ラジオの崩壊はそのまま兵長という存在の終焉を意味していた。
ノイズで形成された軍服姿の中年男性像が半ば崩れ、その顔がくしゃりと歪み――
『へっ、ここまでか……だが、』
にやりと、深い皺を刻んだ。
『貴様も道連れになるんだな。あの世でミヤノとしずくに詫びやがれ――なあ、世界の敵さんとやらよ?』
「何を……?」
その台詞に美姫は訝るように眉を寄せ――
そして、はっとして足元を見下ろした。
あの死神の首をへし折らんと叩き付けた筈の爪先が――しかし空を切っていた。
足と地面の間には、散らばった倉庫の破片以外には何も無い。
そう――確かに地面に倒れ、そしてもう動けなかった筈のブギーポップが消失してしまっていたのである。
(奴は――?)
ブギーポップ。その特異性は、さながら泡の如く『外側は確かに存在するのにその中身ががらんどうである』というような、一種の存在感の無さにある。
それはあらゆる鼓動を探知する能力者や、魂のカタチを見る魔女、果てに遁甲の法すら軽がると破るこの妖姫でさえ見通すことはできなかった。
そしてこの至近距離においても、死神は妖姫が兵長への怒りを募らせた瞬間――その感情の隙をついて、まさに自動的に標的の抹殺へと動き出していたのだ。
(私があの憑依霊に気を向けたあの時――あの時、何が起きていた?)
その瞬間の光景を思い出す。ラジオは二度目の衝撃波を準備し、そしてその周囲には木の破片がいくつも浮遊して――
ポルターガイスト。
その言葉に思い当たった時には、すでにそいつは美姫の死角から最後の攻撃を放っていた。
兵長の巻き起こしたポルターガイスト現象に移動を補助され、同じく騒霊現象によって宙を舞ったG-Sp2を手に。
右足だけで渾身の踏み出しを行い、美姫の心臓を突き破らんと最速の突きを放つブギーポップが。
(これは――)
遅い。満身創痍のブギーポップが放つそれは、制限があってもなお、平時の美姫ならば十分に対応できるものであった。
だがタイミングが不味い。
左腕は兵長を砕くために伸ばしきってしまっていた――怒りに任せて放った一撃だった為、これを引き戻すのは間に合わない。
そしてもう片方の手は、未だアシュラムを貫いたままだ。
こちらを使えば、槍は払える――槍は払えるが、
(黒衣の将の体を、引き裂かねばらならん――)
美姫の行動を制限できる者は居ない。しかし、もし仮にそれが出来るとすればそれは美姫本人だけだろう。彼女の感情が、彼女の動きを止める。
迷うように体が痙攣する。と、
その振動に目を覚ましたかのように、それまで脱力していたアシュラムの両手が力強い動きを見せ、美姫の両肩を掴んだ。
そのまま力を込め、美姫の耳元で囁くように顔を移動させる――
「……志、摩子のよ、うには、いかなか、った……姫、よ……俺では、貴女を救えぬ――」
だが、とアシュラムは血の色に染まった吐息を歯列の隙間から洩らし、力強く、
「――絶望は、与えん!」
放たれたその言葉に、美姫はさらに一瞬の躊躇を覚え――
そしてその躊躇をすり抜けるように、ブギーポップは背後から美姫の左胸に神槍を叩き込んだ。
◇◇◇
吸血鬼の背に、白の大槍が突き刺さる。
それはまるで古より伝わる滅びの法にあるように、白木の杭を打たれる様にも見えた。だが、
(――浅いか!)
力を使い果たし、地面に倒れ伏しながらブギーポップは呻いた。
槍は、心臓まで届いていない――ほんの皮一枚、あと数ミリというところで止まっている。だが届かなければ数ミリだろうが数メートルだろうが結果は同じだ。
「――貴様」
吸血鬼は首だけを動かして肩越しに振り返り、ブギーポップを視界に収める。
そう、結果は同じだ。もはや仕込みの策も尽き、力を使い果たしたブギーポップは本当に動くことが出来ない。
美姫にとってはこの程度の傷なら、怪我の内にも入らないだろう。一瞬で再生し、そして次の瞬間には敵を引き裂いている。
もっとも、吸血鬼は再生を待つこともしないようだった。
引き戻した左腕を振り上げている。振り向きざまにブギーポップに振り下ろすつもりだ。
鎧も何も身に纏っていないブギーポップはひとたまりも無い。
(世界の、終わりか――)
そうして、今までは自分が世界の敵に振りまいてきた"死"が、こちらの頭上に降ってくる。
高速の物体が、空間を突き進む鋭い気配。
そして、容赦なく引き裂かれた。
それはまるで古より伝わる滅びの法にあるように、白木の杭を打たれる様にも見えた。だが、
(――浅いか!)
