黒騎士ユリア・グラミネアの細腕奮闘記 その10

 今回はえらい難産で、結局前回の更新からこれだけかかってしまった。その上であまりまとまりのよくない代物となってしまった。やはりまだまだ精進が必要である。


 Yと自称する古人がいる。限りなく白に近い銀髪と紺色の瞳を持ち、凛々しくも美しい容貌は面立ちよりも知性によってその秀麗さを際立たせ、すらりと伸びた肢体は女性らしい緩やかで優美な曲線を描いている。その少し低めの声は多少鼻にかかって甘く、性別を問わず聞く者の耳に心地良い。
 だが彼女を知る者は、一人として違わずこう評価する。あれは残念な奴だ、と。

「判っちゃいないねぇ。全然判っちゃいない」
「何その態度?」
「失敬。文明への不理解があまりにも高くて笑ってしまったのさ」

 指先を額につけて顔をうつむかせてふ、ふ、ふ、と鼻で笑ったYに、話を聞いていた二人の少年が視線で語り合った。

「何言ってるお? この人?」
「判らない」
「頭おかしいのかお」
「かもしれない」

 Yの事をどこか別の世界の住人のような目で見つめている二人のうち、一人は色白のふっくらとした頬のあえて好意的な表現をするならば白饅頭とでも形容できる少年であり、もう片方は線の細い繊細な作りの容姿をした控えめに言っても美少年と呼ぶのに相応しい相手であった。だが三人は、油汚れが染みになった機装甲工部の作業衣を着ていて、軍の営舎で食事をしている最中であり、とても文明がどうのという話をするにはその場の雰囲気はそぐわないにもほどがあった。
 だが三人は、そんな自分達をとりまく状況を完全に無視して自分達だけの世界を作ってしまっていた。

「いいかい、物語というものは「引き」に始まり「引き」に終わる。つまり! 衝撃のある「引き」であれば、これまでの流れを無視しても構わない! 否、むしろぶち壊すくらいのものがいい!!」
「あり得ない事言ってるお、この人」
「いや、それでいいんだ。なんだったら、オチなんてつかなくてもいいくらいだ!」
「は?」
「だってその時には、最終回なんだからさ」

 詐欺師だ、詐欺師がここにおる。表情でそう語る白饅頭と美少年に向かって、白皙の美貌をきらめませてYは高らかに笑った。
 そんな三人のやり取りを、少し離れたところの席で、癖のある栗毛を背中まで伸ばした美少女が、呆れ果てた様な表情をして耳を傾けていた。

「親方、Yさん、良いところのお嬢様なんですよね?」
「だから、ああいう脳みその腐ったような会話ができるんです。まあ、オルヤの印刷機は役に立っていますし、多少個人的な趣味に使っても見て見ぬふりをしろと上からも言われています」
「つまり?」
「きちんと仕事をしている限り、見逃してやれ、という事です。セラシア」

 セラシアと呼ばれた栗毛の少女は、親方であるイサラの言葉に、食事を口に運ぶ手をとめてげんなりした顔つきになった。そんな弟子のことを完璧に無視しつつ、イサラは書類を片手にぱっぱと飯をかっこんでいる。

「師匠」
「あきらめて下さい」
「まだなんも言ってません!?」
「ゆき過ぎた少年同士の恋愛だろうと、現実には存在しない妄想の集大成のような双性者との恋愛だろうと、それが文字と句読点と挿絵の中だけで済むなら、いいじゃないですか。あなたもわたしも古人ですけれど、だからといってあの三人に何かされました? そういうものです」
「あのYと同じ、師匠の弟子ゆうのは、さすがに精神的にきっついもんがあるんですが」
「仕事中や修行中に腐った話をしていたら殴り倒しますが、そうじゃないんですからいいんです」
「そうゆうもんなんですか?」
「そういうものなのです」

 そういうことになった。


 セラシアは、西方はフラウィウス一門の領地の出身の、平民の家に生まれた双性者である。父親は自治都市のそこそこ繁盛している鍛冶屋の親方で、兄達には随分と可愛がられて育った。彼女が物心ついた頃にはすでに「内戦」は終わっていて、兄と一緒に父親の仕事を手伝える歳になる頃には、フラウィウス一門そのものが内紛でばらばらになりかけていた。
 そんな混乱の中で過ごしてきたせいもったのだろう、セラシアが両親に頼み込んで「帝都」の工学校で機装甲鍛冶としての勉強をしたいとわがままを言った時も、家族に反対されることはなかった。
 その「帝都」の工学校で同期となったのが、Yと自称する自分と同じ古人の娘であった。
 古人の学生というものが他にいなかったせいもあって、セラシアとYの二人は常に一緒に扱われてきた。何しろ古人ともなれば、この「帝國」では工学校になんぞ入らずとも、領主なり組合なりの援助を受けて魔術系の私塾に入って魔術師として修行し、相応の待遇をもって迎えられることになる。そもそもが工部という者達は、才能はあれども血筋に恵まれなかった平民らが立身出世するために選んだ職であることが多い。工部の親方ともなれば、なまじの貴族では相手にもならぬほどの権勢を誇る事ができるようになるからである。
 そうした者達の中では、セラシアもYも随分と奇異なものを見るような目で見られたものであった。
 特にYは、元は諸侯の娘だったらしく、随分ととんちんかんな言動をしては皆に煙たがられていた。そもそもが平民と貴族とでは生活習慣が全く違う。貴族の中に平民が混じってもうまくやってゆく事などできはしないのと同様に、平民らの中に貴族が入り込んでも浮き上がるだけでろくな事にはならない。その上で彼女は、高度な教育を受けた者らしく工学校でも優秀な成績を出し、ありていに言えば皆の嫉妬を買ってしまっていた。
 実を言えば、セラシアもYの事を煙たがっていた者らの一人であった。何しろ彼女は、古人とはいえ田舎から出てきた鍛冶屋の娘である。積極的にお貴族様と係わり合いになりたくは無かったし、Yもセラシアの事など眼中にないように振舞っていた。
 そんな二人が、ここ近衛騎士団の機神工部の見習いとなったのは、ごくごく偶然が巡り巡った結果である。

