本来はユリアとミオの二人を最後までいちゃいちゃねとねとさせるはずなのが、「六号」試作機の話だけで終わってしまった。それでも次で二人の濡れ場であると思えば、ようやくここまで来たという感がある。「六号」がどれだけ強力な機体なのかは、そのうち描かれる事になるであろう。
「貴様には失望した」
「お待ちください! 現時点で動物実験には成功しています。あとは実際に人体で試験を行って実証すれば、実用化できる段階に達しているのです!」
窓から差す逆光を背に両手の指を組み合わせて顔の前に持ってきているキュリロス機甲総監は、「六号」設計主任の必死の弁解にも耳を貸した様子を見せなかった。そんな彼に代わって、左後ろに立っていた白髪の老人が口を開いた。
「報告書では、最初の実験で被験者の脳髄を焼き廃人にしかけたそうだね。確かに人間の脳髄は普段その機能の三割ほどしか使用していない。しかしそれは、常時全力で機能していては、疲労による障害で機能の低下を招くからに過ぎない。余力を大きめにとっておくからこそ、人間は環境の変化から学習し、とっさの事態に対応できるのだよ。それは身体機能も同様だ。君の発案に見るところはあるが、しかし、人間という一個の機能に対する理解は必要十分なものではなかった、という事だ」
「身体強化機構の使用はあくまで戦闘のためのものであって、短時間の稼動が前提なのです! 別に搭乗時間の全ての時間、稼動させるつもりはありません! 確かに試作機では脳機能の全てを勃起させました。ですが改良された機構では脳機能の三分の一以上を余力として残すように調整してあります!」
「人間の身体機能を強制的に勃起させたとしても、それだけではその人間の能力の向上にはつながらんよ。人間はあくまで経験から学ぶ動物だ。蓄積された経験に応じて刻一刻と変化する環境に対して適応してゆく、双方向系の情報の構造体であるのだ」
そこまで語ってから老人は、口を閉じると視線左側へと向けた。設計主任がそれにつられて視線を動かすと、そこにはいつの間にか、紺色で詰襟の身体の線の出る上下を着た、金色の少し癖のある髪をうなじのあたりでまとめた色黒で長身の女性が立っていた。彼女は、その青い瞳に冷たい軽蔑の色を浮かべつつ、彼のことを見つめている。
「紹介しよう。イル・タルテソシア導師だ。君の開発した機構の問題点の改善について、彼女から助言を受けたまえ。これは言わずのものがだが、彼女言葉は総監の言葉と同じように尊重して欲しい」
「導師イル・タルテソシアです。私の専門は認識と認知です」
あくまで感情の篭っていない声で事務的に挨拶をしたイル・タルテソシア導師は、左手をすっと宙を撫でるようにすべらせ、複数の書類を浮かび上がらせた。
「強化装置の脳活動への干渉機構についてですが、不意勃起による衝撃によって機能不全が発生する可能性が高いと判断せざるを得ません。特に身体認識系への干渉によって機能維持に障害が発生する以上、生命として身体が複雑な系をもって成立している人体に対してそれは致命的と言えるでしょう」
次々と書類を浮かべ、それを視線だけで追うイル・タルテソシア導師は、淡々と設計主任の設計した強化装置に対してコメントしてゆく。
その言葉に彼は、まるで死人のような白蝋のごとき顔色となって、震えつつうめくばかりである。
「前回の人体実験で被験者の身体に機能障害が発生しつつも、その障害が後遺症として残らなかったのは、幸運にも彼女が魔導的に魔術と極めて親和性が高い素質を持っていたからだけです。一般的な身体の人間に対して同じ実験を行っていたならば、確実に機能障害とその後遺症によって廃人になっていたと判断せざるを得ません」
「これが総監部側の結論だ。現時刻をもって身体強化機構の開発者責任者をイル・タルテソシア導師に移行する。以後の指示は彼女から受けるように。以上だ」
キュリロス総監の言葉に魂魄の抜けたような様子になった設計主任は、白髪の老人から手渡された新しい仕様要求書を両手で抱えたまま、ふらふらと部屋を出て行った。
