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父と娘 > 10


土曜日の昼時のことだった。
外は雨が降っていて、ときおり強い風も吹いていた。

娘は、遊びに行くこともできずリビングのソファで雑誌を読んでいる。
俺は仕事が偶然休みになったため家にいて、昼飯を作っていた。


鍋に湯を沸かし、塩をひとつまみ入れる。
乾燥パスタの束をねじって、バラけさせながら湯に放つ。

俺は口笛を吹きながら、鍋をにらんでレードルを回す。
と、その時、呼び鈴が鳴った。

「アイリン、出てくれ」
「はーい」

娘がインターホンをとる。
「はい、どちら様ですか?」

『Paulo Andersonさん?』
「お父さんですか? ちょっと待ってください」


「お父さん、お客さん」

「俺? ……ちっ、じゃあ鍋見ててくれ。適当なトコで上げてくれよ」
茹でかけのパスタを娘に託し、俺はインターホンに出た。

「はい」
『あ、Paulo Andersonさんですか』
「そうですが」
『州警察のものですがね。二三、お伺いしたいことがありまして』
相手はそこで言葉を切った。

――玄関を開けろ、ということか。 にしても、警察……? スピード違反はやってないはずだが。

俺は玄関扉のpeepholeから相手をたしかめた。

太った中年の、白人の警官がひとり。赤ら顔をして、貧乏揺すりをしながら立っていた。

用心深く扉を開ける。

「はい」
「や、お休みのところすみません。州警察のものですが。
大変失礼ですがミスター・アンダーソン、『能力』の届出はお済みですかね?」


――きたか。

俺は表情を曇らせた。

「能力」を利用した犯罪が増えてきているため、
州法で各自が能力の「届出」をすることが定められたことは知っていた。

しかし、人権団体がこれに猛反発した。

「能力」の中には、人目を憚るようなもの(ex.一瞬で裸になる)や、
プライバシーに関わるもの(ex.性別が変わってしまう)も存在するから、というのがその理由だ。
折衝の結果、届出はあくまで任意。義務ではないものとする、と決まったはずだった。


「届出は義務じゃ――」
そう言いかけた俺の言葉を遮って、
「や、たしかにおっしゃる通り。そうなんですが……
痛くもない腹を、探られたくないでしょう? ミスター・アンダーソン」

おそらくこの手のやりとりを何度もしてきたのだろう、
警官は『お前の能書きは聞き飽きた』とばかりに、わけ知り顔で続ける。

「届出がされてない、ってだけで、何かコトが起きたときに、疑われちまうわけですよ。
そんなの誰だってイヤですよねぇ。娘さんだって、パパが疑われてたら、学校生活も楽しくないでしょうしねぇ」


――娘は関係ないだろ。大きなお世話だ。

俺は内心ムッと来ていたが、警官は俺を犯罪者予備軍のように決め付け、
くれぐれも早急に届出をするように、と「通達」して、去っていったのだった。


「けっ。塩でもまいてやろうか」
毒づきながら、キッチンに戻った。


+ + +


「芯があるよ」

パスタを頬張りながら、娘が言う。

「湯から上げるのが早すぎたんだ。まぁ、茹で過ぎちまうよりマシだ」

――パスタを茹でている時に電話がかかってくる話があったな……あれは、茹で過ぎてしまったんだったか。

「おかしいなぁ……前やったときは、ちゃんとできたのに」
「まだまだアマいな、Airin Andersonくん」
「その呼ばれ方、なんか慣れない。さっき、一瞬『誰?』って思っちゃった」

Anderson姓は、俺の苗字(ファミリーネーム)だ。
この国――俺の祖国だが――にいるときは、俺も娘もこの姓を名乗っている。

「じゃ、『薙澤』は?」
パスタの芯を噛みしめながら、尋ねる。

「漢字、書けないもん」
「たしかにな。俺も上手く書けんww 学校じゃ、なんて呼ばれてるんだ?」
「アイリン。家でも学校でも、ファミリーネーム呼ばれることなんて無いもん。
――ね、それってお母さんのほうのファミリーネームなんでしょ」