「工学校を卒業したら徒弟修業を始めることになりますが、わたしの元で修行しませんか? 工部として、魔導師として」

 卒業を控えたある日、セラシアとYの元に近衛騎士団付の工部の親方であるイサラが訪れたのだ。
 この自分らとさして見た目の年頃は変わらない古人の親方は、セラシアが話に聞いていた親方衆とは違って随分と穏やかで話の判る人のようであった。

「その、工部の徒弟修業いうのは判るのですけど、魔導師の修行というのはどういう意味でしょうか?」

 工学校の応接室でYと一緒にイサラ親方の話を聞いていたセラシアは、目前で穏やかに微笑んでいる少女に向けておそるおそる尋ねてみた。少なくとも彼女の知っている魔導師というのは、この世界の森羅万象を魔術をもって極め尽くすことで創造主へと近づかんとする恐ろしい存在である。

「わたしは、お二人に機神専門の工部に育って欲しいと思っています。そして機神工部となるためには魔導の知識が不可欠です。わたしも機神専門の工部ですが、同時に魔導の導師でもあるんです」
「機神!? ですか?」

 思わず身を乗り出して叫んだYに、セラシアは思わずびっくりして彼女の方に顔を向けてまじまじと見つめてしまった。
 Yは、常日頃の何もかも見下したかのような態度を引っ込めていて、そして歳相応の表情になって顔を輝かせている。

「はい。ただし修行は厳しいですし、自分が見聞きした事柄については、親兄弟友人にも秘密にしなくてはなりません。違反すれは憲兵隊に拘束されますし、最悪死刑ということもあり得ます」

 それは当然であろう。機神といえば、一門の権勢の象徴であり、王権の担保となる存在であるのだ。それについてぺらぺらと周囲の人間にしゃべりまくって無事で済むわけが無い。そして、修行が厳しいのはどんな職業も同じである。

「でも、頑張れば将来は親方株を手に入れたりできるいうことですか?」
「はい。工部の親方は、他の職の親方と違って中々手に入れられるものではありませんが、それでも死ぬ気でがんばれば結構なんとかなります」

 それも当たり前であろう。職人の親方といったら、多くの徒弟の中で最も優れた腕を持ち、工房を取り仕切って仕事をこなせなくてはならないのだ。しかも工部の親方ともなれば、機卒、機装甲の設計開発も許されるのである。まさに諸侯にも匹敵する重要人物である事に違いはない。それが機神工部の親方ともなれば、その貴重性は皇族のそれに匹敵してもおかしくはない。その立場に努力すればなれるというのであれば、それは誰しも死ぬ気で努力もするであろう。

「機神工部ということは、機神に触られるんですか?」
「まずは機卒、機装甲工部として一人前になってもらって基礎を修めてから、になりますが。「帝國」には公称1万の機装甲があると言われていますが、その中でもわずか数十しかない機体を扱うのです。それ相応の腕になってもらわないといけませんので」

 だがYは瞳をきらきらと輝かせながら身を乗り出したままであった。そんな彼女の事を見てセラシアは、彼女にもこんな一面があったんやなと思いつつも一つだけひっかかっていたことを尋ねることにした。

「それで、親方は、なんでわたしらについて尋ねられないのかなあ、と」
「お二人の身の上も、普段の素行も、全て調査済みですので。あとは実際に会ってこうしてお話するだけでしたから」

 イサラがなんでもないという風に口にした言葉に、二人はぞっとした表情になって身を引いた。

「それは、憲兵隊とか、ですか?」
「色々ありますよ。この「帝國」には、そういう物事を調べる組織って。そのうちのいくつかに要請したのは事実です」
「「……………」」

 大丈夫大丈夫、わたしはなんも悪い事も人様に顔向けできないような事もしてきてはいない。そう自分で自分に言い聞かせているセラシアの隣でYは、随分と青い顔をしていて脂汗すら流していた。

「他に何か聞きたいことはありますか? それではお返事を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

 にこりと微笑んで小首をかしげたイサラは、最初の印象とは違って随分と恐ろしい印象に変わってしまっていた。
 結局二人は、イサラの弟子となる事を了承することになった。


 皇宮の一角にある近衛総軍総司令部の一室で、ミーア・ディートリンデ・ヴィルケ騎士隊長は、複数の高級士官と一緒に彼女らを呼び出した人物が来るのを待っていた。
 ヴィルケ騎士隊長に内示があった独立親衛第512剽機甲兵大隊長の職は、独立親衛第12選抜混成連隊の隷下部隊である。つまりここに集められている士官らは、その第12連隊の幹部士官らなのであろう。実際、上は准将の階級章を襟に留めた壮年の男性から、下は騎士隊長の自分まで全て騎士隊長以上で、そして襟元や軍服の胸に多数の勲章を付けている者達ばかりである。そして機甲兵科の士官は、自分の他にもう一人眉毛の無い凶相の男だけで、あとのほとんどの士官は騎兵科の者達ばかりであった。

「諸君、ご苦労。楽にせよ。着席」

 従兵に出されたお茶をヴィルケ騎士隊長が飲み干した頃、近衛総軍司令官であるイル・ベリサリウス元帥と、北方軍司令官サウル・カダフ元帥、参謀次長ポンペイウス・マグヌス元帥の三名が、それぞれ副官を連れて入室してきた。
 室内で待機していた士官らが一斉に起立し敬礼するのにそれぞれ答礼すると、イル・ベリサリウス元帥が全員に席に座るように命じた。