それを無表情のまま見送ったイル・タルテソシア導師は、ゆっくりと身体ごと老人に向かい直り、わずかに感情の混じった声で質問した。
「一応、先生の仰る通りの機構をまとめてみましたが、あれでよろしかったのでしょうか? 前にも申し上げましたが、私は理論研究者であって、実装は専門外です。正直この資料を見る限りでは、彼は技術者としてそこまで優秀とは判断しかねますが」
「構わんよ、イル・タルテソシア導師。これが並人の今の時点での技術の限界なのだ。古人、それも八相に達した導師だけが理解し、実装できる機構では、軍事用途には使えんのだ」
「はい、先生」
まだ承服しかねる思いを声色ににじませたまま、イル・タルテソシア導師は肯き返した。
そんな彼女に視線を向け、わずかに微笑んだ老人は、キュリロス総監の執務机の上に置かれていた書類挟みを手に取った。
「脳機能の潜在能力を勃起させるのではなく、装置側で脳の認知と判断の処理を補助し、反応速度を向上させる。同時に脳と身体の双方向でやりとりされる感覚情報も、装置側で伝達を補助しその循環系の処理情報量を増大させる。あくまで「六号」搭乗者に要求されるのは、その脳髄による判断のみだ。私が見る限り、何の問題も無いように思えるがね?」
「評価頂き、ありがとうございます。機装甲とはあくまで類感魔術によって動作する義体である、という理解の元での仕様ですので、どうしても元の身体全体に対しての補助が必要になってしまい、機構そのものが複雑化してしまうのが気になりました」
淡々を受け答えをしているように見えるイル・タルテソシア導師であったが、その青い瞳に浮かぶのは、何かすがるような試すような揺らめく感情であった。
「一応、機体操作と身体認知に齟齬が出た場合、身体認知を優先させる形で安全措置を施しておりますが、それが搭乗者と機体の同調を強制的に切断してしまいかねません。軍事用途で使用するのであれば、それは致命的な欠陥となるように考えられますが」
「それはおいおい機構の完成度を高めてゆくしかないだろうね。最初から完璧なものを求めても仕方が無い。技術とは無数の試行錯誤の積み重ねの上に成果がおとずれるものだよ。……これは、随分と前にも言ったかな? 年をとると言葉がくどくなっていかんな」
「いえ。先生の仰る通りですから」
苦い笑いを浮かべた老人に、イル・タルテソシア導師は、わずかに微笑んで一礼した。
蒼い空にぽつぽつと雲が浮かび、風に流れて行く。それを見上げつつユリア・グラミネア騎士長は全身を柔軟体操でほぐしていた。
機装甲に乗っている間は、類感魔術によって機体を自らの身体と認識して活動することになる。だがその間も本来の肉体は、機装甲の操縦槽の中で揺さぶられ振り回されている。機体が倒れれば中の人間も操縦槽内のどこかに叩きつけられる。そうなった時に最小限の怪我で済ませるには、普段から全身を柔らかくしておく必要があった。
グラミネア騎士長は、これまで撃破された事は一度しかないが、それ以外にも何度も機体に損傷を負い怪我をしたことがある。それでも今に残るような大きな傷を負わなかったのは、身体を柔らかくしておき受ける衝撃を全身に逃がす事ができていたからにほかならない。
一通り全身をほぐしたグラミネア騎士長が彼女の「黒の二」を待機させてある格納庫へと歩を向けたところ、開発実験隊長に呼び出されることとなった。
出頭するようにと伝えてきた従卒に一言「御苦労」と声をかけ、急ぎ足で隊長のもとへと向かう。かの白髪の男のことを彼女は決して好いても信用してもいなかったが、だからといって軍人としての義務をおろそかにするつもりはない。それは彼女の矜持に反する事である。
「グラミネア騎士長、入ります」
「入れ」
開発実験隊長は、相変わらず陰惨な雰囲気を漂わせ、そして顔に刻まれた皺が深かった。その彼がどこか浮ついているように見えたのは、グラミネア騎士長にとっては微妙な違和感があった。
