窓の外を見ると、地平線の彼方に日が沈むところだった。
空は深い藍色からグラデーションを描き、橙色へと繋がっている。
「……たいくつ」
娘は窓の外を眺めるのにも飽きたらしく、不満そうに言う。
それは俺も同感だった。
カネをケチッて格安航空チケットに飛びついたのがいけなかった。
俺はずっと機内のオーディオを聴きながら雑誌を読んでいたが、音楽はろくなものが無いし、
雑誌も薄っぺらい内容のものばかりだった。
「ねぇ、おとーさん。おと、ならしてみて」
娘はじっと俺の顔を見て言った。
「アイリン、お前いくつになったんだ。あれは赤ん坊をあやすためのもんだぞ。そのイヤフォンで聴いてろ」
俺は取り合わず、雑誌に目を戻す。読むべき記事などありゃしないんだが。
「やだ。つまんないもん。ね、やって! 小さ~いおとでいいから!」
冗談じゃない。
こんな密室で「能力」を使ったら、俺はテロリスト扱いされかねない。
友人の言ったことを間に受けたわけじゃないが、なにしろ飛行機だ。
妻の国に、犯罪人として入国するなんて、まっぴらごめんだった。
「だめだ。つまんないなら、寝てろよ」
「おとーさんがおと、ならしてくれたらねる」
そこで俺は、はたと考えた。
――今、この時間に俺は「音楽を奏でる能力」を使えるのだろうか?
たしか以前に、例のヒルマ博士がそれについて考察していた。
そのレポートをウェブから落としたのだ。
詳しい内容までは覚えていないが、サーカディアンリズムが関係していたように記憶している。
だとすると、それが乱されるとき――例えばまさに今、長時間フライトの飛行機に
乗っている場合――では、“「どちらの『能力』も」十分に発揮出来ない”可能性がある。
時差ボケというのは、サーカディアンリズムの乱れだと聞いた。
リズムを戻すためにメラトニンを服用する人間も多い(俺は薬がキライだから飲まないけどな)。
――ま、飛行機の防犯上はその方が都合がいいだろうな……いて。
娘が、俺の腿をリズミカルにバシバシ叩いている。
「痛えって。おい、今、音楽聞こえたか?」
娘は手を止め、きょとんとした。
「へ? なんにもきこえないよ?」
「そうか、じゃあダメだな。今は音楽鳴らない時間なんだ」
我ながらうまい言い訳だった。今度から、そう言うことにしよう。
「……つまんないの。おとーさん、ついたらぜったい、きかせてよね。やくそくだからね」
「わかったよ。いいから寝ろ」
娘の頭に手を置き、撫でた。
指をちょっと伸ばして、額に触れる。
ほどなく、娘の寝息が聞こえてきた。
――よし。つまり今は、「夜」ってわけだな。少なくとも、俺の身体の中では。
まぁ、ただ単に娘が疲れていただけかもしれないが。
+ + +
娘がまだホントの赤ん坊だった頃。
俺は、夜になると「音楽を奏でる能力」が使えなくなることに気づいていた。
友人に便宜を図ってもらってはいたが、タクシーは夜の仕事も多い。
俺自身も寝不足だったが、そこへもってきて娘の夜泣きが続いた。
「いい子だから、寝てくれよ……」
――でないと、お前を殺しちまうかもしれないぞ。
冷静になって考えればぞっとするようなことだが、当時の俺はそれくらい疲れていた。
祈るような気持ちで、無意識に、娘の額に指をあてていた。
すると、娘はそのまま眠りに落ちた。
やれやれ、という気持ちでその時は俺も床に就いたのだったが、
以来、夜に娘がどうしても寝付かないときは、額に指をあてて念じた。
再現性は十分だった。
その頃から、俺は「能力」に関する本を読み漁り、ウェブで情報を集めだした。
ヒルマ博士を知ったのも、その頃だった。
登場キャラクター
最終更新:2010年06月23日 02:07