力を使い果たし、地面に倒れ伏しながらブギーポップは呻いた。
槍は、心臓まで届いていない――ほんの皮一枚、あと数ミリというところで止まっている。だが届かなければ数ミリだろうが数メートルだろうが結果は同じだ。
「――貴様」
吸血鬼は首だけを動かして肩越しに振り返り、ブギーポップを視界に収める。
そう、結果は同じだ。もはや仕込みの策も尽き、力を使い果たしたブギーポップは本当に動くことが出来ない。
美姫にとってはこの程度の傷なら、怪我の内にも入らないだろう。一瞬で再生し、そして次の瞬間には敵を引き裂いている。
もっとも、吸血鬼は再生を待つこともしないようだった。
引き戻した左腕を振り上げている。振り向きざまにブギーポップに振り下ろすつもりだ。
鎧も何も身に纏っていないブギーポップはひとたまりも無い。
(世界の、終わりか――)
そうして、今までは自分が世界の敵に振りまいてきた"死"が、こちらの頭上に降ってくる。
高速の物体が、空間を突き進む鋭い気配。
そして、容赦なく引き裂かれた。
――夜の、しじまが。
響くのは肉と骨が潰れる生々しい音ではなく、銃声。
連続して響く破裂音。拳銃のように軽く、短いものではない。ある程度の重みと伸びを伴って空間に浸透するこれは、長銃――ショットガンが連射される音だ。
突然の乱入者の正体は、木陰から身を躍らせた一人の旅人だった。
腰だめに構えたショットガンから、散弾を狙い違わず目標に集中させる様は熟練と才能を窺わせる。
その目標は――今まさに佐山の同盟者であった宮下藤花を打ち砕こうとしている吸血鬼。
無論、本来なら直径数ミリの鉛弾などいくら食らっても美姫にとってダメージとはならない。
だが今は違う。音速超過で飛来するとてつもないエネルギーを持った鉛の群れは――
美姫の背中に突き刺さっていたG-Sp2。その盾の裏側部分にその何発かが命中した。
刃が達し得なかった心臓までの距離、僅か数ミリ。
その数ミリを、弾丸の運動エネルギーが押し進めた。
概念の力を宿す刃が、吸血鬼の急所――即ち心臓を穿ち破る。
「、ぁ――?」
吸血鬼の目が見開かれる。まるで何が起きたか分からぬとでも言う風に。
その口から漏れるのは、確かな苦鳴。
次いで体ががくりと傾き、貫いたままのアシュラムを押し倒すように、うつ伏せにゆっくりと倒れ伏していく。
そして完全にその体を横たえ、活動を停止させるころには、モトラドを押した旅人がそのすぐ傍にまで接近していた。
旅人はすでに空になったショットガンを投げ捨て、ソーコムピストルを引き抜いている。
油断無くそれを構えながら、モトラドをセンタースタンドで立たせ、槍の刺さった吸血鬼を観察。
「……死んでる、かな?」
「こんなでっかい槍が刺さってるのに確信できないってすっごいねー――勿論、こっちの美人なお姉さんの生命力が、だけど」
エルメスの茶々は無視して、旅人――キノはどうやら相手が死んでいるようだと確信できたのか、ようやく拳銃をホルスターにしまう。
「……で、エルメス。こっちのボロボロの黒マントの方が、例のサヤマって人の仲間でいいんだよね?」
「うーん。まあ、一応顔はそうなんだけど――あんな風に戦えるなんて思ってなかったなぁ。パースエイダーの腕はともかく、殴り合ったらキノよりも強いんじゃない?」
「……だろうね。正直、僕なんかじゃ相手にならない」
キノは溜息を付きながら、浅く、それでも確かに呼吸をしているブギーポップを見つめた。
状況はギリギリのところだった。だがキノ達は草の獣から得た情報により、仲間の窮地を救わんとで急いで馳せ参じた――というわけではない。
現在時刻は二日目の0:20前後。海洋遊園地からここまで直線距離にして約2キロ弱――モトラドなら十数分でたどり着ける距離である。
零時の放送が終わって数分後には、彼らはここに辿り着いていた。
