決闘の後の夜。
妙なところでミスっていたので、微修正。
「大立ち回りだったそうじゃないか」
ルキアニスが部屋へ戻ると、マルクスはそう言った。
机から顔も上げずに。なにか書物をしている。帳面以外のものを開きながら。
彼は、時折そういうことをしていた。ご実家からのお手紙へ返事を書かねばならないのだ、と。貴族公務印の押された手紙は、貴族公務に関わるものだと扱われる。だからこの学校でも、貴族公務印の押されたものは、たとえ一年生であっても、手紙が届くようになっていた。
ルキアニスには、手紙は届かない。そもそめ父は、手紙など書かないだろう。父はそういうことを嫌っているんだろうと思っていた。
マルクスは顔を上げ、ルキアニスを見る。
「おい・・・・・・」
彼の顔を見ていると、じわりと、涙が溢れてくる。いまごろになって。あわててうつむき、手のひらで抑える。
「何かあったのか」
大立ち回り以外に、っていうことだぞと彼は付け加える。
「何か言われたのか」
ルキアニスはかぶりを振る。そんなこと、ないよ、と。
「・・・・・・そうじゃない」
手で指で、ルキアニスは涙をぬぐう。大きく息を吸い込む。
「ほっとしただけ、君の顔を見たら。ただ・・・・・・」
ルキアニスは顔を上げる。
「・・・・・・言われたんだ。先輩が三年かかったことを、三月で覚えた、って」
「まあ、あのぼんくら先輩と比べたらな」
鼻で笑うように息をついて、マルクスは言う。ルキアニスは抗う。
「そんな言い方はしないで」
書物にぱらぱらと吸い灰を掛けて、マルクスは椅子からルキアニスへ向き直る。
「俺はそう思ってるだけだ」
「僕は、思ったんだ」
「何を」
「思ってもみないところで嫌われてたんだって」
ああ、とマルクスは応じて言う。
「そうだ、嫌われてる。俺たちふたりとも、な」
それは、ルキアニスも前から気づいていた。ふるさとでも。だから、ルキアニスはふるさとを遠く離れたこの帝都にいる。取り敢えず座れよ、とマルクスはと言う。ルキアニスがなにか応じる前に続ける。
「前にも言ったろ。俺はお前を嫌ってはいないんだぜ」
「うん」
壁際に寄せた二つの机、奥の窓側がルキアニスの机だ。引き出しをあけて、ぬぐい布で顔を拭く。ごしごしと。夏前には、向かいのルキアニスのベッドの下に、猫のしろを隠す籠を置いていた。今は、もういない。マルクスはこちらへと向き直り、頬杖をつく。
「前にも話しただろ、そういうこと」
「うん」
「なら、いまさら、泣くなよ」
「うん」
ルキアニスだって、己からなぜ涙がこぼれはじめたのか、よくわからない。マルクスの顔見てほっした、とは言ったけれど、本当にそうなのかを己でもよく分からない。
「マルクスはそういうの平気なの」
なんでだよ、と鼻で笑って彼は応じる。
「連中はどう思おうと、俺には関係ねえだろ。連中に何かできるわけでもない。むしろ姉貴の友達みたいなのに付きまとわれてたんだから」
マルクスの姉様のことは、時々、聞いていた。当人に言わせると繰り言だけど、ルキアニスには、姉自慢に聞こえるときが時々ある。ひょつとしたら、家や姉様が恋しいのかも、と。
「そうか」
「なんだよ」
「君は、お姉さんのこと大好きだもんね」
はあ?とマルクスは片方の眉を釣り上げる。
「何言ってんだ」
「違うの?」
「違う」
「そうだったんだ」
「そうだ」
少しして彼は言う。
「それか何だよ」
「嫌いだからお姉さんのこと話してたのかなと思って」
変わってるなあって、思ったから、とルキアニスは続ける。彼は言う。
「お前、好きと嫌いだけしかないのおかしいぞ。普通っていうのがあるだろう、普通は」
「それはそうだけど」
「普通だ、普通。ただの家族だ。口うるせえからあれこれ山程あるんだよ」
「そうなんだ」
「だから、何だ」
「仲良しの家族って、いいなあ、って」
「家のことはべつにいいだろ」
余所と変わんねえよ、たぶんな、とぶつぶつマルクス言う。
「お前はどう・・・・・・」
「なに?」
マルクスは不意に黙る。すこし目を逸らす。何をか考える風だ。そのまま数拍して、彼は言う。
「・・・・・・何でもねえ、めんどくせえ」
なんだよ、とルキアニスが腕を叩いても、虫でも追い払うように手を振るだけだ。何でもねえよ、うるせえよ、と言いながら。