「ああ」
「お父さんとお母さん、どうやって知り合ったの?」
娘は目をキラキラさせて、俺をじっと見る。

「スパゲッティを食べ終わったら、話してやらないでもない」
「あん、もう。絶対だよ!」
そうして、止めていたフォークを再び動かす。


――ちょうどいい。俺も、娘に話すことがある。


+ + +


「ごちそうさま! ねえねえ、お母さんって、美人だった?」
皿をキッチンに下げながら、娘が尋ねる。

「前に母さんの実家に行ったときに、志乃さんに会っただろ。よく似ている」
「ふーん……。ね、写真とか無いの?」
「写真か……」

多分、写真はほとんど残っていない。
俺も妻もあまり写真を撮ることに熱心じゃなかったし、
あったとしても、俺たちが住んでいたアパートがあの隕石のせいで潰れてしまったのだから。


「あ、そうだ」
俺は、娘の「能力」を試してみようと思った。
「なに?」

「アイリン、ちょっと台所に行ってみろ。そこで何が聴こえるか、俺に教えてくれ」
「……? わかった」

すぐに娘は戻ってきた。
「聴こえたよ。どうしたらいい?」
「音を出さずに、俺にそれを教えてくれ」

「ん……」
娘は目を閉じ、手を胸の前でゆるく組む。

俺の頭の中に、さっきスパゲッティを茹でながら口笛で吹いたメロディが再生された。

――よし。だいぶ使えるようになってきたな。


「アイリン、それがおまえの『能力』なんだ」
「なんか、つまんないな。お父さんみたいに、音楽を鳴らすわけじゃないんだもん」
「そうか。じゃ、次はこれだ。何が聴こえるか」

俺は、ネクタイを渡した。それから財布、定期入れ、キーホルダー……


+ + +


夜になり、風はますます強さを増していた。猛獣がうなっているような、太く低い音だった。

俺はリビングでCDをかけながら、オンザロックを飲んでいた。

「……お父さん」
娘がパジャマ姿で、そろりとリビングに入ってきた。

「どうした、眠れないのか」
「なんか風の音が怖くて。もっと楽しい音で吹いてくれたらいいのに」

夜中なので、当然だが俺の「音を操る能力」は使えない。娘の「音を拾って再生する能力」も同様だ。


「あ、ずるい。なんか飲んでる。あたしも飲みたい」
「ダメだ、ウィスキーだぞ。ミルクで我慢しろ、温めてやる」
俺はキッチンに立ち、娘は毛布をマントのようにまとってソファに座った。


リビングは、間接照明の電球が暖かな光でぼんやりと照らされている。
CDが、静かな音量で部屋を満たしている。


マグカップをテーブルに置くと、娘が言った。
「このCD、みんな今日聴いた曲ばっかり。どうして?」

「それはな……あの頃の俺たちには、これがすべてだったからだ」


+ + +


俺は、きっと軽く酔っていたんだろう。
娘に、というより、妻――麻衣子に、話すような調子で、喋っていた。

「昼間に見せたものは、麻衣子が俺に贈ってくれたものだ」

俺は傍らに置いていたスティックを取り出し、くるくる回してみた。

「このCDはな。
俺が参加していたコンボでレコーディングしたやつから、麻衣子が好きだった曲ばかり集めたものだ。
俺と麻衣子がまだ恋人……にもなってない頃。俺はあいつの気を引きたくて、
あいつが好きだといった曲を、片っ端から演奏しようとしてた」

娘は毛布をかぶり、マグカップを両手で持って、じっと俺を見つめている。

――今思うと、キザだし、青いよなぁ。 ふふ、これも“chuuni-byo”ってやつなのかな?

「アイリン、お前の『能力』は、思い出のサウンドトラックみたいなもんだな。
何かを思い出すとき、そこに流れていた音楽も一緒に思い出す。
あるいは音楽を聞いたとき、それがよく流れていた当時のことを鮮明に思い出す」

俺はロックグラスをカランと振って、口を湿した。
「お前は、ひとの思い出を、音楽という形で受け取ることができる。
またそれを、他の人に届けることができるんだ。
これは、すごいことだぜ」


娘の目が、とろんとしている。俺も欠伸が出てきた。

「さあ、もう寝よう。明日には、風もおさまってるだろう」

俺は電球を消して、娘を促し寝室に向かった。

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最終更新:2010年07月08日 03:29
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