第592話:閉じられる盤面(後編) 作:◆5Mp/UnDTiI
◇◇◇
AM4:35。
それは次元の狭間にある小さな隙間だった。
ただひとつ、小さな島が浮いているだけの小さな世界。精霊が望み、魔人によって造られた、証明遊戯の舞台。
くだらぬ世界だ、と佐山・御言は断じる。
心の証明など不要だ。そんなものはいつだって自分の中にあることを、佐山・御言は確信している。故に、証明の為に造られたこの世界に意味は見いだせない。どこまでも枯れて、渇いている。
(だが――この光だけは、価値があるか)
誂えた舞台の上で、自分たち生存者を照らす光を佐山は意識する。
魔法によって暗雲が吹き払われた夜空。そこから降る星の光。
断罪の神の矜持が最後に繋げた道。舞い散る火の粉の光。
それだけではない。ここに至るまで、数多の光があっただろう。自分にさえ把握できていない、数多の抗いが。この世界に対して爪を立て、そこから生まれた火花が。
光の多くは潰えたのだろう。だが無意味ではない。消えた光も一瞬だけ誰かの足下を照らし、照らされた者は脚を進め、その先でまた誰かの足下を照らす。
その連鎖が、自分の下までやってきたのだ。今はもう亡き証明遊戯に抗った者たち。彼らが生み出した流れの最前線に自分は立っている。
佐山は右手に握った拡声器を意識した。支給品のひとつ。ただそれだけとも言えるが、これが使われる度、この殺戮の舞台に大きな影響をもたらした。
1度目は、開拓を。
少女と旅人。停戦と協力の呼びかけ。無謀とも言える行い――結末は当然の応報。
だが、彼らの行動が無ければ始まらなかった。後に続く女帝でさえ。
2度目は、舗装を。
女帝。証明遊戯への宣戦布告。正しき弱者に希望を、悪しき強者に警告を齎すパフォーマンス。
少女と旅人が拓いた道を、彼女は照らし出し先陣を切った――その歩みは、道半ばで途絶えたが。
3度目は、喧伝を。
平安の陰陽師。彼の同胞である女帝は死んだ。彼女が照らし出した道は、再び暗雲に覆われようとしていた。
だから、祓った。末期の息を力ある言葉に変えて、彼は宣言した。道は未だ、断たれていないのだと。
「そして、これが最後になるだろう――さあ、終わりの刻を告げようか」
スイッチを押し込む。マイクが声を拾い、何倍にも増幅してスピーカーから放射した。
拡声器を通し、佐山の言葉が島中に響き渡る。
「――世界の中心より、佐山・御言が諸君らに告げよう。この下らぬ証明遊戯に幕を降ろす時が来たと」
降り注ぐ悪魔。燃えさかる塔。傍から見れば地獄のような光景の只中から、悪役は世界に訴えかける。
天の下に朗々と響くその声は、かつて女帝がそれを行ったときのように、島にいる全ての者の下へと届いていた。
「全ての状況は整いつつある。今宵、我々は悪夢の島と決別し、未知の精霊との決戦に挑み、そして勝利する」
なんら疑いなく、約束された勝利を語る。当然だ。何事も勝つつもりでやらなければ意味がない。
だから次に語るべきは、勝利した後のことだった。
「故に、だからこそ――今この時、私は諸君に要求しよう」
未来への要求。その言葉は黒幕である未来精霊を連想させる。
だが自分が求めるのは、断じてそれとは異なるものだ。
フリウ・ハリスコーから聞いたアマワの正体と、その望みの意味するところ。
怪物領域。物質の隙間。賢者と愚者。愛。
隻眼の少女が語ったのは真理だった。それはあらゆる世界の人間に共通する理。そして世界の真理などというものがあるのなら、
「諸君、私は要求する。たったひとつだけを、だが断固として要求する」
……それに手を届かせることができるのは、世界でもっとも聡明な私を置いて他にあるまい。
故に、佐山・御言は未来を語った。
「――克服を」
それは次元の狭間にある小さな隙間だった。
ただひとつ、小さな島が浮いているだけの小さな世界。精霊が望み、魔人によって造られた、証明遊戯の舞台。
くだらぬ世界だ、と佐山・御言は断じる。
心の証明など不要だ。そんなものはいつだって自分の中にあることを、佐山・御言は確信している。故に、証明の為に造られたこの世界に意味は見いだせない。どこまでも枯れて、渇いている。
(だが――この光だけは、価値があるか)
誂えた舞台の上で、自分たち生存者を照らす光を佐山は意識する。
魔法によって暗雲が吹き払われた夜空。そこから降る星の光。
断罪の神の矜持が最後に繋げた道。舞い散る火の粉の光。
それだけではない。ここに至るまで、数多の光があっただろう。自分にさえ把握できていない、数多の抗いが。この世界に対して爪を立て、そこから生まれた火花が。
光の多くは潰えたのだろう。だが無意味ではない。消えた光も一瞬だけ誰かの足下を照らし、照らされた者は脚を進め、その先でまた誰かの足下を照らす。
その連鎖が、自分の下までやってきたのだ。今はもう亡き証明遊戯に抗った者たち。彼らが生み出した流れの最前線に自分は立っている。
佐山は右手に握った拡声器を意識した。支給品のひとつ。ただそれだけとも言えるが、これが使われる度、この殺戮の舞台に大きな影響をもたらした。
1度目は、開拓を。
少女と旅人。停戦と協力の呼びかけ。無謀とも言える行い――結末は当然の応報。
だが、彼らの行動が無ければ始まらなかった。後に続く女帝でさえ。
2度目は、舗装を。
女帝。証明遊戯への宣戦布告。正しき弱者に希望を、悪しき強者に警告を齎すパフォーマンス。
少女と旅人が拓いた道を、彼女は照らし出し先陣を切った――その歩みは、道半ばで途絶えたが。
3度目は、喧伝を。
平安の陰陽師。彼の同胞である女帝は死んだ。彼女が照らし出した道は、再び暗雲に覆われようとしていた。
だから、祓った。末期の息を力ある言葉に変えて、彼は宣言した。道は未だ、断たれていないのだと。
「そして、これが最後になるだろう――さあ、終わりの刻を告げようか」
スイッチを押し込む。マイクが声を拾い、何倍にも増幅してスピーカーから放射した。
拡声器を通し、佐山の言葉が島中に響き渡る。
「――世界の中心より、佐山・御言が諸君らに告げよう。この下らぬ証明遊戯に幕を降ろす時が来たと」
降り注ぐ悪魔。燃えさかる塔。傍から見れば地獄のような光景の只中から、悪役は世界に訴えかける。
天の下に朗々と響くその声は、かつて女帝がそれを行ったときのように、島にいる全ての者の下へと届いていた。
「全ての状況は整いつつある。今宵、我々は悪夢の島と決別し、未知の精霊との決戦に挑み、そして勝利する」
なんら疑いなく、約束された勝利を語る。当然だ。何事も勝つつもりでやらなければ意味がない。
だから次に語るべきは、勝利した後のことだった。
「故に、だからこそ――今この時、私は諸君に要求しよう」
未来への要求。その言葉は黒幕である未来精霊を連想させる。
だが自分が求めるのは、断じてそれとは異なるものだ。
フリウ・ハリスコーから聞いたアマワの正体と、その望みの意味するところ。
怪物領域。物質の隙間。賢者と愚者。愛。
隻眼の少女が語ったのは真理だった。それはあらゆる世界の人間に共通する理。そして世界の真理などというものがあるのなら、
「諸君、私は要求する。たったひとつだけを、だが断固として要求する」
……それに手を届かせることができるのは、世界でもっとも聡明な私を置いて他にあるまい。
故に、佐山・御言は未来を語った。
「――克服を」
◇◇◇
時は遡る。
ゲーム開始から二日目、午前三時過ぎ。
海野千絵と折原臨也の死亡から一時間ほど後。彼らは再びマンションの前に集合していた。
佐山・御言。出雲・覚。
ダウゲ・ベルガー。
カーラ/福沢祐巳。
十叶詠子。
ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフ。
火乃香。ヴァーミリオン・CD・ヘイズ。コミクロン。
蒼い殺戮者。
オーフェン。クリーオウ・エバーラスティン。
フリウ・ハリスコー。
キノ。
ムキチと草の獣。スィリー。そしてここにはいないが、マンション内に宮下藤花/ブギーポップ。
それぞれの立場は違う。ここに集った目的も。だが、いまそれは共通のモノになろうとしていた。
「さて、私が司会進行を務めさせて貰おう。さっそくだが、ここにいる全員で同盟を結ぶことに異議はないだろうか?」
佐山の問いかけに、反応したのは火乃香だった。
この場において、およそグループは二分されている。火乃香自身が率いるものと、目の前の佐山が統べるもの。故に、それは自分たちに投げかけられた問いだろうと自覚していた。
「断る理由はないけどさ――ないよね?」
背後の者たちの意思を最終確認するように、肩越しに一度視線を飛ばす。めいめいが頷きや短い肯定の唸り声を上げてそれに応じた。
共有した情報は、残りの殺人者を浮き彫りにさせていた。最大の課題である美姫の存在及び、この場にいる危険人物についても。
キノ、ギギナ、フリウ。この島で、一度は"乗った"側にいた者たち。
だがその不信感も、それぞれの理由から目を背けられる程度には減じている。
キノは武装解除と、宮下藤花の救助によって。
ギギナはクリーオウの保護と、彼女自身からの取りなしによって。
フリウは直接的に、この場にいる人間の知己をもっとも多く殺しているだろう。ダナティアやメフィスト、パイフウ――だがダナティアのグループの生き残りであるベルガーは、彼女を糾弾しなかった。フリウへの糾弾は、彼女と共にいたシャナへの糾弾にも繋がる。おまけにその改心が神野陰之の口から語られている以上、ある意味で前述の二人よりも信用できるといえば信用できる。
カーラの危険性もまた全員が共有していたが、彼女は刻印の解除方法という鬼札を持っている。殺害されたオドーの直接の知り合いである佐山や出雲が何も言わないのであれば、その危険性もまた見逃された。
十叶詠子も危険人物のひとりだ。しかし彼女の危険性は背後からナイフで襲ってくるというようなものではない。それなら動向を把握しつつ、接触を最低限にするのが最善手ではあっただろう。
かくして、同盟は成立した。
(――ここまで既定路線だ)
成果に喜ぶでもなく、佐山は胸中でひとつだけ頷く。
同盟を結ぶことに関しては、すでに最初の顔合わせで提案し、それぞれが消極的に賛成の意向を示していた。折原臨也がかき回したせいで後回しになっていたが、すでに結ばれたも同然だったのだ。
「スムーズな同盟の締結に感謝する。では今後の具体的な動きを詰めよう。まず"解除”についてはこのあと全員に施すとして、目下の問題は先ほども話した『姫』――吸血鬼についてだ」
刻印のある左腕を指先で弾きながら、佐山は続ける。すでにカーラは刻印の解除装置――付与魔術を施した死者の腕を用意している。異言語理解の機能などはそのままに、呪殺と能力の制限を取り払うことができるだろう。
だが全員が能力減退を回復しても、美姫を倒すことは至難だ。
「本当にそこまでの相手なのか?」
問いを発したのはギギナだった。集団からひとり距離をとる形で、街灯に背を預けている。ずば抜けた美形である彼がそうしているというのは、まるでスポットライトを浴びる看板俳優のようで、どこか出来の良い絵画染みてはいた。
「それほどまでの規格外であるなら、もっと早くにこの殺し合いを終わらせることが出来た筈だが」
「彼女が最初から遊びなく乗るつもりだったのなら、そうなっていただろう。だが鏖殺を決意したのはつい数時間前のことなのだよ」
契機は秋せつらの死。最大の執着を失ったが故に。最愛を汚されたが故に。彼女はこの世界を破滅させると決めたのだ。
佐山はまさにその場に居合わせた。この催しに関わった全てに破滅を齎すことを決意した妖姫は、その場で相良宗介と千鳥かなめを殺害。直後の戦闘でアシュラムを、その後も僅か数時間の間で佐藤聖、九連内朱巳を殺している。
十叶詠子を通して佐山へ寄越したメッセージさえ、手間を減らそうという程度の意味合いでしかない。
「愛する人を失って暴走するというのは定番ではあるが、それがこうまで力を持っているというのは正直勘弁してくれの一言だね。私のように力に見合う自制心を備えて欲しいものだ」
「愛といっても、吸血鬼からの一方通行だったらしいが」
佐山の自画自賛振りを意図的に無視しながら、ベルガーが捕捉する。仲間である魔界医師メフィストから得ていた情報を。
曰く、それは存在に対する反存在。無数の僕を生み出し、魔界都市に甚大な被害を与えた妖姫。秋せつらを手に入れようとし、最後にはメフィスト曰く『盛大に振られて』去って行ったらしい。
街ひとつ――それも数多の特殊能力者と、それを取り締まる警察組織を擁する街だ――を壊滅に追いやった存在。
「せつらの言っていた、吸血鬼……」
クリーオウが呟く。彼女は秋せつら本人から直接、美姫のことを聞いていた。とはいえ、聞いていたのは美姫が吸血鬼であることと、噛まれればその眷属になるという2点のみ。その強大さやせつらとの詳しい関係までは知らなかったのだ。
「……存在に対する、反存在」
そう呟いて、フリウは己の眼帯越しに水晶眼を掌で覆った。その吸血鬼が破壊精霊のような力を持っており、なおかつ水晶眼のような枷がないのなら確かに脅威だ。
彼女たちの台詞は自然に漏れ出たうめき声に過ぎなかったが、少なくともクリーオウの方は、美姫という存在が同盟結成の為にでっち上げられた嘘などではないことを証明してくれた。
火乃香のグループから質問の気配が消えたことを確認してから、佐山は話を進める。
「納得してくれたようで何よりだ。では美姫への対策について説明する」
佐山の言葉に、その『対策』の内容を知らない者たちは耳を澄ました――かの吸血鬼はこの中の誰よりも強く、しかも不滅だという。実際、単純な膂力で竜巻を起こすというのだから文字通り化け物染みてはいた。損耗しないというのなら、人数の差さえ無意味だろう。
そんな相手に、一体どんな戦術が有効だというのか。
「彼女は無敵だ。腕の一振りで暴風を起こし、心臓を貫かれようが再生する。およそ、現状の我々が駆使し得るいかなる手段をもってしても彼女に勝つことは出来ないだろう」
視線という形で集約する疑問に、だが佐山は怯みもしなかった。自信満々に全員を見渡してから、その秘蔵の計画を宣う。
「ならば話は単純――全力で逃げるだけのことだ」
「逃げるだぁ? 散々もったいぶっておいて、それが作戦ってわけ?」
火乃香が疑念を孕んだ視線を、言葉と共に佐山へ突き刺す。
「大体、逃げるったって限界があるでしょ。そんなに強い奴相手なら」
「問題ないとも。なぜなら逃げ込む先は黒幕のもとなのだから」
無名の庵。アラストールの炎の先に広がる場所。黒幕のひとりである魔人、神野陰之の領域。
「そして追いつかれる前にもうひとりの黒幕、精霊アマワを調伏し、神野陰之を使役する。その力を以て、我々は元の世界に帰還するというわけだ」
「神野って奴が黒幕のひとりなのはあたし達も知ってるけど」
『夜会』に招かれたサラ・バーリンから、クリーオウを経由して入手した黒幕の情報。心の実在を証明することを望む精霊アマワと、その願いを叶えようとする神野陰之というふたつの規格外。
「そいつに言うことを聞かすなんて出来るわけ? あたし達を元の世界から攫って来たってだけで、とんでもない奴だってのは分かるでしょ」
「幸いなことに、神野陰之について詳しく知るものがいた。同じ世界の出身でテル友だったらしい」
「テル友て」
うさんくさそうに眉をひそめる火乃香。その緩んだ空気の隙間を通るようにして、線の細い少女が一歩、前にでる。
魔女、十叶詠子はいつものように薄い笑みを浮かべて語った。
「うん。私は神野さんをよく知ってるよ。彼は究極の魔法になったことで願望を失った。だから神野さんは窪みに水が流れ込むように、他人の『願い』に引き寄せられる。いまはアマワさんの願いを優先してるけど、それが無くなればもうこのゲームに縛られる理由は無くなるから」
「つまり、アマワを倒すのがあたし達の最終目標になるわけか……」
「それだって一筋縄じゃいかねえと思うけどな」
ヘイズが言葉を差し込む。フリウ・ハリスコーから直接アマワのことを聞いた彼は、未知の精霊がどれほどの難敵か知っていた。
「アマワは未来精霊だ。未だ来ざる精霊――ある意味、まだ存在していないってことらしい。情報解体攻撃も、黒魔術も効かないだろうな」
「いやあそれほどでも」
ふらふら飛び出してきた人精霊を、ヘイズは無言ではたき落とした。アマワもこの程度であれば楽なのだが。
時間そのものに干渉するような情報制御はヘイズには出来ない。というより、ヘイズの知るどの魔法士にも不可能だろう。キエサルヒマの音声魔術とて、時は白魔術の領域だ。
「とはいえ、手がないわけじゃない。そっちの十叶って奴が神野と知り合いだったみたいに、こっちのフリウはアマワと同じ世界から来てる。おまけに奴を退かせたことがあるらしい」
ヘイズは火乃香の隣に控えている、眼帯の少女を指し示した。フリウ・ハリスコー。精霊アマワとの契約を養父から引き継いだ少女。アマワと戦い、そして唯一それを退けた。
ほう、と佐山が息を漏らす。アマワと同じ世界からきた参加者の存在は予想していたが、かつて戦った者がいるというのは思いがけない幸運だった。
だが佐山が口を開くのに先んじて、火乃香がその視線を遮るように手を伸ばした。
「出し惜しみするわけじゃないけどさ、まずは吸血鬼の方の対策を先に話してよ。あそこの燃えてる部屋から黒幕の根城に踏み込めるってのは分かった。だけどそりゃ、その姫って奴も同じでしょう?」
アラストールの炎が繋ぐ無名の庵への入り口は、マンションの部屋の中にただ存在している。鍵があるわけでも、合い言葉が必要な訳でもない。踏み込めば誰だって神野陰之の元に辿り着けるのだ。
先んじて無名の庵に移動したところで、背後から不意をつかれる形になりかねない。アマワと神野、そして美姫。脅威度としてはどれも似たようなものだろう。だからこそ、同時に相手取るのは下策だ。
佐山は心得ているとでもいうように鷹揚な笑みを浮かべた。
「当然、ただ逃げるわけではないよ。足止め役を置いていく」
「戦力的に劣ってるのに二面作戦かぁ? まさかその足止め役ってのが俺たちだって話じゃないだろうな」
「囮にするならキリランシェロがいいぞ。姉ども相手に戦わせても大して目減りしなかったし」
ヘイズの呆れ声に、コミクロンが乗っかった。そのおさげ頭を鷲掴みにしながら、オーフェンがぼそりと独りごちる。
「……化け物なら脳みそとか食うんじゃねえか。ちょっとまき散らしてみっか」
悲鳴を上げるコミクロンを尻目に、佐山はさらに話を続けた。
「まさか。ただ、確かに諸君らにも努めて欲しい役割がいくつかある――その中でも最大のものは、私を崇めて欲しいというものなのだが」
「解散」
「お疲れ様でした。死ね」
各々で罵倒の言葉を吐きながら背を向け、この場から去ろうと足を進めて行く。佐山は慌てる素振りすら見せなかったが、代わりにその中の一人を胡乱な目つきで見つめた。
「異世界の連中が私の偉大さを知らぬのは無理もない。これから知って行くだろう。だが貴様の行動はどういう訳かね出雲」
「おっとすまん。感情的に正しい行動だと思ったんでついやっちまった。おーい、ストップストップ。我慢してもうちょっといてくれ。最後まで聞いて納得できなかったらこの馬鹿野郎の頭を殴っていいからよ」
……無用の心配とはいえ、私のために自らの命を賭けるか。
『馬鹿野郎』の頭を殴ってもいいというのはそういうことだろう、と佐山は納得した。不承不承といった風に戻ってくる者たちが元の位置に着くのを確認してから再び口を開く。
「何も神仏のように拝んで欲しいという訳ではない――それはそのうち、諸君らが自発的にやってくれるだろう。まずは取り急ぎ、今後もこの同盟の統率者として指揮を執ることを認めて欲しいということだよ」
「吸血鬼を倒した後もあんたを頭と認めろって?」
火乃香が腕組みをしながら渋い顔をしてみせる。
「出会ったばかりの、しかも多分かなり変なヤローのことを?」
「ふむ……どうやら君のいた世界は私の世界とかなり常識を異にするようだね。可哀想に」
「なんで哀れまれたのか分かんないけど」
呻く。無意識に騎士剣の鯉口を切りながら、火乃香は目の前の佐山・御言という男を半ば睨むように見つめ、観察する。
体は鍛えられている。常に重心が安定しているのは武術の達人である証だ。才と訓練によって練り上げられた戦部であることは疑いようもない。
だが共に仕事をするとなれば、それだけでは不足だった。ましてや指揮を執るというのであれば。
「誰かの下に着くなら、その誰かが信用できるかどうか見極めようってのは当然のコトでしょ」
「信用か。この島では貴重なものだね」
「だね。で、それをあんたは提示できる?」
出会って間もない者たちが、その心を信じることが出来るのか。存在すらもあやふやなものを。
その問いに、佐山は悩むこともなく頷いた。
「できるとも」
「……いい返事だけど、下手すりゃ考え無しに見えるよ。あたし達が納得できなかった場合、あんたの評定は下がることになるけれど」
「統率者に対する信用には2種類ある」
火乃香の呟きを無視するように佐山は語った――当たり前に出来ることについて、その失敗の可能性を論じるなど無駄でしかない。
「ひとつは時間を経ながら積み重ねるもの。文字通りの信頼性だね。『前も大丈夫だったのだから、今回も大丈夫だろう』というものだ。それが盲信なのか、統率者の力量を知ったことによる推量なのかは人それぞれだろうが」
もっとも、と佐山は言葉を継ぐ。
「――今回は時間がない。楽しいレクリエーションを行って信頼関係を築き上げる余裕はないというわけだ。私が元の世界に積み上げてある偉大な功績を喧伝したところで証明のしようもないことだしね」
「じゃああんたが見せてくれるのはもう一つの方ってことか」
少女からの問いに、佐山は頷きながら語り続ける。
「畢竟、集団のトップに求められるのは組織の行く末に対して『責任を持つこと』だ。知恵も力も、配分能力やカリスマでさえも部下の誰かが持っていればいい。つまり、どれだけ大きな責任を背負い込めるかが統率者の資質、言い換えれば信頼に値するだろう」
「理屈は分からないでもないけどさ」
顔をしかめながらも、火乃香はそれに同意した。
行く道を誤った時、その長が責任を取ることで被害を抑えようとするというのはよくあることだ。
佐山は己を指し示すように、自らの胸に右手を添えた。
「私以上に責任感がある人間がいるというのなら、大人しくその座は譲るとも」
「ここにいる全員の命に責任が持てるって?」
「それ以上だとも。姫への対策にも関わってくる話だ。先ほどの足止め役が誰なのかという話でもある」
佐山は天に自らを示すが如く両手を広げた。告げる。
「吸血鬼への足止め役を担うのは私の世界だ――さて、私以外に私の世界の数十億の命その他と十の異世界に対して責任が取れるという者はいるかね?」
◇
「――と、具体的な内容は以上になるが、何か質問は?」
佐山による、美姫への具体的な対応策の説明が終わって。
その場にいた者の多くは、その内容を咀嚼するのに精一杯だった。何故なら、それは佐山の世界の理である『概念』が多分に用いられたものだったからだ。
だが全てではなくとも、質問が出来る程度には内容を咀嚼し終えた者たちもいた。その内のひとりであるところのオーフェンが手を挙げる。
「まあ、なんとなく概要は掴めたが……」
「おい、本当かキリランシェロ。知ったかぶりしてるんじゃないだろうな?」
「フェアリードラゴンの精霊魔術みたいなもんだろ。つーか正直手段についてはどうでもいいんだ」
茶々を入れてきたコミクロンを適当にあしらって、オーフェンは佐山に向き直った。
実際の所、異世界の技術や異能について、その真理の底まで理解する必要はないだろうし、出来るとも思わない。
コミクロンとヘイズはそれぞれ情報制御理論と音声黒魔術について完全な理解をしている訳ではないだろう。しかし、それでもコンビネーションは取れている。
オーフェンが佐山の話で気になったのは、使用する技術や成功率とは別の部分だった。
「そもそも最初は責任云々の話だったと思うんだが――いまの話が、どうしてお前がこの中の誰よりも責任を持てるってところに繋がるんだ?」
「ああ、そこは単純な話でね。この作戦を実行すると、私の世界は一年と持たず滅びることになるのだよ」
こともなげに言う佐山。対照的に、それ以外の者の間にはどよめきが広がる。
俄に広まる驚愕の雰囲気を無視して、佐山は己の世界が置かれている状況を簡単に説明した。10の異世界。定められた崩壊と概念戦争。勝者となったLow-G。活性化し始めたマイナス概念。それによる滅びを逃れるためには、佐山の世界で10の概念核を解放する必要があること。
「先ほども述べたが、この作戦の実行には、私の世界を救うのに必要な概念核を、この箱庭に置いていく必要がある。つまるところ、この場を切り抜けられはするが、私の世界は滅びに大きく近づくわけだ――酷い話だね?」
「それは、あれか、つまり」
オーフェンは半眼になって呻いた。この変人の提案が、何を意図しているのか理解できてしまったからだ。
「お前の世界を犠牲にする作戦を実行するから、自分に指揮を執らせろって、そういうことか?」
「責任の話だよ。結果として滅びに近づく私の世界に対して私は責任を持てる。もしも私以外に、私の世界に対して責任を持てる者がいるというのなら、指揮権を譲っても構わないよ?」
「マッチポンプじゃねーか……」
「悪役なものでね。世界を救うために自宅に火を付ける必要があるなら、私はそれを躊躇わないとも」
「……まあ、言わんとするところは分からんでもないけどよ」
完全無欠の安寧など存在しないことを、オーフェンは知っていた。必要とあらば、生きるためのリスクは受け入れなければならない。
「理解を得られて幸いだ――さて、他の方々はどうかね?」
次に手を挙げたのはヘイズだった。佐山に促されて一歩前に出る。
「俺の世界も終わりかけてるって点ではお仲間なんだが……勝手にそんな決断しちまっていいのか?」
ヘイズの世界は星を包むように散蒔かれた遮光性物体により寒冷化し、今は情報制御理論を応用した戦前のプラントを騙し騙し運用することで、どうにか文明社会を維持している状態だ。
佐山の提案は、ヘイズの視点で例えるなら、この場を凌ぐために全てのプラントを一斉に爆破するとか、そういった話に聞こえる。
当然、個人の裁量で決められることではないし、許されるとも思えない。文字通り全人類からの反発は必至で、まず間違いなく各シティがそれを防ぐために軍隊を派遣するだろう。
無事に帰れたとして、この佐山という男が――どうしようもない変人だとしても――極刑になるというのはいささか心苦しい。滅びに付き合わされる佐山の世界の人々に対しても同様の気持ちだ。
「実はお前が地球連合大統領とかそんな役職で、全てを胸先三寸で決めて良いって立場なら別だけどよ」
「当然、私にその権利はあるとも。私を誰だと思っているのかね――佐山・御言だぞ。私がいなければどのみち私の世界は滅びるのだから、私が帰還するために概念核を使用するのはむしろ必然だとも」
やっぱこいつは極刑でもいいかな、という黒い思いがヘイズの胸中を過ったが。
助けを求めるように、佐山と同じ世界の出身であるという男の方を見ると、その男――出雲・覚は何かを諦めさせるような素振りで首を振った。
「まあ癪なことに、あるんだよ、こいつには。こいつは地球大統領じゃねえが、全竜交渉部隊の交渉役だ。そいつは一言で言や、概念核の使用権利をもぎ取る役職でな。4thは特殊なGで、概念核の使用権を主張するような住人がいねぇ。駄目押しに、その総元締めの4th-G概念核は佐山に懐いてやがる」
「やくそく しました」
佐山を取り巻くように出現した水の竜が、それこそ波紋のように広がる不思議な音声で意志を伝えてくる。
つまるところ、4th-Gの概念核に関してだけは、佐山という個人に直接、その使用権利が付与されているということだった。
「……お前さんの世界は、随分と懐が深いんだな」
額に手を当てて呻くヘイズに、然りと佐山は頷いて見せた。
「何しろ私が存在した世界だからね。おそらく私が生まれた瞬間に拡張されたのだろう――どの道、最低でも二つの概念核が私の世界から持ち出されているのだ。最悪の危機的状況だよ、これは。ここで死んで概念核を二つ失うよりも、概念核一つと情報を持ち帰った方がいいというのは当然の判断ではないかね?」
「かも知れねえけどな。それをぱっと決断出来ちまうってのはやばい奴だと思う」
「お褒めにあずかり光栄だが、"やばい"というのはいささかヤンキー方言染みたものを感じるね。分かりやすく"佐山様最高"と讃えても良いのだよ?」
「すまん。頭痛が酷くなってきたからコメントは差し控える……この手の妄言屋は、コミクロンひとりでもう十分だったんだが」
「おいヴァーミリオン、その発言には徹底して異を唱えるぞ天才的に」
人垣の中に戻っていくヘイズに、白衣のおさげ髪が何やらいちゃもんを付けている。それを見て、佐山は呟いた。
「自分で自分を天才だなどと――慎みという美徳が無い世界からきたのだろうか」
「そういうあんたの世界には鏡がないんでしょうねぇ……」
コミクロンの脇腹に貫手を食らわせて黙らせながら、額にバンダナを巻いた少女が再び佐山の前に立った。
「火乃香君だったか。君の質問には答えたつもりだったが」