「本日集まって貰ったのは、新規に編成が決定した独立親衛第12選抜混成連隊についてである。親衛の名が冠してある通り上部組織は近衛軍となるが、配属先は北方軍となる。サウル・カダフ元帥、続きを」
「紹介に預かったサウル・カダフだ。正式な呼び方は長すぎるので12連隊と呼ばせてもらうけど、諸君らにはこの12連隊を指揮して、ゴーラ湾を南下してくる海賊匪賊を討伐して回って貰う事になる。集まっている面子を見て貰えば判るとおり、連隊とはいっても半旅団編成でゆく。つまり自前の兵站組織を持って走り回れる事前提ということやね。んじゃ、参謀次長、あとはお願い」
「参謀次長のポンペイウス・マグヌスだ。参謀本部は、先の戦争で敗北したゴーラ帝国は内戦状態に陥るものと判断している。その結果、「帝國」が併合したゴーラ湾南岸諸国の残党が北岸のゴーラ帝国領域を根拠地として、南岸航路、及び沿岸地帯に対して略奪行動にでる可能性が高いと見積もった。現在のゴーラ湾は、ゴーラ帝国一国が覇権を行使していた頃と違い、多数の大国が商船隊を派遣してくる非常に混沌とした状況下にある。その商船や商業港を狙って海賊匪賊が襲来するであろう可能性が大である。特に亡命した南岸諸国貴族は、故国の独立運動と絡めて襲撃してくる以上、占領地域からの手引きにもことかかないであろう。第12連隊は、これら海賊匪賊とそれを支援する組織の制圧が主たる任務となる。以上、何か質問は」

 三人の元帥が、それぞれの独立親衛第12混成連隊について説明をし着席すると、しばらく室内を沈黙が満たした。

「独立重駆逐機装甲小隊長のヤッサバ騎士隊長だ。連隊設立の主旨は理解した。が、ならば何故小官が配属されたのかが判らない。自分は901大隊で「黒の龍神」を預かってきた。軍は対機神戦闘を念頭に置いていると考えてよろしいのか?」

 ヤッサバと名乗った機装甲乗りは、その眉毛の無い三白眼でじろりと三人の元帥をねめつけるようにして視線を送った。確かに近衛騎士団の主力であり帝國軍の切り札ともいうべき「黒の龍神」を預けられてきた、黒騎士達の最高位にいる男を引き抜いて格下の「黒の二」に乗せるには、今の説明ではちと弱いところがある。
 それに対してサウル・カダフ元帥が、その亜麻色の豊かな口髭とあごひげを揺らすように笑みを浮かべて答えた。

「じゃ、ぶっちゃけ言うわ。南下してくる海賊匪賊の中に「グイン・ハイファール」に乗ったヴェストラ将軍がいたら、お前さんに討って貰う」
「……ヴェストラ将軍が襲来する可能性が、それだけ高いと見積もられているのか?」
「無いわけじゃない、程度の確率だけれどもね。だが、その可能性があるならば、あの人外を討ち取れる騎士を配置する必要がある。で、お前さんにそれを任せようって事になった」

 へらへらとした表情と口調でそう答えるサウル・カダフに、ヤッサバ騎士隊長は、にぃ、と獣じみた笑みとともに口の端をゆがめた。

「奴と殺りあったゲッツじゃなく俺が選ばれた理由は? 俺が得意とするのは狩場を張って罠に嵌めて殺るやり方だ。あの広い海岸線のどこに来るかも判らん相手に、罠を張るのは無理だ。ならばヴェストラ将軍と戦った経験のあるゲッツか、魔導騎士を配置するべきだと思うが?」
「だからお前さんを選んだのさ。正直「グイン・ハイファール」に乗ったヴェストラ将軍がどんだけ強いんだか、参謀本部でも近衛騎士団でも全く見積もりが出せんかった。正面から力押しするっていうなら、例の近衛騎士団の「クルル=カリル」を貼り付けるしかない。だがあれは先の戦争で出た問題点を潰してまわっている最中でね、あと何年かはとてもじゃないが前線には出せない代物だ。というわけで、あれに対抗できる個の強さではなく、猟師として化け物を狩れる奴を、という事にした」

 ヤッサバ騎士隊長の口調が変わったとたん、ヴィルケ騎士隊長は背筋をぞわりと何かが走るのを感じた。それはもう随分と感じた事のなかった感覚であり、これが自分よりもはるかに格上の敵と相対した時のものに近かった事を思い出した。

「獲物は、あの「人中のヴェストラ、機中のグイン」か」
「そそ。で、上陸してきそうな場所はある程度絞り込める。というか、絞り込む。そりゃ一箇所に決め打ちはできんが、まあこっちにとって都合の良い場所に誘き寄せるくらいはやるさ。それなら、狩人としてのお前さんも腕の振るい様があるだろ?」
「そこまでお膳立てして貰えるならば文句は無い。北方沿岸を狩場として罠を張れってか。そりゃ随分と俺の腕を高く買ってもらったもんだ。ならば、その値段に相応しい仕事をさせてもらう」
「うんうん。お互い納得して仕事ができるっていうのはいいねい。で、他に質問のある人?」

 サウル・カダフの言葉に納得したかのように嗤ったヤッサバ騎士隊長が着席すると、次は准将の階級章を付けた壮年の士官が立ち上がった。彼はその灰色の頭髪を丁寧に後ろに撫でつけ、丁寧に仕立てられた軍服をこざっぱりと着こなしている騎兵科の将官であった。

「12連隊長のグラックス・アルバルトス准将です。連隊設立の主旨は理解しました。その上でお尋ねしたい。北方軍が連隊に求めるものは、匪賊討伐であって、会戦における衝力の発揮ではないと考えてよろしいでしょうか?」
「うん。北方軍としては、この二年以内にゴーラ帝国で内戦が勃発する可能性が高いと見積もっている。その前に正規軍を派遣してくる可能性が無いわけじゃないが、さすがに今の皇帝が在位している間はヴィスマリアン条約を反故にはせんだろう、というのが参謀本部の判断だ。だが、ゴーラ帝国も一枚板じゃない。皇帝が手綱をとれないはねっ返りが、海賊匪賊となって南岸に押し寄せてくる可能性は非常に高い。北方軍の騎兵は基本的にこれに対処するために投入されるが、その中でも一等面倒な相手に12連隊をぶつけさせてもらう」
「了解いたしました」