そのまま出て行かなかったのは、すでに美姫とアシュラム、ブギーポップによる戦闘が始まっていたからである。
キノが佐山の元にやってきたのは同盟が目的だ。殺人者でも構わずに受け入れるという特異な集団。それを利用して、キノは勝ち残りを目指すつもりでいた。
しかし目の前で起こっているのは明らかな人外達の抗争。これに巻き込まれるのはキノとしては御免被るというのが正直なところだ。
それでもキノがこの場から離れず、わざわざ北側の森林地域にまで回りこんで情勢を観察していたのは、二つの理由からである。
まずひとつめ。草の獣の存在。
道中聞いた話によって、この奇妙な生物は件の佐山が持っている"本体"から派生する端末のようなもので、こちらの情報は向こうに筒抜けなのだという風にキノは理解していた。
そうである以上、ここで同盟者のひとりを見殺しにすれば後々印象が悪くなるであろうし、そうすると仮に受け入れてもらえても武装の制限などを課される可能性がある
だからこそすぐに逃亡に移らず、自分に被害が及ばない限りでは静観することを決めた。
そして第二の理由はここで超人たちをひとり、安全に始末できる可能性があったからだ。
自分が勝ち残りを狙う上で障害となるであろう零崎のような人外の輩。
しかも目の前で戦闘を繰り広げていた三人組は、その零崎すらも凌駕する身体能力を発揮していた。
この戦闘で潰しあって共倒れになってくれればよし。もしそうならなくても、手傷を負った残りの一人か二人を仕留められるかもしれない。
そして実際、こうして残りの一人は虫の息だ。
「……」
キノはホルスター越しに、『カノン』を指先で軽く叩いた。
自分は現在殺人よりも保身を優先してはいる。だがそれは殺人をしないということではない。むしろゲームに勝ち残る為の保身という意味でなら、自分より強い者は殺せるときに殺しておくべきだ。
今なら容易に始末できる。パースエイダーすら使わずに。
キノは屈み込み、ブギーポップの首元に両腕を伸ばし――
頬を、ぴたぴたと軽く叩いてみた。
反応はない――どうやら気を失っているらしい。キノは知る由も無いが、すでにブギーポップは宮下藤花に戻っていた。普通の女子高生が現状の負傷からもたらされる痛みに耐えられる筈も無く、そのまま悲鳴を上げることもなく気絶したのである。
(……暴れられるよりはいいかな)
どの道、この場で治療ができるわけでもない――キノは落ちていたアシュラムのマントを拾うと、裂けかけていたそれを完全に裁断し、一本の紐になるように結び合わせた。即席のおんぶ紐だ。
それで宮下藤花の体を無理やり自分の体に縛り付け、さらにモトラドの後部キャリアに座らせる。股関節が外れている状態では激痛が走っただろうが、相当深く失神しているらしく、宮下藤花は目を覚まさなかった。
後輪に巻き込まないように足の位置を調整しながら、キノは溜息を吐いた。これは完全な足手纏いだ。だが置いていくには問題が一つ。
『みやした おもい くるしいよ』
「我慢して」
宮下藤花とキャリアーの間に挟まれてむーむー唸っている草の獣に、運転席に座ったキノがにべもなく告げる。この奇妙な生物さえいなければもう少し上手く立ち回れるのだろうが。
キノが殺戮に走れなかったのも、やはりこの奇妙な動物のせいだった。監視されているようなこの状態では心象を下げるような行動は慎むしかない。でなければ絶好のチャンスだったのだが。
だがその一方で、この怪人に手を出さなくて済んだことにキノはまた安堵も覚えていた。このコンディションで戦闘行動をとるような化け物だ。もしかしたら、殺しきる前に反応して反撃してきたかもしれない。
(……実際、さっきのだって危なかったみたいだし)
震える手で、モトラドのハンドルを左右に振り、二人乗りで不安定な重心を確かめる。