そのまま一人で話を切り上げて、マルクスは再び机へと向かう。 なんだよ、とルキアニスが腕を叩いても、虫でも追い払うように手を振るだけだ。何でもねえよ、うるせえよ、と言いながら。
そのまま一人で話を切り上げて、マルクスは再び机へと向かう。
机の上には、手紙が二枚ある。一枚は、今、マルクスが書いているもの。墨吸いの灰を、そっと灰壺へと払い寄せる。もう一枚が、マルクス宛の手紙だ。上等の紙には、浮き出しで紋章がある。貴族公務文書、という奴だ。
ルキアニスはそっと覗き込む。手紙には几帳面な字が並んでいる。男の人の字とは違う感じがする。
「・・・・・・何だよ、見るなよ」
「ごめん」
とはいいながらルキアニスは納まらなかった。よく考えるまでもなく、マルクスはよくルキアニスの肩越しに、ルキアニスの机を覗き込んだりしていた。今日だって、キミクス先輩のあの手紙を覗き込もうとしていた。ずるいじゃないか、とルキアニスは思う。
「・・・・・・何だよ、見るなよ」
「ごめん」
とはいいながらルキアニスは納まらなかった。よく考えるまでもなく、マルクスはよくルキアニスの肩越しに、ルキアニスの机を覗き込んだりしていた。今日だって、キミクス先輩のあの手紙を覗き込もうとしていた。ずるいじゃないか、とルキアニスは思う。
「君のさ」
「なんだよ、さっきから」
「父上様ってさ」
「父上がどうしたって」
「女のひとみたいな丸文字なんだね」
「!」
口の達者なマルクスが、こんな風に絶句するのは珍しい。どんな顔をしてるんだろうと思って、ルキアニスはうかがい見る。
彼は、そーっと手紙を横にずらし、ルキアニスから見えないところへ寄せようとしている。そしてルキアニスと目が合った。彼はまるで、はかっていたかのように息をついて見せる。
「・・・・・・父上の名で来てるけど、代筆だ」
「姉上さまの」
「ああ」
「ふうん」
「・・・・・・お前が悪いんだぞ」
「何がさ」
「姉貴のことでからかおうとしやがって」
「僕はそんなことしてないよ」
「しただろ」
「いつ」
「さっき。さっきはお前が姉貴のことを言い出したんだろ」
「その前に姉上様のお友達がって言い出したのは君じゃないか」
「・・・・・・」
「ねえ」
「・・・・・・」
「ねえ」
「・・・・・・そうだっけ」
ルキアニスはマルクスの腕を叩く。
「痛えって言ってるだろ、さっきから馬鹿力で叩きやがって」
「馬鹿力じゃないよ」
「っていうか、話が進まないだろ」
「話って何さ」
「姉貴が、一度、お前の顔を見てみたい、って言ってる」
「そうなの?」
叩く手を止めて、けれどルキアニスは天井を見上げる。
「でも、外出許可が取れないよ」
ルキアニスには、貴族公務なんか無い。教会のミサティア先生に出す学務報告書だって手渡しでなくて、手紙なのだから。マルクスは一年のうちから、何度か外出許可も、外泊許可も得ていた。夏休みだって、何日か寮を開けていたのだから。
「二年になったら、今とは違うからな」
わざとらしく腕をさすりながら、マルクスは言う。ルキアニスは問う。
「でも、なんで姉様が僕のことを知ってるの」
「そりゃあ近状報告なら書かないわけに行かないだろ。同室がやらかす大騒ぎとか」
「大騒ぎなんかしてないよ!」
「今日の大立ち回りみたいなのが、大騒ぎでなくて何なんだよ」
「ひょっとして、それ、書いてるの?」
「まさか。先月の・・・・・・」
「先月の、って・・・・・・だめっ!」
手を伸ばしたルキアニスの前から、さっとマルクスは手紙を取り上げる。
「姉貴のささやかな楽しみを奪うなよ」
「なんでそんなこと姉様に教えるの」
「そりゃあ、姉貴が・・・・・・」
伸びをしても、マルクスの背には届かない。彼はひらりひらりと手紙を動かして、ルキアニスの手を逃れる。
「いや、面白れえから」
マルクスは椅子ごと体を傾けて、さらに腕を伸ばして、手紙をひらめかす。時々そのまま後ろに倒れてるのに。
「面白くな・・・・・・」
マルクスの机に手をついて、ルキアニスも思い切って体を伸ばす。
「ばか、おま・・・・・・」
「あれ・・・・・」
彼の胸に手をついて、体を伸ばしたそのとき、椅子が揺れた。