 丁寧に答えたアルバルトス准将は、それ以上は特に何も言わず着席した。
 ヴィルケ騎士隊長は、彼がかつて近衛騎士団に所属していたことを知っていた。オスミナ事変とその最中に発生した「黒の零」事件の結果、粛軍が行われ、少なくない数の軍人が退役させられたり待命にさせられたりした。アルバルトス准将もまた待命となっていたところを、今回の連隊結成にともない、本来ならば上級騎士隊長職である混成連隊長に就任したのである。彼は人格者であり有能ではあったが、近衛騎士団派閥の影響力を削ぐことを前提とした人事が行われたのが、待命の理由であったと噂に聞いていた。

「さて、諸君」

 そんなヴィルケ騎士隊長の内心はともかく、サウル・カダフ元帥の話はまだ終わってはいなかった。

「ゴーラ帝国で起こるであろう内戦が、いつから始まるかはさっぱり判らん。ただし、内戦勃発が海賊匪賊の本格的襲来の引き金になる事は理解しておいて欲しい。今はまだ中央による統制がとれているが、内戦となればそのたがが緩む。そうなれば、もはやゴーラ湾は文字通り魔女の大釜状態になるしかない。そして「帝國」には、ゴーラ湾に艦隊を浮かべてこれを撃滅できるだけの国力はない」

 そこで一度話を切って、全員に今の言葉が伝わったのを見て取ってから話を再開した。

「一応、オーレスト海峡とゴーラ西湾を連合王国が、ヨーテボルイ海峡とフィンマルク湾をオスミナ王国が、それぞれ通商路の安全確保を担当するという事にヴィスマリアン条約では決まっている。だが、両国にそれだけの能力があるかといえば、まあ無理だろう、というのが参謀本部の見積もりだそうだ。というわけで、二年、時間を稼ぐ。その時間で近衛騎士団の「クルル=カリル」を完全な状態にもってゆき、ヴェストラ将軍を討てる新型重駆逐機の親衛重駆逐機装甲大隊への配備を開始する」

 いつになく真面目な表情のサウル・カダフ元帥は、ここにいる全ての士官の顔を見つめてからまた口を開いた。

「二年だ。その間は諸君らに無理をしてもらう。その覚悟をもって北方の戦場にのぞんで欲しい」


 セラシアとYが、早朝その日飛行予定の「クルル=カリル」の整備と調整をこなし、イサラと一緒に「六号」競争試作機開発のために機甲学校内に設置された施設に転移してから、イサラ付の工部達を集めて今日一日の仕事について打ち合わせとなった。なにしろ「六号」開発と「クルル=カリル」整備との二束わらじである。それぞれの現場に工部頭を置いて仕事の経過について説明させないと両方の仕事をきっちりこなすことは難しい。
 そして、その場に見た事の無い顔をみつけて、セラシアとYはその小太りの中年男のことをまじまじと見つめた。

「お前達に言っておく! 俺は収縮帯の専門家としてここに呼ばれた! 俺は「白の五」の開発で新しい収縮帯の編み方の配合を発見した! いいか、俺は客分として手を貸しに来たんだからな!!」

 じっと机の上を見つめて貧乏ゆすりをしていた男は、セラシアとYの視線に気がつくと、突然立ち上がってわめきだした。他の工部達は、そんな彼のことをぽかんとした表情で見つめている。
 ひとしきり男がわめき散らしたところで、一人だけ表情を動かしもしないでいたイサラが、にっこりと微笑んで男に向かって話しかけた。

「紹介がおくれてしまって、ごめんなさい。この人は、「六号」の収縮帯の開発を担当していただく工部のコルチャックさんです。試作機の収縮帯は彼に任せますので、その指示に従ってください。それと、コルチャックさん、私は試作機の中枢の製作で忙しいので、そこの二人の子の面倒も見てあげてもらえますか? まだ見習いになって二年ですが、工具の持ち方とボルトの締め方は覚えさせました」
「親方、そいつは、そこの娘二人のことかよ!? そんな話は聞いてないぞ!!」
「はい。でも、コルチャックさんの工部としての腕を見込んで、わたしの弟子の古人の子二人預けるんです。とりあえずいいようにこき使って下さってかいませんから、収縮帯周りについて一通り仕込んでください」

 そこで言葉をきったイサラの目は、その表情とは裏腹にぎらりとした輝きを帯びていた。その迫力にコルチャックは黙り込み、しばらく視線をさまよわせてからセラシアとYに向けて指を突きつけた。

「聞いたな! いいか、俺の言う事は親方の言う事だと思え! 俺が持てといったら焼けた鉄だろうと持て! 俺が放せといったら金貨一杯の袋だって放せ! いいいな!?」
「はぁ、よろしくお願いします」
「はーい」

 あからさまにやる気なさげなセラシアとYの返事に、イサラの視線が二人に向けられる。その圧力に蹴飛ばされるように二人は素早く立ち上がると、直立不動の姿勢をとって頭を下げた。

「「ご指導よろしくお願いいたします!!」」


 グラミネア騎士長は、機甲学校での勤務の後は営舎の浴場で風呂に使ってから帰宅している。風呂を沸かすというのも、個人の家ではなかなかままならないものであるからだ。ならば風呂にゆっくりとつかる機会があるならば、それを満喫したいというのが人情というものである。そんな彼女が大浴場の湯船に一人でつかっていると、新たに入浴しに来た者がいた。それは近衛騎士団に戻っているはずのイサラであった。

「珍しいな、イサラがこちらに残っているというのは」
「なにしろ二股かけていますから、こちらの分の仕事は後に押してしまって」

 おかげさまでこの時間です。
 彼女は困ったように微笑んで、湯口から降る湯で身体を洗ってから湯船に入ってきた。湯につかってほっとした表情をしているイサラの隣にユリアは移動し腰を下ろした。

