リリクタ 1

リリクタ 1

 すずやかな風に押されながら、帆掛船は進む。
 ルキアニスたちの小隊は特段に行うこともなく、短い船旅を行く。もっとも軍務ではあるから甲板に寝そべって日光浴、というわけには行かない。
 そもそもこの船は水軍によって運行されている。船員は軍装ではないだけで帝國軍人だった。ルキアニスたちはそこに便乗しているだけだ。この船のいちばんの役目は船倉いっぱいのクルル・カリルの部品部材を運ぶことなのだから。しかも部外には秘密で。だからリリクタとモリアを往復する輸送船は、運行に当たって通常は身分をあきらかにせずともよい、とされていた。だから旗竿に掲げられているのは皇帝御用旗でも軍用旗でもない。何かの商会の旗だった。いずれも河川通行法における特例だった。特例を剥ぐと皇帝特権が姿を表す。
 それに便乗のルキアニスたちも、軍装ではなく私服でいるようにと指示されていた。ルキアニスはできるだけ目立たない感じにしたのだけれど、どうも他の二人からはおかしく見えるらしい。とはいえ貴族のようにあれやこれやと服を仕立てはしないし、だからそもそもそれほど私服など持っていない。それにルキアニスの見るところ、アスランだってコルネリアだってどうみても無駄に目立っている。
 アスランはどうみても東方の大店の御曹司くらいにしか見えない。絹の襯衣を着ているのに、その上にわざわざ鼠色の外衣を着ている。手にはわざわざ肘までの手袋をしている。その格好で己は目立っていないです、という顔をして船べりに頬杖ついている。コルネリアはもっと目立っていて、格子模様の、彼女の持つかぎりもっとも地味な服らしいのだけれど、どうみても大貴族子女のお忍びだった。
 ルキアニスといえば白の巻き裾にした。それほど目立っているとは思っていなかったのに、コルネリアには笑われてしまった。集合のときにルキアニスを見て、若い子がやってるみたいに顔のところで指をぴっとやってみせて、とか言いだす始末だった。ついつい言われた通りにやってしまったのがわるかった。コルネリアだけでなくアスランまでが笑っていた。ルキアニスはもう何を着て良いのかのわからなくなったのだけれど、コルネリアはルキアニスの手を引っ張って引き止め、それでいいです、と言い出すのだ。
 ともあれ船はモリア湖から出立した。満載の船足は遅い。テルベ河でも櫂船に幾度追い越されたのか数え切れない。櫂船は早馬や郵便馬車のようなものだ。早い船足で高いものを運ぶ。二十人がかりの楷船の客が、ほんの数人ということも少なくない。その漕ぎ手も近頃では旧のゴーラ湾岸諸国から集まってきているらしい。
 それでも帆掛船は、やがてリリクタの湿地近くへと至る。テルベ河からそのままリリクタに入れるわけではない。その前に、葦原の水路に入らねばならない。機卒によって水路だけが掘られ、杭で示されている。帆を絞った船はゆっくりと水路を進んでゆき、そして「突堤」に至るのだった。
 それは古代魔導帝國の時代に作られた、分厚い石造りの堤だった。まるで当代の要塞擁壁のようでもある。突堤が何のために作られたのか良くわかっていない。おそらく魔術的な理由だろうとは聞かされていた。また古代魔道帝國は、いつかはその堤を切るつもりだったらしいともいう。崩して水を流せるような「切り口」がいくつも作られていた。ルキアニスたちの通り抜けたのも、それらのうちの大きな切り口の一つだという。大切りと呼ばれていた。
 大切りは見つけられたときにはすでにかなり崩れていて、リリクタの湿地からの水は大切りの向こうにかなり流れ出していたという。リリクタの湿地は、昔はもっと水位が高かったらしい。しかし切り口はいくつも崩れ、突堤の西側も長い月日のうちに湿地へと代わっていったらしい。
 そして突堤より先がリリクタ、猖獗の地と聞かされていた。
 静かなところだった。風が吹く音ばかりが聞こえていた。静かすぎて風の作るさざなみの音が船べりからも聞こえるくらいだった。
 船べりから手を伸ばして、水に触れてはならないと言われていた。生水を飲めば腹を下すだけでは済まない、水は何かに汚されているかのように魚はなく、鳥も来ない。