「別に2回しちゃいけないなんてルールはなかったでしょう?」
「もちろん納得がいくまで質問してくれていいとも。私はその全てに対して完璧な答えを返して見せよう。ただ前の質問への答えには満足してくれたのかと思ってね」
ご質問をどうぞ、と佐山が手振りで示してくるのを待ってから、火乃香は口を開いた。
「あんたが自分の世界を賭けてこの場を凌ごうとしてくれてる、っていうのは分かった。確かに、その類いの責任は私には負えないよ。あんたが指揮を執るっていうなら、まあ、従ってやってもいい……変な命令だったら別だけど」
「ならば安心してくれて良い、私は生まれてこの方、おかしなコトを口走ったことなど一度たりとてないとも」
佐山の妄言に対して、火乃香は既に最適な対応を覚えつつあった。無視して話を続ける。
「ただ責任を取るって一言で言っても、やりかたは色々あるよね? あたしは具体的に、あんたがどう責任を取るのか知りたい」
ここまでのやりとりで、佐山という男の人となりは多少ながらも分かってきた。武力だけではなく、機知も備えている。残念なのは人格だけらしい。そこに目を瞑ることさえ出来れば、確かに一角以上の人物だろう。
ならば最後に見定めるべきは、その方向性についてだ。
「例えば――あんたの指揮であたしが死んだら、どういう責任の取り方をするつもり?」
「ふむ」
佐山は小首を傾げながら、確認するように問うた。
「それはつまり、君の死に対して、この事態が収束した後、私がどのような方法で償うのか、ということだろうか」
「そ。いろいろやり方はあると思うけどね。シンキングタイムは必要?」
「いや」
佐山は首を振って即答した。
「その場合、私は誠心誠意、ご遺族に謝罪し、君の最期を伝えるとも」
「あたしに血縁はいないよ」
「それに近い関係性の人間もかね?」
「……まあ、それなら居なくもないか」
思い浮かべたのは皮肉屋の相棒や、エンポリウムに住む知己達の顔。たった一日と少し隔たれていただけで、会いたくてたまらなくなる。
いつの間にか瞑っていた目を開けて、火乃香は問いを重ねた。
「責任を取って自害するとか、そういうことはしないわけだ? あたしの命は、あんたの謝罪と等価ってこと?」
「命の価値とは、どこまでいっても相対的なものだよ」
軽く佐山が答える。
「無差別殺人犯の命の価値は、おおよそほとんどの人にとって低いものだろう。だがその殺人犯の動機が、ある特定の人物を生かしたいが故のものだったとしたら――その特定の人物自身や、その人物に近しい者たちからの評価は他と違うものになるかもしれない」
それは、この島でもいくらか見られた行動原理だ。
『妹』を守るためにその手を汚した小笠原祥子。千鳥かなめを美姫から救おうとした相良宗介。そして――パイフウ。
火乃香はこの島におけるパイフウの事情――管理者からの介入、エンポリウムの状況など――は知らなかったが、彼女が無差別な凶行に及ぼうとした瞬間をその目で見ている。偶然かあるいは故意にか、それを揶揄するような佐山の言葉に、思わず苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべてしまう。
「なら、やっぱりあんたにとってあたしの命は軽いってことか」
「ほう。何故、そのような結論になるのかね?」
「あんたの謝罪で釣り合う命なんだろう?」
「間違いが二つある」
ぴっ、と指二本を立ててみせながら、佐山は続けた。
「まず、私の謝罪には大いに価値があるとも。何しろこの頭は下げているよりも働かせている方が役に立つ。それを置物にしておくなど、およそ最も贅沢な使い方ではないかね?」
指を一本折り、
「そしてもうひとつ――私の預かった命なのだから、仮にそれが失われたとしたら、私の謝罪などよりも君の命は価値がある筈だ」
「でも、あんたは頭を下げるだけなんだろう?」
「それ以外にできることがあるかね?」
いいかね? と佐山は指を全て折りたたんだ手を下ろして告げた。
「――立ち行かなくなった組織の責任を取るということは、損失全てを補填するということではない。そんなことは不可能なのだよ。何故なら、組織とは個人で出来ないことをするために生まれるものだからだ」
故に、組織が倒れた際の負債は、個人で補填できないものになる。
「責任を持つと言うことは、敗戦処理をする覚悟を持つということだと私は思う。補填できないものを補填しろと言われながら、殴られ、蹴られることに耐えながら、全てを投げ出さずに最後まで始末をつけることだと」
10の異世界を滅ぼした最低の世界の末裔が宣う。それは屁理屈などではない、己の実感が伴った言葉だった。
「そしてこんなことは、君にだって分かっているのだろう? 私を試すために言ったのだろうが」
「――さあ、どうかな。こちとらフリーの何でも屋稼業なもんでね」
言葉に反して、佐山が口にした理屈を、火乃香は理解していた。彼女とて、かつてはキャラバンの中で生きていたのだ。集団の統率者に求められるものが何かということは、言葉にならずとも肌で知っている。
少なくとも、佐山・御言は口先だけの男ではない。出来ないことを出来ないと認識し、それでもなお最善を目指そうとしている。それが分かれば、いまのところは十分だった。
「分かった。あんたを頭って認めるよ。みんなもそれでいい?」
振り返り、その場にいる全員に問う。応答、首肯、無言の肯定――否定だけはなかった。
「感謝する。では諸君からの私に対する質問タイムは終了だ」
頷いて、佐山。だが続けて発した言葉は、その場にいる多くの者にとって予想外のものだった。
「――ではここからは、私から諸君への質問タイムに移らせて貰おうか」
「……はぁ?」
疑念の応報が漏れる。実際に声に出したのは数名だったが、胸中では全員が類似したものを発していただろう。
集中する視線に応え、佐山は宣誓でもするように軽く右手を挙げた。
「誰かが聞くと思ったのだがね。さて、さしあたっては火乃香君。君は先ほど、吸血鬼を倒した後も私が指揮を執るのかと尋ねた。だが何故、終わりについて――私がいつまで指揮を執るのかということについては聞かなかったのかね?」
「なぜって、そりゃ――」
火乃香が言い淀む。問いが難しかった訳ではない。その場にいたほとんどの者が、同じ答えを頭に浮かべただろう――自明であったからだ。佐山が指揮を執るのは、神野とアマワを下し、元の世界に帰るまでだと。
火乃香の答えを待たずに、佐山は見えざる何かを迎え入れるように、両手を大きく広げた。宣う。
「私はここにいる全員にとって、より良い未来に至るであろう道筋を提案できる。果たして諸君らは、この提案を受け入れてくれるだろうか」
ゲーム開始から二日目、午前三時過ぎ。
海野千絵と折原臨也の死亡から一時間ほど後。彼らは再びマンションの前に集合していた。
佐山・御言。出雲・覚。
ダウゲ・ベルガー。
カーラ/福沢祐巳。
十叶詠子。
ギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフ。
火乃香。ヴァーミリオン・CD・ヘイズ。コミクロン。
蒼い殺戮者。
オーフェン。クリーオウ・エバーラスティン。
フリウ・ハリスコー。
キノ。
ムキチと草の獣。スィリー。そしてここにはいないが、マンション内に宮下藤花/ブギーポップ。
それぞれの立場は違う。ここに集った目的も。だが、いまそれは共通のモノになろうとしていた。
「さて、私が司会進行を務めさせて貰おう。さっそくだが、ここにいる全員で同盟を結ぶことに異議はないだろうか?」
佐山の問いかけに、反応したのは火乃香だった。
この場において、およそグループは二分されている。火乃香自身が率いるものと、目の前の佐山が統べるもの。故に、それは自分たちに投げかけられた問いだろうと自覚していた。
「断る理由はないけどさ――ないよね?」
背後の者たちの意思を最終確認するように、肩越しに一度視線を飛ばす。めいめいが頷きや短い肯定の唸り声を上げてそれに応じた。
共有した情報は、残りの殺人者を浮き彫りにさせていた。最大の課題である美姫の存在及び、この場にいる危険人物についても。
キノ、ギギナ、フリウ。この島で、一度は"乗った"側にいた者たち。
だがその不信感も、それぞれの理由から目を背けられる程度には減じている。
キノは武装解除と、宮下藤花の救助によって。
ギギナはクリーオウの保護と、彼女自身からの取りなしによって。
フリウは直接的に、この場にいる人間の知己をもっとも多く殺しているだろう。ダナティアやメフィスト、パイフウ――だがダナティアのグループの生き残りであるベルガーは、彼女を糾弾しなかった。フリウへの糾弾は、彼女と共にいたシャナへの糾弾にも繋がる。おまけにその改心が神野陰之の口から語られている以上、ある意味で前述の二人よりも信用できるといえば信用できる。
カーラの危険性もまた全員が共有していたが、彼女は刻印の解除方法という鬼札を持っている。殺害されたオドーの直接の知り合いである佐山や出雲が何も言わないのであれば、その危険性もまた見逃された。
十叶詠子も危険人物のひとりだ。しかし彼女の危険性は背後からナイフで襲ってくるというようなものではない。それなら動向を把握しつつ、接触を最低限にするのが最善手ではあっただろう。
かくして、同盟は成立した。
(――ここまで既定路線だ)
成果に喜ぶでもなく、佐山は胸中でひとつだけ頷く。
同盟を結ぶことに関しては、すでに最初の顔合わせで提案し、それぞれが消極的に賛成の意向を示していた。折原臨也がかき回したせいで後回しになっていたが、すでに結ばれたも同然だったのだ。
「スムーズな同盟の締結に感謝する。では今後の具体的な動きを詰めよう。まず"解除”についてはこのあと全員に施すとして、目下の問題は先ほども話した『姫』――吸血鬼についてだ」
刻印のある左腕を指先で弾きながら、佐山は続ける。すでにカーラは刻印の解除装置――付与魔術を施した死者の腕を用意している。異言語理解の機能などはそのままに、呪殺と能力の制限を取り払うことができるだろう。
だが全員が能力減退を回復しても、美姫を倒すことは至難だ。
「本当にそこまでの相手なのか?」
問いを発したのはギギナだった。集団からひとり距離をとる形で、街灯に背を預けている。ずば抜けた美形である彼がそうしているというのは、まるでスポットライトを浴びる看板俳優のようで、どこか出来の良い絵画染みてはいた。
「それほどまでの規格外であるなら、もっと早くにこの殺し合いを終わらせることが出来た筈だが」
「彼女が最初から遊びなく乗るつもりだったのなら、そうなっていただろう。だが鏖殺を決意したのはつい数時間前のことなのだよ」
契機は秋せつらの死。最大の執着を失ったが故に。最愛を汚されたが故に。彼女はこの世界を破滅させると決めたのだ。
佐山はまさにその場に居合わせた。この催しに関わった全てに破滅を齎すことを決意した妖姫は、その場で相良宗介と千鳥かなめを殺害。直後の戦闘でアシュラムを、その後も僅か数時間の間で佐藤聖、九連内朱巳を殺している。
十叶詠子を通して佐山へ寄越したメッセージさえ、手間を減らそうという程度の意味合いでしかない。
「愛する人を失って暴走するというのは定番ではあるが、それがこうまで力を持っているというのは正直勘弁してくれの一言だね。私のように力に見合う自制心を備えて欲しいものだ」
「愛といっても、吸血鬼からの一方通行だったらしいが」
佐山の自画自賛振りを意図的に無視しながら、ベルガーが捕捉する。仲間である魔界医師メフィストから得ていた情報を。
曰く、それは存在に対する反存在。無数の僕を生み出し、魔界都市に甚大な被害を与えた妖姫。秋せつらを手に入れようとし、最後にはメフィスト曰く『盛大に振られて』去って行ったらしい。
街ひとつ――それも数多の特殊能力者と、それを取り締まる警察組織を擁する街だ――を壊滅に追いやった存在。
「せつらの言っていた、吸血鬼……」
クリーオウが呟く。彼女は秋せつら本人から直接、美姫のことを聞いていた。とはいえ、聞いていたのは美姫が吸血鬼であることと、噛まれればその眷属になるという2点のみ。その強大さやせつらとの詳しい関係までは知らなかったのだ。
「……存在に対する、反存在」
そう呟いて、フリウは己の眼帯越しに水晶眼を掌で覆った。その吸血鬼が破壊精霊のような力を持っており、なおかつ水晶眼のような枷がないのなら確かに脅威だ。
彼女たちの台詞は自然に漏れ出たうめき声に過ぎなかったが、少なくともクリーオウの方は、美姫という存在が同盟結成の為にでっち上げられた嘘などではないことを証明してくれた。
火乃香のグループから質問の気配が消えたことを確認してから、佐山は話を進める。
「納得してくれたようで何よりだ。では美姫への対策について説明する」
佐山の言葉に、その『対策』の内容を知らない者たちは耳を澄ました――かの吸血鬼はこの中の誰よりも強く、しかも不滅だという。実際、単純な膂力で竜巻を起こすというのだから文字通り化け物染みてはいた。損耗しないというのなら、人数の差さえ無意味だろう。
そんな相手に、一体どんな戦術が有効だというのか。
「彼女は無敵だ。腕の一振りで暴風を起こし、心臓を貫かれようが再生する。およそ、現状の我々が駆使し得るいかなる手段をもってしても彼女に勝つことは出来ないだろう」
視線という形で集約する疑問に、だが佐山は怯みもしなかった。自信満々に全員を見渡してから、その秘蔵の計画を宣う。
「ならば話は単純――全力で逃げるだけのことだ」
「逃げるだぁ? 散々もったいぶっておいて、それが作戦ってわけ?」
火乃香が疑念を孕んだ視線を、言葉と共に佐山へ突き刺す。
「大体、逃げるったって限界があるでしょ。そんなに強い奴相手なら」
「問題ないとも。なぜなら逃げ込む先は黒幕のもとなのだから」
無名の庵。アラストールの炎の先に広がる場所。黒幕のひとりである魔人、神野陰之の領域。
「そして追いつかれる前にもうひとりの黒幕、精霊アマワを調伏し、神野陰之を使役する。その力を以て、我々は元の世界に帰還するというわけだ」
「神野って奴が黒幕のひとりなのはあたし達も知ってるけど」
『夜会』に招かれたサラ・バーリンから、クリーオウを経由して入手した黒幕の情報。心の実在を証明することを望む精霊アマワと、その願いを叶えようとする神野陰之というふたつの規格外。
「そいつに言うことを聞かすなんて出来るわけ? あたし達を元の世界から攫って来たってだけで、とんでもない奴だってのは分かるでしょ」
「幸いなことに、神野陰之について詳しく知るものがいた。同じ世界の出身でテル友だったらしい」
「テル友て」
うさんくさそうに眉をひそめる火乃香。その緩んだ空気の隙間を通るようにして、線の細い少女が一歩、前にでる。
魔女、十叶詠子はいつものように薄い笑みを浮かべて語った。
「うん。私は神野さんをよく知ってるよ。彼は究極の魔法になったことで願望を失った。だから神野さんは窪みに水が流れ込むように、他人の『願い』に引き寄せられる。いまはアマワさんの願いを優先してるけど、それが無くなればもうこのゲームに縛られる理由は無くなるから」
「つまり、アマワを倒すのがあたし達の最終目標になるわけか……」
「それだって一筋縄じゃいかねえと思うけどな」
ヘイズが言葉を差し込む。フリウ・ハリスコーから直接アマワのことを聞いた彼は、未知の精霊がどれほどの難敵か知っていた。
「アマワは未来精霊だ。未だ来ざる精霊――ある意味、まだ存在していないってことらしい。情報解体攻撃も、黒魔術も効かないだろうな」
「いやあそれほどでも」
ふらふら飛び出してきた人精霊を、ヘイズは無言ではたき落とした。アマワもこの程度であれば楽なのだが。
時間そのものに干渉するような情報制御はヘイズには出来ない。というより、ヘイズの知るどの魔法士にも不可能だろう。キエサルヒマの音声魔術とて、時は白魔術の領域だ。
「とはいえ、手がないわけじゃない。そっちの十叶って奴が神野と知り合いだったみたいに、こっちのフリウはアマワと同じ世界から来てる。おまけに奴を退かせたことがあるらしい」
ヘイズは火乃香の隣に控えている、眼帯の少女を指し示した。フリウ・ハリスコー。精霊アマワとの契約を養父から引き継いだ少女。アマワと戦い、そして唯一それを退けた。
ほう、と佐山が息を漏らす。アマワと同じ世界からきた参加者の存在は予想していたが、かつて戦った者がいるというのは思いがけない幸運だった。
だが佐山が口を開くのに先んじて、火乃香がその視線を遮るように手を伸ばした。
「出し惜しみするわけじゃないけどさ、まずは吸血鬼の方の対策を先に話してよ。あそこの燃えてる部屋から黒幕の根城に踏み込めるってのは分かった。だけどそりゃ、その姫って奴も同じでしょう?」
アラストールの炎が繋ぐ無名の庵への入り口は、マンションの部屋の中にただ存在している。鍵があるわけでも、合い言葉が必要な訳でもない。踏み込めば誰だって神野陰之の元に辿り着けるのだ。
先んじて無名の庵に移動したところで、背後から不意をつかれる形になりかねない。アマワと神野、そして美姫。脅威度としてはどれも似たようなものだろう。だからこそ、同時に相手取るのは下策だ。
佐山は心得ているとでもいうように鷹揚な笑みを浮かべた。
「当然、ただ逃げるわけではないよ。足止め役を置いていく」
「戦力的に劣ってるのに二面作戦かぁ? まさかその足止め役ってのが俺たちだって話じゃないだろうな」
「囮にするならキリランシェロがいいぞ。姉ども相手に戦わせても大して目減りしなかったし」
ヘイズの呆れ声に、コミクロンが乗っかった。そのおさげ頭を鷲掴みにしながら、オーフェンがぼそりと独りごちる。
「……化け物なら脳みそとか食うんじゃねえか。ちょっとまき散らしてみっか」
悲鳴を上げるコミクロンを尻目に、佐山はさらに話を続けた。
「まさか。ただ、確かに諸君らにも努めて欲しい役割がいくつかある――その中でも最大のものは、私を崇めて欲しいというものなのだが」
「解散」
「お疲れ様でした。死ね」
各々で罵倒の言葉を吐きながら背を向け、この場から去ろうと足を進めて行く。佐山は慌てる素振りすら見せなかったが、代わりにその中の一人を胡乱な目つきで見つめた。
「異世界の連中が私の偉大さを知らぬのは無理もない。これから知って行くだろう。だが貴様の行動はどういう訳かね出雲」
「おっとすまん。感情的に正しい行動だと思ったんでついやっちまった。おーい、ストップストップ。我慢してもうちょっといてくれ。最後まで聞いて納得できなかったらこの馬鹿野郎の頭を殴っていいからよ」
……無用の心配とはいえ、私のために自らの命を賭けるか。
『馬鹿野郎』の頭を殴ってもいいというのはそういうことだろう、と佐山は納得した。不承不承といった風に戻ってくる者たちが元の位置に着くのを確認してから再び口を開く。
「何も神仏のように拝んで欲しいという訳ではない――それはそのうち、諸君らが自発的にやってくれるだろう。まずは取り急ぎ、今後もこの同盟の統率者として指揮を執ることを認めて欲しいということだよ」
「吸血鬼を倒した後もあんたを頭と認めろって?」
火乃香が腕組みをしながら渋い顔をしてみせる。
「出会ったばかりの、しかも多分かなり変なヤローのことを?」
「ふむ……どうやら君のいた世界は私の世界とかなり常識を異にするようだね。可哀想に」
「なんで哀れまれたのか分かんないけど」
呻く。無意識に騎士剣の鯉口を切りながら、火乃香は目の前の佐山・御言という男を半ば睨むように見つめ、観察する。
体は鍛えられている。常に重心が安定しているのは武術の達人である証だ。才と訓練によって練り上げられた戦部であることは疑いようもない。
だが共に仕事をするとなれば、それだけでは不足だった。ましてや指揮を執るというのであれば。
「誰かの下に着くなら、その誰かが信用できるかどうか見極めようってのは当然のコトでしょ」
「信用か。この島では貴重なものだね」
「だね。で、それをあんたは提示できる?」
出会って間もない者たちが、その心を信じることが出来るのか。存在すらもあやふやなものを。
その問いに、佐山は悩むこともなく頷いた。
「できるとも」
「……いい返事だけど、下手すりゃ考え無しに見えるよ。あたし達が納得できなかった場合、あんたの評定は下がることになるけれど」
「統率者に対する信用には2種類ある」
火乃香の呟きを無視するように佐山は語った――当たり前に出来ることについて、その失敗の可能性を論じるなど無駄でしかない。
「ひとつは時間を経ながら積み重ねるもの。文字通りの信頼性だね。『前も大丈夫だったのだから、今回も大丈夫だろう』というものだ。それが盲信なのか、統率者の力量を知ったことによる推量なのかは人それぞれだろうが」
もっとも、と佐山は言葉を継ぐ。
「――今回は時間がない。楽しいレクリエーションを行って信頼関係を築き上げる余裕はないというわけだ。私が元の世界に積み上げてある偉大な功績を喧伝したところで証明のしようもないことだしね」
「じゃああんたが見せてくれるのはもう一つの方ってことか」
少女からの問いに、佐山は頷きながら語り続ける。
「畢竟、集団のトップに求められるのは組織の行く末に対して『責任を持つこと』だ。知恵も力も、配分能力やカリスマでさえも部下の誰かが持っていればいい。つまり、どれだけ大きな責任を背負い込めるかが統率者の資質、言い換えれば信頼に値するだろう」
「理屈は分からないでもないけどさ」
顔をしかめながらも、火乃香はそれに同意した。
行く道を誤った時、その長が責任を取ることで被害を抑えようとするというのはよくあることだ。
佐山は己を指し示すように、自らの胸に右手を添えた。
「私以上に責任感がある人間がいるというのなら、大人しくその座は譲るとも」
「ここにいる全員の命に責任が持てるって?」
「それ以上だとも。姫への対策にも関わってくる話だ。先ほどの足止め役が誰なのかという話でもある」
佐山は天に自らを示すが如く両手を広げた。告げる。
「吸血鬼への足止め役を担うのは私の世界だ――さて、私以外に私の世界の数十億の命その他と十の異世界に対して責任が取れるという者はいるかね?」
◇
「――と、具体的な内容は以上になるが、何か質問は?」
佐山による、美姫への具体的な対応策の説明が終わって。
その場にいた者の多くは、その内容を咀嚼するのに精一杯だった。何故なら、それは佐山の世界の理である『概念』が多分に用いられたものだったからだ。
だが全てではなくとも、質問が出来る程度には内容を咀嚼し終えた者たちもいた。その内のひとりであるところのオーフェンが手を挙げる。
「まあ、なんとなく概要は掴めたが……」
「おい、本当かキリランシェロ。知ったかぶりしてるんじゃないだろうな?」
「フェアリードラゴンの精霊魔術みたいなもんだろ。つーか正直手段についてはどうでもいいんだ」
茶々を入れてきたコミクロンを適当にあしらって、オーフェンは佐山に向き直った。
実際の所、異世界の技術や異能について、その真理の底まで理解する必要はないだろうし、出来るとも思わない。
コミクロンとヘイズはそれぞれ情報制御理論と音声黒魔術について完全な理解をしている訳ではないだろう。しかし、それでもコンビネーションは取れている。
オーフェンが佐山の話で気になったのは、使用する技術や成功率とは別の部分だった。
「そもそも最初は責任云々の話だったと思うんだが――いまの話が、どうしてお前がこの中の誰よりも責任を持てるってところに繋がるんだ?」
「ああ、そこは単純な話でね。この作戦を実行すると、私の世界は一年と持たず滅びることになるのだよ」
こともなげに言う佐山。対照的に、それ以外の者の間にはどよめきが広がる。
俄に広まる驚愕の雰囲気を無視して、佐山は己の世界が置かれている状況を簡単に説明した。10の異世界。定められた崩壊と概念戦争。勝者となったLow-G。活性化し始めたマイナス概念。それによる滅びを逃れるためには、佐山の世界で10の概念核を解放する必要があること。
「先ほども述べたが、この作戦の実行には、私の世界を救うのに必要な概念核を、この箱庭に置いていく必要がある。つまるところ、この場を切り抜けられはするが、私の世界は滅びに大きく近づくわけだ――酷い話だね?」
「それは、あれか、つまり」
オーフェンは半眼になって呻いた。この変人の提案が、何を意図しているのか理解できてしまったからだ。
「お前の世界を犠牲にする作戦を実行するから、自分に指揮を執らせろって、そういうことか?」
「責任の話だよ。結果として滅びに近づく私の世界に対して私は責任を持てる。もしも私以外に、私の世界に対して責任を持てる者がいるというのなら、指揮権を譲っても構わないよ?」
「マッチポンプじゃねーか……」
「悪役なものでね。世界を救うために自宅に火を付ける必要があるなら、私はそれを躊躇わないとも」
「……まあ、言わんとするところは分からんでもないけどよ」
完全無欠の安寧など存在しないことを、オーフェンは知っていた。必要とあらば、生きるためのリスクは受け入れなければならない。
「理解を得られて幸いだ――さて、他の方々はどうかね?」
次に手を挙げたのはヘイズだった。佐山に促されて一歩前に出る。
「俺の世界も終わりかけてるって点ではお仲間なんだが……勝手にそんな決断しちまっていいのか?」
ヘイズの世界は星を包むように散蒔かれた遮光性物体により寒冷化し、今は情報制御理論を応用した戦前のプラントを騙し騙し運用することで、どうにか文明社会を維持している状態だ。
佐山の提案は、ヘイズの視点で例えるなら、この場を凌ぐために全てのプラントを一斉に爆破するとか、そういった話に聞こえる。
当然、個人の裁量で決められることではないし、許されるとも思えない。文字通り全人類からの反発は必至で、まず間違いなく各シティがそれを防ぐために軍隊を派遣するだろう。
無事に帰れたとして、この佐山という男が――どうしようもない変人だとしても――極刑になるというのはいささか心苦しい。滅びに付き合わされる佐山の世界の人々に対しても同様の気持ちだ。
「実はお前が地球連合大統領とかそんな役職で、全てを胸先三寸で決めて良いって立場なら別だけどよ」
「当然、私にその権利はあるとも。私を誰だと思っているのかね――佐山・御言だぞ。私がいなければどのみち私の世界は滅びるのだから、私が帰還するために概念核を使用するのはむしろ必然だとも」
やっぱこいつは極刑でもいいかな、という黒い思いがヘイズの胸中を過ったが。
助けを求めるように、佐山と同じ世界の出身であるという男の方を見ると、その男――出雲・覚は何かを諦めさせるような素振りで首を振った。
「まあ癪なことに、あるんだよ、こいつには。こいつは地球大統領じゃねえが、全竜交渉部隊の交渉役だ。そいつは一言で言や、概念核の使用権利をもぎ取る役職でな。4thは特殊なGで、概念核の使用権を主張するような住人がいねぇ。駄目押しに、その総元締めの4th-G概念核は佐山に懐いてやがる」
「やくそく しました」
佐山を取り巻くように出現した水の竜が、それこそ波紋のように広がる不思議な音声で意志を伝えてくる。
つまるところ、4th-Gの概念核に関してだけは、佐山という個人に直接、その使用権利が付与されているということだった。
「……お前さんの世界は、随分と懐が深いんだな」
額に手を当てて呻くヘイズに、然りと佐山は頷いて見せた。
「何しろ私が存在した世界だからね。おそらく私が生まれた瞬間に拡張されたのだろう――どの道、最低でも二つの概念核が私の世界から持ち出されているのだ。最悪の危機的状況だよ、これは。ここで死んで概念核を二つ失うよりも、概念核一つと情報を持ち帰った方がいいというのは当然の判断ではないかね?」
「かも知れねえけどな。それをぱっと決断出来ちまうってのはやばい奴だと思う」
「お褒めにあずかり光栄だが、"やばい"というのはいささかヤンキー方言染みたものを感じるね。分かりやすく"佐山様最高"と讃えても良いのだよ?」
「すまん。頭痛が酷くなってきたからコメントは差し控える……この手の妄言屋は、コミクロンひとりでもう十分だったんだが」
「おいヴァーミリオン、その発言には徹底して異を唱えるぞ天才的に」
人垣の中に戻っていくヘイズに、白衣のおさげ髪が何やらいちゃもんを付けている。それを見て、佐山は呟いた。
「自分で自分を天才だなどと――慎みという美徳が無い世界からきたのだろうか」
「そういうあんたの世界には鏡がないんでしょうねぇ……」
コミクロンの脇腹に貫手を食らわせて黙らせながら、額にバンダナを巻いた少女が再び佐山の前に立った。
「火乃香君だったか。君の質問には答えたつもりだったが」
「別に2回しちゃいけないなんてルールはなかったでしょう?」
「もちろん納得がいくまで質問してくれていいとも。私はその全てに対して完璧な答えを返して見せよう。ただ前の質問への答えには満足してくれたのかと思ってね」
ご質問をどうぞ、と佐山が手振りで示してくるのを待ってから、火乃香は口を開いた。
「あんたが自分の世界を賭けてこの場を凌ごうとしてくれてる、っていうのは分かった。確かに、その類いの責任は私には負えないよ。あんたが指揮を執るっていうなら、まあ、従ってやってもいい……変な命令だったら別だけど」
「ならば安心してくれて良い、私は生まれてこの方、おかしなコトを口走ったことなど一度たりとてないとも」