「「六号」計画に参加してくれて、本当に感謝している。ありがとう」
「気になさらないで下さい。生涯に二機種もの機神の開発をできるなんて、まずあり得ない幸運ですから」
「それでも、だ。イサラのおかげで私は救われた。私が受勲した勲功章は、本来は君に与えられるべきものだった」
「本当に義理堅いんですから。勲章ならわたしも頂きましたし」

 湯船の中で膝を抱えたイサラは、肩を震わせて笑った。
 そんな彼女の様子に、ユリアは多少なりともむっとした表情になった。

「君に心から感謝しているのは本当なんだ。なんならこの身を君に差し出したって構わない」
「またまた。それじゃ、わたしが人体実験の被検体にすると言ったらどうします?」
「判った。近しい者に別れを告げる時間が欲しい。その後ならば好きにしてくれ」

 生真面目な表情でそう答えたユリアに、イサラは今度こそ本気で膝を抱えて湯船の中で転がるようにして大笑いした。湯の中に沈んだ彼女の口から、こぽこぽと泡が浮かんでくる。

「ご、ごめんなさい。でも、ああ、本当にどうしてそこまで?」

 ひとしきり笑ったイサラが、湯の中から真っ赤になった顔を出して、必死になって笑いをこらえている表情でそうユリアに尋ねてくる。

「……ヴェストラ将軍に敗北した後、君がいなければそのまま帝都に後送されて、試験機喪失の責任を問われて開発から外されていただろう。そうなれば私の軍人としての経歴は終わっていた。最悪、どこかの機装甲連隊にとばされて黒騎士ですらなくなっていたかもしれない。そしてそれだけの恥辱を受けて平気でいられるほど自分が強くは無いと思っている」
「まあ、報告書を巡ってあれだけ揉めていたくらいですし、ユリアさんを生贄にするくらいはやりそうですね」
「そういうことだ。そもそも私は開発主任や設計主任とは上手くいっていなかったしな。今まで開発騎士として重用されてきたのは、唯一の魔導騎士だからだと思っている」
「なるほど。……一つお聞きしたいのですが、よろしいですか?」

 ユリアの述懐を聞いたイサラは、すっとユリアの方に近づくと真面目な表情になった問いかけてきた。

「ああ、構わない」
「ユリアさんの本当の希望はなんなんですか?」
「私は、近衛騎士として陛下の御前で弓を取りたかった」

 ユリアの答えははっきりとしていて簡潔であった。
 元々が彼女は累代の近衛騎士卿の家に生まれた者である。実際、物心ついた頃から武技を修め、十四の歳より近衛騎士見習いとして機装甲の扱いを学び、十八で近衛騎士として叙任され戦陣に臨んだ身であった。今でこそ黒騎士として親衛第501重駆逐機甲兵大隊に勤務しているが、彼女の望みは近衛騎士団で騎士として勤務することにある。

「……今の近衛騎士団は、昔の近衛騎士団ではありません。敵の機装甲と戦う事は余技で、総司令部の指示した目標を破壊するだけの部隊です。そんな部隊でも勤務したいというのですか?」
「私は、近衛騎士の家に生まれ、近衛騎士となるべく育てられた。他の生き方など知らないのだ」

 その言葉に噛みしめた歯の間から絞り出すように言葉を発したユリアに、イサラは少しだけ鎮痛な面持ちになった。だが、それもわずかな間であった。彼女は何か決心したような表情になると、まっすぐユリアの菫色の瞳を見つめた。

「ユリアさんの望む近衛騎士となるためには、「黒の龍神」を預けられるほどの騎士にならなくてはなりません」
「判っている。今私が黒騎士として精勤しているのは、それを目標としているからだ」
「はい。そして、将来「黒の龍神」を預けられるほどの騎士になるために、ズルをする覚悟はありますか?」
「……それがイサラの研究の役に立つのであれば、甘受しよう」

 イサラがはっきりとズルと言った以上、それは本来は許されざる手段であるのであろう。ならばユリアとしてはその選択肢を選ぶことはありえない。彼女は正々堂々自らの実力で「黒の龍神」を預る身となりたいのだ。
 だが、もし彼女の言うところのズルが、魔導師であるイサラの研究の役に立つのであれば、その不名誉を甘受することもやぶさかではない。
 そのユリアの事場に、イサラは少しだけ考え込むと、何か決心したかのように二度三度と肯いた。

「判りました。今は確たることはお話できませんが、この競争試作に勝ったら詳しくお話をさせていただきます」
「判った。この身、好きにつかってくれ」


 イサラが正式に「六号」開発計画に参加してから二ヵ月半が経った。その間彼女は、機甲学校と近衛騎士団の間を行ったり来たりで、ろくに眠る暇も無い様子であった。当然、イサラの直弟子であるセラシアとYも同様であった。二人は、機神「クルル=カリル」の整備と調整と、コルチャック工部の下での修行とで、毎日へろへろになるまでこきつかわれていた。
 そんなさすがに疲労の色を隠せていないイサラが、グラミネア騎士長達三人の黒騎士らの前に完成した「六号」競争試作機のお披露目を行ったのは、彼女が期限として区切った三ヶ月目まであと十日強といった日であった。

「お待たせしましたが、ようやく「六号」競争試作機が完成しました」

 イサラの言葉に、一緒になって機体の製作に携わってきた皆が一斉に拍手をする。それを両手を頭の上で振ってとめると、彼女は言葉を続けた。

「元の機体の骨格と関節周りは時間が無くて手を入れられませんでしたが、中枢部分と収縮帯は全て私の設計した通りのものです。この短い時間で機体を完成までもっていってくださった皆さん、ありがとうございました」

 そう言ってぺこりと頭を下げたイサラに、皆が一斉に歓声を上げる。なにしろイサラも大変であったが、ここで製作に当たっていた工部らも決して暇を持て余していたわけではなかったのだ。