 リリクタ葦と呼ばれる棘草がざわわと揺れていた。葦の集まりと、まだらに繋がりあった水たまりがどこまでも続いている。リリクタの葦は固く、棘があり、しかも折ったときに出る汁は触れたものを腫れ上がらせるという。
 浮標と杭とが示す水路を船は静かに進んでゆく。リリクタは神の恩寵すべてを失ったようだとも聞いていた。そんな何かがあったから古代魔導帝國は突堤を作り、リリクタの湿地を作ったのではないか、と聞いていた。
 そして、神様にすら見捨てられたようなそんな地であったからこそ、帝國はそこに21旅団の施設を作った。そもそも余人がリリクタに踏み込み、探すこと自体が難しい。大北方戦争前にはすでに施設のいくつかがあり、クルル・カリルはこのリリクタに標的筏を浮かべて攻撃訓練をしたともいう。そしてこの広い空はクルル・カリルのためにこそある。
「鳥だ」
 船べりのアスランが不意に言う。ルキアニスも振り向く。船の舳先のほうだ。
 さざなみの広がりの向こうにまばらにリリクタ葦が生えているだけだ。その向こうに黒く、点のように何かが動く。羽ばたくようすも見える。遠いが大きな鳥だ。伸ばした脚の姿はこうのとりだろうか。こんなところまで飛んでくるのだろうか。
 それで気付いた。青空にあるのは羽ばたく鳥の小さな影だけではない。さらにはるか向こうに、さらに小さな影がある。
 いや、小さくはない。
 遠すぎて小さくしか見えないだけだ。影は一つじゃない。低い方に一つ。少し高くに一つ。二つの影が滑るように行く。戯れるように身を翻し、切り返し、また飛ぶ。戦闘機動だ。あんな事をするのは、一つしかない。クルル・カリルだ。下を飛ぶ一柱は小刻みに切り返しを続けている。避弾行動だ。
 そして進路を変え、こちらへ真っ直ぐに向かってくる。追っていた上空の一柱もそのままこちらへと向きを変える。
 大きく張った肩は、甲の重なり合いで翼に見えないこともない。しかし本当の翼はその背後、背より伸びている。六葉の砲撃翼だ。胴も細身で、すらりと伸びる脚へとつながっている。黒いその姿は、青空のなかであまつばめのように俊敏に飛ぶ。機を包む飛行結界と、放出する魔力が触れもせぬリリクタの水面を押しやり、波立て、飛沫を上げる。
 そして、飛び抜けた。
 黒いクルル・カリルが飛び抜けたわずかあとになって、叩きつけるような風が船に押し寄せる。
 帆が音を立ててあおられる。帆桁が振られ、帆柱と打ち合う。船そのものが大きく揺れる。船べりを掴んでようやくこらえる。飛行結界の直撃だったらこんなものでは済まなかった。いまのは飛行結界に押しのけられた大気の煽りを食っただけだ。
「気をつけろ!」
 船員から声が上がる。船のものへか、それとも飛び去るクルル・カリルへ向けたのか、わからない。風に吹き乱される髪を押さえて、コルネリアは飛び去るクルル=カリルを鋭く見やる。
「だれっ!ディアニキウス?」
「多分な。あいつ・・・・・・」
 二柱のクルル・カリルは逃げるように飛び去ってゆく。船はなんとか揺れから立ち直る。船員たちは魔道の灯明を手に船倉の点検へと向かってゆく。どうなっていますか、と問う声もある、ルキアニスも平謝りするしかなかった。
 あんなことは困りますと、船長に苦言されても仕方ない。その話では、機神が飛ぶ姿はめったに見られず、こんな風に間近を飛び抜けたのは初めてなのだという。船倉の貨物が崩れていたら苦言では済まなかっただろう。その点検や再固縛を終えて、予定をずいぶん遅れて、日も傾きかけた頃、船はようやく桟橋に横付けされた。
 そこがリリクタのどのあたりにあるのか、ルキアニスたちは知らない。ただ南側にあるらしいことだけは知っていた。モリアに近い北側ではなく、わざわざ南側に作るにはそれなりの理由があるのだろう。そこは湿地に低く突き出した岬のようなところだった。リリクタで初めて見る建物がある。陸側からは石造りの水道が低く伸びてきている。クルル=カリル関わりを除けば、低く這うようなそれはここで最も重要なのだと聞いていた。