さっきの、というのは美姫を撃ったことだ。
もしも例の集団の一員であるブギーポップが敗北するようなら、キノはブギーポップを見捨てて逃げていただろう。
だが情勢はほぼ互角。そして最後の一撃をブギーポップが美姫に叩き込んだ瞬間、キノは天秤がブギーポップ側に傾いたと確信した。
故に行った援護射撃。だがあれはこれからの集団行動の中で上手く立ち回るべく、少しでも点数稼ぎをしよういう打算から生まれた行為だ。
念のためにと思い、虎の子だったショットガンの残弾を全て吐き出したが、それでもブギーポップの一撃で勝負はついたと思っていた。
しかしその見通しは甘かったのだ。
木陰から飛び出した瞬間、キノはそのことを痛感していた。胸に槍を突き刺されても、あの美しい女怪は動いて見せた。それが死に掛けの悪足掻きなどではなかったことくらい、キノにも理解できる。
さらにあの死体には散弾による傷がなかった――つまり死んだのは完全に偶然か何かで、もしかすれば自分が反対に殺されていたかもしれないということだ。
(――紙一重だ)
先ほどの淑芳も、今回の美姫も。
超人を相手に自分が勝利する為には足りない物が多すぎる。何とかこの二連戦を不意打ちに近い形でやり過ごしてはいるが、こんな戦い方では遠からず身を滅ぼすだろう。
(僕は、もっと知らなければいけない。どうすれば勝てるのか。相手はどんな力を持っているのか。この島で、知識は重要な武器になる)
出来ればこの集団内で、少しはその知識を得られれば良いのだが。
とりあえずは、移動したらしい草の獣の"本体"を追うべきだろう。負傷者を背負っての追跡は手間だろうが、仕方が無い。
草の獣が指示する方向にハンドルを向け、キノはエルメスを発進させた。
連続して響く破裂音。拳銃のように軽く、短いものではない。ある程度の重みと伸びを伴って空間に浸透するこれは、長銃――ショットガンが連射される音だ。
突然の乱入者の正体は、木陰から身を躍らせた一人の旅人だった。
腰だめに構えたショットガンから、散弾を狙い違わず目標に集中させる様は熟練と才能を窺わせる。
その目標は――今まさに佐山の同盟者であった宮下藤花を打ち砕こうとしている吸血鬼。
無論、本来なら直径数ミリの鉛弾などいくら食らっても美姫にとってダメージとはならない。
だが今は違う。音速超過で飛来するとてつもないエネルギーを持った鉛の群れは――
美姫の背中に突き刺さっていたG-Sp2。その盾の裏側部分にその何発かが命中した。
刃が達し得なかった心臓までの距離、僅か数ミリ。
その数ミリを、弾丸の運動エネルギーが押し進めた。
概念の力を宿す刃が、吸血鬼の急所――即ち心臓を穿ち破る。
「、ぁ――?」
吸血鬼の目が見開かれる。まるで何が起きたか分からぬとでも言う風に。
その口から漏れるのは、確かな苦鳴。
次いで体ががくりと傾き、貫いたままのアシュラムを押し倒すように、うつ伏せにゆっくりと倒れ伏していく。
そして完全にその体を横たえ、活動を停止させるころには、モトラドを押した旅人がそのすぐ傍にまで接近していた。
旅人はすでに空になったショットガンを投げ捨て、ソーコムピストルを引き抜いている。
油断無くそれを構えながら、モトラドをセンタースタンドで立たせ、槍の刺さった吸血鬼を観察。
「……死んでる、かな?」
「こんなでっかい槍が刺さってるのに確信できないってすっごいねー――勿論、こっちの美人なお姉さんの生命力が、だけど」
エルメスの茶々は無視して、旅人――キノはどうやら相手が死んでいるようだと確信できたのか、ようやく拳銃をホルスターにしまう。
「……で、エルメス。こっちのボロボロの黒マントの方が、例のサヤマって人の仲間でいいんだよね?」
「うーん。まあ、一応顔はそうなんだけど――あんな風に戦えるなんて思ってなかったなぁ。パースエイダーの腕はともかく、殴り合ったらキノよりも強いんじゃない?」