「「六号」試作一号機が組みあがった。貴官を搭乗者として起動試験を行う。第五号格納庫へ向かうように。何か質問は?」
「……前回、実験を行ったあの機械は搭載されているのでしょうか?」
「前回実験を行ったものとは、全く別の器材が搭載されている。こちらは別に人体実験を終えており、実用に耐えうると判断された。他には?」
「試験機と試験の詳細についての説明は?」
「実機を前にして、開発者が行う。他には」
「はい。ありません。これより第五号格納庫へ向かいます」
あくまで無表情を保ったまま開発開発隊長に敬礼すると、グラミネア騎士長は、回れ右をし足早に部屋を出て行った。
第五号格納庫でユリア・グラミネア騎士長が見た「六号」試作一号機の第一印象は、随分と華奢な機体だな、というものであった。全身の間接の動きを邪魔しないように、いくつもの装甲を空間的に余裕をとってくみ上げられている「黒の二」と比較するならば、いっそ頼りないと思えるほどである。
「この「六号」試作機の外装は暫定的なものです」
そうぼそぼそと述べた設計主任は、前に会った時よりもはるかに頭髪が後退しており、そして白髪と皺が増えていた。一言でいうならば、心労で老けたという印象を受ける。
「とりあえずこの機体は、いかに人間の動きを忠実に再現するか、いかに反応速度を早めるか、それに注力しています」
「質問をよろしいでしょうか?」
「なんです」
「この機体は、戦闘を念頭に置いてはいないという事でしょうか?」
これは、グラミネア騎士長にとっては重要な意味を持つ。もしこの機体が単なる巨大な人型に過ぎないのであるならば、わざわざ彼女が搭乗する意味は無いように思えたのだ。つまり、この機体を駆って己の戦技をどこまで発揮できるか試せないのであれば、わざわざ自分を乗せる必要はないのではないか。
「この機体に貴官に搭乗してもらうのは、搭載されている反応速度加速装置が、魔導に覚醒している人間を前提に調整されているからです」
「了解いたしました。機体を操縦する上で注意事項はありますでしょうか?」
「計算上は並人の身体能力では破損しない程度の強度を確保してあります。まずは歩行から始めて慣らし運転から入るようにしてください」
この男に何があったのかは判らないが、随分と性格が丸くなった様子である。これまでの彼とはまるで別人のような有様であった。
グラミネア騎士長は「六号」試作機の仮面を受け取ると、背中で開かれている搭乗口から中に滑り込んで着座し、甲蓋を閉じた。座鞍に腰を落ち着けると、両足を足踏板に固定し、両手で操縦桿を握る。肘を固定台の上に乗せ、腰の位置をわずかにずらしてから、操縦桿から離した手で背もたれの位置を調整し、仮面を装着し、再度両手で操縦桿を握った。
ゆっくりと呼吸を整え、意識を落ち着かせ、心を機体に向かって開く。この「六号」試作機は、まさに生まれたばかりの赤子も同然である。機体の意識の気配を探り、優しく穏やかな気持ちを保って、自らの意識をそっと寄り添わせる。機体の意識は、吸い寄せられるようにグラミネア騎士長のそれに近づき、交じり合い、その体を彼女に預けてきた。
「「六号」試作一号機、起動成功しました」
自らと機体の意識が一体化したことを確認したグラミネア騎士長は、務めて平静な声で機体に自分が受け入れられた事を報告した。
続いて機体を整備架台から立ち上がらせ、両足でしっかりと床を踏みしめる。ここで失敗すると機体にコケ癖がつきかねないので、気を遣って丁寧に動かすことに専念する。操ってみてすぐに、この「六号」試作機の反応の素直さに感心した。確かに人格的に難のある人物とはいえ、開発主任は「六号」計画を任せられるだけの事はある工部であったようだ。グラミネア騎士長は「アトレータ・トリニタス」に搭乗した経験は無いが、その機体の身のこなしの素早さと滑らかさは見知っていた。確かにこの操縦特性ならば、それも納得がいくというものである。