佐山の妄言に対して、火乃香は既に最適な対応を覚えつつあった。無視して話を続ける。
「ただ責任を取るって一言で言っても、やりかたは色々あるよね? あたしは具体的に、あんたがどう責任を取るのか知りたい」
ここまでのやりとりで、佐山という男の人となりは多少ながらも分かってきた。武力だけではなく、機知も備えている。残念なのは人格だけらしい。そこに目を瞑ることさえ出来れば、確かに一角以上の人物だろう。
ならば最後に見定めるべきは、その方向性についてだ。
「例えば――あんたの指揮であたしが死んだら、どういう責任の取り方をするつもり?」
「ふむ」
佐山は小首を傾げながら、確認するように問うた。
「それはつまり、君の死に対して、この事態が収束した後、私がどのような方法で償うのか、ということだろうか」
「そ。いろいろやり方はあると思うけどね。シンキングタイムは必要?」
「いや」
佐山は首を振って即答した。
「その場合、私は誠心誠意、ご遺族に謝罪し、君の最期を伝えるとも」
「あたしに血縁はいないよ」
「それに近い関係性の人間もかね?」
「……まあ、それなら居なくもないか」
思い浮かべたのは皮肉屋の相棒や、エンポリウムに住む知己達の顔。たった一日と少し隔たれていただけで、会いたくてたまらなくなる。
いつの間にか瞑っていた目を開けて、火乃香は問いを重ねた。
「責任を取って自害するとか、そういうことはしないわけだ? あたしの命は、あんたの謝罪と等価ってこと?」
「命の価値とは、どこまでいっても相対的なものだよ」
軽く佐山が答える。
「無差別殺人犯の命の価値は、おおよそほとんどの人にとって低いものだろう。だがその殺人犯の動機が、ある特定の人物を生かしたいが故のものだったとしたら――その特定の人物自身や、その人物に近しい者たちからの評価は他と違うものになるかもしれない」
それは、この島でもいくらか見られた行動原理だ。
『妹』を守るためにその手を汚した小笠原祥子。千鳥かなめを美姫から救おうとした相良宗介。そして――パイフウ。
火乃香はこの島におけるパイフウの事情――管理者からの介入、エンポリウムの状況など――は知らなかったが、彼女が無差別な凶行に及ぼうとした瞬間をその目で見ている。偶然かあるいは故意にか、それを揶揄するような佐山の言葉に、思わず苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべてしまう。
「なら、やっぱりあんたにとってあたしの命は軽いってことか」
「ほう。何故、そのような結論になるのかね?」
「あんたの謝罪で釣り合う命なんだろう?」
「間違いが二つある」
ぴっ、と指二本を立ててみせながら、佐山は続けた。
「まず、私の謝罪には大いに価値があるとも。何しろこの頭は下げているよりも働かせている方が役に立つ。それを置物にしておくなど、およそ最も贅沢な使い方ではないかね?」
指を一本折り、
「そしてもうひとつ――私の預かった命なのだから、仮にそれが失われたとしたら、私の謝罪などよりも君の命は価値がある筈だ」
「でも、あんたは頭を下げるだけなんだろう?」
「それ以外にできることがあるかね?」
いいかね? と佐山は指を全て折りたたんだ手を下ろして告げた。
「――立ち行かなくなった組織の責任を取るということは、損失全てを補填するということではない。そんなことは不可能なのだよ。何故なら、組織とは個人で出来ないことをするために生まれるものだからだ」
故に、組織が倒れた際の負債は、個人で補填できないものになる。
「責任を持つと言うことは、敗戦処理をする覚悟を持つということだと私は思う。補填できないものを補填しろと言われながら、殴られ、蹴られることに耐えながら、全てを投げ出さずに最後まで始末をつけることだと」
10の異世界を滅ぼした最低の世界の末裔が宣う。それは屁理屈などではない、己の実感が伴った言葉だった。
「そしてこんなことは、君にだって分かっているのだろう? 私を試すために言ったのだろうが」
「――さあ、どうかな。こちとらフリーの何でも屋稼業なもんでね」
言葉に反して、佐山が口にした理屈を、火乃香は理解していた。彼女とて、かつてはキャラバンの中で生きていたのだ。集団の統率者に求められるものが何かということは、言葉にならずとも肌で知っている。
少なくとも、佐山・御言は口先だけの男ではない。出来ないことを出来ないと認識し、それでもなお最善を目指そうとしている。それが分かれば、いまのところは十分だった。
「分かった。あんたを頭って認めるよ。みんなもそれでいい?」
振り返り、その場にいる全員に問う。応答、首肯、無言の肯定――否定だけはなかった。
「感謝する。では諸君からの私に対する質問タイムは終了だ」
頷いて、佐山。だが続けて発した言葉は、その場にいる多くの者にとって予想外のものだった。
「――ではここからは、私から諸君への質問タイムに移らせて貰おうか」
「……はぁ?」
疑念の応報が漏れる。実際に声に出したのは数名だったが、胸中では全員が類似したものを発していただろう。
集中する視線に応え、佐山は宣誓でもするように軽く右手を挙げた。
「誰かが聞くと思ったのだがね。さて、さしあたっては火乃香君。君は先ほど、吸血鬼を倒した後も私が指揮を執るのかと尋ねた。だが何故、終わりについて――私がいつまで指揮を執るのかということについては聞かなかったのかね?」
「なぜって、そりゃ――」
火乃香が言い淀む。問いが難しかった訳ではない。その場にいたほとんどの者が、同じ答えを頭に浮かべただろう――自明であったからだ。佐山が指揮を執るのは、神野とアマワを下し、元の世界に帰るまでだと。
火乃香の答えを待たずに、佐山は見えざる何かを迎え入れるように、両手を大きく広げた。宣う。
「私はここにいる全員にとって、より良い未来に至るであろう道筋を提案できる。果たして諸君らは、この提案を受け入れてくれるだろうか」
◇◇◇
燃えさかる塔の上から、佐山の演説は続く。
「この盤上で、我々は多くを奪われた。その生命を。最愛を。友情を。憎悪を。仇敵を。奪われていない者などいない。何故ならば――我々自身が、元いた世界より奪われたものだからだ」
このゲームの始まり。心の実在を証明させるための駒として、殺し合いを強要させられた者たち。
善悪の違いはあっただろう。賢愚の差はあっただろう。だが、いずれにしてもこんな場所で散っていいものではなかった。こんな場所に囚われていいものではなかった。決して欠けるべきで無いファクターだった筈だ。
「それぞれの世界は我々を失い色褪せてしまった。たとえ元の世界で世界の敵と呼ばれる者だろうと、その世界において不要と言うことにはなるまい。善も悪も、正義の味方も悪役も、――全てが世界を構成する一要素だ」
世界を滅ぼすマイナス概念すら、きっと必要だからこそ生まれたものだろう。
身勝手に奪われて良いものなど世界には存在しない。
そして、ならば。
奪われたままにして良いはずも、ない。
「だからこそ、諸君。我々は生還し、そして世界から失われた全てを克服しなければならない」
佐山・御言は克服を謳う。克服とは何を意味するのか、夜天の下で語っていく。
「そして心得たまえよ、諸君。克服とは奪還ではない。克服とは――失われたものを別のもので埋めることだ。失われたものを、思い出として懐かしめるようになることだ」
喪失は傷と同じだ。誰だって凄惨な怪我からは眼を逸らしたくなる。痛みに悲鳴をあげ、その場から動けなくなってしまう。
だがいずれ痛みは薄れる。傷口は新たな肉で埋まり、やがて傷跡だけを残す。
そう――克服とは、失われてしまった大切なものと再び向き合えるようになることだ。
そして、その為には何が必要か。
悪魔が降りしきる中、佐山は一歩を踏み出した。決して後戻りすることができない旅路への一歩目を。それは即ち――
「――諸君! 今こそ言おう。……佐山の姓は悪役を任ずると!」
――新庄・運切を失ってから、初めて踏み出す悪役としての本気の一歩だ。
「いいか諸君! 今は強がるときだ! 血反吐を吐きながら前進し、この島を脱した後に好きなだけ泣きわめけ! 覚えておくがいい――感情とは、泣けば決着するものだと!」
オーフェンとコミクロンは聞く。枷を解き放つその宣言を。
「――そして言おう。過去に決着を付け、我らはより良い未来へ歩み出すのだと」
火乃香と蒼い殺戮者は聞く。生存を渇望するその咆哮を。
「そう、つまり――」
フリウは聞く。悪なるものと戦おうとするその意気を。
「――進撃せよ(Ahead)、進撃せよ(Ahead)、進撃せよ(Go ahead)、だ!」
ベルガーは聞く。運命を切り開かんとするその意志を。
「我らは進むとも。問いかけることしかしない精霊を殴り倒し、叶えるだけの神を足蹴にして――」
キノとエルメスは聞く。旅路の終わりを告げるその導きを。
「――過去を克服した未来を掴み取るために!」
カーラは聞く。己が世界を守るため、進むべき方位を定めるその声を。
「いいかね、諸君! 今宵は私の世界の流儀に則って貰おう!」
佐山・御言は告げる。己が姓に与えられた役目に従い、この場に集った全ての世界へ向けて。
「全竜交渉部隊代表、佐山・御言がその権利をもって宣言する。我らはここに集った更なる異世界との交渉を行うと。我々は新たな味方を得て、新たな問題と向き合うと。我々は未知を恐れず、心を交わしていくと。そして我々は――怪物潜む暗闇を踏破し、新たに出会う全ての世界を芳醇にすると!」
――全てを繋ぎ、進撃するという宣言を。
「この盤上で、我々は多くを奪われた。その生命を。最愛を。友情を。憎悪を。仇敵を。奪われていない者などいない。何故ならば――我々自身が、元いた世界より奪われたものだからだ」
このゲームの始まり。心の実在を証明させるための駒として、殺し合いを強要させられた者たち。
善悪の違いはあっただろう。賢愚の差はあっただろう。だが、いずれにしてもこんな場所で散っていいものではなかった。こんな場所に囚われていいものではなかった。決して欠けるべきで無いファクターだった筈だ。
「それぞれの世界は我々を失い色褪せてしまった。たとえ元の世界で世界の敵と呼ばれる者だろうと、その世界において不要と言うことにはなるまい。善も悪も、正義の味方も悪役も、――全てが世界を構成する一要素だ」
世界を滅ぼすマイナス概念すら、きっと必要だからこそ生まれたものだろう。
身勝手に奪われて良いものなど世界には存在しない。
そして、ならば。
奪われたままにして良いはずも、ない。
「だからこそ、諸君。我々は生還し、そして世界から失われた全てを克服しなければならない」
佐山・御言は克服を謳う。克服とは何を意味するのか、夜天の下で語っていく。
「そして心得たまえよ、諸君。克服とは奪還ではない。克服とは――失われたものを別のもので埋めることだ。失われたものを、思い出として懐かしめるようになることだ」
喪失は傷と同じだ。誰だって凄惨な怪我からは眼を逸らしたくなる。痛みに悲鳴をあげ、その場から動けなくなってしまう。
だがいずれ痛みは薄れる。傷口は新たな肉で埋まり、やがて傷跡だけを残す。
そう――克服とは、失われてしまった大切なものと再び向き合えるようになることだ。
そして、その為には何が必要か。
悪魔が降りしきる中、佐山は一歩を踏み出した。決して後戻りすることができない旅路への一歩目を。それは即ち――
「――諸君! 今こそ言おう。……佐山の姓は悪役を任ずると!」
――新庄・運切を失ってから、初めて踏み出す悪役としての本気の一歩だ。
「いいか諸君! 今は強がるときだ! 血反吐を吐きながら前進し、この島を脱した後に好きなだけ泣きわめけ! 覚えておくがいい――感情とは、泣けば決着するものだと!」
オーフェンとコミクロンは聞く。枷を解き放つその宣言を。
「――そして言おう。過去に決着を付け、我らはより良い未来へ歩み出すのだと」
火乃香と蒼い殺戮者は聞く。生存を渇望するその咆哮を。
「そう、つまり――」
フリウは聞く。悪なるものと戦おうとするその意気を。
「――進撃せよ(Ahead)、進撃せよ(Ahead)、進撃せよ(Go ahead)、だ!」
ベルガーは聞く。運命を切り開かんとするその意志を。
「我らは進むとも。問いかけることしかしない精霊を殴り倒し、叶えるだけの神を足蹴にして――」
キノとエルメスは聞く。旅路の終わりを告げるその導きを。
「――過去を克服した未来を掴み取るために!」
カーラは聞く。己が世界を守るため、進むべき方位を定めるその声を。
「いいかね、諸君! 今宵は私の世界の流儀に則って貰おう!」
佐山・御言は告げる。己が姓に与えられた役目に従い、この場に集った全ての世界へ向けて。
「全竜交渉部隊代表、佐山・御言がその権利をもって宣言する。我らはここに集った更なる異世界との交渉を行うと。我々は新たな味方を得て、新たな問題と向き合うと。我々は未知を恐れず、心を交わしていくと。そして我々は――怪物潜む暗闇を踏破し、新たに出会う全ての世界を芳醇にすると!」
――全てを繋ぎ、進撃するという宣言を。
◇◇◇
佐山が全員に提案したのは、この証明遊戯から脱した後も協力関係を続けるというものだった。文字通り、世界を越えての協力体制を作ろうと呼びかけたのである。
もとより佐山の世界はかつて争った異世界との調停を重ねており、そうしたノウハウが多く蓄積されている。決して無理な話ではあるまい、と佐山は判断していた。
「けどさ、あたしらは別に、あんたみたいな異世界との交流云々を決められるような立場なわけじゃないよ?」
「顔を繋いでくれるか、最低限、そちらの世界へ移動するためのアンカーになってくれれば良い。あとはこちらで交渉を行うとも」
火乃香の疑問に、よどみもせずに佐山は答える。
UCATに帰還することが出来れば、ここにいるメンバーの母体自弦振動を読み取ることが出来る。そうなれば各々の世界に移動することも可能なはずだ。
無論、一朝一夕にはいかないだろうが、異世界へ移動する術を持っているのは佐山の世界だけではない。それこそ協力し合い、互いに手を伸ばし合えばきっと届くだろう。
(実際、カーラ女史などは単独で世界を渡ってきたというからね)
唯一、"出身の世界に取り次がないこと"を協力の条件にした灰色の魔女。彼女の取り憑いている肉体も、UCATなら自動人形の技術を用い、代替品を用意できるだろう。その際は福沢祐巳の肉体を解放するという約束も取り付けてある。
精霊アマワと神野陰之によって開催されたこの証明遊戯では、多くの犠牲者が出た。流出した概念核の例を考えれば、他の世界でも似たような損失が発生していないとも限らない。
そうした喪失を克服する方法として考えたのがこれだ。このゲームのせいで生じた損失を、同じく生じた繋がりで補うこと。
拒む者はいなかった。この場に為政者の類いがいなかったことが、逆にことをスムーズにしたのだろう。己の発言に政治的な意味が生まれてしまう者にとって、佐山の提案は即座に承諾できるものではなかった筈だ。
かくして、同盟は成った。この島を脱出し、そしてその後の世界の趨勢にさえも影響を及ぼしかねない強力な同盟が。
もとより佐山の世界はかつて争った異世界との調停を重ねており、そうしたノウハウが多く蓄積されている。決して無理な話ではあるまい、と佐山は判断していた。
「けどさ、あたしらは別に、あんたみたいな異世界との交流云々を決められるような立場なわけじゃないよ?」
「顔を繋いでくれるか、最低限、そちらの世界へ移動するためのアンカーになってくれれば良い。あとはこちらで交渉を行うとも」
火乃香の疑問に、よどみもせずに佐山は答える。
UCATに帰還することが出来れば、ここにいるメンバーの母体自弦振動を読み取ることが出来る。そうなれば各々の世界に移動することも可能なはずだ。
無論、一朝一夕にはいかないだろうが、異世界へ移動する術を持っているのは佐山の世界だけではない。それこそ協力し合い、互いに手を伸ばし合えばきっと届くだろう。
(実際、カーラ女史などは単独で世界を渡ってきたというからね)
唯一、"出身の世界に取り次がないこと"を協力の条件にした灰色の魔女。彼女の取り憑いている肉体も、UCATなら自動人形の技術を用い、代替品を用意できるだろう。その際は福沢祐巳の肉体を解放するという約束も取り付けてある。
精霊アマワと神野陰之によって開催されたこの証明遊戯では、多くの犠牲者が出た。流出した概念核の例を考えれば、他の世界でも似たような損失が発生していないとも限らない。
そうした喪失を克服する方法として考えたのがこれだ。このゲームのせいで生じた損失を、同じく生じた繋がりで補うこと。
拒む者はいなかった。この場に為政者の類いがいなかったことが、逆にことをスムーズにしたのだろう。己の発言に政治的な意味が生まれてしまう者にとって、佐山の提案は即座に承諾できるものではなかった筈だ。
かくして、同盟は成った。この島を脱出し、そしてその後の世界の趨勢にさえも影響を及ぼしかねない強力な同盟が。
◇◇◇
マンションの屋上から行われる演説は佳境に入っていた。
「――さて、我々はこうして未来を見据えて前向きに歩いて行こうと決意したわけだが、そうでない者もいるだろう」
佐山は深呼吸を一度挟んで、呼びかける対象を変える。味方から敵へ。鼓舞するのではなく、非難するそれへと。
「聞いているかね? 自分で姫とか名乗っちゃってる痛い系の後期高齢者殿は」
「――さて、我々はこうして未来を見据えて前向きに歩いて行こうと決意したわけだが、そうでない者もいるだろう」
佐山は深呼吸を一度挟んで、呼びかける対象を変える。味方から敵へ。鼓舞するのではなく、非難するそれへと。
「聞いているかね? 自分で姫とか名乗っちゃってる痛い系の後期高齢者殿は」
◇◇◇
二日目、AM4:37。エリアF-2にて。
『墜落』状態の甲斐氷太の傍で、美姫はその放送を聞いていた。佐山・御言による所信表明演説のような何かと、その後の自分に向けられた揶揄のような何かを。
美姫は半壊した井戸の残された縁に座りながら、放送の発生源であるマンションの方角を何をするでもなく見つめている。周囲には宙を揺蕩う鮫の群れ。モンスターパニックものの映画も真っ青な場面だが、その中心に居るのが美姫であれば、流麗なアクアリウムの如く幻想的な風景にさえ見えてくる。
人を使って佐山に残りの参加者を集めるよう伝えたのは、面倒な処理作業の手間を省くためだ。秋せつらの死を許した全ての存在――黒幕、管理者、そして参加者。その全てを美姫は破滅させてやるつもりだった。
では、いまはどうか?
この下らぬ遊戯に関わった者を全て滅ぼすという目的は変わっていない。だが同時に、残りの参加者はこの異形どもに任せてしまっても良いという気持ちも湧き始めていた。
無限に増殖する鮫の悪魔は、日が出るまでに残る全ての参加者を喰らいつくすだろう。佐山が拾いきれなかった参加者も含めて。悪魔の主である甲斐氷太も、遠からず失血死する。誰も残らないというわけだ。仮に生き残りが出て、さらにその連中が故郷となる世界に帰れたとしても――その世界まで追いかけて殺すことは、美姫にとっては容易いことだった。
佐山の放送が聞こえてくるまで姫が考えていたのは、参加者以外への対処だ。空間を渡り、騎士団や神野、アマワを殺しに行くこと。自力で刻印を破った以上、もはや美姫を縛るものはこの島にない。やろうと思えば、こんな場所からはいつだって抜け出せた。
佐山の言葉を最後まで聞こうと思ったのは、彼女の気まぐれに過ぎなかった。道化がその首を掛けて踊るというのなら、それを見届けてやる程度の慈悲は彼女にもある。
『――秋せつら氏の死については弔意を示そう。だがね。片思いの相手が死んだから世界を滅ぼす? 厨二病の女子中学生でもそんなことやらんぞ、馬鹿め。顔の傷のせいでせつら氏に袖にされたと聞いたが――』
はん、とマイクの向こうで鼻を鳴らす音。これほどまでに人の精神を逆なでできるのかという、ある種芸術的なまでに人を小馬鹿にした佐山・御言の声が響く。
『そんな傷がなくとも、貴様のような性格ブスは振られていただろうと保証してやる』
「……安い挑発じゃな」
苦く笑って、美姫は井戸の残骸から腰を上げる。
そして次の瞬間には、その姿が消えていた。
『墜落』状態の甲斐氷太の傍で、美姫はその放送を聞いていた。佐山・御言による所信表明演説のような何かと、その後の自分に向けられた揶揄のような何かを。
美姫は半壊した井戸の残された縁に座りながら、放送の発生源であるマンションの方角を何をするでもなく見つめている。周囲には宙を揺蕩う鮫の群れ。モンスターパニックものの映画も真っ青な場面だが、その中心に居るのが美姫であれば、流麗なアクアリウムの如く幻想的な風景にさえ見えてくる。
人を使って佐山に残りの参加者を集めるよう伝えたのは、面倒な処理作業の手間を省くためだ。秋せつらの死を許した全ての存在――黒幕、管理者、そして参加者。その全てを美姫は破滅させてやるつもりだった。
では、いまはどうか?
この下らぬ遊戯に関わった者を全て滅ぼすという目的は変わっていない。だが同時に、残りの参加者はこの異形どもに任せてしまっても良いという気持ちも湧き始めていた。
無限に増殖する鮫の悪魔は、日が出るまでに残る全ての参加者を喰らいつくすだろう。佐山が拾いきれなかった参加者も含めて。悪魔の主である甲斐氷太も、遠からず失血死する。誰も残らないというわけだ。仮に生き残りが出て、さらにその連中が故郷となる世界に帰れたとしても――その世界まで追いかけて殺すことは、美姫にとっては容易いことだった。
佐山の放送が聞こえてくるまで姫が考えていたのは、参加者以外への対処だ。空間を渡り、騎士団や神野、アマワを殺しに行くこと。自力で刻印を破った以上、もはや美姫を縛るものはこの島にない。やろうと思えば、こんな場所からはいつだって抜け出せた。
佐山の言葉を最後まで聞こうと思ったのは、彼女の気まぐれに過ぎなかった。道化がその首を掛けて踊るというのなら、それを見届けてやる程度の慈悲は彼女にもある。
『――秋せつら氏の死については弔意を示そう。だがね。片思いの相手が死んだから世界を滅ぼす? 厨二病の女子中学生でもそんなことやらんぞ、馬鹿め。顔の傷のせいでせつら氏に袖にされたと聞いたが――』
はん、とマイクの向こうで鼻を鳴らす音。これほどまでに人の精神を逆なでできるのかという、ある種芸術的なまでに人を小馬鹿にした佐山・御言の声が響く。
『そんな傷がなくとも、貴様のような性格ブスは振られていただろうと保証してやる』
「……安い挑発じゃな」
苦く笑って、美姫は井戸の残骸から腰を上げる。
そして次の瞬間には、その姿が消えていた。
◇◇◇
あの吸血鬼がこの簡単な挑発に乗るだろうということについては、佐山には確信があった。
何故なら、あの吸血鬼は最強だからだ。
挑発に乗らないというのは、極論、全てやせ我慢である。
自分は大人なのだから、幼稚な意見に反応すべきではない。挑発する相手はこちらから反応を引き出したいのだから、反応することこそ負けだ――そんなものは全て言い訳に過ぎない。畢竟、挑発とは悪意である。そして悪意に対して反撃しないケースというのは、結局の所力不足から発生する。
万象捻じ伏せる武力や、全てを肯定させるカリスマ。常識から隔絶した力さえあれば、相手に"思い知らせること"を我慢する必要などどこにもない。
故に、こうして――美姫は、佐山の頭上に姿を表した。
妖姫は天空の高みから、下々を睥睨していた。世界と、世界に抗う者。相反するそれらを、しかし姫は同等に価値無きものとしか見てない。
瞬間、世界が八等分にされた。
美姫の足下から暗く輝いた赫線が発生していた。その糸は八方向に伸び、夜天を割っていく。まるでマンションを包む鳥籠のように、その先端は地に落ち、鉄格子のように地面に突き刺さった。
次に起こったのは地震の如き地鳴りであった。島全土が震えている。まだそれほど大きくはない。だがだんだんとそれは強くなっていた。
何が起こっているか正確に知っているのは美姫だけだろう。誰が想像しようか――美姫の伸ばした血の槍が、この世界そのものを消し去ろうと、この箱庭を支えている根源を目指して突き進んでいるなどと。
「――カズィクル・ベイが見れば歓喜しような。串刺しによって敵地が滅ぶ有様とは」
声が響く。それはいと高き天上から降り注ぐ神の託宣である。震えるほど透き通った声が染み渡るように――まるで世界そのものから求められているように広まっていく。
本来なら、聞こえるはずはない。それだけの距離が隔てていた。だが、地上にいる誰もが、彼女の声を明瞭に聞き取れることに違和感を覚えない。かような美しい声を聞き逃すはずはない。彼女の声とはそういうものなのだ――そう、心のどこかで納得してしまう。それが美姫の持つ魔性である。
払暁まで2時間弱。すでに月は沈み、星々の輝きも薄くなっている。だが、夜空の美しさはここにきて際立っていた。何故ならば星月などよりよほど美麗な存在が夜を背景にしていたからだ。
美姫。傾国の女。天体が遙かな高見から下々を睥睨するように、血によって編まれた牢獄を踏みつけて、彼女は佇んでいる。
「この世界はあと数分で滅びる。まさか、逃げられようとは思っていまいな?」
「逃げる? そんなつもりはなく、ここで決着を付ける心算だとも。だがまあ私は超絶心が広いので、傷心の女性には優しい言葉を掛けてあげよう――泣きながら額を地面に擦りつけたら仲間にしてやってもいいぞこの暗黒顔面大火傷ババアしかも振られ虫」
拡声器を投げ捨てて、生の音声で迎え撃つ佐山。彼女がこちらの声を聞き逃さないことは確信できていた。美姫という存在が絡んでいる事象が、間抜けな絵面になることはないと。
そして当然のように佐山の言を聞き取って、美姫は微笑みを浮かべた。これから殺すのだから、最後まで囀らせよう――それはそういう笑みだった。
「仲間、か。頭数だけは揃えたものよな。私から見れば塵芥、雑兵の集まりにしか見えぬが――それで私を倒し、この世界から脱することが出来るとでも?」
「それだけに留まらず、黒幕を倒し土下座させて補償もさせるとも」
「黒幕? ずいぶんと大それた物言いよ」
美姫は己の手を、月に透かすように掲げた。そこにあった呪いの刻印は、既に存在しない。佐山達のように裏技で無効化したのではない。力尽くで、その根源から消し去っていた。
「神野陰之、といったか。術式を見て、おおよそどういう存在かは掴めた。修行の果てに世界と同化した仙人は珍しいが、見るのは初めてではない」
例えば藍采和は高名な唐王朝時代の仙人であるが、彼は仙術を極め、最後には天と合一し世界に溶けたという。
深遠なる吸血鬼の知識の前には、異世界にて生まれた『名付けられし暗黒』さえ不明の存在とはならない。
「であれば――対処は容易」
美姫は己の指先に真珠色の牙を押し当てた。ぷつりと皮が破れ、紅く、不気味に輝く血が糸のように垂れる。
それは彼の魔界医師の聖域、メフィスト病院に施された深淵なる遁甲の術をこともなげに破った空間操作術の発露であった。
ぴっ、と振るわれた指先から延びた血糸は宙を舞い、そして虚空で停止する――停止したようにしか、余人には見えなかったであろう。だが、それが空間に"張り付いた"ものであることは、魔の業について見識のあるものであれば見破れたはずだ。
佐山と共に屋上にいるヘイズのI-ブレインが空間の異常を検知し、ギギナは咒力にも似た異常な圧を肌で感じた。地上にいる他の面々にも、それぞれの方法で某かを感知した者はいただろう。
糸が引かれる。軽々と、それこそ毛糸でも繰るかのような仕草で、しかし世界は剥離した。
赤い線の先端を中心にして、空間に罅が入っていた。まるで瘡蓋に糸を張り付けて引きはがそうとでもしているかのように、美姫が指を引くほどに罅は深くなっていく。罅の向こう側には光すら通らぬ暗黒。
それはアラストールが齎した世界の綻びだった。神野陰之がその力をもって塞ごうとしている世界の傷を、しかし、この妖姫はこともなげに開いたのである。
単純に、それが両者の力量差を表すわけではないが、ただひとつ――美姫の力は、神野陰之に通用し得るということは確かであった。
「私はお前たちを元の世界に帰してやることができる。世界を渡るなど、私にとっては造作もないこと」
罅の隙間から覗く向こう側は虚無の如く暗い。だが、この妖女ならばその暗闇を迷わずに歩けるのだろう。数多の世界を渡り歩いた、この規格外の怪物なれば。
「神野陰之も、私ならば括って滅せよう。アマワとやらも、それは同じ」
はったりや、相手の底を見誤っての言ではない。神野陰之もアマワも時空に縛られない存在であるがために、尋常一様の手管では滅ぼすことはできない。だが、真に不滅の存在であるというわけでもないのだ。
アマワは殺人精霊に消滅寸前まで傷つけられたし、『世界樹に吊るされし魔術師』は神野陰之を封じる術を構築している。時空を超えて幾つもの時代と世界を渡り歩き、あらゆる術理を知るこの吸血鬼にとって、精霊と魔人は一筋縄ではいかない相手であっても、手合い違いとはなり得ない。
美姫がいれば全てを打ち倒し、この世界から脱することが叶う。それは、厳然たる事実であり、
「その上で、告げる」
美姫が引いていた血糸をついと手放した。開きかけていた世界の傷が溶けるように消え失せる。それはまるで、暗闇の中で光り輝いていた一筋の希望が消え失せるように――
