父と娘 > 4


「わぁ、まっしろ! おとーさん、雪だよ!」

空港に降り立つと、冷たい風が頬を切った。
娘はタラップを降りると、目を丸くしてきょろきょろしている。

滑走路のまわりは雪で覆われていた。
多彩な四季が訪れるこの国の、2月らしい光景だった。


空港のロビーで電話をいれ、バスに乗った。
前に来たのは三回忌の時だから、4年ぶりになる。
一日に5本しか無いバスは、前に来た時と変わらず、時刻表から10分ほど遅れてやってきた。


バス停を降りて雪道を歩き、目的の家の前で、呼び鈴を鳴らす。
ほどなく、着物を着た初老の婦人が出てきた。

「遠いところを、大変でしたわね」
「お久しぶりです。ご無沙汰しておりました」
俺は頭を下げた。そして傍らにいた娘に、挨拶しろ、と促す。

「こんにちは、おばあちゃん」
「アイリンちゃん、大きくなったわね」
婦人が目を細める。


家の一室に通され、しばし待つ。
すぐに車が来ますから、という婦人の言葉通り、ほどなくクラクションが聞こえた。


墓のある寺に向かい、数人の親族とともに本堂に集まる。
僧侶の読経を聞き、続いて説話を聞く。

娘が居眠りすれば小突いて起こし、あくびをするとたしなめ、
足がしびれたといえばうまい正座の仕方を教えてやった。

そうこうしているうちに法事は形式的に終わり、俺たちは寺をあとにした。


ここは、この国でも保守的な田舎町だ。

金髪碧眼の外国人は、それだけで忌避される対象になる。
親族(厳密に言えば姻族だ)といえど、よそ者にかわりはない。

この国での長い生活で、俺はこうした付き合いの類をやんわり断る術を身につけ、また断ることに決めていた。
たとえ誘ってくれたとしても、それは形式的なことに過ぎない。
俺が、この国の言葉を十分に話せないと思っている人も、いまだに多いのだ。



俺と娘は、婦人とともに家に戻った。
そしてバスが来るまでの間、はじめに通された部屋で待っていた。

「……たいくつ」
畳の上で、娘はつぶやいた。

なにしろ、バスは1日に5本しか無いのだ。
少なくともあと30分はここで時間を潰さなくてはならない。


さっきまでは婦人が、娘と遊んでいてくれていた。
娘は夢中で、家での生活や学校であったことなどを話し、婦人は嬉しそうにそれを聞いていた。

――麻衣子が生きていたなら、こんな光景が当たり前のように見られたかもしれない。

婦人の穏やかな笑みや上品な声は、妻のそれをいやでも思い出させる。


+ + +


「おとーさん。ついたら、音楽きかせてくれるってやくそくだよ? はやくきかせてよ」
婦人が部屋を出て行ってしまい、やることが無くなった娘は、畳にごろごろ転がりながら、うらめしそうに俺を見る。

日は高い。あたりは誰もいない。
言い訳する要素が無い。

――仕方ねぇな。

俺は目を閉じ、耳に意識を集中させた。
どうせ何にも聞こえない、そう思っていた。


雪は、音を吸収する。
そのため、雪が降り始めると辺りは静寂に包まれる。
昔、妻に聞いた話だ。


しかし、いざ耳を澄ますと、かすかに、音は聞こえた。
葉ずれの音とか鳥の鳴き声とか、音源が特定できるものではない。

何が鳴っているのか分からないが、かすかに、けれどたしかに、音は聞こえるのだった。


その透明感のある音を紡いで、俺はメロディを綴った。
素朴で、どこか哀愁を含んだメロディだ。


奏でながら、俺は別の事を考えていた。


――俺は、このまま娘を一人で養っていけるのだろうか?

  俺は男親で、女親の代わりはできない。

  娘も、これから成長していくにつれ女同士だから話せることがたくさん出てくるだろう。

  それは、娘にとって不利益なことじゃないのか?

  娘は……志乃さんのもとにいる方が、いいんじゃないのか?