「六号」試作一号機をゆっくりと歩行させ格納庫の外へと歩いている途中、グラミネア騎士長は、違和感のようなものを感じていた。機体の周囲の動きが妙にゆっくりとしているように見えるのだ。だが彼女は、その違和感は違和感としてそのままにしておき、まずは機体を格納庫の外へと出す事に専念することにした。
もう随分と前に乗った訓練用の機卒を歩かせた時のように、両手でバランスをとりつつ一歩一歩両足で地面を踏みしめつつ前へと歩いてゆく。機体に装着されている装甲は、転倒時に各関節を防護するためのものであり、機体を動かす邪魔にはならない。
日差しの中に歩み出た「六号」試作機は、格納庫前の広場の中央で一度立ち止まった。そして、まずはゆっくりと両手を前に上げ、前方にまっすぐ突き出す。そして肘を肩の高さに保ったまま曲げ、手を胸の前までもってきて掌を合わせる。合わせた掌をそのままに、今度は両腕を頭上へと持ち上げ、まっすぐ頭頂の上まで伸ばした。
次に、掌を離して両腕を伸ばしたまま左右へと下ろしてゆき、両肩の高さまで下げたところで一度止める。今度は、両足をゆっくりと左右へと広げてゆき、肩幅よりも少し開いたところで足を止めた。そして、つま先に力を籠めるようにしてまっすぐゆっくりと腰を下ろしてゆき、太ももが地面と水平になったところで止める。続いて、左右に伸ばしていた両腕を機体の前へとゆっくりと滑らせてゆき、それと同時につま先と膝に力を籠めて腰の位置を動かし、バランスをとった。
両腕が機体の前方に向けられた時、一度機体をそのまま静止させ、それからゆっくりと膝を伸ばしまっすぐ腰を上げてゆく。脚がまっすぐ伸びきったところで、両腕を腰の辺りの自然な位置へと下ろした。
一連の動作をこなしたグラミネア騎士長は、ゆっくりと時間をかけて息を吐いてから、賛嘆の声を漏らした。
これまで彼女が乗ったいかなる機装甲よりも、この「六号」試作機は、機体は軽く速く、動きは滑らかで柔らかく、そしてバランスをとりやすかった。意図してゆっくりと動かしたが、関節はたわめられたバネの様に弾み、わずかな力加減にも反応してくる。
今彼女が搭乗しているのは魔導仕様の「黒の二」であるが、その分厚い装甲のためのみならず、元々の機体の仕様のせいか、重たい機体を有余る魔力とパワーで動かしているところがあった。そういう意味では、まさに骨太で筋肉質の男性的な機体であると評価してもよい。だがこの「六号」試作機は、全身がバネとなって弾けるように動くのである。この機体ならば、人が長きに渡って鍛え、洗練させてきたいかなる武術であっても再現できるのではないだろうか。
グラミネア騎士長は、黒騎士達の間ではもっぱら弓使いとして知られている。それは確かに事実であったし、実際戦場で討ち取った機装甲の大半は弓矢を用いてのものでった。だが彼女が真に得意とするのは、実は抜刀術である。刹那の間に鞘から刃を走らせ、相手の装甲の隙間に切っ先を突き入れる。それが彼女の最も得意とする戦い方であった。これまで機装甲に乗ってその術で敵を討った事は数えるほどしかない。それは、これまで搭乗してきた機体では、彼女の精妙にして巧緻な剣術を再現できなかったからであった。だがこの「六号」試作機ならば、彼女の思うがままに刀を振るえうるであろう。
「グラミネア騎士長、一度機体を格納庫に戻し、それから会議室へ移動してください」
設計主任からの指示を受け、グラミネア騎士長は「六号」試作機を格納庫へと戻すと、名残り惜しげな様子で機体から降りた。ようやく形になったばかりの機神の卵は、整備架台の上で静かにたたずんでいた。
会議室では、設計主任の他に開発実験隊長や先任騎士など、「六号」開発の主要な人員が集合していた。入室すると同時に直立不動の姿勢から敬礼をしたグラミネア騎士長にむかって、開発実験隊長は陰惨さが滲む声で楽にするようにと伝えた。
「さて、グラミネア騎士長。「六号」試作一号機に搭乗した感想を」
「自分の所感としては、動作の反応速度と滑らかさにおいて、既存の機体と隔絶して向上しているものと判断いたします」