聖母の優しさと淫婦の婬奔さを両立させた笑みを浮かべて、彼女は恋人の耳元で睦言を囁くように告げた。
「駄目じゃ。貴様ら全員ここで死ね」
死刑宣告と共に、吸血鬼が一度、ぱん、と手を打ち鳴らした。
字にすれば、ただそれだけのことだろう――だが、それが生み出した現象はおよそ尋常一様のものではない。
重ねられた手の中に光が灯る。
それは掌の中で生成された重水素や三重水素が、空気を超圧縮することによって発生した高熱でプラズマ化。
電子から解き放たれた自由水素原子核同士が衝突。ヘリウム核が生成される際、質量が熱量に変化することにより引き起こされた現象である。
光に対し、もっとも早く反応し、そしてその性質を理解したのはギギナだった。
「――あれを防がねば、死ぬぞ」
剣舞士の知識を無理やり当て嵌めれば、それはこういうことになる。
化学錬成系第七階位<重霊子殻獄瞋焔覇>(パー・イー・モーン)
頭上の女はそれと同等の核融合反応を、ただ柏手を打つことで引き起こしたのだ、と。
有り得ない、と、彼の相棒が隣にいれば言っただろう。重水素の生成はいうに及ばず。核融合に必要な高温、高圧を素手で発生させられてたまるかと。
如何なる妖術を使ったのか。はたまた彼女の柔らかなる掌に惹かれ、分子までもが自ら形を変え、馳せ参じたとでもいうのか。
その場にいる誰かが答えを出す前に、吸血鬼の手から莫大な熱量が沸き起こり、地に向けて奔った。
それはさながら、光の大瀑布である。どうやってか指向性を与えられた核融合の熱は夜の闇を引き裂き、空を覆おうとしていた悪魔の群れを悉く蒸発させた。そうして目が眩むほどの光と熱を伴って地上を目指していく。
時間にして1秒足らず。空気が灼ける感触が肌を逆立たせる。死の閃光は、直撃すればマンション諸共に全てを焼き尽くすだろう。
咄嗟に、ムキチがその身を盾とする。大量の水分子が防壁となり、さらにその権能をもって少しでも熱量を奪おうとする。
だが力を制限された身では、まさに焼け石に水だ。水の身体は瞬時に沸騰、蒸発した。熱の奪取はほんのわずかに光を減じさせるのみ。迫りくる死の光は止まらず――
「行けるな、Gsp-2」
――故に、第二の竜が顕現する。
声の主は出雲・覚。全竜交渉部隊の前衛(ポイント・マン)。彼は上空に妖姫が現れた瞬間から、すでに行動を開始していた。
Gsp-2の砲口を天に向け、指先は罅だらけのコンソールの上を滑るように動き、必要なコードを打ち終えている。
最初から、最大火力をぶつけるつもりだった故の迅速さ。最後のキーを叩き、出雲は叫んだ。
「――飛ばすぜ。第三形態だ!」
応じるように、罅の入ったモニタが明滅した。
準最終兵装の展開。神槍は長砲から飛翔機へと変じる。だが、かつての使い手のように飛ぶことはしなかった。出雲は半ばほどから突き出たT字グリップを握り込む。柄尻は屋上の床に固定。概念核から生み出されるエネルギーは全て充填に回されている。
破損したモニタでは出力状況を見ることもできないが、出雲は気にもしない。最大出力で撃ちだすのなら意味は無いのだから。
Gsp-2の振動が、屋上の床を叩くほどにまで一気に高まる。出雲は獰猛な笑みを浮かべながら叫んだ。
「開け神焉! 世界を滅ぼす竜の姿をご覧じろ……!」
押し込んでいたグリップのボタンを解放する。
砲口から莫大な光が迸る。解き放たれたのは光の暴竜だった。足元の巨大な篝火にも匹敵する力が爆発的に膨らむ。巨大な咢の形をとったそれは、あろうことか上空から降り注ぐ核融合の光を一飲みに喰らい尽くした。
物理的に有り得ない――だが、それは一般的な物理法則の話。概念とは"そういうもの"だ。最強のGを形成していたその概念核は、そこに住んでいた神々の力すら内包している。
光の大顎はさらに膨張を続けた。喰い足らぬと言わんばかりに夜空を侵食し、向かう先には妖姫の姿。
吸血鬼はほう、と感心したように迫る暴竜を見やる。細めた目は、全てを見通すかの如く眩い光を見据えていた。
「世界を構成する要素に、竜の形を与えて武器にしたか。いや――暴竜の血は後から混じったな? なるほど、我が肉を裂いただけの縁起はあるというわけだ」
数刻前に貫かれた心臓を一撫でして呟くと、美姫は右の人指し指を一本だけ動かした。それは先ほど見せた空間の罅を開くための動きを彷彿とさせるもので――そして、それはまさしくその通りだったのだ。
姫のたおやかな指先から延びた血糸は、再び世界に張り付き、その傷を剥離させた。だが罅を広げるだけの先ほどとは違い、此度は完全に世界を千切り取る。
星空が映ったガラス片のようなそれが、赤い糸に導かれて宙を舞った。剥がされた"痕"には、先を見通すことも出来ぬほど深い暗闇が湛えられている。おそらく、罅を埋めるために神野陰之が注いでいる"力"の一端がそのように映るのだろう。
美姫は暗闇には目もくれず、指を振った。引きはがされた世界は、ただそれだけの動作に異様なまでの加速を与えられ、向かい来る光の竜と衝突する。竜の巨大さに対し、ぶつけられた世界の卑小さたるや、蟷螂の斧の故事の如く。
だが、竜は消えた。
「なっ――」
誰のものとも知れぬ驚愕の声が夜空に散る。
それは先ほどと真逆にして同様の、有り得ざる相殺だった。
G-Sp2第三形態による最大出力攻撃は、機竜の編隊すら一噛みで喰らい尽くすほどの規模と強度を持つ。
その一撃が、ほんの数メートル四方の空間を切り取った物をぶつけられただけで消失させられたのだ。
「何を不思議なことがあるか? その竜は世界を滅ぼすために生まれたもの。であれば、どれほど卑小であれど世界をぶつけてやれば消えるのは道理であろう?」
神野の力によって閉じ行く世界の傷跡を背に、姫は常識を説くような口調で呟く。
だがその内容は常識外れもいいところだった。世界からその一部を剥離させ、単一の世界として成立させたというのだ。
「おい、佐山。あいつGsp-2のこと知ってんのか?」
「知らないだろうとも。だが――博識なのは間違いあるまい」
永遠を生き、数多の世界を歩いてきたこの吸血鬼の知識は、そこらの賢者よりも広く深いのだろう。
たとえ未知を前にしても、その叡智の中から類型を見つけ出し、適切かそれに近い対応をしてくる。多少ずれていても、その強大な生命力で耐え抜き、強引に次に繋げてしまう。
初見殺しでさえも容易く乗り越えてしまう、不滅の妖姫。
「さて――その竜、続けざまに放てるのかえ?」
カウリングを展開し、冷却に入ったGsp-2を見て、吸血鬼は微笑みを浮かべながら可笑しそうに笑う。
対して出雲は動揺を見せなかった。ふっ、とニヒルな笑みを浮かべ、前髪をかき上げるような仕草を返し、
「――よし、一年後の今日と同じ時間、また勝負しようぜ!」
美姫が再び柏手を打った。
夜空に響き渡るのは如何なる楽器をも敵わぬような美音。だがそれを引き金に発生したのは激烈な核融合反応である。
打ち合わせた掌の中で凄まじい化学反応が生まれ、莫大な熱と光が再び地上を襲い――
「一度見せた手妻が、そうそう通用すると思うなよ」
それを遮るは出来損ないの魔法士、ヴァーミリオン・CD・ヘイズの声。
信じがたいが、上空の吸血鬼が放った熱波は本当に核融合反応から生じたものらしい。I-ブレインによる測定がそう告げていた。あの女怪はどうやってか掌の中に重水素を集中させD-T反応を起こしている。
具体的にどうやって重水素を生成・集中させているかは分からないが、核融合という仕組みだけでも分かっているのなら対処のしようはある。
(――『破砕の領域』展開準備完了)
ガチン、という金属音が夜天の下に響き渡る。
「ほう」
美姫が小首を傾げながら己の掌を見つめていた。その狭間にあった激烈な化学反応はすっかり消えてしまっている。
種を明かせば、なんということはない。重水素の情報解体――情報解体された分子は直前まで持っていた運動エネルギー等の熱量を失う。
彼のI-ブレインによる未来予測演算は姫の再攻撃のタイミングを予測し、ドンピシャのタイミングで破砕の領域を打ち込んだのである。
だが――本来、ヘイズが単体で用いる破砕の領域はそこまでの射程を持たない。
かつてシャナとフリウの落下を食い止めた時とは比べ物にならないほど、彼我の間には隔たりがあった。
これほどの距離を隔てて空気分子の動きを制御し、論理回路を生成するためには、相応の音源が必要になる。常ならば彼の愛機に搭載された大型スピーカーがそれになるが、今回は当然、別のものを使うことになった。
ヘイズが握りしめるのは、佐山から投げ渡された拡声器だった。それを左腕ごとだらりとぶら下げている。
この拡声器はただの拡声器ではない。
本来、拡声器とは集積した音を増幅して一方向へ飛ばすものだ。だがこの拡声器はどの方向を向いて使っても、島中に聞こえるようになっている。それだけなら島中にスピーカーが取り付けられているというだけで済むが、実際には声の発信源、つまりは使用者がいる方向を特定できた。これはどういうことか。
電池ボックスを開いたときに、その疑問は解決した。そこに収まっていたのは単三電池の類いではなく、小型の賢石燃料だったのだ。
『天下に響く、というような概念が込められているのだろう。地下にいる者に聞こえなかったのは、そこが天の下ではなく地の下となっているからとか、そんな理屈ではないかね』
おそらくその拡声器の製造元の世界出身であろう佐山はそんなことを言っていたが。
即ちこの拡声器は、島中のどこにでも、減退なく振動を届けられる拡声器なのだ。
それはヘイズにとって喉から手が出るほど欲しい武装だった。可能なら愛機に装備させたいほどの。
(なるほどな。佐山の野郎の話もまるきり夢物語ってわけじゃねえ――)
各異世界の技術や異能を結集し、組み合わせて発展させる――それは確かに各世界にあったそれまでの常識を覆すような成果を生むだろう。こうして理論上は射程無制限の情報解体が可能になったように。
(――"こっち"も行けそうだな)
そしてさらにもうひとつ、ヘイズは異なる技術体系の組み合わせを用意していた。
(システム稼働率を120%に再設定。予測演算成功。『虚無の領域』展開準備完了)
鋼鉄が噛み合う音が響く。
繰り出すは『虚無の領域』。あらゆる防御を無視して万象を解体するヘイズの奥の手だ。
拡声器を通して送り出した音が空気分子に干渉し、上空の美姫を中心に最終半径50mの論理回路を描き出す為に胎動する。
I-ブレインの機能停止と引き換えの絶技。ヘイズのI-ブレインが、限界を超えた演算に悲鳴を上げ――
(――脳内の蓄積疲労が98%に到達。警告。疲労蓄積規定値を超過。システム修復を要請)
――だが、停止しない。
思わずヘイズは胸中で口笛を吹いた。その視線は拡声器を握った左手とは逆の手に握られた物体へと注がれている。
(ぶっつけ本番だったが、予想以上の成果だ)
それはひとふりの剣だった。ただし、刀身は半ばで断ち切られ、近接武器としての機能は失われている。鍔元には自動拳銃のマガジンやスライドに酷似した機構があるが、弾は込められていない。
それは蒼い殺戮者によって回収された物資のひとつ。かつて彼らの仲間が振るっていた、フォルテッシモによって刀身を半ばで断ち切られた魔杖剣。
内なるナリシア。その法珠演算機関から伸びた有機コードがヘイズの手首に繋がっていた。
(ギギナから聞いた、脳内演算の負担を軽減する機能――正直、ここまでとはな)
かつて火乃香が持っていた長剣とギギナのネレトーの形状に酷似したところがあった為、剣舞士から苦労して聞き出した魔杖剣という武器の特性。
その中でもヘイズにとって魅力的だったのは、演算による脳の負担を軽減する為の機構だった。咒式と情報制御理論は、仕組みとしては似たところのある技術だ。ある程度の互換性はあると睨んでいた。
だがここまでの成果を発揮できたのは、内なるナリシアが数ある魔杖剣の中でも飛び抜けた性能を持ち、なおかつヘイズのI-ブレインとの相性が良かったことに起因する。
魔杖剣開発者として最高の頭脳を持つレメディウス博士が一点物として製作した魔杖剣。咒式士の中でも特に演算能力に長けた数法系のレメディウスが、自身の為に造り上げたそれは、恐るべき演算補助能力を持つ。
通常の魔杖剣では、I-ブレイン、ましてやその中でも突出した演算能力を持つヘイズのそれにとって、さほどの助けにはならなかっただろう。
(で――戦果はどうだよ? こいつで決まってくれればこの後が楽なんだが)
連鎖的に膨らんでいく論理回路が限界を迎えるまでには、現実時間でそれこそ一弾指と掛からない。
(――エラー。論理回路の連鎖形成が停止。『虚無の領域』展開に失敗)
だからI-ブレインによって告げられたそんな結果に、ヘイズの表情はすぐには追いつけなかった。
「……は?」
切っ先の失われた剣を天の美姫に向けながら、疑問符を零す。我ながら間抜けな声だな、と呆れながら。
原因は明白だ。『虚無の領域』は空気分子で描かれる論理回路を連鎖的に増大させることで発動するが、その空気分子がヘイズの演算通りに動かなかった――正確に言えば、瞬間的に停止したのだ。
論理回路が限界まで膨らみ上がるまでに要する時間は一瞬。干渉できる筈もないし、そもそも外的要因を全て含めて計算している。ヘイズの演算速度で失敗はあり得ない。
――だが、ヘイズは本能的にその原因を悟ってしまった。
笑みだ。
月を背景にした美姫が微笑んでいた。柔らかな月明かりに照らし出される、艶然たるその笑みはまさに傾国。王の心を射止めるように――その笑みは、論理回路の増殖・増大に待ったをかけた。
そう、あたかも絶世の美女を前にした初心な男が固まってしまうように、姫の浮かべた極上の笑みは空気分子の運動すら凍りつかせたのだ。
距離と美貌に対する制限、事前にギギナから展開して貰っていた脳内物質の調整咒式がなければ、その笑みはヘイズの心臓すら止めていただろう。
「人の切り札を表情筋で防ぎやがって……」
乾いた声を上げる。さすがに微笑みで空気分子の運動が停止するなどというファクターは計算外だ。I-ブレインの疲労蓄積は限界。この場においてはムキチがその疲労値さえ吸収してくれているが、即座に全快とはいかない。
三度、美姫がその両手を打ち鳴らそうとする。『破砕の領域』に必要な再演算は間に合わない。
「時間は稼いだぞ――」
だが、ヘイズの顔に焦りはない。
G-Sp2第三形態の最大出力、および『虚無の領域』への対処に姫が用いた時間は三秒にも満たないだろう。
「――ギギナ」
その数秒で、いと高き姫の元まで竜狩りの剣士が跳び上がる。
ヘイズの眼前を、地上から天へと向かう高速の飛翔体が通り過ぎていた。その白い発泡剤に包まれた、まるで人間大の卵の如き物体が重力を無視したような勢いで、姫と同じ高度に至る。役目を終えたキチン質の発砲鎧が剥がれ落ち、姫が紡いだ血線の上に、屠龍刀を担いだギギナが降り立った。
「手合わせ願おうか、吸血鬼」
本来なら、ギギナがその位置まで到達することは難しかっただろう。
標的である姫は重力系でないギギナにとっては単純に高すぎる位置にあり、そしてその間に存在する空間は、未だ核融合の余熱が残る死地と化している。
故に、ギギナは姫が頭上に現れると同時、屋上から飛び降りていた。マンション西部にて交戦する黒魔術士たちから重力制御の支援を受ける為に。
ネレトーの回転弾倉はフル装填されていた。風見・千里が持っていた弾薬セット――その中に紛れていた汎用咒弾を貰い受けた為だ。
魔術により瞬間的に自重を0とした上で、圧縮空気を噴出する<空輪龜(ゲメイラ)>及び耐熱装甲を展開する<衂蟹泡鎧(ドラメルフ)>により、いまだ核融合の余波が残る高温の空間を飛び越えたのである。
ギギナが走り出す。糸のように細い血の道の上を、剣舞士は颶風となって突き進んで行く――そして、それを見たヘイズ以下数名が叫んだ。
「な――なにやってんだあいつ!?」
ギギナを高空に打ち上げるところまでは事前に取り決めた作戦通りだった。佐山の挑発を受けた吸血鬼が、おそらく上空から強襲してくるであろうことは読めていたからだ。
(あれは他人に見下されることを著しく嫌う手合いだろう。全く、自分の立ち位置を客観視できない輩は嫌になるね?)
そんな佐山(どうるい)の言葉に説得力を感じたわけでもないが――どのみち、対応しづらい上からの襲撃にリソースを割くというのは間違っていなかっただろう。
現在の自分たちの大まかな目的は、攻撃を防ぎながら美姫を"射程"内におさめることだ。
屋上に配置された出雲、ヘイズ、ギギナの役割は、それぞれ状況に応じていくつか設定されていたが、いずれにしてもギギナが動くのは最後の最後、もう他に手段がない場合の最終手段だった。G-Sp2と情報解体による間接攻撃ができる二人に比べて、接近戦闘にはどうしたところで危険が付き纏う。
いかに強大な生命力を持つギギナであろうと、姫相手ではそう長くは持たない。単純に頑丈でかつ不死身の肉体。剣の技量で上回っていても、それを無意味にするほどの身体能力差。
だがそういった相手に挑むことこそ、ドラッケン族の本懐である。
剣の間合いに入るまでに半秒。赤い糸の上を危なげなく疾駆したギギナはその勢いのままに屠竜刀を繰り出した。重厚な刃が閃光の如き勢いで吸血鬼の首を刎ねんとし――
「なかなかの技量。常ならば戯れに斬られてやってもよかったが」
刃を摘まみ取るように二本の指で止めながら、姫はほうと感心するように吐息を漏らした。本来なら、常人はその吐息に触れただけで発狂していただろう。
ギギナはネレトーの拘束を解こうと僅かに力を込めて、瞬時にその選択肢を排した。肉体強化に特化した剣舞士の膂力を、この線の細い美女のたおやかな指二本が圧倒的に凌駕している。
ギギナは躊躇わずに武器を手放し、蹴りでも繰り出すかのように素早く、その柄に足を掛けた。美姫の膂力が圧倒的であることを利用して、ネレトーを足場に跳躍する。
月下に跳んだギギナが吸血鬼の頭上を取る。平時ならば配下においても良いような美丈夫の抗いに、僅かに美姫の視線が好奇を帯びた。
そして次の瞬間、美姫の頭が衝撃に傾いだ。
「む、――」
美姫はギギナの動きを完全に捉えていた。如何に剣舞士の身体能力が高くとも、美姫の動体視力はそれを上回る。だが、
「目の数と形状、位置も可動域も人間と変わらぬ。ならば盲点も同じだろう」
姫の眼孔から大脳までを、ギギナの爪先で発動していた生体生成系第二階位<尖角嶺(センガ)>による合金と強化クチクラ製の槍が貫いていた。
人間の視野はおおむね180度から200度と言われているが、その中に盲点と呼ばれる死角がある。眼球にはその構造上、光信号を感知できない部位が存在するためだ。通常、眼球が二つあればこの盲点は補い合えるが、屠竜刀の一撃とその後の跳躍を利用し、視線を誘導することで強制的に盲点による絶対死角を作り出し、その一点を突いた。かつてギギナ自身が体験した賽河江一刀流『陰燕』及び『逆雲雀』の模倣。生体構造の限界を利用した不可視・不可避の一撃である。
「駄賃だ」
姫を支点に反対側の足場へと着地したギギナは、屠龍刀を奪い返すとさらにトリガーを引き絞った。<尖角嶺>を多重発動。眼部から頭蓋骨内部への侵入を果たしていた槍が膨張と枝分かれを繰り返し、吸血鬼の脳を圧壊、攪拌していく。
事前情報通り、この状態から生き返るような怪物だったとしても、脳が破壊されればその間は行動不能になる筈だ。ギギナは敵の頭部に合金の槍で接続されている右足へさらに力を込め、美姫を足場から突き落とす。
その足を、美姫の右手が握りしめた。
「なっ――」
「言ったであろう。常ならば一度くらい死んでやってもよかったが、日が悪かったな。生まれ変わって出直してくるが良い」
強化骨格ごとギギナの足首が握り潰され、力ずくで美姫の頭部から槍が引き抜かれる。さらに姫の貫手が胸部から背中までを貫通。剣舞士の心臓を完全に破壊した。
ごぼり、とギギナの口から血の塊が滴り落ちる。
姫は崩れかけた体勢を難なく戻し、代わりにギギナが足場から落下していった。胸部から漏れ出した粘る血液が、天へ向かって糸のように伸びていく。
「くそっ! 佐山、蒼い殺戮者を――」
「いや、このままでいい」
ヘイズの物言いに動じもせず、佐山は落下する剣舞士をただ眺めている。やれやれと首を振り、
「――ギギナ君は頑固でね。せめて一合打ち合わねば納得しないと譲らなかったのだよ」
軽車両ほどもある重量級の前衛咒式士。その肉体が空中で一瞬だけ静止する。
貫かれたギギナの胸からは血液が溺れ、まるで糸のように伸びている。その先端が、美姫の造り上げた血の足場に溶け込むように接触していた。
血を吸って赤く染まった生体生成系第二階位<蜘蛛絲(スピネル)>によって作り出された高強度タンパク質の命綱。ギギナと美姫の足場を繋ぐそれが限界まで伸びた後、反動でギギナの身体を引き戻す。
ギギナの逞しい腕が己の胸部から伸びる蜘蛛の糸を力強く掴み、さらに加速を付けるように手繰る。既に恒常咒式の機能で組織閉鎖と鎮痛が始まり、血は止まり始めていた。
予め発動していた生体生成系第3階位<副心輪瘤(ザ・ガ)>は、心臓を失ってもなおギギナに常と変わらぬ動きを約束していた。一撃を受けるのは想定の範囲内。蹴撃を選んだのも、咒式士にとって心臓以外の急所となる脳を美姫から遠ざけるためだ。
落下から一転、上空へと引き戻された肉体は足場を越え、再び美姫の頭上を取る。さらに発動させた<黒翼翅(アルファス)>によって背中から展開された黒翼が、ギギナに僅かな時間、滞空を許していた。
(確かに強い。今までに戦ったどの異貌のものどもよりも上だろう)
眼下からこちらを見上げる美姫を睨みながら、ギギナは奥歯を噛みしめる。強敵に出会えた歓喜と、それと満足に打ち合うことが叶わない現状。矛盾した感情が頬を引きつらせ、笑みとも歯噛みとも取れぬ貌を作り出していた。
だが、それも一瞬のこと。誇り高き一族の名に誓って、取り決めを違えはしない。
「私自身の未熟さに免じて、ここは望み通り鳴いてやる」
伸びるように迫ってきた美姫の衣の袖を旋回して回避しながら、剣舞士は約束の言葉を唱えた。
「――テスタメント」
何故なら、あの吸血鬼は最強だからだ。
挑発に乗らないというのは、極論、全てやせ我慢である。
自分は大人なのだから、幼稚な意見に反応すべきではない。挑発する相手はこちらから反応を引き出したいのだから、反応することこそ負けだ――そんなものは全て言い訳に過ぎない。畢竟、挑発とは悪意である。そして悪意に対して反撃しないケースというのは、結局の所力不足から発生する。
万象捻じ伏せる武力や、全てを肯定させるカリスマ。常識から隔絶した力さえあれば、相手に"思い知らせること"を我慢する必要などどこにもない。
故に、こうして――美姫は、佐山の頭上に姿を表した。
妖姫は天空の高みから、下々を睥睨していた。世界と、世界に抗う者。相反するそれらを、しかし姫は同等に価値無きものとしか見てない。
瞬間、世界が八等分にされた。
美姫の足下から暗く輝いた赫線が発生していた。その糸は八方向に伸び、夜天を割っていく。まるでマンションを包む鳥籠のように、その先端は地に落ち、鉄格子のように地面に突き刺さった。
次に起こったのは地震の如き地鳴りであった。島全土が震えている。まだそれほど大きくはない。だがだんだんとそれは強くなっていた。
何が起こっているか正確に知っているのは美姫だけだろう。誰が想像しようか――美姫の伸ばした血の槍が、この世界そのものを消し去ろうと、この箱庭を支えている根源を目指して突き進んでいるなどと。
「――カズィクル・ベイが見れば歓喜しような。串刺しによって敵地が滅ぶ有様とは」
声が響く。それはいと高き天上から降り注ぐ神の託宣である。震えるほど透き通った声が染み渡るように――まるで世界そのものから求められているように広まっていく。
本来なら、聞こえるはずはない。それだけの距離が隔てていた。だが、地上にいる誰もが、彼女の声を明瞭に聞き取れることに違和感を覚えない。かような美しい声を聞き逃すはずはない。彼女の声とはそういうものなのだ――そう、心のどこかで納得してしまう。それが美姫の持つ魔性である。
払暁まで2時間弱。すでに月は沈み、星々の輝きも薄くなっている。だが、夜空の美しさはここにきて際立っていた。何故ならば星月などよりよほど美麗な存在が夜を背景にしていたからだ。
美姫。傾国の女。天体が遙かな高見から下々を睥睨するように、血によって編まれた牢獄を踏みつけて、彼女は佇んでいる。
「この世界はあと数分で滅びる。まさか、逃げられようとは思っていまいな?」
「逃げる? そんなつもりはなく、ここで決着を付ける心算だとも。だがまあ私は超絶心が広いので、傷心の女性には優しい言葉を掛けてあげよう――泣きながら額を地面に擦りつけたら仲間にしてやってもいいぞこの暗黒顔面大火傷ババアしかも振られ虫」
拡声器を投げ捨てて、生の音声で迎え撃つ佐山。彼女がこちらの声を聞き逃さないことは確信できていた。美姫という存在が絡んでいる事象が、間抜けな絵面になることはないと。
そして当然のように佐山の言を聞き取って、美姫は微笑みを浮かべた。これから殺すのだから、最後まで囀らせよう――それはそういう笑みだった。
「仲間、か。頭数だけは揃えたものよな。私から見れば塵芥、雑兵の集まりにしか見えぬが――それで私を倒し、この世界から脱することが出来るとでも?」
「それだけに留まらず、黒幕を倒し土下座させて補償もさせるとも」
「黒幕? ずいぶんと大それた物言いよ」
美姫は己の手を、月に透かすように掲げた。そこにあった呪いの刻印は、既に存在しない。佐山達のように裏技で無効化したのではない。力尽くで、その根源から消し去っていた。
「神野陰之、といったか。術式を見て、おおよそどういう存在かは掴めた。修行の果てに世界と同化した仙人は珍しいが、見るのは初めてではない」
例えば藍采和は高名な唐王朝時代の仙人であるが、彼は仙術を極め、最後には天と合一し世界に溶けたという。
深遠なる吸血鬼の知識の前には、異世界にて生まれた『名付けられし暗黒』さえ不明の存在とはならない。
「であれば――対処は容易」
美姫は己の指先に真珠色の牙を押し当てた。ぷつりと皮が破れ、紅く、不気味に輝く血が糸のように垂れる。
それは彼の魔界医師の聖域、メフィスト病院に施された深淵なる遁甲の術をこともなげに破った空間操作術の発露であった。
ぴっ、と振るわれた指先から延びた血糸は宙を舞い、そして虚空で停止する――停止したようにしか、余人には見えなかったであろう。だが、それが空間に"張り付いた"ものであることは、魔の業について見識のあるものであれば見破れたはずだ。
佐山と共に屋上にいるヘイズのI-ブレインが空間の異常を検知し、ギギナは咒力にも似た異常な圧を肌で感じた。地上にいる他の面々にも、それぞれの方法で某かを感知した者はいただろう。
糸が引かれる。軽々と、それこそ毛糸でも繰るかのような仕草で、しかし世界は剥離した。
赤い線の先端を中心にして、空間に罅が入っていた。まるで瘡蓋に糸を張り付けて引きはがそうとでもしているかのように、美姫が指を引くほどに罅は深くなっていく。罅の向こう側には光すら通らぬ暗黒。
それはアラストールが齎した世界の綻びだった。神野陰之がその力をもって塞ごうとしている世界の傷を、しかし、この妖姫はこともなげに開いたのである。
単純に、それが両者の力量差を表すわけではないが、ただひとつ――美姫の力は、神野陰之に通用し得るということは確かであった。
「私はお前たちを元の世界に帰してやることができる。世界を渡るなど、私にとっては造作もないこと」
罅の隙間から覗く向こう側は虚無の如く暗い。だが、この妖女ならばその暗闇を迷わずに歩けるのだろう。数多の世界を渡り歩いた、この規格外の怪物なれば。
「神野陰之も、私ならば括って滅せよう。アマワとやらも、それは同じ」
はったりや、相手の底を見誤っての言ではない。神野陰之もアマワも時空に縛られない存在であるがために、尋常一様の手管では滅ぼすことはできない。だが、真に不滅の存在であるというわけでもないのだ。
アマワは殺人精霊に消滅寸前まで傷つけられたし、『世界樹に吊るされし魔術師』は神野陰之を封じる術を構築している。時空を超えて幾つもの時代と世界を渡り歩き、あらゆる術理を知るこの吸血鬼にとって、精霊と魔人は一筋縄ではいかない相手であっても、手合い違いとはなり得ない。
美姫がいれば全てを打ち倒し、この世界から脱することが叶う。それは、厳然たる事実であり、
「その上で、告げる」
美姫が引いていた血糸をついと手放した。開きかけていた世界の傷が溶けるように消え失せる。それはまるで、暗闇の中で光り輝いていた一筋の希望が消え失せるように――
聖母の優しさと淫婦の婬奔さを両立させた笑みを浮かべて、彼女は恋人の耳元で睦言を囁くように告げた。
「駄目じゃ。貴様ら全員ここで死ね」
死刑宣告と共に、吸血鬼が一度、ぱん、と手を打ち鳴らした。
字にすれば、ただそれだけのことだろう――だが、それが生み出した現象はおよそ尋常一様のものではない。
重ねられた手の中に光が灯る。
それは掌の中で生成された重水素や三重水素が、空気を超圧縮することによって発生した高熱でプラズマ化。
電子から解き放たれた自由水素原子核同士が衝突。ヘリウム核が生成される際、質量が熱量に変化することにより引き起こされた現象である。
