A program to revive your relationship with God
CL8-2-1
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第1章:歴史認識のズレ ~「日本の最初の王」は誰か?~
【問答】
問:世界史で日本の最初の王は卑弥呼となります。例えば、社会の授業で神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)を学習する事はありえませんよね。
古事記や日本書紀の内容を日本史だと言ってもだれにも相手にされないでしょうし、そもそも日本の統一がなされるのはずっと後の秀吉の時代です。
そうした史実とは異なる単なる物語を根拠とした男系継承に正統性を見出す事は全く不可能です。
古事記や日本書紀の内容を日本史だと言ってもだれにも相手にされないでしょうし、そもそも日本の統一がなされるのはずっと後の秀吉の時代です。
そうした史実とは異なる単なる物語を根拠とした男系継承に正統性を見出す事は全く不可能です。
答:そのような主張は、「皇統の継続」というシステムの議論において、意図的にゴールポストをずらしていると言わざるを得ません。
卑弥呼や邪馬台国は確かに古代史における重要な研究対象ですが、それは「世界史的観点」や「広域支配の歴史」の枠組みでの話です。日本という国家の核として長きにわたり受け継がれてきた「皇室の正統性」を問う議論とは次元が異なります。
神話や記紀の記述を単なる「物語」として切り捨てたり、日本統一といった、争点になっていない論点を持ち出すのは、日本の皇室そのものの歴史的意義を過小評価する極めて偏った見方です。
卑弥呼や邪馬台国は確かに古代史における重要な研究対象ですが、それは「世界史的観点」や「広域支配の歴史」の枠組みでの話です。日本という国家の核として長きにわたり受け継がれてきた「皇室の正統性」を問う議論とは次元が異なります。
神話や記紀の記述を単なる「物語」として切り捨てたり、日本統一といった、争点になっていない論点を持ち出すのは、日本の皇室そのものの歴史的意義を過小評価する極めて偏った見方です。
【コラム】「歴史の相対化」というレトリックとゴールポストの移動
女系天皇論者がしばしば用いる手法の一つが、「歴史の相対化」です。彼らは、現代の価値観や「世界史」「権力による国土統一」といった別の尺度を持ち出すことで、日本の皇統が持つ独自の重みを意図的に薄めようとします。
例えば、論争において「日本の最初の王は卑弥呼」と主張する背景には、神武天皇から続く継承の歴史を「客観的根拠のない神話」へと貶め、議論の土俵をずらそうとする意図が透けて見えます。しかし、皇統の歴史とは、単なる領土の統一や武力による支配の歴史ではありません。それは、祭祀や精神的な権威としての「正統性」がいかにして守られ、受け継がれてきたかという、他に類を見ない独自のシステムです。
皇統や日本の歴史を男系継承の文脈で語る際、このように「世界史」や「秀吉による統一」などを持ち出してゴールポストを移動させる価値観では、仮に将来的に愛子天皇が実現したとしても、その歴史的意義や重みをどこまで真に理解できるのか甚だしく疑問です。
このような「歴史の相対化」によるレトリックに惑わされることなく、「皇統というシステムの議論」と「一般的な権力闘争・国土支配の歴史」を明確に区別することが、本質的な議論に向けた第一歩となります。
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