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父と娘 > 9


「ふうむ……」

画面右のスクロールバーが一番下へ来ても、俺はまだディスプレイの文字列を眺めていた。


俺が見ていたのは、とあるサイトだ。

「能力」の研究者、シンヤ=ヒルマ博士の講義のサマリーを、訳してアップロードしている。
3日前、新たな講義内容がアップされた。その内容の中で、気になるワードがあった。

‘Chuuni-byo’ symptom。

病名の由来はいまひとつ分からないが、若い時分に根拠のない全能感や、いわれのない疎外感から、
特異な行動をとってしまうというのは、理解できる。

それが妙な宗教団体や悪魔信仰などに繋がってしまうと、高校で銃を乱射するイカれた連中が出来上がる。


悪魔信仰といえば、あいつだ。

俺は、妻の墓参りを済ませて帰国する空港に向かう途中、電車内で出会った奇妙な少女を思い出した。


+ + +


空港へ向かう電車は混んでいた。
人と人とが、ありえないくらいに密着していた。

俺は、娘が窒息してしまいやしないかと心配になり、娘を抱きよせておこうかと思った。

しかし、腕は既に他の人々に挟まれて容易に抜けない。俺は身体の向きを変えて、腕を抜こうと動かした。


ようやく駅につき、文字通り吐き出されるように電車を降りた時だ。

「ちょっと、貴方」

あきらかに敵意を持った、鋭い声が背後から聞こえた。

振り返ると、そこには……


腰までありそうな、長くまっすぐな黒髪。
中世ヨーロッパを思わせる、ゴシック風の真っ黒なドレスに身を包んだ少女が、
怒気を漲らせた眼で俺たちを睨みつけていた。

「この私の身体に、許可もなく触れておきながら、素知らぬふりを通そうなど……身の程知らずも甚だしいわね」

「?」
状況が、よく飲み込めない。

わかっているのは、どうやらこの、メタルバンドのライブに来るような黒魔術めいた格好をした少女が、
俺に対して怒っていて、抗議をしているらしい、ということだけだ。

「ただ触れただけなら、まだ罰を与えて許してあげることも出来たわ。
けれど……あのような、卑劣極まりない行為など、到底許すことは出来ないわ」

少女は、なぜだか頬を赤らめながら、語気を強める。

「その女の子は何? その子にも、どこぞの語学学校の教師のように、淫らな行為をするつもり?」

そこで初めて、俺は何となく理解しだした。

どうやら、さっきの電車内で、俺は痴漢だと思われたらしい。

混み合った中で、もぞもぞ動いたのが良くなかったんだな。

――誤解を解かなきゃいけない。

「俺は何もしてないし、こいつは俺の娘だ! なんで親子連れが、ロリコン呼ばわりされなきゃならない?」
そう反論したが、少女は聞く耳を持たない。

「毛唐の分際で、この私を愚弄しようなど……見くびられたものね」

――毛唐、ときたか。
これには、俺もカチンときた。

けれど、相手は子供だ。見たところ、小学校高学年くらいか。

「おい、ちょっと待て……」
俺は苛立ちをおさえながら、抗議しようとした。

しかし少女は眼を伏せ、呪詛のごとく呟いている。

「痴漢、盗撮、幼女性愛者……、生きている価値など微塵もない。すべて地球上から抹殺すべき存在だわ」

少女は拳を握って親指を立て、

「【天導者の詩-エコーズ・オブ・フォールン】で、煉獄を彷徨うのがふさわしい」
首の前をゆっくり横に引き、逆さにして突き立てた。


すると突然、黒板を引っ掻いているような不快な音が、大音量で耳の奥にぶち込まれた。

「うぐぁっ!?」

思わず両手で耳を塞ぐ。
音はますます強くなる。
苦痛のあまり目をつぶる。

鼓膜の内側を、アイスピックで掻き回されているようだ。

俺はとっさに、娘を抱きよせた。
娘は怯えた表情をしていたが、すぐに耳を押さえて顔を歪めた。


――Fuck off!

俺は左手を空に掲げ、手で音を集める。


あたりに、テレビの砂嵐画面のような「サー」とした音が響き始める。

ある程度音量が上がったところで、不快音がかき消され、俺はどうにか正気を取り戻した。


娘を見、大丈夫か? と眼で尋ねる。

娘はべそをかきながらも、こく、とうなずいた。


「……? 【天導者の詩-エコーズ・オブ・フォールン】が、通じないというの?」

少女は訝しげに俺を見た。

「その格好に、“echoes of fallen”かい。俺は、ヘヴィメタルは苦手なんだ」

俺はそう言い捨てると、娘の手を引いて足早にその場を去った。


+ + +



ホワイトノイズ。

すべての可聴帯で、同じ強さの音(波長)を発する音。
雑音をかき消す効果があるため、コンサート会場などで、PAのテスト等に使われる。

自然界に存在する音からホワイトノイズを作り出せたことは、幸運というほかない。
次に同じような目に遭ったとき、同じ手は通用しないだろう。

しかし、奇妙なことだ。

あの少女の「音の攻撃」を受けている間、周囲の人々はなにごとも無かったかのようにしていた。

おそらく、あの「雑音」はひとの意識にダイレクトに届くものであって、耳栓とかそういうもので防げるシロモノじゃない。

つまり、いくら俺の「能力」でかき消そうとしても、意味が無いのだ……
ひとの意識に直接、音(ホワイトノイズ)を送りこめる能力者がいないと。



となると……
やはり、鑑定の結果を認めざるを得ない。

娘の能力は、俺と同じように音を操るが、俺のそれとは似ていて非なるものだ。



  ――昼の能力
  【半意識性】【操作型】
  その場に存在した音を再生し、対象に送り込む能力



サイコメトリーという能力があるが、娘の「能力」はそれに似ているかもしれない。

娘は、モノや場所に記憶されている音(音列)を、ひとの意識内に再生させる能力のようだ。


妻の実家で俺が、知るはずの無いメロディ――妻が子供の頃好きだった曲――を奏でることができたのは、
娘が、無意識にそのメロディを俺の「頭の中」へ「再生」させたためだろう。

あの少女の能力、“echoes of fallen”――言うのもこっぱずかしいが――をかき消すことができたのは、
俺が発したホワイトノイズを、娘が「拾って」、俺の頭に「再生」させたためだろう。


【半意識型】とあるのは、まだ娘がこの能力を十分制御しきれていないからだろうか。
……このあたりは、ヒルマ博士くらいでないと分からない。
今度、メールで質問してみよう。



ともあれ、痴漢冤罪と難聴になるのは回避できたわけだが……
三回忌の時といい、帰国間際になにかしらトラブルが起きるのは、勘弁してもらいたい。

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最終更新:2010年07月08日 03:21
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