「機体の実際の性能は、開発騎士の皆さんに搭乗していただいて確認していただきましょう。それでは、バルコフ騎士隊長、よろしくお願いいたします」
「了解した。それでは「六号」競争試作機の起動試験を実施する」

 イサラから仮面を渡されたノルド・バルコフ騎士隊長は、背筋を伸ばして腰を折って一礼すると、歳に似合わぬ素早い身のこなしで「六号」競争試作機に搭乗した。
 バルコフ騎士隊長が機体に搭乗し、皆が機体の周囲から離れると、「六号」競争試作機は全身に魔力をゆきわたらせて整備架台から格納庫の床に降り立った。その流れるような動きに、グラミネア騎士長は瞠目し、北方の戦場で自分が駆った「六号」との差異を見極めようとした。
 「六号」競争試作機は、まるで纏っている鎧など無いかのように軽々と床を滑って外へと出て行き、それから全身を使って運動を始めた。背筋を伸ばし、腰を曲げ、両腕を振り回し、両足を持ち上げる。その動きは全身の筋をほぐすかのようであり、まるで人が準備体操を行うのと変わらなかった。

『長斧を持ってきてくれ』

 バルコフ騎士隊長の言葉に、工部の一人が機卒で「黒の二」用の長斧(バルディッシュ)を持ってくる。それを受け取った「六号」競争試作機は、わずかに右足を引き、上半身をひねって、切っ先を機体の正面に向けた姿勢をとった。
 次の瞬間、轟音とともに右足が踏み込まれ、長斧はうねるように伸びると見えぬ敵を袈裟に斬って棄てていた。続いて手繰り寄せられた長斧が腰車に構えられ、左足の踏み込みと同時に左から右へと楕円を描いて薙ぎ払われる。そのまま手繰られた長斧は、膝を折って地面へと沈んだ機体ともに刃を上に向けて下ろされ、機体が跳ね上がるのと同時に逆袈裟に斬り上げられ垂直に掲げられていた。
 この間、わずかに二秒強。黒騎士であるグラミネア騎士長だからこそ見分けられたものの、武芸の素人である工部らには、何があったのか全く見切れなかったであろう。

『十分です、バルコフ騎士隊長。それでは機体の操縦をグラミネア騎士長に渡して下さい』
『「六号」競争試作機、了解した』

 満足そうな笑みを浮かべたイサラの言葉に、「六号」競争試作機は長斧を機卒に預けると再度格納庫の整備架台へと戻っていった。


「それでは所感をお願いできますでしょうか? バルコフ騎士隊長、お願いします」

 グラミネア騎士長に続いてサビヌス上級騎士も搭乗して「六号」競争試作機を動かしてから、皆は会議室へ移動し所感を述べる事になった。

「あえて述べるとすれば、膝周りだな。踏み込んだ時に違和感があった。加速度と反応速度を重視し過ぎていて、踏ん張り過ぎるといかれるんじゃないかと気が気ではなかった。他に不満はない。それと、これは俺の錯覚かもしれんが、周囲の動きが妙にゆっくりと感じた。これは機体側で何かあるのか?」
「はい。それが「六号」で初めて実装された装置で、搭乗員の反射神経に干渉して反応速度を加速させるという機能を有しています。今回の騎士隊長ですと、平均14%の向上というところですね」
「……14%であれか。ではグラミネア騎士長だとどれだけ早くなったんだ?」
「手元の数値では、平均で27%の向上ですね。まあ、今回使用したコアは、元々グラミネア騎士長が育てたようなものですし、魔導的に干渉する機構ですから魔導騎士との相性が良いんです。サビヌス上級騎士で18%の向上ですから、やはり古人とも相性が良いようです」

 イサラは、手元の魔晶石を中心に魔方陣を描き、その中から「六号」競争試作機のデータを参照しつつ答えてゆく。
 その言葉にバルコフ騎士隊長は短く切った髪をわしゃわしゃとかきむしった。

「三〇年近く黒騎士をやってきて、一番数値が低いというのも癪ではあるがな。だが、こればかりは仕方が無いか」
「元々の要求仕様では、魔導騎士のみの搭乗を念頭に置いていた機構ですから、並人でもその恩恵を受けられるようになっただけマシだと思って頂くしか」
「了解した。それで、関節周りはどうする?」
「一応、競争試作で勝ってから本格的に再設計したもので機体を一から作り直します。一応、新しい収縮帯でなんとかごまかしていますので、間接部に直撃を受けない限りは壊れないように作ってあります。まあ、さすがにゲッツ隊長級の無茶をやられるとぶっ壊れるかもしれませんが」

 一応冗談のつもりでそう言ってくすくす笑ったイサラを、三人の黒騎士は微妙にしらけた表情で見つめた。
 その視線に気がついたイサラは、こほんと空咳をひとつして、視線をグラミネア騎士長に向けた。

「それではグラミネア騎士長、お願いします」
「私もバルコフ騎士隊長と同じだ。関節周りの強度の向上は、本気で考えておいて欲しい」
「了解しました。それではサビヌス上級騎士」

 イサラに視線を向けられた、古人としては比較的背が低い歳若く見えるサビヌス上級騎士は、両腕を組んで少しだけ唇をとがらして答えた。

「俺も同じだが、あと魔術回路なんだけどさ、正直手に余りそうなんだよ。魔力の揺り戻しにはどう対応しているわけ?」
「一応、骨格は精霊銀ですから、そこに一時滞留させておいて、徐々に外部に放出させるようにしています。容量はかなり余裕を持たせましたが、足りませんでしたか?」
「いや、こう言うのはくやしいんだけどさ、どうも俺の魔力制御が下手なみたいなんだよ。で、下手は下手なりにこれまではやってきたんだが、こいつの魔力回路は魔導師向けの本格的なやつみたいだからさ、俺の技能を上げるしかないんだけど、上がるまではどうしたもんかな、と」
「……なるほど。それは盲点でした。そうしますと回路に制限をかけるか、魔術関係の講座を別に設けるかしないといけない、と」
「あ、言っておくけど、俺は回路に制限かけるのには反対な。例えばそれで、グラミネア騎士長みたいな腕利きの魔導騎士が実力を発揮しきれなかったら、本末転倒だから」
「了解しました。それでは魔術制御関係の講座を黒騎士の基本教練に組み込んで頂くよう上申してみます」