光に対し、もっとも早く反応し、そしてその性質を理解したのはギギナだった。
「――あれを防がねば、死ぬぞ」
剣舞士の知識を無理やり当て嵌めれば、それはこういうことになる。
化学錬成系第七階位<重霊子殻獄瞋焔覇>(パー・イー・モーン)
頭上の女はそれと同等の核融合反応を、ただ柏手を打つことで引き起こしたのだ、と。
有り得ない、と、彼の相棒が隣にいれば言っただろう。重水素の生成はいうに及ばず。核融合に必要な高温、高圧を素手で発生させられてたまるかと。
如何なる妖術を使ったのか。はたまた彼女の柔らかなる掌に惹かれ、分子までもが自ら形を変え、馳せ参じたとでもいうのか。
その場にいる誰かが答えを出す前に、吸血鬼の手から莫大な熱量が沸き起こり、地に向けて奔った。
それはさながら、光の大瀑布である。どうやってか指向性を与えられた核融合の熱は夜の闇を引き裂き、空を覆おうとしていた悪魔の群れを悉く蒸発させた。そうして目が眩むほどの光と熱を伴って地上を目指していく。
時間にして1秒足らず。空気が灼ける感触が肌を逆立たせる。死の閃光は、直撃すればマンション諸共に全てを焼き尽くすだろう。
咄嗟に、ムキチがその身を盾とする。大量の水分子が防壁となり、さらにその権能をもって少しでも熱量を奪おうとする。
だが力を制限された身では、まさに焼け石に水だ。水の身体は瞬時に沸騰、蒸発した。熱の奪取はほんのわずかに光を減じさせるのみ。迫りくる死の光は止まらず――
「行けるな、Gsp-2」
――故に、第二の竜が顕現する。
声の主は出雲・覚。全竜交渉部隊の前衛(ポイント・マン)。彼は上空に妖姫が現れた瞬間から、すでに行動を開始していた。
Gsp-2の砲口を天に向け、指先は罅だらけのコンソールの上を滑るように動き、必要なコードを打ち終えている。
最初から、最大火力をぶつけるつもりだった故の迅速さ。最後のキーを叩き、出雲は叫んだ。
「――飛ばすぜ。第三形態だ!」
応じるように、罅の入ったモニタが明滅した。
準最終兵装の展開。神槍は長砲から飛翔機へと変じる。だが、かつての使い手のように飛ぶことはしなかった。出雲は半ばほどから突き出たT字グリップを握り込む。柄尻は屋上の床に固定。概念核から生み出されるエネルギーは全て充填に回されている。
破損したモニタでは出力状況を見ることもできないが、出雲は気にもしない。最大出力で撃ちだすのなら意味は無いのだから。
Gsp-2の振動が、屋上の床を叩くほどにまで一気に高まる。出雲は獰猛な笑みを浮かべながら叫んだ。
「開け神焉! 世界を滅ぼす竜の姿をご覧じろ……!」
押し込んでいたグリップのボタンを解放する。
砲口から莫大な光が迸る。解き放たれたのは光の暴竜だった。足元の巨大な篝火にも匹敵する力が爆発的に膨らむ。巨大な咢の形をとったそれは、あろうことか上空から降り注ぐ核融合の光を一飲みに喰らい尽くした。
物理的に有り得ない――だが、それは一般的な物理法則の話。概念とは"そういうもの"だ。最強のGを形成していたその概念核は、そこに住んでいた神々の力すら内包している。
光の大顎はさらに膨張を続けた。喰い足らぬと言わんばかりに夜空を侵食し、向かう先には妖姫の姿。
吸血鬼はほう、と感心したように迫る暴竜を見やる。細めた目は、全てを見通すかの如く眩い光を見据えていた。
「世界を構成する要素に、竜の形を与えて武器にしたか。いや――暴竜の血は後から混じったな? なるほど、我が肉を裂いただけの縁起はあるというわけだ」
数刻前に貫かれた心臓を一撫でして呟くと、美姫は右の人指し指を一本だけ動かした。それは先ほど見せた空間の罅を開くための動きを彷彿とさせるもので――そして、それはまさしくその通りだったのだ。
姫のたおやかな指先から延びた血糸は、再び世界に張り付き、その傷を剥離させた。だが罅を広げるだけの先ほどとは違い、此度は完全に世界を千切り取る。
星空が映ったガラス片のようなそれが、赤い糸に導かれて宙を舞った。剥がされた"痕"には、先を見通すことも出来ぬほど深い暗闇が湛えられている。おそらく、罅を埋めるために神野陰之が注いでいる"力"の一端がそのように映るのだろう。
美姫は暗闇には目もくれず、指を振った。引きはがされた世界は、ただそれだけの動作に異様なまでの加速を与えられ、向かい来る光の竜と衝突する。竜の巨大さに対し、ぶつけられた世界の卑小さたるや、蟷螂の斧の故事の如く。
だが、竜は消えた。
「なっ――」
誰のものとも知れぬ驚愕の声が夜空に散る。
それは先ほどと真逆にして同様の、有り得ざる相殺だった。
G-Sp2第三形態による最大出力攻撃は、機竜の編隊すら一噛みで喰らい尽くすほどの規模と強度を持つ。
その一撃が、ほんの数メートル四方の空間を切り取った物をぶつけられただけで消失させられたのだ。
「何を不思議なことがあるか? その竜は世界を滅ぼすために生まれたもの。であれば、どれほど卑小であれど世界をぶつけてやれば消えるのは道理であろう?」
神野の力によって閉じ行く世界の傷跡を背に、姫は常識を説くような口調で呟く。
だがその内容は常識外れもいいところだった。世界からその一部を剥離させ、単一の世界として成立させたというのだ。
「おい、佐山。あいつGsp-2のこと知ってんのか?」
「知らないだろうとも。だが――博識なのは間違いあるまい」
永遠を生き、数多の世界を歩いてきたこの吸血鬼の知識は、そこらの賢者よりも広く深いのだろう。
たとえ未知を前にしても、その叡智の中から類型を見つけ出し、適切かそれに近い対応をしてくる。多少ずれていても、その強大な生命力で耐え抜き、強引に次に繋げてしまう。
初見殺しでさえも容易く乗り越えてしまう、不滅の妖姫。
「さて――その竜、続けざまに放てるのかえ?」
カウリングを展開し、冷却に入ったGsp-2を見て、吸血鬼は微笑みを浮かべながら可笑しそうに笑う。
対して出雲は動揺を見せなかった。ふっ、とニヒルな笑みを浮かべ、前髪をかき上げるような仕草を返し、
「――よし、一年後の今日と同じ時間、また勝負しようぜ!」
美姫が再び柏手を打った。
夜空に響き渡るのは如何なる楽器をも敵わぬような美音。だがそれを引き金に発生したのは激烈な核融合反応である。
打ち合わせた掌の中で凄まじい化学反応が生まれ、莫大な熱と光が再び地上を襲い――
「一度見せた手妻が、そうそう通用すると思うなよ」
それを遮るは出来損ないの魔法士、ヴァーミリオン・CD・ヘイズの声。
信じがたいが、上空の吸血鬼が放った熱波は本当に核融合反応から生じたものらしい。I-ブレインによる測定がそう告げていた。あの女怪はどうやってか掌の中に重水素を集中させD-T反応を起こしている。
具体的にどうやって重水素を生成・集中させているかは分からないが、核融合という仕組みだけでも分かっているのなら対処のしようはある。
(――『破砕の領域』展開準備完了)
ガチン、という金属音が夜天の下に響き渡る。
「ほう」
美姫が小首を傾げながら己の掌を見つめていた。その狭間にあった激烈な化学反応はすっかり消えてしまっている。
種を明かせば、なんということはない。重水素の情報解体――情報解体された分子は直前まで持っていた運動エネルギー等の熱量を失う。
彼のI-ブレインによる未来予測演算は姫の再攻撃のタイミングを予測し、ドンピシャのタイミングで破砕の領域を打ち込んだのである。
だが――本来、ヘイズが単体で用いる破砕の領域はそこまでの射程を持たない。
かつてシャナとフリウの落下を食い止めた時とは比べ物にならないほど、彼我の間には隔たりがあった。
これほどの距離を隔てて空気分子の動きを制御し、論理回路を生成するためには、相応の音源が必要になる。常ならば彼の愛機に搭載された大型スピーカーがそれになるが、今回は当然、別のものを使うことになった。
ヘイズが握りしめるのは、佐山から投げ渡された拡声器だった。それを左腕ごとだらりとぶら下げている。
この拡声器はただの拡声器ではない。
本来、拡声器とは集積した音を増幅して一方向へ飛ばすものだ。だがこの拡声器はどの方向を向いて使っても、島中に聞こえるようになっている。それだけなら島中にスピーカーが取り付けられているというだけで済むが、実際には声の発信源、つまりは使用者がいる方向を特定できた。これはどういうことか。
電池ボックスを開いたときに、その疑問は解決した。そこに収まっていたのは単三電池の類いではなく、小型の賢石燃料だったのだ。
『天下に響く、というような概念が込められているのだろう。地下にいる者に聞こえなかったのは、そこが天の下ではなく地の下となっているからとか、そんな理屈ではないかね』
おそらくその拡声器の製造元の世界出身であろう佐山はそんなことを言っていたが。
即ちこの拡声器は、島中のどこにでも、減退なく振動を届けられる拡声器なのだ。
それはヘイズにとって喉から手が出るほど欲しい武装だった。可能なら愛機に装備させたいほどの。
(なるほどな。佐山の野郎の話もまるきり夢物語ってわけじゃねえ――)
各異世界の技術や異能を結集し、組み合わせて発展させる――それは確かに各世界にあったそれまでの常識を覆すような成果を生むだろう。こうして理論上は射程無制限の情報解体が可能になったように。
(――"こっち"も行けそうだな)
そしてさらにもうひとつ、ヘイズは異なる技術体系の組み合わせを用意していた。
(システム稼働率を120%に再設定。予測演算成功。『虚無の領域』展開準備完了)
鋼鉄が噛み合う音が響く。
繰り出すは『虚無の領域』。あらゆる防御を無視して万象を解体するヘイズの奥の手だ。
拡声器を通して送り出した音が空気分子に干渉し、上空の美姫を中心に最終半径50mの論理回路を描き出す為に胎動する。
I-ブレインの機能停止と引き換えの絶技。ヘイズのI-ブレインが、限界を超えた演算に悲鳴を上げ――
(――脳内の蓄積疲労が98%に到達。警告。疲労蓄積規定値を超過。システム修復を要請)
――だが、停止しない。
思わずヘイズは胸中で口笛を吹いた。その視線は拡声器を握った左手とは逆の手に握られた物体へと注がれている。
(ぶっつけ本番だったが、予想以上の成果だ)
それはひとふりの剣だった。ただし、刀身は半ばで断ち切られ、近接武器としての機能は失われている。鍔元には自動拳銃のマガジンやスライドに酷似した機構があるが、弾は込められていない。
それは蒼い殺戮者によって回収された物資のひとつ。かつて彼らの仲間が振るっていた、フォルテッシモによって刀身を半ばで断ち切られた魔杖剣。
内なるナリシア。その法珠演算機関から伸びた有機コードがヘイズの手首に繋がっていた。
(ギギナから聞いた、脳内演算の負担を軽減する機能――正直、ここまでとはな)
かつて火乃香が持っていた長剣とギギナのネレトーの形状に酷似したところがあった為、剣舞士から苦労して聞き出した魔杖剣という武器の特性。
その中でもヘイズにとって魅力的だったのは、演算による脳の負担を軽減する為の機構だった。咒式と情報制御理論は、仕組みとしては似たところのある技術だ。ある程度の互換性はあると睨んでいた。
だがここまでの成果を発揮できたのは、内なるナリシアが数ある魔杖剣の中でも飛び抜けた性能を持ち、なおかつヘイズのI-ブレインとの相性が良かったことに起因する。
魔杖剣開発者として最高の頭脳を持つレメディウス博士が一点物として製作した魔杖剣。咒式士の中でも特に演算能力に長けた数法系のレメディウスが、自身の為に造り上げたそれは、恐るべき演算補助能力を持つ。
通常の魔杖剣では、I-ブレイン、ましてやその中でも突出した演算能力を持つヘイズのそれにとって、さほどの助けにはならなかっただろう。
(で――戦果はどうだよ? こいつで決まってくれればこの後が楽なんだが)
連鎖的に膨らんでいく論理回路が限界を迎えるまでには、現実時間でそれこそ一弾指と掛からない。
(――エラー。論理回路の連鎖形成が停止。『虚無の領域』展開に失敗)
だからI-ブレインによって告げられたそんな結果に、ヘイズの表情はすぐには追いつけなかった。
「……は?」
切っ先の失われた剣を天の美姫に向けながら、疑問符を零す。我ながら間抜けな声だな、と呆れながら。
原因は明白だ。『虚無の領域』は空気分子で描かれる論理回路を連鎖的に増大させることで発動するが、その空気分子がヘイズの演算通りに動かなかった――正確に言えば、瞬間的に停止したのだ。
論理回路が限界まで膨らみ上がるまでに要する時間は一瞬。干渉できる筈もないし、そもそも外的要因を全て含めて計算している。ヘイズの演算速度で失敗はあり得ない。
――だが、ヘイズは本能的にその原因を悟ってしまった。
笑みだ。
月を背景にした美姫が微笑んでいた。柔らかな月明かりに照らし出される、艶然たるその笑みはまさに傾国。王の心を射止めるように――その笑みは、論理回路の増殖・増大に待ったをかけた。
そう、あたかも絶世の美女を前にした初心な男が固まってしまうように、姫の浮かべた極上の笑みは空気分子の運動すら凍りつかせたのだ。
距離と美貌に対する制限、事前にギギナから展開して貰っていた脳内物質の調整咒式がなければ、その笑みはヘイズの心臓すら止めていただろう。
「人の切り札を表情筋で防ぎやがって……」
乾いた声を上げる。さすがに微笑みで空気分子の運動が停止するなどというファクターは計算外だ。I-ブレインの疲労蓄積は限界。この場においてはムキチがその疲労値さえ吸収してくれているが、即座に全快とはいかない。
三度、美姫がその両手を打ち鳴らそうとする。『破砕の領域』に必要な再演算は間に合わない。
「時間は稼いだぞ――」
だが、ヘイズの顔に焦りはない。
G-Sp2第三形態の最大出力、および『虚無の領域』への対処に姫が用いた時間は三秒にも満たないだろう。
「――ギギナ」
その数秒で、いと高き姫の元まで竜狩りの剣士が跳び上がる。
ヘイズの眼前を、地上から天へと向かう高速の飛翔体が通り過ぎていた。その白い発泡剤に包まれた、まるで人間大の卵の如き物体が重力を無視したような勢いで、姫と同じ高度に至る。役目を終えたキチン質の発砲鎧が剥がれ落ち、姫が紡いだ血線の上に、屠龍刀を担いだギギナが降り立った。
「手合わせ願おうか、吸血鬼」
本来なら、ギギナがその位置まで到達することは難しかっただろう。
標的である姫は重力系でないギギナにとっては単純に高すぎる位置にあり、そしてその間に存在する空間は、未だ核融合の余熱が残る死地と化している。
故に、ギギナは姫が頭上に現れると同時、屋上から飛び降りていた。マンション西部にて交戦する黒魔術士たちから重力制御の支援を受ける為に。
ネレトーの回転弾倉はフル装填されていた。風見・千里が持っていた弾薬セット――その中に紛れていた汎用咒弾を貰い受けた為だ。
魔術により瞬間的に自重を0とした上で、圧縮空気を噴出する<空輪龜(ゲメイラ)>及び耐熱装甲を展開する<衂蟹泡鎧(ドラメルフ)>により、いまだ核融合の余波が残る高温の空間を飛び越えたのである。
ギギナが走り出す。糸のように細い血の道の上を、剣舞士は颶風となって突き進んで行く――そして、それを見たヘイズ以下数名が叫んだ。
「な――なにやってんだあいつ!?」
ギギナを高空に打ち上げるところまでは事前に取り決めた作戦通りだった。佐山の挑発を受けた吸血鬼が、おそらく上空から強襲してくるであろうことは読めていたからだ。
(あれは他人に見下されることを著しく嫌う手合いだろう。全く、自分の立ち位置を客観視できない輩は嫌になるね?)
そんな佐山(どうるい)の言葉に説得力を感じたわけでもないが――どのみち、対応しづらい上からの襲撃にリソースを割くというのは間違っていなかっただろう。
現在の自分たちの大まかな目的は、攻撃を防ぎながら美姫を"射程"内におさめることだ。
屋上に配置された出雲、ヘイズ、ギギナの役割は、それぞれ状況に応じていくつか設定されていたが、いずれにしてもギギナが動くのは最後の最後、もう他に手段がない場合の最終手段だった。G-Sp2と情報解体による間接攻撃ができる二人に比べて、接近戦闘にはどうしたところで危険が付き纏う。
いかに強大な生命力を持つギギナであろうと、姫相手ではそう長くは持たない。単純に頑丈でかつ不死身の肉体。剣の技量で上回っていても、それを無意味にするほどの身体能力差。
だがそういった相手に挑むことこそ、ドラッケン族の本懐である。
剣の間合いに入るまでに半秒。赤い糸の上を危なげなく疾駆したギギナはその勢いのままに屠竜刀を繰り出した。重厚な刃が閃光の如き勢いで吸血鬼の首を刎ねんとし――
「なかなかの技量。常ならば戯れに斬られてやってもよかったが」
刃を摘まみ取るように二本の指で止めながら、姫はほうと感心するように吐息を漏らした。本来なら、常人はその吐息に触れただけで発狂していただろう。
ギギナはネレトーの拘束を解こうと僅かに力を込めて、瞬時にその選択肢を排した。肉体強化に特化した剣舞士の膂力を、この線の細い美女のたおやかな指二本が圧倒的に凌駕している。
ギギナは躊躇わずに武器を手放し、蹴りでも繰り出すかのように素早く、その柄に足を掛けた。美姫の膂力が圧倒的であることを利用して、ネレトーを足場に跳躍する。
月下に跳んだギギナが吸血鬼の頭上を取る。平時ならば配下においても良いような美丈夫の抗いに、僅かに美姫の視線が好奇を帯びた。
そして次の瞬間、美姫の頭が衝撃に傾いだ。
「む、――」
美姫はギギナの動きを完全に捉えていた。如何に剣舞士の身体能力が高くとも、美姫の動体視力はそれを上回る。だが、
「目の数と形状、位置も可動域も人間と変わらぬ。ならば盲点も同じだろう」
姫の眼孔から大脳までを、ギギナの爪先で発動していた生体生成系第二階位<尖角嶺(センガ)>による合金と強化クチクラ製の槍が貫いていた。
人間の視野はおおむね180度から200度と言われているが、その中に盲点と呼ばれる死角がある。眼球にはその構造上、光信号を感知できない部位が存在するためだ。通常、眼球が二つあればこの盲点は補い合えるが、屠竜刀の一撃とその後の跳躍を利用し、視線を誘導することで強制的に盲点による絶対死角を作り出し、その一点を突いた。かつてギギナ自身が体験した賽河江一刀流『陰燕』及び『逆雲雀』の模倣。生体構造の限界を利用した不可視・不可避の一撃である。
「駄賃だ」
姫を支点に反対側の足場へと着地したギギナは、屠龍刀を奪い返すとさらにトリガーを引き絞った。<尖角嶺>を多重発動。眼部から頭蓋骨内部への侵入を果たしていた槍が膨張と枝分かれを繰り返し、吸血鬼の脳を圧壊、攪拌していく。
事前情報通り、この状態から生き返るような怪物だったとしても、脳が破壊されればその間は行動不能になる筈だ。ギギナは敵の頭部に合金の槍で接続されている右足へさらに力を込め、美姫を足場から突き落とす。
その足を、美姫の右手が握りしめた。
「なっ――」
「言ったであろう。常ならば一度くらい死んでやってもよかったが、日が悪かったな。生まれ変わって出直してくるが良い」
強化骨格ごとギギナの足首が握り潰され、力ずくで美姫の頭部から槍が引き抜かれる。さらに姫の貫手が胸部から背中までを貫通。剣舞士の心臓を完全に破壊した。
ごぼり、とギギナの口から血の塊が滴り落ちる。
姫は崩れかけた体勢を難なく戻し、代わりにギギナが足場から落下していった。胸部から漏れ出した粘る血液が、天へ向かって糸のように伸びていく。
「くそっ! 佐山、蒼い殺戮者を――」
「いや、このままでいい」
ヘイズの物言いに動じもせず、佐山は落下する剣舞士をただ眺めている。やれやれと首を振り、
「――ギギナ君は頑固でね。せめて一合打ち合わねば納得しないと譲らなかったのだよ」
軽車両ほどもある重量級の前衛咒式士。その肉体が空中で一瞬だけ静止する。
貫かれたギギナの胸からは血液が溺れ、まるで糸のように伸びている。その先端が、美姫の造り上げた血の足場に溶け込むように接触していた。
血を吸って赤く染まった生体生成系第二階位<蜘蛛絲(スピネル)>によって作り出された高強度タンパク質の命綱。ギギナと美姫の足場を繋ぐそれが限界まで伸びた後、反動でギギナの身体を引き戻す。
ギギナの逞しい腕が己の胸部から伸びる蜘蛛の糸を力強く掴み、さらに加速を付けるように手繰る。既に恒常咒式の機能で組織閉鎖と鎮痛が始まり、血は止まり始めていた。
予め発動していた生体生成系第3階位<副心輪瘤(ザ・ガ)>は、心臓を失ってもなおギギナに常と変わらぬ動きを約束していた。一撃を受けるのは想定の範囲内。蹴撃を選んだのも、咒式士にとって心臓以外の急所となる脳を美姫から遠ざけるためだ。
落下から一転、上空へと引き戻された肉体は足場を越え、再び美姫の頭上を取る。さらに発動させた<黒翼翅(アルファス)>によって背中から展開された黒翼が、ギギナに僅かな時間、滞空を許していた。
(確かに強い。今までに戦ったどの異貌のものどもよりも上だろう)
眼下からこちらを見上げる美姫を睨みながら、ギギナは奥歯を噛みしめる。強敵に出会えた歓喜と、それと満足に打ち合うことが叶わない現状。矛盾した感情が頬を引きつらせ、笑みとも歯噛みとも取れぬ貌を作り出していた。
だが、それも一瞬のこと。誇り高き一族の名に誓って、取り決めを違えはしない。
「私自身の未熟さに免じて、ここは望み通り鳴いてやる」
伸びるように迫ってきた美姫の衣の袖を旋回して回避しながら、剣舞士は約束の言葉を唱えた。
「――テスタメント」
◇◇◇
撃鉄が落ちる音が響く。
それはヴァーミリオン・CD・ヘイズによる、情報解体攻撃が連発される音。ギギナが飛び上がったのと同時、彼はそれを行っていた。
即ち、掃討を。
マンションの周囲に、拡声器と魔杖剣の補助を受けた巨大な論理回路が無数に展開され、鮫の群れを瞬間的に駆逐する。無論、悪魔は無尽蔵に再出現するだろうが――文字通り、僅かな時間が稼げればそれで良かった。
マンションの周囲に散らばっていた者たちが、所定の場所に駆け戻っていく。燃えさかる棟を中心にした八方位。それぞれに一人ずつ、八名が並び立つ。
そしてその動きのきっかけとなったのは、佐山の叫びだった。
「――4th-G概念核に詔を挙げる!」
誓いを立てる騎士の如く、佐山はムキチの宿る梳牙を目前に構える。互いの方法で十分に気勢を高めたそれは、準備が整った証として、薄らと発光を始めていた。
「――契約す(Testament)!」
唱えるは契約の言葉。約束の言葉。Low-Gにおける聖典に記された破れぬ誓いの文言。
「契約する。佐山・御言は再会を約束しよう。たとえどれだけかかろうとも、たとえ君がどんな状況に陥ろうとも、あらゆる世界と制約を超えて佐山の姓を持つ者が迎えに行くと。必ず――必ずだ!」
約束とは双方で結ばれるもの。佐山に呼びかけられた約束の相手――ムキチは、佐山の頭上に渦を巻くように広がっていく。水で出来た頭部を佐山へ向け、文字通りの曇り無き眼で悪役を見つめた。
「そのけいやくをうけましょう わたしたちは どれほどのときをへても どのようなすがたになっても さやまとのさいかいをまちつづけるとやくそくします」
竜は佐山の姓を持つ者との新たな約束を受け入れる。
再会――別たれた者が、再び巡り会うこと。それはつまり、再会を約束するということは、ここで別離が発生するということ。
佐山は頷き返すと、その言葉を告げた。前提の言葉を――別離を意味する言葉を。
「――我が姓の下、いまここに4th-G概念核を解放する!」
剣を打ち下ろす。梳牙の切っ先が、コンクリート製の屋上の床を突いた。
響き渡るは、硬質の木が打ち鳴らされて発する木槌(ガベル)にも似た音の波紋。その波紋を束ねるように、佐山はその柄尻に両手を置いた。
命じる。
「一切の躊躇無く、一切の懺悔無く、一切の後悔無く。世界よ――真を取り戻せ!」
その叫びと共に、飛沫が弾ける。
水の竜であるムキチが、その身体を飛散させる。無数の粒となったそれは、マンションを包むように広がっていく。
その霧雨の中にいて、あらざる声を聞く異能を持つ者たちは不思議な音声を聞いた。
其れは即ち、世界を表意する言葉である。
其れは即ち、法則を意味する言葉である。
其れは即ち、かつて失われたものを懐かしむ言葉である。
其れは即ち――
『・――植物は支配者である』
それはヴァーミリオン・CD・ヘイズによる、情報解体攻撃が連発される音。ギギナが飛び上がったのと同時、彼はそれを行っていた。
即ち、掃討を。
マンションの周囲に、拡声器と魔杖剣の補助を受けた巨大な論理回路が無数に展開され、鮫の群れを瞬間的に駆逐する。無論、悪魔は無尽蔵に再出現するだろうが――文字通り、僅かな時間が稼げればそれで良かった。
マンションの周囲に散らばっていた者たちが、所定の場所に駆け戻っていく。燃えさかる棟を中心にした八方位。それぞれに一人ずつ、八名が並び立つ。
そしてその動きのきっかけとなったのは、佐山の叫びだった。
「――4th-G概念核に詔を挙げる!」
誓いを立てる騎士の如く、佐山はムキチの宿る梳牙を目前に構える。互いの方法で十分に気勢を高めたそれは、準備が整った証として、薄らと発光を始めていた。
「――契約す(Testament)!」
唱えるは契約の言葉。約束の言葉。Low-Gにおける聖典に記された破れぬ誓いの文言。
「契約する。佐山・御言は再会を約束しよう。たとえどれだけかかろうとも、たとえ君がどんな状況に陥ろうとも、あらゆる世界と制約を超えて佐山の姓を持つ者が迎えに行くと。必ず――必ずだ!」
約束とは双方で結ばれるもの。佐山に呼びかけられた約束の相手――ムキチは、佐山の頭上に渦を巻くように広がっていく。水で出来た頭部を佐山へ向け、文字通りの曇り無き眼で悪役を見つめた。
「そのけいやくをうけましょう わたしたちは どれほどのときをへても どのようなすがたになっても さやまとのさいかいをまちつづけるとやくそくします」
竜は佐山の姓を持つ者との新たな約束を受け入れる。
再会――別たれた者が、再び巡り会うこと。それはつまり、再会を約束するということは、ここで別離が発生するということ。
佐山は頷き返すと、その言葉を告げた。前提の言葉を――別離を意味する言葉を。
「――我が姓の下、いまここに4th-G概念核を解放する!」
剣を打ち下ろす。梳牙の切っ先が、コンクリート製の屋上の床を突いた。
響き渡るは、硬質の木が打ち鳴らされて発する木槌(ガベル)にも似た音の波紋。その波紋を束ねるように、佐山はその柄尻に両手を置いた。
命じる。
「一切の躊躇無く、一切の懺悔無く、一切の後悔無く。世界よ――真を取り戻せ!」
その叫びと共に、飛沫が弾ける。
水の竜であるムキチが、その身体を飛散させる。無数の粒となったそれは、マンションを包むように広がっていく。
その霧雨の中にいて、あらざる声を聞く異能を持つ者たちは不思議な音声を聞いた。
其れは即ち、世界を表意する言葉である。
其れは即ち、法則を意味する言葉である。
其れは即ち、かつて失われたものを懐かしむ言葉である。
其れは即ち――
『・――植物は支配者である』
◇◇◇
美姫に対する策とは、単純に言ってしまえば彼女を概念空間の中に封印するというものだった。
この島に概念空間を展開するための装置はない。だが概念核たるムキチがいる。かつて1st-Gのハーゲン翁は概念核の力を使って概念空間を展開していた。ならば概念核自身であるムキチにも同様のことは出来るはずだ。
問題はこの世界に捺された刻印だ。世界そのものに干渉するような術理には制限がかかる。当然、概念空間の展開もそこには含まれるだろう。
故に必要になるのは概念解放だった。4th-Gの概念を展開することで、この世界のルールそのものを上書きする。
それでもただ概念解放を行うだけでは薄まった4th概念が広がるだけだ。ムキチという存在も薄まって消えてしまう。解放した概念が一定に留まるよう、その範囲は限定しなければならない。
頭数が必要になったのはこのせいだった。範囲を限定させるための楔に使ったのは、誓いの言葉と事前にムキチに記憶させておいた同盟メンバーの自弦振動値だ。この箱庭とは決定的に馴染まないが故に、明確な印となり得るもの。
それを8方位と天地、併せて10の位置に配置することで、そこを概念空間の端とする。さらに詔を挙げることで、その範囲内に作り上げた概念空間の内部に解放された4th-G概念をすべて注ぎ込む。
これらすべてが成立した際、概念空間の中は4th-Gと同等の世界になる。
すなわち、ムキチが制限なくその力を大いに振るうことの出来る世界――世界そのものと敵対してしまえる美姫と、同等の力を備える存在へと。
『――テスタメント!』
佐山の詔に続いて、全員が口々に叫びをあげた。
Tes.Tes.Tes.――我はここに契約せり。
その言葉に、何か特別な力があるわけではない。だが同時に、何でも良かったわけでもない。それは一時的に散逸するムキチが聞き取れるであろう馴染みの言葉であり、全てが終わった後、ムキチが無事、Low-Gへ帰還するための願掛けでもあるのだ。
概念解放は、文字通りその概念を世界に溶け込ませる行為である。複製した劣化概念で概念空間を展開するのとは違う。そのままでは、4th-Gの概念はこの箱庭に溶けてしまう。
その対策として、4thの概念を一定空間内にある程度の濃度で留める為、人数を使って概念空間の端を定めようとしたわけだが――
(……返事はどうした?)