グラミネア騎士長としては、他の感想など口にしようがない。搭乗したのはわずかな時間であったし、確かめたのは機体の四肢の稼動範囲とバランスだけである。そしてその点において「六号」試作機は、まさに隔絶した性能を発揮しうる可能性を秘めている事を予感させるだけのものがあった。
「他には? 例えば、外の人間の動きが妙にゆっくりであったとか」
「……はい。確かに機体の周囲の動きが妙に緩やかでした」
「よろしい。どうやら反応速度加速装置は正常に機能しているようです」
そういえば、そんなものも搭載しているという話ではあった。
グラミネア騎士長は、前回の実験で自分の脳を焼かれかけて以来、その胡散臭い装置については努めて考えないようにしてきた。彼女とて人間である。得体の知れない実験で死にかけた恐怖を、二度三度と味わいたいわけがない。とりあえずこれまで人体実験で問題が無かったと言われれば、あとは覚悟を決めるしかない身である。
そんな彼女の内心を知ってか知らずにか、設計主任は、周囲の人間に向かってくだんの装置について解説をし始めた。
「「六号」試作一号機に搭載された反応速度加速装置は、人間が外部からの刺激に対して全身で反応するまでの時間を縮める事を目的として開発されたものです。通常訓練された並人ですと、何らかの事象を五感が認知し、脳がその情報を認識し、肉体に指示を送って反応させるまで、0.2秒かかる事が確認されています。この反応速度加速装置は、装置側で五感の認知を補助し、脳の情報判断の大半を肩代わりし、肉体への指示を代替する機能を持っています。そして、その情報の流れにそって機体そのものも動かすように搭乗員と機体の神経系を同期させています。今回の起動試験で、装置は有為に機能している事が確認されました。現時点では反応速度の向上は20%に設定されていますが、将来的にはこれを60%にまで早めることを目標としています」
「質問をよろしいか、設計主任」
「なんでしょうか?」
これまで溜まっていた鬱憤を晴らすかのように饒舌なまでに装置について語っていた設計主任に向かって、先任騎士が質問の声をあげた。
「その装置を使用する事で人体に与える負荷はどの程度のものとなるのか、それは確認されているのか?」
「当然です。本来人体の中で循環される情報系の流れを加速させているのです。この装置を利用することは、全身の神経系への負担となります。ただし、直接脳髄と神経系に負荷を与えているわけではありませんので、長時間の使用は脳髄と神経系の疲労という形で現れます」
「つまり、長時間使用すると、集中力や判断力の低下を招き、場合によっては気絶する事もあるということか?」
「そういう事になりますね。もっとも次の段階では、装置の機能を使用するか否か、搭乗員が選択できるようにしますので、既存の「黒の二」と比較して若干連続搭乗時間が減る程度で済むはずですが」
設計主任の言葉を耳に、グラミネア騎士長は休めの姿勢をとったまま思考にふけっていた。
彼の言葉が事実であれば、「六号」試作機の将来的な完成形は、既存の騎士をはるかに上回る速度での近接格闘戦能力の発揮ということになる。当然、魔力行使の能力も高いものが与えられるのであろうが、それ以上に接近戦での戦闘力を向上させる事に主眼が置かれているという事なのであろう。
確かにこの機体ならば、かつて「黒の二」三機を一瞬で屠った騎士アキリーズを相手にしても、負ける事はないのではなかろうか。
グラミネア騎士長がそこまで考えた時、設計主任の言葉が彼女の意識をこの場へと引き戻した。
「ただし、この反応速度加速装置は、あくまで魔導騎士のみが使用可能です。この装置は魔導的に人体と機体を同期させるためのものですので。つまり、魔導に覚醒していない人間が搭乗しても、機体側から情報を受け取る事ができず、機体との同期が切れてしまうのです。その点については改めてこの場で注意しておきます」
「それは、いくらなんでも騎士を選び過ぎないか? いかに黒騎士といえど、魔導覚醒している者はほとんどいないぞ?」