 遠くリリクタの外で清水を浄化し、その上で水道として流しているのだと。流されるままのその清水が薄まるあたりまでは、鳥も蛙も魚も住んでいるのだと聞いた。それより大事なのは、水際で仕事をした者らの身を清めるのに清水を使う。あるいは機卒を洗い流すのにも。
 そうやって作られただろう石積の桟橋には、三人の姿が待っていた。ヒュド中隊長とファルコネア小隊長、それに教官にしてリリクタ派遣教育隊長であるフェイトだ。三人は機卒が渡板を掛けるとすぐに乗船してきて、船長へ事実関係の確認と謝罪を行っていた。積み荷と船に損傷が無かったことは幸いだった。
 説明によれば、飛行状態でのクルル・カリルがどの程度船舶に影響を与えるかは、これまで測られたことが無かったのだという。貴重極まりない機神を、船に突っ込ませようとまでは考えられていなかったのだ、と。実際、やってたのは無名くらいで、決して嘘ではない。
 説明は続けられた。そのため、友軍船舶への近接については十分な教育が行われていなかった、と。今回は、教育課程の終了が近く、機動戦闘に熱中するあまり、訓練空域から大幅に逸脱してしまったのだ、と。今後は搭乗者に十分注意させ、再発を防止する、と。
 近衛騎士にそうされて、拳を収めぬ軍人はいない。すでに日誌には近接飛行があったことは記述してしまったが、被害がなかったことは確認されているし、また経緯については了解した、と。
 説明を終えたフェイトは、ふう、と息をつく。
 ルキアニスたちは行李を機卒におろしてもらい、輜重車にも積み上げてもらい、それから従卒らにそれを牽いてもらいながら、宿舎へと向かった。からからと回る車輪の追うように歩きながら、やはりフェイトは困ったような顔をしていた。正確な説明じゃなかったんですけど、と。
「相手の理解を得られるような説明をするしかない」
 歩きながらそうヒュド中隊長は言った。しかたのないやんちゃだが、厳しく縛れば良いことでもない、と。低空側を飛んでいたクルル・カリルはやはりディアニキウスの機だった。上空側はガリルだったという。それまで単機飛行と、襲撃訓練しかできなかったのが、ようやく二柱のクルル=カリルを得て、模擬戦闘も行い得るところまできたのだと。ただ、あの船の間近を飛び抜けたのは、「ちょっといいところを見せようと思った」らしい。
 船舶への飛行影響については嘘は言っていない。ディアニキウスにそのつもりはまったく無かったはずだ。でもフェイトが心苦しそうである所以もわかる。
 実は似たような戦技があることをルキアニスは知っていた。開発騎士が発見した技なのだそうで、飛行結界の強度を増した上で、高速で敵に突入する。敵将真っ向から突っ込んで周囲の護衛を吹き飛ばすことができるのだ、と。それは仮想機での訓練で、再現できないこととして聞いていた。だから知っていただけだ。
 まあ、そんな戦技があるわけだから、船舶のそばを突っ切ればどうなるかはわかる話ではある。クルル=カリルの機能を知り尽くすところまで行けていない、初期訓練ならではの過ちとも言える。そして初期訓練の範囲を超えた飛行で起こした。ただクルル=カリルは穏やかに心安く飛べば良いものではない。いつかは戦うための技としての飛行を身に付けねばならない。
「生活注意は受けてこられましたね」
 フェイトが振り返る。ここは魔術で浄化せねばならないところです、と。本当に、この宿営地の地面は小石混じりの砂で、草一本生えていない。はるかリリクタの外から水道で導き入れた清水を使い、清水浄化の魔術を使って、この宿営地自体を浄化結界にしているのだとフェイトは言う。古代魔導帝國の遺物が多く掘り出されているから、気を引くものがあっても触れぬように、とも。リリクタには古代魔導帝國の街が埋もれているともいう。魔導アカデミアが空中から得た写像を調べたところによると、水面の下には街道や、街の区割りが今でもわかるのだという。
 宿営地にはクルル=カリルのための機神座もあった。常ならクルル=カリルの或るべきところは、機密保持のために屋根と壁に囲われているものだが、帆布の風よけと、日よけが柱の間に渡されているだけだ。クルル=カリルですらああなら、宿舎はどうなっているだろうかと案じたのだが、意外にきちんと作られた木造の宿舎だった。ただ窓には硝子のような贅沢はされていない。入口の扉も開かれている。歩きながらフェイトが示す。