部屋の壁がゆっくりめぐり、床が近づいてくる。
思ったより、痛くは無かった。ルキアニスはうまいことマルクスの上に乗っかって、股がったたままだったから。
「・・・・・・痛って」
呻くマルクスは、後ろ頭に手を当てる。
「大丈夫?」
「駄目に決まってるだろ」
どうやら平気らしい。言ってることはいつも通りだ。ルキアニスは手を伸ばして床に落ちた手紙を取る。あっと声を上げて、マルクスはルキアニスの手首を掴む。
「放せ」
「駄目」
もう一方の手は、マルクスの肩越しに床に手を着いているから使えない。けれどマルクスの方は、ルキアニスの下から、もう一方の手を伸ばしてくる。
「だめえ」
「あきらめろ」
「何やってんだ、お前ら」
以外な声に驚いて、ルキアニスもマルクスも、間近に顔を見合わせ、それから上ーではなく、倒れた床の先へと目をやる。そこには扉がある。普段はもちろん、閉じておく。そこがいつの間にか開かれて、人影があった。声もその姿ももちろん知っていた。二年生のディランディス先輩だ。ルキアニスとマルクスの指導担当学生、担学を任じられている。ルキアニスにとっては弓道部の先輩でもある。彼は言う。
「まあ、楽しそうなのはいいが、一線は超えるなよ」
「呑気なことを言ってるんじゃない、ディランディス」
常より低い響きで、その姿の後ろから声がする。
「お前たち、心配して来てやったら、それか」
「・・・・・・それ、っていや、別に俺たちは何も・・・・・・」
ルキアニスの下で、マルクスがあたふたと言う。
しかしもうひとりの担学の、低い声は変わらない。ディランディス先輩を押しのけるようにして、アルデス担学も部屋へ入ってくる。足音が床に響いて、妙に大きく聞こえる。彼は腕組みをして、ルキアニスたちを見下ろす。
「この一年、僕らがどれだけ気を揉んできたのか、わかってるのか」
「まあ、主にアルデスが、なんだけどな」
「君は黙ってろ、ディランディス」
へーい、と軽い応えがある。構わずアルデス担学は眼鏡の奥から冷たい目を向けてくる。
「僕らの学年には古人がいないところに、君等二人が下級生で入ってきた。正直、僕らとしてもわからない。そのくせ三年連中もやたらとぴりぴりして、ことあるごとに僕らを呼び出してくる」
「気にし過ぎだよな」
「黙れディランディス」
「へーい」
「そのうえ、この騒ぎだ。決闘だと?あり得るか?ええ?アモニス」
「あの、すみません」
倒れたままで、マルクスの上にまたがって、いっぱいに腕を伸ばして、手紙を手にして、その手首を掴まれたままのルキアニスに言えるのは、それが精一杯だった。決闘じゃなくて、教練だ、と教官が言って、続けさせたとか、もっと言わねばならないことがあるのに。けれどアルデス先輩は低くぴしゃりと言い返す。
「すみません、じゃあない」
「でも・・・・・・」
「でも?」
「もとい、あの・・・・・・」
「ならば僕らに筋の通った説明ができるんだろうな」
「はい、あの・・・・・・」
でも、なんて言葉は、この学校では使えない。もとい、とは言ったものの、あたままっしろで、何も口から出ない。アルデス先輩は不意に言う。
「レオニダス、なにを笑ってる」
「笑っておりません」
いいや、ルキアニスにはわかる。ルキアニスの下でひっくり返ったまま、マルクスはたしかに笑いをこらえていた。
「そもそも、お前たち、担学を前に、いつまでそうやってるつもりだ」
「はいっ!」
我知らず二人で声が合う。慌てて飛び離れて、跳ねるように立ち上がる。不動の姿勢に。
「僕らも、できるだけ君たちの力になろうとはしてきたつもりだ」
アルデス先輩は、ルキアニスとマルクスを交互に見る。
「つまるところ君たちのことはよくわからないかもしれない。それは詫びよう」
だがな、とアルデス先輩はさらに声を低くする。
「表向き取り繕って、何を隠してるか知らないが、僕らの、僕の、気持ちを、よく踏みにじってくれるな」
「しょうがねえだろ」
「君は黙ってろディランディス」
いやいや、と軽い調子でディランディス先輩は手をひらひらと振って見せる。
「おまえ、たとえば、お前の知らないことで相談されても、どうしようもないだろ」
俺もだけど、と彼は言った。
「知らない・・・・・・」