「……だろうね。正直、僕なんかじゃ相手にならない」
キノは溜息を付きながら、浅く、それでも確かに呼吸をしているブギーポップを見つめた。
状況はギリギリのところだった。だがキノ達は草の獣から得た情報により、仲間の窮地を救わんとで急いで馳せ参じた――というわけではない。
現在時刻は二日目の0:20前後。海洋遊園地からここまで直線距離にして約2キロ弱――モトラドなら十数分でたどり着ける距離である。
零時の放送が終わって数分後には、彼らはここに辿り着いていた。
そのまま出て行かなかったのは、すでに美姫とアシュラム、ブギーポップによる戦闘が始まっていたからである。
キノが佐山の元にやってきたのは同盟が目的だ。殺人者でも構わずに受け入れるという特異な集団。それを利用して、キノは勝ち残りを目指すつもりでいた。
しかし目の前で起こっているのは明らかな人外達の抗争。これに巻き込まれるのはキノとしては御免被るというのが正直なところだ。
それでもキノがこの場から離れず、わざわざ北側の森林地域にまで回りこんで情勢を観察していたのは、二つの理由からである。
まずひとつめ。草の獣の存在。
道中聞いた話によって、この奇妙な生物は件の佐山が持っている"本体"から派生する端末のようなもので、こちらの情報は向こうに筒抜けなのだという風にキノは理解していた。
そうである以上、ここで同盟者のひとりを見殺しにすれば後々印象が悪くなるであろうし、そうすると仮に受け入れてもらえても武装の制限などを課される可能性がある
だからこそすぐに逃亡に移らず、自分に被害が及ばない限りでは静観することを決めた。
そして第二の理由はここで超人たちをひとり、安全に始末できる可能性があったからだ。
自分が勝ち残りを狙う上で障害となるであろう零崎のような人外の輩。
しかも目の前で戦闘を繰り広げていた三人組は、その零崎すらも凌駕する身体能力を発揮していた。
この戦闘で潰しあって共倒れになってくれればよし。もしそうならなくても、手傷を負った残りの一人か二人を仕留められるかもしれない。
そして実際、こうして残りの一人は虫の息だ。
「……」
キノはホルスター越しに、『カノン』を指先で軽く叩いた。
自分は現在殺人よりも保身を優先してはいる。だがそれは殺人をしないということではない。むしろゲームに勝ち残る為の保身という意味でなら、自分より強い者は殺せるときに殺しておくべきだ。
今なら容易に始末できる。パースエイダーすら使わずに。
キノは屈み込み、ブギーポップの首元に両腕を伸ばし――
頬を、ぴたぴたと軽く叩いてみた。
反応はない――どうやら気を失っているらしい。キノは知る由も無いが、すでにブギーポップは宮下藤花に戻っていた。普通の女子高生が現状の負傷からもたらされる痛みに耐えられる筈も無く、そのまま悲鳴を上げることもなく気絶したのである。
(……暴れられるよりはいいかな)
どの道、この場で治療ができるわけでもない――キノは落ちていたアシュラムのマントを拾うと、裂けかけていたそれを完全に裁断し、一本の紐になるように結び合わせた。即席のおんぶ紐だ。
それで宮下藤花の体を無理やり自分の体に縛り付け、さらにモトラドの後部キャリアに座らせる。股関節が外れている状態では激痛が走っただろうが、相当深く失神しているらしく、宮下藤花は目を覚まさなかった。
後輪に巻き込まないように足の位置を調整しながら、キノは溜息を吐いた。これは完全な足手纏いだ。だが置いていくには問題が一つ。
『みやした おもい くるしいよ』
「我慢して」
宮下藤花とキャリアーの間に挟まれてむーむー唸っている草の獣に、運転席に座ったキノがにべもなく告げる。この奇妙な生物さえいなければもう少し上手く立ち回れるのだろうが。