「元々の仕様要求書が、「六号」計画機は魔導騎士専用という事になっています。仕様書くらいはきちんと目を通して頂きたいものですね」
「新機は「黒の二」の後継機として開発されていると認識している。現在帝國軍には黒騎士は現役で200名在籍している。これら全てを魔導覚醒させるのは不可能だ」
「それは、仕様要求書を作成した機甲総監部に言って頂きたいですね。こちらは仕様書に基づいて機体を作るまでです」
設計主任の言葉に、グラミネア騎士長は腹が立つより先に、機甲総監部が何を考えているのか、それが気になった。
魔導騎士専門の機体を開発させているということは、将来的には黒騎士は全て魔導騎士で構成される事を目標としている、ということである。では、その魔導騎士を用いてどこと戦争を行うのか。少なくとも人間だけが相手という事はあるまい。単なる人間が相手であるならば、「黒の二」と「黒の龍神」の組み合わせでも問題はないはずなのであるから。事実この組み合わせで、皇帝軍は「内戦」に勝利したのである。
つまり、機甲総監部、というより帝國軍は、魔導戦を念頭において軍備の増強を行うつもりなのではないか。それは、魔族と本格的に敵対する事を念頭に置いているという事に他ならないのではなかろうか。
グラミネア騎士長のまとまりのない思考をよそに、会議は解散となった。
その日からグラミネア騎士長は、毎日のように「六号」試作機に搭乗し続けた。途中で試作二号機が組みあがり、一号機と二号機を交互に乗り換えながら試験を繰り返してゆく。試験の結果、なんらかの改修が必要と判断されれば、片方の機体が改修され、新たな機能の搭載が必要とみなされれば、もう片方の機体が改造される。そうやって二機の重駆逐機は、日々成長を続けていった。
「本格的に形になってきたようだな、「六号」も」
「はい。ようやく実戦用の装甲が搭載されましたが、やはり新しく設計されただけの事はありますね。ほとんど動作の邪魔になりません」
「六号」試作二号機に実戦用装甲が装着された日、試験終了後に先任騎士がグラミネア騎士長に話をふってきた。「六号」用の装甲は、これまでの「黒の二」とは違って随分と違ったものとなっていた。彼女の記憶によれば、むしろ「レギナ・アトレータ」か「アトレータ・トリニタス」に近い流麗なものである。
「装甲の部品点数は随分減らされたようだな。破損時の修理や交換を考えると、部品は小さい方が楽なのだろうが、生産や整備を考えると「六号」の形状もありなのかもしれん」
「装甲材の隕鉄の質の向上もありますし、元々の設計思想が魔力強化によって装甲強度の嵩上げを前提としています。それだけ外装の交換頻度は下がるという判断なのでしょう。魔力強化せずとも「黒の二」と同等の防御力を持つのが確認されていますし」
「そうなのか。「黒の二」に見慣れていると、どうも華奢に見えてな。それで、臂力や魔力はどうだ?」
「はっきり申し上げるならば、「黒の二」の魔導騎士用とは比較にもなりません。一度「六号」に乗り慣れると「黒の二」が重く感じます。どうしても一瞬反応が遅れます」
グラミネア騎士長の率直な意見に、先任騎士はその太い両腕を組んでうなり声を上げた。
なまじ「黒の二」で長年戦い続けてきた身だけに、それよりもはるかに華奢に見える「六号」が、出力で圧倒しているとは納得しがたいものがあるのであろう。
「これで「六号」が魔導騎士専用の機体でなければ、諸手を挙げて歓迎できるんだがなあ。こればかりはどうしようもないか」
「元々が、アキリーズの様な人外の騎士や、上級魔族の搭乗した邪神鎧を相手に戦う事を前提にした機体です。やはり魔導騎士でなくてはならないのでしょう」
「そうなると、そう遠くないうちに俺もお役御免か」
くやしそうというか、残念そうというか、微妙な笑みを浮かべてそう愚痴をこぼした先任騎士の言葉に、グラミネア騎士長は返事のしようがなく、黙って背筋を伸ばして次の言葉を待つしかできなかった。
