ゴーラ演義 ナーハン離宮の段 2

ゴーラ演義 ナーハン離宮の段 2
ミラクゴルド水攻めの巻


10年前のネタだから、認識が間違ってたりする。今回においては、気づいたところは都度なおしておく。サビヌスは少壮に見えるがベテランだったので、訂正。




 嫌な雨だった。 
 先行きの悪さを思わせる低い雲がゴーラ湾に垂れ込め、強い雨が降り続けていた。
 波も荒く、櫂船はうねりと風浪の両方に揉まれ、大きく揺さぶられていた。うねりを乗り越えるたびに、船体は軋る音を立て、へさきが波に突っ込むたびにまた軋る。
 熟練の船長たちの観天望気では、中止にまでは至らないとしていた。ゴーラ湾は晴天ばかりではない。ゴーラの心臓が荒ぶることはよくある。そこを突いて船を出してこそゴーラの船乗りたちなのだという。
 こんな波の中に漕ぎ出してゆくのだから、船には頑丈さを求めるのが当然であり、ペネポネソス海のような内海の櫂船とはそもそもちがうのだと思い知らされる。まあ便乗者が酔う程度のことは船乗りたちからすればよくあることなのだろうが、マルクスもあまり無様な様子は見せられない。出向前に用意した水魔道の酔い止めがなければ大変だったろうと思うのだが。
 雨の向こうに船団がかろうじて見えていた。すぐ前を行くのが青鷺号。その前が白山。いずれも驃騎兵を載せている。さらに前を行く三隻の姿は煙る雨によってよく見えない。だが雷鳥、白鷹、竜星といい、いずれも六号計画機を搭載する輸送担当船だった。先頭を行く黒鳥号の姿は見えないが、指揮連絡担当でアウレイ先任参謀が乗っている。どれも二本帆柱の大型櫂船で、ペネポネソス海で言えば帆櫂船にあたる。帆櫂船は砲を載せ、これら大型櫂船は機装甲らの重い荷を載せられるだけだ。もちろん船としての頑強さはゴーラ湾で使われる大型櫂船のほうが勝っている。
 マルクスの乗る越波号も同じくで、縁起の良い名前ではあるらしい。越波号は輸送担当予備船だが、荷を載せないと船べりが上がりすぎて転覆の恐れがあるのだという。そのために予備の武装や盾、糧食や清水をわざわざ積み込んでいた。だが予定の作戦はそれほど長くは無い。帰りには清水などを捨てて先遣部隊を乗せることになっている。
 六花作戦承認の最後の会議で、中央参謀本部の対外担当課員と、北方辺境公からの側用人は、ゴーラ内部の情勢情報を伝えてきていた。いわく皇帝領の上流域のスカニア領内で洪水が起きておりこれがかなり深刻な様相を見せているのだと。スカニア大公はこれに対応するため直接の支持を出し、軍勢の派遣を行った、と。
 中央の評価では、スカニア大公の派遣程度ではミクラゴルドの防備を突破できないだろうとのことで、これは本格的な決起ではないと見なしていた。北方辺境ではまた見方が違っており、スカニア大公は小出しに人員召集令を繰り返し出しているとのことで、どれだけ人員を集めたのかはっきりしないとのことだった。ただし北方辺境の見立てでも、スカニア大公の決起を伺わせるものではないという。
 それら情報をとりまとめ、北方軍は会議に最後の承認要請を出した。北方軍司令が求め、執政官が同意した、六号計画機の試し切り作戦、六花作戦は承認され、発動していた。
 六花作戦部隊の形の上での指揮官であるバルコフ騎士隊長は熟練の機装甲乗りで、六号実験隊の小隊長を任せられるくらいには高い実績と、諸々も信頼があった。次席のグラミネア騎士長は六号計画が今の形になる前から開発に関わっており、大北方戦争での試験出撃で参画したポルタヴァの戦いの小隊最後の生き残りでもあった。バルコフ騎士隊長は実際の試し切りはグラミネア騎士長に行わせたいと考えているようだった。六号計画の当初からの開発騎士であり、六号の機能からすれば、この程度の標的を斬っていまさら得るものなど多くはない、とはバルコフ小隊長の言いようだった。それでもなにがしか得ようとするなら、開発騎士の経験程度なのだ、と。
 六号計画機は大北方戦争当時と比べて格段の進歩を遂げているという。計画に参画したイサラ親方の手腕が高く評価されている。クルル=カリルといい、六号計画といい、あの人の仕事は常人の域をかなり越えている。とはいえクルル=カリルの方は開発体制がかなり大きく、イサラ親方一人でできることが限られているからこその、空いた時間を使った六号計画参画なのだというのだが、そもそもそれが卓越している。