「お前にもあるだろ、いろいろと、まあ、何だ。なあ」
なあ、と言われてもルキアニスは困る。腕組みしたまま黙り込んだアルデス担学は、不意に声を上げる。
「君は何を言ってるんだ!」
話が妙なことになっている。ルキアニスは不動のまま、目だけちらりとマルクスを見るが、面白げに見ているだけだ。ディランディス先輩は普通に続ける。
「レオニダスはともかく、アモニスが隠せるようなことって、そんなもんだろ。聞き出してどうするよ。問題はそこだろ」
違うと思う。けれどアルデス先輩は腕組みしたままで言うのだ。
「それは、相談してくれれば、僕だって・・・・・・」
「あの・・・・・・」
ルキアニスが言う間もあらばこそ、腕組みのアルデス先輩は、額に汗を浮かべて言うのだ。
「・・・・・・なんとか策を考えてだ、な」
できるだけ、その、と言ったきり、アルデス先輩の口から言葉が途切れる。誰も口を開かない。妙な静けさが満ちる。
「あのー、先輩方」
構わず言ったのはマルクスだ。まるで助けが来たかのようにアルデス先輩は振り向く。
「なんだレオニダス」
「自分は構わないのですが、その当人に意見具申があるようです」
マルクスを見ていた二人の担学は、ゆっくりとルキアニスを見る。
「・・・・・・」
二人に見つめられて、どうすればいいのだろう。意見具申なんて何もない。ルキアニスはうつむき、ようやく、応える。
「・・・・・・自分は、べつに、困っておりません・・・・・・」
「お前が悪い!ディランディス!」
「俺の所為かよ」
「お前が妙なことを言うからだ!」
「いや、お前、妙にかりかりしてて、言いづれえんだよ。下級生から言えると思うか」
「それは・・・・・・」
「今日だって、そうだろ、アモニス。俺らに相談するって手もあったけど、言えなかっただけだろ」
指折り数えながらディランディス先輩は続ける。
「三年相手に、呼び出し受けて、決闘だか立会だか知らねえけど」
「自分も、承知しておりませんでした」
マルクスも申告する。まあ、それはあまり良くねえけどな、とディランディス先輩は応じる。
「・・・・・・すみません」
ルキアニスはうつむく。
いや、とつぶやくように言ったのは、アルデス先輩だった。固く組んでいた腕をほどく。
「すみませんじゃ、ない。たしかに、僕らにも非はある」
「まあ、担学の負う責めは等分だからな」
「今それを言うか」
アルデス先輩の後ろで、こんどはディランディス先輩が腕組みして、壁に背を預けている。肩越しに見るアルデス先輩に、ディランディス先輩は言う。
「だいたい、相談されたからって手があったか」
「僕らだけで無理なら、僕らの先輩を引っ張り出すだけだ」
「まあな」
「君は顔を合わせづらいんじゃないか」
「まあな」
ディランディス先輩は、知らん、とでも言いたげに天井を見上げる。アルデス先輩は向き直る。
「まあ、話がおかしくなってしまったが、ようするにそういうことも、言わねばならなかったんだ」
「昇級して、担学の決め事が無くなっても、アルデスの義務感は消えないってこった」
「君はまたそんなことを言う」
しかしアルデス先輩はルキアニスたちへ続ける。
「僕らだって、上級には相談していた。二年になって、君たちが指導担当をすることになれば、やはり困り事があるはずだ。その時は、頼ってくれていい。その時は、今までとは違う。僕らは、下級生を指導する、同じ立場になる」
「偉そうになる側だな」
「僕からの助言を今言おう。あいつみたいに悪びれて見せなくていい」
「悪びれてねえだろ」
「そうかい」
ひらひらと、虫でも追い払うようにアルデス先輩は手をひらめかす。
「君が血相変えて部屋に戻ってきたのは、僕の見間違いのようだったな」
「ああ、そうだ」
それからディランディス先輩は、一人で苦笑してみせる。腕組みしたまま、壁に背を預けて、うつむいて。俺は小心者だからさ、と。
「まあいいさ」
アルデス先輩は言う。
「とにかく、怪我が無くてよかった。ふざけ合うくらいの元気もあるようだ」
あの、とルキアニスは踏み出す。
「ありがとうございます」
「いや、僕らにも得難い一年だった。多分、忘れない。楽しかったんだと思う。僕こそ礼を言うべきかもな」
最終更新:2022年05月04日 19:11