キノが殺戮に走れなかったのも、やはりこの奇妙な動物のせいだった。監視されているようなこの状態では心象を下げるような行動は慎むしかない。でなければ絶好のチャンスだったのだが。
だがその一方で、この怪人に手を出さなくて済んだことにキノはまた安堵も覚えていた。このコンディションで戦闘行動をとるような化け物だ。もしかしたら、殺しきる前に反応して反撃してきたかもしれない。
(……実際、さっきのだって危なかったみたいだし)
震える手で、モトラドのハンドルを左右に振り、二人乗りで不安定な重心を確かめる。
さっきの、というのは美姫を撃ったことだ。
もしも例の集団の一員であるブギーポップが敗北するようなら、キノはブギーポップを見捨てて逃げていただろう。
だが情勢はほぼ互角。そして最後の一撃をブギーポップが美姫に叩き込んだ瞬間、キノは天秤がブギーポップ側に傾いたと確信した。
故に行った援護射撃。だがあれはこれからの集団行動の中で上手く立ち回るべく、少しでも点数稼ぎをしよういう打算から生まれた行為だ。
念のためにと思い、虎の子だったショットガンの残弾を全て吐き出したが、それでもブギーポップの一撃で勝負はついたと思っていた。
しかしその見通しは甘かったのだ。
木陰から飛び出した瞬間、キノはそのことを痛感していた。胸に槍を突き刺されても、あの美しい女怪は動いて見せた。それが死に掛けの悪足掻きなどではなかったことくらい、キノにも理解できる。
さらにあの死体には散弾による傷がなかった――つまり死んだのは完全に偶然か何かで、もしかすれば自分が反対に殺されていたかもしれないということだ。
(――紙一重だ)
先ほどの淑芳も、今回の美姫も。
超人を相手に自分が勝利する為には足りない物が多すぎる。何とかこの二連戦を不意打ちに近い形でやり過ごしてはいるが、こんな戦い方では遠からず身を滅ぼすだろう。
(僕は、もっと知らなければいけない。どうすれば勝てるのか。相手はどんな力を持っているのか。この島で、知識は重要な武器になる)
出来ればこの集団内で、少しはその知識を得られれば良いのだが。
とりあえずは、移動したらしい草の獣の"本体"を追うべきだろう。負傷者を背負っての追跡は手間だろうが、仕方が無い。
草の獣が指示する方向にハンドルを向け、キノはエルメスを発進させた。
◇◇◇
――その場には死人だけが残されていた。
死は、よく虚無に例えられる。死ねば何もかもお終いになる。死は永遠の安寧であると。
しかし、それは当人たる死者だけの認識に過ぎない。現実として、死は様々なものを残す。
例えば死体だ。心臓が停止した、あるいは魂が失われたその肉の塊は、だが死した瞬間に消えうせるわけではない。
そこには皮膚があり、筋肉があり、神経があり、内臓がある。体中を巡る血管には血液が詰まっている――もはやそれが本人にとって無用の長物だとしても。
そして本人にとって無用の長物ならば、他者がそれをどう扱おうと構わない訳だ。
死は、よく虚無に例えられる。死ねば何もかもお終いになる。死は永遠の安寧であると。
しかし、それは当人たる死者だけの認識に過ぎない。現実として、死は様々なものを残す。
例えば死体だ。心臓が停止した、あるいは魂が失われたその肉の塊は、だが死した瞬間に消えうせるわけではない。
そこには皮膚があり、筋肉があり、神経があり、内臓がある。体中を巡る血管には血液が詰まっている――もはやそれが本人にとって無用の長物だとしても。
そして本人にとって無用の長物ならば、他者がそれをどう扱おうと構わない訳だ。
ぴちゃりと、血液の撥ねる音がする。
ブギーポップは言った――"制限の変動が、自分にとって有利な方向に働いている"と。
だが、それは果たして彼だけに起こった変化なのであろうか?
だが、それは果たして彼だけに起こった変化なのであろうか?