そんな彼女の態度に自分の失言に気づいた先任騎士は、微妙な空気を変えるように空咳をひとつすると話題を変えた。
「そういえば武装懸架が腰から背面側後方に移されたが、使い勝手はどうだ?」
「搭乗が若干面倒になったくらいで、使い勝手は良いです。機構が複雑なのは気になりますが、こればかりは整備の工部にがんばって貰うしかないと考えます」
「なるほどな。まあ肘を曲げるだけで武器を抜けるというのは、楽そうで良いな。戦斧や戦槌も予備武器として携行できるという事でもあるしな。正直、同じものを「黒の二」にも付けて欲しいものだ」
「搭載予定はあるそうです。とりあえず機構を実戦で運用してみて、どれだけ整備の負担になるか調べてみないと、正式採用されるかどうかは判らないそうですが」
グラミネア騎士長の言葉に若干機嫌も持ち直した先任騎士は、色々と自分を納得させたような笑みを浮かべてみせた。
実戦用の装甲を搭載した「六号」試作機2機を用いて、実戦を前提とした運用試験を繰り返す日々を送っていたグラミネア騎士長が開発実験隊長に呼び出されたのは、珍しく雲が低くたちこめている日のことであった。
「「帝國」が北方で戦争を企図しているのは知っているな」
「はい」
開発実験隊長から滲み出る陰惨な雰囲気は、今日に限ってはまるで瘴気のように執務室を満たしている。それに気圧されぬよう気を張って、グラミネア騎士長は背筋を伸ばして答えた。
「敵は
ゴーラ帝国だ。そして「帝國」は、この戦争に近衛騎士団の新戦力を投入する事が決定している。近衛騎士団が我々とは別に開発してきた新機神のお披露目となる」
「はい」
「ならば我々も「六号」を実戦投入し、その威力を周知させなくてはならない。幸運にというべきか、503の派遣が決まっている。貴官は「六号」試作一号機に搭乗し「黒の二」2機を指揮下に置き、臨時派遣小隊を指揮して北部軍司令部指揮下に派遣される。質問は」
「直属上官は、503大隊ではないのですか?」
「そうだ。あくまで貴官は北方軍司令官直属という扱いになる」
グラミネア騎士長は、現北方軍総司令官であるサウル・カダフ元帥について記憶を掘り起こしていた。
かの獣人の元帥は、「内戦」中は第12軍団長として帝都防衛戦において大ガイユス元帥指揮下で戦い続け、戦後は参謀次長の要職についていた。その後いかなる理由でか、親衛第21旅団長に降格されてトイトブルグやアル・カディアに派遣されて活躍し、その戦功をもって元帥府に列せられ北方軍司令官に任命されていた。彼女は本人と会った事は無いが、少なくとも彼が「賢狼」とあだ名される智将であることは知っていた。
確かに「六号」試作機の実戦運用試験を行うには、この戦争は丁度良い機会なのかもしれない。しかし、そうであったとしても彼女には、開発実験隊長が急ぎすぎているように思えてならなかった。
「「六号」についての情報開示は、北方軍司令部に対してどこまでなされていますでしょうか?」
「「黒の二」後継機という点まで開示されている。詳細な技術情報に関しては、あくまで機密に該当するものとし、北方軍司令官に対しても開示はこれを禁止する」
そこまで口にしてから、開発実験隊長は、わずかに口の端を曲げた。
「つまり貴官は、あの「賢狼」の提示した目標を破壊し続ければよい。他の一切については判断の必要はないものと理解するように」
「了解いたしました」
正直、あまりにも胡散臭い部隊に過ぎて、当のサウル・カダフ元帥に信用して貰えるかすら怪しいものだと、グラミネア騎士長は内心で呆れる思いであった。しかしそれを面に出すのは、彼女の黒騎士としての矜持が許さない。それに、たかだか1個小隊の重駆逐機にできることなど、さしてありはしない。確かに開発実験隊長の言う通り、サウル・カダフ元帥の命令通り暴れる以外にできる事はなかった。
開発実験隊長に対して背筋を伸ばし敬礼すると、グラミネア騎士長は回れ右をして執務室を退出した。
廊下の窓から見える外の天気は、激しい雨に変わっていた。
最終更新:2012年12月23日 12:51