佐山にはある懸念があった。
甲斐氷太の悪魔が無限に増殖して襲ってくるなどという想定外。その惨禍を前にして、全員が無事であるかどうかという懸念が。
予備人員として高所からでも飛び降りることが可能なギギナ、そして突き落としても平気そうな出雲を屋上には配置してあるが、全方位で同時多発的に悪魔の襲撃が発生した為、全員の無事を確認できていない。
もしも欠員が出ているのなら、現状では取り急ぎ出雲をその方位へ蹴り落とさなくてはならない。配置に漏れがあれば、解放した4th概念は留まらず、散逸しきってしまう。
北に配置された火乃香が叫ぶ。
北東に配置されたフリウ・ハリスコーが諳んじる。
東に配置されたキノが呟く。
南東に配置されたダウゲ・ベルガーが唱える。
南に配置されたカーラが謳う。
南西に配置された蒼い殺戮者が発する。
西に配置されたオーフェンが咆える。
北西に配置されたコミクロンが紡ぐ。
天に配置されたギギナ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフが囁く。
そして、地――マンション内中央部。最も安全であるが故に、戦闘力の無い少女二人を配置した場所。
そこには、物言わぬ死体だけがある。
この島に概念空間を展開するための装置はない。だが概念核たるムキチがいる。かつて1st-Gのハーゲン翁は概念核の力を使って概念空間を展開していた。ならば概念核自身であるムキチにも同様のことは出来るはずだ。
問題はこの世界に捺された刻印だ。世界そのものに干渉するような術理には制限がかかる。当然、概念空間の展開もそこには含まれるだろう。
故に必要になるのは概念解放だった。4th-Gの概念を展開することで、この世界のルールそのものを上書きする。
それでもただ概念解放を行うだけでは薄まった4th概念が広がるだけだ。ムキチという存在も薄まって消えてしまう。解放した概念が一定に留まるよう、その範囲は限定しなければならない。
頭数が必要になったのはこのせいだった。範囲を限定させるための楔に使ったのは、誓いの言葉と事前にムキチに記憶させておいた同盟メンバーの自弦振動値だ。この箱庭とは決定的に馴染まないが故に、明確な印となり得るもの。
それを8方位と天地、併せて10の位置に配置することで、そこを概念空間の端とする。さらに詔を挙げることで、その範囲内に作り上げた概念空間の内部に解放された4th-G概念をすべて注ぎ込む。
これらすべてが成立した際、概念空間の中は4th-Gと同等の世界になる。
すなわち、ムキチが制限なくその力を大いに振るうことの出来る世界――世界そのものと敵対してしまえる美姫と、同等の力を備える存在へと。
『――テスタメント!』
佐山の詔に続いて、全員が口々に叫びをあげた。
Tes.Tes.Tes.――我はここに契約せり。
その言葉に、何か特別な力があるわけではない。だが同時に、何でも良かったわけでもない。それは一時的に散逸するムキチが聞き取れるであろう馴染みの言葉であり、全てが終わった後、ムキチが無事、Low-Gへ帰還するための願掛けでもあるのだ。
概念解放は、文字通りその概念を世界に溶け込ませる行為である。複製した劣化概念で概念空間を展開するのとは違う。そのままでは、4th-Gの概念はこの箱庭に溶けてしまう。
その対策として、4thの概念を一定空間内にある程度の濃度で留める為、人数を使って概念空間の端を定めようとしたわけだが――
(……返事はどうした?)
佐山にはある懸念があった。
甲斐氷太の悪魔が無限に増殖して襲ってくるなどという想定外。その惨禍を前にして、全員が無事であるかどうかという懸念が。
予備人員として高所からでも飛び降りることが可能なギギナ、そして突き落としても平気そうな出雲を屋上には配置してあるが、全方位で同時多発的に悪魔の襲撃が発生した為、全員の無事を確認できていない。
もしも欠員が出ているのなら、現状では取り急ぎ出雲をその方位へ蹴り落とさなくてはならない。配置に漏れがあれば、解放した4th概念は留まらず、散逸しきってしまう。
北に配置された火乃香が叫ぶ。
北東に配置されたフリウ・ハリスコーが諳んじる。
東に配置されたキノが呟く。
南東に配置されたダウゲ・ベルガーが唱える。
南に配置されたカーラが謳う。
南西に配置された蒼い殺戮者が発する。
西に配置されたオーフェンが咆える。
北西に配置されたコミクロンが紡ぐ。
天に配置されたギギナ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフが囁く。
そして、地――マンション内中央部。最も安全であるが故に、戦闘力の無い少女二人を配置した場所。
そこには、物言わぬ死体だけがある。
◇◇◇
美姫の魔眼は、広範囲を包み込むように散布された水の粒を捉える。
熱食む水の竜。単純にそれが形を変えたというわけではない。存在そのものの形を、不可逆に変質させたのだ。
これが策か、と美姫は思う。わざわざ自分を挑発して呼び寄せるような真似をしたのだ。何らかの対策を用意しており、その成功率はあの炎の門から異界へ逃げるよりも高いのだろう。そんなことは挑発に乗ってやる前から分かっていた。
そしてこの悪鬼は、弱者の抗いを玩び、叩き壊すことに愉悦を覚える性質である。
美姫は足場にしている血の線上から、散歩にでも赴くような気軽さで飛び出した。重力に引かれて落下を開始するはずの身体が、しかしその場に留まり、螺旋を舞う。
轟、と風が唸る。回転する吸血鬼を中心に、万象を引き込む渦が形成される。その美しさから、姫自身はまるで優雅に舞っているようにしか見えないが、しかしその破壊力は凶悪の一言。
ムキチの飛沫が巻き込まれるように流れ込む。約束の言葉は空気ごと千切れて消えた。美姫自身が形成していた血の柱すら巻き込まれて砕け散る。
一瞬で形成された暴風圏は、直撃すれば鉄筋コンクリート製の建造物を、基部ごと根こそぎにしてしまう威力がある。
「不味い――くそっ、佐山の策はまだかよ!?」
「もういい、迎え撃て!」
叫んだのは誰だったのか。
それぞれが迎撃の手段を講じる。概念核兵器による砲撃。意味消滅。空間爆砕。"気"の放出。念糸。光の剣の射出。ディスインテグレート。
ひとつひとつの威力・性質は違えど、それらは紛れもない必殺の手段。
そしてその全てを、姫は一撫でに消し飛ばした。
ただ風が渦を巻いているのではない。それは空間ごと捻り、砕き、全てを断絶している。世界に対する反作用――魔界医師が評したそれは正しく事実であった。
G-Sp2第二形態の砲撃は単純に通じず、黒魔術はその媒介である声が暴風の前に霧散した。撃ち出された火乃香の気は回転に散らされ、念糸は反動のみを使い手に返す。自動歩兵の複合センサーは常理を逸した渦中を観測できず、光で出来た刀身を明後日の方向へ飛ばした。灰色の魔女が放った万物を消滅させる光さえ、渦巻く瓦礫に相殺される。
そうして破滅の渦は全ての抵抗を飲み込み、アラストールの炎を宿すマンションを砕いていき――
――その場に残ったのは、直径100mほどのクレーターだけだった。
全ての生命は消え、その破壊の中心である窪地の真ん中にひとり、無傷の吸血鬼だけが佇んでいる。
「褒めてつかわそう。もはや名前も忘れたが――目論見通り、多少は手早く片付いた」
息を乱すどころか、消耗すらしていない。世界滅ぼす怪異は、滅ぼした命に何ら感慨を抱くことなく、再び指から血糸を伸ばした。騎士団の駐在する場へと続く罅をこじ開ける。空間に開いた出口へと向かい、姫は粛々と歩き出した。
秋せつらを失う切っ掛けとなった、この巫山戯たゲームに決着を付けるために。
熱食む水の竜。単純にそれが形を変えたというわけではない。存在そのものの形を、不可逆に変質させたのだ。
これが策か、と美姫は思う。わざわざ自分を挑発して呼び寄せるような真似をしたのだ。何らかの対策を用意しており、その成功率はあの炎の門から異界へ逃げるよりも高いのだろう。そんなことは挑発に乗ってやる前から分かっていた。
そしてこの悪鬼は、弱者の抗いを玩び、叩き壊すことに愉悦を覚える性質である。
美姫は足場にしている血の線上から、散歩にでも赴くような気軽さで飛び出した。重力に引かれて落下を開始するはずの身体が、しかしその場に留まり、螺旋を舞う。
轟、と風が唸る。回転する吸血鬼を中心に、万象を引き込む渦が形成される。その美しさから、姫自身はまるで優雅に舞っているようにしか見えないが、しかしその破壊力は凶悪の一言。
ムキチの飛沫が巻き込まれるように流れ込む。約束の言葉は空気ごと千切れて消えた。美姫自身が形成していた血の柱すら巻き込まれて砕け散る。
一瞬で形成された暴風圏は、直撃すれば鉄筋コンクリート製の建造物を、基部ごと根こそぎにしてしまう威力がある。
「不味い――くそっ、佐山の策はまだかよ!?」
「もういい、迎え撃て!」
叫んだのは誰だったのか。
それぞれが迎撃の手段を講じる。概念核兵器による砲撃。意味消滅。空間爆砕。"気"の放出。念糸。光の剣の射出。ディスインテグレート。
ひとつひとつの威力・性質は違えど、それらは紛れもない必殺の手段。
そしてその全てを、姫は一撫でに消し飛ばした。
ただ風が渦を巻いているのではない。それは空間ごと捻り、砕き、全てを断絶している。世界に対する反作用――魔界医師が評したそれは正しく事実であった。
G-Sp2第二形態の砲撃は単純に通じず、黒魔術はその媒介である声が暴風の前に霧散した。撃ち出された火乃香の気は回転に散らされ、念糸は反動のみを使い手に返す。自動歩兵の複合センサーは常理を逸した渦中を観測できず、光で出来た刀身を明後日の方向へ飛ばした。灰色の魔女が放った万物を消滅させる光さえ、渦巻く瓦礫に相殺される。
そうして破滅の渦は全ての抵抗を飲み込み、アラストールの炎を宿すマンションを砕いていき――
――その場に残ったのは、直径100mほどのクレーターだけだった。
全ての生命は消え、その破壊の中心である窪地の真ん中にひとり、無傷の吸血鬼だけが佇んでいる。
「褒めてつかわそう。もはや名前も忘れたが――目論見通り、多少は手早く片付いた」
息を乱すどころか、消耗すらしていない。世界滅ぼす怪異は、滅ぼした命に何ら感慨を抱くことなく、再び指から血糸を伸ばした。騎士団の駐在する場へと続く罅をこじ開ける。空間に開いた出口へと向かい、姫は粛々と歩き出した。
秋せつらを失う切っ掛けとなった、この巫山戯たゲームに決着を付けるために。
◇◇◇
『――テスタメント』
薄暗いマンションのロビーに、魔女の声が響く。
薄暗いマンションのロビーに、魔女の声が響く。
◇◇◇
美姫の歩みが止まった。
否。"止めさせられた"のだ。それは有り得ざる挙動だった。この女怪が、自分の意思以外のもので行動を変えるというのは、そうそうあるものではない。
だが事実、美姫は足を止めていた。指から伸ばした血の糸が砕け散ったからだ。まるで雪のように細かく破砕されたそれが、ぱらぱらと散っていく。開こうとしていた世界の傷が、三度溶けるように消えていく。
凍結――それはそういう現象だった。だが吸血鬼の血液とは魔性を湛えるもの。その最上級である姫の血である。並大抵のものでは干渉すらできまい。
故にそれは、美姫に匹敵しうる力を持った者が現れたということ。
ざあ――と、吸血鬼が造り上げたクレーターの土肌を緑が覆っていく。
それは無数の草の獣だった。まるで早回し映像のように、草の獣が成長と株分けを繰り返して増殖していく。顕現できる頭数を縛られていたそれが、本来の性能を取り戻したのだ。
美姫が片足をその場に叩き付ける。超音速で行われたその一挙動で、美姫を中心にソニックブームが発生し、草の獣を刈り取って行く。
衝撃波を受けた草の獣は潰れ、引き裂かれ、それこそ草の汁のような体液を撒きながら散っていくが――それ以上に発生が早い。衝撃波によって美姫を中心に再び晒された土砂面が、すぐにまた緑色に染まっていく。
「ほう?」
僅かに感心するように美姫が吐息を漏らす。
10の異世界の中で、もっとも不滅に近く、あらゆるGが侵攻を諦めた世界。それが美姫の前に立ち塞がるものの正体である。
「やくそくを はたしましょう さやま」
声と共に、美姫の足下から水が染みだした。液体は長大な竜の形を表現する。
4th-G概念核、木竜ムキチ――その真の姿。この箱庭のルールを塗りつぶし、本来の権能を取り戻すに至った、文字通りの世界の化身である。
美姫が手刀を振るう。発生した衝撃波は、それこそ高層ビルを一撃で粉砕するものだっただろう。ムキチもそれを受けて粉々になったが――
「……なるほどな」
瞬時に再び元の形へと復元された水の竜を見て、姫は敵の性能と戦術を理解する。
この竜は世界そのものだ。巨大なひとつの理を運行するシステムの具現化。古代中国やその他の国々においても、自然現象を神として捉えることは何ら珍しいことではなかった。目の前の竜は現実に実在するそれらの内の一柱だろう。
水竜が運行していた世界は、植物を中心とするもの。かつては効率よく熱を循環させて生態系を維持していたのだろうが、いまはそれを攻撃に転用している。つまりは――
びきり、と揃えて伸ばした四指が動きを止める。その表面に一瞬で霜が降り、骨の髄まで凍り付くような冷気がまとわりついてくる。
「熱を奪う権能――だが貴様は本来、それを循環する役目を持った者。世界の理を自ら歪めるのは、さぞや苦痛であろうに」
美姫の言葉を証明するように、足下で生まれた草の獣たちにも霜が降りていた。瑞々しかった葉は縮み、彼らは力なくうなだれている。
ムキチはあらゆる熱を限界まで吸収することで、この概念空間内を絶対零度に近い環境に作り替えている。
それは、愚行だ。概念戦争の時代、いくつかのGは戦争のため自分たちの世界を都合良く改造し、そしてその多くがそれを切っ掛けに滅びた。
そしていま、当時その過ちを犯さなかった4thが、その悪業をあえて断行している。
「さやまと やくそくしましたから」
――約束を果たすために。
竜の言葉を聞いて、美姫はようやく、その名前を思い出した。
「佐山・御言だったか。会った時はつまらぬ男としか思えなかったが……世界を従える器を備える、か。この短時間で一皮むけたか?」
それは新庄という指針を失い、方位を見失っていた悪役が、再び本気で歩み出した証左に他ならない。
その悪役と契約した水の竜は、己が苦痛を無視して熱を奪い続けていく。
美姫は死なない。だが極低温は絶対停止の世界だ。あらゆる運動が停滞する。それは当然、不滅の吸血鬼もまた例外ではない。
破るには竜を殺すしかないが、相手は水だ。裂こうが砕こうが痛痒すら感じまい。
「なるほど……これは一本取られた、か――……」
指先が凍てつく感覚。あるいは、その全てが消え行く空白を知覚して。
美姫はゆっくりと、その瞼を降ろした。
否。"止めさせられた"のだ。それは有り得ざる挙動だった。この女怪が、自分の意思以外のもので行動を変えるというのは、そうそうあるものではない。
だが事実、美姫は足を止めていた。指から伸ばした血の糸が砕け散ったからだ。まるで雪のように細かく破砕されたそれが、ぱらぱらと散っていく。開こうとしていた世界の傷が、三度溶けるように消えていく。
凍結――それはそういう現象だった。だが吸血鬼の血液とは魔性を湛えるもの。その最上級である姫の血である。並大抵のものでは干渉すらできまい。
故にそれは、美姫に匹敵しうる力を持った者が現れたということ。
ざあ――と、吸血鬼が造り上げたクレーターの土肌を緑が覆っていく。
それは無数の草の獣だった。まるで早回し映像のように、草の獣が成長と株分けを繰り返して増殖していく。顕現できる頭数を縛られていたそれが、本来の性能を取り戻したのだ。
美姫が片足をその場に叩き付ける。超音速で行われたその一挙動で、美姫を中心にソニックブームが発生し、草の獣を刈り取って行く。
衝撃波を受けた草の獣は潰れ、引き裂かれ、それこそ草の汁のような体液を撒きながら散っていくが――それ以上に発生が早い。衝撃波によって美姫を中心に再び晒された土砂面が、すぐにまた緑色に染まっていく。
「ほう?」
僅かに感心するように美姫が吐息を漏らす。
10の異世界の中で、もっとも不滅に近く、あらゆるGが侵攻を諦めた世界。それが美姫の前に立ち塞がるものの正体である。
「やくそくを はたしましょう さやま」
声と共に、美姫の足下から水が染みだした。液体は長大な竜の形を表現する。
4th-G概念核、木竜ムキチ――その真の姿。この箱庭のルールを塗りつぶし、本来の権能を取り戻すに至った、文字通りの世界の化身である。
美姫が手刀を振るう。発生した衝撃波は、それこそ高層ビルを一撃で粉砕するものだっただろう。ムキチもそれを受けて粉々になったが――
「……なるほどな」
瞬時に再び元の形へと復元された水の竜を見て、姫は敵の性能と戦術を理解する。
この竜は世界そのものだ。巨大なひとつの理を運行するシステムの具現化。古代中国やその他の国々においても、自然現象を神として捉えることは何ら珍しいことではなかった。目の前の竜は現実に実在するそれらの内の一柱だろう。
水竜が運行していた世界は、植物を中心とするもの。かつては効率よく熱を循環させて生態系を維持していたのだろうが、いまはそれを攻撃に転用している。つまりは――
びきり、と揃えて伸ばした四指が動きを止める。その表面に一瞬で霜が降り、骨の髄まで凍り付くような冷気がまとわりついてくる。
「熱を奪う権能――だが貴様は本来、それを循環する役目を持った者。世界の理を自ら歪めるのは、さぞや苦痛であろうに」
美姫の言葉を証明するように、足下で生まれた草の獣たちにも霜が降りていた。瑞々しかった葉は縮み、彼らは力なくうなだれている。
ムキチはあらゆる熱を限界まで吸収することで、この概念空間内を絶対零度に近い環境に作り替えている。
それは、愚行だ。概念戦争の時代、いくつかのGは戦争のため自分たちの世界を都合良く改造し、そしてその多くがそれを切っ掛けに滅びた。
そしていま、当時その過ちを犯さなかった4thが、その悪業をあえて断行している。
「さやまと やくそくしましたから」
――約束を果たすために。
竜の言葉を聞いて、美姫はようやく、その名前を思い出した。
「佐山・御言だったか。会った時はつまらぬ男としか思えなかったが……世界を従える器を備える、か。この短時間で一皮むけたか?」
それは新庄という指針を失い、方位を見失っていた悪役が、再び本気で歩み出した証左に他ならない。
その悪役と契約した水の竜は、己が苦痛を無視して熱を奪い続けていく。
美姫は死なない。だが極低温は絶対停止の世界だ。あらゆる運動が停滞する。それは当然、不滅の吸血鬼もまた例外ではない。
破るには竜を殺すしかないが、相手は水だ。裂こうが砕こうが痛痒すら感じまい。
「なるほど……これは一本取られた、か――……」
指先が凍てつく感覚。あるいは、その全てが消え行く空白を知覚して。
美姫はゆっくりと、その瞼を降ろした。
◇◇◇
吸血鬼を発生源とする嵐が消えたのは、それがマンションを砕こうとした瞬間であった。
あるいは、マンションを砕き始めた瞬間か。屋上にいた佐山、出雲、ヘイズの三人は、それぞれが落下防止用の手すりや、階下への出入り口に叩き付けられていた。何とか落下だけは回避した、という有様だ。マンションの周囲に配置されたメンバーも、飛散したコンクリートやガラスの破片による被害を受けているだろう。
特に、上空にいたギギナは――と空を見上げる者が数名居たが、剣舞士の姿は発見できなかった。どうやら吹き飛ばされたらしい。咒式で生み出した翼が無事なら、軟着陸くらいはできているだろうが。
「……終わったのか?」
最初に立ち上がったのは防護の加護を持つ出雲だった。屋上の端まで吹き飛ばされたらしい。その逞しい身体を受け止めた手摺りが、彼の背中の形に変形していた。
しかめ面から紡がれたその声に、床に伏せっていた佐山が起き上がりながら応じる。
「美姫女史に限って言えば、そのようだ」
佐山の手の中にある木刀は、今や何の反応も示さない。
宿っていたムキチは概念空間の形成に成功したのだろう。いまはその内部で美姫を封じてくれている筈だ。空間ごと捻じ切るようなあの渦も、どうやら概念空間そのものを破ることはなかったらしい。マンションの存在率を何割か使用してデコイを用意したので、そちらを破壊する方へ威力が割かれたのかも知れない。
何にせよ、まずは最初の試練を切り抜けた。
そして息つく暇も無く、次の試練であるところの無限に増殖する鮫の悪魔が、再びそこら中からその頭部を覗かせ始めている。
「次から次へとよぉ!」
己を奮い立たせるように叫びながら、出雲がG-Sp2を構えて砲撃を行う。撃ち出された光弾は、次々に生まれ出ようとしていた悪魔の鼻先を砕いていく。完全にその姿を現すには多少のタイムラグがあり、その間はろくに動くこともできないらしい。専門の砲手ではない出雲でも、止まっている的を撃ち抜くことくらいは容易い。
だが、それも焼け石に水だった。出雲とG-Sp2が一息に5から6頭を砕く合間に、甲斐氷太の悪魔は新たに数十頭以上が出現の兆しを見せている。
一度に全頭を消去しても、上昇した出現頻度は元に戻らないらしい。この悪魔に対しては、概念空間への封印措置をとっても無駄だっただろう。
「あんま持たねえぞ、佐山!」
「分かっているとも!」
叫び、佐山は受けた衝撃に軋む全身を無理矢理稼働させた。木刀を支えに立ち上がる。この悪魔の群れに対抗する手段は、美姫と退治している間も、頭の片隅で考え続けていた。
現実的な対応はふたつ。オーナーである甲斐氷太を始末するか、悪魔に追いつかれるよりも早く、アマワと神野陰之を下すか。
悪魔の増殖速度がもっと緩やかであれば、前者の道もあった。悪魔よりも速く空を飛べるBBや、単独で群れを切り抜けられるギギナならば問題なく甲斐氷太を抑えることが出来たかも知れない。
だがもはや自動歩兵が飛び立つのは難しいほどの数が頭上を泳ぎ始め、ギギナも重傷を負った上にどこぞへ吹き飛ばされた。おまけに予備心臓の咒式はあまり長く持たないらしい。心臓を咒式で再生し、再び戦えるようになるまでには多少の時間が掛かる。
何より、彼らがまだそれを果たせたとしても、ここまで増殖の速度が速くなった今、この場で防衛を続けるのは不可能だ。
「総員、マンションの中へ! 交戦は最低限に、炎を抜けろ!」
撤退の号令を掛ける。良く通る佐山の声は、マンションの周囲へ散開している者たちの耳に届いた。
悪魔はおそらく、アラストールの炎の向こう側まで追ってくるだろう。こちらの世界と向こうの世界の接続点がどのくらいの大きさなのかは試してみるまで分からないが、多少なりとも悪魔の流入に制限がかかることを祈るしかない。
(テルモピュライを期待するわけではないが――)
見えざる産道から完全に抜け出そうとしている悪魔の第一陣を睨みながら、佐山は階下へ向かおうとする。
だがその寸前、一歩目を歩み出す前に、屋上にいるもう一人――ヘイズの異常に気づいた。 位置的には、屋上の中心に立つ佐山より、よほど階下への入り口に近い場所にいる。というより、ヘイズがいるのはその真ん前だった。
だがその重厚な鉄製の扉に身体を打ち付けたのだろう。足をどうかしたらしい。特徴的な赤毛がじっとりと湿るほど脂汗を浮かべ、膝立ちの状態から芋虫のような速度で立ち上がろうとしている。手には刀身半ばで折れた剣の柄のみ。拡声器に関しては手放してしまったようだった。
渦の中心にいた佐山は、ある意味台風の目にいた。あのまま美姫が降下してくればただでは済まなかっただろうが、おそらく一番受けた影響は少なかったのだ。だが加護を持つ出雲と違い、回避不能の攻撃を受けたヘイズの肉体には、如実にそのダメージが現れていた。
不味い、と佐山は駆ける。周囲では既に、鮫たちの第一陣がその尾びれまで露わにし始めたところだった。
「出雲、援護を――」
と、後方にいるであろう出雲に声を掛けようとしたところで、視界の端を巨大な影が横切った。見れば、鮫に咥えられた出雲が、抵抗しながらも屋上を引きずられている。
既に解き放たれた悪魔がいるという事実に、佐山は舌打ちを漏らす。
視界外から発生したのか、単なる見逃しか。自由になった悪魔たちは、手近な獲物へと文字通り躍りかかっていく。
立ち上がるのを諦めたヘイズが、座り込みながら指を幾度も打ち鳴らし、最寄りの鮫から情報解体していく。だが発生の方が早い。じりじりと悪魔の包囲線がヘイズに迫りつつあった。
そして佐山の方にもまた、群れの一団が向かってきていた。やむをえず佐山は回避行動を取る。ムキチが抜け出た今、この木刀に悪魔を切断せしめる力は無い。
それでも佐山は木刀の切っ先を正確に鮫の目に叩き込むなどして、僅かな隙を作り出そうとするが――
それを見たヘイズは思う。こりゃ詰んだかもな、と。
彼のI-ブレインは既に予測を終えていた。自分は7秒後、佐山は11秒後に、悪魔によって致命的な一撃を受けることになる。
他の連中に関しても似たようなものだろう――脳裏に過るのは、ここでは最も付き合いの長い二人の姿だった。コミクロンと火乃香。一日かそこらだが、ずっと行動を共にしていた分、その密度は濃い。彼らの能力については把握できていた。あの二人は、この襲撃を単独では切り抜けられない。
だがヴァーミリオン・CD・ヘイズは、別の未来を選択できる。
(……ま、仕方ねえか)
I-ブレインの疲労警告を無視し、演算効率を120%に再設定。
魔杖剣の演算補助があるとはいえ、それを差し引いても疲労はぎりぎりだ。仮に拡声器を手放してしまっていなくとも、対して役には立たなかっただろう。
だがその疲労も、ムキチが概念空間に引き込むまでの間に、僅かばかり癒やされていた。
左手の指を弾き、右手に握った魔杖剣の撃鉄を落とす。空撃ちは微細な力加減が出来ない為、剣を振るように移動させることで音の発生源の位置の方を調整し、空気分子を演算通りに動かしていく。
佐山と出雲の姿が消えた。マンションの屋上の床を二カ所、崩落させたのだ。出雲に関しては、彼を咥えていた悪魔の顎筋をも。階下に落ちていく二人を追って、悪魔たちもまたコンクリートの穴に殺到するが、開けた穴は人一人分ちょうど。穴を壊して広げようとすればその分時間が稼げた。
さらに『破砕の領域』を重ねる。マンション最上階の外壁が8カ所、情報解体された。結合を解かれた物質はすぐに再結合し落下を開始するが、ヘイズはその再結合パターンを完全に予測していた。誤差数ミリで計算通りの形に変形した剥離片は、空気抵抗によりその落下コースを制御される。あるものは悪魔に直撃し、あるものは目眩ましに――地上の仲間の退避を援護する形になる。
ここまでに要した時間は2秒。これで全員が無事、マンションの中まで辿り着けるかどうか――そこまでの未来は演算できなかった。余力と時間がなかったからだ。
先ほど予測した7秒という猶予を裏切り、悪魔の牙の先端がヘイズの首に食い込む。
計算をとちったのではない。これが新たに掴み取った未来の代償だ。自分に迫る鮫への対応をやめ、他の連中の生き残る可能性を僅かばかり引き上げたことへの。
(……こんなもんだよな。ベッドの上で大往生できるなんざ、はなから思ってなかったわけだし)
疲れた笑みを浮かべて、ヘイズは最後にそう思う。
自分がどういう風に死ぬかなど具体的に想像したことはなかったが、それほど悪くない死に方だ。
『生きて、突っ走って、這いつくばって、そして笑え』
少なくとも、常にヘイズの生き方の指針であったその言葉に反するものではないのだから。
唯一文句があるとしたら、この視界いっぱいに広がる血のように赤い鮫の口腔が、最後に見る景色になりかねないということだったが――
(――危険。0.08秒後に頸動脈に重大な損傷。0.12秒後に頸部切断。回避不能)
I-ブレインがろくでもない未来を弾き出す。
ギロチンで処刑された人間は、しばらく意識があったというが、実際のところはどうだったのか。0.12秒後に判明するらしいが。
(できれば仰向けに転がって欲しい、な――)
そして、ヘイズの視界が大きく変じる。
あるいは、マンションを砕き始めた瞬間か。屋上にいた佐山、出雲、ヘイズの三人は、それぞれが落下防止用の手すりや、階下への出入り口に叩き付けられていた。何とか落下だけは回避した、という有様だ。マンションの周囲に配置されたメンバーも、飛散したコンクリートやガラスの破片による被害を受けているだろう。
特に、上空にいたギギナは――と空を見上げる者が数名居たが、剣舞士の姿は発見できなかった。どうやら吹き飛ばされたらしい。咒式で生み出した翼が無事なら、軟着陸くらいはできているだろうが。
「……終わったのか?」
最初に立ち上がったのは防護の加護を持つ出雲だった。屋上の端まで吹き飛ばされたらしい。その逞しい身体を受け止めた手摺りが、彼の背中の形に変形していた。
しかめ面から紡がれたその声に、床に伏せっていた佐山が起き上がりながら応じる。
「美姫女史に限って言えば、そのようだ」
佐山の手の中にある木刀は、今や何の反応も示さない。
宿っていたムキチは概念空間の形成に成功したのだろう。いまはその内部で美姫を封じてくれている筈だ。空間ごと捻じ切るようなあの渦も、どうやら概念空間そのものを破ることはなかったらしい。マンションの存在率を何割か使用してデコイを用意したので、そちらを破壊する方へ威力が割かれたのかも知れない。
何にせよ、まずは最初の試練を切り抜けた。
そして息つく暇も無く、次の試練であるところの無限に増殖する鮫の悪魔が、再びそこら中からその頭部を覗かせ始めている。
「次から次へとよぉ!」
己を奮い立たせるように叫びながら、出雲がG-Sp2を構えて砲撃を行う。撃ち出された光弾は、次々に生まれ出ようとしていた悪魔の鼻先を砕いていく。完全にその姿を現すには多少のタイムラグがあり、その間はろくに動くこともできないらしい。専門の砲手ではない出雲でも、止まっている的を撃ち抜くことくらいは容易い。
だが、それも焼け石に水だった。出雲とG-Sp2が一息に5から6頭を砕く合間に、甲斐氷太の悪魔は新たに数十頭以上が出現の兆しを見せている。
一度に全頭を消去しても、上昇した出現頻度は元に戻らないらしい。この悪魔に対しては、概念空間への封印措置をとっても無駄だっただろう。
「あんま持たねえぞ、佐山!」
「分かっているとも!」
叫び、佐山は受けた衝撃に軋む全身を無理矢理稼働させた。木刀を支えに立ち上がる。この悪魔の群れに対抗する手段は、美姫と退治している間も、頭の片隅で考え続けていた。
現実的な対応はふたつ。オーナーである甲斐氷太を始末するか、悪魔に追いつかれるよりも早く、アマワと神野陰之を下すか。
悪魔の増殖速度がもっと緩やかであれば、前者の道もあった。悪魔よりも速く空を飛べるBBや、単独で群れを切り抜けられるギギナならば問題なく甲斐氷太を抑えることが出来たかも知れない。