例えば、不気味な泡と出典の世界を同じくするリィ舞阪――フォルテッシモ。
彼に課せられた制限は軽く、この世界においてもほぼ十全の力を発揮できていた。
彼に課せられた制限は軽く、この世界においてもほぼ十全の力を発揮できていた。
例えば、撲殺天使――三塚井ドクロ。
彼女はイレギュラーによって、その刻印から開放された。
彼女はイレギュラーによって、その刻印から開放された。
「ふ――ふ、ふ」
死人が、哂う。
ぴちゃぴちゃと、己の腕で貫いた死体から流れ出る血を、その舌で舐めとっていく。
凄絶な光景。だがどこか淫靡さを孕んだ空気が辺りに漂っている。
凄絶な光景。だがどこか淫靡さを孕んだ空気が辺りに漂っている。
呪いの刻印は、参加者の能力に制限を加える――だが、すでにそれは一律のものではなくなった。
天使長バベル、機械仕掛けの魔導士イザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファー。
両名が目論んだ小細工が、全ての刻印の機能を狂わせた。
天使長バベル、機械仕掛けの魔導士イザーク・フェルナンド・フォン・ケンプファー。
両名が目論んだ小細工が、全ての刻印の機能を狂わせた。
だから、それは。
この証明遊戯のルールが、緩慢に、だが着実と崩壊し始めていたことを意味していて。
「ふ、ははは――!」
――本来は殺し合いが目的であった筈の舞台に、真なる不死者が紛れ込んでいる。
呪いの刻印は魂と肉体に刻み込まれている。
故に参加者たちはその解除に苦慮を重ねていた。二段構えの刻印は、本来一人の力では解除し得ないものだった。
故に参加者たちはその解除に苦慮を重ねていた。二段構えの刻印は、本来一人の力では解除し得ないものだった。
だが逆に考えれば。
それはつまり、魂を消し飛ばされ、その肉の部位を抉り、そして、そして――"そんな状態でも生きていられる"怪物ならば。
それをされるだけで、ことは済む。
「あははははは――!」
「あははははは――!」
死人は――美姫は白痴の如き笑い声を上げた。
背に突き刺さった槍を抜き取り、地面に打ち付ける。カウリングがさらに砕け、コンソールに罅が入った。
概念核兵器の一撃で、美姫の魂は引き裂かれた。
そして再生する。魂は癒着し、ただそこにあった異物のみが欠落した。
そして再生する。魂は癒着し、ただそこにあった異物のみが欠落した。
ならば残りの刻印は、身体に刻まれたものを残すのみ。
美姫は左腕、そこに刻まれた呪いの印に己の牙を突きたてた。
強引な干渉に、即座に刻印が発動。美姫の肢体に幾重もの深い裂傷が走り、鮮血が溢れ出す。
美姫は左腕、そこに刻まれた呪いの印に己の牙を突きたてた。
強引な干渉に、即座に刻印が発動。美姫の肢体に幾重もの深い裂傷が走り、鮮血が溢れ出す。
だけど、それだけ。
裂傷は開く傍から即座に回復する。魂すら修復する吸血鬼に、身体の破損など何の問題にもならない。刻印はさらにその死の機能を発動させ、美姫を痛めつけるが、しかし吸血鬼は屈しない。
――こと生命に関して最も深く理解している者を挙げるならば、魔界都市のドクター・メフィストを他に存在しないであろう。
そしてそのメフィストは、美姫をこう診断した――『彼女を滅ぼすことは不可能であると』。
彼の魔界医師が診断を違えた事は、絶無に近い。
そしてそのメフィストは、美姫をこう診断した――『彼女を滅ぼすことは不可能であると』。
彼の魔界医師が診断を違えた事は、絶無に近い。
やがて、死と再生の鼬ごっこが終焉を迎える。
――美姫の腕が力なく、だらりと垂れた。
そこには何も無い。牙の痕も、死の裂傷も、そして――刻印すらも。
そこには何も無い。牙の痕も、死の裂傷も、そして――刻印すらも。
「鬱陶しい印。最初からこうしていれば、心臓を潰されたくらいで一度死ぬこともなかった」
ぺ、と美姫は舌に張り付く己の血を吐き捨てた。
口直しとでもいうように、アシュラムの胸に舌を這わせる。ぽっかりと穴の開いたそこからは、赤い水がまだ僅かに滴っていた。
口直しとでもいうように、アシュラムの胸に舌を這わせる。ぽっかりと穴の開いたそこからは、赤い水がまだ僅かに滴っていた。
「感謝するぞ、アシュラム――私はまだ絶望していない」
そう、絶望はしていない。黒衣の騎士の血液を味わいながら、美姫は柔らかな笑みを浮かべた。
アシュラムの最後の言葉は、美姫に届いていた。
黒衣の遺体を丁寧に横たえ彼女は呟く。
あれほどの英傑に、絶望してはならぬと言われたのだ――ならば、今しばらくこの身は保つ。
アシュラムの最後の言葉は、美姫に届いていた。
黒衣の遺体を丁寧に横たえ彼女は呟く。
あれほどの英傑に、絶望してはならぬと言われたのだ――ならば、今しばらくこの身は保つ。
「さあ――根こそぎにしてやろう」
――だけど、黒衣の騎士は彼女の心を救えなかった。
彼女は絶望こそしていない。だがそこには希望も無い。
彼女は真実不死者でこそあっても、もはや生者ではない。
秋せつらもアシュラムも居なくなった今、彼女を突き動かすのはただの衝動である。