 その六号計画機の性能展示は極めて高い評価を得たという。特にイル・ベリサリウス元帥から。それでも軍務担当執政官が調達開始に二の足を踏むほど高価でもある。六花作戦の目標であるシヴェン城将は、ゴーラでも格の高い重魔道機を所持していることはわかっていたが、これ程度斬ったとしても、当たり前と言えなくはない。六号計画機に北方軍の側から求めているのは機神格への対応、ゴーラ皇帝家の持つ機神グイン=ハイファールなのだから。
 それゆえに作戦担当先任アウレイ参謀は、試し切りの結果の持ち帰りを考えていた。マルクスの乗る越波号は可能ならば試し切りの結果を載せて帰ることも、想定はしていた。もともと北方軍司令のサウル・カダフ元帥からの試し切り要求だったが、高位の要求が重なって、要素の多い、身動きの取りづらい作戦となっている。
 あの元帥は何を考えているのか、といえばおそらく、何にしろ初期生産機が北方軍に引き渡されることから決まってしまったのだから諸々支援が受けられるうちに受けてしまえばいいじゃない、とかそのあたりなのだろう。高位の目は南方に、それが予定通りだったかのように向きつつあり、大北方戦争のときのように北方軍本部にフェイトとクルル=カリルなどという手厚い配置が行われることはありえない。
 しかもゴーラ帝国と帝國の間は、ヴィスマリアン条約を挟んでかろうじて戦争をしていない程度なのだ。帝國としては海賊による低烈度紛争が想定通りやってきているし、ゴーラ帝国は敗戦後の体制再構築は進んでいない。今のうちに北方軍本部の機神担当特別参謀ー幸いなことにマルクスではないーが部隊と態勢を掌握し、またことによっては開発部隊ごと取り込んじゃえばいいじゃない、くらいは言いかねない、あの古狸もとい賢狼ならば。
 マルクスといえば伝書役なのだ。そのつもりでいる。六花作戦がどうにもならなくなったときの始末を除けば。いまはやることもない。甲板で外套を濡らすこともない。だから異変があったら知らせるように言伝て、甲板の下の客室へと居りた。
 軍用船とはいえ軍本部参謀が横になるくらいの小部屋はある。ノイナに手紙を書いていなかったなと思い、だが今ここで書けるものではないなと思い直す。気づけば眠りに落ちていた。
「参謀殿、船長が上がっていただきたいとのことです」
 ひさびさのたっぷりした眠りを楽しみ、目が覚めても処理する仕事も無いことを一時楽しんでいるうちに、客室の戸が叩かれた。
 甲板に上がると、船足は緩められていた。
 あたりは暗く、しかし雨は止んでいる。船長は海図室にいた。天測ができないため磁石による推測航法でのおおよその位置を示してくる。船団は予定通りの位置にある。船足を緩めているのも予定通りで、これは漕ぎ手を休ませるためだ。
「これを」
 船長は言って、あか掻きを押し出してくる。船底に流れ込んでくる水を掻い出すための器だ。汚い水が揺れている。
「これが?」
「船足を測っているときに気づいたものです。そこで掬ったものですよ。ゴーラ湾の真ん中で」
 こんな汚れた水が流れてくるものなのだろうか。
「・・・・・・洪水、か?」
「稀にはあると聞きますが、わたしは初めてですよ、こんなことは」
 そういえば情勢情報で言っていた。皇帝領の上流でかなりひどい洪水が起きているのだ、と。スカニア大公はそれへの対処のために人員を集めまた軍勢を送り出してはいる、と。ただし帝國諸機関の分析では一致して、決起ではないだろうと見なしている。
 常のマルクスなら、鑓の機神を呼び出して偵察を行っただろう。どんな知見でも実際に見れば得るものはある。だが今は隠密作戦、人目のあるところに鑓の機神を飛ばすのははばかる。マルクスは船長へ問う。
「たとえば流木なんかで船が損傷することはありえるのか」
「ええ、当然、ありえます。竜骨を痛めたり、櫂を損じたり」
「わかった。何か変わったことがあったらまた知らせてほしい」
 そう応じて、マルクスは欠けた魔導具に魔力を込める。本来一つであった宝玉に魔導の処置を施して欠き割ったものだ。今の場合は3つに。一つはアウレイ先任参謀が持ち、一つはマルクスが持ち、一つは北方軍本部の魔導兵がもっている。もとは一つのもので、これに念を込めることで、どれだけ離れていても瞬時に共有できる。ただ欠けた宝玉に何が込められたのか観相可能なのは霊物の魔導相の術者だけだ。たしかクルル=カリルにはこれよりはるかに優れた術具が搭載されているはずだった。胎内の操縦槽の結界内であれば、自在にやり取りができるという。古代魔導帝國の機神にも似た機能があるはずだが、うまく使いこなした例は知られていない。当時の両義だっただろう乗り手には不要だったかもしれない。
『承知』