だがもはや自動歩兵が飛び立つのは難しいほどの数が頭上を泳ぎ始め、ギギナも重傷を負った上にどこぞへ吹き飛ばされた。おまけに予備心臓の咒式はあまり長く持たないらしい。心臓を咒式で再生し、再び戦えるようになるまでには多少の時間が掛かる。
何より、彼らがまだそれを果たせたとしても、ここまで増殖の速度が速くなった今、この場で防衛を続けるのは不可能だ。
「総員、マンションの中へ! 交戦は最低限に、炎を抜けろ!」
撤退の号令を掛ける。良く通る佐山の声は、マンションの周囲へ散開している者たちの耳に届いた。
悪魔はおそらく、アラストールの炎の向こう側まで追ってくるだろう。こちらの世界と向こうの世界の接続点がどのくらいの大きさなのかは試してみるまで分からないが、多少なりとも悪魔の流入に制限がかかることを祈るしかない。
(テルモピュライを期待するわけではないが――)
見えざる産道から完全に抜け出そうとしている悪魔の第一陣を睨みながら、佐山は階下へ向かおうとする。
だがその寸前、一歩目を歩み出す前に、屋上にいるもう一人――ヘイズの異常に気づいた。 位置的には、屋上の中心に立つ佐山より、よほど階下への入り口に近い場所にいる。というより、ヘイズがいるのはその真ん前だった。
だがその重厚な鉄製の扉に身体を打ち付けたのだろう。足をどうかしたらしい。特徴的な赤毛がじっとりと湿るほど脂汗を浮かべ、膝立ちの状態から芋虫のような速度で立ち上がろうとしている。手には刀身半ばで折れた剣の柄のみ。拡声器に関しては手放してしまったようだった。
渦の中心にいた佐山は、ある意味台風の目にいた。あのまま美姫が降下してくればただでは済まなかっただろうが、おそらく一番受けた影響は少なかったのだ。だが加護を持つ出雲と違い、回避不能の攻撃を受けたヘイズの肉体には、如実にそのダメージが現れていた。
不味い、と佐山は駆ける。周囲では既に、鮫たちの第一陣がその尾びれまで露わにし始めたところだった。
「出雲、援護を――」
と、後方にいるであろう出雲に声を掛けようとしたところで、視界の端を巨大な影が横切った。見れば、鮫に咥えられた出雲が、抵抗しながらも屋上を引きずられている。
既に解き放たれた悪魔がいるという事実に、佐山は舌打ちを漏らす。
視界外から発生したのか、単なる見逃しか。自由になった悪魔たちは、手近な獲物へと文字通り躍りかかっていく。
立ち上がるのを諦めたヘイズが、座り込みながら指を幾度も打ち鳴らし、最寄りの鮫から情報解体していく。だが発生の方が早い。じりじりと悪魔の包囲線がヘイズに迫りつつあった。
そして佐山の方にもまた、群れの一団が向かってきていた。やむをえず佐山は回避行動を取る。ムキチが抜け出た今、この木刀に悪魔を切断せしめる力は無い。
それでも佐山は木刀の切っ先を正確に鮫の目に叩き込むなどして、僅かな隙を作り出そうとするが――
それを見たヘイズは思う。こりゃ詰んだかもな、と。
彼のI-ブレインは既に予測を終えていた。自分は7秒後、佐山は11秒後に、悪魔によって致命的な一撃を受けることになる。
他の連中に関しても似たようなものだろう――脳裏に過るのは、ここでは最も付き合いの長い二人の姿だった。コミクロンと火乃香。一日かそこらだが、ずっと行動を共にしていた分、その密度は濃い。彼らの能力については把握できていた。あの二人は、この襲撃を単独では切り抜けられない。
だがヴァーミリオン・CD・ヘイズは、別の未来を選択できる。
(……ま、仕方ねえか)
I-ブレインの疲労警告を無視し、演算効率を120%に再設定。
魔杖剣の演算補助があるとはいえ、それを差し引いても疲労はぎりぎりだ。仮に拡声器を手放してしまっていなくとも、対して役には立たなかっただろう。
だがその疲労も、ムキチが概念空間に引き込むまでの間に、僅かばかり癒やされていた。
左手の指を弾き、右手に握った魔杖剣の撃鉄を落とす。空撃ちは微細な力加減が出来ない為、剣を振るように移動させることで音の発生源の位置の方を調整し、空気分子を演算通りに動かしていく。
佐山と出雲の姿が消えた。マンションの屋上の床を二カ所、崩落させたのだ。出雲に関しては、彼を咥えていた悪魔の顎筋をも。階下に落ちていく二人を追って、悪魔たちもまたコンクリートの穴に殺到するが、開けた穴は人一人分ちょうど。穴を壊して広げようとすればその分時間が稼げた。
さらに『破砕の領域』を重ねる。マンション最上階の外壁が8カ所、情報解体された。結合を解かれた物質はすぐに再結合し落下を開始するが、ヘイズはその再結合パターンを完全に予測していた。誤差数ミリで計算通りの形に変形した剥離片は、空気抵抗によりその落下コースを制御される。あるものは悪魔に直撃し、あるものは目眩ましに――地上の仲間の退避を援護する形になる。
ここまでに要した時間は2秒。これで全員が無事、マンションの中まで辿り着けるかどうか――そこまでの未来は演算できなかった。余力と時間がなかったからだ。
先ほど予測した7秒という猶予を裏切り、悪魔の牙の先端がヘイズの首に食い込む。
計算をとちったのではない。これが新たに掴み取った未来の代償だ。自分に迫る鮫への対応をやめ、他の連中の生き残る可能性を僅かばかり引き上げたことへの。
(……こんなもんだよな。ベッドの上で大往生できるなんざ、はなから思ってなかったわけだし)
疲れた笑みを浮かべて、ヘイズは最後にそう思う。
自分がどういう風に死ぬかなど具体的に想像したことはなかったが、それほど悪くない死に方だ。
『生きて、突っ走って、這いつくばって、そして笑え』
少なくとも、常にヘイズの生き方の指針であったその言葉に反するものではないのだから。
唯一文句があるとしたら、この視界いっぱいに広がる血のように赤い鮫の口腔が、最後に見る景色になりかねないということだったが――
(――危険。0.08秒後に頸動脈に重大な損傷。0.12秒後に頸部切断。回避不能)
I-ブレインがろくでもない未来を弾き出す。
ギロチンで処刑された人間は、しばらく意識があったというが、実際のところはどうだったのか。0.12秒後に判明するらしいが。
(できれば仰向けに転がって欲しい、な――)
そして、ヘイズの視界が大きく変じる。
◇◇◇
佐山からの撤退の指示が響くよりも早く、火乃香は駆けだしていた。
空から迫りつつあった大竜巻は、一瞬でカメラが切り替わるように、余韻すら残さず消えてしまった。地上への影響も軽微なものだったので――割れたガラス片が降ってきたことで、多少の切り傷は出来たが――即座に次の行動に移れたのだ。
向かう先は隣接する方位へ配置されていたフリウのもとだ。吸血鬼の封印はどうやら成功したらしいが、それが終われば再び悪魔による襲撃が再開されることは予測していた。
フリウと組んで悪魔を撃退していたから分かる。自分単独でもフリウ単独でも、あの悪魔の襲来からは逃げ延びられない。
おまけに位置が悪い。マンションの出入り口があるのは南側――自身の配置とは真逆になる。空飛ぶ鮫による襲撃が再開するより早く辿り着けるとは思えない。マンション外壁に侵入できる大きさの穴を開けることも考えたが、あの外壁の厚さを考えれば分のいい賭けとは言い難いだろう。それよりはと、鮫が再び数を増して対応しきれない数になるより早く合流できる方に賭けた訳だ。
そして火乃香は、自分がその賭けに負けたことを薄らと感じ始めていた。
「――斬!」
前方から猛襲する鮫の突進を、斜め右に一歩踏み込んで回避しながら居合いを見舞う。頭部から腹部の半ばまでを両断されて、鮫は薄らと透けるように消えていった。
だがその消失を最後まで見届ける余裕もない。火乃香の天宙眼は、続々と増殖、集結しつつある悪魔の脅威を伝えてくる。
突進を回避するために進行方向をずらしたせいで、疾駆の勢いは減じていた。だが足を止めるわけにはいかない。その場で切り合えば敵の物量に潰される。斬り殺した鮫とて、瞬時に質量を失うわけではないのだ。
振り抜いたカタナの重みに追従するように前へ一歩。左前方から新たに迫る白鮫を、返す振り下ろしで叩き斬る。同時に背後から頭を囓り取ろうとしてきたもう一匹を地面に転がってやり過ごし、そこへ降ってきた別の2匹を回避するために、先ほど稼いだ一歩分の前進を捨てて、転がる勢いそのままに低く跳ねる。
「くっ――」
悪化の一途を辿る現状に歯噛みする。悪魔の群れはそこら中から雲霞の如く押し寄せ始めていた。もはやフリウと合流しても捌ききれないであろう数に戦慄する。
それでも、フリウの念糸ならマンションの壁に穴を開けられるかも知れない。その可能性に一縷の望みを託し、悪魔へ向けて再び一刀を振るうが――
本来なら複合装甲すら両断する一閃が、その軌道に歪みを見せた。
(……まずっ!)
悪魔を両断するはずだったカタナの切っ先が、石畳に突き刺さって地面にめり込んでいる。
それは不幸な偶然だった。火乃香が居合いを繰り出すのとほぼ同時に、標的の黒鮫が大きく体勢を崩す。黒鮫の隣を泳いでいた白鮫が、その尾びれで黒鮫を打ち付けたのだ。
オーナーに制御されていない悪魔だからこそ起きた同士討ち。そしてそれは同時に、回遊する悪魔の密度がどうしようもないほど高まっていることを意味していた。
黒鮫の胴体を切り抜けるはずだったカタナは、打たれた鮫が大きく身を捩ったことでその軌道が乱され、切っ先から3分の1ほどまでが地面に埋まってしまっている。
思い切り力を込めれば引き抜くことも出来るだろうが、その時間は致命的な隙になるだろう。絶えず移動していたことで、悪魔の襲撃のタイミングはずれていた。だが足を止めた今、全ての悪魔が同時に火乃香へと殺到する。
どっと少女の全身から冷や汗が吹き出す。この数は対応しきれない。例えカタナが自由に使えても無理だ。気を打ち込んだところで、倒せるのは1匹だけ。そもそもこの頑強極まりない悪魔をカタナを介さない気の一撃で絶命させることはできるのか。
(それでも、やるしかない!)
カタナを引き抜くことは諦め、右手に気を集中させる。
だが火乃香がそれを撃ち出すよりも早く、悪魔による包囲に穴が空いた。上空から音もなく降ってきた妙な形をしたコンクリート片が、悪魔たちをしたたかに打ちのめしたのだ。
かなりの加速がついていたようで、直撃を貰った悪魔は地面に突っ込むように墜落した。
それを見逃す火乃香ではない。地に落ちた悪魔の内の一匹を踏みつけ、飛び越えるようにして包囲を脱する。
着地までに半秒。ブーツの底が石畳を捉えざりざりと音を立てた。
囲みを抜けてしまいさえすれば、四方八方から無造作に突撃するという戦法は、悪魔達の側にとって不利に働いた。巨体同士がぶつかり合い、群れそのものの動きが制限される。制御されていないため、自らが引いて道を空けるという選択肢がないのだ。
(助かった――けど、一体誰が?)
先ほど吸血鬼が作り出した大渦によって破壊されたマンションの外壁が落下してきた――というわけではないだろう。落下地点があまりにピンポイント過ぎる。明らかに誰かが救援の意思を持って降らしたものだ。
だが考えて答えが出る類いの問いではない。態勢を整えつつある鮫の群れに相対しながら、火乃香はバックステップで距離を取った。納刀したカタナを腰だめに構えて次の襲撃に備え、
そして、火乃香の目の前に、それは落ちてきた。
べちゃり、という湿った音。それなりの高度から落ちてきたはずなのに、大して弾みもしない肉の塊。
それが何なのか、すぐには分からなかった。形状が、火乃香の知るそれとはかなり変わっていた為だ。
ほんの僅かな思考の時間。刹那にも満たない一瞬の停滞。それを経て、火乃香はようやく目の前に落ちてきたそれの名前を口にした。
「……なにやってんのさ、ギギナ」
最初は巨大な鳥でも落ちてきたのかと思ったが、それは美姫に立ち向かい、どうにかその頭上を取ったはずの剣舞士だった。火乃香に背を向けていた為――正確には背中から生やした黒翼を向けていたので、すぐにはそれと分からなかったのだ。
そういえばあの吸血鬼が最後に作り出した竜巻に、空中にいたギギナはもろに巻き込まれた筈だ。見ればギギナの翼は片方があらぬ方向を向き、もう片方に至っては千切れかけていた。
おそらく、その翼を使ってどうにかここまで滑空してきたというところだろうが……
そんな風に火乃香が思っていると、ギギナはおもむろに魔杖剣の弾倉を展開し、排莢を行った。新たな咒弾を込めて撃鉄を数度引き、多重展開した治癒咒式で破壊された心臓を再生させていく。万能細胞が複雑に分化し、各種筋肉から血管、神経までもを生み出し、繋いで行った。
「ちょうど良い盾を探していた」
「その盾ってのは――」
半眼で言い返そうとして、盾という単語に現在の状況を思い出す。暢気に会話が出来る状況ではない。無数の悪魔が追撃を――
と、そこまで考えたところで、ぐらりと火乃香の視界が揺らいだ。
突然襲ってきた目眩のような感覚に、額を抑えて歯を食いしばる。幸いなことに倒れるほどではなかったし、原因もすぐに判明した。
全ての悪魔が消滅していた。目眩の原因は、天宙眼がそれを拾ったせいだ。数百もの気が一斉に消えるという異常事態に、文字通り目が眩んだのだろう。寝起きの暗い部屋で、急に明かりを付けられたようなものだ。
「どういうこと? あの化け物の群れはどこいったの?」
火乃香の疑問に、治療が終わったギギナが首を横に振って答えた。
「消えた。理由は知らぬ」
会話が途切れる。もともと、火乃香とギギナはさほど親しいわけではない。話し合って理由を考察しよう、という気持ちにはならなかった。
「……とりあえず、あたしは他の連中を見て回ってくるよ」
疲労であがっていた息を整え、地面に刺さっていたカタナを回収すると、火乃香は当初の目論見通り、フリウと合流すべく歩き出した。
消えた理由が分からない以上、悪魔はまた襲ってこないとも限らない。急いで黒幕達の元へ向かうか、あるいは主である甲斐氷太の状態を確認する必要があるだろう。その判断をするのは佐山だろうが、
(もしも誰かがあの怪物を掻い潜って甲斐って奴を倒したんなら――そいつを仲間に出来れば心強いかもね)
空から迫りつつあった大竜巻は、一瞬でカメラが切り替わるように、余韻すら残さず消えてしまった。地上への影響も軽微なものだったので――割れたガラス片が降ってきたことで、多少の切り傷は出来たが――即座に次の行動に移れたのだ。
向かう先は隣接する方位へ配置されていたフリウのもとだ。吸血鬼の封印はどうやら成功したらしいが、それが終われば再び悪魔による襲撃が再開されることは予測していた。
フリウと組んで悪魔を撃退していたから分かる。自分単独でもフリウ単独でも、あの悪魔の襲来からは逃げ延びられない。
おまけに位置が悪い。マンションの出入り口があるのは南側――自身の配置とは真逆になる。空飛ぶ鮫による襲撃が再開するより早く辿り着けるとは思えない。マンション外壁に侵入できる大きさの穴を開けることも考えたが、あの外壁の厚さを考えれば分のいい賭けとは言い難いだろう。それよりはと、鮫が再び数を増して対応しきれない数になるより早く合流できる方に賭けた訳だ。
そして火乃香は、自分がその賭けに負けたことを薄らと感じ始めていた。
「――斬!」
前方から猛襲する鮫の突進を、斜め右に一歩踏み込んで回避しながら居合いを見舞う。頭部から腹部の半ばまでを両断されて、鮫は薄らと透けるように消えていった。
だがその消失を最後まで見届ける余裕もない。火乃香の天宙眼は、続々と増殖、集結しつつある悪魔の脅威を伝えてくる。
突進を回避するために進行方向をずらしたせいで、疾駆の勢いは減じていた。だが足を止めるわけにはいかない。その場で切り合えば敵の物量に潰される。斬り殺した鮫とて、瞬時に質量を失うわけではないのだ。
振り抜いたカタナの重みに追従するように前へ一歩。左前方から新たに迫る白鮫を、返す振り下ろしで叩き斬る。同時に背後から頭を囓り取ろうとしてきたもう一匹を地面に転がってやり過ごし、そこへ降ってきた別の2匹を回避するために、先ほど稼いだ一歩分の前進を捨てて、転がる勢いそのままに低く跳ねる。
「くっ――」
悪化の一途を辿る現状に歯噛みする。悪魔の群れはそこら中から雲霞の如く押し寄せ始めていた。もはやフリウと合流しても捌ききれないであろう数に戦慄する。
それでも、フリウの念糸ならマンションの壁に穴を開けられるかも知れない。その可能性に一縷の望みを託し、悪魔へ向けて再び一刀を振るうが――
本来なら複合装甲すら両断する一閃が、その軌道に歪みを見せた。
(……まずっ!)
悪魔を両断するはずだったカタナの切っ先が、石畳に突き刺さって地面にめり込んでいる。
それは不幸な偶然だった。火乃香が居合いを繰り出すのとほぼ同時に、標的の黒鮫が大きく体勢を崩す。黒鮫の隣を泳いでいた白鮫が、その尾びれで黒鮫を打ち付けたのだ。
オーナーに制御されていない悪魔だからこそ起きた同士討ち。そしてそれは同時に、回遊する悪魔の密度がどうしようもないほど高まっていることを意味していた。
黒鮫の胴体を切り抜けるはずだったカタナは、打たれた鮫が大きく身を捩ったことでその軌道が乱され、切っ先から3分の1ほどまでが地面に埋まってしまっている。
思い切り力を込めれば引き抜くことも出来るだろうが、その時間は致命的な隙になるだろう。絶えず移動していたことで、悪魔の襲撃のタイミングはずれていた。だが足を止めた今、全ての悪魔が同時に火乃香へと殺到する。
どっと少女の全身から冷や汗が吹き出す。この数は対応しきれない。例えカタナが自由に使えても無理だ。気を打ち込んだところで、倒せるのは1匹だけ。そもそもこの頑強極まりない悪魔をカタナを介さない気の一撃で絶命させることはできるのか。
(それでも、やるしかない!)
カタナを引き抜くことは諦め、右手に気を集中させる。
だが火乃香がそれを撃ち出すよりも早く、悪魔による包囲に穴が空いた。上空から音もなく降ってきた妙な形をしたコンクリート片が、悪魔たちをしたたかに打ちのめしたのだ。
かなりの加速がついていたようで、直撃を貰った悪魔は地面に突っ込むように墜落した。
それを見逃す火乃香ではない。地に落ちた悪魔の内の一匹を踏みつけ、飛び越えるようにして包囲を脱する。
着地までに半秒。ブーツの底が石畳を捉えざりざりと音を立てた。
囲みを抜けてしまいさえすれば、四方八方から無造作に突撃するという戦法は、悪魔達の側にとって不利に働いた。巨体同士がぶつかり合い、群れそのものの動きが制限される。制御されていないため、自らが引いて道を空けるという選択肢がないのだ。
(助かった――けど、一体誰が?)
先ほど吸血鬼が作り出した大渦によって破壊されたマンションの外壁が落下してきた――というわけではないだろう。落下地点があまりにピンポイント過ぎる。明らかに誰かが救援の意思を持って降らしたものだ。
だが考えて答えが出る類いの問いではない。態勢を整えつつある鮫の群れに相対しながら、火乃香はバックステップで距離を取った。納刀したカタナを腰だめに構えて次の襲撃に備え、
そして、火乃香の目の前に、それは落ちてきた。
べちゃり、という湿った音。それなりの高度から落ちてきたはずなのに、大して弾みもしない肉の塊。
それが何なのか、すぐには分からなかった。形状が、火乃香の知るそれとはかなり変わっていた為だ。
ほんの僅かな思考の時間。刹那にも満たない一瞬の停滞。それを経て、火乃香はようやく目の前に落ちてきたそれの名前を口にした。
「……なにやってんのさ、ギギナ」
最初は巨大な鳥でも落ちてきたのかと思ったが、それは美姫に立ち向かい、どうにかその頭上を取ったはずの剣舞士だった。火乃香に背を向けていた為――正確には背中から生やした黒翼を向けていたので、すぐにはそれと分からなかったのだ。
そういえばあの吸血鬼が最後に作り出した竜巻に、空中にいたギギナはもろに巻き込まれた筈だ。見ればギギナの翼は片方があらぬ方向を向き、もう片方に至っては千切れかけていた。
おそらく、その翼を使ってどうにかここまで滑空してきたというところだろうが……
そんな風に火乃香が思っていると、ギギナはおもむろに魔杖剣の弾倉を展開し、排莢を行った。新たな咒弾を込めて撃鉄を数度引き、多重展開した治癒咒式で破壊された心臓を再生させていく。万能細胞が複雑に分化し、各種筋肉から血管、神経までもを生み出し、繋いで行った。
「ちょうど良い盾を探していた」
「その盾ってのは――」
半眼で言い返そうとして、盾という単語に現在の状況を思い出す。暢気に会話が出来る状況ではない。無数の悪魔が追撃を――
と、そこまで考えたところで、ぐらりと火乃香の視界が揺らいだ。
突然襲ってきた目眩のような感覚に、額を抑えて歯を食いしばる。幸いなことに倒れるほどではなかったし、原因もすぐに判明した。
全ての悪魔が消滅していた。目眩の原因は、天宙眼がそれを拾ったせいだ。数百もの気が一斉に消えるという異常事態に、文字通り目が眩んだのだろう。寝起きの暗い部屋で、急に明かりを付けられたようなものだ。
「どういうこと? あの化け物の群れはどこいったの?」
火乃香の疑問に、治療が終わったギギナが首を横に振って答えた。
「消えた。理由は知らぬ」
会話が途切れる。もともと、火乃香とギギナはさほど親しいわけではない。話し合って理由を考察しよう、という気持ちにはならなかった。
「……とりあえず、あたしは他の連中を見て回ってくるよ」
疲労であがっていた息を整え、地面に刺さっていたカタナを回収すると、火乃香は当初の目論見通り、フリウと合流すべく歩き出した。
消えた理由が分からない以上、悪魔はまた襲ってこないとも限らない。急いで黒幕達の元へ向かうか、あるいは主である甲斐氷太の状態を確認する必要があるだろう。その判断をするのは佐山だろうが、
(もしも誰かがあの怪物を掻い潜って甲斐って奴を倒したんなら――そいつを仲間に出来れば心強いかもね)
◇◇◇
同時刻、エリアF2において。
甲斐氷太は死んでいた。"堕落"による浮遊は終わり、熱を失ったその身体が地面に横たわっている。
死因は出血多量によるショック死であったが、クレアがつけた傷がその直接の死因になったわけではない。では原因は何かと言えば、それは明白であった。
甲斐の喉元に、長大な刃が突き刺さっている。
刃渡りが1m以上もある威容の大太刀であった。刀身の半ばほどまで貫通しており、いびつな十字架のようにも見える。刀身の重量と長大さから、甲斐の頸部はほぼ千切れかけていた。
覆し得ぬ致命傷。それを与えた刃の銘を、贄殿遮那。あらゆる影響を受け付けぬ不滅の宝具である。
では、その殺人を誰が為し得たのか――
それは少しばかり判断に迷う問いだったかも知れなかった。といっても、別に理由が複合的であったりしたわけではない。単に、その下手人を知っている者にとっても、咄嗟に当人か判別出来ないほど身体を欠損させていたからだ。
零崎人識は、最後に刃の柄尻を蹴飛ばした態勢から、ゆっくりと倒れるところだった。
鮫に食い千切られた左手からの出血は止まろうとしていた。だがそれは傷が治りつつあるのではなく、単に流れる血がなくなっただけだ。悪魔の牙に晒された右腕は千切れかけており、その他にも無数の傷が全身に刻まれていた。もはや長刀どころか、彼の得物であったナイフすら振るうのは困難だろう。故に、サッカーでシュートを行うかの如く、紅世最高峰の宝具を足蹴にして放ったのだ。
「は――やっぱ殺す方が手っ取り早いっての」
掠れた声で、傑作だぜ、と呟く。
森に落ち、周囲から襲いかかる殺気を読みながら――その大元を始末するために動いたのは、別に仲間の窮地を助けようとか、そういう気持ちがあったのではなかった。単に生き残るためには、脅威を排除しなければならなかっただけ。ほとんど生存本能に近いものだった。
だが――生き残るために全力で抗っても、それが報われるとは限らない。
地面に倒れ伏した零崎は、すぐに意識を失った。殺気を読む零崎の技能、鮫の動きを制限する森林という環境。これら有利な要素を最大限に活かしたところで、無傷で接敵することなど到底叶わなかった。両手が使えなくなった時点でろくに止血も出来ず、救援の類いも望めない。鮫に啄まれながら森に落ちた時点で、零崎人識に生存の活路は最初から無かったと言って良い。
だからこれは、ある意味で八つ当たりのようなものなのだ。
そうしてそれをやりきった零崎は、自嘲するような笑みを浮かべ、永遠に呼吸を止めた。
甲斐氷太は死んでいた。"堕落"による浮遊は終わり、熱を失ったその身体が地面に横たわっている。
死因は出血多量によるショック死であったが、クレアがつけた傷がその直接の死因になったわけではない。では原因は何かと言えば、それは明白であった。
甲斐の喉元に、長大な刃が突き刺さっている。
刃渡りが1m以上もある威容の大太刀であった。刀身の半ばほどまで貫通しており、いびつな十字架のようにも見える。刀身の重量と長大さから、甲斐の頸部はほぼ千切れかけていた。
覆し得ぬ致命傷。それを与えた刃の銘を、贄殿遮那。あらゆる影響を受け付けぬ不滅の宝具である。
では、その殺人を誰が為し得たのか――
それは少しばかり判断に迷う問いだったかも知れなかった。といっても、別に理由が複合的であったりしたわけではない。単に、その下手人を知っている者にとっても、咄嗟に当人か判別出来ないほど身体を欠損させていたからだ。
零崎人識は、最後に刃の柄尻を蹴飛ばした態勢から、ゆっくりと倒れるところだった。
鮫に食い千切られた左手からの出血は止まろうとしていた。だがそれは傷が治りつつあるのではなく、単に流れる血がなくなっただけだ。悪魔の牙に晒された右腕は千切れかけており、その他にも無数の傷が全身に刻まれていた。もはや長刀どころか、彼の得物であったナイフすら振るうのは困難だろう。故に、サッカーでシュートを行うかの如く、紅世最高峰の宝具を足蹴にして放ったのだ。
「は――やっぱ殺す方が手っ取り早いっての」
掠れた声で、傑作だぜ、と呟く。
森に落ち、周囲から襲いかかる殺気を読みながら――その大元を始末するために動いたのは、別に仲間の窮地を助けようとか、そういう気持ちがあったのではなかった。単に生き残るためには、脅威を排除しなければならなかっただけ。ほとんど生存本能に近いものだった。
だが――生き残るために全力で抗っても、それが報われるとは限らない。
地面に倒れ伏した零崎は、すぐに意識を失った。殺気を読む零崎の技能、鮫の動きを制限する森林という環境。これら有利な要素を最大限に活かしたところで、無傷で接敵することなど到底叶わなかった。両手が使えなくなった時点でろくに止血も出来ず、救援の類いも望めない。鮫に啄まれながら森に落ちた時点で、零崎人識に生存の活路は最初から無かったと言って良い。
だからこれは、ある意味で八つ当たりのようなものなのだ。
そうしてそれをやりきった零崎は、自嘲するような笑みを浮かべ、永遠に呼吸を止めた。
◇◇◇
オーフェンはマンションのロビーに血まみれで佇んでいた。
電灯はついていない。どうも先ほどの悪魔が暴れ回った際、どこかが破損したらしい。外――というより高層階は相も変わらず燃えさかっているので、その照り返しのお陰で視界に困ると言うほどでもなかったが。
「――まったく、妙なところだな、ここは」
ため息と共に独りごちる。グローブに付着した血は乾き始め、動かそうとすると微妙な抵抗を伝えてくる。自分の血ではない。返り血でもない。それは、ここにあった遺体を人目のつかない場所に運んだ際についたものだ。
「お前が死ぬっていうのは――別に、予想してなかったってわけじゃないんだが、どうにも信じられねえっていうか、な」
クリーオウ・エバーラスティンは死んだ。悪魔に上半身を食い千切られて。
見つかったのは下半身だけだったが、服装や場所から間違いなくクリーオウだと断言できた。抵抗すら許されなかったのだろう。壁際に立てかけられていた鉄球発射装置もそのままだ。
墓を掘る時間も、体力もなかった。適当な部屋から剥ぎ取ってきたシーツで包んだだけという葬送に、感じるものがないわけでもなかったが――しかし、オーフェンは魔術士だった。墓を掘る為の魔術一発分の体力すら惜しい状況だ。自制心はしっかりと働いていた。
その時、ロビーに新たな足音が響いた。誰かがエントランスから入ってきたらしい。
「――休めているかね、オーフェン君」
来訪者は佐山だった。振り向きもしないオーフェンの背に、構わず声を投げかける。
「まあな。飯も食ったし、もう一働きするくらいは大丈夫だろ……他の連中は?」
「このマンションの周囲にいたものは無事だった。頸動脈を破られかけたヘイズ君の他、何人かは重傷者もいたが、君の同郷が魔術で治してくれたよ」
「そりゃよかった」
「彼女の遺族には、私が――」
「うん? ああ、火乃香がいってた責任云々の話か。いや、別に良い。そもそも責任があるっていうんなら、俺にだってあるだろうさ」
トトカンタから聖域に至る戦いまで、ずっとついてきた相棒。ほとんどなし崩しだったが、責任を持てないというのなら無理にでも家に帰すべきだっただろう。
仮に異世界を渡ることが可能になった上で、佐山がエバーラスティン家に弔問に訪れたとして、オーフェンがそれをやらなくてよくなるということはないのだ。
「ただ――落とし前はつけさせねえとな。下手人は? あの蒼い機械人形に偵察させたんだろう?」
「ああ、甲斐氷太は死んでいた。状況的に見て、やったのは零崎君だね」
悪魔の襲撃が止んだのは30分ほど前のことになる。佐山は蒼い殺戮者に甲斐氷太の状態を再度、確かめに行かせることを選択した。往復には5分と掛からない。調査のための時間を加味しても15分というところだっただろう。
そこで判明したのは、相打ちのような形で、零崎人識が甲斐氷太を殺したということだった。
鮫に攻撃されながら森に落ちたというのが最後の目撃報告だった為、既に死亡しているものと思っていたが、どうやら生きていたらしい。仲間のために命を賭けるというタイプではないように思えたが――
(それでも、救われたことは事実だ……そして、私が取りこぼしたことも)
零崎人識、クリーオウ・エバーラスティン。自分の指揮の下で死んだ者たちの名前を、佐山は心に刻む。
「なら、落とし前の相手はアマワと神野って奴か……そういや、神野については大丈夫なのか?」
「? なにがかね?」
物思いに耽っていたせいか、オーフェンの台詞の真意を読み取り損ねた佐山が問い返す。
「前に会った時、お前と一緒にいた嬢ちゃん。あれが神野に言うこと聞かす方法を知ってたんだろ?」
十叶詠子。クリーオウと共に、マンションのロビーに配置されていた少女。
彼女の遺体は見つからなかったが、クリーオウのものとは離れた場所にもうひとつ、大きな血だまりがあった。状況から見て、文字通り悪魔の"餌食"になった可能性が高い。
「……彼女から話を聞いて情報は共有している。アマワさえ倒せば問題はないとも」
そうか、と頷くオーフェンに対し、だが佐山は胸中で言葉を続けた。
(……詠子君は本当に死んだのだろうか?)