「あれが本部棟、食堂棟も付属してます。奥の小隊宿舎は個室ではありません。第三小隊分も増築されてます。騎士棟と従兵棟です。騎士も小隊で一室になります。あちらが工部棟、隣が導師棟です」
 導師格がひとり派遣されているのは聞いていた。浄化結界維持と機神座の維持、それに機神工部の監督のためという。とはいえイサラ親方ではない。
「ハインライン導師が居られます。のちほどご紹介します」
「これぞ導師って感じの人」
 思い出し笑いを浮かべながらルナマリアは言う。
「教官殿、中隊長殿は教育隊本部!」
 気合の入った声はイサクリウスだった。本部棟の中で椅子を引いて立ち上がる姿もある。ガリルとニコルの二人だった。
「楽にしてください」
「ディアニキウスは宿舎で休憩中であります」
「承知してます」
 フェイトは応じる。
「第三小隊が到着しました。本来の予定より遅れが出た結果、図らずしも中隊が揃うことになってしまいました。予定の遅れを取り戻し、つつがなく第三小隊を訓練課程に導入します。本日のことについてですが・・・・・・」
「よろしいですか、教官」
 ヒュド中隊長が一歩踏み出す。はい、とフェイトは応じる。ヒュド中隊長は言った。
「クルル=カリルは武具であり、飛行は遊覧のためではない。諸々にある限界まで使わんとするのは当然のことだ。それを咎めることはない。そのために、あれをするなこれをするなと命ぜられたことは、これまで無かったはずだ。ただ、それによってクルル=カリルを損じることがあれば、咎めざるをえない。よくよく考えて運用しろ。並行思考の力を賜りながら、短才な振る舞いをするな。以上です。教官」
「皆さんもそのようにしてください」
「すみません」
 そう肩を落とすのはガリルだった。まあまあ、あれは仕方なかったよ、と横からニコルが慰める。
「だからあいつは馬鹿なんだ」
「そんなことだろうと思っていた」
 イサクリウスとアスランはそれぞれに腕組みして、そう言い合っていた。二人は大して仲良くはないのだけれど、こういうことでは良く一致する。ガリルは止められなかったことでとばっちりを受けた形だった。ディアニキウスが宿舎休憩中というのは、絞られたゆえのことらしい。
「それで反省してくれれば」
 ルナマリアまで腕組みして、そのように言う。
「そんな殊勝さがすこしでもあれば」
「あいつにそんなものがあるものか」
「すみません・・・・・・私がもっと早くに叩き落としておけばこんなことには・・・・・・」
 肩を落とし済まなそうに言うガリルに三人は思わず黙り込む。
「・・・・・・まあ、そうね」
「・・・・・・あいつ、そんなに強いのか」
「・・・・・・」
 問うアスランにイサクリウスは応えず、ぷい、と顔を逸らす。ガリルは若くして太夫と呼ばれる魔族の実力者であり、旧902組の中では最も小隊長格に近いと評価されている。足りないのは一人としての力ではない、とも。イサクリウスのほうはガリルに次ぐと見られているだけあって、競争心を隠さない。その彼をしても力の差は拭い難いらしい。
 そのガリルに追い回されてなお「ちょっといいところを見せようと」するくらい、ディアニキウスは力をつけているとも言える。アスランはガリルのことを苦手にしてるようだけれど、ガリルは今どきの帝都の若者とあまり変わりなく見える。
 フェイトの言う通り、訓練過程は大幅に遅れていた。中隊、と言ってもそもそも今の編成は常設ではない。常人の双性化調整を含む措置のため錬成編成と言っていい。ベルッヒンゲン大隊長直卒だったシャルルとアイデシアは、ヒュド中隊長らの第一小隊組よりさらに早く、フェイトに引率されて初期訓練過程に入っていた。シャルルとアイデシアの錬成には開発騎士も参画している。