 アウレイ先任参謀からは短い返答が返ってくる。しばらくして、闇の中に灯明光が小さく浮かび上がる。船員が報じる。点滅光。信号発信、と。
「読み上げます。漂流物に注意せよ。以上」
「行程はあと半分、十分に注意してくれ」
「わかりました」
 船長は応じる。船は進む。
 夜には漕ぎ手は半分ずつ交代で眠る。激務で金になるのがよく分かる。今の場合は、漕ぎ手はいずれも軍人だった。漕ぎ手としての練度はやむを得ず低い。ただ陸に上がれば彼らは兵員として期待できる。そのための銃と銃剣も搭載されている。ただし七百人もの糧食と清水所要はかなりのものになる。この越波号が必要とされる理由でもある。民間の櫂船なら不要だ。港で水と飯を買う。この売り買いで港町は放っておいても栄える。常の行き来があれば「彼方の港から来た船にこれだけ施すから此方の船にも彼方ではそうしろ」という約定も結べる。多重に結ばれた約定こそが、ゴーラ人の言うゴーラの紐帯であるらしい。
 それを断ち切ったのが大北方戦争なのだ。その後のゴーラ湾の海賊が、ただの襲撃へと切り替わっていった背景がよく分かる。
 マルクスは船室へと降りて、釣り寝台に横になる。今、ブルーノ班の生き残りの三人は、またヨスタルヌス男爵の知行地となったあの河港町はどうなっているだろうか。考えても仕方ない。
 気づけば朝となり、甲板へ出れば、ゴーラ湾を見渡すことができた。時折、泥水のような塊が見える。昨日の夜のうちに気づいたのはだいぶ運が良かったかららしい。心配したような流木は見られない。ただ船長によれば、半分水に漬かっているから気づいたら、どすんと来るようなものだという。
 船は帆柱に帆を張って進んでいる。すべての漕ぎ手が休める。曇天で天測が行えず、相変わらず磁石で方位を定めて進んでいるだけだ。船団を導いているのはアウレイ先任参謀の乗る黒鳥号だ。船足は遅い。張られる帆は小さい。
「!」
 へさきで笛が鳴る。船長へ振り返ると、漂流物警告です、と答えてくる。
 船べりから見れば、枝葉の削げ落ちた、けれど張った根を水面から振り上げた流木が流れてくる。まだ若木と言っていい。マルクスは思い出していた。大北方戦争でのクルル=カリルの戦果を取りまとめた時、ヴェルキン旅団長が計算をしていた。
こう言っていた。
「僕らは百年分の森を刈り取ったようだ」と。
 もともとゴーラでは、またスカニアでは、船舶と鉄材のために木材需要は多かった。大北方戦争後に、ゴーラ湾南岸との通商は絶たれ南岸小麦は入らなくなったはずだ。また内戦後しばらく帝國から輸出されていた小麦も輸出されなくなった。ゴーラは、連合王国に鉄材を輸出することで穀物を輸入していたはずだ。
「・・・・・・」 
 洪水、という情報はあった。それがどの程度のものかは詳しくはわかっていない。またヴィスマリアン条約でゴーラ国土上空に空飛ぶ機神を送るのは明確に禁じられている。
 それに妙な感覚がある。感覚というより、観相だ。
 この木だけでなく、これら泥水だ。術の痕跡がある。詳しくはわからない。マルクスはそこまでの魔術師ではない。兵法魔術を使うだけだ。けれど物相の観相でそれらに自然とは違う魔力が与えられた痕跡がある。それまでとは違う存在になれと魔術的に動かされた痕跡だ。それらは四相の魔道、火、水、土、風とは違う。四相魔道は自然から生まれ自然の状態を動かすものだ。今、マルクスが観たのは、そうではない魔術、世のありようの状態そのものを動かす八相の魔導のほうだ。
 流れてきたすべてがそうなのか、それとも運良くそうされたところを見つけただけなのか、マルクスにはわからない。
「・・・・・・何が起きている」
 洪水という情報はあった、スカニア大公が対応のために軍勢を動かしたという情報もあった。そしてゴーラ湾に広く洪水の流出物があるらしい。その中に魔導の干渉が行われたものがある。
 重要なのは、ゴーラは国としては魔導魔術の復興が行われていない。古代魔導帝國で生み出され世のあらゆることを操った強力な魔術の体系が、ゴーラでは復興していない。
 マルクスは欠けた魔導具を手の中で弄ぶ。この程度の情報で六花作戦の停止も変更もありえない。むしろ些末な情報はアウレイの負担にしかならない。
 伝書係が無能でも、同じだ。
 船べりに手をつき、マルクスはゴーラ湾を見やる。





水攻めつったじゃねえかよ、ってなw

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最終更新:2024年03月27日 12:38