  志乃さんも、麻衣子の分までアイリンを愛してくれるだろう。

  俺はときどき、会いに来ればいいんじゃないか……



どれくらいそうしていただろう。

メロディに人の声が少しずつ混ざり、はっきりと聞き取れるようになった頃、
障子が開いて、志乃さんが姿を表した。

「ごめんなさい。懐かしいから、つい口ずさんでしまったわ」

すでに眠ってしまった娘に薄掛けをかけてやりながら、俺に訊ねた。

「パウロさん、この唄……ご存知なのね」


――知らない。

俺は、このメロディを知らない。
無意識に出てきたのだ。


「この唄、あの子が好きだったの。ちょうど今のアイリンくらいの頃、しょっちゅう唄ってたわ」
遠くを見るような目で、志乃さんは続けた。

「ほんとに大きくなったわ。歳はとるものね」
娘を撫でながら、俺を見る。

「言葉も、とっても自然だわ。逆に、あちらの言葉をちゃんと話せているのか、心配になっちゃう」

「子供のほうが、言葉の順応が早いです。家と学校と、二ヶ国語を自然に使い分けていますよ」


志乃さんを見て、はっきりと確信する。

麻衣子は母親似だ。
そしてアイリンもまた、母親である麻衣子の貌の特徴を備えていた。


俺は、考えていた事を切り出した。

「志乃さん。あの、厚かましいお願いなんですが」

なに? と目だけで言い、微笑む。

「今晩、こいつを泊めていただけませんか」


彼女にしてみればアイリンは、孫娘であり、麻衣子の忘れ形見だ。
今夜は水入らずで過ごしてもらいたい。


ところが彼女は、
「あなたも一緒に、泊まっていかれればよろしいのに。てっきりそのつもりで、準備してましたのよ」
といって穏やかに微笑んだ。

俺はもともと、駅の近くのビジネスホテルを取っていた。
そういって辞退しようとした矢先、

「……おとーさん」
娘がいつの間にか目を覚まして、俺のシャツをひっぱった。

ほらごらんなさい、と婦人はいたずらっぽい笑みを浮かべたあと、娘に向かって言った。

「大丈夫よ。二人とも、今夜はうちにお泊まりなさいな。お刺身もたくさんあるわよ」
「やった! おとーさん、おさしみ!」
娘が起き上がって、俺の腿をバシバシ叩いた。


+ + +


結局俺は、娘と共に妻の実家に泊めてもらった。

翌日、朝食を食べながらテレビを見ていると、聞き覚えのある名前が耳に入った。

テレビには、まさに俺が予約を取っていたホテルが映し出されていた。


「……俺たちが、泊まる予定だったホテルだ」

駅の近くのビジネスホテルの従業員と宿泊客数人が、野犬に襲われたという。
もしも婦人のすすめを断ってホテルに泊まっていたら、俺が襲われていたかもしれない。

「まぁ。……虫が、報せたのね」
婦人が、静かにつぶやいた。

「むしが、しらせた?」
娘が尋ねる。

「なんだか悪いことが起こりそう、って予感がすることよ」
婦人の説明を、娘は不思議そうに聞いていた。


「志乃さん、『鑑定士』って、ご存知です?」

「ええ。例の『能力』の内容を教えて下さるらしいわね。こんな田舎町にも、案内のビラがきましたわ」

「けっこう受けている人、いるんでしょうか」

「若い人達はみんな受けているみたいですわ。わたしはもうこんな歳だし、なんだか怖くって」
そういって苦笑いした。


+ + +


昼過ぎに、妻の実家を出た。

出かけ間際、志乃さんはアイリンを抱きしめた。
そして頭を撫でながら、
「アイリンちゃん。お父さんのもとを離れちゃダメよ」
と言った。

娘はきょとんとしていたが、うん! と大きな声で答えた。

それを見て微笑む志乃さんの眼が、かすかにうるんで見えた。



バスに乗り、駅に向かう。
駅で特急列車を待つ間、俺は、朝食の時の「虫の報せ」について、志乃さんが俺に言った時の会話を思い出していた。


(こういうのも、『能力』なのかしらね?)
志乃さんの問いかけに、俺は返答に詰まった。

彼女は虚空を見つめながら続けた。

(昔は、歳をとれば誰でも不思議な力を発揮したわ。
 村の[[おじいちゃん]]はどんな機械でも直してしまったし、おばあちゃんの手にかかれば、どんな料理でも美味しくなった)

俺は、ガキの頃の記憶を辿る。思い当たることはたくさんあった。

それは、能力というよりは、経験則という方が正しいのだろう。

しかし、たしかにそれは、子供のみならず年若のものからすれば、魔法のように魅力的なものだった。


最近、世間を賑わせている例の能力――「バッフ」とか「エグザ」とか呼ばれる――は、果たしてどうか。
俺の頭の中には、「cheat(イカサマ)」という単語が、思い浮かんでいた。


志乃さんは、自分がどのような『能力』があるのか、知らないし知りたくもないと言う。

(きっとわたしにもなにかの『能力』が備わっているのかもしれないけれど……
でも、そんな『能力』が無くとも、人は今まで幸せに暮らしてこられたでしょう?)

古くさい考えかしら、といって笑っていたが、その表情は翳っていたように見えた。

その意見については、俺も同感だ。

俺は自分の能力を、麻衣子や志乃さんが貸してくれた「助け舟」だと思うようになっていた。
不器用な男が、ひとりで娘を育てるための。

だから俺は、自分の能力を、他人を傷つける目的では、絶対に使いたくない。

娘の能力がどういうものかは、わからない。

しかし、娘にも、能力をそういう目的で使ってほしくない。

そのために、鑑定を受けよう。

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最終更新:2010年07月06日 23:36
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