 そのときに教範がかなり改訂され旧902組の教育基盤となっていた。二人の教育課程をもって、クルル=カリルの搭乗員を次々に仕立て上げる課程にしたと言ってよかった。つづいて旧の第1小隊員がヒュド中隊長直卒で調整に入った。訓練課程は、あえて二つの小隊が重複するようにされていた。先行小隊の後期課程に、後発小隊の初期課程が重なる。
 先行、後発、二つの小隊の交流は強く奨励されていた。今の編成はあくまで調整と錬成のためのもの。部隊では任務に合わせて誰とでも組む。競争心だけでなく団結心を養うために。今は近衛騎士団の増員は止まっているし、クルル=カリルの増強も止まっている。いずれも育てるのが難しすぎるためだ。だがそれは今だけのことだ。帝國は行うと決めたことは必ず行う。そのために要とするものは必ず得る。
 ただ、今は何もかもが追いついていない。訓練に回せるクルル=カリルすら、旧の第1小隊組が課程に入ってさえたった一柱に限られていた。本来は遅くとも第一小隊組が後期課程に入る前にモリアからもう一柱のクルル=カリルが送られるはずだった。それが行い得なかったのだ。
 大北方戦争前に作られた7柱は、戦訓改修だけでなく能力向上改修が幾度も行われていた。そのうちの数回は重大な不具合の是正のためだと聞かされていた。大北方戦争後に作られた2柱は新しい仕様をはじめから組み込ん作られたために問題が少ないという。開発側では第2基盤水準と呼んでいる。その第2基盤水準は今後の基準となるべきものともいう。既存のクルル=カリルもいずれは完全に第2基盤水準を満たすようになるはずだとも。
 しかし改修は遅れていた。何が理由かまではルキアニスたちには知らされていない。けれど既存機の改修が遅れているがために、第2基盤水準機である新造の一柱を、部隊が手放せなかった。かといって新規搭乗員に旧仕様の機をあてがえば訓練が混乱する。
 そもそも初期訓練をモリアからリリクタに移したのは、搭乗員の資質で乗りこなさせていたクルル=カリルの状態を良しとされなかったからだ。21旅団のヴェルキン司令は、搭乗員の得意とする任務に割り振るのではなく、すべての搭乗員が一定の成果を発揮する戦技の習得を求めていた。旧902組の資質が低いとしているわけでもなく、旧101組を不十分と見ているわけでもない。帝國軍のような標準戦技を近衛騎士団は持たない。ヴェルキン司令はそれを是とした。兵法魔導はつまるところ属人的なものなのだから、魔導戦部隊もまたそうならざるをえない。
 ただ同じだけの魔力を消費したならば、ある基盤水準で目的を達成しなければならない、とヴェルキン司令は定めていた。シャルルとアイデシアのころに教範が改訂されたのもそれが理由だった。初期訓練課程とはいえ、ただ飛ぶことを覚えるだけでは足りない。すでにある自己の能力をもとに、クルル=カリルを飛ばしただけの意味ある攻撃成果を出さねばならない。ゴーラ帝国のゴルム帝を憤死せしめたはこの上ない成果であるが、それを狙って行えるわけではない。それを成さしめたのは、基盤となる能力があるゆえだった。
 大北方戦争前、リリクタの湿地に標的を浮かべて対船舶攻撃を訓練した。新しい搭乗員にもそれが標準的な状況であり、対象として提示される。魔力弾で攻撃しようが、自らを弾丸の如くして飛行力場とともに突っ込もうが、構いはしない。頻出状況に適応する戦技を求められる。
 ただいかんせん、訓練に使えるクルル=カリルは一柱しかない。そのうえ扱う魔力が膨大で、現世との相克も激しい。飛行するだけで消耗してゆく。機神工部だけでは手が追いつかず、モリアの開発部から導師が一人送り込まれるほどだった。それでも訓練計画自体の遅延は避けられなかった。シャルルとアイデシアは予定通りに訓練課程を終えたが、訓練対象人員が増え、また開発騎士とがモリアに帰還したことで、訓練課程の遅れは一気に顕在化した。ルナマリアたちの第2小隊員が予定通り初期課程に入ったことで、さらに悪化した。だからこそルキアニスたち第3小隊員組は余裕をもった調整課程を経ていたが、それでも第1小隊員が訓練課程を終える前に、調整課程を終える見込みになった。
 フェイト一人が教官として残り、開発騎士が部隊へ帰ったのも、新教範による部隊運用改善を行わねばならないからだ。あるいは部隊の搭乗員は、それぞれにクルル=カリルを乗りこなしている状態で、新規搭乗員に一定の技能を伝授する体制に無かったとも言える。