 これまでの三人の黒騎士の所感を書きとめたイサラは、表情を真面目なものにして三人の黒騎士を見つめた。

「これから十日以内に機体を皆さんに合わせて調整し、それから競争試験にのぞむことになります。この機体が選ばれるかどうかは、お三方のがんばりにかかっています。是非ともよろしくお願いいたします」


 それからイサラ達工部らは、グラミネア騎士長ら三人の黒騎士に合わせて「六号」競争試作機の調整を進めていった。一機の機体を三人の全く戦い方の違う黒騎士ごとに調整を行うのであるから、その苦労は生半可なものではなかった。とりあえず三人それぞれに最適な機体バランスを詰めていって、多少甘くはなっても一刻以内に各騎士ごとに調整をし直せるように工部の側ががんばるという形で試験に対処する事にしたのである。
 そして試験当日を迎えたグラミネア騎士長は、キュリロス機甲総監のみならず、サウル・カダフ元帥をはじめとする多数の軍人が試験を見学するために列席している事に驚いた。確かにゴーラ帝国との戦争ではそれ相応に活躍した「六号」であるが、イル・ベリサリウス元帥をはじめとして複数の元帥がわざわざ臨席するほどの事かと思ったのである。

「なんなんだろうな、この仰々しさは?」

 それはバルコフ騎士隊長も同じで、さすがに呆れた様子で見学席の方を見つめている。

「そんだけ期待されてんじゃね? なんたって「黒の二」の後継機だろ。例の空飛ぶ機神は数が足りない。かといって「黒の二」じゃそろそろ性能が足りない。そういうことじゃね?」
「貴様の言う通りなのだろうな。実際「黒の二」はゴーラ帝国の武将に随分と撃破されたからな。……私も含めてだが」
「ま、そいつは気にするな。生き残ったなら、次は勝つための手を用意する方に意識を向けろ。さて、そろそろか」

 サビヌス上級騎士のいっそ清々しいまでのお気楽さが、グラミネア騎士長はうらやましかった。「六号」に対する上の期待がここまで大きいとするならば、ヴェストラ将軍を相手に無様に負けた自分は一体全体なんであったのか。そうした自責の念が湧き上がってくる。そんな二人の意識を試験に集中させるべく、バルコフ騎士隊長が一声かけた。
 その言葉に意識を切り替えたグラミネア騎士長は、集合の号令がかかると同時に開発主任の元へと走っていった。


 競争試験の内容は、近距離走、不整地踏破、障害物踏破、武術行使、魔術行使、そして騎士を入れ替えての模擬戦であり、また同時に最小限の野整備のみでどこまで稼動し続けられるかどうかも採点される事になっていた。
 二機の「六号」競争試作機は、それぞれゴーラ帝国との戦争の戦訓を元に改装されており「黒の二」とは隔絶した性能を発揮してみせた。しかし、さすがに機神整備専門でやってきたイサラが関わり強化した「六号」競争試作機の性能は、既存の「六号」試作機を強化した機体よりも若干上回っていた。収縮帯をイサラの要求仕様に基づいてコルチャック工部が新たに作り上げただけあって、加速度や持久力で上回り、中枢部分をイサラ自ら手がけただけあって、反射速度も魔力行使もより高い性能を発揮してのけたのだ。
 そして実際に両機の模擬戦は、バルコフ騎士隊長が二勝一分け、グラミネア騎士長が三勝、サビヌス上級騎士が二勝一敗と、相手が三人とも魔導騎士であったにも関わらず、圧倒的な勝率を叩き出してみせた。
 さすがにこの成績には三人とも驚いたものであるが、イサラはごく平然とその結果を受け入れていた。むしろ、そうなる事が事前に判っていたかのようですらあった。

「諸君らの献身により、帝國軍が新たな力を手に入れようとしている事はまことに喜ばしい。ゴーラ帝国との戦争は我らの勝利に終われども、未だ北方の脅威が去ったわけでもなく、また「帝國」から戦争の脅威が去ったわけでもない。この新機を完成させるべく、諸氏らが変わらぬ献身をなす事を心より期待するものである。以上」

 最後に近衛総軍司令官であるイル・ベリサリウス元帥の訓示をもって終わった試験の後、見学に訪れていた士官らがグラミネア騎士長らを囲んで質問攻めにした。

「この新機の完成まで二年と聞いている。一日も早い部隊配備を切望している。諸君らの努力に期待したい」

 独立親衛第12混成連隊長であるというグラックス・アルバルトス准将が、そう言ってグラミネア騎士長ら三人に握手を求めた。

「さすがはイサラ親方の作った機体だな。機体が完成したら「黒の龍神」と性能比較をさせろよ。こいつにはそれだけの底力があると見た。期待しているぞ」

 「黒の龍神」乗りであるヤッサバ騎士隊長が、その凶相に満面の笑顔を浮かべて三人の肩を叩く。

「試験機でこの性能ですもの。実際の完成機がどれほどのものになるのか心から楽しみだわ。この機体が完成するまで、北の護りは任せて」

 独立親衛第512剽機装甲大隊長のディートリンデ・ヴィルケ騎士隊長が、紅茶色の瞳を細めて微笑んだ。
 彼らの惜しみない賛辞を受けつつ、グラミネア騎士長はあらためて身の引き締まる思いであった。それはバルコフ騎士隊長も、サビヌス上級騎士も同じようで、二人とも真面目な顔をして皆の相手をしている。