概念空間の形成は成功した。ということは、このロビーに配置した"地"担当の者たちも役目を果たしたと言うことだ。
(必要だったのは自弦振動と合い言葉……自弦振動に関しては、死体がこの場に残っていればそれでいいかもしれない。問題は合い言葉だ。ここの二人が死んでいたとしたら一体誰が唱えた?)
無論、概念空間の形成が終わった後に、二人が襲われたという可能性はある。
だがむしろ、彼女たちが襲われたのは悪魔による襲撃が始まったごく初期ではないかという予想が佐山にはあった。
ロビーの床から、それを拾い上げる。詠子が持っていた携帯電話。血まみれで、電源ボタンを押しても光らない。おそらく内部にまで血が浸透してしまったのだろう。
もしも概念空間形成までここが安全を保っていたのなら、悪魔が襲撃してきた際に行われた佐山からの通話に応じられたはずだ。
(つまり、概念空間の形成前にここは襲われた。クリーオウ君はその時に死亡した。では詠子君は?)
十叶詠子に、悪魔を切り抜けられる力はあっただろうか?
(おそらくあるまいな。身体能力はもとより、彼女の暗示も悪魔には通じないだろう。だが――)
ここから抜け出す方法を、彼女は持っていた。
蒼い殺戮者が物資の回収に赴く前。所持している支給品を公開し、再配分した際のことだ。
それを持っていたのはベルガーだった。黒い卵としか言えないような奇妙な物体。それがいかなる力を持つのかは、奇しくも目の前にいるオーフェンが知っていた。
天人という種族が創造した緊急避難装置。それが、ベルガーを何度か窮地から救い、あるいは絶体絶命の状況に陥れた支給品の正体だった。
だがこの緊急避難装置は、ベルガーを"無名の庵"に存在したシャナの元へ飛ばした際、神野陰之の手によってその魔術文字を更新されたらしい。
曰く、その機能は、たったひとりだけを神野陰之の元へ送るものだという。
故に、この中では神野を最も知っている詠子に預けられたのだが――
(仮に彼女があの装置を使い、悪魔から逃げおおせたとしても、それではやはり誰が合い言葉を唱えたのか、という疑問が残ってしまう)
携帯の録音機能を使った可能性も考えていたのだが、壊れている以上、その線も薄いだろう。
だが何となく、佐山はその役立たずに成り果てた血まみれの携帯電話から目を離せずにいた。相変わらず電源は入らないが、佐山はそのスピーカーを何とはなしに自分の耳へ――
「そういや、ギギナの奴はどうした?」
――その声で正気を取り戻す。
気づけば、オーフェンがいつの間にか振り返り、佐山の方を訝しげに見つめていた。時間が飛んでいたような感覚。いつの間にか顔の近くまで持ってきていた携帯電話から漂う血臭に、佐山は思わず顔をしかめる。
「おい、大丈夫か?」
「ああ――なんだったかね?」
「ギギナの奴だよ。あいつ、クリーオウから飯を貰った恩があるってことでついてきたからな。お前さんが来る前にここに来たんだが、すぐ出て行っちまったし」
「なるほど。まあ、大丈夫ではないかね。外のベンチに座っていたし、恩の受け逃げをするタイプではないだろう」
そう言って、佐山は思考を切り替える。
終わった以上、考えても仕方の無い謎だった。そして時間も無い。ムキチによる封印が、どのくらい持つかは未知数なのだ。
万全とは行かないが、全員がなんとか戦闘能力は保持している。機を逸することだけはさけねばならない。
「――決戦だ。皆を呼んでこなくてはね」
呟き、血まみれの携帯電話をズボンに捻じ込んで、佐山はこの場を後にした。
電灯はついていない。どうも先ほどの悪魔が暴れ回った際、どこかが破損したらしい。外――というより高層階は相も変わらず燃えさかっているので、その照り返しのお陰で視界に困ると言うほどでもなかったが。
「――まったく、妙なところだな、ここは」
ため息と共に独りごちる。グローブに付着した血は乾き始め、動かそうとすると微妙な抵抗を伝えてくる。自分の血ではない。返り血でもない。それは、ここにあった遺体を人目のつかない場所に運んだ際についたものだ。
「お前が死ぬっていうのは――別に、予想してなかったってわけじゃないんだが、どうにも信じられねえっていうか、な」
クリーオウ・エバーラスティンは死んだ。悪魔に上半身を食い千切られて。
見つかったのは下半身だけだったが、服装や場所から間違いなくクリーオウだと断言できた。抵抗すら許されなかったのだろう。壁際に立てかけられていた鉄球発射装置もそのままだ。
墓を掘る時間も、体力もなかった。適当な部屋から剥ぎ取ってきたシーツで包んだだけという葬送に、感じるものがないわけでもなかったが――しかし、オーフェンは魔術士だった。墓を掘る為の魔術一発分の体力すら惜しい状況だ。自制心はしっかりと働いていた。
その時、ロビーに新たな足音が響いた。誰かがエントランスから入ってきたらしい。
「――休めているかね、オーフェン君」
来訪者は佐山だった。振り向きもしないオーフェンの背に、構わず声を投げかける。
「まあな。飯も食ったし、もう一働きするくらいは大丈夫だろ……他の連中は?」
「このマンションの周囲にいたものは無事だった。頸動脈を破られかけたヘイズ君の他、何人かは重傷者もいたが、君の同郷が魔術で治してくれたよ」
「そりゃよかった」
「彼女の遺族には、私が――」
「うん? ああ、火乃香がいってた責任云々の話か。いや、別に良い。そもそも責任があるっていうんなら、俺にだってあるだろうさ」
トトカンタから聖域に至る戦いまで、ずっとついてきた相棒。ほとんどなし崩しだったが、責任を持てないというのなら無理にでも家に帰すべきだっただろう。
仮に異世界を渡ることが可能になった上で、佐山がエバーラスティン家に弔問に訪れたとして、オーフェンがそれをやらなくてよくなるということはないのだ。
「ただ――落とし前はつけさせねえとな。下手人は? あの蒼い機械人形に偵察させたんだろう?」
「ああ、甲斐氷太は死んでいた。状況的に見て、やったのは零崎君だね」
悪魔の襲撃が止んだのは30分ほど前のことになる。佐山は蒼い殺戮者に甲斐氷太の状態を再度、確かめに行かせることを選択した。往復には5分と掛からない。調査のための時間を加味しても15分というところだっただろう。
そこで判明したのは、相打ちのような形で、零崎人識が甲斐氷太を殺したということだった。
鮫に攻撃されながら森に落ちたというのが最後の目撃報告だった為、既に死亡しているものと思っていたが、どうやら生きていたらしい。仲間のために命を賭けるというタイプではないように思えたが――
(それでも、救われたことは事実だ……そして、私が取りこぼしたことも)
零崎人識、クリーオウ・エバーラスティン。自分の指揮の下で死んだ者たちの名前を、佐山は心に刻む。
「なら、落とし前の相手はアマワと神野って奴か……そういや、神野については大丈夫なのか?」
「? なにがかね?」
物思いに耽っていたせいか、オーフェンの台詞の真意を読み取り損ねた佐山が問い返す。
「前に会った時、お前と一緒にいた嬢ちゃん。あれが神野に言うこと聞かす方法を知ってたんだろ?」
十叶詠子。クリーオウと共に、マンションのロビーに配置されていた少女。
彼女の遺体は見つからなかったが、クリーオウのものとは離れた場所にもうひとつ、大きな血だまりがあった。状況から見て、文字通り悪魔の"餌食"になった可能性が高い。
「……彼女から話を聞いて情報は共有している。アマワさえ倒せば問題はないとも」
そうか、と頷くオーフェンに対し、だが佐山は胸中で言葉を続けた。
(……詠子君は本当に死んだのだろうか?)
概念空間の形成は成功した。ということは、このロビーに配置した"地"担当の者たちも役目を果たしたと言うことだ。
(必要だったのは自弦振動と合い言葉……自弦振動に関しては、死体がこの場に残っていればそれでいいかもしれない。問題は合い言葉だ。ここの二人が死んでいたとしたら一体誰が唱えた?)
無論、概念空間の形成が終わった後に、二人が襲われたという可能性はある。
だがむしろ、彼女たちが襲われたのは悪魔による襲撃が始まったごく初期ではないかという予想が佐山にはあった。
ロビーの床から、それを拾い上げる。詠子が持っていた携帯電話。血まみれで、電源ボタンを押しても光らない。おそらく内部にまで血が浸透してしまったのだろう。
もしも概念空間形成までここが安全を保っていたのなら、悪魔が襲撃してきた際に行われた佐山からの通話に応じられたはずだ。
(つまり、概念空間の形成前にここは襲われた。クリーオウ君はその時に死亡した。では詠子君は?)
十叶詠子に、悪魔を切り抜けられる力はあっただろうか?
(おそらくあるまいな。身体能力はもとより、彼女の暗示も悪魔には通じないだろう。だが――)
ここから抜け出す方法を、彼女は持っていた。
蒼い殺戮者が物資の回収に赴く前。所持している支給品を公開し、再配分した際のことだ。
それを持っていたのはベルガーだった。黒い卵としか言えないような奇妙な物体。それがいかなる力を持つのかは、奇しくも目の前にいるオーフェンが知っていた。
天人という種族が創造した緊急避難装置。それが、ベルガーを何度か窮地から救い、あるいは絶体絶命の状況に陥れた支給品の正体だった。
だがこの緊急避難装置は、ベルガーを"無名の庵"に存在したシャナの元へ飛ばした際、神野陰之の手によってその魔術文字を更新されたらしい。
曰く、その機能は、たったひとりだけを神野陰之の元へ送るものだという。
故に、この中では神野を最も知っている詠子に預けられたのだが――
(仮に彼女があの装置を使い、悪魔から逃げおおせたとしても、それではやはり誰が合い言葉を唱えたのか、という疑問が残ってしまう)
携帯の録音機能を使った可能性も考えていたのだが、壊れている以上、その線も薄いだろう。
だが何となく、佐山はその役立たずに成り果てた血まみれの携帯電話から目を離せずにいた。相変わらず電源は入らないが、佐山はそのスピーカーを何とはなしに自分の耳へ――
「そういや、ギギナの奴はどうした?」
――その声で正気を取り戻す。
気づけば、オーフェンがいつの間にか振り返り、佐山の方を訝しげに見つめていた。時間が飛んでいたような感覚。いつの間にか顔の近くまで持ってきていた携帯電話から漂う血臭に、佐山は思わず顔をしかめる。
「おい、大丈夫か?」
「ああ――なんだったかね?」
「ギギナの奴だよ。あいつ、クリーオウから飯を貰った恩があるってことでついてきたからな。お前さんが来る前にここに来たんだが、すぐ出て行っちまったし」
「なるほど。まあ、大丈夫ではないかね。外のベンチに座っていたし、恩の受け逃げをするタイプではないだろう」
そう言って、佐山は思考を切り替える。
終わった以上、考えても仕方の無い謎だった。そして時間も無い。ムキチによる封印が、どのくらい持つかは未知数なのだ。
万全とは行かないが、全員がなんとか戦闘能力は保持している。機を逸することだけはさけねばならない。
「――決戦だ。皆を呼んでこなくてはね」
呟き、血まみれの携帯電話をズボンに捻じ込んで、佐山はこの場を後にした。
◇◇◇
「――残念。耳に当ててくれれば、声を届けられたんだけど」
常の茫洋とした笑みを浮かべながら、十叶詠子が呟く。
彼女がいるのは無名の庵だった。暗黒の荒野に、ぺたりと座り込んでいる。その手には携帯電話が握られていたが、それは元々彼女が預かっていたものとはまた型が違っていた。血まみれというのは共通していたが、それは仕方の無いことだろう。
詠子の腹部からは、血が静かにこぼれ落ちていた。悪魔の牙は、魔女に確かに突き刺さり、その身を害したのだ。
だがその負傷からの痛痒を感じていないとでもいうように、詠子は笑みを浮かべたまま携帯を折りたたみ、本来の持ち主に差し出した。
「はい、返すよ、神野さん。電話を貸してくれてありがとう」
「このくらいはお安いご用だとも」
神野陰之は嗤いながら携帯を受け取り、それを懐に入れた。魔女の血など、この魔人にとっては水も同じだ。
悪魔の牙に掛かる前から、詠子は神野の番号をも佐山から預かった携帯に入力していた。
それはクリーオウ・エバーラスティンに取引をもちかけていたからだ。神野に引き合わせるという約束の為、傷ついた少女がいつ首を縦に振ってもいいように準備をしていた。
悪魔の一撃から逃れるまではいかなかったが、それでも完全に殺される前に、携帯のコールボタンを押し、神野陰之へと繋げたのだ。
そうして、魔女はこの地に降り立った。携帯を通してここまできたのか、それとも神野が手を加えた黒い卵が彼女を導いたのか――いまとなっては、些末な問題でしかない。
「神野さんの携帯から、向こうの携帯に合い言葉も送れたしね……"裏返しの法典"君との約束を守れて良かった」
「では次は私との契約を果たして貰おうか」
神野はいつものように、嗤いながら宣う。丸眼鏡の奥の双眸が、死にかけの魔女を冷徹に見つめていた。
神野陰之は、魔女の怪我を治さない。
それはアマワとの契約に反することになる。アマワが殺戮を是とする以上、参加者同士でつけ合った傷は治療できない。
参加者を殺すための刻印は無効化されたため、神野自身の手で参加者を直接害することは出来ないが――魔女に関しては、放っておけば死ぬだろう。
「試しはしない。君は、そのために来たのだろう?」
「そう。私は、そのためにここに来た」
白いブラウスの腹部を、鮮血で染めながら。
しかし、それでもなお掠れもせぬ鈴の声音で、魔女は囁く。
「私は魔女・十叶詠子」
挑む者としての名前を唱え、硝子の瞳は神の片鱗を見つめた。
「心の実在。その証明を成すために、やってきたよ」
常の茫洋とした笑みを浮かべながら、十叶詠子が呟く。
彼女がいるのは無名の庵だった。暗黒の荒野に、ぺたりと座り込んでいる。その手には携帯電話が握られていたが、それは元々彼女が預かっていたものとはまた型が違っていた。血まみれというのは共通していたが、それは仕方の無いことだろう。
詠子の腹部からは、血が静かにこぼれ落ちていた。悪魔の牙は、魔女に確かに突き刺さり、その身を害したのだ。
だがその負傷からの痛痒を感じていないとでもいうように、詠子は笑みを浮かべたまま携帯を折りたたみ、本来の持ち主に差し出した。
「はい、返すよ、神野さん。電話を貸してくれてありがとう」
「このくらいはお安いご用だとも」
神野陰之は嗤いながら携帯を受け取り、それを懐に入れた。魔女の血など、この魔人にとっては水も同じだ。
悪魔の牙に掛かる前から、詠子は神野の番号をも佐山から預かった携帯に入力していた。
それはクリーオウ・エバーラスティンに取引をもちかけていたからだ。神野に引き合わせるという約束の為、傷ついた少女がいつ首を縦に振ってもいいように準備をしていた。
悪魔の一撃から逃れるまではいかなかったが、それでも完全に殺される前に、携帯のコールボタンを押し、神野陰之へと繋げたのだ。
そうして、魔女はこの地に降り立った。携帯を通してここまできたのか、それとも神野が手を加えた黒い卵が彼女を導いたのか――いまとなっては、些末な問題でしかない。
「神野さんの携帯から、向こうの携帯に合い言葉も送れたしね……"裏返しの法典"君との約束を守れて良かった」
「では次は私との契約を果たして貰おうか」
神野はいつものように、嗤いながら宣う。丸眼鏡の奥の双眸が、死にかけの魔女を冷徹に見つめていた。
神野陰之は、魔女の怪我を治さない。
それはアマワとの契約に反することになる。アマワが殺戮を是とする以上、参加者同士でつけ合った傷は治療できない。
参加者を殺すための刻印は無効化されたため、神野自身の手で参加者を直接害することは出来ないが――魔女に関しては、放っておけば死ぬだろう。
「試しはしない。君は、そのために来たのだろう?」
「そう。私は、そのためにここに来た」
白いブラウスの腹部を、鮮血で染めながら。
しかし、それでもなお掠れもせぬ鈴の声音で、魔女は囁く。
「私は魔女・十叶詠子」
挑む者としての名前を唱え、硝子の瞳は神の片鱗を見つめた。
「心の実在。その証明を成すために、やってきたよ」
【002 甲斐氷太 死亡】
【041 クレア 死亡】
【083 零崎人識 死亡】
【098 小早川奈津子 死亡】
【110 美姫 凍結封印】
【114 クリーオウ・エバーラスティン 死亡】
【残り15人】
【041 クレア 死亡】
【083 零崎人識 死亡】
【098 小早川奈津子 死亡】
【110 美姫 凍結封印】
【114 クリーオウ・エバーラスティン 死亡】
【残り15人】
【C-6/マンション1Fロビー/2日目・05:30頃】
【佐山・御言】
[状態]:服がぼろぼろ。
[装備]:閃光手榴弾一個
[道具]:携帯電話*2(内ひとつは血まみれで故障)
[思考]:1.悪役として本気を振るう/2.参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:新庄を要因とする狭心症を克服しました。左掌の貫通創はコミクロンの魔術で治癒されました
[状態]:服がぼろぼろ。
[装備]:閃光手榴弾一個
[道具]:携帯電話*2(内ひとつは血まみれで故障)
[思考]:1.悪役として本気を振るう/2.参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:新庄を要因とする狭心症を克服しました。左掌の貫通創はコミクロンの魔術で治癒されました
【オーフェン】
[状態]:疲労。身体のあちこちに切り傷。
[装備]:牙の塔の紋章×2
[道具]:なし
[思考]:1.クリーオウの落とし前を付けさせる/2.この世界から脱出する
[備考]:アマワに関する情報を得ました。
[状態]:疲労。身体のあちこちに切り傷。
[装備]:牙の塔の紋章×2
[道具]:なし
[思考]:1.クリーオウの落とし前を付けさせる/2.この世界から脱出する
[備考]:アマワに関する情報を得ました。
【C-6/マンション周囲/2日目・05:00頃】
【ダウゲ・ベルガー】
[状態]:不死化(不完全)
[装備]:神鉄如意
[道具]:単二式精燃槽 (フロギストンタンク)三つ
[思考]:1.ダナティアの意思を継ぎ、ゲームから脱出する
[備考]:なし
[状態]:不死化(不完全)
[装備]:神鉄如意
[道具]:単二式精燃槽 (フロギストンタンク)三つ
[思考]:1.ダナティアの意思を継ぎ、ゲームから脱出する
[備考]:なし
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:疲労
[装備]: 内なるナリシア(刀身破断)
[道具]:有機コード
[思考]:1.アマワを倒し、この世界から脱出する
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。
※拡声器は美姫による竜巻に巻き込まれて紛失しました。
[状態]:疲労
[装備]: 内なるナリシア(刀身破断)
[道具]:有機コード
[思考]:1.アマワを倒し、この世界から脱出する
[備考]:刻印の性能に気付いています。ダナティアの放送を妄信していない。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。
※拡声器は美姫による竜巻に巻き込まれて紛失しました。
【火乃香】
[状態]:やや消耗。軽傷。
[装備]:カタナ
[道具]:なし
[思考]:1.アマワを倒し、この世界から脱出する
[備考]:『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。
[状態]:やや消耗。軽傷。
[装備]:カタナ
[道具]:なし
[思考]:1.アマワを倒し、この世界から脱出する
[備考]:『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。
【コミクロン】
[状態]:疲労。軽傷。
[装備]:なし
[道具]:未完成の刻印解除構成式(頭の中)
[思考]:1.アマワを倒し、この世界から脱出する
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。
[状態]:疲労。軽傷。
[装備]:なし
[道具]:未完成の刻印解除構成式(頭の中)
[思考]:1.アマワを倒し、この世界から脱出する
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着ています。
火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。 アマワに関する情報を得ました。
【フリウ・ハリスコー】
[状態]:全身血塗れ。全身打撲。
[装備]:水晶眼(眼帯なし)、右腕と胸部に包帯 スィリー
[道具]:なし
[思考]:アマワを倒す
[備考]:アマワの存在を知覚しました。アマワが黒幕だと思っています。
ウルトプライドが再生するまで約半日かかります。
[状態]:全身血塗れ。全身打撲。
[装備]:水晶眼(眼帯なし)、右腕と胸部に包帯 スィリー
[道具]:なし
[思考]:アマワを倒す
[備考]:アマワの存在を知覚しました。アマワが黒幕だと思っています。
ウルトプライドが再生するまで約半日かかります。
【ギギナ】
[状態]:健康
[装備]:屠竜刀ネレトー。贖罪者マグナス。
[道具]:デイパック(ヒルルカ、咒弾(生体強化系2発分、生体変化系4発分、汎用咒弾大量))
[思考]:1.オーフェン達の脱出に手を貸す
[備考]:傷は全て咒式で治療しました
[状態]:健康
[装備]:屠竜刀ネレトー。贖罪者マグナス。
[道具]:デイパック(ヒルルカ、咒弾(生体強化系2発分、生体変化系4発分、汎用咒弾大量))
[思考]:1.オーフェン達の脱出に手を貸す
[備考]:傷は全て咒式で治療しました
【出雲・覚】
[状態]:倦怠感
[装備]:G-Sp2(コンソール破損)
[道具]:なし
[思考]:1.佐山と共に脱出を目指す
[備考]:左腕の傷はコミクロンの魔術で治療されました
[状態]:倦怠感
[装備]:G-Sp2(コンソール破損)
[道具]:なし
[思考]:1.佐山と共に脱出を目指す
[備考]:左腕の傷はコミクロンの魔術で治療されました
【 蒼い殺戮者 (ブルー・ブレイカー)】
[状態]:少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]: 光の剣
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:1.しずくの為に今は生きる
[状態]:少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]: 光の剣
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:1.しずくの為に今は生きる
【キノ】
[状態]:体中に擦り傷(処置済み/行動に支障はない)
[装備]:懐中電灯/エルメス/カノン(残弾4)
[道具]:師匠の形見のパチンコ
[思考]:最後まで生き残る(人殺しよりも保身を優先)
[備考]:玻璃壇の存在を知りました。
佐山のグループと合流・カノンを除き武装解除されました。武器はマンション内のとある一室に保管されています
[状態]:体中に擦り傷(処置済み/行動に支障はない)
[装備]:懐中電灯/エルメス/カノン(残弾4)
[道具]:師匠の形見のパチンコ
[思考]:最後まで生き残る(人殺しよりも保身を優先)
[備考]:玻璃壇の存在を知りました。
佐山のグループと合流・カノンを除き武装解除されました。武器はマンション内のとある一室に保管されています
【福沢祐巳(カーラ)】
[状態]:食鬼人化
[装備]:サークレット、貫頭衣姿、魔法のワンド 魂砕き
[道具]:ロザリオ、
[思考]:1.佐山の計画に協力し、ロードスを異世界から守護する
[備考]:黒幕の存在を知る。刻印に盗聴機能があるらしいことは知っているが特に調べてはいない。刻印の形状を調べました。
[状態]:食鬼人化
[装備]:サークレット、貫頭衣姿、魔法のワンド 魂砕き
[道具]:ロザリオ、
[思考]:1.佐山の計画に協力し、ロードスを異世界から守護する
[備考]:黒幕の存在を知る。刻印に盗聴機能があるらしいことは知っているが特に調べてはいない。刻印の形状を調べました。
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:ブギーポップの衣装(ぼろぼろ)
[思考]:自動的
[備考]:怪我はコミクロンの魔術で治療されましたが、痛みは残っています。ブギーポップ状態なら問題ありません。
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:ブギーポップの衣装(ぼろぼろ)
[思考]:自動的
[備考]:怪我はコミクロンの魔術で治療されましたが、痛みは残っています。ブギーポップ状態なら問題ありません。
【???/無名の庵/2日目・5:00頃】
【十叶詠子】
[状態]:腹部から流血
[装備]:黒い卵(天人の脱出装置)
[道具]:なし
[思考]:証明の解を
※全員の刻印が解除されました。
※バックパックなどの荷物は、マンションの一室に纏めて保管されています。
※C-6にムキチによる概念空間が展開されました。
[状態]:腹部から流血
[装備]:黒い卵(天人の脱出装置)
[道具]:なし
[思考]:証明の解を
※全員の刻印が解除されました。
※バックパックなどの荷物は、マンションの一室に纏めて保管されています。
※C-6にムキチによる概念空間が展開されました。