 ついにリリクタにもう一柱の第2基盤水準クルル=カリルを送り込むことが決まった。部隊での第2水準基盤機運用を一時滞らせてでも、旧902組の錬成を早めるべきだと。
 そこまで搭乗員の頭数を求めるからには、搭乗員の負担の大きな作戦ーつまりゴーラ湾の連続哨戒のような任務を想定しているのだろう。 そして複数のクルル=カリルが同時に飛ぶとなれば、訓練課程の中でも、互いの力をはかりたいと思うのは当然のことだった。それまで複数機で模擬空戦など行えなかったのだ。
 今回の件も予定した訓練ではない。じゃれ合い程度のことは、と幹部が見て見ぬふりをしたところで、規定が無いがゆえに野放図に飛行範囲を広げてしまったのだ。本来、組織人であるヒュド中隊長が訓練統制を支援していながら、そうなってしまった。何もかも足りない。足りないから訓練を急がねばならず、急がねばならないから足りないのだ。
「・・・・・・」
 幹部公室、その教官席へフェイトは息をついて座る。魔導八相に覚醒し、この世のあらゆる物を操る導師でも、積み重なった現実の一つ一つを払拭することはむつかしい。たくさんの人が関わることどもを操ることは、ひょっとしたらいちばん苦手としているのかもしれない。ヒュド中隊長はそれほどでもなかった。彼女は席でいつものように紙煙草に火を着ける。
「構わん、とまでは言わないにしろ、こちらで押さえられる程度で良かった」
「まったくあいつときたら・・・・・・」
 ルナマリアは幹部公室でぷりぷり怒るけれど、ヒュド中隊長は本当に構わんという様子でゆっくりと煙をくゆらせる。もっとも部品部材の方に被害を出していたら話はここで止められなかったがな、とも言う。せっかく二柱のクルル=カリルを預かりながら、部品部材の損傷で飛ばせなくなりましたでは済まない。
「それで、ディアニキウスはどうしている」
「あたしを背に乗せて、腕立て伏せ五百回」
「・・・・・・うわあ」
「うわあ、ってなに」
 ルナマリアは頬をふくらませる。ルキアニスはだいぶ重かっただろうなどとは言わずに聞こえなかったふりをした。ヒュド中隊長は笑う。
「ガリル相手に構わず突っかかるあたり、ディアニキウスらしい。挑む気があるだけいい。統帥秩序としては、絞らないわけにはゆかないが」
 ヒュド中隊長は、ここだけの話だ、と続ける。
「帝國の仮想敵としては、独立魔族領の者らが在る。我々はそれらを圧倒できねばならない。ガリルの人となりはともかく、我々は魔族太夫を圧倒できねばならない」
 それにと彼女は続ける。
「フェイトもそうだ」
 名を挙げられたフェイトも、わかっているというように頷いて見せる。すでにそんな話はされていたのだろう。これまでの話の流れもそうだ。フェイトとヒュド中隊長とで意を合わせねば言えないことばかりだった。
「同じく人となりとしてはともかく、フェイトもまた我々自身の手で打ち取り得ねば近衛騎士として意味がない。魔族だけではない。諸国の機神もまた我々の仮想敵だ。クルル=カリルを預かりながら出来ませんでは意味がない」
 そしてヒュド中隊長はすこし唇を歪めて笑みの形を見せた。いつも掛けている色付きの眼鏡を外してルキアニスたちへと目を向ける。人族とは違う、魔族の虹彩でルキアニスたちを見る。
「あるいはお前たちの手によって、わたしを倒せるようでなくてはならない。あくまで帝國の国策としての話だが」
 その意味ではディアニキウスを罰しすぎては意味がない、と。
「適切に競わせろ。より強いものに挑ませろ。拮抗以上の力を望ませろ。小隊長格の力を見せつけろ。そして足りないものを探らせろ。この訓練過程、帝國をしてなにか与えるものだと思わせるな。自ら得るべきものを得さしめろ。アモニス」
「はい」
「お前もフェイトを倒せる目算を立てろ。ファルコネア、お前もだ。我々が想定すべき仮想敵はただの魔族太夫ではない。一人で駄目なら三人掛かりでも、あるいは二個小隊がかりでもいい」
「はい」