「やあ。どうやら上手くやっているようだねい」
「元帥閣下。お久しぶりです」
「サウル・カダフでいいよ。楽にしてくれたまえい」

 最後に顔を出したのは、北方軍司令官であるサウル・カダフ元帥であった。その場にいた全ての士官らが直立不動の姿勢となって敬礼するのを、右手をひらひら振って楽にさせた彼は、にこにこと笑いながらグラミネア騎士長に近づいた。

「改めて紹介するけれど、「黒の龍神」乗りのセルベニア・イル・ベリサリウス近衛騎士卿。元帥もやっているけどね」
「セルベニア・イル・ベリサリウスだ。諸君らの活躍は見せてもらった。近衛総軍司令官として誇りに思う」

 腰下まで伸びた絹糸のような細い銀髪と、ぬけるような初雪を思わせる白くきめ細かい肌、そして紅玉の如き澄んだ真紅の瞳。並の男よりもはるかに高い上背と細面の繊細で精悍な美貌を誇る古人の元帥が、グラミネア騎士長らに向かってそう挨拶した。それに三人は直立不動の姿勢になった敬礼をもって答えた。

「楽にしろ。今日は楽しまさせて貰った。「六号」の量産機が一日も早く部隊に配備されるようになるのを楽しみにしている」

 ゴーラ帝国との戦争の後、グラミネア騎士長に勲功章を授与した美貌の元帥は、そう言ってからわずかに桃色の唇をほころばせて微笑みを浮かべてみせた。いつのまにか彼女の視線は、グラミネア騎士長の菫色の瞳の上に重ね合わされている。

「魔導騎士は、黒騎士の中でも決して数は多くは無い。さらなる研鑽を積み、そして「黒の龍神」を駆るまでになれ。期待している、グラミネア近衛騎士卿」
「あ、ありがとうございます!! 元帥閣下」

 感極まったグラミネア騎士長の声にイル・ベリサリウス元帥は、さらに微笑みを深くして右手を上げると、すぐ表情を真面目なものに戻し、キュリロス総監と開発主任に近づいていった。どうやら「六号」開発について色々と話をする事があるらしい。
 見学者の士官らが退出していった後も、グラミネア騎士長は、まるで少女のように顔を輝かせたままで、そしてふわふわとした足取りで営舎の方に向けて歩いていった。
 そんな彼女の背中を見つめつつ、だがイサラは、厳しい表情を浮かべていた。

「親方、どうした、そんな顔をして」

 目ざとくイサラのその表情に気がついたバルコフ騎士隊長が、周囲には聞こえない小声で話しかけた。

「いえ、状況はかなり厳しいんだな、と思って」
「そうなのか?」
「参謀次長、近衛総軍司令官、北方軍司令官。三人もの元帥が顔出した上、北方派遣が決まっている新設連隊の幹部士官も一緒だったんです。しかも、わざわざ「黒の龍神」乗りの中でも特に悪辣で汚い戦い方をするヤッサバ騎士隊長を引き抜いたなんて、初めて知りました。この「六号」開発、わたしが思っていた以上に上に期待されているみたいですね」
「今更なんじゃないのか?」
「まあ、騎士隊長の仰る通りなんですけれども。でも、……いえ、だからわたしが担当する事になったんでしょうね。大丈夫です。きっと開発は成功させます」

 ふっと笑って、イサラはそう呟いた。
 そんな彼女の言葉に、訳が判らん、という表情であごひげをいじったバルコフ騎士隊長は、だがそれ以上は何も言わなかった。


 表舞台で喝采を浴びるのが騎士であるとするならば、裏方で干からびているのが工部というものである。
 セラシアとYは、この三ヶ月の間、近衛騎士団での「クルル=カリル」の整備調整と、機甲学校での「六号」開発の二束わらじで疲労困憊していた。いかに並人の倍以上の気力体力を誇る古人であるといっても、それはきちんと鍛えている者の話である。工学校を卒業してすぐに現場の修羅場に放り込まれた二人には、いささか以上にきつい状況であったのに違いはない。

「これで少しは楽になるんでしょうか?」
「あはは。無理だね。あのイサラ親方の弟子でいる限り、ぼろ雑巾になるまでこき使われるのが宿命という奴さ」

 こんな状況でもすかした態度を崩そうとはしないYに、さすがのセラシアも呆れるほかは無い。

「お給料はいいんですよねえ」
「給料くらい良くしなくちゃ、逃げ出す徒弟がひきもきらないんだろ。確かに知的好奇心が満たされる事だけは確実な職場であるがね」
「……Yさん、ほんまに余裕ですね」
「そう見えるのだとすれば、私の演技も捨てたもんじゃないってことさ。正直、今の私達を見て余裕があるように見えるなら、目医者にかかる事をお勧めするね」

 は、は、は、と力なく笑ったYに、セラシアは、心底呆れた表情になってぐったりと壁に背中をあずけた。

「工部として徒弟修業のはずが、すぐ戦場で野整備をやらされて、帰ってきたら魔導の修行も始まって、あげく新機の開発の手伝いも。さすがにきっついですわ」
「将来、弟子にはっぱをかける時のネタに困らないじゃないか。ま、先輩面する時もかもしれないけれどさ」
「ほんま、早く古人の徒弟に来て欲しいです。いくらなんでも二人だけじゃもちませんって」

 どっかと床にあぐらをかいて座り込んだYが、突然顔を上げて笑いだした。それにびっくりした表情を浮かべたセラシアに、Yは両手を広げて言い切った。

「私達が半人前になるまで、どれだけ周りの手を借りたか思い出した方がいいね。きっと新しく入った徒弟の面倒も見る羽目になるんだ。今以上にきつくなるに決まっているじゃないか」
「勘弁してください」
「そういえば、ある偉い人がこう言ったそうさ」
「なんです?」
「待て、しかして希望せよ」

 Yのその言葉を聞いたセラシアは、そのまま背中を壁にあずけたまま、ずるずると床にへたりこんだ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年01月27日 14:33