いまや彼女はこの遊戯に関わった者全てを殺し、破壊し尽くすまで動くだけの怨念と成り果てた。
彼女は絶望こそしていない。だがそこには希望も無い。
彼女は真実不死者でこそあっても、もはや生者ではない。
秋せつらもアシュラムも居なくなった今、彼女を突き動かすのはただの衝動である。
いまや彼女はこの遊戯に関わった者全てを殺し、破壊し尽くすまで動くだけの怨念と成り果てた。
「世界の端から端までを叩き壊し、首という首を捻じ切ってやろう。誰も誰も誰も誰も――」
美姫が一歩、足を進める。破壊の行進に世界が恐慌したのか、まるで身震いするように吹いた一陣の風が木立を揺らした。
「――逃がしは、せぬ」
その宣言は真実である。
もはやこの島が朝日を迎えることは、ない。
もはやこの島が朝日を迎えることは、ない。
【055 千鳥かなめ 死亡】
【056 相良宗介 死亡】
【068 アシュラム 死亡】
【056 相良宗介 死亡】
【068 アシュラム 死亡】
【残り23名】
【D-4/森林/2日目・00:10】
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]:木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:C-6のマンションに向かい、集団を結成して美姫への対抗手段とする。
参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]:木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:C-6のマンションに向かい、集団を結成して美姫への対抗手段とする。
参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)
【D-4/森林/2日目・00:20】
【キノ】
[状態]:冷静/体中に擦り傷(処置済み/行動に支障はない)
[装備]:懐中電灯/折りたたみナイフ/カノン(残弾4)/
/ヘイルストーム(残弾6)/ソーコムピストル(残弾9)
/エルメス/草の獣/自殺志願 (マインドレンデル)(少し焦げている)、
[道具]:支給品一式/師匠の形見のパチンコ
[思考]:佐山と合流/
最後まで生き残る(人殺しよりも保身を優先)/禁止エリアの情報を得たい
/零崎などの人外の性質を持つものはなるべく避けるが、可能ならば利用する
[備考]:第三回放送を完全に聞き逃しましたが、冒頭部分の内容を教わりました。
玻璃壇の存在を知りました。
草の獣の性質を詳しく知らないため、ムキチと相互に連絡を取り合うことは出来ません。
[状態]:冷静/体中に擦り傷(処置済み/行動に支障はない)
[装備]:懐中電灯/折りたたみナイフ/カノン(残弾4)/
/ヘイルストーム(残弾6)/ソーコムピストル(残弾9)
/エルメス/草の獣/自殺志願 (マインドレンデル)(少し焦げている)、
[道具]:支給品一式/師匠の形見のパチンコ
[思考]:佐山と合流/
最後まで生き残る(人殺しよりも保身を優先)/禁止エリアの情報を得たい
/零崎などの人外の性質を持つものはなるべく避けるが、可能ならば利用する
[備考]:第三回放送を完全に聞き逃しましたが、冒頭部分の内容を教わりました。
玻璃壇の存在を知りました。
草の獣の性質を詳しく知らないため、ムキチと相互に連絡を取り合うことは出来ません。
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:全身に擦過傷/全身打撲/左腕骨折/左股関節脱臼/左側頭部強打/気絶
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装(ぼろぼろ)
[思考]:???
[状態]:全身に擦過傷/全身打撲/左腕骨折/左股関節脱臼/左側頭部強打/気絶
[装備]:なし
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装(ぼろぼろ)
[思考]:???
【E-4/倉庫前/2日目・00:40】
【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:参加者から管理者まで全てを皆殺しに。
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
刻印が解除されました。
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:参加者から管理者まで全てを皆殺しに。
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
刻印が解除されました。
- E-4/倉庫前に【青龍偃月刀】【G-Sp2(カウリング、コンソールの一部が破損)】、【ショットガン(残弾0)】が落ちています。