 ルナマリアもうなずき返す。フェイトがどれほど倒し難いか、ルキアニスは嫌と言うほど知っていた。けれどそれもフェイトの善意、全力で掛かって構わないと言われての立ち会いで知ったことだ。その時フェイトにルキアニスを倒す気は全く無かった。むしろ斬られることそのものを待っていた。あのときは倒せなかった。今は・・・・・・
「・・・・・・はい」
 まだ導師相手に使おうと思うほど、あの技を練られているわけじゃない。でもいつかは、ヒュド中隊長の言うようにフェイトのような相手にでも使わねばならない。
 確信が無ければ兵法魔導は通じない。しかし導師格の阻術を前に確信は得られない。けれど導師といえど刹那刹那に過ちを犯さぬわけでもない。そして、刹那刹那に避け得ぬ死を振るうのが黒騎士でもあり、繰り出す技こそが確信だった。もって世を書き換えるのが兵法魔導でもある。
「いつでもお手伝いします」
 フェイトはそう言う。けれど斬られる刹那その痛み苦しみは常人と変わらぬらしい。
『でもそれは、いつまでもは続かないし、一人で耐えてるわけでもないんですよ』
 彼女はそんな事を言っていた。
 それでも、斬らせてくれるだろう、彼女なら。斬られて、そしてもっとよく斬る術を語ってくれるに違いない。それも彼女自身のためだけではない。それもよくわかる。イサクリウスのように自ら求めて飛び込んだ者も在る。そして魔族の愛によってイサクリウスは変わった。それにうまく応え得ないのはルキアニスのほうだ。今のルキアニスには恐れるものも失うものも無いはずなのに。
「・・・・・・」
 今のルキアニスには導師を斬ってのけるほどの力は無い。東方の名刀を与えられて、クルル=カリルに供すべき魔具の雛形品を与えられて、斬りえないとすればそれは怠惰にすぎる。ましてやクルル=カリルに乗るならばなおのこと。そして、今もう眼の前に、あの空飛ぶ機神の姿はある。
「アモニス」
「はい」
 ヒュド中隊長の声にルキアニスは顔を上げる。
「ハインライン導師に紹介するのは明日がいいか」
「早いほうが良いと思います。着替えてきます」
「えー、着替えちゃうんだ」
 ルナマリアへルキアニスは振り向く。
「からかうのやめてよね。コルネリアにも笑われちゃってるんだから」
「ないない。あの子、ちっちゃいもの白ワンピとか大好物よ」
「それあなたじゃなくて?」
「あたしはやんちゃ系ですから」
 部隊で言ったら、誰みたいな感じだろう、と思いながらルキアニスは席を立つ。そもそもちっちゃいものあつかいってどういうことよ、とも思う。背だってルナマリアのほうがちょっと高いだけじゃない、と。
「じゃあ、あんたはどうなのよ」
「だって、あたしは・・・・・・」
 言いかけて口をつぐむ。眉をひそめるルナマリアにルキアニスは舌を出して見せる。
「おしえなーい」
「なんでよ。でもまあ、だいたいはバレてんだから」
「じゃあ、いいじゃない」
「お前たち、ここはモリアの奥ではないからな」
 ヒュド中隊長の苦言に、はい、と応じルキアニスは幹部公室の扉を開く。着替えてきます、と。廊下で大きく息をつく。いつも思い出し、いつも打ち消している。会いたくて、ぎゅっとしてほしくて、あの声がいつも聞きたくて。
 でも、ふたりであのときより前に戻ろうとしてはいけない。
 刻の理に逆らってはならない。
 あのとき、光の門を開いて現れたひとはそう言った。それよりあとは、もうルキアニスはずっとひとりだった。



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フェイトそんって原作ではどんな喋り方してたかと思って、なのは再履修しちゃった。二次創作の影響が強すぎて見直してびっくりだった。第1シーズンではほとんど喋ってないし、そもそもシリーズの事後作からしたら第1シーズンが外伝みたいな作りになってた。
そして突如、機動六課が設立されてるし、いろいろと迷走してたんだな、あのシリーズ。

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最終更新:2024年03月17日 20:52